髙橋みずほ「一本二本細き線あり藍色の変異のというも江戸の朝顔」(『蠢く』)・・
髙橋みずほ第11歌集『蠢く』(短歌研究社)、栞文は今森光彦「低い眼差し」、その中に、 (前略) 生きものの中に自分の霊を同化させることができる力は、ある種のアニミズムであるように思う。日本人の子どもたちは、生まれながらに、この稀有な感覚を身につけているのである。 ただ、惜しいことに、この鋭敏な感覚は、大人になると影を潜めてしまう。雑念が多くなる、と言ってしまえばそれまでだが、ものごとを、科学的に解釈しないと社会の中で生きられなくなってしまうからだろう。 表現者は、だれもがそうだと思うが、この不思議な力を持ち続けるにはどうしたらよいか、と思案する。この短歌集の作者(髙橋みずほさん)は、風景に対して常に低い眼差しをもっていて、どうやら、自然の蠢きを鋭く感じとることができるらしい。 とあった。また、著者「あとがき」には、 言葉を短歌の形式に入れたときに、身体ごとぴったりとはまった感覚があった。それから、短歌を作り続けてきた。師・加藤克巳の作品に触れていつからか、言葉の柔軟性に気づくようになった。そして形式とは揺れ幅をもつ器であることを知り、その奥深さに佇んだ。それが言葉の魅力なのだと思った。長い時のなかでゆっくりと、言葉と真向う日々があった。 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておこう。 人間の内に深く刻まれてしずかに憩うような傷穴 みずほ 黄色い家が削れてく青い家のそのとなり赤い実のなる木もあって 子の惑い泣きだす前にふとよぎるみえないものを追う顔をする 靴とんがっている上向きに履きくたびれて空を見ている 青い海原がよせてきてとうめいな波影をおいてゆく ふつふつとさる波につげて泡はやさしき丸みに消える いさぎよく風のすじとなる灰となるうつくしき生かもしれぬ 同じ形の種なくて種にはたねの想いを固め 遺伝子が未来にうごきもどること獅子葉は今をしずかにつかむ 金の麦穂波の風はとおく光につなぐ人の温もり なぜまわしながら走るのかまわせばしらずに走ってしまう まわしつつスカラベ色を生んでゆく赤いスカラベ青いスカラベ 土色の地球のあわいをなぞりつつ今を丸めて未来にまわす それでも回しつづける朝 (あした) になれば新たな陽玉が押しに来る 髙橋み...