藤田博「不戦充ち非戦となれや天の川」(『甲斐連山』)・・


   藤田博句集『甲斐連山』(コールサック社)、解説に鈴木光影「天に続く郷土俳句は詩と俳句の境界を超えてゆく―藤田博句集『甲斐連山』に寄せて」、それには、


 藤田博は山梨県甲府市に暮らし、これまで六冊の詩集と二冊の著作集を刊行してきた詩人である。本書は氏の第一句集だ。(中略)

 「俳句」というと、伝統的な師系を継ぐ師匠が主宰する結社の下で研鑽を積んだ、いわゆる「専門俳人」によって作られ、それを纏めたものが「句集」になると思われがちであるが、必ずしもしれだけではない。藤田氏のような詩人や俳句以外の表現者たち、いわゆる「専門外」の日人々によって愛好され作られる俳句、そしてそれを纏めた句集の成立過程も確かに存在してきた。(中略)そもそも俳句は、詩や文学の一部であり、同時に他の表現者をも内包した大衆のためのものである。師系や結社から生まれる俳句のあり方と、その範疇に収まらない多様な俳句のあり方が共存していることこそ、万人に開かれた俳句らしさなのである。


 とあり、著者「あとがき」の中には、


(前略)多様な連山に囲まれ、飯田蛇笏・飯田龍太を育んだ甲府盆地は、「声音(せいおん)」の海である。盆地の四季というめくるめく光と濃やかな且つ躍動感にっみちあふれた陰影に支えられながら。

 俳句には「句会」という一つの王道がある。私はその王道を長らく外れてきたことを恥じる、ただ甲府盆地やその他の地での孤独な句作の歩みが、文学hさ「微力」ではあるが、決して「無力」ではないことのささやかな一助になっていればと願うばかりである。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  人類の標(しるべ)の廃炉燕来る          

  鯉のぼり峡(かい)また峡に翻り

  老梅の整ふ甘雨ありにけり

  大和にもニライカナイや花木蓮

  滴りて地下の奈落やティンダバナ

  とぢひらく雨のとばりを燕かな

  甲斐の根をつかみはなさず桃の花

  土に目となりてゐたるや雨蛙

  道造のみづいろのペン七月来

  忘れ物取りにこの世に雲の峰

  真間川を渡る登四郎梨熟るる

  あたたかき冬木の影をたまはりぬ

  ここへ散り込むここを諾ふ花の塵

  一滴に散る木蓮もありぬべし

  

 藤田博(ふじた・ひろむ) 1950年、山梨県甲府市生まれ。 

  


      撮影・中西ひろ美「銀座から一駅乗りて涼しさよ」↑

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