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安井浩司「沖積土膝つく詩題の重過ぎて」(『沖積舎の五十年・増補版』より)・・

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   『沖積舎の五十年 増補版』(沖積舎)、沖積舎から、これまで出版した書籍にかかわる作家の、同舎にかかわるエッセイである。ざっと、60名近くであろうか。中に、攝津幸彦の長男・攝津斉彦(ときひこ)「沖積舎50周年によせて」、酒巻英一郎「沖積と堆積とー安井浩司と沖積舎」、高柳蕗子「季節が変わる」、坪内稔典「正露丸の一粒」、仁平勝「秋の暮、その他」などがある。坪内稔典は、攝津幸彦の盟友だった大本義幸について、語ってくれている。  (前略) 沖山さんと最初に知り合ったのは大本義幸(2018年に他界)を介してである。同じ村の生まれで一年後輩の大本は、高校時代に文芸部で親しくなった。彼が東京で「八甲田」というバーで働いていたころ、上京すると彼のアパートに泊めてもらっていた。その大本は私にとって東京のアンテナみたいな存在だった。東京の若い詩人、歌人、画家などを次々と紹介してくれた。その教えてくれた人々のなかに沖山さんがいたのだ。 (中略)   春の風ルンルンけんけんあんぽんたん  この句の軽い気分を持ち続けたい、と今も思っているが、『坪内稔典自選句集』の最後にある次の句がなんだかなつかしい。沖山さんと出会ったころの大本や私がこの正露丸のような気がする。もちろん、沖山さんも正露丸の一粒だ。   大阪に日がさしはしゃぐ正露丸   と記し、また、攝津斉彦は、  (前略) 当時、祖父が東京へ出張する際には、与野の我が家に宿泊し、その時には家族みんなでいつもよりちょっと贅沢な外食を愉しむのが常でした。その際のエピソードには事欠かないのですが、紙幅の都合で割愛するとして、今考えると興味深いのは、悟りの境地からはほど遠そうな大阿闍梨である祖父と、働き盛りの広告マン兼俳人であった父との間で、いったいどんな会話が成立したのだろうか、ということです。 (中略)  あれから年月が過ぎ、数日前に私も父が他界した年齢になりました。今日は家族みんなでうまいものでも食べに行きたいと思います。乾杯。  と記されている。攝津幸彦の享年は49。その息子が、その享年に達し、同じ49歳になっている。しかも立派に家庭を築いているのだ。そして、酒巻英一郎は、   安井さんの作句工房の秘密については、生前より秋田行の折りなど幾度とお尋ねしてゐたが、一日二十句ほどを一年から二年間大學ノートに間断なく書きつけ、ある想定のテーマ

山﨑十生「段違い平行棒に細雪」(「紫」4月号より)・・

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 「紫」4月号(紫の会)。愚生は、一年間、「焦点深度」という「紫・無門集」の作品鑑賞を連載してきて、今回掲載分で最後である。「紫」の方々には、いささか迷惑であったかも知れないが、主宰・山﨑十生の自由に書いていただいて結構、というお言葉に甘えさせていただいだ。というわけで、最後の 「焦点深度・紫からの手紙⑫/紫1月号『無門集』より」 を転載させていただく。「紫」の皆さんにお礼を申し上げたい。有難うございました。    澄むための息やはらかに露の玉    西本 明未 澄むための露けさがやわらかな息をもたらしている。それが露の玉になるのだ。まさに秋気澄むときである。  銀河への軌道いくつの鍵変えた    福井ちゑ子   銀河への軌道とは、作者の希望とその歩みである。その時々にカギをにぎる軌道修正が行われたらしい。それは科学的根拠に基づいての判断であろうか。そうではあるまい。やむを得ない、どうにもならない選択もあったに違いない。それでもそれらを是として今がある。     薄もみぢ瀬の香瀬の音伴へり     浅野  都   まだ紅葉しきらない、これからが色づきの本番を迎える。豪華絢爛だけが紅葉の美しさではない。薄紅葉にはまた別の趣がある。早瀬の音、香に、逢瀬さえ想像されるのが詩歌の世界であろう。     万緑と一体となり無となりぬ     稲葉明日香   一面の緑、生命力の象徴であるような万緑。俳句に「万緑」を季語として持ち込んだ手柄は、中村草田男の句「万緑の中や吾子の歯生え初むる」にあるのは有名な話。その燃える万緑の歓喜に占領されて、心も無になるのだ。     息災で何よりままこのしりぬぐひ   久下 晴美   下五の草の名を漢字にすれば「継子の尻拭い」。名前の由来を思えば、いささか上品とは言い難いが、上句「息災で何より」のフレーズとの取り合わせが俳句らしさを演出している。つまり、俳句以外では、こういう少しユーモラスなポエジーは生まれない。    天高し世は七下がり七上がり     斎藤  順   浮き沈みは世の習いである。上五の季語「天高し」と取り合わせて、慣用句「世は七下がり七上がり」を巧く斡旋している。上五「天高し」で、深刻ではなく、大らかで、気分は澄み渡っているようでさえある。似ている慣用句「七転び八起き」とは、似て非

西東三鬼「水枕ガバリと寒い海がある」(『ペンネームの由来事典』より)・・

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   紀田順一郎『ぺンネーム由来事典』(東京堂出版)、書名のように、日本の近代文学の作家を対象にして、雅号、筆名について書かれた事典である。その西東三鬼(1900ー1962)の項に、   はじめて作品がガリ版刷りの同人誌に載ることになり、その世話人から病院に「俳号をこしらえなさい。いま原紙を切るところです」という電話がかかってきたので、「即座のでたらめ」で三鬼という号を考え出した。  風変わりな号なので、よく由来を聞かれたが「三という数字は飲む、打つ、買うの三拍子とは無関係。サンキューやサンキストとも関係ない。しいていえば、明治三十三年に生まれて、三十三歳で俳句をつくったということか」と述べている。  とあって、愚生は、これまで、俳号・三鬼の由来は、てっきりサンキューとばかり思っていた。それは、昔、三鬼の晩年の弟子だった阿部鬼九男から、たしかに聞かされていたように思っていたし、披講の際の名乗りには、これも独特な調子で「 サンキッ 」と最後の「 キッ 」を強く詰まらせて発音していた、と聞いていたからである。とはいえ、三鬼のことだから、その都度、テキトーに答えて、煙に巻いていたかもしれない。その他、俳人では飯田蛇笏、石田波郷、内田百閒(百鬼園)、尾崎放哉、加藤楸邨、河東碧梧桐、高浜虚子、種田山頭火、永井荷風(断腸亭)、中村草田男、夏目漱石、正岡子規などが立項されていたが、中村草田男の親戚の人から「 おまえは腐った男だ 」と言われたのが元だというのは、有名な話なので、皆さんもよくご存じのことだろう。ただ、山頭火については、  はじめ田螺公 (でんらこう) の俳号で投稿していたが、やがて荻原井泉水 (せいせんすい) に師事し、山頭火を名乗った。これは運命判断の一種である納音 (なっちん) にちなんだ号である。  納音は六十通りの干支の五行を配し、それに三十種の名称をつけたものを人の生涯にあてはめ、運命を判断する方法。たとえば丙申・丁酉は「山火下」。甲子・乙丑は「海中金」というように、生年によって納音がきめられる。「井泉水」もその一つであるから、山頭火の師の発想を真似たとしても不思議はない。  ただし、山頭火の生まれた明治十五年納音は「楊柳木」のはずだから、生まれた日や年とは無関係で、青年時代に「いい感じの名前なので採用した」としている。 (中略) 山頭火の象意は、激しく噴火

渡辺信子「ランウェイのごとく歩けば春の土手」(第47回・切手×郵便切手「ことごと句会」)・・

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  第47回(メール×郵便切手)「ことごと句会」(2023年3月18日付け)、兼題「土」1句+雑詠3句。来月から、つまり、4月第3土曜日から「リアル対面句会」の予定だという。ともあれ、以下に一人一句と寸評を紹介しておこう。    蜥蜴出て土の匂いの影残す           渡邊樹音    春はそこ君俯かぬ花となれ           渡辺信子    昭和の日空からのビラ特売日          杦森松一    揚雲雀神のメッセージを降らす         江良純雄    一握の黄梅ずぶりと壺に挿す          照井三余    侘助と佇む日暮れ街の音            武藤 幹    天土と星空山河春立ちぬ            金田一剛    春の雷真っ逆さまに逃げるわよ        らふ亜沙弥    うばたまの夜へ花置く涙のすずめ        大井恒行 【寸評】・・・ ・「 ランウェイのごとく・・ 」ー僕自身土手は季節を問わず、ある意味花道になりそうに感じています(松一)。ランウェー。辞書をひくと、滑走路、花道、(動物の)通り道、水路…とありました。春をひもとく言(剛)。 ・「 蜥蜴出て… 」ー毎年我が家の矢守は重なった植木鉢の一番下で二匹の赤ちゃんを育てています。蜥蜴は何処から顔をだすのでしょう(亜沙弥)。 ・「 春はそこ・・・ 」ー特選!中・下句「君俯かぬ花となれ」が、見事!調子も気分も最高!!(幹)。 ・ 「昭和の日・・ 」ー戦中の景と現在の景(たしかにボクの幼少のころの地方都市では、百貨店のビラなどが撒かれた)を重ねて、見せている(恒行)。 ・「 揚雲雀・・ 」ー近頃性能の進化著しい翻訳機がほしいところ。でも、雲雀語まではなかったか(信子)。 ・「 一握の・・ 」ー何があったのでしょう、ずぶりと挿したりして、一握ですからいちどきには挿せなかったのかも(亜沙弥)。 ・「 侘助と・・ 」ーようするに一重の椿の種類だが、その名から、侘しさを思うのが、夕暮れでは、付き過ぎの感が否めず、絵にならない、と思うがいかに?(恒行)。 ・「 天土と・・ 」ー春の訪れは息吹とエネルギー満載でやってくる(樹音)。 ・「 春の雷・・ 」ー春の雷は多く遠雷のような気分があるので、真っ逆さまはともかく、逃げ足は速く感じるのだろう(恒行)。 ・「 うばたまの・・ 」ーう

小池正博「更衣室自分の歌はもう聞こえない」(「川柳スパイラル」第17号より)・・

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 「川柳スパイラル」第17号(編集発行人 小池正博)、特集は「中山奈々の俳句と川柳」。論考は、四ッ谷龍「強い葛藤には強い声調――中山奈々の俳句」、榊陽子「しぶとさという武器―中山奈々の川柳」。また、本誌巻頭言の小池正博「六年目の渦」には、   二〇二〇年代に入って、現代川柳が新たな展開を見せ始めた。 (中略)   近年一種の川柳ブームが起こったのには二つの流れがある。ひとつは歌人のなかに現代川柳の実作をはじめる人が現れたこと、もうひとつはSNSを通じて川柳が発信されるケースが増えたことである。  即ち、短歌経由とネット経由で現代川柳の実作品が目に触れるようになってきたことになる。 (中略)  現代川柳を書く人が増えてきたことで状況は混沌としており、従来型の句会・結社のプロセスを経てきていない新鮮な表現の可能性もあるはずだ。現代川柳にもそれなりの歴史があり、二〇年代の新しい表現者とリンクしてゆく方途をさぐりたい。  とある。また、今田健太郎の寄稿「すべてはリアクション」には、  (前略) 思うに、現代川柳はリアクションの文芸だ。  題詠、つまり、提示されたお題に反応(リアクション)を返す形式はもちろんのこと、一見してお題の存在しない雑詠も、あるいは「詠」と呼ぶのはためらわれるようなメモ書きレベルの句までも、すべての句がリアクション性を帯びている。 (中略)  みなさん、この世に生まれたすべての句は、その句が生まれる直前までのいあらゆる状況をお題と仮定し、それに対するリアクションとして生まれた句なんですよ。これを言い換えると「すべての句は原理的かつ潜在的に《真のお題》を隠し持っている」ということになるんですよ。  ちなみにこれは雑詠に限った話ではない。題詠であっても、当初掲げられたお 題とはべつの、しかしその句の裏にピタリと張りついて句を成立させている《真のお題》というものが必ずあるはずだ。さて、過去にあなたがつくった句はどんな《真のお題》に対するリアクションだったのでしょう。ぜひ考えてみてくださいね。  とあった。愚生のような川柳門外漢には、おもわずうなってしまう真理に近い何かなのかも知れない。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。    被控訴人らプシュケーじみた小便器     ササキリュウイチ    平行に進むわたしとぼくの蟹            蔭 

仁平勝「憲法がいぢられてゐる秋の暮」(『デルボーの人』)・・

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    仁平勝(実質第5句集)『デルボーの人』(ふらんす堂)、装幀は和兎。各章の扉にもデルボーの絵の部分が配されている。著者「あとがき」に、  (前略) 私の俳句は初心から自己流で、これといった流儀はない。でも読み返してみると、それなりに先達の作風を踏襲している。本歌取りやパロディーを好むのは、愛読した加藤郁乎の影響であり、季語の季節感にこだわらず季重なりも嫌わないのは、すなわち虚子に倣ったものだ。齢五十を越えて師事した今井杏太郎からは、「俳句は引き算でなく足し算である」というセオリーを学んだ。杏太郎はまた、なによりも五七五のリズムを大事にした。 (中略)   五七五のリズム自体は、いわば通俗である。そして俳句は、自身の通俗さから出発し、その通俗さを対象化する詩なのだと思う。 (中略) 思うにこれは、初心の頃に出会った畏友・攝津幸彦の俳句から、私なりに手に入れた俳句観といえる。  とあった。集名に因む句は、    間をあけて立つデルボーの人涼し       勝  であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。    サングラス外してもとの好々爺          すぐ死んでしまふ夜店の金魚かな   蠅打つは蚊を打つよりも無残なり   箱庭に橋あり風の渡りたる   風花やかつて日本に表裏   水紋の拡がりやうが春の水   竹婦人なら密接に支障なし   ときをりは飛沫を乗せて秋の風   しぐるるや京都といふは五条まで   行く年に持たせてあげるものもなし   雪の日を喜びし頃父ありき   陽炎に空瓶がかたまつてをり   春の夜のそろそろ膝を崩さうか   父さんが吹くと大きなしやぼん玉     仁平勝(にひら・まさる)、1949年、東京都武蔵野市生まれ。 ★閑話休題・・黒田杏子「十薬剪りて挿す樺美智子の忌」(3月24日付け「東京新聞」夕刊より)・・     重信7回忌墓参のバスの中、後ろの席に高屋窓秋の顔が見える。左・仁平勝、右・愚生。二人ともまだ髪が黒い。撮影者不明。↑  仁平勝つながりで黒田杏子。黒田杏子の言うところによると(愚生には、記憶が抜け落ちていた)、最初に会ったのは、高柳重信7回忌の富士霊園墓参の貸し切りバスの中。黒田杏子のすぐ後ろの席に、愚生と仁平勝が一緒に坐っていて、その隣に、攝津幸彦が居たというのである。その時の黒田杏子は

福島泰樹「蓋をされ暗渠の底を流れゆく此処より山谷泪橋なる」(「里」3月号・第210号より)・・

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 「里」3月号・第210号(里俳句会)の特別企画は「龍太さんの爽波感」、解題は島田牙城。その中に、  (前略) そして最終章「Ⅵ」は総論で、赤城さかえさんが「現代俳句に骨がらみに絡みついた『写生』をどう活かし、どう絶滅させるかにかかっている」と述べてゐる。この課題は刊行後六十五年経った今も拭はれることなく絡みついたままだ。 (中略)   ところで、『飯田龍太全集』第六巻に収める「秀作について」は龍太さんが生涯心血を注いで「雲母」に連載した最高級の贈り物だが、爽波さんはそこで三度取り上げられてゐる。今回の文とを合はせ読み、爽波さんが抱いてゐた出自「ホトトギス」といふ苦悩 (・・) と虚子といふ矜持 (・・) の綯交ぜを、龍太さんが当時から深く観じてをられたことが知れ、有難く思ふ。  とあった。愚生が、初めて俳句総合誌「俳句とエッセイ」(牧羊社)に執筆したのは飯田龍太論であった(ほとんど忘却のかなただが、現在だったら、愚生も遠慮していただろう内容で、牙城はクビを覚悟したと聞いたような・・)。その原稿を依頼したのは、当時、編集部にいた島田壽郎(牙城)だった。40年?ほど以前のことになろうか。  そして、毎号興味深く読んでいるのは、叶裕連載「無頼の旅」。第15回は「蕾の居場所/写真家南條直子の場合」だ。その中に、  (前略) 「やられたらやりかえせ」という扇情的なフレーズを掲げ、社会運動家山岡強一をリーダーとして暴力団らと度々衝突を繰り返す山谷争議団の中にひとりの女性カメラマンが居た。南條直子。 (中略)   「写真とは撮る者の魂をも奪うものだ。だからこそ身命を賭して撮らなければならない」とはユージン・スミスの至言だが、南條はこの時たしかに身を削るようにしてシャッターを切っていた事が画に表れている。しかし、写真家はあくまで傍観者でありつづけねばならない。南條は山谷で生活する間、次第に傍観者である事に苦痛と違和感を覚えはじめ、同棲していた労働者との関係悪化も手伝い、山谷を撮ることが出来なくなってしまうのだ。 (中略)   南條は部隊の中で「ゴルゴタイ」(パシュトゥー語で「花の蕾」の意)と呼ばれ可愛がられたようだ。 (中略)   以後数回の渡航の間にどんどんムジャヒディンに傾倒していった彼女は、自らの弱さを戦場で初めて認めることが出来て、はじめて生きているという実感を持てたので

大崎紀夫「ひまわりが千/あるいは万//運転手の喉からから」(『3行詩その他100・2020』)・・

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 大崎紀夫『3行詩その他100・2020』(ウエップ)、その「あとがき」に、   昼間、ちょっとの間、ボーツとしているときに浮かんでくるイメージ、言葉がある。多くは、JR埼京線の電車の座席に坐っているときで、それらのイメージ、言葉を手元の手帖などに記してきたが、2021年までのものはすべてどこかへ消えてしまった。  それで小さなノートを買い、そこに書きとめてみることにした。2022年の1月から12月まで書きとめたものをこの1月に数えてみると、137あった。 (以下略)  とあった。100編に絞って、3行詩とあるが、多くは、1行の空白がほどこされており、詩の形は、高柳重信がたどり着た4行表記の俳句形式に限りなく近い。林桂は、この4行形式の俳句はそのまま、この形を使うことによって、誰でもが俳句として成立する可能性を有している、とみなしていたと思う(あたかも、5・7・5のように)。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。    海坂を   登り下ってゆく   戦車             紀夫     *   歩いていくと   どうしても   空にぶつかる    *   パリの霧   壁抜け男が   溺れている    *    破船   鼠   また海蛇が棲み     *   星空に   ボートが浮かび   月光を吐いている     *   ひまわりの   うしろを   星が飛ぶ   大崎紀夫(おおさき・のりお) 1940年、埼玉県戸田市生まれ。  ★閑話休題・・小倉進展「軌跡ー心と糸のメタファー ー」(於:世界遺産・富岡製糸場 西置繭所)・・  小倉進展「軌跡ー心と糸のメタファー」(於:世界遺産 富岡製糸場 西置繭所、 ~3月28日(火)まで )、観覧料は無料だが、富岡製糸場への入場料大人1000円、大・高校生250円、小中学生150円が必要。  先日、かねて行きたいと思っていた富岡製糸場なので、小倉進氏の息女・K女史から案内を頂いたのを機会に、日帰りで、出かけることにした。チラシの主催者の挨拶には、  (前略) 氏の作品は、抽象画でありながらも強い風土性をもっており、大きなキャンパスに自在に描かれた色、形、線には、この土地への畏敬が込められています。 (中略) 小倉氏の生家でも、幼い頃には養蚕を行っていたといいます。そんな氏の絵の中に多く登場する、細く白い線―

坪内稔典「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」(「俳句界」4月号より)・・

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 「俳句界」4月号(文學の森・3月25日発売予定)、メインの特集は「俳句の革新者たち」、愚生も寄稿したが、現存されている俳人を挙げのは愚生一人だった。執筆陣は、編集部からの「革新者」指定の依頼と思える復本一郎「松尾芭蕉の『革新』とは何か」、子規の井上泰至「新題詠という『革新』」、虚子の岸本尚毅「茅舎が見た虚子」。そして、それぞれの「私にとっての俳句革新者」に、今瀬剛一「能村登四郎/伝統の中に新しさを求めた人」、坂本宮尾「長谷川かな女/俳句に生きて死んでゆく覚悟」、大井恒行「坪内稔典/それは『過渡の詩』」、奥坂まや「藤田湘子/作句方法の革新」、田中亜美「持田紫水・村越化石/新しい光」、田島健一「俳句のために」。ここでは、田島健一「俳句のために」の結びの部分を紹介しておきたい。  (前略) 「俳句革新者の多様性」とは、俳句における「変数X]を埋めることができる「誰か」を歴代の(あるいは現代の)「俳人カタログ」から自由に選択できる、ということではありません。「俳句革新者」という空間が、常にそれを埋めることが不可能な、かけがえのないものとして大切に守られている、ということ――それが私にとっての「俳句」の姿で、俳句を書くことの楽しみのすべてだと言っても、言い過ぎではないような気がしています。  この言は「過渡の詩」、いまだ姿を現していない何か?に通底していよう。本誌の他の主要記事は、第24回山本健吉評論賞発表(選考委員 角谷昌子・坂口昌弘)で、池田瑠那「閾(しきい)を視る、端(はし)に居るー上野泰が詠む閾と縁側ー」。ともあれ、以下に、北斗賞受賞作家など、若手と思われれる方々のいくつかの句を挙げておきたい。    別々に生き別々の日焼かな         佐々木紺    鳥帰るロング・トーンのまだ続く      川越歌澄    遠足の列に伝はりゆく笑ひ         堀本裕樹    如月やゼロカロリーの少女たち       髙勢祥子    蘆の角戦火映りし水面にも         涼野海音    我が影に親しく屈む枯野かな       藤井あかり    今日からは六年通ふ花の道         抜井諒一    カーテンのよく揺るる日や桜餅       西村麒麟    朳発つ海より来る鳶一羽          堀切克洋    読み了へて棚に戻さず春月夜        須佐英莉

村木まゆみ「春の闇よだかの星が上昇す」(『白い犬』)・・

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  村木まゆみ句集『白い犬』(ぶるうまりん俳句会)、著者「あとがき」に、      白い犬は、おばあさんが亡くなってから現れた。はじめは子供たちには見えなかったが、だんだん見えるようになった。おじいさんは、おばあさんが亡くなってから七年間、白い犬と暮らした。おじいさんが亡くなると、白い犬はどこかへ消えた。                            (絵本『白い犬とワルツを』)   とあった。集中より、いくつかの句を挙げておきたい。    青田から日ごと命が立ちのぼる        まゆみ    野牡丹のひととき風の中風の中   病棟にも吹きつけている春一番   ツタンカーメンの心臓どこへ 木槿咲く   フランスの春節 パンダ笑ってる   まぼろしの青の世界の魚たち   音程の揺らいではずれ花の昼   万緑や全国ホラ吹き競技会   紫陽花やカゴメ遊びはもうおしまい   おにごっこ いつかつかまる百日紅   ジョン・レノンのイマジン 天国はありません     村木まゆみ(むらき・まゆみ) 1951年、東京都生まれ。   ★閑話休題・・山田千里「月天心 梯子をかけて会いに行く」(「ぶるうまりん」45号)・・  「ぶるうまりん」つながりで、「ぶるうまりん」45号(ぶるうまりん俳句会)、特集は「山田千里句集『ミルク飲み人形』を読む」、他に、「追悼 三堀登美子」「村木まゆみ句集『白い犬』刊行記念」。また、「豈」の藤田踏青「ぶるうまりん44号寸感」が掲載されている。ともあれ、以下に、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。    ガラス眼みつめる彼方に虚空       三堀登美子    聖五月地下シェルターに薄明り       生駒清治    戦争にまき込まれゆく半夏雨        池田紀子    清貧画家の全霊ろうそくの絵       及川木栄子   明言は避ける三寒四温かな         瀬戸正洋    くすりはりすく くすりくすりと冬     普川 洋    えいえんを ななめななめに なめくじら    塵    ずれた影無数に連れて夏野行く       齋藤 泉    ナースコール渇いた月の片手指       土江香子   小さい老婆小さく歌を唄ってる      村木まゆみ     ふらすこにふくらむ春の愁ひかな      芙 杏子   まくなぎにまた自転車

嶌田岳人「たのしさの残るへこみや紙ふうせん」(『ヴィーナスの唇』)・・

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  嶌田岳人第二句集『ヴィーナスの唇』(文學の森)、平成27年冬から令和4年秋まで8年間の句を収める。祝句は河内静魚、    おもひきり開いて蝶の翔びたてり       静魚  著者「あとがき」に、   前句集はある意味自分探しの句集であり、その名『メランジュ』の示す通り統一性のない句の集合体のような句集でありました。本句集は、「季語を愛し親しむ」という前句集からの俳句信条は堅持しつつ、そこからの飛躍をテーマとして編みました。句集名は〈春の闇ヴィーナスの唇開くかも〉より採りましたが、その句自体よりも「ヴィーナスの唇」という言葉そのものがこれらの句群を象徴していると思い名付けたものであります。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    競り市にどかんと一本釣りマグロ       岳人    西行忌風には風のゆくところ   水のないアクアリウムや冬の街   みづぎはの音なく退いて潮まねき   片陰に入つてゆきし犬の舌   年惜しむ三角ビルの四角窓   夏の蝶地上に降りること知らぬ   海鼠には聞こえ大陸きしむ音   高きとは明るきところ風光る    夏帽子時間旅行をしてゐたり    嶌田岳人(しまだ・がくと) 1963年、奈良県高市郡明日香村生まれ。 閑話休題・・春風亭昇吉独演会+立川志らく(於:中野ZEROホール)・・  本日夕刻7時から、春風亭昇吉独演会、プレバトで約束した前座で志らく師匠出演とあって、500名のホールは満員。そして、ほぼ4年ぶりに、遊句会のメンバーの幾人かと顔を合わせることができた(この間には亡くくなられた方もいる)。その間に、遊句会の仲間だった春風亭昇吉はプレバトに出演し、全国区になった。終ってのトークで、前座なんて37年 ぶり、と志らく師匠。ともあれ、お二人の落語を楽しませていただきました。      撮影・芽夢野うのき「とってつけた枯れではない枯芙蓉」↑

攝津幸彦「南国に死して御恩のみなみかぜ」(「Sister On a Water」第5号より)・・

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「Sister On a Water」第5号(シスオン)、巻頭は、山内将史「海ほおづき」(ラジオドラマ・脚本)である。注に「本作品はNHK・FM『青春アドベンチャー』(2000年2月9日)にて放送されました。演出は中島由貴」とある。20年以上前のものだ。 攝津幸彦の句が引用されている部分は、  波子 ふるさとから吹く風だ。気持ちがいいなあ。  太郎 摂津幸彦 (せっつゆきひこ) の俳句に、『南国に死して御恩のみなみかぜ』というのがある。 南の海から吹く風は、南の島で戦死した人達が祖国に向かって吹かせるんだよ。ゴオン、ゴオン、と吹いてくるんだ。北の海だって同じだよ。アッツ島あたりから吹いてるんじゃないかな。  波子 太郎くん、まだ俳句なんかやってるの?  というシーンである。本誌の内容といえば、さらに詩、短歌、俳句の作品が掲載されている。発行者は喜多昭夫で、本号には詩編「セザンヌ」を発表している。、別名を摂氏華氏といい、おもに俳号として使われているが、本誌今号では短歌・俳句・散文の同時掲載である。創作の際に、文体というかスタイルの混同は生じないのであろうか。多才といえば多才。また、同じ上掲の写真にある「つばさ」(つばさ短歌会)の喜多昭夫は、歌人としの主宰誌である。  特集記事は、竹中優子。この方も詩集『冬が終わるとき』(思潮社)があり、「輪をつくる」で角川短歌賞を受賞している多才の人だ。他に、中西亮太「勾玉胎児模倣説と葛原妙子」に注目した。ともあれ、以下に、短詩形のみになるが、本誌より、いくつかの歌、句を挙げておこう。  馬の図鑑めくればあなたの瞳 (め) と遭えり栗毛の顔にきょうは嵌められ  大森静佳     欧州の麺麭 (パン) 籠   ふっくらと焼けたパンを掲げる母親 (はは)   烏克蘭 (ウクライナ)            小林久美子     くちのなかつめたく香りジャスミンは可能世界に咲くなつの花     笠木 拓   恋つづく朝の納豆分けおうて          山田耕司   息継ぎと息暁闇の露時間            黒岩徳将   明烏林檎を食うたことあるか         森尾みづな  ワンテンポ遅るるハンドベル聖夜        摂氏華氏  退屈に強いこころをさらけ出しこの手につかむ胸とおっぱい      遠野 真   シャンプーのボトルの口に溜

土井探花「白日を囀りだつたものが降る」(現代俳句協会「令和五年度通常総会」より)・・

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             総会司会の川崎果連と山本敏倖↑                                        兜太新人賞受賞の言葉・土井探花↑  本日、3月18日(土)は、現代俳句協会令和五年度通常総会(於;東天紅上野店)だった。組織上でのメインの議案は、「 現代俳句協会の解散及び一般社団法人/現代俳句協会への事業継承 」であった。任意団体から社団法人への移行に伴ない、実質的な業務開始は、本年4月1日になるという。当面1年間は、役員もそのままである。  いわば、現代俳句協会の会員は=社員となり、全国にある各地方組織は、任意団体として、そのままの活動を続けることになる。任意団体としての創立75年はこれで、新組織に生まれ変わる。その主な目的は要約すると、   1,資産の確実な保全  2,重要な諸契約お的確な運用・実施  3、社会的信用の担保。協会の各種事業やイベント等への国、自治体及び民間団体や企業などからの助成金。補助金、賛助金等を法人化によって獲得し易くすること。  4,活動の活性化。会費収入に大きく依存する現状の収益構造から、協会の独自の事業収益を強化することにより、会員減少のトレンド下にも於ても、充分対処可能な収益事業へと徐々に改め、協会の永続的な存続・発展を図って行くこと。  とあった。その他の、受賞表彰式は、第23回現代俳句大賞受賞者は齋藤愼爾(昭和14年、朝鮮京城府生まれ)。また、第40回兜太現代俳句新人賞受賞者は土井探花(どい・たんか。1976年、千葉県生まれ)。以下に、土井探花の受賞作「こころの孤島」50句からいくつか紹介しておきたい。    薄つぺらい虹だ子供をさらふには      探花    灰色の人格で見るなめくじり    いつからか無害なはだかの草花   職歴にやまひは書けず水の澄む   野分あと脳は不純をぐらつかせ   寝たら死にさうなあをぞら鶴の鳴く   ハンニバル・バルカ炬燵へ入らうか   人形は氷るたひらな夜に飽きて   寒烏こころの孤島まで原野   陽炎の終はりにちよつとした喜劇   総会後は、懇親会はなく、愚生は、武馬久仁裕、山本敏倖、なつはづき等と御徒町近くの居酒屋で飲んだ(途中、筑紫磐井と鈴木比佐雄は、宮崎斗士、堀田季花等と合流するために、席を温める間もなく去られた)。      撮影・芽夢野うのき「あ

武藤 幹「寝そべりて土筆と同じ空を見る」(現代俳句協会・第10回「金曜教室」)・・

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 本日は、3月17日(金)は、現代俳句協会令和4年度の最終回、第10回「金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった。 一年間、皆さんと色々句作、句会における試み、実験なども、幾度か体験しながら、愚生もまた、普段とは違う刺激を受け、勉強させていただきました。有難うございました。  来期1年も、共に学ぶということになりましたので、新メンバーを迎えての開講となりますが、よろしくお願いいたします。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。    卒業子エゴン・シーレと対峙する         宮川 夏    春うらら奥脇文字のような人           村上直樹    眼裏の津波は消えず春の星            石川夏山    ほろ苦き浮き世の如く蕗のとう          植木紀子    蛇穴を出て一塁へまっしぐら           川崎果連   金曜ノ友ト耕スやまとうた            林ひとみ    からみつく母の草餅呑み込めず          鈴木砂紅    釣釜の独り言のせ炭の風             岩田残雪    人間は神の変容受難節              山﨑百花    表札の五人の名前ツバメの巣           杦森松一     春の唾鼓一張り握りしむ             白石正人    落椿三島由紀夫の首のごと            武藤 幹    探梅香盲いたる娘の駆け寄れる          赤崎冬生    水泉動 (しみずあたたかをふくむ) 杖をつきたる関悦史  大井恒行  次回、令和5年度の第1回「金曜教室」は4月21日(金)、雑詠2句持ち寄り。      撮影・中西ひろ美「さよならの青を隠しておくことも」↑