小池正博「更衣室自分の歌はもう聞こえない」(「川柳スパイラル」第17号より)・・


 「川柳スパイラル」第17号(編集発行人 小池正博)、特集は「中山奈々の俳句と川柳」。論考は、四ッ谷龍「強い葛藤には強い声調――中山奈々の俳句」、榊陽子「しぶとさという武器―中山奈々の川柳」。また、本誌巻頭言の小池正博「六年目の渦」には、


 二〇二〇年代に入って、現代川柳が新たな展開を見せ始めた。(中略)

 近年一種の川柳ブームが起こったのには二つの流れがある。ひとつは歌人のなかに現代川柳の実作をはじめる人が現れたこと、もうひとつはSNSを通じて川柳が発信されるケースが増えたことである。

 即ち、短歌経由とネット経由で現代川柳の実作品が目に触れるようになってきたことになる。(中略)

 現代川柳を書く人が増えてきたことで状況は混沌としており、従来型の句会・結社のプロセスを経てきていない新鮮な表現の可能性もあるはずだ。現代川柳にもそれなりの歴史があり、二〇年代の新しい表現者とリンクしてゆく方途をさぐりたい。


 とある。また、今田健太郎の寄稿「すべてはリアクション」には、


 (前略)思うに、現代川柳はリアクションの文芸だ。

 題詠、つまり、提示されたお題に反応(リアクション)を返す形式はもちろんのこと、一見してお題の存在しない雑詠も、あるいは「詠」と呼ぶのはためらわれるようなメモ書きレベルの句までも、すべての句がリアクション性を帯びている。(中略)

 みなさん、この世に生まれたすべての句は、その句が生まれる直前までのいあらゆる状況をお題と仮定し、それに対するリアクションとして生まれた句なんですよ。これを言い換えると「すべての句は原理的かつ潜在的に《真のお題》を隠し持っている」ということになるんですよ。

 ちなみにこれは雑詠に限った話ではない。題詠であっても、当初掲げられたお

題とはべつの、しかしその句の裏にピタリと張りついて句を成立させている《真のお題》というものが必ずあるはずだ。さて、過去にあなたがつくった句はどんな《真のお題》に対するリアクションだったのでしょう。ぜひ考えてみてくださいね。


 とあった。愚生のような川柳門外漢には、おもわずうなってしまう真理に近い何かなのかも知れない。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。


  被控訴人らプシュケーじみた小便器    ササキリュウイチ

  平行に進むわたしとぼくの蟹           蔭 一郎

  じゃあここが世界の始点:アマリリス      細村星一郎

  雪を食ふレッサーパンダ雪まみれ        日比谷虚俊

  二十人ほどです忠臣蔵にはなりません       石田柊馬

  断絶の低い山にも白い雪             小池正博

  目には目を、なぁんて眼科に行くところ      一戸涼子

  白菜を剥ぐあんなことこんなこと         畑 美樹

  冷暗室です ごゆっくりどうぞ          浪越靖政

  書を捨てて書を拾うべし鏡町           川合大祐

  神託はファンサービスに違いない         湊 圭伍

  QRコードで行ける涅槃(ニルバーナ)       飯島章友

  モ―ツァルト三十九番夕茜            悠とし子

  栓抜きと缶切りと月蝕に集う          清水かおり

  アナログの最終的なアナログ化          兵頭全郎

  神さまの言うとおり爪伸び放題          中山奈々 



★閑話休題・・安井浩司「逝く君の胸に供えん黒苺」「みぞれ降る夕べ毬子の長電話」(『天獄書』より)・・吉村毬子7回忌・浄土宗浄雲院心光寺墓参・・



 愚生は、初めての墓参。酒巻英一郎に案内をお願いしたら、たちまち、愚生を含めて7人になった。遠路甲府から清水愛一、何十年ぶりでの再会である。その他、ロータスのメンバーである松本光雄、古田嘉彦、高橋比呂子と三上泉、合わせて7名。聞けば、吉村毬子逝って6年、いわゆる7回忌だそうである。墓所の浄土宗心光寺は地下鉄三田線白山駅A3出口徒歩2分のところ、趣深い寺だった。



     撮影・鈴木純一「しづくして一つ二つやひめみづき」↑

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