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本井英「濁酒蒲柳(ホリュウ)の身たあ笑はせる」(『守る』)・・

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 本井英第6句集『守る』(ふらんす堂)、著者「あとがき」には、 (前略) 句集名「守 (も) る」は、高濱虚子の昭和十四年の作「租を守り俳諧を守り守武忌」の句に由来する。 (中略)   ところでこの句集に収められている八年間は、私にとっては試練の時期でもあった。平成二十九年晩秋、大分進行した「咽頭癌」が発覚。その治療のため、約四ヶ月間の入院治療を余儀なくされた。さらに翌年には、その晩期合併症に苦しんだ。時を置かず「前立腺癌」を発症。今年令和五年には新たに「喉頭癌」が見つかり、結局「咽頭」の全摘手術のために、「声」を失った。今後、俳人としてどのように働くことが出来るのか。現在模索中である。  とあった。ご自愛を祈念するのみ・・・。また、どこかでお会いしましょう。 ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。    とめどなき湯玉めでたし福沸           英   鶯の遠きはお侠 (キャン) 近きは艶 (エン)    薔薇の名となりてより幸薄かりき   合歓の実は風にぺらぺらぺらぺらす   双六の折れ目に駒のころげけり   春蟬の空蟬といふ小さかりき   ぷつつりと胴を断たれて蛇にほふ   初心者は初心者むきの波に乗り   吻 (フン) の黄の美しきほど佳き秋刀魚   星くばるまで秋晴でありにけり   男は死に女は生きて虎が雨   鴨の足へなりへなりと掻く見ゆる   雪といふ名の淋しさや一茶の忌    不機嫌が許されし世や漱石忌   蜷が身をゆするたび砂ながれけり   黒蝶の黒、瑠璃蝶の影の黒   清 (キヨ) さんが好きであつたと獺祭忌   源流とて落葉だまりに水の音   本井英(もとい・えい) 昭和20年、埼玉県草加生まれ。            芽夢野うのき「一生をついに強風椿の実」↑

川名つぎお「身のどこかなお未使用の夜長あり」(第158回「豈」東京句会)・・

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  本日、9月30日(土)は隔月開催の第158回「豈」東京句会(於:白金台いきいきプラザ)だった。体調を崩された方もいらっしゃって、小人数の句会となった。とはいえ、全句にわたって合評が続き、それはそれなりに充実した会となった。  以下に一人一句を挙げておこう。    あの場所は母の日和や馬肥ゆる        小湊こぎく    名月や三半規管のゆるみおり          早瀬恵子    言の葉は葉群の歯切れさわやかに       川名つぎお    地虫鳴く誤訳だらけの国富論          川崎果連    秋晴れや紀元前よりマンカラカラハ       大井恒行  次回は11月25日(土)は忘年句会(於:インドール、白金高輪駅すぐ)で、第8回攝津幸彦記念賞のお祝会も兼ねる。 ★閑話休題・・鈴木しづ子「■の葉に古知野の風のわたりけり」(「なごや出版情報」第9号より)・・  「なごや出版情報」第9号(問い合わせは、風楳社まで)、の巻頭特集は「名物書店『ちくさ正文館』が消えた/谷口正和社長を直撃」。そして、本誌の記事中、武馬久仁裕(黎明書房)「鈴木しづ子拾遺⑥」に、    ■の葉に古知野の風のわたりけり  しづ子  おそらく、しづ子が、名鉄の犬山線で名古屋へ行く途中の古知野の辺りを題材にしたのでしょう。古知野は今の江南です。■は全句をまとめた方が判読できなかった字です。私は■には桑 (・) が入ると考えています。古知野の辺りは養蚕の盛んな所でしたから。「桑の葉に古知野の風のわたりけり」となります。古知野は東風 (こち) に通じます。春に吹く東風を面影に持つ古知野の句です 。(中略)   古知野の句があれば、犬山線の句があってもおかしくないと思っておりました。犬山ゆかりのしづ子ですし、彼女が住んでいた那加町(現・犬山市)から名鉄で鵜沼を経て、犬山線で名古屋に出れば当然犬山橋を渡るからです。四句ありました。 (中略)    橋わたる七夕さまの夜の電車    しづ子  昭和二十七年の『樹海』十月、十一月号に載った句です。 (中略)   しづ子もまた、この秋、カムパネルラのようにどこかへ行ってしまいました。 三十三歳でした。その後は誰も知りません。  とあった。       撮影・中西ひろ美「きちきちと跳ぶやまだ跳ぶ草の丈」↑

筑紫磐井「歴史以前の是非を言ひあふマスク論」(「俳句新空間」第18号)・・

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 「俳句新空間」第18号(発売・日本プリメックス株式会社)、特集は「コロナに生きてⅢ」、巻頭は仲寒蟬「ころも日盛俳句祭2023 シンポジウム(2023年7月28日)、テーマ『ポストコロナの俳句』」。その中の【仲寒蟬資料】の句を挙げておくと、    自粛てふ言葉がきらひチューリップ    仲 寒蟬    封鎖後もえやみは春の闇走る       中原道夫   つくし摘み手洗ひも消毒もする     青木百舌鳥    これはこれhさ不要不急のい心太     杉山久子    ゆく春や人に会はざる訪問着       辻村麻乃    父の日やしばらく濡れていない傘    なつはづき    変異して戻る振り出し秋の空       中村猛虎   芽吹きさう検温されてゐる額      ふけとしこ    九条葱支援物資の隅に置く        堀本 吟    僕たちのオリムピックがなかつた夏    筑紫磐井    アクリル板だらけ金魚になつた気分    内村恭子    この町の小春の富士を誰も見ず      岸本尚毅    玻璃越しにくちびるを読む受難節     松下カロ その最後の筑紫磐井【余談】に、   本号ではこの特集と併せて、本年度蛇笏賞を受賞した小川軽舟氏の『無辺』について竹岡一郎氏に論じていただいた。依頼した時点では全く予期していなかったのだが、編集終了の時点では「コロナに生きて③」と好一対の特集になったような気がする。中でも「マスク捨て鼻の個性口の個性」を詳細に論じているのは非常に惹かれるところがあった。この2つの特集を読みくらべてうただければ、現代における俳句とは何かを知る参考となるのではなかろうか。  とある。その竹岡一郎「無辺をめざす二つの視点」に、 (前略) ちがふ名に甘ゆる猫や夕霧忌     バレンタインデー血のまじる生卵     手をかざす火を睨 (ね) めつけて海女の恋     夏足袋や祇園の火事の一夜明く  これらの句を「無辺」に見出した時、驚きがあった。こういう生々しさを秘めた句は、作者の範囲外であると思っていたからだ。だが、今は、「驚きがあった」と言うにとどめる。 (中略) 「季語は自分である」という作者の視点、そして季語=死の響く語という中上健次の視点、この二つからこれらの句を読み直す時、恋の句、青春の句、性愛の句の真裏にあるものが見えて来る。 (中略

古田嘉彦「風を全体として鳥籠化し無傷」(「飢餓陣営」57 2023夏号)・・

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 「飢餓陣営」57 2023夏号(編集工房飢餓陣営/編集発行人 佐藤幹夫)、特集と思われる「追悼1 大江健三郎」と「追悼2 小浜逸郎」、「追悼3 福間健二」。小特集に「『津久井やまゆり園事件』とその後の問題」、その他連載論考などの大部の雑誌。 ここでは、古田嘉彦と大昔「路上」誌に寄稿させていただいた縁で佐藤道雅の短歌を挙げておきたい。    私を取巻く葉の形の多様性、幹の立ち方の多様性に私の生は護られ、保存されている。私の体の多様な不満ひちつひとつに相対する樹が存在すると思う。   くすのきの完全変態雨で羽化               嘉彦               大江健三郎逝く  壇上に現れし大江健三郎イモムシのやうにもごもご語る        通雅           岩手県安家(あっか』小学校、廃校  安家小さいごの生徒三人は腕 (かひな) を上げて証書受け取る   そして、その古田嘉彦を丹念に論じた江田浩司「語り得ないものを語る俳句—古田嘉彦小論」から、ごく部分的であるが、少し引用紹介しておこう。  (前略) どうしても五月雨に似てくる捕食      霙→「本当に雛人形を試したか」      水面下のピアノ=そこらじゆう釧路空港      —記憶—がトンボなら判断力はー夏ー      菫見る少年埋め込んだ壁の部屋    (中略) 選出した五句には、意味としての理解に到るものは一句もない。が、表現の背景や、詩句からの連想により、付帯的に思い浮かぶことはある。例えば、「菫見る少年埋め込んだ壁の部屋」を、吉岡実の詩「サフラン摘み」や、山中智恵子の歌、「サフランの花摘みて青き少年は遥かたり石の壁に入りゆく」を連想して、私は読んでいる。古田の俳句世界を、自分好みの表現世界に引き付けて楽しんでいるのである。それは、私の古田俳句への恣意的な読みの自由であるし、読みの限界でもあるだろう。 (中略)  私には古田の俳句観と実作との距離を図ることは不可能だが、少なくとも、古田の詩論(俳句観)に共感し、実作に刺激を受けることはできる。逆に言えば、それしかできない中で、古田の俳句に魅力を感じているということである。俳句詩型によって、語り得ないことを語ろうとする古田の俳句は、その表現に触発され、読む者が、自らの内奥に未知なる世界を拓くものなのだ。 (中略)   雨が駆けてきて一

宮本素子「新宿アルタ前の雑踏星の恋」(『ミニシアター』)・・

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 宮本素子第1句集『ミニシアター』(ふらんす堂)、序は、小川軽舟。それには、  (前略) 素子さんの俳句は都会的である。都会の公園でコゲラを見つけるように、都会に暮らす毎日の生活の中で四季の移ろいを感じとり、俳句の材料を見出す。こんなところにも俳句の材料があったかと膝を打って感心する楽しみが素子さんの俳句にはあふれている。 (中略)   この句集を読む楽しみは、ミニシアターに通う楽しみに似ている。映像と音響とストーリーの迫力で観客を圧倒する大作より、観客の生き方にそっと寄り添うような佳品を揃えてファンを迎える。ミニシアターを出る客は、いつもと変わらない世界がいつもより親しみを増して見えることに気づくのである。  とあり、また、「あとがき」には、   広告の仕事をしていた時に資料として手に取った歳時記。それが俳句との出会いでした。日本語には、季節を十七音にする要としての言葉が、こんなにもあったのかと圧倒され瞬く間に魅了されてしまったのです。  とあった。集名に因む句は、    秋の夜のミニシアターのロビーかな     素子  である。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。   落し文掌に転がして地に戻す           割勘に集まる小銭秋暑し   犬蓼やむかし女衒の来し畷   フェラーリが女を拾ふ冬木かな   梟の細目や父を諫めし日   偉くない順に捺印更衣   火蛾舞ふやボクサー打たれても前へ   字幕より長き台詞や漱石忌   着陸の前の旋回夏隣   風あるかなきかの午後や心太   雪雲の迫れるハーフタイムかな   春の雪辞令に広き余白あり   かまどうま前世は魔女に仕へしと   宮本素子(みやもと・もとこ) 1964年、栃木県足利市生まれ。 ★閑話休題・・「YO-EN with  菊池」(於:曼荼羅2)・・  昨夜は、「YO=EN with  菊池琢己」(於:曼荼羅2)に出掛けた。吉祥寺丸井の斜め前地下にある曼荼羅には、30年前ほどから、ほとんどは福島泰樹の短歌絶叫コンサートのために、その初期以来、何度も行っているが、曼荼羅2は初めてであった。楽しませていただいた。いつもの国立のギャラリービブリオの十松弘樹、生野毅にもお会いした。ヨーエンの、題名は、あまり覚えてはいないが、「魂ふたつ」「ラストダンス」は幾度聞いても良い。    

堀込学「「青木の實ひとつあからみひとつさみしも」(『かまくらゆり』)・・

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   堀込学第2句集『かまくらゆり』(霧工房)、帯の惹句に、    生死 (しょうじ) のみちのべに変転する古今の足跡。 未知の記憶に誘われ「俳句詩形」の懐に身を預ける。   いま、韻律の森の根茎を掘り起こす。     月影に濡れる一本の鍬のやうに。  とあり、また、「あとがき」には、  (前略) 所属誌「鬣 TATEGAMI」に、かつて「詩が俳句を包含しているのか、俳句が詩を包含しているのか定かではない」(第五四号・「本質の断片として」)と書いた。それは創刊同人であった中島敏之氏の「俳句という詩型の詩を創造する不思議さ」という言葉に照応したものであったが、今日まで句作を続ける中で心に留めている。 (中略)  拡散・硬直した現在の俳句状況のなかにあって「有季定型」が俳句作法の当然の約束のように語られて久しい。また「俳句は文学でありたい」と言いながらも、先人たちの挑んだ試みには敢えて触れようとせず、季語の有無や形式が評価の対象とされる。そのような喧騒の外で世界最短のこの詩形は「詩を創造」するための《器》として静かに身を横たえている。 (中略)  句集タイトルの「かまくらゆり」は、星野立子の「草中に鎌倉百合は真赤かな」に由来するものと記憶するが、実際にそのように呼応する花が存在するのかは知り得ない。ただ、語感と字面が気に入っている。  とあった。集名に因む句は、     もたらせしかまくらゆりの咲きをはる      学  であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   憂国忌手套の下も手套なり      ―その乞食のような老人が、道路のまんなかにうずくまって、       はくぼくで地面に何かを書いているのです。(『妖怪博士』江戸川乱歩)   片足のとほい軍楽とがりはじむ   凪ぎてよりみゝらくの島あらはれむ   蝶出でて澄めらみことにとまりけむ      一月十七日小川双々子忌日ー囁々忌   戦争と囁いてゐる綿虫ゐ   けふはむかし鏡の上を鳥渡る   ふたりゐる白さるすべりさるすべり   みせばやの花のひとつの枯るゝまで   骨牌絵に鬼立たしめる霜夜かな   米こぼすわれをりなほも米こぼす   堀込学(ほりごめ・まなぶ) 1966年、群馬県生まれ。             撮影・中西ひろ美「仲間のみ残り秋冷愉しかり」↑

原満三寿「わらいながら戦争がくる鵙びより」(『俳鴉』)・・

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   原満三寿第10句集『俳鴉(はいがらす)』(深夜叢書社)、その帯と背には、     髪に梅さしてキュンです俳鴉  「俳鴉」という著者ならではの造語を基調に、俳諧の可能性を探り、遊んだ第十句集。  /俳諧の新たな地平へ  とあり、著者「あとがき」には、  齋藤愼爾さんが三月に他界されました。二月に、第二十三回現代俳句大賞の受賞が決まったばかりでした。 (中略)   齋藤さんの骨揚げのとき、齋藤さんの精神は死んじゃいないんだ、と思いました。ですから、サヨナラは言いませんでした…‥‥。噫。 (中略)  奇天烈な句も頻出しますが、すべて八十二歳の蹌踉めき、酔狂とお笑い下さい。  句集の構成について述べますと、各章のはじめと最終章のおわりに主題の俳鴉に句群を間歇的に配置してみました。 (中略)  一茶は文政五年の「文政句帖」に、アイヌの和人化政策として、幕府が蝦夷地に蝦夷三官寺を建立した報に接し、   御仏やエゾガ嶋へも御誕生 などと詠んで言祝いだのですが、その後、アイヌへの和人の収奪の情報に接すると、いってん深い怒りとアイヌへの同情を示します。   銭金を知らぬ島さへ秋の暮    「文政句帖」文政五年四月   江戸風を吹かせて行くや蝦夷が島   来て見ればこちが鬼也蝦夷が島   商人やうそうつしに蝦夷が島  これらの句によって、一茶の視野が全国的な政治風土まで及んで、まさに社会性俳句の嚆矢となっていることに驚かされます。  とあった。ともあれ、本集よりいくつかの句を挙げておきたい。    俳鴉 花も嵐も鷲づかみ           満三寿    涸れ川を渡るに全身じゃぶじゃぶす   驟雨きて疑心暗鬼も駆けだしぬ   猫かえる痴情のもつれは嘘多し   はなれ雲 一茶はアイヌに心寄せ         *「あとがき」参照   砂時計ふりむくたびに誰か堕つ   俳鴉 月夜の侘び寝も芸の内   夕焼けてシャボン玉も帰ろかな   核の家 やってしまったメルトダウン   他界人と二人羽織や盆おどり   むかご飯なつかし老 (お) ーいあっちいけ   俳鴉 ドレに〈いらへぬ〉大鴉      *ギュスタ―ヴ・ドレ/エドガー・ポオ   古池やとびこむ〈もののあわれ〉かな   虹の根に捨てられ傾ぐ乳母車   漢らの万世一系や亜阿相界 (ああそうかい*)    *サボテンの生態に似た植物、龍胆

大杉栄「春三月縊り残され花に舞ふ」(『ザ・大杉栄全一冊』第三書館より)・・

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   本日、9月24日(日)、若い友人の俳人Iからの誘いもあり、「伊藤野枝・大杉栄ら没後100周年記念シンポジウム『自由な道を歩いていこう』」(於:明治大学駿河台キャンパスリバティータワー)に参加することになっていたのだが、愚生が申し込んだときには、すでに満席になっていた。共に出かける約束をしていた高齢者組の4名は、急遽、同窓会ならぬ飲み会に変更して、友誼を深めた。それにしても、昔の感覚そのままで、何とか入れるだろうと思っていたが結構な人気なのには、少し驚いた。  そして、その飲み会に集まった者のうち、愚生以外の三人は、別々のところで、それぞれが働いていた現場や、ピケットストの現場で20歳代に黒色戦線社の大島英三郎(1905~1998)に会っていたことが分かった。よれよれの服で、まるで復員兵のようで、ガリ版刷りの本や、黒色戦線社の本を買ってもらうため、ピケの現場に、この本を読んでほしいと訪れていたこと、など、お爺さんだったなあ・・と話していた。今日集まったうちの一人は、今でもその黒色戦線社の本はすべて揃って本棚にあり、そのまた隅に、愚生の『本屋戦国記』(北宋社)があると言っていた。まあ、今さらシンポジウムもと思っていたらしい、その一人は、満席で入れなかったお陰で、飲み会になって良かったよ・・などと言って、懐かしく。会い別れたのだった。  そのシンポジウムの講演者が、森まゆみと鎌田慧、コメンテーターが加藤陽子・岡野幸江・梅森直之。ここでは、森まゆみ編『伊藤野枝集』(岩波文庫)の森まゆみの解説「嵐の中で夢を見た人―伊藤野枝小伝」から一部を紹介しておきたい。   (前略) 男と女、その愛は不変ではない。「結婚」という制度に再び入ろうとは思わない。「独占」ということにもすでに魅力を感じない。恋愛、家、嫁姑、結婚、破綻、子ども、因習、世間、女の人生をめぐる一つ一つの要素を野枝は検証していく。修羅場をくぐることによって、自らの思想を鍛えた。思想とか哲学が、よりよく生きることの模索ならば、野枝はその意味で、じつに正直な実践者であり、思想家であったといえる。かわいいさかりの一 (まこと) を辻家に残し、流二は御宿の漁師に里子に出した。そしてそのままになった。 「わたしは預けた子供よりも、残して来た子供を思い出すたびに気が狂いそうです」 自分のため、恋のために子どもを捨てた。そのこと

阿部青鞋「ひとづかみして動かして稲を刈る」(「阿部青鞋研究」第二期八号~十号より)・・

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 「阿部青鞋研究」第二期八号~十号(阿部青鞋研究会・妹尾健太郎)、各冊子とも手作り。各号巻頭のエッセイには、青鞋の一句にまつわるエッセイ(鑑賞)に一人、青嶋ひろの(8号)、千寿関屋(9号)、内藤加奈子(10号)。各号巻末の「父の思い出」は、青鞋三女の中川専子。そして妹尾健太郎「資料紹介・阿部青鞋の俳句論『無季俳句と私』」である。この「無季俳句と私」(「俳句公論」昭和五十一年一〇号)は、妹尾健太郎編による『俳句の魅力 阿部青鞋選集』(沖積舎)に収められておらず、橋本直が、その存在を知らせてくれたとあり、資料協力者としてしたためられている。その青鞋の「無季俳句と私」の抜粋を孫引き、順不同になるが、以下に引用しておきたい。   「俳句は自分を表現するものである。自分が時に季に居れば季を、時に無季に居れば無季を言表するだけである。」 「有季主義というものによって季があるものではない。あるのは、唯そのいずれにも拘束されないポエジイであり(後略)」「俳人が詩人であるなら、(全てに対しても自由であるべき詩人であるなら、)ポエジイの原点に於いて、もはや有季無季の垣争いなど早急に解消すべきであろう。私は有季作者であると同時に無季作者である。」 「ポエジイが季にはたらけば有季作品を生み、無季がはたらけば無季作品を生む。要はそれだけのことである。」「季語は、それぞれの当季のもろもろの現象を想起させ、またそれなりの余情を伴うところから、いわゆる季題的効果を一応喚起することはあるが、しかしその効用性もそれ自体で詩の本格とはならない。」「つまり季はそれにまつわりつく効用的通念などを超えて、最も本質的な詩語としてのみ起用されなければならない。」 「私にとって無季俳句は、季語に対する意識的な拒否または断絶から為されるのではなく、それ故に季語を不当な用途に当てまいとする、そういう詩的行為そのものである。」 「俳句形式に特に投企される詩精神の詩的な質以外に、有季無季いずれの作品的良否を決するポイントは別に無いと、要するにこう考えている次第です。」(『ひとるたま』「随想」(第四章の末部) 「つまり、無季は時に私のポエジイの無季的事情に於いて無季であり、有季は私のポエジイの有季的事情に於いて有季であるにすぎない。」(第二章より) 「いかなる無季語もまた季語もそのまま詩語ではない。ポエジイによる詩的編成に俟

須崎武尚「満州に未だ彷徨(さまよ)う赤とんぼ」(第164回「吾亦紅句会」)・・

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  本日、9月22日(金)は第164回「吾亦紅句会」(立川市高松学習館)だった。兼題は「蜻蛉」。そして、句会ののちは、駅前の居酒屋に席を移して、新入会員と愚生のために歓迎会を開いて下さった。以下に一人一句を挙げておこう。    多次元の宙 (そら) 見透かすや蜻蛉の眼    齋木和俊    あっ、あそこ願うまもなく星流れ       西村文子   散村にバインダ唸る豊の秋          田村明通    少年の網搔 (か) い潜 (り) 鬼やんま     松谷栄喜    槍投げの女子の笑顔や天高し         渡邉弘子    フランスは絶滅だけどラ・フランス      関根幸子   罪深きホモ・サピエンスの秋思かな      須崎武尚    秋海棠小さき花に意地を見せ         高橋 昭    秋袷母の形見の帯締めて           武田道代    箒目や突然偶然秋の蝶           折原ミチ子    急坂を登り天まで秋うらら          奥村和子    イーゼルに止まりしとんぼ多摩の山      佐藤幸子    約束は金木犀 (きんもくせい) の香る宵   三枝美枝子    吹く風は移ろう季 (とき) をさわやかに   井上千鶴子    銀やんまぎょろり眼玉で何を見る      吉村真善美    秋の峰電車に手振る村人よ         佐々木賢二    その位置は去年と同じ赤とんぼ        笠井節子    はるかなる飛行機雲や秋あかね        大井恒行    ★また、現代俳句協会主催「図書館俳句ポスト」(上掲写真)6月選句結果が発表され、高松図書館の通路に貼りだされていた。選者は、太田うさぎ・寺澤一雄・渡邉樹音。兼題は「辣韭」。「吾亦紅句会」の方が入選されており、入選句は、 佐藤幸子「子に持たすらっきょう小瓶に移しけり」 であった。   次回は、10月27日(金)、兼題は「紅葉」。           撮影・鈴木純一「王中の王のカメムシ助けてやるぞ」↑

井上治男「母の手に添える子の手や墓洗ふ」(第21回「きすげ句会」)・・

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    本日は、第21回「きすげ句会」(於:府中市中央文化センター)だった。兼題は「茸」。 以下に一人一句を挙げておこう。   余命賭し集く虫の音ふと消ゆる          中田啓子    秋ほたる姉妹保護され父のDV         濱 筆治   秋暑し使い回しのパスワード          高野芳一    秋空の変顔競う子どもかな           杦森松一    空澄みて何でもない日茸汁           井上芳子    居待月一つ家に灯のこぼれをり         井上治男    猿の腰掛幻の猿座らせて           久保田和代    美人の儘逝きて十年秋彼岸           寺地千穂    汗かいて梨をペロリと独り占め        大庭久美子    源平の幟もかくや曼殊沙華           清水正之    エノコロの穂の雨粒の瑠璃の色         山川桂子    草片 (くさびら) のひらひらひらやひだる神   大井恒行  次回、10月26日(木)は、浅間山での「きすげ句会」初めての吟行句会の予定である。そして、次々回にの11月9日(木)の兼題は「冬紅葉」。 ★閑話休題・・与謝野鉄幹「子等無くば地震(ない)の中よりふためきてわれを見苦しく逃れたらまし」(『文豪たちの関東大震災』より)・・  児玉千尋編『文豪たちの関東大震災』(皓星社)、その解説の「終わりに」に、  (前略) 本書編纂に際して再びリストを拡充したが、ちょうどその時に、国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)の機能が大幅に改良され、全文検索と個人向けデジタル化資料送信サービスが始まり、リスト作成に大変役立った。紙幅の関係で、本書ではその一部を「『関東大震災』関連雑誌記事リスト」として収めるにとどまったものの、末尾のQRコードを読み込んでいただければ、本書で割愛した部分もご覧いただける。関東大震災から百年が経ち、当時書かれた著作物は著作権が切れたものも多く、国会図書館デジタルコレクションで大半を読むことが出来る。リストを参考に、本書に掲載できなかった分も読んでいただければ幸いである。  とあった。  児玉千尋(こだま・ちひろ) 東京都生まれ。         撮影・中西ひろ美「まだまだと言っているのも秋の声」↑

大塚欽一「老妻は生涯清楚秋澄めり」(「三千句集『胴吹き(1)』 付 全方位性俳句の試み」)・・

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   大塚欽一三千句集『胴吹き(1) 付 全方位性俳句の試み』(泊船堂)、その「後書」に、   この度第三句集『大塚欽一三千句集・胴吹き(1)』を上梓した。還暦をすぎて句作を始めたことと、それまで詩を書いてきた経緯もあり、俳句は最小形式の詩であるという観念から抜け出せずに来た。 (中略) しかし最近詩的とはちがった部分が大きく立ちはだかっていることに気が付いた。双峰の山すなわち詩的峰と戯的峰が見えてきたのである。それを遠くから眺めてみると俳句の世界がこの二峰を中心にしていわば巨大な連峰のように長く連なって幻視 (み) える。 (中略)  先達の句や杖を頼りにやっとここまで来て、今その一つの麓に立って途方に暮れているのが現状である。願わくば先輩諸氏の叱咤・激励を賜りたいと思っている次第である。   野の百合の匂ふ山路をきて日暮る   風に揺れる胴吹きの花水温む  とあり、「1部 全方位俳句の試み」の論中に、 (前略) 当然のことながら、俳句はイメージ性の濃厚な文学である。多くの俳句は季語という強烈な実相的イメージを持っているゆえに、必ずやまず視覚的イメージという箍がついている。すなわちそもそも基本的形態として写実(写生)である。俳句はつねにこの写生・叙景を一義的に大具しているゆえに、個々の俳句はこの写生・写実という基本的形態に重層するように、他の形態を有するということになる。この重層性の深浅によって、それぞれにカテゴライズされた場所に収まることになる。 (中略)   しかしここに来て、俳句の膨大な広がりのなかで、遊戯性や感覚性の進出とともに、観念性あるいは虚相的イメージが実相を帯びて俳句の世界に侵入し無視できない状況になっている。一方で諧謔性・遊戯性の強い俳句も大きな潮流となっている。いわば俳句のカオス状態—実相面と虚相面(光と影) ― である。そこでこれらをも取り込んだ新しい俳句の三次元的宇宙構造として次のようなモデルが必要となる。(図1) ↓ (中略) パランプセストをひろげるように現代俳句を取り巻く世界を鳥瞰図的にみれば、現代俳句には詩的俳句と戯的俳句が混交しながら二つの領域を広げていて、戯的俳句の隣には川柳の世界さらには遊戯(句)が広がり、その一方で詩的俳句は写実句から次第に観念・哲学的俳句へと尾根を伸ばし、その先に格言(句)が広がっていると見える。俳句の多様

橋閒石「風呂敷をひろげ過ぎたる秋の暮」(「俳壇」10月号より)・・

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    「俳壇」10月号(本阿弥書店)、 特集は「『秋の暮』を詠む」。巻頭エッセイは仁平勝「『秋の暮』私論」。仁平勝には、加藤郁乎句集『秋の暮』を論じた『秋の暮』(1991年)論もあり、今回、表題にわざわざ「私論」とつけるあたりは謙虚だ。興味をもたれた方は、直接本書にあたられたい。その中に、 (前略) そうなると、山本の「もと もと暮秋を意味したが、『秋の暮』の本意を『もののあわれ』とか『寂しさ』の極致として感じ取っているうちに、秋夕にも通じるようになった」という説は、少々おかしいことに気づく。もともと暮秋を意味した「秋の暮」には、「もののあわれ」とか「寂しさ」という本意があるわけではない。そうした本意は「秋の夕暮」から生まれたものだ。  私なりの結論をいおう。「秋の暮」という季詞(季語)は、和歌の「秋の夕暮」の短縮形にほかならない。和歌の「秋の夕暮」は、一首の末尾にくる形が定着していた。その形を発句の下五に持ち込むと、早い話が二音多くなる。そこで「秋の夕暮」を縮めて、五音の「秋の暮」になったわけだ。 (中略)   ここで大事なのは、「秋の暮」という季詞(季語)は和歌の「秋の暮」とは別物であるということだ。 (中略)   ただし、もうひとつ大事なことがある。「秋の暮」の寂しさは、「秋の夕暮」の寂しさとは違う。   枯枝に烏のとまりけり秋の暮      芭蕉   みゝつくの獨笑ひや秋の暮       其角   うき人をまた口説きみん秋の暮     去来  三夕の歌と比べれば、その違いは一目瞭然だろう。 (中略)  山本は「両義を内包しながら、曖昧なままに用いられた」というが、暮秋か秋の夕暮かはもはや二次的な問題でしかない。俳諧はいわば絶対的な寂しさの象徴として、「秋の暮」を手に入れたのである。そして「秋の暮」には季節感というものがない。芭蕉の句は「枯枝」が季節感ともいえるが(もっとも枯枝なら冬だろう)、その芭蕉にしても、〈元日やおもへばさびし秋の暮〉という句があるくらいだから、やはり季節感など問題にしていない。 (中略)  歳時記には「秋の夕(べ)」という傍題があるが。「秋の暮」の代わりに「秋の夕」は使えない。いま引いた四句に当てはめてみればわかる。  その四句とは(愚生注)、 〈秋の暮溲罎泉のこゑをなす  石田波郷 〉〈秋の暮大魚の骨を海が引く  西東三鬼〉 〈あや

清水伶「虚栗踏んで攝津の忌を修す」(『素描』)・・

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 清水伶第3句集『素描』(本阿弥書店)、著者「あとがき」には、  句集名『素描』は、〈鶏頭を素描にすれば荒野なり〉の句から採りました。わたくしの信仰の要である聖書の言葉、「荒野」を覚え、素描の域である句群を思い、句集名としました。  とあった。 ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    朧夜の遠き情死にとりまかれ   烏瓜の花の夕べは父が逝く   春あかつき水の軀を放し飼い   約束の数を下さい冬の薔薇   太宰忌のまったきしろき腓かな   「絶対本質の俳句論」なり白山茶花   たましいの誤植をふやす花ざくろ   シリウスに無数の涙レノンの忌   薔薇園にブラックホールの夜空かな   榧の実を蹉跌のごとく噛みいたる   父の遠耳母のはやみみ寒昴   蜻蛉生る風ことごとく父の私語     清水伶(しみず・れい) 1948年、岡山県生まれ。 ★閑話休題・・「柚木沙弥郎と仲間たち」(於:日本橋髙島屋本館8階、~9月25日〈月〉まで)・・  昨日、「黒田杏子さんを偲ぶ会」のあと時間が少し出来たので、「柚木沙弥郎(ゆのき・さきろう)とその仲間たち」(於:日本橋髙島屋8階、 ~9月25日〔月〕まで 〉に寄った。  柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう)、1922年、東京生まれ。101歳にして、なお現役。チラシの紹介には、「 柳宗悦の民藝の思想と芹沢鮭介の型染めカレンダーに出会い感銘を受け、染色家の道に進む。型染による染布、染絵などの作品を制作。絵本の仕事や立体作品、グラフィックの仕事にも取り組む 」とあった。        芽夢野うのき「しろがねよしさん天晴な吹かれぶり」↑

正木ゆう子「濡れて重たき昭和の傘よ昭和の日」(『玉響(たまゆら)』)・・

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  正木ゆう子第6句集『玉響(たまゆら)』(春秋社)、序も跋も「あとがき」もない、近頃では珍しいシンプルな句集である。装幀は、いつものことながら夫君の笠原正孝。ただ、扉裏には献辞がある。それには、   玉響 (たまゆら) は露。朝日に向かって見る露は透明だが、  朝日を背にして見る露は反射光なので、虹のように色がある。   とあった。集名に因む句は、    玉響のはるのつゆなり凛凛と       ゆう子  であろう。ともあれ、以下に、愚生好みになるがいくつかの句を挙げておこう。    おほかたは蕾よ梅のうれしさは   ゆづりあふことのあるらむ蜷 (にな) の道   片陰の犬の狼歩きかな   ホバリングして見す鵟 (のすり) かと問へば   雪晴やママさんダンプ臍で押す           ママさんダンプは除雪用具      常宿にて月兎の図    月に搗く餅も加へむ鏡餅   煙茸躁か鬱かと突つつきぬ   兵戈なき雛壇をこそひなまつり   風花が過ぎ風花がくる猫の耳   まさびしき人よと鶲訪ね来る      熊本五高   ぬばたまの黒髪町や漱石忌      回想   荼毘までのつめたき頬よ春の月      三十三回忌   兄の死ののちの嫂 (あによめ) すみれ草   はるかなれば白濁として鷹柱      入院   癌ぐらゐなるわよと思ふ萩すすき      魚住陽子へ   話したかつたミッキーマウスの実のことも      姉洋子 出生時の脳損傷による半身不随の生涯を穏やかに閉づ   そのやうな逝きかた春風に乗るやうな   花菜風死に照らされて一生あり   はるのつゆふれあふ鈴の音かとも   足元もはるかな露もうつくしく   正木ゆう子(まさき・ゆうこ) 1952年、熊本市生まれ。    ★閑話休題・・黒田杏子「能面のくだけて月の港かな」(「黒田杏子さんを偲ぶ会」より)・・   本日、9月17日(日)午後一時より、如水会館に於て、「黒田杏子さんを偲ぶ会」(藍生俳句会)が行われた。先般、件の会による偲ぶ会もあったので、愚生は二度目の偲ぶ会への出席である。  『 黒田杏子Album 撮影・黒田勝雄 』(上掲写真)に挟み込まれた、黒田杏子「 働く女性と俳句のすすめ 」(「毎日新聞」1981年9月25日)のなかに、  (前略) ひとりで俳句をつくることはできる。しかし、俳句は決し

渡邉樹音「新涼の鏡へ猫になる呪文」(第52回「ことごと句会」)・・・

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   本日、9月16日(土)は、第52回「ことごと句会」(於:新宿歌舞伎町ルノアール)だった。兼題は「燃」。以下に、一人一句を挙げておきたい。    コスモスの我儘風が聞いている       江良純雄    びしょ濡れの九月の雨は甘い        照井三余   正午の影へ声の残りし朝のかなかな     武藤 幹    白地図を燃やす葉月の昼下がり       渡邉樹音    燃え尽きて燭台残す秋思かな        杦森松一    日盛りや鉄板横の啖呵売 (たんかばい)  渡辺信子    満月は夜の洞なり移り気な         金田一剛    燃えている星雲いかに野の菫        大井恒行     ここで、お知らせしておきたいことを以下に・・・。これまで、「ことごと句」(代表・渡邊樹音)の事務方を切り盛り、運営していただいていた金田一剛が、一身上の事情で、盛岡に転居・永住を決めたことで、これを機に、句会の運営体制を一新しなければならなくなり、そのための話し合いが行われてきました。ようやく本日、一応、当面の体制を決めることができました。  これまで、愚生が長年のあいだ、顧問の扱いをしていただいてきましたが、今後は現役復帰?して代表を務め、事務局には武藤幹、会計に渡邉樹音に協力していただくことなりました。小さな句会ですので大げさに言うことでもありませんが、「ことごと句」の前身・「夢座」(1987年3月創刊)時代、さらに、句会のみの時代を入れると40年近い年月を重ねてきたことになります。従って、鬼籍に入った同人もかなりおられます。それでも、その都度、有意の同人の尽力でここまで継続してくるこができました。ともあれ、今後は、前記のように、新体制で臨むことになりましたので、よろしくお願いいたします。  次回は、10月21日(土)午後2時~5時(於;新宿歌舞伎町ルノアール)。 ★閑話休題・・第6回口語俳句 作品大賞 締切り迫る/9月20日(水)・・  口語俳句〈第6回〉作品大賞募集 ・募集作品   20句 (1篇) 2021年以降現在までの作品。既発表・未発表を問わない ・締切   2023年9月20日 (水) ・参加費用   2000円 。句稿に同封(小為替)または郵便振替(00870ー8-11023 口語俳句協会)にて ・要領  B4 400字詰原稿用紙1枚に書く(ワ

川崎果連「叩かれる前の西瓜の丸さかな」(現代俳句協会「金曜教室」16回)・・

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   9月15日(金)は、現代俳句協会「金曜教室」通算16回(現代俳句協会会議室)だった。前半は当季雑詠2句出句の句会。後半は、攝津幸彦一周忌、全句集出版記念会のために旭通信社の方々が作ってくれた「 言霊の旅人ー攝津幸彦の生涯 」、これは、今日初めて知ったのだが、その「攝津幸彦を偲ぶ会」(1997・11・29、於:日本出版クラブ会館)の模様も収録されていた。愚生の髪もまだ黒々としていた司会姿、そして、当日の挨拶の宇多喜代子、三橋敏雄、加藤郁乎、澤好摩、佐藤鬼房、仁平勝、また、会社・旭通信社(アサツー)の方々など、懐かしくも思い出されて、幸彦夫人・攝津資子のじつにしっかりした挨拶を聴いていたら、少し熱くなった。しかも、そのビデオ映像の最後は、奇しくも、当時の阪神タイガーズ優勝、会社での猛虎会会長だった攝津幸彦を送るに、「六甲おろし」の大合唱で締めくくられていた。その模様を記録した、愚生のところにあったビデオをDVDにダビングしてもらったのを皆さんに見ていただいたのだ。  ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。    貧乏だから「ガリガリ君」と避暑をした     村上直樹    黙禱のあとの空白八月尽            武藤 幹    花野ゆくピエロの父は化粧のまま        赤崎冬生    記憶全て神へ還るや秋うらら          山﨑百花    身に沁むや陸のほうかねそれとも鹿       岩田残雪    満月を独占したる相模灘            籾山洋子    秋暑しひっついてゐる花林糖          林ひとみ   大空へ弓なりに反る鰡の跳ね          杦森松一    秋暑しこむらがえりの土俵際          川崎果連   どうしても着かぬ道順ぎすの鳴く        白石正人   勝ち虫の飛び交う空やUー18         植木紀子    関ケ原越えて近江へ鷹渡る           宮川 夏    幻聴のオオシマゼミは好色か          大井恒行   愚生のみが唯一点を入れた句は、    仲見世は秋国籍のバザールぞ          白石正人  だった。次回、10月20日(金)は、雑詠2句持ち寄り。      撮影・中西ひろ美「あなたにも大きな謎の花が咲く」↑