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小澤實「レーニンは土にかへれず冬木立」(『瓦礫抄』)・・

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  小澤實俳句日記2012『瓦礫抄』(ふらんす堂)、帯の背に、「瓦礫抄」なる題名は、震災の瓦礫による」とある。また、その「あとがき」に、   平成二十三年は東日本大震災が起こった年である。コロナ禍が終息していない現在も辛いが、この年には福島第一原子力発電所の事故も発生して、都内で生活していたぼくにとっても、大変心細かった。「瓦礫抄」なる題名は、震災の瓦礫による。震災後の心細さを忘れてはならじと、題とした。  最後はロシア訪問で終わっているが、当時は、現在のロシアによるウクライナ侵攻が起こるなど想像できなかった。  とあった。本書の3例を挙げておこう。  十月九日(火)曇             【季語=猪】  安井浩司「俳句と書」展へ。久しぶりに安井さんと会う。オープニングレセプションは銀座東武ホテル。スピーチの最初がなんとぼく。『俳句という遊び』の飯田龍太邸での句会以来の交遊と昨年の「澤」の耕衣特集でご執筆いただいたことを話す。安井さんは、笑顔で聞いてくださる。 ゐのししの牙蔓に研ぐ風の中  七月十六日(月・海の日)晴         【季語=三尺寝】  「澤」校正で大野秋田さんの評論「文法外の文法と俳句の文語」を通読。 「已然形終始」と「カリ終止」、うしろめたく思っていたが、これで安心。 自作にも堂々と使おう。「黄泉 (よみ) に来てまだ髪梳くは寂しけれ 中村苑子」「春の山屍 (かばね) をうめて空しかり 虚子」。こんな名句がある。 石段の一段をもて三尺寝 二月二十日(日)晴             【季語=永き日】 「俳人のことば」収録。井の頭公園のぺパカフェ・フォレストに午前十時集合。大久保亜美さんに「前月収録の池田澄子さんは、キッチンタイマーで一句分四十五秒の自解を練習してこられました」と言われ、めげる。 「自然に歩いて」と指示を受けるが、むつかしい。 永き日の池さざなみの消ゆるときも     ともあれ、句のみなるがいくつか挙げておこう。   焼白子噛みきれば噴き出せるもの        實    鉄路岐れぬ下萌の小高きへ   食べきつてメニューのすべて青葉の夜   片影やカプセル錠を水無し呑み   雨乞や生木に灯油かけて焼く   とんぼの羽なかばをちぎり放てる子   鉛筆を落せば跳ねて花槿   みづうみの底まつくらや秋の暮   しやがみをるこどもが我や青

遠山陽子「かもめ来よわが九十の宴なる」(「弦」第45号)・・

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   「弦」第45号(弦楽社)、遠山陽子の「あとがき」に、「 今号の俳句は、殆どが題詠である。特に折句、割句が面白かった。折句とは、題の三文字を五七五の頭に付けて詠むもの。割句とは、題の三文字を二つに分けて、一句の頭と尾に付けて詠むもので、何れも雑排の類 」とあった。その折句,割句が、   桜の国に狂ひはじめし羅針盤  (折句)    椿赤く黒く落ち継ぐ師の墓域  ( 〃)    水喧嘩見事に捌きずいと去る  (〃 )    電話鳴り続ける家や春の月   (割句)   魔弾の射手は花嫁を撃つ花の昼 ( 〃)    対話のごと撫でては冬瓜の丸み ( 〃)  という。本誌でもっとも読ませたのは、妹尾健太郎「一心一途なり併走の友いつしか/三橋敏雄と阿部青鞋」。その中に、   私はこの両俳人とお会いする幸運に恵まれた。青鞋とは二度、最晩年に東村山の教会(自宅)で。その折に「青鞋」の号の由来をお尋ねし、漢詩の一節から取った旨とその大意として「登山の途次に休息をとった旅人が、真新しい鞋に履き替えてふたたび頂を目指す」との説明をいただいた。敏雄とは青鞋選集に収めた対談の折とその前後に都合三度、小田原での酒席にもお招きいただいた。兎に角お話上手で、とりわけ俳句弾圧事件下において青鞋宅「尺春庵」に集った頃のことはじつに愉快にお話下さった。   この中の一度、三橋敏雄宅から遠くない、小田原での会(たしか夫人・孝子さんの妹さんのお店)には、愚生も一緒だった。渋谷の鬼ババと尊称された多賀芳子もいたはずである。ただ、忘れること甚だしい愚生は、楽しかった思いはあるが、話の内容は全く覚えていない。  (前略) ところで、敏雄と青鞋の俳句に身体肉体を表現したものが多いことには誰しも気づくところであろう。    晩春の肉は舌よりはじまるか/敏雄    砂ほれば肉の如くにぬれて居り/青鞋    はつなつのひとさしゆびをもちゐんか/敏雄    おやゆびとひとさしゆびでつまむ涙/青鞋  敏雄句の肉体は血脈を匂わせエロティシズム濃厚に描かれている。青鞋のそれは抒情はあってもさばさばしている。    撫でて在る目のたま久し大旦/敏雄    尿尽きてまた湧く日日や梅の花/敏雄    手の腹はまだよく知らぬところかな/青鞋    左手に右手が突如かぶりつく/青鞋  敏雄の肉体の句には各々相応しい季語が斡旋されるケ

照井三余「病めるごと痩せる月夜の寒鏡」(第45回・、メール×郵便切手「ことごと句会」)・・

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  第45回(メール×郵便切手)「ことごと句会」1月21日付(土)。兼題は「明」+雑詠。本年もよろしくお願いいたします。以下に、一人一句と寸評を挙げておきます。    冬の灯の明朝体の薄笑い          江良純雄    被弾せし壁や老女と猫に冬         渡辺信子    ひとの情けの雪片をあたためる       照井三余    餅搗きの唄も遠のく船出かな        金田一剛    明烏いけない初夢 (ゆめ) を終わらせる   武藤 幹   九年目の正月飾り無しとする       らふ亜沙弥    空耳か狐火の行く荒地にて         渡邉樹音    春の陽の飛魂 (ひこん) よ風をつかまえろ  大井恒行 【寸評】 ・「 病めるごと痩せる月夜の寒鏡 」ー痩せているのは、月か自分の面影か?(信子)。「病めるごと痩せる月(夜)」と「寒の鏡」の配置がいい。流石、大人の一句(剛)。 ・「 冬の灯の・・ 」ー楚々として美しいが、素っ気なくもある「明朝体」。「冬の灯」「薄笑い」が良く似合う(幹)。 ・「 被弾せし・・ 」ーウクライナを思う。戦争に犬猫は無縁。戦争と冬の暗さ重さを猫が吸収。小道具を効かせた(純雄)。 ・「 ひとの情けの・・ 」ー健気な素直なこころを温め集めたいものです(恒行)。 ・「 餅搗きの・・ 」ーリズムも良く抒情的です(松一)。故郷の餅搗き唄なのでしょうか。離れていく淋しさを感じます(樹音)。 ・「 明烏・・ 」ー明烏には、いろいろな意味と場面があってr、いけない初夢(ゆめ)に、夢流しへの思いがこもっている(恒行)。 ・「 九年目の・・ 」ー三年目の浮気ではないが、九年の数字の置き方は絶妙かも。もちろん、事実が背景にあるかもしれないが・・(恒行)。 ・「 空耳か・・ 」ー狐火は冬の季語だったんですね。「狐火を信じ男を信ぜざる」(富安風生)私の愛唱句を思い出しました(信子)。 ・「 春の陽の・・ 」ー「つかまえろ」と少々、乱暴な物言いが明るい(樹音)。  他に、照井三余の評のなかに、「 初鴉鏡を磨みがきたる朝に 」(恒行)の句に、「何も語らず、鏡を磨いていると初鴉の鳴くのを聴くただそれだけの事を詠う」とあった。         撮影・中西ひろ美「大寒や偽の兎を可愛がる」↑

鴇田智哉「ひだまりを手袋(てぶくろ)がすり抜けてゆく」(『教養としての俳句』)・・

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 青木亮人『教養としての俳句』(NHK出版)、目次をみると、「第一章 俳句とその歴史を知ろう」「第2章 『写生』って何?」「第3章 『季語』を味わう」「第4章 俳句と、生きているということ」とある。その「はじめに」の冒頭に、   俳句を教養として学び、味わうこと。これが本書の目的です。 「教養」とは、名句を詠 (よ) むためのコツやテクニックを身につけたり、俳句や詩歌の歴史を詳細に知るということではありません。むしろ生き方に関わるようなことであり、つまり俳句を通じて私たちの生き方がどのように変わり、いかに深まるのか、というのが本書の主眼です。  生き方、と記すと大仰 (おおぎょう) に響くかもしれません。それは次のような情景にひととき心を奪われる体験の別名と捉 (とら) えた方がよいでしょう。   まさをなる空よりしだれざくらかな     富安風生 とある。また、「第4章 俳句と生きているということ」のなかの一例を挙げておくと、     ひだまりにを手袋 (てぶくろ) がすり抜けてゆく    鴇田智哉   冬の公園あたりを想像すると良いかもしれません(「手袋」が冬)。小春日和 (こはるびより) の公園で手袋をはめた人が散歩しているのでしょう・・・と、このような説明と句の印象はかなり異なります。  作品からは、手袋だけがフワフワ浮いたまま日だまりをすり抜けてゆくような情景が思い浮かびますし、白昼夢に近い雰囲気すら感じられる。こういった俳句は、季語や五七五の定型とともに言葉を駆使することで、見慣れた平凡な情景を見たこともない世界へ変貌させ、日常世界がいかに不思議な息吹に満ちているかを体感させてくれます。  と記している。ともあれ、本書より句のみになるが、以下にいくつか紹介しておこう。    スリッパを越えかねてゐる仔猫 (こねこ) かな    虚子    柿喰 (かきく) へば鐘 (かね) が鳴るなり法隆寺( ほうりゅうじ) 子規    寒鯉 (かんごい) の美 (うつく) しくしてひとつ澄めり   秋桜子    長き橋を長渡 (ながわた) りせり春風 (しゅんぷう) と  三橋敏雄   なめくぢも夕映 (ゆうば) えてをり葱 (ねぎ) の先    飴山 實    はつらつと揚 (あ) がるコロッケ冬はじめ        奥坂まや    黒猫 (くろねこ) の子 (こ)

大井恒行「尽忠の映画の海に逝かしめき」(「貸本マンガ史研究」より)・・

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  「貸本マンガ史研究」第2期08号・通巻30号(シナプス)、愚生は、まったくの門外漢なれど、「追悼 ワイズ出版 岡田博さん」に寄稿。他にも「追悼 水島新司さん」「追悼 ちだ・きよしさん」とある。興味深かったのは「貸本店ゴム印コレクションⅠ」と常盤茂「柳瀬正夢 表裏一体の正夢/そいの死と墓のこと」であった。愚生に岡田追悼文を依頼された三宅政吉は「梶井純『トキワ荘の時代』を読むⅠ」を執筆しておられる。石川淳志「岡田博さんとの出逢い」には、   岡田さんと初めて会ったのは『ゲンセンカン主人』の紀伊国屋ホールでの完成試写会後、打ち上げの席ではなかったか。岡田さんは当該作品の出資に関わっていた。わたくしは「つげ義春研究会」のメンバーとして参加していた。 (中略)   毎年一月一日、岡田さんはワイズ出版社に一人でいることを知っている。残った仕事を進めていたり年賀状の返事を書いていたりするそうだ。そうして夕方、映画を一本見て元日を終えるらしい。 (中略)   元日を社屋で過ごすことに関係して、岡田さんから美食を開陳されたり国内外を問わず旅行を楽しんだ、という云う話を聞いたことがない。禁欲的なのではなく映画に携わること、出版を続けることの無上の喜び以外に何があろうか、そんな態度なのだと思う。非常に多くの本を世に送り出し、映画も多数作り上げ世に問うた。生き切ったと思える。  とあり、また、高野慎三「ダンディズムとロマンティシズム」には、   岡田さんに最初にお会いしたのは、八〇年代の後半である。五反田の「イマジカ」で石井隆監督の初号試写のときである。 (中略)   石井監督に招待のお礼を述べたあと、駅前の喫茶店に寄り、あらためて岡田さんに「初めまして」と挨拶した。すると、「初めてじゃないですよ」と言われたのである。  岡田さんの説明によれば、京都の立命館大学を卒業してから、数年後に吉祥寺の駅ビルの中にある新刊書店の弘栄堂書店に勤めていたという。そのころ出版した『つげ義春選集』(北冬書房)を手に私は注文取りに弘栄堂書店を何度も訪ねた。店長は別の人だったが、刊行のたびに二〇冊の注文を受けた。店長が留守のときもあった。そのときの応対が岡田さんだったという。 (中略)    そこから急速に岡田さんとの関係が密になっていった。ワイズ出版の出版物はまだ多くはなかった。岡田さんと川端さんに編集の

妹尾健「流木のやがて没する冬の河」(「俳句新空間」第17号より)・・

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「俳句新空間」第17号ーBLOG俳句空間媒体誌ー(発行人 筑紫磐井・佐藤りえ)、 救仁郷由美子追悼特集とあり、高橋修宏「返礼にかえてー救仁郷由美子さんへ」の中に、  (前略) 「日本地図を逆さにし、日本海を逆さにし、日本海を内海とする地図を発行する富山の志士に、現代俳句の眺望も、ときに絶景となる」(「未来からの言葉8 応答」豈54号、二〇一三年)という一文などに出会うたび、面映ゆさを感じながらも泣きそうになります。もう少し歩まなければ、との思いを抱くのです。このような文章から受け取ったものを、いまだ十分に説明することはできません。ただ、勝手にわたしは、(友愛)と名付けるしかない想いを感じつづけてきたことは確かです。 (中略)   救仁郷さんの論が、彼女らしいストイシズムを秘めながらも、さらに広々とした俳句の地平へと迫り出してゆく予感さえ抱かせてくれたのです。  (…)俳句の表現において、リアリズムを拒否したとき、俳句の表現とは何かという問題である。リアリズムを否定する立場においても、「リアリズムによって語られる」問題は根幹にあると言える。そして、表現に表わされた擬態や模倣に遊ぶままの俳句が我が身であってよいかどうかという問題にも突き当たる。(救仁郷由美子「風の言語」ー俳句のリアリズムー」俳句新空間12号、二〇二〇年より)  おもえば、救仁郷さんは安井浩司と向き合い、語りながらも、たえず自らを問いつづけていたことでしょう。 (中略)  また三度目の電話では、お身体の具合が一進一退であると言われながらも、どこか明るく語られていたことが印象的でした。 (中略) そのとき、救仁郷さんが自らの経験や記憶を辿るようにして、ソンタグが記した、ある言葉を示されたことには驚きました。わたしも、彼女の文章のなかで、ひときわ印象深く覚えていた言葉の一つだったのです。  暴力を否定すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。 少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券をもたず (・・・) 、冷蔵庫と電話のある住居をもたないで (・・・・) この地球に生き、飛行機に一度 (・・・) も乗ったことがない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。(スーザン・ソンタグ『良心の領界』木幡和枝訳、二〇〇四年より) あの9・11直後、自らに言いきかせるようにソンタグが記してた言葉の一節

羽村美和子「戦場にもマクドナルド寒夕焼」(「俳句四季」2月号より)・・・

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   「俳句四季」2月号(東京四季出版)、筑紫磐井が「俳壇観測」第241回「処女句集の氾濫ー新人が一斉に輩出された40年前の風景」で述べているように、「一月号・二月号で四〇周年記念特集を組んでいる」。特集名は「俳句の未来予測」,10年後を予測せよというものである。磐井氏も愚生も、前編というべき1月号に執筆させていただいたが、本号と合わせて総勢33名になる。それはともかく、ここでは、「豈」同人でもある羽村美和子が「わが、道を行く」に登場して、自選40句が掲載されている。その略歴を見ると、「豈」に同じく所属しながら、愚生は知らなかったのだが、現代俳句協会理事にして、千葉県現代俳句協会幹事長、千葉市俳句協会会長とあったので、愚生よりはるかに現俳に貢献度が高い(エライ!)。その自選句の中からいくつか挙げておこう。羽村美和子は1950年うまれ、愚生と同じ山口県生まれである。    パントマイムも手だけが夏に暮れ残る     美和子    白椿無声映画の中に落ち   すいかずら堕天使の羽干してある    美しい数式次から次へ羽化    国というまぼろし真夜の烏瓜   本号の「俳句の未来」で、特に印象に残ったのは、黒岩徳将の  (前略) 毎日、俳句を頭の隅に置く人生になると俳句が楽しくなる。その代わり人生が辛くなるかもしれないが・・・。人を誘う時は地獄に招いている気持である。  であった。ともあれ、本誌から作品をいくつか一人一句(首)を挙げておぃたい。    かざはなと一人が言いて木のベンチ      池田澄子    逝かれしは初冠雪のやうな人         小林貴子    遠景も近景も雪出羽三山           野木桃花    寒月や自転車の妻あらはるる         日野百草    雪の夜夫の揺椅子子が温め          西村和子    白雲を浮かべたるまま青空は昏れて紺青やがて深藍  久々湊盈子    息がかかるほど近くをり春の闇        井越芳子   能面の月華を宿す白さかな          和田華凜      はらわたの熱きを恃み鳥渡る         宮坂静生    とんと吾の名前忘れて父の冬         菊田一平    落鮎を挵 (せせ) る女のさみしかり      閒村俊一    「猫八」を偲ぶ初音の二た三度       山本鬼之助    

攝津幸彦「霧去りて万歳の手の不明かな」(「里」第208号・2023年1月号より)・・

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 「里」第208号・2023年1月号(里俳句会)、巻頭の上野遊馬の短期集中連載「『創造と模倣』上」に目が留まった。それには、   「よく似た文言や短歌、そして剽窃疑惑の小説・音楽・美術作品」を長年メモしていたのですが、今回は句と短歌を取り上げ短いコメントを付してみました。多分前の作品の方が古いと思いますが、間違っていたらお許しを。 (中略)   「創造と模倣の花園」へようこそ!  とあったので、その中から、短いものを紹介しておきたい。  ●ほととぎす鳴くやさ月のあやめ草あやめも知らぬこひもするかな                      (詠人知らず/古今集)   ●ほととぎす啼くや五尺の菖草      (松尾芭蕉)  ・・・・「さ月」(五月)を「五尺」にしただけの手抜き?   (中略)  ●から崎の松のみどりも朧にて花よりもゑいづ春のあけぼの                       (後鳥羽院)  ●辛崎の松は花より朧にて         (松尾芭蕉)   ・・・・歌枕「近江八景」への挨拶をそっくり“借用“で済ますとは、芭蕉先生、いくら何でもて抜きが過ぎるのでは・・・。あ、松島でも句作をスルーされましたね。  (中略)  ●古りたる池に蛙鳴くなり(連歌「山何」のなかの付け句?/一四四〇年・永享年間百韻?)  ・・・この句について詳しいことご存じの方、ご教示下さい。  ●古池や蛙飛びこむ水のをと       (芭蕉)  ・・・芭蕉は三百年前の連歌の付句を本歌取りして、この人口に膾炙する句を作ったのでしょうか?「声でなく動きを詠んだのが革新的」などと学校の古典の先生はもっともらしい解釈をし、「この句はタダゴト句ではない」と力んでましたが、本当ですか?  ●新池や蛙飛び込む音もなし       (良寛)  ・・・われらが良寛さんですからね、もう一捻りして欲しいところ。  ●古池や芭蕉飛び込む水の音      (仙涯和尚/江戸末期の禅僧)  (中略)  ●愁ひつつ岡にのぼれば花いばら    (与謝蕪村)  ・・・江戸時代なのに、立派な近代俳句になっています。  ●愁ひ来て丘にのぼれば名も知らぬ鳥啄めり茨の実  (石川啄木)  (中略)  ●万歳の手を大陸に置いてくる   (鶴彬/反戦の川柳人) ・・・がちがちの保守風土の石川県生まれなのに、根っから陽気な性格。勉強が

林ひとみ「人の世に入りて出口なき鯨」(現代俳句協会講座・第8回「金曜教室」)・・

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   本日は、現代俳句協会講座・第8回金曜教室だった。雑詠2句持ち寄り、全句講評。以下に一人一句を挙げておこう。    万象の声封じ込め滝凍つる        白石正人    五つほど身に沁みにけり除夜の鐘     武藤 幹    初夢やルーシーとゐて初茜        山﨑百花   介護にも疲れおぼえし恵方巻       植木紀子    父母子ひとりひとつの福だるま      林ひとみ    風花や誰のものでもない地球       川崎果連   双六の右手左手振るひとり        杦森松一    凍滝に封じ込めたる我が怨念       石川夏山    木菟の心の内を又聞かれ         宮川 夏    左義長終へ風砂の浜に戻りけり      赤崎冬生    月冴えてインフラ避けて通りけり     岩田残雪    浄不浄凍て逃れずに黒き鶴        大井恒行  次の第9回は2月17日(金)、課題は字しばりで、各一句。字は「果」「風」、有季・無季は問わない。 ★閑話休題・・林ひとみ詩集『藍の月』(季節書房・2018年11月刊)・・  本日の金曜教室の最高点句だった「人の世に入りて出口なき鯨」の作者・林ひとみの詩集である。挿画も著者。集名に因む「藍の月」の詩は長いので、ここでは、もっとも短い詩一編のみを紹介しておきたい。         りんご   りんごの形をした雲が   水色の空に   ぽかりとうかんでいた   空も   おなかが空いたのだ   ひとくち   ふたくち   かじられて   ちぎれた雲は   流れ消えゆく   音もなく   おだやかに  林ひとみ(はやし・ひとみ) 1978年、東京生まれ。                    撮影・中西ひろ美「ごちゃごちゃのなかにまぎれて春を待つ」↑

濱 筆治「不意に落つ梢の雪や初詣」(第13回「きすげ句会」)・・・

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  本日、1月19日(木)は、第13回「きずげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。  兼題は「初詣」。計三句出し。「きすげ句会」が発足してちょうど一年、句会に先立ち、府中市文化登録団体としての総会が行われた。皆さん、会費などの徴収も含めて、自主的に、丁寧に運営されている。ともあれ、以下に一人一句を紹介しておこう。   洋上の日の出眩しき初詣          清水正之   冬の路地童謡流す灯油売り        壬生みつ子    友逝きて共に歩きし冬銀河         井上芳子    雪道の轍の先の薄明り           杉森松一    ふんはりと母の形見のちやんちやんこ   久保田和代    冬晴れや心も晴れよと時を待つ      大庭久美子    逆光を渦巻く紫煙冬ざるる         山川桂子    闇の中仄 (ほの) 明り見ゆ初詣       井上治男     防護服脱ぎて影あり初日かな        濱 筆治    腕組むとふくふくとして初詣        寺地千穂    初詣権太坂うえヘリの音          高野芳一    冬の蜂軽く歩まず歩きけり         大井恒行  次回、第14回「きすげ句会」は2月16日(木)、兼題は「雪」。        撮影・鈴木純一「梅一輪白と決めたら白で咲く」↑

馬場龍吉「どの筆も平和と書きて進級す」(『ナイアガラ』)・・

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    馬場龍吉第一句集『ナイアガラ』(北辰社)、装丁は著者自装。その「あとがき」に、   俳句とは関係ないものの句集名『ナイアガラ』は二〇一三年十二月三十日に他界された敬愛する作曲家大瀧詠一氏のナイアガラレーベルの「ナイアガラ」から頂いたものです。 (中略)   さて本題の句集ですが、句集を編むという考えは句作当初から持っていなかったので自作を控えてはおらず初期から近年までの大半の作品は失っています。  季語と俳人はお釈迦様と孫悟空のような関係で、季語をどこまで扱っても季語を従え越えることはあり得ません。季語はお釈迦様であり宇宙なのですから。  遅筆なためようやくたどり着いた一書。とはいえ琴線に触れるものがあるという保証はありません!ので笑ってお許しを!  とあった。とはいえ、集名に因む句は、     名を問へばナイアガラとぞ作り滝     龍吉  ではなかろうか。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    玉虫のこの世の色をつくしけり   居居居なつうぐひすや去去去   ことしまた風鈴の釘つかひけり   吹越と海の雪とが混じりあふ   竜天に昇り煙は地を這へる   とつてもとつてもとつても草じらみ   日向ぼこしてゐる影のありにけり   釣銭の落ちてこりがる海市かな   淡雪のここで川音変はりけり   頬杖をつかなくなつて四月馬鹿   さくらさくらくらくらさくらちりぬるを   兵隊サン未ダ還ラヌ敗戦日   有形はいつか無形に流れ星      悼 大野朱香   さみしきは君の手折りし男郎花     (〈これはもう裸といへる水着かな〉句集『はだか』の著者                      二〇一二年九月逝去)    歔欷 (きょき) をもて水に浸みゆく律の風   目をつむる紅葉のこゑに触るるとき   空よりも雪の明るき日本海   波は過去を砂にかへゆく寒霞   馬場龍吉(ばば・りゅうきち)1952年、新潟県見附市生まれ。 ★閑話休題・・「マンガ家・つげ義春と調布」展(調布市文化会館たづくり2階北ギャラリー・無料・1月22日まで)・・  「マンガ家・つげ義春と調布」展」(於:調布市文化会館たづくり2階北ギャラリー)2023年1月5日(木)~1月22日(日)10時~18時。愚生の予定によると、本日しか行ける日がないので、調布まで出かけた。

岩田奎「閉込めし鹿毛(ろくもう)一縷初氷」(『膚』)・・

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  岩田奎第一句集『膚(はだえ)』(ふらんす堂)、櫂未知子の帯の惹句に、 ありきたりの身体感覚を彼は言語にしない。 自らの体も心も凌駕する言葉を、力強く選び取る力が/岩田奎にはある。天才と呼びたくない。 俳壇は今、畏るべき青年をたしかに得たのである。 とあり、佐藤郁良の跋の中には、    赤い夢見てより牡丹根分かな    にはとりの歩いてゐたる木賊かんさ    日に揺るる藤の実の裏おもてかな  『膚』にも収録されているこれらの句は、角川俳句賞受賞作「赤い夢」の中の句である。一句目の表題作はかなり感覚的だが、二句目や三句めは決して派手ではない写生句と言ってよいだろう。だが、一見地味に見えるこれらの句にも、そこかそこはかとない華がある。そこが岩田奎という俳人の魅力だと、私は思っている。 (中略)  見たものを見たままに詠んでいるのに、言葉の選択ひとつで、こんなにも句に華が生まれるのである。これは奎君の俳句の最大の強みだと言ってよいだろう。     とあった。また、著者は「あとがき」に、   題は膚にした。事物の表面にある、ありのままのグロテスクな様相を写しとることをちかごろは究めたいと思っている。またアレルギー体質の私にとって皮膚とは激しいヒステリーのたえず生起する自他の境界でもある。 と記している。集名に因む句は、     夜店から見えてうすうす木の膚       奎 であろうか。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。       三十三間堂     千手観音どの手が置きし火事ならむ    樹下を出てきれいな蛇のままで撲たる    しりとりは正者のあそび霧氷林    雪兎昼をざらざらしてゐたる    逃げ水を轢きたるあとはだれも見ず    憲法記念日白馬白蛇みな死ぬる    雲を見るはるかな角の伐られけり    立ちて座りて卒業をいたしけり    翡翠とわれとだまつてゐれば翔ぶ    空豆は薄き二片に分れけり    棗とhさ思ふかすかな雨の奥    日向ぼこ大きな友は疲れけり       岩田奎(いわた・けい) 1999年、京都生まれ。       撮影・中西ひろ美「寒土用角をまがって行くしっぽ」↑

小山玄紀「綺麗な面探すばかりの日曜日」(『ぼうぶら』)・・

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 小山玄紀第一句集『ぼうぶら』(ふらんす堂)、序は櫂未知子、それには、 (前略) たとえば、、篠原鳳作の〈しんしんと肺碧きまで海の旅〉につき、筆者は少し書いたことがある。それは、俳人がいう「この句には夏の季感がある」からいいのではなく、この句は無季だからこそ価値があるのだ、といった論の展開の仕方だった。ある人がこの句を夏らしいと思い、またある人が秋らしいと思ったところで、それが何になるのだろう。無季の作品は、それが「季感がない」からこそ、価値がある。「肝を据えて」「季語を選択しなかった」ことにこそ、この句集には価値が生まれるに違いない。  と記し、また、跋の佐藤郁良は、  (前略) 私は今まで多くの若者を育ててきたが、その中でも玄紀君はとびきり優秀な青年である。編集などの実務能力が高いばかりでなく、俳句に対する姿勢も誰よりも真摯であるし、さまざまな場面で他者への気遣いもできる。この春からは医師として第一歩を踏み出し、幸せな結婚も決まった。何ひとつ不自由のない順風満帆な人生を歩んでいる。  その一方で、玄紀君は、どこか現実の世界に馴染み切れない「渇き」のようなものを感じているのではないかと思うことがある。あるいは彼は、それまで自覚していなかったそうした「渇き」に、俳句を作り続ける中で気づいたのではないだろうか。 と記している。そして、著者「あとがき」は、   私自身の脆さや弱さを恥じずに晒すことができたならば、「ぼうぶら」という名前に敵った句集になったと、胸を張って言えます。 と結ばれている。集名に因む句は、    一人一個ぼうぶら持つて前進す      玄紀 であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい(蛇足かも知れないが、作品は、現代仮名遣いの方が相応しいかも)。    龍の玉探りて鳩は無数なり   掌を拭いて遠くの声のこと   井戸と駅行つたり来たりする少女   結界を出でゆく卵数へをり   後から氷の匂してきたり   遠ざかりつつ友人は楔形に   心太一本づづは曇らずよ   秋の瀧撮らむとすれば誰か泣く   傍に蝶凍つる印の浅い歌声   桃色のピアノの内の豪雨かな   みどりごの肉へと冬のピアノかな   襞一つなきスカートも春氷   棘描くうちにすつかりよくなりぬ   蝸牛そろそろ錆びてもらふ頃   トンネルと死後といづれが涼しいか  

山岸由佳「うらみつらみつらつら椿柵の向う」(『丈夫な紙』)・・

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    山岸由佳第一句集『丈夫な紙』(素粒社)、栞文に石寒太「感性プラス旋律の広がりをー山岸由佳『丈夫な紙』讃」。その中に、  (前略) 石寒太君 その俳句に就て問ひたまふ      とりたてて言ふべき事もなけれど 自らかへりみて      一、俳諧は自得のほかなしと存じ候      一、頭の藝より足の藝重しと存じ候      一、俳諧は人間の實證なりと存じ候                   達谷山房 (雅印略)(中略)    山岸由佳さんの俳句は、はじめから彼女の感性があり、そこに惹かれていながらも、もうひとつ強さが足りないところが不満であり、そこを極めて欲しいといつも思ってきた。 (中略)   それが今度の句集には、はっきりと出はじめている。巻頭と最後の方の一句を引く。   汗引いてゆき百年のシャンデリア   いまも蛍シャンデリアの灯に手を置きぬ  また、見たものを視覚的に表現した句だけではなく、一句の中に視覚、聴覚その他の感覚がともに生かされた句もかなりある。 (中略)    うらみつらみつらつら椿柵の向う  この句に出会って、由佳さんはみごとにひとつの世界を獲得した、そう思った。伝統的な「つらつら椿」をさらに自家薬籠中のものにしている。こういう余裕こそが俳句表現の独自性でだり、俳句の幅にもつながる。今どきの俳句は意味のみに頼りやすい。俳句においての意味はもっとも大切であるが、同時に韻律(リズム)もその中に求めて欲しい。それが俳句という詩型だ。     とあった。集名に因む句は、    黄のカンナ丈夫な紙を探してゐる      由佳 であろう。ともあれ、集中より愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。    黒揚羽蜜吸ふうへを人渡る   赤い羽根濡れないほどの雨の降る   水底を覗き青葉に囲まるる   カンナから土砂降りの橋見えてゐる   黒葡萄とどく夜空の入れ替はる   芒よりあらはれ少年とは言へず   水のうへのこゑすれちがふ桜かな   レフ板のひかりとほくに凧   傘の柄に蒲公英の絮もうすぐ行く   藻の花のひらいて水の忘れゆく  山岸由佳(やまぎし・ゆか) 1977年、長野県生まれ。          撮影・鈴木純一「ひかりあり泉下の水のうごくらし」↑

尾崎紅葉「二十世紀なり列国に御慶申す也」(『尾崎紅葉の百句』)・・

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  高山れおな『尾崎紅葉の百句』(ふらんす堂)、副題に「もう一つの明治俳句」とある。巻末の「紅葉が俳句でめざしたもの」に中に、  紅葉の本名は尾崎徳太郎。慶応三年(一八六七)十二月十六日、江戸は芝中門前町に生まれた。父は角彫 (つのぼり) の名工で、幇間“赤羽織の谷斎 (こくさい) “としても知られた花街の名物男だった。紅葉と子規が同齢であることは本書冒頭で述べたが、他にも夏目漱石、幸田露伴、斎藤緑雨が同じ年に生まれている。 (中略)  紅葉が子規の存在をいつから意識するようになったか詳らかにしないが、「獺祭書屋俳話」の連載は見逃したとしても、翌年に出た単行本を目にした可能性はあるだろう。子規が紅葉を半ば妬み、半ば軽蔑していたとして、紅葉の側はどうだったか。紅葉が子規を妬むことは考えにくい。社会的名声も収入も紅葉の方がずっと上なのだから。しかし、ムカツクことなら大いにあり得た。こと俳句に関して子規が端倪すべからざる相手であることは歴然としており、悪いことには(?)紅葉もまた子規に劣らず、俳句が大好きだったからである。  そして、本書の結びには、   以前、「俳句」誌の文人俳句特集(二〇二〇年六月号)で紅葉について書いた時、先ほど挙げた〈星食ひに〉の句を引きながら、紅葉の俳句の核心を一語で表すなら「きほひ」がそれだと述べた。〈言語遊戯的なものを含めた言葉の「きほひ」が、線の太い奇想的なイメージと相乗した時、最も紅葉らしい魅力を発揮する〉ー今もこの考えに変化はないものの、他方、さらに調べるべき点、なお考究するべきポイントが次々に出てきている。それほど遠くない将来、今回とはまた別な形で、紅葉について書くことができればと思っている。 と述べている。本書中、一句のみだが鑑賞文を挙げておこう。      星食ひに揚 (あが) るきほひや夕雲雀   明治二十九年                         (一八九六)  〈きほひ〉は漢字交じりに書けば「競(きほ)ひ」である。激しい勢い、気勢ということ。星が輝き始めた夕空へ雲雀が飛び立ったさまを、思い切った比喩で捉えた。村山古郷は掲句を含む数句を挙げて、〈擬人法のための擬人法〉を弄するものとして批判する。 (中略) こうした批判自体が今やずいぶん時代がかって感じられる。一方、夏石番矢は掲句を〈大胆な想像を注入〉した作として賞賛

後水尾院「波風を嶋のほかまでおさめてや世を思ふ春もきぬらむ」(『修学院夜話』より)・・

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 木村草弥詩集『修学院夜話』(澪標)、その「あとがき」に、   『修学院幻視』を出してから丸二年経った。 (中略)   題名については続編なので、Ⅱとか「続」とか「余話」とか色々考えたが「夜話」にした。  文人であった後水尾院が仲間を集めて談論風発される夜話、という趣向である。  半分は後水尾院とは関係ないが、ページ数の関係とお許しいただきたい。   短歌誌である「未来山脈」に載せたものは、私としては散文の「短詩」として書いたものなので敢えて「詩集」としての扱いにしたので、そのように読んでもらいたい。  とある。その「短詩」は、各編一題のもとに、各10行でおさめられた定型の詩と言ってもいいだろう(ソネットが12行であるように)。その短詩の中から一編を挙げておこう。           シラ  気象、天候、大気、世界そして宇宙をエスキモーは「シラ」と呼ぶ  それは天候を司さどる精霊の名でもあった  狩猟民にとって天候は成功のための必要条件である  彼らは「シラ」を自然界の精霊の一つとして崇拝した  「シラ」は人間が恐れる自然現象によって語りかけてくる  太陽の光や静かな海、無邪気に戯れる子供を通じても語りかける  子供たちは女性のような静かで優しい声を聞くのだ  ただ彼らは何かの危険が迫り来ることも聞くのだ  誰も「シラ」を見たことはない。その所在は謎である  たった今、人間界にいたかと思えば無窮の彼方へ消え去る   あと一例、「八条宮智仁親王添削歌」と題する中の、ほんの一部分を引用紹介しておきたい。   後水尾院が若い頃に、父君の弟つまり叔父の八条宮智仁親王から「古今伝授」を受け入れられたことが記録に残っている。 (中略)   先が院の元歌。次が添削済みの完成した、「御集」に載る御歌である。カッコ内は御集の歌番号。 ■ふるほどは庭にかすみし春雨をはるる軒端の雫にぞしる  降るとなく庭に霞める春雨も軒端をつたふ雫にぞ知る(一一七四) ■もらさじなそれにつけてもつらからば中々ふかき恨もぞそふ  もらさじなそれにつけてもつらからば深からん中の恨もぞそふ(一二一七) こうして見てくると、八条宮の添削が、極めて的確であるのが判る。しかも添削に当たっては、なるべく後水尾院の元歌の語句を残して巧く直してある。 八条宮の添削のうち、記録に残っているのは六十首ほどである。 因みに、八

中西夕紀「白魚の雪の匂ひを掬ひけり」(『中西夕紀句集』)・・・

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   現代俳句文庫87『中西夕紀句集』(ふらんす堂)、解説は筑紫磐井「作家論 騎馬する少女ー中西夕紀論」と堀切克洋「恋心、あるいは執着についてー中西夕紀第四句集『くれなゐ』」である。他に、中西夕紀のエッセイ「生涯の一句集 竹田小時」、「群青忌と藤田湘子」を収める。筑紫磐井は、その結び近くで、  最近「都市」の編集後記を読むと、中西は「俳人は俳句だけ作っていればいいと言う時代は終わったのではないでしょうか。これからは、俳句の方向性を探るために、『考える』ことを結社をあげてやっていきたいと思っています」と述べているが、私の考えに共感してもらえたのと、指導者らしい態度が明確になってきたようで嬉しい。指導者には理念が必要なのである。理念の後に、実作もあり、指導もある。藤田湘子が中西夕紀に示したのは、そうした姿であったと思っている。 と記している。また、堀切克洋は、     業深く生きて霜焼また痒し  さてこの句が、どこまで作者の本心であるか。少なくとも、読者には作者の「業」がどれほど深いものであるか、それほどうまく想像できない。席題でつくられた遊びの句のようにさえ、思われてしまうのは損なことかもしれない(句会で出たらわたしも採るとは思うけれど)。あえて「業深く生きて」といえるほどの業はそれほど感じられないのも事実なのだ。だからこれも、内面的な吐露というより、むしろ無頼への「あこがれ」と解するほうが、至極当然なのかもしれない。  と述べている。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句をあげておきたい。    猫の恋シャワー激しく使ひけり      夕紀    桔梗とひとつこころの正座かな   涅槃図を落ちて濁世のかたつむり   妣の手も蛍を招くその中に   芽柳や水かげろふのかけのぼり   蝋燭の頌 (じゅ) と消えにけり都鳥   いくたびも手紙は読まれ天の川   春愁のバンドネオンのぶんちやつちや       悼 大庭紫逢   噎せ返る百合の小路を残さるる   蘆の中蘆笛鳴らせ無為鳴らせ       悼 宇佐美魚目先生   邯鄲や墨書千年ながらへむ   逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花   鶴飛ぶや夢とは違ふ暗さもて   中西夕紀(なかにし・ゆき) 1953年、東京生まれ。        撮影・中西ひろ美「旧年や同じところに忘れ物」↑

高岡修「氷瀑(ひばく)せよ氷瀑せよとて野スミレが」(『蝶瞰図』)・・

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 高岡修第9句集『蝶瞰図』(ジャプラン)、巻末のアフォリズムに、    終末時計に刻まれてゆくどんな季節を僕らは生きているのか。おそらく僕らがいま経験している季節は、これまでも誰もが知りえなかった季節である。( 中略)   どんな飛行機雲だって、その中核に塵埃がなければ、遥かな空の高みに結晶することはできない。 (中略)   死は豊穣であるという地平において、詩も豊穣である。生の本質は、むしろ死の方から照らされる。言葉の世界もまた豊穣な死によって満ちみつる。 (中略)   詩人が詩を創るのではない。書いた詩によって詩人が創られるのだ。そのように、詩語が詩を創るのではない。書かれた詩によって詩語が創られる。 (中略)  物象は意味を語らない。その存在を示すだけである。俳句もまた意味を語ってはいけない。固有の言語空間を示すだけである。 (中略)  言葉を極限まで削るということは、伝達性を拒絶することだ。ゆえに俳句は、伝達性を拒絶しながら伝達するという大いなる矛盾を体現している。完成された俳句を容易に日常の意味へと還元してはならない理由がそこにある。 (中略)  今、ここで思う。今、ここで書く。そこが深夜の一室であろうと、そこがどれほど無機質な場所であろうと、今、ここで書く。それが現代文学の姿である。俳句においてもその現在性が重要なのだ。 (中略)  俳句にあって、私たちはむしろ、一句の内在律をこそ、優先させなければならない。おそらく俳句作品における至福とは、内在律と外在律との一致である。 (中略)  俳句は文学である。文学の世界とは」精神の底なし沼である。溺死せざるまま誰ひとりとして渡ることはできない。 (中略)   そうして君は、遥かなる未来の記憶をこそ俳句で刻印しなければならない。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。     野の涯てにけぶるは蝶の溶鉱炉          修     死の永久 (とわ) よ汝 (な) が卵管を我は降 (くだ) り    陽炎のヴァギナに舌を挿し入れる    鳥籠で飼う春愁もあり鳴ける    手花火が手の淋しさを照らし出す    初ぼたる飛べば真闇が嗅ぎにくる    戦争に 引火してゆく秋スミレ    それぞれの非在明るき秋の葬     動悸して我が影動悸せるを見き    しんかんと日が死