鴇田智哉「ひだまりを手袋(てぶくろ)がすり抜けてゆく」(『教養としての俳句』)・・


 青木亮人『教養としての俳句』(NHK出版)、目次をみると、「第一章 俳句とその歴史を知ろう」「第2章 『写生』って何?」「第3章 『季語』を味わう」「第4章 俳句と、生きているということ」とある。その「はじめに」の冒頭に、


 俳句を教養として学び、味わうこと。これが本書の目的です。

「教養」とは、名句を詠(よ)むためのコツやテクニックを身につけたり、俳句や詩歌の歴史を詳細に知るということではありません。むしろ生き方に関わるようなことであり、つまり俳句を通じて私たちの生き方がどのように変わり、いかに深まるのか、というのが本書の主眼です。

 生き方、と記すと大仰(おおぎょう)に響くかもしれません。それは次のような情景にひととき心を奪われる体験の別名と捉(とら)えた方がよいでしょう。

  まさをなる空よりしだれざくらかな     富安風生


とある。また、「第4章 俳句と生きているということ」のなかの一例を挙げておくと、


   ひだまりにを手袋(てぶくろ)がすり抜けてゆく    鴇田智哉

 冬の公園あたりを想像すると良いかもしれません(「手袋」が冬)。小春日和(こはるびより)の公園で手袋をはめた人が散歩しているのでしょう・・・と、このような説明と句の印象はかなり異なります。

 作品からは、手袋だけがフワフワ浮いたまま日だまりをすり抜けてゆくような情景が思い浮かびますし、白昼夢に近い雰囲気すら感じられる。こういった俳句は、季語や五七五の定型とともに言葉を駆使することで、見慣れた平凡な情景を見たこともない世界へ変貌させ、日常世界がいかに不思議な息吹に満ちているかを体感させてくれます。


 と記している。ともあれ、本書より句のみになるが、以下にいくつか紹介しておこう。


  スリッパを越えかねてゐる仔猫(こねこ)かな   虚子

  柿喰(かきく)へば鐘(かね)が鳴るなり法隆寺(ほうりゅうじ) 子規

  寒鯉(かんごい)の美(うつく)しくしてひとつ澄めり  秋桜子

  長き橋を長渡(ながわた)りせり春風(しゅんぷう) 三橋敏雄

  なめくぢも夕映(ゆうば)えてをり葱(ねぎ)の先   飴山 實

  はつらつと揚(あ)がるコロッケ冬はじめ       奥坂まや 

  黒猫(くろねこ)の子(こ)のぞろぞろと月夜(つきよ)かな 飯田龍太 

  ロールケーキ切ればのの字のうららなる        相子智恵

  ちるさくら海あをければ海へちる           高屋窓秋

  卒業の空のうつれるピアノかな            井上弘美


 青木亮人(あおき・まこと)1974年、北海道小樽市生まれ。

 


       撮影・鈴木純一「大寒や人を恋ふるは棘のさが」↑

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