田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

 

 岩田奎著『田中裕明の百句』(ふらんす堂)、「はじめに」には、


 本書の想定読者は、俳人ではない。まず、俳句と無関係な人文系の学部一年生。つぎに、むしろ短歌や川柳、現代詩の方に親しいヒト、あるいは鑑賞力をつけたい高校生や初学者。これらの人を念頭に書かれた本だ。(中略)

 そして、それをつとめて外部向けに解剖する鑑賞があれば、それは裕明俳句だけでなく、他の俳人が書く今日の俳句の楽しみ方のガイドにもなるのではないかという大それた仮説が本書のコンセプトだ。もちろん、俳人にも歯応えのあるものをこころがけたつもりだが。


 とあった。百句シリーズはどれも、右ページに一句を置き、左ページに解説がレイアウトされているが、その二例を紹介しておこう。


   みづうみのみなとのなつのみじかけれ    『夜の客人』

 俳句、とくに田中裕明の第一の鍵。声に出して音やリズムで味わうこと。俳句は意味だけではないのだ。(中略)ここで音韻をみよう。四つの「み」(そのうち三つは頭韻を踏んでいる)と二つの「な」がなめらかに流れていく。その韻律の上質なさびしさが宿る。「みじかけれ」は已然形だから文法上は破格なのだが、なにかそのあとに続いていきそうな気配がする。もちろん平仮名表記も味のひとつ。

 季語=夏(夏)


   去年今年人の心にわれいくつ    遺稿

                    二〇〇四・一二・二九

 去年今年(こぞことし)とは、一夜を境に年が改まる不思議な感覚を捉えた言葉。いよいよ零時になるというとき、ふと思った。いま、それぞれの家で年を越しながら、誰か自分のことをちらりとでも気にかけて思い浮かべてくれたりはしないだろうか。何人の心に自分はいるだろうか。そんな人間臭い自意識。(中略)この句を書いて翌十二月三十日、五年弱患った骨髄性白血病にる肺炎のために、裕明は新年を迎えることなくこの世を去った。享年四十五。

 季語=去年今年(新年)


 ともあれ、以下に、句のみになるが、本書よりいくつか挙げておきたい。


  空へゆく階段のなし稲の花       裕明

  たはぶれに美僧をつれて雪解野は

  大学も葵祭のきのふけふ

  をさなくて昼寝の国の人となる

  水遊びする子に先生から手紙

  箱庭にありし人みな若かりし

  悉く全集にあり衣被

  小鳥またくぐるこの世のほかの門

  渚にて金沢のこと菊のこと

  目のなかに芒原あり森賀まり

  原子炉に制御棒あり日短

  

 岩田奎(いわた・けい) 1999年、京都生まれ。



            左より、大木あまり・愚生・田中裕明↑

 ★閑話休題・・田中裕明との写真が出て来た!!(撮影日不明)・・


左から三番目に中原道夫・正木ゆう子・渡辺和弘・田中裕明・四ッ谷龍・冬野虹↑


左から三番目に田中裕明・右端に山岡喜美子↑

 こんな偶然があるのだろうか。不思議だ。本書『田中裕明の百句』のブログを書こうと思い、本書を読んでいる最中のこと。別の探し物をしていたとき。書類袋の中から、田中裕明と新宿?で撮った写真が出て来た。愚生は、写真をアルバムに整理する習慣もなく、プラスチックのケースやビニール袋などに、放り込んで、まったくそのままにしている。

 上掲の一緒の写真におさまっている四ッ谷龍あたりは、きっときちんと記録していると思うが、記憶力も弱い愚生では、いつごろのことかもはっきりしない。田中裕明が上京してきたときであることだけは間違いないだろうと思う。

 とにかく、デジカメで複写してみたものをここに紹介しておきたい(上掲写真)。


      撮影・芽夢野うのき「一夜一刻待っていたのよ野分」↑ 

コメント

  1. 裕明がたぶん出張で東京に来たとき、ふらんす堂の山岡さんの肝入りで『櫻姫譚』の出版祝いを新宿3丁目でやった際の写真です。基本的に中原道夫さんが撮影したものですが、2枚目は山岡さんがシャッターを押してるようです。3枚目は花園神社。

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