投稿

1月, 2024の投稿を表示しています

高山れおな「みづ しづか くゞひ くるひて みな しづか」(「現代俳句」2月号より)・・

イメージ
 「現代俳句」2月号(現代俳句協会)の「百景共吟」のコーナーは、神野紗希と高山れおな。「新作現代俳句十句」は宮坂静生「われは碿(ずり)」、その句評は筑紫磐井。論考に、高木宇大「曲線直線/AIの主宰」、井口時男「新興俳句逍遥(10)/戦争とイロニーと俳句」。講演録に赤坂憲雄「あくまで文学的な、武蔵野語り」(第60回現代俳句全国大会 講演)、川名大「稿本『白泉句集』のなりたち」(第48回現代俳句講座講演)、エッセイに髙橋宗史「俳句と自由詩のはざ間で」など、充実の号である。ともあれ、本誌本号より、幾つかの句を挙げておこう。    泥かぶるたびに角組み光る蘆        高野ムツオ    相見ての親子岩かな初茜           安西 篤    黒板に冬野と書けばたちまち風        神野紗希   青天の音なき音や山眠る           垂井道夫    地下壕を掘りし厳寒われは碿 (ずり)    宮坂静生    この星に棲みにんげんである         中岡昌太    軍港へ続く勾配枇杷の花           小山健介      エリザベスカラー冬空と交信す        中島加奈    みんないて一人がいない終戦日        浅野浩利   子を撃つな子よ撃たれるなこども日      川崎果連   初夢に黄泉を案内してもらふ         田口 武               旧・山口サビエル教会の模型↑ ★閑話休題・・「山口高校第73期同窓会」(於:ミュージカンテAMANE)・・                                      山口高校応援歌がスクリーンに↑                唄うオーナーの関周↑  昨夕、1月31日(水)16時~19時は、JR埼京線十条駅近くの「ミュージカンテAMANE」で、首都圏在住の「山口高校第73期同窓会」だった。愚生は、30数年ぶりの参加であった。お互いに老いて、名前と顔を一置させるのが大変だった。聞けば、店のオーナーが関周(せき・あまね)、山口高校第87期の卒業生で、同期に重松清がいたのだという。  集まったのは15名ほど。すでに皆、好奇?高齢者なれば、中には足腰弱くなって参加できず、残念がっていた人もいたらしい。参加費4000円は、じつに破格だったかも・・。ついでだから、オーナーの紹

村蛙(そんえ)「亀の鳴く闇は意外とあたたかい」(『わたしといてよ、パパゲーノ』)・・

イメージ
  村蛙(そんえ)『わたしといてよ、パパゲーノ』(私家版)、序は著者。跋文は西村麒麟、それには、  村蛙さんが俳句結社「麒麟」の句会に来て下さった際、口には出さなかったけれど、面白そうな人が来てくれたことを喜んでいました。本書はそんな村蛙さんが俳句を始めて十年の節目の作品集。まず冒頭の次の一文が目を引きます。   「句集を作ることは実は誰にだってできます。」  これは実際その通りなのですが、正確にはちょっとだけ違います。(勇気があれば)誰にだってできます、が正しい。村蛙さんはその勇気がある人です、そのような人は、俳句においても前へ進めます。 (中略)  その時にしか生まれなかった俳句があることを、本能的に知っている人なのでしょう。  優しく、強く、鈍く、鋭い、人間の持つ矛盾の魅力を存分に教えてくれるような、そんな作品をこれからも見せて欲しい。  とあり、また、著者の序「いくつもの世界の中で」には、   この句集は、主に過去四年間にわたってとある賞に応募した作品をまとめた、いわば一人落選展のようなものです。そんなものをまとめて何になるかとも思うけど、この四年のうちに、私に俳句を教えてくれた祖父、祖母、そして同い年の友人がこの世を離れていきました。皆さんにとってもそうだったように、私の生活と俳句を大きく変えた過渡期であったことは間違いない事実なのです。  そして、去年は俳句を始めて(公式には)十年という節目でもありました。在仏日本人句会ラ・セーヌや座☆シーズンズを経て、今は山河と麒麟という二つの句会に在籍させていただいています。山河では今年結社賞をいただいたこともあり、何も残さずに亡くなった友人のことを思うと自分は一つでもマイルストーンを残せたらという気持ちにもなりました。彼女のことを覚えている人は少ないけれど、タイトルにもなった作品集の中で、私は彼女のことを残せると思ったからです。   とあった。集名に因む句は、     日永だし私と居てよパパゲーノ         村蛙  であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。     他宇宙の昼の一つを迎えたり    早送りしてしまひたき桜道    ほうたるに合はせて息をしてをりぬ    クリームソーダそこにあるのは永遠ですか    魔女にならもうなつてゐるハロウィン    神の留守さうだお前

大井恒行「ダモイ(家へ)また聞くに堪えざる春隣(ウクライナ)」(「俳句界」2月号)・・

イメージ
 「俳句界」2月号(文學の森)の特集1は「俳句評ノススメ」。執筆陣は、巻頭論に岸本尚毅「 『〇〇評論』というもの 」(俳句評論ノススメ)、論考に青木亮人「 通説や先入観をいかに揺るがすかー資料を読む大切さについて 」(俳句評論へのステップ)、今泉康弘「 お金にはならないが、心に残る文章を書く方法 」(私の評論執筆法)、岡田一実「 彫琢 (ちょうたく)」、坂本宮尾「 俳句評論の出発点 」(名俳句評論ベスト)、筑紫磐井「 写生を超えた三つの評論 」、依田善朗「 俳句の本質を考える評論 」。  久々に印象深かったのは「 佐高信の甘口でコンニチハ!/関西生コン事件の真実 」、ゲストは弁護士・久堀文。その中に、 (前略) 佐高 労働組合というものが目の敵にされているからなんだよな。だから、検事が組合から「抜けろ」なんて言う。  久堀 そうなんです。関西生コン事件では、検察官が取調べ中に、組合員に対し組合を辞めるように勧めたり、「連帯(関西生コン支部)をこれからどんどん削っていく」とも言ってます。これは、単に検事個人の考え方からの発言ではないと思うんですよ。検察内部で、意思統一があるんじゃないかという気もしています。  (中略)  久堀 だから、関西生コン支部は、コンプライアンス活動も進めています。会社が、生コンへの加水などの違法行為がないよう、監視しているんです。  佐高 労働組合は、労組者が自らの待遇改善だけを求めているわけではなく、ある種、公共の安全を守っているんだという点をわかってほしいね。それなのに、次々と逮捕して、労働組合員と犯罪者をいっしょくたにしているよな。  久堀 しかも、ほとんど前科もなにもない方が多いのに、罪を認めないからということで検察官は保釈に大反対し、裁判官はなかなか保釈を認めないんですよね。保釈を認めてほしいがために、組合を辞めた人は大勢います。まさに人質司法です。本当にひどい。  佐高 裁判官、検事もそうだけど、どんどん劣化しているよね。  久堀 本当にそう思います。人の心がないというか。現在の関西生コン支部の委員長は六四四日間も勾留されました。今年三月に大津地裁で実刑判決が下されて、控訴中です。この判決を読んだら、そもそも労働法への理解が全くないと思いました。 佐高 裁判官とか、労働法を勉強しなくてもなれるんだな。あるいは意図的にしないのかもし

安部いろん「風が鬨覚えていたる瓶原(みかのはら)」(「歌枕の句会」)・・

イメージ
  本日、1月28日(日)は、「歌枕句会」(於:国分寺・殿ヶ谷庭園紅葉亭)だった。招請状には、  『 歌枕辞典』(東京堂出版)の〈はじめに〉には、「歌枕」は架空の地であると言って良いのかも知れない、とも書かれています。いかがでしょう「歌枕」という題詠で架空の地に遊んでみませんか?  (幹事・中西ひろ美)  とあり、開会では、これで、「 枕詞句会 」「 前書き付句会 」、そして今回の「 歌枕句会 」で、ひとまず三部作の句会となります、と中西ひろ美が述べた。愚生にとっては、今回の「u歌枕」使って俳句を詠むというのが一番難しかった。面白いのは、なかでも、歌枕と枕詞の区別が分からない句もあった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    ひとを見る目のないひとの袖のうら (そでがうら)   鈴木純一    筑波嶺 (つくばね) の淵を見たさの裸木は           中西ぎろ美    外ヶ浜 (そとがはま) ところどころの枝の数       松本光雄    能登は豪雪ゴドーを待ちながら            安部いろん    ぬばたまの冬の金魚はすぐ沈む            ますだかも    蝦夷 (えぞ) の夏滅びし者の列に着く          瀬間文乃    寒紅やうらみつらみの二見浦 (ふたみうら)      中内火星    逃げ水の逃げかくれたり相模原 (さがみはら)     大井恒行      撮影・中西ひろ美「北風は春をさがしているのでる」↑

押見淑子「能登になお余震のつづく凍鶴忌」(「「山河俳句会・新年会」)・・

イメージ
                  山本敏倖代表↑   本日は、アルカディア市ヶ谷で、「山河俳句会・新年会」(代表・山本敏倖)だった。愚生は、講話で「折笠美秋へのお見舞いメッセージ」と題して、折笠美秋について少しお話をして、その後は約30分間、録音された折笠美秋への声の見舞いメッセージを聴いていただいた。  音源は、1983(昭和58)年3月、大阪で行われた、赤尾兜子青春遺句集『風偏に犬三匹の漢字(はやて)』の出版記念兼赤尾兜子を偲ぶ会の二次会と東京での三橋敏雄と高屋窓秋の声を高柳重信がテープに録音して、美秋へのお見舞いにしたものだ。おまけに、替え歌で、重信による「新興俳句の唄」と「しづかに/しづかに/耳朶色の/怒りの花よ」の歌も入っている。声の主は、今はみな冥界におられる高柳重信・和田悟朗・鈴木六林男・宗田安正・桂信子・三宅美穂・小泉八重子・高屋窓秋・三橋敏雄の面々(収録順)。   新年句会は二句出し、6句選(内1句特選)。愚生は、挨拶句として、     彫り初めの木の香めでたき山河かな       恒行  を投句したが、それと分かって選をされたのは山本敏倖であった。小倉緑村創刊の「山河」は今年75周年を迎えるという。様々な企画を用意されているようだ。ともあれ、以下に、いくつかの句を挙げておこう(愚生は、耳が少し遠いので、全ての作者名を聴きとることが出来なかった。お許しあれ)。    余震なお抜けない棘のように雪        小池義人    寒北斗ぱたんと閉じる棺窓         栗原かつ代    波の花掬えば風の声がする          押見淑子    新年会空けておきたし席二つ        斎藤佳代子    白菜の尻キュッと鳴る初荷かな        秋谷菊野    春まだき黙の重さをはかりかね        泉 信也    鮟鱇鍋仮の世ならば仮住まい         中山愚海    いつまでも長女白鳥にはなれず        釜田二美    象の背のうぶ毛の光る冬うらら        絲布みこ    床 (ゆか) に指とどく前屈春まぢか      勝山京子    年迎え心に金継ぎ施して           雨宮葉風    木は森に帰りたがりて冬の鳥        植田いく子    去年今年行先未定の路線バス         岡田恵子    息合せ「お

関根幸子「元旦の能登にアラーム鳴りやまぬ」(第169回「吾亦紅句会」)・・

イメージ
  本日は、第169回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「氷」。句会ののちは立川駅前「がんこ」に移動して新年会。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    大口を開けて笑うや初閻魔            佐藤幸子    厚氷夜の光の留まりぬ              田村明通    踵 (かかと) から大地踏みしめ年新た       松谷栄喜    妣逝きし齢 (よわい) を越えてなずな打つ     西村文子    初恋を薄氷へ閉じ去りにけり           高橋 昭    ないにふる涙切なき寒の町            村上さら    踏み破る音の楽しき氷かな           折原ミチ子    吾を皆追い越して一月の道            牟田英子    缶コーヒー懐に入れ寒の入り           武田道代    花八ツ手地道なくらし貫きて           渡邉弘子   背を流す友の欠けたる初湯殿          吉村眞善眞    母と子のジャンケンポイで初笑          奥村和子    氷削 (さ) く釣り糸垂らす榛名湖よ       佐々木賢二    老いの春マリアと列んで塩ラーメン        須﨑武尚    氷上に妖精舞ふはジャネットリン         関根幸子    初場所に希望 (ゆめ) も届けよ能登の国     三枝美恵子    人気 (ひとけ) なき枯木に光る氷柱かな      笠井節子      氷にも愁いはひそむわが近江           大井恒行  次回は、2月23日(金)、兼題は早春。 ★閑話休題・・現代俳句協会主催「図書館ポスト10月選句結果」、題は「紅葉又は自由句」発表・・  吾亦紅句会の2名の方が「立川市高松図書館」入選になっていた。    山門が額縁になる夕紅葉        佐藤幸子    山姥の駆けおり来たる紅葉山      牟田英子       芽夢野うのき「いまひとたびの呼吸いただく龍の玉」↑

高野芳一「背に投げし言えぬ想いの雪の玉」(第25回「きすげ句会」)・・

イメージ
  本日、1月25日(木)は第25回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)、兼題は「雪」。以下に一人一句を挙げておきたい。      義母 (はは) 癒えしリハビリ前の初鏡      高野芳一    双六上がりぽつねんと独りかな         井上治男    能登ナマズ地を裂き海割る冬怒濤        濱 筆治    風邪籠り南瓜スープの黄を啜る        久保田和代   初夢に乳飲み子がおる布団かな         杦森松一    雪催い下駄に爪革蛇の目傘           清水正之    だいじょうぶ大丈夫よと梅の花         寺地千穂    寒玉子海苔と熱々の土鍋飯           山川桂子    雪よゆき降るな積もるな能登の地に       井上芳子    色恋も雪見障子の昔かな            大井恒行  次回は2月22日(木)、兼題は「梅」。 ★閑話休題・・露の紫・林家つる子、二人会「紫のつる~東へ飛ぶ~」2月24日(土)15時~於:府中市・バルトホール・・  祝!芸歴15周年・露の紫/祝!真打ち昇進 ・ 林家つる子 ー上方落語・江戸落語二人会「紫のつる~東へ飛ぶ~」(於:府中市市民活動センタープラッツ・バルトホール、ル・シーニュ5階)ー、2024年2月24日(土)、15時開演/開場14時30分・全席自由、2500円。  きすげ句会のメンバ落語家・林家つる子を応援してきた。このたび真打に昇進。バルトホール280席を満席にしたいと意気込んでいます。是非、皆さん!お誘い合わせてお出かけ下さい。      撮影・中西ひろ美「雪催いまだまだ出ない列車かな」↑

蜂谷一人「七星の柄杓をこぼれ寒の水」(『四神』)・・

イメージ
  蜂谷一人第二句集『四神』(朔出版)、巻末には、「あとがき」代わりに、「 動画的俳句論―—後書きに代えて 」がある。その中に、 (前略)  [フォーカス送り(ピン送り)]   撮影上の技法についても解説してみましょう。望遠レンズを使うと焦点 (ピント) の合う奥行きがごく浅くなるのは、「花の上に人」の句 (愚生:注「人の上に花あり花の上に人 坂西敦子」) で説明した通り。その特性を使って、意外性のある効果を上げることができます。   くもの糸ひとすぢよぎる百合の前   高野素十  ぼんやりした白い背景に、一本の光る糸が映し出されます。一瞬何かわかりませんが、風に吹かれる様から蜘蛛の糸だと気づきます。このとき焦点は蜘蛛の糸に合っています。次に蜘蛛の糸がぼやけて溶けるように姿を消し、背景が見えてきます。ぼんやりした白いものが、くっきりと姿を現し百合の花であったことがわかります。これがフォーカス送りです。手前の蜘蛛の糸から後ろの百合へ。わずか数センチ、もしかしたら1センチに満たない焦点距離の違いが劇的な効果を生み出します。 (中略)  さて、かねてより俳人たちは様々な技法に挑戦してきましたが、一句を動画として読み解くことで作品に対する理解が深まります。俳句を動画としてとらえることを不思議に思う方もいるかもしれませんが。映画評論のように様々な作品に応用し、従来の作品を再評価することも可能になるかもしれません。俳句の「秘密」をテクニカルな言葉で記述できるようになれば、より多くの人に俳句の魅力をわかってもらえるようになると信じています。  とある。集名に因む句は、    石室の四神眠らぬ星月夜        一人  であろう。その句について、帯文には、    キトラ古墳の石室には四神や天文図の壁画がありました。四神とは青龍、朱雀、白虎、玄武のこと。東西南北を守護する神獣たちです。古墳の主を守るため目を閉じることを許されない彼ら。千年以上もの闇の中で、天文図の星の光だけが孤独な門番たちを照らしていたのでしょうか。  とあった。ともあれ、集中より愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    明日は煮る繭の白さでありにけり   八月や閼伽桶に浮く金の塵   長靴を正装として鰹糶る   箱庭の家に父なき日暮かな   はつあきのあをきポケットチーフかな   沈めたるものを眠ら

島貫恵「母の日よ雲見るたびに膨らみぬ」(「俳壇」2月号)・・

イメージ
   「俳壇」2月号(本阿弥書店)、メインは「第38回俳壇賞決定発表」である。選考委員は井上弘美・佐怒賀正美・鳥居真里子・星野高士。受賞者は島貫恵「遠くまで」、次席は尾上直子「最後の子」。その他、巻頭エッセイは小林貴子「歳時記 第六巻」、その結びに、  (前略) 地球全体に俳句への関心が高まり、四季を持たない地域でますますhaikuが実作されてゆく未来に向けて、「大歳時記」も次回はぜひ、春・夏・秋・冬・新年の五冊に加え、六冊目として「無季の部」を編んでほしい。  とあった。因みに、愚生も今月号より、年4回、「俳壇時評」を老骨をさすりながら執筆することになった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。      いにしへの闇の中なる鹿の子かな      島貫 恵    あたたかしマトリョーシカの最後の子    尾上直子    啓蟄の天よりも地に誘はれ         西村和子   春隣る風の御櫛が海を梳く         原 朝子    蓮枯るる如水の智恵も及ばずに       野村亮介    絵双六白寿めざして何占ふ         大高霧海    日当りて枯れゆくものの烟らへる      松岡隆子   木菟に成れぬ梟独りごつ          西池冬扇    ごみ箱がごみに出されて年の果      渡辺誠一郎    落葉踏む音奏でゆく一行詩        稲畑廣太郎    極月の噴水に乗るちぎれ雲        上田日差子    にらむ、なげく、吼ゆる椿よいづれ汝   恩田侑布子    はるのうみ人も小舟も景の棘        髙柳克弘    太りゆく氷柱に風の記憶かな        田中葉月           芽夢野うのき「寒林や光のなかの影を抱く」↑

津久井紀代「泣くための声寒風に奪はるる」(『自句自解ベスト100 津久井紀代』より)・・

イメージ
 津久井紀代『自句自解ベスト100 津久井紀代』(ふらんす堂)、巻末に「 俳句をつくる上でわたしが大切にしている三つのこと 」がある。その中に、   (前略) 青邨から「まづオブザベーション」、観察せよと学んだ。一句の中には必ず「モノ」つまり真実がないといけないと学んだ。俳句を作る上で最も大切にしていることだと思う。曹人からは伝統俳句を学んだ。「や」「かな」「けり」の使用の魅力を学んだ。共に現場主義を貫かれた。 (中略)   青邨の「一徹の貌」も曹人の「許すまじ」も真面目であるだけどこか憎めない滑稽がある。青邨は九十六歳で天寿を全うした。 (中略)  曹人は「夏草」同人の自立を促した。「夏草」を平等に九つに分け、青邨の百年祭を済ませ、「夏草」を一代限りとして山口家にお返しした。その後曹人は筆を折り、誰にも居場所を知らせず潔い最期を遂げられた。「夏草」の人はみんな曹人が好きであった。尊敬した。その生きざまが我々に与えた影響は計り知れない。   一徹に生き蓑笠や百日紅   の句を残した。曹人もまた一徹を貫いた人であった。 (中略)  有馬先生とは俳句を始めたその日から、いつも兄のように後ろからついて行った。 (中略) 私はすでに評論集『一粒の麦を地に』『有馬朗人を読み解く』全十巻を残していたことは少しの救いであった。有馬先生のことを読み解くことは私のひかりでもあった。今その灯が消えてしまった。有馬先生の努力を見て育った私は、さぼることを許されなかったことが今に続いている。   ごろすけほう弥勒の世までまだ遠い  この句を残されて逝ってしまわれた。     とあった。集中の自句自解に挙げたい篇は多くあるが、ここでは、一篇のみをあげて、他は句のみを挙げさせていただきたい。      大氷柱金色堂を捉へけり  青邨は「光堂かの森にあり銀夕立」と詠んだ。朗人は「光堂より一筋の雪解水」と詠んだ。いずれも光堂を詠んだものである。掲句は大氷柱の美しさを詠んだものである。仙台には平赤絵さんがいて青邨先生も朗人先生も何度も足を運ばれた。 (『神のいたづら』)   地球儀をまはしロシアに雪降らす         紀代   野蒜掘るかなしき力われにあり     掃除夫に銀のバケツやクリスマス   寒灯に顔よせて十二月十五日    *(愚生注:昭和六十三年十二月十五日、山口青邨逝く。当月日は愚

中西亮太「雪吊や一本道をゆづりあふ」(『木賊抄』)・・

イメージ
  中西亮太第1句集『木賊抄』(ふらんす堂)、序は、山口昭男。跋Ⅰは、武藤紀子、跋Ⅱは西村麒麟。その序に、山口昭男は、     風鈴に舌あり人に音のあり  「人肌」の章に捧げられている一句。この句から亮太さんは「秋草」の仲間となりました。「円座」の武藤紀子主宰に「若い男の子が俳句を勉強したいと言っているので、山口さんお願いね」と聞かされていたので、東京のあさがほ句会でった時は、この人なんだと思いました。  とあり、跋Ⅰの武藤紀子は、  (前略) 伸びてゐる木賊と折れてゐる木賊  句集の題名が「木賊抄」だと知った時、不思議な気持ちになった。「木賊」といえば宇佐美魚目先生の「すぐ氷る木賊の前のうすき水」の句を思うからだ。もしかして亮太君もこの句を知っていて、好きなのかなあと思った。亮太君はどこで木賊を見たのだろう。魚目先生の木賊は、先生がよく吟行される灰沢鉱泉の宿の玄関先にある手水場の木賊だ。私も吟行先で木賊を見つけると、俳句に詠まずにはいられない。  と記す。そして、跋Ⅱの西村麒麟は、その結びに、    (前略) 露草の遠くのこゑに揺れてをり  彼の句からは時々寂しさを感じます。その寂しさが清潔で澄んだ世界を句集に醸し出しています。寂しさの全く無い詩はどこか浅い印象を受け、長くは愛せません。しかし、彼はちゃんと孤独です。  最後に僕が一番好きなのは次の句。    焼藷を持ちて国立大学へ  なんだか、よくわからないが面白い。  と述べている。また、著者「あとがき」には、  二〇一二年十一月末から二〇二二年までの十年間で作った句の中から二一九句をまとめました。 (中略) すでに始まっている「『木賊抄』以後」が少しでも実りある時期になるよう、これからも努めていきたく思います。   とあった。ともあれ、本集より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。      水鳥の胸に花屑たまりけり         亮太   一斉に拍手鳴り出す雲の峰   足首のつめたく花野ゆきにけり   糊甘くにほへる障子洗ひかな   神の旅耳にあかるき風過ぎて   茶の花や粘りて落つる雨しづく   よーじやの墨描きをんなさくら散る   背中まであをき赤子や花あやめ   風吹いて肩の繪日傘まはりけり   見えてゐる山女と見えぬ山女かな   家を出る一念餅をのばしけり   中西亮太(なかにし・りょう

佐藤文香「ぬかるみのあかるみを踏み友なりけり」(『こゑは消えるのに/アメリカ句集』)・・

イメージ
  佐藤文香『こゑは消えるのに/アメリカ句集』(港の人)、著者「あとがき」に、   二〇二一年十月から二〇二二年九月までの一年間、アメリカ西海岸、カリフォルニア州のバークレーに住んだ。アメリカに住みたいと思ったことなどなかったのに、配偶者について行くことに決めたからだ。 (中略)   日々のなかには、誰かに語って聞かせるほどでもないことが、わりとある。  そういった部分に価値を見出す俳句のやり方は、わたしにとってありがたかった。写真に撮らないようなこと、人に送らないようなことを、母語の定型詩が、書かせてくれた。  とある。集名に因む句は、   こゑで逢ふ真夏やこゑは消えるのに        文香  であろう。外国語にからきし疎い愚生は、当然ながら、飛ばし読みになるが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。    加州着架空に雲のなかりけり   Powell Street 教はりて知る香は大麻   湾に凩目を惑星に喩へ合ふ   教はりたる春を聴きたいやうに聴く   山毛欅林布を広げて風を盗む   川にゐて鰓の疼きを他に告げず   ゆくフェリー海の背中を泡立てて   行き場なし王維絶句に湧く雲も   文月のよく飛ぶ鳥であられるか   詩の九月唄の市俄古 (シカゴ) に湖を見ず   雪や地図に友らの生くる国散らばる ★・・佐藤文香写真展「こゑは消えるのに」 (於:写真屋 monogram 2Fギャラリー・目黒区鷹番2-19-13/03-3760-5852) 2024年2月2日(金)~2月12日(月・祝) [7(水)、8(木)は休廊] ・・  案内の葉書に、「 句集『こゑは消えるのに』/詩集『渡す手』刊行を記念して、アメリカで撮影した写真集の展示、書籍の販売を行います 」とあった。  佐藤文香(さとう・あやか) 1985年生まれ。         撮影・芽夢野うのき「矢印は不毛地帯か冬銀河」↑

垂水文弥「門高く少年を待つ寒の明」(「門」1月号)・・

イメージ
   「門」1月号(門発行所)、新年号らしく「門」各賞受賞者 が掲載されているが、今どきの結社には珍しい20歳の青年に新人賞が与えられていた。その垂水文弥の「受賞のことば」の中に、   これから自分の経歴には「門新人賞」と載ります。烏滸がましいかもしれませんが、それを見た方が「門は良い人に賞を与えた」と思ってくださるような作品をこれから作っていけたらと思います。  とあった。その心意気やよし、と思う。今後の幾多の荒波を乗り越えてほしい。また、「門作家作品評」には駒木根淳子が、    かすかに狂ふすすきかるかや抱きし汝    鳥居真里子 「かるかやすすき」の頼りないほどの軽さ。枯れてゆくその存在の軽さに心がざわつき、不穏な世界へと誘う。「汝」と二人称だが、一人称の、たとえば自画像とも受けとれる。あるいは鏡の中のもう一人の自分を見つめては問いかけ、他者との距離を模索し思考する姿とも。 (中略) 「すすきかるかや」が象徴する深い寂寥感が際立ち、その孤独感は底知れない。  と鑑賞している。ともあれ、以下に各受賞者を含めて、いくつかの句を挙げておこう。   つつつつと月鶴の羽とぞ月さらふ       鳥居真里子    にげみづがいまにげみづと衝突す        矢野孝久    無花果は隠喩さみしいマルコ伝         川森基次    金の雲無人の舟のマスト灼く          加藤 閑    富士山を方丈に入れ涼しかり         三上隆太郎    カラフルな卵弔ふ雲雀笛            中澤美佳   くちなはが赫い記憶を連れてくる        垂水文弥   記すことみな幸であれ初暦           佐藤 海    空蟬にのちのいのちのありにけり       内田くみ子    見舞ふとは別れにゆくこと石蕗の花      野村東央留    秋の湖水かげろふを欲しいまま        石山ヨシエ    少年の十指ことどとく小鳥           泡 水織    芒野の遠き鳥わたしのそばの鳥         成田清子    新米が届き米寿と知らさるる         梶本きくよ   竜淵や手づかみのもの火の匂ひ         村木節子    銀座線紙の袋の栗と柿             島 雅子    こんじきのはじめゑのころぐさすだく     中島悠美

中川純一「ふつきれなあかんねんてと暖かし」(『雪道の交叉』)・・

イメージ
 中川純一第2句集『雪道の交叉』(朔出版)、帯文は行方克巳、それには、       小鳥来るその木の幸のあるごとく   とある一樹を目指して飛んで来る小鳥たち――。まるでその木には彼らだけが知る幸が備わっているかのようである。人生のまことの幸せとは何かを深く考える齢に作者はいまさしかかかっている。しかし、一方では、人類の滅亡の危機を梟に問わなければならぬような時代にも直面しているのだ。俳人として科学者としての作者の今後に注目する所以である。  とあり、また、著者「あとがき」には、   本書は『月曜の霜』に続く私の第二句集で、五十歳から七十歳までの句を収めた。 (中略) その間、色々な区切りがあった。当初、会社勤めをしていたが、その後東京農業大学のオホーツクキャンパスで微生物学の教員として十一年間を網走で過ごした。海も空も広く、冬のには流氷が遥か沖まで輝く大いなる自然に抱かれた心豊かな日々であった。   キャンパスが雪に埋まると、講義棟をつなぐ細い雪道が縦と横に掘りこされる。 (中略) 北国で学生たちと交叉しながら過ごした十一年間は、私にとって特別な意味を持つと考えて、句集名を「雪道の交叉」とした。   とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    昼顔や視線かすかな毒を投げ           純一    日傘閉ぢたる眼差しを向け来たる    三月やバスのどこかが塗り替へられ   叶はざること願ひて星の竹   流氷や手を振らざりし露西亜船   黴菌 (ばいきん) の黴 (ばい) の字の黴 (かび) はびこれる   雪原ただ雪原過去とも来世とも   雪雫して星置といへる駅   地震列島原発列島五月富士   無花果をふぐり掴みに捥ぎにけり   山眠る見えざる水の奏でゐて   星がまた飛んで涙の乾きけり   仰ぎたる我に囀向き直る   落したる句帳たちまち蟻が検見   梟に聞く人類の絶滅を     中川純一(なかがわ・じゅんいち) 1952年、東京生まれ。             鈴木純一「春隣その日の糸はその家に」↑

佐藤りえ「追憶のついぞ変わらぬ水の上補陀落渡海の舟を寄せ合う」(「九重」5号)・・

イメージ
  「九重」5号(発行人 佐藤りえ)、個人誌である。本号のゲスト作品は高山れおな「百題稽古 其三のうち恋」の「恋五十首」とインタビュー記事「霧中問答」である。インタビューの聞き手は、花野曲(はなの・まがる)。その中に、   高山  (前略) 恋の句は堀河・永久の時も作ったわけですが、六百番歌合で判詞と一緒に和歌を読みながら俳句を作ると、またいろいろ考えさせられることが出てきた。特に、恋の句の場合、題が前書化する感じがして。これはなかなか重大です。 花野 どういう意味でしょう? 高山 題が句の読みの筋道を規定すると予想されることです。たとえば、〈日か月か静物 (ナチュル・モルト) にさす光〉という句がありますが。これはじつは忍恋 (しのぶこひ) の題で作っています。 花野 特に恋を思わせる言葉はないようですが? 高山 でしょう。この句だけを提示されても、読者が恋の句だと受け散ることはありえない。しかし、作者が忍恋の題で詠んでいる以上、題詠という枠組みを尊重する限りでは、読み手はこの句に忍恋の意味合いを読み取ることを要請される。 花野 忍恋の心象を表したヴィジョン、みたいな感じで? 高山 この場合はそうなるでしょうね。しかし、そう読んでもらうためには、読者がこの組題百首という全体の試みを面白がって一緒に踊ってくれる必要がある。 花野 そこは賭けですね。 高山 賭けですね。作者としてはそのように期待しますが、実際どうなるかはわかりません。このあたりは、大方の四季の題や雑の題とは条件がいささか異なるところです。 (以下略)  とあった。この他に、佐藤りえ「むさしの逍遥 その4 所沢航空記念公園」のエッセイなどがある(愚生は一度行きたくなった)。ともあれ、本号より、作品をそれぞれ紹介しておきたい。ブログタイトルにした短歌は「恋すてふ 贋作十二題」の中の一首で、前書に「 漂恋 月の夜の蹴られて水に沈む石 鈴木しづ子 」と付されてある。     寄橋恋 踊り疲れて白夜帰る橋がない 永井陽子  舟形のお菓子を買って帰る宵 橋の嘆きを確かに聞いた      佐藤りえ      寄坂恋 きさらぎの蛇崩 (じやくづれ) 坂を恋ふゆかな  秦夕美   逢坂の関に見返る此の人をこれやこの風攫いたもうな   初恋  はじまりの火の手に乗るよ青酸獎 (かゞち)      高山れおな  契恋  も

喜多昭夫「牛丼の(並)を待ちをり今しがた天皇制は初期化しました」(『青の本懐』)・・

イメージ
 喜多昭夫第8句集『青の本懐』(発行者 摂氏華氏)、著者「あとがき」には、   前集『いとしい一日』(二〇一七年)以降の作品を再構成して一冊にまとめた。私の第八冊目の歌集である。三三五首を収める。 (中略)   二十歳で前衛短歌に出会い、二十六歳の時に第一歌集『青夕焼』(一九八九年)を刊行した。「青」の一字は、春日井建先生の歌集『未青年』にあやかったものだ。このたび還暦を迎えて、「青」は「青」に還るのがふさわしいと思い、『青の本懐』と命名した。  とあった。 愚生好みに偏するが、集中より、いく首かあげておこう。   ふところに牽制球の三つあり妻と子どもと上司に投げ込む         昭夫   背後より潔く死ねといふ声すふりさけ見ればわたつみは闇  まつしろなただまつしろな雲湧けり靖国、知覧、無言館、夏   ひさかたの天 (あめ) の粉雪 (こゆき) をあかあかと頬にうけたる吾妻かなしも  「モウスコシ命ヲ粗末二シテクダサイ」勝手二口ガ動イテシマフ  ほほゑみは瀧のごとしも妃殿下に皇位継承順位はつかず  「永遠に廊下に立つてゐるがいい。戦争よ、あなたは大馬鹿者」母より  身籠りし腹に手をあて飛ばぬ蛾のごとしと森岡貞香歌ひき  垂直に筋引きながら降る雨は誰のものでもなき冬の雨  動かぬ蟻は力たくはへて列に戻りてまた翅はこぶ  灯台になりたい人は手をあげて私が船の役をするから  龍英の歌にその名をとどめたるPARCO三基は墓碑とならざり   ★「つばさ」第20号 (つばさ短歌会)、「つばさ」は喜多昭夫主宰の歌誌、創刊号は1993年だから、20年を閲している。「 『細く長く』を合言葉に身の丈にあった活動を継続させていきたく思う 」(喜多昭夫)とある。良いペースだと思う。ともあれ、以下に一人一首を挙げておきたい。  父の遺品を整理してなほ捨てられずペンキまみれのニッカボッカよ   喜多昭夫   少しだけ遅れて咲きし一輪もポタリと落ちて季節が変わる       島田彰子  囀りがとほのゐてゆくすべては夢でどの図鑑にもみつけられない   杉森多佳子   こはれるとこはすは違ふことだけど結果は同じもとにもどらない    竹中玲子  光から生れ光に還るわれらなら虹は誰かが投げるテープか      浜本すみれ  老犬の背を撫でやれば盲ひたる眼 (まなこ) 凝らしてもの告げむとす  宮

高橋比呂子「ざくろからほどけてゆきしあんだるしあ」(『風果』)・・

イメージ
  高橋比呂子第5句集『風果』(現代俳句協会)、装画も著者、その「あとがき」に、   俳句とかかわるようになってからは、言葉との格闘の連続である。  俳句が芸術であるならば(芸術であると私は思っている)同じものは要らないと思う。だから常に、これまでとは違うものを、新しいものをと願い、俳句を作り続けてきた(実際には、思うようにはいかず困難なことである)。しかし、珍しければ良いわけではなく、心をとらえ、俳句としてよくなくてはいけない。 (中略)  「風果」とは造語である。〈果〉には、事柄が進んでしまった後に生じる成果(果実)。はてる・死ぬ・どうにもならないところまで行ってしまう、はて(終わった後)などの意がある。これまで旅をして、感じた風土など、吹かれたその刻々の風との合成語といっ て拙句集の名とした。表紙絵はドイツのハイデルベルグのスケッチをもとに描いた。 (中略)   なお、「くにうみ」の章のみ、旧仮名遣いを用いた。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    ロカ岬自殺願望証明書            比呂子    青銅の鳩となりたし冬の空   実南天みちかけみるみるゆうらしあ   いそいですぎないと錯覚となり夏館   あめおとこ蛹木霊していたり   かぜよりじゆうに小面のしろさかな   春雷や甲骨文字にある戦火   精霊を娶ってみればみな微熱   冬の木に獏しょうとつして困る   松島や松をうき身の絶句かな   秋扇ひらけば灯る銀河系   水切りの少年はるか曼殊沙華   ゆらゆらとしらさぎとんで未遂かな   あめのぬこぼこをろこをろとおのごろじま   いづもむさしうなかみつしまとほたふみ   高橋比呂子(たかはし・ひろこ) 1947年、青森市生まれ。 ★閑話休題・・春風亭昇吉「一月の笑いの外にひとりいた」(TVプレバト冬麗戦・題「大笑い」優勝!)・・  コロナ禍前まで、毎月行われていた、飲み食いしながらの遊句会の仲間だった春風亭昇吉が、初優勝した(遊句会では最若手だったので、焼酎のお湯割りなど、気働きよく、気配りよく働いていた)。愚生は、録画しそこなって(3時間スペスシャルだったので、わずかしか録画されていなかった)、友人からのメールで結果を知った。従って画像は、見逃し配信より・・・。        撮影・鈴木純一「