村蛙(そんえ)「亀の鳴く闇は意外とあたたかい」(『わたしといてよ、パパゲーノ』)・・
村蛙(そんえ)『わたしといてよ、パパゲーノ』(私家版)、序は著者。跋文は西村麒麟、それには、
村蛙さんが俳句結社「麒麟」の句会に来て下さった際、口には出さなかったけれど、面白そうな人が来てくれたことを喜んでいました。本書はそんな村蛙さんが俳句を始めて十年の節目の作品集。まず冒頭の次の一文が目を引きます。
「句集を作ることは実は誰にだってできます。」
これは実際その通りなのですが、正確にはちょっとだけ違います。(勇気があれば)誰にだってできます、が正しい。村蛙さんはその勇気がある人です、そのような人は、俳句においても前へ進めます。(中略)
その時にしか生まれなかった俳句があることを、本能的に知っている人なのでしょう。
優しく、強く、鈍く、鋭い、人間の持つ矛盾の魅力を存分に教えてくれるような、そんな作品をこれからも見せて欲しい。
とあり、また、著者の序「いくつもの世界の中で」には、
この句集は、主に過去四年間にわたってとある賞に応募した作品をまとめた、いわば一人落選展のようなものです。そんなものをまとめて何になるかとも思うけど、この四年のうちに、私に俳句を教えてくれた祖父、祖母、そして同い年の友人がこの世を離れていきました。皆さんにとってもそうだったように、私の生活と俳句を大きく変えた過渡期であったことは間違いない事実なのです。
そして、去年は俳句を始めて(公式には)十年という節目でもありました。在仏日本人句会ラ・セーヌや座☆シーズンズを経て、今は山河と麒麟という二つの句会に在籍させていただいています。山河では今年結社賞をいただいたこともあり、何も残さずに亡くなった友人のことを思うと自分は一つでもマイルストーンを残せたらという気持ちにもなりました。彼女のことを覚えている人は少ないけれど、タイトルにもなった作品集の中で、私は彼女のことを残せると思ったからです。
とあった。集名に因む句は、
日永だし私と居てよパパゲーノ 村蛙
であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。
他宇宙の昼の一つを迎えたり
早送りしてしまひたき桜道
ほうたるに合はせて息をしてをりぬ
クリームソーダそこにあるのは永遠ですか
魔女にならもうなつてゐるハロウィン
神の留守さうだお前もジョーカーだ
それぞれの家族の不幸初時雨
初夢でなぜか義足が燃えちやつて
死神の歌声は無垢花いちご
滝になるみづとわたしの身体、白
龍の背に乗つて帰らう冬の空
他に、高浜虚子の「襟巻の狐の顔は別にあり」という句からヒントを得て書いたという短編小説「襟巻の狐」が収録されている。
撮影・鈴木純一「冬、虹はひとつの答えにたどりつく」↑
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