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小湊こぎく「蛇穴を出づ一筆書きの舵を取る」(第161回「豈」東京句会)・・

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  昨日、3月30日(土)は、隔月開催の「豈」東京句会(於:白金台いきいきプラザ)だった。参加人数少なめだったが、以下に一人一句を挙げておこう。    あなかしこ骨まで透ける花衣        川崎果連    初蝶や身のこなし方あるからに      小湊こぎく   陽炎の仮説を崩すかんつぉーね       山本敏倖    ない春野記憶の底の東京府        川名つぎお    ファンキーな芽吹きハンターほろにがき   早瀬慶子    吊り革に吊られし手など花いかだ      大井恒行  次回は5月25日(土)午後1時~4時半(於:白金台いきいきプラザ)、参加は「豈」同人のみに限らず、どなたも自由です。 ★閑話休題・・4月21日(日)14:30~静岡県文学連盟講演・大井恒行「ミスター新興俳句・高屋窓秋」(静岡駅パルシェ7F D会議室)・・  来る4月21日(日)13時30分より、静岡県文学連盟の令和6年度総会が開催され、その講演で、愚生の演題は「ミスター新興俳句・高屋窓秋」(於:静岡駅 パルシ7F D会議室)をさせていただくことになった。何十年ぶりかで、静岡の友人知己にも、そこで会えれば嬉しいと思っているところ。  よろしくお願いいたします。       撮影・中西ひろ美「ある者の他はおしゃべりに夢中」↑

結城万「鈴蘭のかそけき骨となりにけり」(『小鳥のわたし』)・・

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   結城万第一句集『小鳥のわたし』(夜窓社)、著者「あとがき」には、   俳句が世界で一番短いドラマだと教えてくれたのは鳴戸奈菜という俳人でした。ちょうど十五年前、その奈菜さんが同人誌「らん」に誘ってくださり、私の俳句人生が始まりました。 (中略)   そんな大切な「らん」が昨年百号で終刊を迎えました。自分の句集などとても作る気になれなかった私にも転機が訪れました。どんなに拙い幼稚な句集であっても、一冊にまとめてみたいと思ったのです。 (中略)   笑ってやってください。これは、私の明るいエンディングノートでもあるのです。  本集の装画、挿絵も結城万である。集名に因む句は、     窓枠の小鳥のわたしが覗く夜        万  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。    父よりも母は哀しき日向ぼこ   にびいろの栗鼠のマントを盗みけり   凍蝶の小さき骨を拾いけり   憑りつけと言えば憑りつく枯いばら   土塊のあなたの淹れるたんぽぽ珈琲      むかし素人劇でロクサーヌを演じた母よ   九十歳のロクサーヌ姫逝く夏近し   春盛り栞の代わりの蛇の舌   青鬼灯母の娘は道化なり   十薬を挟みしままに父の本   犬もわれも飛ぶ夢を見る   結城万(ゆうき・まん) 1952年、東京生れ。         撮影・鈴木純一「連翹は飛ぶぞ飛ぶぞと口ばかり」↑

武藤幹「春愁のプールの水の重きかな」(第57回「ことごと句会」)・・

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 本日、3月29日(金)は、いつもとは違う曜日でのことごと句会(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「結」。以下に一人一句を紹介しておこう。    終活するには惜しい春の風        江良純雄    やすみなく春を痛がる子供いて      照井三余    古雛の眉に愁いか夜の雨         渡邉樹音    春燈や平穏といふ落とし穴        武藤 幹    投光器凍てて工事の男伊達        渡辺信子    三月の丸い咳ひとつブリザード      金田一剛    切られゆく白映えの皮新玉葱       杦森松一    結晶を氷雨と書けば匂う朝        大井恒行  次回は4月20日(土)、兼題は「鬼」。 ★閑話休題・・黒木三千代「侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷(ワジ)越えてきし砂にまみるる」(朝日新聞3月24日、小島なお「短歌時評/戦争の歌を読む時は」より)・・  朝日新聞3月24日(日)、小島なお「短歌時評/戦争の歌を読む時は」には、   黒木三千代が三十年ぶりの歌集『草の譜』を刊行した。   ストーカーのやうなロシアの遣り口のいやだつて言ふのに、放してほしいのに  社会的な事柄をフェミニズムの思想に支えられた比喩や寓意によって捉える手法は、一九九四年刊行の歌集『クウェート』から引き継がれているものだ。   侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷 (ワジ) の越えてきし砂にまみるる 『クウェート』収載の代表歌。発表当時は「女性がレイプという言葉を使うなんて」という批判も出たらしいが、この歌が訴えることの重要性が今こそ共有されるべきだろう。 (中略)   歌集巻末には高野公彦が解説を寄せているのだが、「侵攻は~」について別の新しい読みを加えて提示している。 〈地図を見ると、ペルシャ湾のいちばん奥に小さなクウェートの国がある。あたかも脚を広げた女体の、その陰部のやうにも見えるクウェート。「レイプ」と言つたのは、さうした地図的な連想からではないだらうか〉  戦争の歌を読む時、私たちは戦地の惨状に心を痛め、感情先行の読みをしてしまいがちだ。けれど、そうした歌こそ同情に流されるばかりでなく、慎重かつ冷静な多角的解釈が必要だろう。  とあった。        芽夢野うのき「花韮やほどよく白く咲きし距離」↑

久保田和代「腹這いて内緒話や黄たんぽぽ」(第27回「きすげ句会」)・・

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   本日、3月28日(木)は第27回「きすげ句会」(於:府中市中央文化センター)だった。新メンバーのお二人を加えて、少しにぎやかな会となった。また、「きすげ句会」第三集の文集も会員人数分だが、手作りで作っていただいた(会の歩みが分かるから不思議だ)。  本日は、会としては初めて、席題「黄」を一句を出し、即吟を行った(10分で一句だったから、嫌がっていた人も、句は何とかできるものだ、ということを実感されたと思う)。  ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。   出歩けばやつれて帰る猫の夫         井上治男    鳥の恋吹けぬ口笛口窄 (すぼ) め       濱 筆治     空蝉の安楽ではない安楽死          杦森松一    「おばちゃーん」と証書を窓に卒業す     高野芳一    芋の色即是空説きにけり           寺地千穂    蕗の薹友は健在か酢味噌和え         井上芳子    天井にゆらぎうつして春の水         成沢洋子    空跨ぐ雲遊ばせて水溜り          久保田和代    ホワイトデー「義理と人情」舐めんなよ    忌木曉一(いまわぎ・ぎょういち)    春雷の間遠に響き犬びっくり         清水正之     養花天どこからか古き戦闘機         大井恒行  ★閑話休題・・救仁郷由美子「遠逝を生きて今此処大花野」(「秋」3月号より)・・  「秋」3月号(秋俳句会)表2の佐怒賀正美「 続・らくだ日記(九十六) 」に、救仁郷由美子の句を採りあげ、心のこもった鑑賞をしていただいた。深謝。その中に、    救仁郷由美子氏は一昨年七十二歳で逝去された。「豈」での安井浩司論に惹かれていたのだが、今回「豈」誌上での「全句集」によって、作者の俳句を見渡すことが叶った。  出発点は日常生活の哀歓に始まり、子どもを含む懸命に生きる者への共感、そして社会批評・人間批評と多彩で、切実な心情が独自の認識と現代詩的文体で読者に届く。 (中略)   句集の途中からは、(おそらくは闘病の)内的風景句が増えてくる。〈脱 (だつ) 髪の脱 (だつ) 身心や水面の月〉〈遁れ端の痛みは白き曼殊沙華〉〈僻んだ心痛み痛みて満月よ〉〈羨めば醜い貌鳥捨て往こう〉など心との対話を独自のイメージに結ぶ。〈怖いと無く子どもじぶんの子守唄〉に

芭蕉「夏草や兵どもが夢の跡」(『隠された芭蕉』より)・・

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  髙柳克弘『隠された芭蕉』(慶應義塾大学出版会)、帯の惹句には、   時代の新しい表現を切りひらく芭蕉論  寂びることなく、未踏の旅へ  とあり、著者「あとがき」には、  (前略) 俳句は短いために、その言葉の意図するところがわかりにくく、どうしても作者や成立状況に関心が向く。「古池や蛙飛びこむ水の音……ふーん、で、その心は?」というわけである。私はできるかぎり芭蕉の個人的な情報を入れることなく、作品そのものの面白さを抽出するよう心掛けた。 (中略)   「詩情とは何か」とは、難しい問いかけであるが、社会の功利主義や合理主義に染まり切れない思いに寄り添うものだとすれば、それは今を生きる人間の胸中にも必ず存在するはずだ。芭蕉俳諧のキーワードである「不易流行」になぞらえていえば、詩がどういうかたちで流通するかは「流行」によるが、人々が詩に求める心は「不易」なのだ。芭蕉の句は、この「不易」に届いているからこそ、現代でも愛誦されている。人々の詩を求める心に俳句が応えていくために芭蕉俳諧は大きな啓示を与えてくれるだろう。 (中略)   近現代の俳句からは失われてしまった表現方法も確認できる。一句の主体をあえて明確にしない。あるいは、虚構的な主体を創出することで、自在な表現を展開しているというのがその一つだ。自分というものにこだわる現代人にとっては、これは異質なものと映るかもしれないが、新たな表現を模索する上で、参照されるべき方法ではないだろうか。また、その句が向き合っているものは、人間の理解の及ぶところのないナマの自然にも及んでいる。 (中略)  ほかにも、誇張された苦痛の表現、俳句を通しての俳句観の表現といった、芭蕉ならでは表現も、俳句の可能性を示唆している。本書を「隠された芭蕉」というタイトルにしたのは、実作者や研究者に従来あまり注目されてこなかった表現方法から、次代の新しい表現を切りひらくアイデアを探ろうとしたからだ。いまさら芭蕉の句のマネをする必要はないが、その多彩な表現方法を、埋もれたままにしておくのはいかにも惜しい。  私が実作者として芭蕉の句にいちばん刺激を受けるのは、言葉で一つの世界を創り出そうとすることへの強靭な意思だ。 (中略) 詩人とは、他者の言葉にたよることなく、自分の言葉を創り出そうとする者の別名であるが、その意味で芭蕉は詩人であった。  とあった

平岡あみ「土曜日も遊ぶ日曜日も遊ぶおとなは遊ぶと疲れるらしいね」(『蛸足ノート』より)・・

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 穂村弘著『蛸足ノート』(中央公論新社)、本著所収のエッセイの初出は、読売新聞(夕刊)2017年4月~2023年9月19日、現在も連載中の「蛸足ノート」をまとめたもの。著者「あとがき」に、 (前略) タイトルは蛸の足のようにあちこちに言葉が伸びてゆきうイメージでした。  この中で猫が飼いたいという話を何度か書いていて、偶然ですが、初めての仔猫が家に来るところまでが一冊になっています。  名前は妻が「ひるね」とつけました。  初めて会った時に昼寝をしていたから、という理由らしいのですが、仔猫はだいたいそいじゃなかなあ。  「ひるね」が蛸を見る日は来るでしょうか。  とあった。帯の惹句には「 にゅるりと/世界も自分も裏返る//読売新聞人気連載の蛸足的エッセイ 」とあり、また、   「海が似合いませんね」/ええ、まあ、  と曖昧に微笑みながら、/内心は傷ついている。 とあった。ともあれ、本著中に紹介された短歌をいくつか挙げておきたい。  年老いて命の濃度薄まったおじさんやたらくしゃみがでかい     園 部淳   あれをまた作ってくれと言う父の辞書にない文字スイートポテト   姉野もね  なぜ置かぬ置けば買うのに マヨネーズと辛いなにかを和 (あ) えた具のパン                                   和田浩史  覚えたてのひらがなで書いた「すきです」のお返しはガンダムの絵でした                                  ほうじ茶  永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている         東 直子  朝まだき老女の古い携帯に援交いかがのメール来 楽しも    波多野千鶴子  クリスマスなんて遠いの……スリープレスTシャツで川岸を歩けば  正岡 豊  ブラックジャックが鉄腕アトムに助けられ火の鳥が飛ぶ 生きててほしい                                  後藤克博  あたたかい気持ち未来より感じたり今際のわれが過去思ひしか    高山邦男  おすそ分けの器を返す時マッチ一箱入れてた時代があった      稲熊明美  穂村弘より年下 枝野幸男立憲民主党代表は            松木 秀  本をあんなに持っているのにまた本を買うのかとなじられる毎日  古賀たかえ  こんなところまでついて

田中裕明「万年筆時雨に冷えてありにけり」(「静かな場所」第31号より)・・

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 「静かな場所」第31号(発行人 対中いずみ)、招待作品は岩田奎「軍」と田中裕明の一句鑑賞「 ここに岡本太郎のオブジェ三尺寝 」。他に、柳元佑太「連載 田中裕明論(8)/『夜の形式論②』。また、森賀まり連載エッセイ(2)「裕明の万年筆」。その森賀まりのエッセイの中に、    ベッドにてペンを走らす子規忌かな     『夜の客人』 『先生からの手紙』は目次の裏に「Mへ」という献献辞ある。Mは私だと思われもするしそうかもしれない。だがイニシャルという曖昧さのなかにふと彼が「Mへ」と呼んでいた万年筆も含まれている気がする。若い頃はいつも持っている万年筆にモンブランはない。ずっと思っていたのかもしれないし彼の義理に篤いところが出ている感じもする。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    初氷あゆめばもろき蝶結            岩田 奎    しばらくは地をついばみて鳥交る        藤本夕衣    茸山会釈と分かるほどの距離          満田春日    気の抜けし風船葛つまみけり          森賀まり    その人がわたしのやうで墓を洗ふ       対中いずみ    たはぶれに美僧をつれて雪解野は        田中裕明  ★閑話休題・・「生命の尊厳」(於:ギャラリーK)2024.3.18~3.30・・     李鐘協・大串孝二・河口聖・樋口慶子・宮塚春美「ー生命の尊厳ー」(於:ギャラリー)3月18日(月)~3月30日(土)11時~18時(最終日16時まで)。  ギャラリーKのアクセスはJR武蔵野線、京葉線・南越谷駅徒歩7分。東武スカイツリーライン、日比谷線、半蔵門線・新越谷駅東口徒歩7分。    ギャラリー斜め向かいの「きっちゃてん」は40年以上の店、ギャラリーKのオーナーの長男ご夫婦が2代目らしい。で、ブレンドコーヒーはマイルド、上手い400円。      撮影・中西ひろ美「啓蟄のえんぴつはよく転がって」↑

松澤雅世「そめゐよしのに水ことば風言葉」(『陰陽』)・・

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    松澤雅世第4句集『陰陽(おんみやう)』(四季書房)、著者「あとがき」に、  本句集は、「四季」創刊六十周年記念出版として上梓いたしました。  前句集は、創刊四十周年記念の折の刊行でしたので、丁度二十年の歳月が経ったことになります。この間、環境や生活の激変の中で、看過して来た次第です。  此の度の句集『陰陽』は、その二十年間のささやかな句集に他なりません。現状の生き様での生活感情と自身の生齢を重ね合はせながら、その都度、現在只今を描き出してゆこうと強い想いで作句して参りました。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。    櫻月夜に行く先は決めてゐず           雅世    一の蝶二の蝶謎をかけてくる       陽炎の中火だるまかずぶ濡れか   やさしさのうすぼんやりと木の裸     師を送る    終の人息かかげたる秋絶巓   流燈のはたてはだれもみてをらず   とりとめのなく花かしこ水かしこ   憲法の日や風のよに水のよに   木犀や金の午前に銀の午後   かくれんぼ春一番にみつかりぬ   ゆきあたりばつたり抗体と大雷雨     また、松澤雅世つながりで主宰誌「四季」2024.3-4月号(四季会)から、いくつかの句を挙げておきたい。   角餅の団十郎丸餅の藤十郎          松澤雅世    うす氷割られ困憊消えて行く         河村正浩    たましいを置きざりにして山眠る      佐々木克子    エスカレーター紅葉を敷いてみたいかな    広井和之    クリスマスケーキほにやららしてゐたる    伊東 類    男女来て寒の扉をこじあける         吉沢信子    寒禽の奮ひたつてる未知の空         遠藤久子    ケアハウスに行ってしまった冬薔薇      瀬藤芳郎    百八の一打を突けば飛天舞う         池嶋庄市   十七音に繋がれて去年今年          中山文子    雪明かり幹片方に闇ありて         戸田みどり    柚子味噌を身方につけて取り敢へず      難波昭子    風花の言ひ訳に海めざしたり         石川綾乃    令和六年福袋から阿鼻叫喚         倉林ひとみ ★閑話休題・・YO-EN唄会「黄昏に恋して⑲」(於:国

野口佐稔「つなぐ手は互いの介助春の雲」(令和6年度 東京多摩地区現代俳句協会陽春句会)・・

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  本日、3月23日(土)は、2024年度(令和6年)東京多摩地区現代俳句協会定時総会・陽春俳句会(於:武蔵野スイングホール)だった。吉村春風子会長の退任で、新会長に水野星闇が就任された(上掲写真)。  以下に、陽春句会の中から高点句、また、愚生の選句した句を合わせて挙げておこう。    うりずんの海揺れ輸送機の轟音        満田光生    雲割れて三月兎の子だくさん         有坂花野   冴え返る夜や忍び手に友を送る        水野星闇   職安の前に群る影春浅し          山本みつし   ガザの子供 (こ) の心の冬芽むしる日々    武藤 幹   どの家も夜が来ている雛祭          好井由江   立春や猫のまなざし猫のちえ         山本徳子     葱切つてあとは十年生きてやる        米澤久子    春耕や土は混声合唱団            芳賀陽子    削られし武甲の山も笑いけり        一ノ瀬順子    梅咲いて誰か訪ねてくる予感         蓮見徳郎    なまはげの残していった藁二本       佐々木克子    独り居の父訪ふも旅はじめ         秋山ふみ子    十二単の陽光探す春野かな         石橋いろり    図書館の椅子は直角ヒヤシンス        根岸 操    銭湯の灯りて映ゆる門の梅          大森敦夫    三針の時計で春がやって来る         永井 潮    春は曙というけどまだ眠い          三池 泉    土星の環に並べてみたき蕗の薹       佐怒賀正美    鳥帰る陰画の能登を置き去りに        望月哲士    春耕の土黒黒とにおいけり          戸川 晟    余寒なほ時には枷となる絆         吉村春風子   半分は眠りにまぎれ梅咲けり         大石雄鬼    どんよりと曇りて雪になる気配       山崎せつ子    笑うことも泣くことも無き紙雛        笹木 弘    乳飲み子のあーうー魚は氷に上る       伊東 類    人死んで生まれて生きて草萌ゆる       江中真弓    白菜割るや火炎光背顕るる          鈴木浮葉    淡雪の水より少し明るきか      

折原ミチ子「短冊の薄き押し花啄木忌」(第171回「吾亦紅句会」)・・

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  本日、3月22日(金)は、第171回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館だった。兼題は「耕し」。以下に一人一句をあげておこう。    落ち椿残りし咢 (がく) の空虚かな     齋木和俊    水彩の筆軽やかに春の水          佐藤幸子    梅安の闇の正義や針供養          須崎武尚    婚約のととのいし日や初桜         渡邉弘子    風光るキラキラネームの出席簿       関根幸子    耕して耕してなお夕の月         三枝美枝子   桃蕾 (つぼみ) エクボのような四分音符   笠井節子    ストックの香りのせいよ眠れぬ夜      牟田英子   開墾や甘きことばに海渡る        吉村自然坊    春耕や北の空にはミサイルが        松谷栄喜    葉芽花芽わからぬままの雑木の芽      田村明通    梅東風や介護の日々の懐かしく       武田道代    出不精のドアを叩くや春の風        西村文子    もくもくと畑耕す深きしわ         村上さら    耕せり畑に置かれし猫車          奥村和子    トーストの焦げゆく匂い春炬燵      佐々木賢二    予報士の日替りの春ショール       折原ミチ子   父母の墓花かざられし彼岸かな       髙橋 昭    アスファルト割れ目に春のみどりあり   井上千鶴子    憂き我を留めおかざる落花かな       大井恒行  次回は4月26日(金)、兼題は「蟻」、「住」(高松学習館文化祭テーマ)。 因みに、先日の「朝日俳壇」小林貴子選に、須崎武尚「 『鬼は好き』ささやく君の鬼やらひ 」が入選したという(慶賀)。          撮影・中西ひろ美「佐保姫の色のはみ出すつむじ風」↑

澤好摩「日は月を月は日を追ふ墳墓かな」(「周」第8号より)・・

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 「周(あまね)」第8号(周句会)、その「編集後記」には、 「澤好摩百句」は編集委員で抄出したが、各々が澤好摩の作品について思ひ入れがあるし、明らかに当地で作つたと分かる句は選びたいしで評価にもズレが出る。といふやうなわけで、侃侃諤々思はぬ時間がかかつてしまつた。しかし、メンバーにとつて改めて澤好摩の作品と向き合つたこの時間は、何にも替へ難く有意義だつた。 (邪馬猫) とあった。本誌「追悼 澤好摩」は、編集員会抄出「 澤好摩百句 」に、記事は三丸祥子「 中津の澤好摩 」、横山康夫「 澤好摩のこの一句 」、後藤秀治「 澤好摩作品逍遥 」である。そして「中津の澤好摩」によると、2005年3月から、毎年の春か秋に、コロナ禍は除くが、昨年まであわせて19回の来訪を数えたという。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。    渡る鷹友には見えて吾に見えぬ        澤 好摩    寄り添うて伸ばす白杖風光る        佐伯ひろみ    水温む鏝絵の鯉の跳ねさうな         古寺周一    こぼれ花畳に匂ふ梅日和           後藤秀治    天網を確かめに行く揚雲雀          三丸祥子    長考ののち指先に風かをる         昼間くみえ    日月の恩にいただく菜飯かな         横山康夫   数多ある忘れたきこと桜桃忌         熊谷明美    一芸もなき人生に栗ごはん         紅梅三男丸   ★閑話休題・・三上泉個展「Accep/ssion-2024-」(於:Gallery 美の舎)・・  三上泉個展「Accep/ssion-2024-」(於:Gallery 美の舎)3月9日~24日(日)最終日は15時まで。アクセスは千代田線根津駅1番出口より歩3分。まだ、日にちがありますので、お出かけあれ。愚生の来者名簿の前に、酒巻英一郎、表健太郎、九堂夜想の名があった。タイムラグで会えなかった。        芽夢野うのき「桜咲く川はしずかにくぐもりぬ」↑

三輪初子「ふたたびの恋の夏蝶翔ばず舞ふ」(「わわわ」第8号)・・

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 「わわわ」第8号(発行人 三輪初子)、その「編集後記」に、  今、世界のあちこちで紛争・争乱が起きてをり、憂慮すべき事態が起きている。そんな中、自由な気持ちで優しさと強さを育てる詩心を囲む句座より、心から世界の平和を願って止まない。   とあった。ともあれ、本誌本号より一人一句を挙げておこう。    俳諧に格差のなかり月涼し         三輪初子    沈黙の踊りの激し夏祭          豊田すずめ    水澄むやトリケラトプスと旅に出る     朝倉華代    寝たきりの母の清凌霄花         岩石むそむ    若葉風停泊船のトタン屋根        小野田信子    故郷の大和上布合歓の花         木村野安子    寒鯉の餌につられぬ面構へ        五木田心華    それどころではない花粉症なの       小林弘子    ティファニーに並ぶ力士の十二月      小林 繭   陽炎を膨らませ来るマグロカツ       象ぞう造    住み慣れて今日が見納めリラの花     滝沢ひとし    ちちろ虫こころあたりのあゝあれね     中嶋月草    停止線踏み越えてみる夏の空        西田遊々    紅の呼び白の応へて梅二本        野村くじら    「段差あり」立て看板に火取虫       浜野桂子    日だまりに猫のあつまる師走かな   森田ふらみんご    春闘や皮算用に浮かれをり         山﨑猿屋 ★閑話休題・・豊田すずめ「忘られし黒の手袋なごり雪」(「わわわ句会」第126回/於:ギャラリー絵夢「豊田紀雄個展『黒の船出』」より)・・  偶然の出会いというべきか、愚生の学生時代からの友人Mの知人に、豊田すずめ、三輪初子という共通の人がおり、その縁で、新宿は絵夢ギャラリーで開催されていた豊田紀雄個展「黒の船出」に出かけた。3月12日(火)午後、その場で行われていた「わわわ句会」での句の感想を、厚かましくも述べるということにあいなった。というわけで、短い時間ではあったが、楽しく過ごさせていただいたのである。以下に、その折の句を紹介しておきたい。兼題は「野遊び」「黒」。       初桜黒澤明の黒メガネ           初子    野遊びや手にくつついた草草草       月草    野遊びの母子に交りシー