久保田和代「腹這いて内緒話や黄たんぽぽ」(第27回「きすげ句会」)・・
出歩けばやつれて帰る猫の夫 井上治男
鳥の恋吹けぬ口笛口窄(すぼ)め 濱 筆治
空蝉の安楽ではない安楽死 杦森松一
「おばちゃーん」と証書を窓に卒業す 高野芳一
芋の色即是空説きにけり 寺地千穂
蕗の薹友は健在か酢味噌和え 井上芳子
天井にゆらぎうつして春の水 成沢洋子
空跨ぐ雲遊ばせて水溜り 久保田和代
ホワイトデー「義理と人情」舐めんなよ 忌木曉一(いまわぎ・ぎょういち)
春雷の間遠に響き犬びっくり 清水正之
養花天どこからか古き戦闘機 大井恒行
★閑話休題・・救仁郷由美子「遠逝を生きて今此処大花野」(「秋」3月号より)・・
「秋」3月号(秋俳句会)表2の佐怒賀正美「続・らくだ日記(九十六)」に、救仁郷由美子の句を採りあげ、心のこもった鑑賞をしていただいた。深謝。その中に、
救仁郷由美子氏は一昨年七十二歳で逝去された。「豈」での安井浩司論に惹かれていたのだが、今回「豈」誌上での「全句集」によって、作者の俳句を見渡すことが叶った。
出発点は日常生活の哀歓に始まり、子どもを含む懸命に生きる者への共感、そして社会批評・人間批評と多彩で、切実な心情が独自の認識と現代詩的文体で読者に届く。(中略)
句集の途中からは、(おそらくは闘病の)内的風景句が増えてくる。〈脱(だつ)髪の脱(だつ)身心や水面の月〉〈遁れ端の痛みは白き曼殊沙華〉〈僻んだ心痛み痛みて満月よ〉〈羨めば醜い貌鳥捨て往こう〉など心との対話を独自のイメージに結ぶ。〈怖いと無く子どもじぶんの子守唄〉に至っては、恐怖心に対して泣き叫ぶしかない。その泣き声は幼少の時分の子守唄の記憶と重なりながら、やがて泣き疲れて寝る落つ。
もう一つの主題は、それらと,無縁ではない「生と死」。〈垂直に流るる現世死の水平線〉〈萩の野に生酔夢死の小屋一軒〉(中略)
冒頭の句はこの流れの中に入るであろう。作者は「遠逝」という疑似彼岸の世界を生きてきて、今ようやく「此処」である現世の「大花野」に辿り着いたと。その終末意識には、芭蕉の枯野句とは対蹠的なベクトルを見る。不思議な幻想的実感とでも言いたい時空の終着点として、作者は此岸の「大花野」に救済されたのでらろうか。〈葉桜の木の間漂う宇宙母顔〉という不思議な句と併せて、作者の宇宙意識を垣間見た気がした。
とあった。
撮影・中西ひろ美「のびのびて弥生の空を近うする」↑
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