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杉山久子「澄む水にもはや映らぬ人となり」(『栞』)・・

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                杉山久子第4句集『栞』(朔出版)、昨日のブログ、黒田杏子つながりで杉山久子句集『栞』。その「あとがき」に中に、  時々「俳句信条」なるものを求められることがあるが、言葉に窮する。特に信条のようなものもなく、過ぎてゆく日常に栞をはさむように句を作っているのかもしれないと、少し前から感じるようになった。そんな心持から、この句集を「栞」と名付けてみた。 (中略)   この句集の初校ゲラと同時に届いたのは、師である黒田杏子先生の訃報。あまりに突然のことで、途方に暮れた。   先生の寝顔がそばに朴の花  句集の後ろの方に入れたこの句は時間的にいうと約三十年前の作。先生の他界を予見していたわけでは全くないが、なぜかこの句を入れたいと思った。  「藍生」もロングラン吟行「西国三十三ヶ所観音霊場吟行」に時々参加していた。これは二十八番札所成相寺での吟行の時のこと。前泊するために乗った特急の指定席でたまたま先生と隣り合わせになった。 (中略) 四人で向かい合わせにして喋った後、ふっと眠りに入っていかれた先生。先生が凭れる車窓を夕立が通り過ぎ、夏の日差しが通り過ぎた。  とあった。本集中の栞の句は、    三日月を栞としたるこの世かな   冬立つと栞紐付き文庫本   ともあれ、愚生好みに偏するが、以下に、幾つかの句を挙げておきたい。   冬星につなぎとめたき小舟あり         久子    しやぼん玉息もろともにかがやくよ   蝌蚪散るやツァラトゥストラかく舌を噛み   傷痕を見せられダリアいよよダリア   猫カフェにさはるなの猫春寒し   冬虹や言葉とらへぬ父の耳   かけがへのない日水雲食べてゐる   亀鳴くや死の話のち湯の話   空蟬をかかげしままの爪に泥   てふてふのてふのかさなりつつのぼる   さて次は何に取り付く葛かづら   亀鳴くや三千年の禁固刑   白きもの蟻にはこばれつつもがく   囀にするどき舌の記憶あり   花びらに一脚かけて水馬      杉山久子(すぎやま・ひさこ) 1966年、山口県長門市生まれ。         撮影・芽夢野うのき「秋の草姉やら兄やら歌ってる」↑

黒田杏子「原発の國のさみしき夏の果」(『八月』)・・

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  黒田杏子第7句集『八月』(角川書店)、夫君・黒田勝雄の便り中に、  (前略) 妻は、本書を誕生日の八月十日に出版しようと準備を始めていましたが、三月十三日に旅先で急逝いたしました。  そこで編集を髙田正子様にお願いしました。  至難の日程と思われましたが、藍生俳句会有志の皆様のご尽力で、希望がかなえられました。  とあった。愚生が、勝雄・杏子のお二人お揃いで、直接お会いしたのは、忘れもしない現代俳句協会70周年記念祝賀会が行われた帝國ホテル地下での喫茶店であった。短い時間だったが歓談し、お茶をご馳走になった。愚生はといえば、昼間に行われた記念のシンポジウムには参加したものの、夕刻からの祝賀会は遠慮した。従って、金子兜太のおおやけの場での最後の姿はみていない。  また、「編者あとがき/先生の最終句集ができるまで」には、 (前略) 生前の師から、句集について直接耳にしていた事柄もあります。    収める句数は四百句未満    タイトルは『八月』  新型コロナ禍に突入する前に、「これまで五百句、六百句とかなり分厚いものを作ってきたけれど、次は三百数十句に絞って、普通の厚さの句集にしようと思う」と伺いました。そして今年になってから「次の句集のタイトルは『八月』に決めたわ」と。いずれも電話でのお話でしたが、あのときには声も弾み、熟慮の末であることが感じられました。 (中略)  句集は二章仕立てとし、第Ⅰ章には、主に「藍生」誌の主宰詠の作品を、第Ⅱ章には「俳句」誌特別作品を抜粋して収めました。第Ⅰ章は「俳壇」誌掲載の「俳句日記」と「俳句」新年号の数句を含みます。また第Ⅱ章は「俳句」誌掲載時のタイトルを生かしました。  と記されていた。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておこう。    邯鄲は母鉦叩それは父            杏子     六月二十一日 信州岩波講座まつもと 兜太・杏子公開対談    一行の詩の無盡蔵梅雨の月     収穫 杉山久子句集    とほき世の杳き泉をひとり聴き      八月十日   染めしことなきこの喜寿の髪あらふ      日野原先生より百四歳の記念句集を賜る   一〇月四日一〇四歳の一〇四句   はるかよりきし花びらをかの世へと      句集『陸沈』のひとに   冬麗のかなし齋藤愼爾また      七月三十一日

石倉夏生「寒林の隙間に狙撃手の気配」(「俳句界」9月号より)・・

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   「俳句界」9月号(文學の森)、特集は「引き継がれる精神/結社の理念を聞く」、「秋の食べ物を読む」である。読み物としては青木亮人の連載「近代俳人の肖像/逸話のさざめき、句の面影㊷」で藤後左右(とうごさゆう)が論じられている。面白い句を作る俳人だったが、今はこうして採り上げる人もいない。本文中の句を挙げておこう。    曼殊沙華どこそこに咲き畦に咲き        藤後左右    室内を暖炉煙突大まがり   横丁をふさいで来るよ外套 (オーバ) 来て   萩の野は集まつてゆき山となる   まつさをな雨が降るなり雨安居   知らぬ子とあふてはなれて栗拾ふ   大文字の大はすこしくうは向きに   舞ひの手や浪花をどりは前へ出る  本誌特集「結社の理念を聞く」は、昔の俳人の方々の方が、述べていることが真っ当のようだ。例えば、中坪達哉主宰「辛夷」の前田普羅(ふら)は、  わが俳句は、俳句のためにあらず、更に高く深きものへの階段に過ぎず(中略)こは俳句をいやしみたる意味にあらで、俳句を尊貴なる手段となしたるに過ぎず。  と述べたという。また、鳥居真里子主宰「門」の鈴木鷹夫は、   多くの仲間で研鑽し合う。そしてやがて自己を確立し、師の影を出る時が来る。門といういかめしい意識はこの時無くなる。門があって門が無いという俳句の彼岸に達するために、私達の「門」がある。——  創刊主宰鈴木鷹夫は当時の「門」誌のなかでこう述べている。  とあった。ともあれ、本誌本号よりアトランダムになるが、句をいくつか挙げておこう。    腰痛のなき青蛙跳ぶは跳ぶは        矢島渚男    天と地を統べる深夜の稲光         野木桃花    一翔んで一出会ひたる秋の蝶        辻村麻乃    降り立てば古都秋爽のフェルマータ     桑田真琴    初蝶に翅わたくしに両手あり       柴田多鶴子    3・11のイギリス海岸青胡桃       石 寒太    誓子忌に仰いでゐたる山の星        茨木和生    鰹来る暮石和生の見し沖に         谷口智行    傘寿過ぎ更に一齢牡丹寺          加藤耕子    夢殿か浄土か山芋摺るやまひ       鳥居真里子    雷鳴や毛のない羊ばかり来る        村木節子    ナンセンスとは何や知らんけど茄子  

中里夏彦「天空を(てんくう)を/飛(と)ぶもの/あまた/霊(れい)もまた」(『夢見る甍』)・・

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    中里夏彦第3句集『夢見る甍』(鬣の会・風の花冠文庫)、本文用紙は黒、つまり黒地に白文字(銀)、多行表記の句集である。その「後書き あるいは『避難所から見える風景』(八)」の中に、   二〇一一年三月に発生した東日本大震災に起因する東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故によって、私は生まれ育ち、将来も自らの人生の拠点になる筈であった家や地域を永遠に喪失した。「永遠に」とは人生を百年という単位で考えた時の時間感覚からすれば、ということである。つまり、原発から直線で3㎞(以前の文章で5㎞と書いたのは道のりでした)に位置するその場所は私にとって生涯帰還できないエリアとなり、その結果、私や私の家族、数百年に及ぶ累代の地縁血縁、学校卒業後の三十余年勤務した地元の職場の人々との関係が大きく変わらざるを得なかった。 (中略)   言ってみれば、それまでの私の人生が根こそぎ失われたように感じている。果せるかな、私の言葉もそれなりの影響を蒙ったに違いない。その意味で第二句集『無帽の帰還』が担ったモチーフは、実に原発事故被災当事者としての証言であっただろう。  そして第三句集『夢見る甍』とは、被災者としての私が現在抱いている実感から言えば、三・一一を契機としてそれ以前に生きていた世界とは少しだけ違うようでいて全く違う、所謂パラレルワールド(並行次元)に移行してしまった気分を言い当てている。人生が自分以外の人との様々な関係の集積だとすれば、それまでの人間関係があの爆発事故によって一気に崩れ去り、私は自らの足元も覚束ない宙ぶらりん状態になった。その形容として即ち「パレルワールド」はピッタリするのだが、これを説明しようとするとなかなか難儀する。 (中略)  「核の平和利用」という言葉自体が孕んでいる欺瞞性、つまり一方に平和でない利用方法の可能性を示唆し、しかもそれが人類にとって取り返しのつかない事態を引き起こすことを暗に含む、この「平和利用」という言葉が持つ二律背反性を、政治的にも経済的にも許していることを私たちはもっと重く受け止めるできだと思う。 (中略) なぜ原子力だけに「核の平和利用」という奇妙でグロテスクな言葉が許され、しかも成立するのか。その裏にある国家の政治的な意志、つまり膨大なエネルギーを兵器に転用する軍需産業との経済的な利害関係が、巧妙に、あるいはそれと矛盾するようだが

岡山弘親「ケロイドの俺は黙って生きている」(「小暮沙優 原爆句集『広島』を歌う」より)・・

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    昨夕、8月26日〈土)は、東京北区滝野川会館小ホールで行われた「小暮沙優 原爆句集『広島』を歌う/朗読モノオペラ」(主催・アクションつなぐ)に出掛けた。数か月前、アクションつなぐの島田牙城に、チケットの予約を申し込んだのだが、改めて予約の入場証を見たら、「チケットNo,東 001番/全席自由」とあったので、驚いた。というのも愚生は、こうした催しには、だいたい、いい加減で、申し込みは遅れ気味なのに・・・と。たぶん、一番とは生涯初めてのことであろう。久しぶりに会った牙城も元気そうだった。打ち上げの会にも少し出席して、牙城にウーロン茶ですか?と尋ね、注文しようとしたら、もちろんと言って、生ビールを飲んでいた。愚生はもちろんノンアルコールビール。とはいえ、知り合いと言っても数年ぶりに会う人ばかりで、顔と名を覚えるのが苦手な上に、耄碌もすすんでいる愚生では、きっと失礼した人も多かったにちがいない。  ところで、受付で創刊されたばかりの雑誌「カワズ」」第一号(株・スタジオペガサス)の表紙に「本が紡ぎ出す繋がり」というのにも惹かれたが、小暮沙優の記事「戦争の記憶を次世代に伝えていくために」が載っているというのでカワズ(買わず)ではなく、つい買わされてしまった。以下は、「朗読モノオペラ つなぐ パンフレット」よりの句をいくつか挙げておこう。    屍の中の吾子の屍を護り汗だになし     和多野石丈子    みどり児は乳房を垂るる血を吸へり       西本昭人    蟬鳴くな正信ちゃんを思い出す         行徳功子    廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる         原 民喜    爆心地で汗する無数の黙 (もだ) に合ひぬ   相原左義長    原爆忌をとこも悲し全裸の図          飯田米秋    流燈に顔重ねあふ孤児その兄          大堀正毅    肌脱ぎつお母さん熱いと言ひ遺す        岡藤静翠    原爆に焼けし乳房を焼けし子に         川上政子    恋秘めてケロイド秘めてセルを着る       山縣虚空    原爆地をたやすくうたう気になれないでいる  吉岡禅寺洞     ひろしまの蝉の木夜は少年棲み        伊達みえ子     人ゆくゆゑ行かねばならぬ皮ひきずり      小崎碇人    句集『広島』「おわりに」をパ

笠井節子「葡萄葉(ぶどうは)の日ごと枯れゆく実はたわわ」(「吾亦紅句会」)・・

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   本日8月25日(金)、これから、愚生がお預かりすることになって初めての「吾亦紅句会」およそ第170回(於:立川市高松学習館)であった。愚生を含めて、みな高齢者なのだが、明るくて、元気がよい。兼題は「稲妻」。以下に一人一句を挙げておこう。    寝袋と青春切符 夏休み             田村明通    語り部の戦史聞き継ぐ仏桑花 (ぶっそうか)  井上千鶴子    稲妻の暗号めいた幾何模様            西村文子    戦争に馴れてはならぬ敗戦忌           齋木和俊   折鶴が教えてくれる広島忌            関根幸子     君といる見過ごすまいと流れ星          村上サラ    横丁より太鼓鳴りだす秋まつり          佐藤幸子   新涼や眼 (まなこ) つぶらな赤児 (あかご) あふ  奥村和子    薄雲の空広ごりて秋初め             松谷栄喜   向日葵の右へならいの閲兵式          吉村真善美    下駄箱の干し玉ねぎや園の軒          折原ミチ子   ビームなど発せし仁王炎天下           牟田英子    つまようじ又の呼び名はパパ留守番       三枝美枝子    稲妻やピカリ閃 (ひらめ) き急ぐ旅       佐々木賢二    夕闇を引きさくような稲光            高橋 昭    落蟬は生の糧なる仏かな             須崎武尚    夏雲と黒雲空を分けにけり            渡邉弘子    鎮魂と平和よ永久に終戦日            武田道代    夜半には時刻正確虫の声             笠井節子    青山 (せいざん) の嶺越えてくる稲光       大井恒行  次回は9月22日(金)、兼題は「蜻蛉」。因みに立川市高松図書館・学習館の通路には、現代俳句協会の三名の選者(太田うさぎ・寺澤一雄・渡邊樹音)による「図書館俳句ポスト/図書館で俳句の投句をしてみませんか?」(上掲写真)のお題「母の日」・「自由題」の特選句に吾亦紅句会の牟田英子が掲載されていた。    母の日と云ふくすぐつたき一日     牟田英子 とあった。      撮影・中西ひろ美「秋遍路そろそろそんな風も吹き」↑

山川桂子「静脈の海透きとほる今朝の秋」(第20回「きすげ句会」)・・

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  本日、8月24日(木)は、第20回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「秋」を含む、3句持参。以下に1人一句を挙げておこう。    ほろ酔ひの標は角の金木犀           高野芳一    ラバウルの父の悲のいろ石榴割れ        濱 筆治    膝裏の直ぐなる少女夏・銀座          山川桂子    蟬の穴覗けば砂漠ラクダ見ゆ         久保田和代    背後から目には見えねど秋の風         井上芳子    途中下車夏水仙 (なつずいせん) の出会いかな  杦森松一   秋光を孕 (はら) める堅き雲白し        井上治男    お天気雨綿菓子いっぱい浮かんでる      大庭久美子    電線にインコ石榴のクェッション        寺地千穂    新涼や連れだちており瓜茄子          清水正之    にっぽんの大きななやみ秋の風         大井恒行  次回は、9月21日(木)、於:府中市中央文化センター、兼題は「茸」。 ★閑話休題・・小野小町「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを」(『小説小野小町 百夜(ももよ)』より)・・  髙樹のぶ子『小説小野小町 百夜(ももよ)』(日本経済出版)、帯の惹句に、   花の色はうつろいても、和歌の言 (こと) の葉 (は) は色褪せぬ/髙樹のぶ子  千年の時を経ても語り継がれる「小町」の名。実作と伝わる和歌を拠り所に謎多き生涯を小説に紡ぎ、この女性歌人を数多の小町伝説から解き放つ。「百夜通い」とはたして――平安女流文学の原点がここにある  とある。また、著者「あとがき」には、  (前略) けれど小町の実像は、「あはれなるようにて、つよからず」ではなく「あはれなるようにて、真 (まこと) はつよい」のではないでしょうか。  小町の歌から「哀れ」と「美」を見出すことは男性にも可能ですが、もうひとつ彼女の歌から「つよさ」を感じとるには、女性の方が得意な気がします。  もちろん男性にも「小町のつよさ」は伝わりますが、その場合の「つよさ」とは男に対して気丈であり、鼻っ柱がつよく、自我を貫く姿の「つよさ」であり、小町の歌には媚びへつらいがないので、自らの感性に正直なところなど、この時代の女性としては生意気に見えるのかも知れません。 (中略

其角「詩あきんど年を貪ㇽ酒債(サカテ)哉」(「江古田文学」第113号より)・・

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 「江古田文学」第113号(発行:江古田文学会・発売:星雲社、税込1200円)、特集は「連句入門」。全編連句に関する記事で構成されている約350ページに及ぶ大冊。大きな目次だけでも挙げると、 1「『連句入門書』入門」、2「『連句比較論』入門」、3「『連句実作』入門」、4「『連句イラスト』入門」。5「『連句鑑賞・評釈』入門」。  巻頭の佐藤勝明「特別講座『芭蕉連句入門書』入門」と佐藤勝明・浅沼璞・高橋実里・日比谷虚俊「座談会『芭蕉連句入門書』入門」は、愚生のような連句初心のような者にも、分かりやすくて面白く読める。色々、引用紹介したいところはあるが、直接、本書に当たられれたい。ここでは、浅沼璞創案・「 オン座」六句・六箇条」(最新版) のマニフェストをまず、挙げておこう。 ① 一連六句を基本単位とし、やれるところまで連を継ぎ足す(序破急を鑑み、三連以上を理想とする) ② 第一連は基本的に歌仙の表 (おもて) ぶりに則る(発句以外は宗教・恋愛・述懐・病死・闘争・固有名詞など不可。また短句下七の四三調も第一連のみ不可)。 ③ 途中、自由律の連を任意に定め、長律句(二十音前後)と短律句(十音前後)を交互に付け合う。 ④ 月・花・恋に加え、「六句」の洒落として氷・石(岩)・ロックミュージックを任意詠みこむ。 ⑤ 四季の詞および④項を含む全ての題材において句数は一~二句、去嫌 (さりきらい) は三句去りとする(これをワンツースリー・ルールと呼ぶ)。 ⑥ 最終連の予測がついたら、五句目までに花の座をもうけ、挙句でわざと打越し、一巻のエンドマーク (終止符) とする。  と掲げられている。             「『連句イラスト』入門」/発句脇図↑  あと一カ所、「俳人による『両吟』入門」の座談会(令和五年三月四日)の中から、以下に、「オルガン28号」の自由律の連を再掲載しておこう。    二重まぶたの三島由紀夫が四ッ角に立ち      田島健一     村八分聞く                   浅沼璞    登山鉄道スイッチバックに入つて雹       宮本佳世乃     とまどふすべりひゆ              鴇田智哉    神様のやうなるごときみたいに神様死ぬ      福田若之     寶船をはみだし                  健一  また、ブログタイ

鈴木真砂女「今生のいまが倖せ衣被」(『銀座諸事折々』より)・・

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   鈴木真砂女『銀座諸事折々』(角川書店)、近くの文化センターの図書館分館にはよく立ち寄る。 愚生は東京新聞夕刊しか購読していないので、他の新聞の俳壇記事などは、その図書館で読む。加えて、年に数回、リサイクル図書といって、府中市図書館の本や雑誌が、お持ち帰り自由になる。倉庫にも限りがあるので、たぶん、10年以上貸出しが一件もない図書などは無料で払い下げになるのだろう。先日は、月刊俳誌『俳壇』の2年間分が揃っていたが、どうせ、市の資源ゴミの日に出すことになると思って止めた。今日は、たまたま、鈴木真砂女『銀座諸事折々』があったので、今では誰も読む人がいないのか、と少し寂しく、貰って来た。パラとめくったら、愚生の知り合いの名がでていたので、引用する。       「五月の摘み草」  過ぎし日、常連であり「門」同人の野村東央留さんから、からし菜、芹、野蒜その他たくさんいただいた時、急に摘み草をしたくなって四月二十九日の祭日に連れていっていただく約束が出来た。 (中略)  メンバーは野村さんを始め俳句仲間の細谷好江さん、結社には所属せず俳句作りを愉しんでいる女性群総勢八名である。 (中略)  鶴瀬駅前の「鳥千」は細谷さん経営の小料理屋だが、今日は休日で幹事役を引き受けている。奥の部屋に一同引きあげて句会に移った。三句投句五句選のうち一句特選で、私の特選は私の色紙を贈呈ということで句会に入った。初心の方々もいたが、一緒に摘み草を楽しんだことが充分に詠まれた佳句をたくさんいただいた。私の色紙は「門」の佐藤幸栄さんの手に渡った。  選評の間に宴会の用意も整った。野蒜のぬた、芹の天ぷらとおひたし、掘ったばかりの筍の煮物、クレソンのサラダ、草だんご、いずれも野の香りぷんぷんである。これらの料理の盛られた器は野村東央留夫人の作品で、趣味としてご夫妻で陶芸の道に入って久しい。摘んだばかりの芹の天ぷらは五指をひろげたように揚げられ、口に入れるとパリッと音がする。天ぷらを揚げるのは野村さんが最も得意とするところらしい。  とあった。愚生は、先年、展示会に出掛けて、野村東央留の手になる陶器をいただいたことがある。故鷹夫主宰の時代から恵送いただいている「門」誌には、毎月、野村東央留の句が載っているので、健在のご様子である。真砂女の文中ながら、思わぬところで会えて嬉しかった。因みに、手元の「門」8

鈴木六林男「憲法を変えるたくらみ歌留多でない」(『鈴木六林男の視線』より)・・

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  岡田耕治著『鈴木六林男の視線』(香天文庫1)、「後記」には、   私が勤めている大阪教育大学の公開講座では、鈴木六林男の俳句をとおして俳句づくりを講義した。(二〇一七年~二〇二二年)また、大阪俳句史研究会では、「鈴木六林男 人と作品」というタイトルで発表することができた。(二〇一六年)これらを「香天文庫」の第1冊目としてまとめることとした。 (中略)  私の講義・発表内容に続いて、鈴木六林男俳句の鈔抄集を収録した。 (中略) 構成は、圧倒的な力量を孕みながら六林男師本人が編んだ句集として刊行されなかった未刊句集から多くを収録した。絶筆となった「俳句あるふぁ」二〇〇四年一二月号の十句をそのまま掲載するとともに、この絶筆に向かって六林男師がどのように言葉を紡いでいったのかということをたどれるよう並べて行った。 (中略)   巻末に「花曜」終刊号の年譜(塚原哲編)に加筆修正して、六林男師の略年譜を付した。  とあった。また、「鈴木六林男の視線」の一部には、 (前略) ここに「鈴木六林男の技術」をまとめました。たくさんあるのですが、六林男にちなんで、六つに集約しました。  ①多く読んで、やさしい言葉で、  ②自分を新しくしながら、  ③感じたことを書く。  ④視座を低くして、  ⑤回り道をしながら、  ⑥その年のテーマに向かって書く。  (中略)   駅が表だとすれば、操車場は裏です。視座を低くして、裏側に光を当てていきます。       旗を灯に変える刻くる虎落笛  車輛を誘導していた旗が、ランプに変わる、普通ですとほっとするひとときですが、「吹操」はそうではありません。「虎落笛」の中を、労働は深夜に及ぶのです。  さらに、②「自分を新しくしながら」という技術についても、対象をしっかり見ることによって、自分を新しくする、そのような書き方がここにあります。六林男はよく「あっち向いて蝶々かな、こっち向いて桜かなという書き方をしていてはだめだ」と言われました。   とある。ともあれ、「鈔抄集」から、六林男の句をいくつか挙げておきたい。    ねて見るは逃亡ありし天の川          水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり   凶作の夜ふたりになればひとり匂う   天上も淋しからんに燕子花   満開のふれて冷たき桜の木   われわれとわかれしわれにいなびかり   ウクライナの女

ジュリアン・ヴォカンス(本井英訳)「ピエロ蒼白月下の死体さながらに」(「夏潮」別冊・虚子研究号VOl.XⅢ)・・

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 「夏潮」別冊/虚子研究号Vol.ⅩⅢ(夏潮会)、ブログタイトルにした句は、本誌の本井英「ジュリアン・ヴォカンスと虚子」の末尾に記されたジュリアン・ヴォカンス「戦争百態」、本井英による意訳である。それには、     付録 『戦争百態』十七字訳  昨年、二〇二二年。筆者は「俳人協会紀要 二十二号」に「世界初の厭戦句集」と題して。ジュリアン・ヴォカンスの「戦争百態」を訳出した。その際、「俳句」として日本人が味わうためには、出来るかぎり定型(十七音節)であることが望ましいと考えて敢えて「意訳」に挑んだ。しかし、念のため「原文」と「逐語訳」をも添えた。 (中略) 若干の「註」は付したが、世にある普通の「句集」(季題はないが)として味わって頂ければありがたい。それでも「逐語訳」をご覧になりたい方は「俳人協会紀要」によられたい。 とあった。また、表紙裏の、本井英「夏潮 虚子研究号 第十三輯」発刊に際して」には、 (前略) 実は、今号は果たして発刊できるかどうか危ぶんだ時期がありました。私事ではありますが、本年一月に「喉頭癌」(五年前に発症したのは「咽頭癌」)が見つかり、三月に全摘手術、そのい結果「声」を失いました。編集作業の時期と重なったこともあって、今号ばかりは発刊を見送ろうかとも思いましたが、熱心に論文を寄せて下さる方々のご協力のお陰で、なんとかいつも通りの「研究号」を仕上げることができました。ただし「三館だより」までは手が回らず、本号では見送らせて頂きました。来年、再来年と「虚子」をテーマに据えた研究が陸続と登場することを願って止みません。  とあった。本井英の志に敬意を表したい。本号の目次を列挙しておくと、井上泰至「『栞して山家集あり西行忌』考」、小田直寿「虚子連句との対比としての旧派俳諧――『芭蕉翁遺語』における『格』の説を中心に――」、岸本尚毅「山口青邨と『山会』」、小林祐代「青畝と虚子」、田部知季「明治三十年代前半の虚子句碑――選評と句合に見る俳句評価の一面――」、筑紫磐井「虚子と秋櫻子――秋櫻子の離脱まで」、中本真人「昭和十三年の虚子の佐渡訪島について」、本井英「ジュリアン。ヴォカンスと虚子」。その「戦争百態」から、いくつかの句を挙げておきたい。    英霊を照らせり無礼なる花火   砲撃に地平の町の明るめり   敵機糞 (ま) るロケット弾か爆弾か   そここ

蝦名石蔵「詩兄の死知らずにゐたり露の日々」(『雲漢』)・・

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   蝦名石蔵第6句集『雲漢』(私家版)、著者「あとがき」には、   この「雲漢」は、第四句集「風姿」以降の作品を収容した。「風姿」の後に旅行句ばかりの「旅信」を出版したので、本句集は第六句集となる。俳句を始めてから五十年が経ち、初学時代の同人誌「暖鳥」の頃を思い出す。実質的な師であった成田千空さんをはじめ、溌剌とした時代が懐かしい。そして、これからは流れに身をまかせるのみと思っている。  とある。また、集名に因む句は、    雲漢の雲水たらん大ねぶた       石蔵  であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    かげろふを来てかげろふへ救急車   遠吠えは遠吠え呼びぬ鰯雲   こがらしのひとたびふかばとめどなし   わたすげやいたるところに風ゑくぼ   ぬけみちとなるぬかるみを春の猫   冬の田にたんぽぽ成田千空忌   寒しじみ小粒といへど鉄のいろ   雁帰るこの世の白き嶺づたひ   目鼻なきままの幾夜や白ねぶた   火男 (ひょっとこ) に付いてゆくならねぶたの夜   太宰の地どの野辺からも告天子   剪定の愚直や廣瀬直人の忌   撞きあげて形まだ無し鏡餅   蝦名石蔵(えびな・いしぞう) 1949年、青森県生まれ。 ★閑話休題・・正岡子規「お酉様熊手飾るや招き猫」・・・  藤田一咲・村上瑪論著『幸せの招き猫』(河出書房新社、上掲写真)によると、 (前略) 猫が庶民の間で飼われるようになり、暮らしのなかの点景になっていったのは江戸時代になってからだ。そしてその存在感はやがて人々の間で大きくなる。猫自体が本来持つ問される神秘的な霊力と、中国の故事からきた「猫が前足を上げて顔をこすると客が来る」と結びついて、あるひとつのスタイルを創りあげていった。  それが、商売繁盛、招客万来、厄除開運をもたらしてくれるありがたくもお高くとまることいない神様 (中略) である招き猫の姿になっていったというわけである。  招き猫自体、その姿を眺めているだけで貧乏長屋の八つぁん、熊さん的な庶民のなかから生まれ育っていったであろうことは、容易に想像ができる。つまり、知識階級たちの文化遺産とは考えにくい分だけ参考文献もきわめて少ない。だからこそ謎が多くて奥がかなりふかい、となる。  とあった。招き猫といえば、元「豈」同人・宮﨑二健の新宿東南口すぐの

久保田万太郎「ボヘミヤンネクタイ若葉さわやかに」(『荷風追想』より)・・

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   多田蔵人編『荷風追想』(岩波書店)、書名の通り、簡単に言うと,永井荷風(明治12~昭和34年)に関する60編近くの思い出、エピソードなどを集めている。愚生は、一応俳人だから、どうしても久保田万太郎に目がいく。巻末近くの三島由紀夫「十八歳と三十四歳の肖像画」は意外に面白く読んだ(愚生は、実は三島が何故か生に合わないので、フツウは読まない)。その久保田万太郎「ふたりの会葬者」(『中央公論』荷風追悼特集、1959年7月号)の中に、   (前略) ところで ―― 先生について、とくに何か、おぼえていることはないか?  というぼくの質問に対して、先生は。若い方とご一緒に、いつも十二時すぎにおみえになり、明けがたになってお帰りになったといい、お酒をあがらないでしょう。だから水羊羹だの葛ざくらなどのをめし上がりながらおはなしばかりなすってたといい、ときには角町(すみちょう)の露地のなかの“すみれ“へ行き、ソーダ水をにんでおわかれしたりといい、毎晩、お立ちになるとき、かならず“勘定“をおいいつけになるので、浪花屋のおかみさんが、“どうせ、また、あした、おいでになるんでしょう“というと、大てい来ると思うけど、今夜は今夜だ“とおっしゃって、毎晩、キチン、キチンと、その晩の分をお払いになりましたわ、といった。 ――浪花屋のおかみさん、驚いたこッたろうナ。 (中略) ――香登利 (かとり) (その店の名まえ)には荷風さんの色紙がありますよ。 とかれの隣人がおしえてくれたのである。 ―― へえ。 とばかり、かれは、微笑とともに、すぐに奥からもって来て、みせてくれた。 その色紙には、  鮎塩 (あゆしお) の焦げる匂ひや秋の風 という句が書いてあり、荷風という署名の“風“という字の、キッパリ、不思議なくらい冴えているのに、ぼくは、途端に心を惹かれた。 (中略) それにしても ―― やッぱり、ぼくには、“狐“の“牡丹の客““深川の唄““歓楽“そして、“すみだ川“の作者の先生がなつかしい。……これを書きながらも、ぼくは、しきりにそれを思ったのである。   ボヘミアンネクタイ若葉さわやかに            芽夢野うのき「青空や虎の尾の花にして眼力」↑

小澤實「狸入るぞ鋼鉄の扉をしかと閉めよ」(「澤」8月号より)・・

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   「澤」8月号・創刊23周年記念号(澤俳句会)、特集は「令和4年の澤俳句」。まず、「祝・受賞 相子智恵/第四十六回俳人協会新人賞受賞『呼応』」の相子智恵「句集づくりのススメ」に、論は町田無鹿「第一の相子智恵になるために」、「祝・受賞 木内縉太/俳人協会第六回新鋭俳句賞準賞『砂上の文字』、論は金澤諒和「圧倒的な熱量と静かな優しさ」、「祝・受賞 池田瑠那/第二十四回山本健吉評論賞『閾(しきい)を視る、端(はし)に居る 上野泰が詠む閾と縁側』」、論は村越敦「一微粒子」。さらに、特集は、西村麒麟「令和四年の澤の俳句 『澤』四十句を選ぶ(創刊~令和三年)」と小澤實との対談「いたるところ澤宝あり/澤四十句に読む澤の二十三年」。その他、「令和四年の澤の俳句」の論に、角谷昌子「新しみを求めて」、生駒大祐「打診すること・幸福について」、岩田奎「面白がらない」、坂西敦子「季題の窓から ホトトギスが澤を読むと」、大室ゆらぎ「瑞々しい実感」、喜心「時間の波の煌めき」、中村麻「虚を衝いて」、中山雅弘「変わっていくものと変わらないもの」、嶋田恵一「新しい風 新しい澤」、沖としこ「澤の煌めき」など。他に、第23回澤潺潺賞は山口方眼子「杭」(論考は相子智恵「余白とは白い形」)と余村光世「砂子筒」(論考は馬場尚美「時空を超えて」、第23回澤新人賞は吉川千草「女の国」(論考は村上佳乃「残る白鳥」)、第10回澤叢林賞は嶋田恵一「辞世」(論考は古川恵子「きらきら」)、さらなる特集は「小澤實『瓦礫抄』を読む」に、沼野充義「小さな命から雪の魔女まで」、柴田元幸「分身の術」、荻原裕幸「蛍袋を探して下さい」、平岡直子「震える、そして震えないもの」、安里琉太「自照させる形式」、町田無鹿「日々を構成するもの」など、さすがに23周年記念号と称するに充実の号である。ともあれ、以下に、本号より、アトランダムになるがいくつかの句を挙げていきたい。    ニッポニア・ニッポン我に日本忌        高橋睦郎    鳥残したる蟇の頭や蟻びつしり         小澤 實    ローリング・ストーンズなる生身        榮 猿丸    金魚の口伸びたり糞をかすめたる        相子智恵    つちふるや茶筒に飼うて管狐          池田瑠那    蛇穴を出て見ればまた戦の世          押野 裕    屋

打田峨者ん「夏蝶に翳る中庭 聖戦館」(「つぐみ」No,212)・・

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  「つぐみ」No.212(俳句集団つぐみ)、俳句交流は、叶裕(里俳句会・塵風・屍派)、添えられている小文には、 「いつも自分のこころの在り方に深く内省の眼を向ける人でなければ、第三の眼は生まれてこない、涙で両眼を泣きつぶすような人に、第三の眼は開ける。」(山口草堂『春日丘雑記』)なんとエモく真摯な言葉だろう。不定形な「こころ」を見つめ続ける事の困難さ、そしてその先に示現する一種異様な「第三の眼」。多分にオカルティックではあるが、俳人草堂の俳句に対する姿勢が窺える一節である。  とあった。書き下ろし評論には、外山一機「渡辺美鳥女ー台湾の女性俳人ー」。その結びに、   (前略)一日歩行叶ひし夢を見る而して醒むれば起つ術もなき不治の身なり    これやこの我即身に夜着かくる  この句は「これやこの」ーすなわちありのままの自らの肉体にいまさらながら驚いているような書き出しから始まる。夢のなかでは二〇歳の頃のように自由に歩くことができた身体だったのに、目覚めるといつもこのように身動きのとれない身体である。しかし、そのことに絶望するのではなく、少し離れたところから「これやこの」と言ってみせるところに美鳥女の強さがある。そして、夜着をかけるというふるまいには、病気を負ったありのままの自身の身体への切ないいたわりがある。  この句を詠んだ翌年、一九三八年(昭和一三)に美鳥女は亡くなっている。五三歳であった。  とある。ともあれ、以下に、一人一句を挙げておきたい。    短夜のジャケット肩掛けにしてホスト        叶 裕   変電所バス停に変電所なし鳥曇り        つはこ江津    黒南風や隣に届く宅急便            夏目るんり    友迎ふ日なり全開ハイビスカス          西野洋司    アガパンサス花開くまで通う川         ののいさむ    ふたりして自撮りして花デイゴ          蓮沼明子    花樗雲の上にも昼がきて             平田 薫    夏うぐいす思わず返す口笛            八田堀京    そろそろ寝ます笹百合たっぷり並べましょ    らふ亜沙弥    記憶よりみなちいさくて南風 (みなみ) 吹く    渡辺テル    白タンポポ風の行方を聞いてみる        わたなべ柊    いつしかに 食虫植

高橋睦郎「雪頻れ達磨俳諧興るべう」(「詩歌の森」第98号より)・・

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 「詩歌の森」第98号(日本現代詩歌文学館 館報)、その巻頭エッセイ、高橋睦郎「別号を加えるの弁または筆名という自由」に、   小説で鷗漱二家といえば森鷗外と夏目漱石、紅露二士となれば尾崎紅葉と幸田露伴。いずれも雅号、本名はそれぞれ林太郎と金之助、徳太郎と成行 (しげゆき) である。 (中略)   俳人・歌人に目を転じれば、俳人子規は正岡升常規 (のぼるつねのり) の、虚子は高浜清の、碧梧桐は河東秉五郎 (へいごろう) の号、 (中略) 歌人の号は比較的寡くて、子規門流アララギ派の伊藤佐千夫 (さちお) 、長塚節 (たかし) 斎藤茂吉、土屋文明、みな本名。明星派の総帥与謝野鉄幹はのち本名寛 (ひろし) に戻ったし、その弟子にして妻の晶子は本名の晶 (しょう) に子を付けて生涯の名告りとした。晶子の親友で好敵手の山川登美子も本名のままだ。  俳人・歌人間の雅号との関わりの相違は何によるか。この国古来の和歌による歌人は人麻呂、貫之以来、本名のほうが自然だったが、後発の俳諧から来た俳人は芭蕉、蕪村このかた、雅号のほうが似合ったのだろう。室町期の詩僧、江戸期の漢詩人が号を以て呼ばれた影響もあろう。俳諧者が旨とした俗言は漢語も含んでいたからだ。 (中略)  ところで、ふだんは本名で書きつつ別に雅号を持つ人もいる。小説家石川淳、別号夷斎先生。詩人安東次男、別号流火草堂。自由を持ったゆえんを考えるに、雅号というアナクロニックを所有することで、時空ともさらに自由になるためではあるまいか。   恥かしながらかく申す私、高橋睦郎も別号を持っていて、荒童、これは荒んだわらべ又は化物の意、星谷は茅屋の在る谷戸から豊かに星の望まれることによる。幻厦はまぼろし (・・・・) のや (・) と訓む。八十五歳を迎えてこれに新たに雪齋を加えることにした。 (中略)   小雪まふ朝湯帰りに生れしと   雪の香の立つまで生きん志   雪頻れ達磨俳諧興るべう  雪齋が恰好佳すぎるなら、拙齋、褻齋にも通じると強弁しておこう。  とあった。その他、本号の記事には、柳本々々「ふとんをはこぶ」、照井良平「『書く』喜びを教えた詩」、柳原千秋「小さな歌人たちー歌会のうるわしさー」、角谷昌子「享受と懐疑ーAIの活用」などがあった。 ★閑話休題・・津髙里永子「かなかなや和泉式部の恋偲び」(「ちょっと立ちどまって」2023