石倉夏生「寒林の隙間に狙撃手の気配」(「俳句界」9月号より)・・

 

 「俳句界」9月号(文學の森)、特集は「引き継がれる精神/結社の理念を聞く」、「秋の食べ物を読む」である。読み物としては青木亮人の連載「近代俳人の肖像/逸話のさざめき、句の面影㊷」で藤後左右(とうごさゆう)が論じられている。面白い句を作る俳人だったが、今はこうして採り上げる人もいない。本文中の句を挙げておこう。


  曼殊沙華どこそこに咲き畦に咲き       藤後左右

  室内を暖炉煙突大まがり

  横丁をふさいで来るよ外套(オーバ)来て

  萩の野は集まつてゆき山となる

  まつさをな雨が降るなり雨安居

  知らぬ子とあふてはなれて栗拾ふ

  大文字の大はすこしくうは向きに

  舞ひの手や浪花をどりは前へ出る


 本誌特集「結社の理念を聞く」は、昔の俳人の方々の方が、述べていることが真っ当のようだ。例えば、中坪達哉主宰「辛夷」の前田普羅(ふら)は、


 わが俳句は、俳句のためにあらず、更に高く深きものへの階段に過ぎず(中略)こは俳句をいやしみたる意味にあらで、俳句を尊貴なる手段となしたるに過ぎず。


 と述べたという。また、鳥居真里子主宰「門」の鈴木鷹夫は、


 多くの仲間で研鑽し合う。そしてやがて自己を確立し、師の影を出る時が来る。門といういかめしい意識はこの時無くなる。門があって門が無いという俳句の彼岸に達するために、私達の「門」がある。——

 創刊主宰鈴木鷹夫は当時の「門」誌のなかでこう述べている。


 とあった。ともあれ、本誌本号よりアトランダムになるが、句をいくつか挙げておこう。


  腰痛のなき青蛙跳ぶは跳ぶは       矢島渚男

  天と地を統べる深夜の稲光        野木桃花

  一翔んで一出会ひたる秋の蝶       辻村麻乃

  降り立てば古都秋爽のフェルマータ    桑田真琴

  初蝶に翅わたくしに両手あり      柴田多鶴子

  3・11のイギリス海岸青胡桃      石 寒太

  誓子忌に仰いでゐたる山の星       茨木和生

  鰹来る暮石和生の見し沖に        谷口智行

  傘寿過ぎ更に一齢牡丹寺         加藤耕子

  夢殿か浄土か山芋摺るやまひ      鳥居真里子

  雷鳴や毛のない羊ばかり来る       村木節子

  ナンセンスとは何や知らんけど茄子    島 雅子

  青葉木菟くらい部分が嗚咽する     中島悠美子

  千年の初期化スイッチあめんぼう    三上隆太郎

  戦死者の上に積もつてゐた雪だ      佐々木歩 

  黒点はかつて薔薇の木在りし場所     加藤 閑

  蒼海の一粟の上や鳥渡る         堀本裕樹

  青紫蘇と律儀な彼がやってきた      坪内稔典

  月光に射られし眼もて眠る        今井肖子

  天皇はだいたい人間いわし雲      加藤絵里子

  昼酒の長くなりたり走り蕎麦       小島 健 

  いつも買ふいつもの豆腐小鳥来る    伊藤伊那男

  新豆腐その夜の月の隈なかり       中西夕紀

  柿の色とにかく生きなさいの色      宮﨑斗士

  錆鮎や食ふもののみが身になると     如月真菜

  手強しよ信濃とろろは嚙んで食へ     相子智恵



         撮影・中西ひろ美「秋だろう入道雲の先端は」↑

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