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九里順子「自販機の三台並びどれも春燈」(『日々』)・・

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  九里順子第3句集『日々』(鬣の会・風の花冠文庫)、表3カバー裏に、堀込学は、  銭湯・口笛・相撲・夏休み……。九里順子の俳句はどこまでも懐かしいが、昭和レトロや懐古趣味ではない。俳句作法に抗わず端正に作られた句は、記憶と実存が拮抗した少女世界である。その少女は今も九里とともに現在の「日々」を詠む。仙台から大野へ。暮らしの機微が綴られた句集『日々』は、孤愁という言葉こそ相応しい。  と記している。また、著者「後書き」には、   二〇二二年三月に三十年勤めた仙台の大学を退職し、福井県大野市の実家に戻った。二年近く経ち、郷里の生活のペースとリズムも掴んできた。  環境は大きく変わったが、その底流を流れる変わらないものに気づいた。一日一日を重ねて生きていくということである。 (中略)  第三句集『日々』は、仙台から大野に至る日々の中で心に留まったものを詠んでいる。お読みいただいて、繋がりと起伏を感じ取ってくださったなら、嬉しい。この国も世界も前のめりに突き進み、行き詰り、予断を許さぬ状況の中にあるが、「日々是好日」を心に生きていきた。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    日蔭には日蔭の色で赤のまま          順子    遅き日の突き出してゐる棹二本      藤富保男   菫野の土管を覗くゴリラかな   黒々と消える山から水の女   葉桜の後ろにまはる夕日かな   菊よりも虹に心を奪はれる   窓側も燈し頃なり秋彼岸   草の香と水の香溶ける夜の秋   もの言はずもの言へぬ国黄落す   風抜ける町家の奥の昼蛙   皮膚よりも本の頁に秋の風   風鈴の今日も夜通し鳴りさうな  九里順子(くのり・じゅんこ) 1962年、福井県大野市生まれ。 ★閑話休題・・上田玄「あめつちや/まだらに/生きて/さらばさらば」(「鬣 TATEGAMI」第90号」より)・・  「鬣 TATEGAMI」第90号(鬣の会)の記事中のひとつは、「追悼 上田玄」だ。執筆は外山一機「書き続けた人」と林桂「追悼・上田玄」である。上田玄は昨年12月30日に亡くなった。享年77。愚生にとっても無念である。その昔、句集『鮟鱇口碑』の「鮟鱇・アンコ」は、日雇い労働者のことだ、と書いたことがある。本誌90号の掲載作が絶筆かも知れないという。その作品8句の献辞は「 ベ

棚山波朗「女の手とどくところに鵙の贄」(『塔』第11集より)・・

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  塔の会編『塔』第11集(風心社)、その帯に、  俳人協会が発足して七年後、同協会の中堅・若手俳人16人(草間時彦、加畑吉男、星野麥丘人、岸田稚魚、香西照雄、原裕、磯貝碧蹄館、八木林之助、轡田進、清崎敏郎、鷹羽狩行、岡田日郎、成瀬櫻桃子、松本旭、松崎鉄之介)によって結成された超結社の句会集団。初会合は昭和43年2月。会員の死去・退会を重ねながらも、次々と新入会員を迎え、現在23名が参加。令和5年、発足55年を迎えた。 とある。巻末に「収録作家資料展望」、「塔の会五十五年小史…岡田日郎/蟇目良雨」が併載されている。「あとがき」は鈴木太郎。ともあれ、以下に、アトランダムになるが、一人一句を挙げておきたい。   メメントモリ蝶の銀粉こぼれては        石嶌 岳   死を以て遂に結願花行脚            稲田眸子   寒椿水の硬きに差しにけり           今瀬一博    火のにほひしてどんどより吾子帰る       上野一孝    さざなみやとうすみとんぼうせやすき      菅野孝夫    たんぽぽの絮を黄泉路の母に吹く        菊田一平    木の芽張るひかりや宙にひろごれり       栗原憲司    ふるさとに叱られに来ぬ雪起し         小島 健    深代風溢れて臘梅の斜面 (なぞえ)     佐怒賀直美    山風に飛花のみちすぢありにけり       しなだしん    冬麗の耳に入りたる翅の音           鈴木太郎    井戸にこゑ落とせば返る初昔          鈴木直充   一滴の水を落として蜻蛉生る          染谷秀雄    処暑の草ひつぱつてゐる雀かな        寺島ただし    草の香をまとひて月の上がりけり        中山世一     棚山波朗さん逝く。「料峭起」と名付ける     一本の柱に影や料峭忌             蟇目良雨    永き日の飛天の鼓打たず鳴る          檜山哲彦    各駅停車やずうつと春の海           広渡敬雄    たまゆらの冬夕焼けの雲の金          松尾隆信    三寒は我に四温は母に来よ           望月 周    嫁入りの道まだ残り臭木の実          森岡正作   米寿の母迷はず十年日記買ふ       

富澤赤黄男「草二本だけ生えてゐる 時間」(「現代俳句」3月号より)・・

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  「現代俳句」3月号(現代俳句協会)、巻頭エッセイ「直線曲線」は伊東類「日本語教室で学ぶ」、論考に大井恒行「1970年代の俳句論/『社会性から自然への成熟』と『過渡の詩』」、井口時男「新興俳句逍遥(11)/詩と俳句の間で」、また、「俳句と私」には、高橋修宏「わが俳句前史―—あるいは、出会いそこねの記」。井口時男「詩と俳句の間」には、   新興俳句運動において最初にその詩性(ポエジー)の新鮮さが謳われたのは高屋窓秋だった。 (中略)      山鳩よみればまはりに雪がふる  一方、「まはりに雪がふる」をもう一度使ったこちらは、孤独な視線が孤独に感じる一人芝居のようである。 (中略)  私が物語だのドラマだのと書いたのは、これらの純化された心象のイメージが、すべて、時間の流れを含みこんでいるからである。〈頭の中で〉の〈なつてゐる〉がそうだったように一瞬の光景のようでありながら、窓秋の句はひそかに持続する時間を、つまり物語と抒情を内蔵しているのである。 (中略)  私は以前、句集『天來の獨楽』に収録したエッセイ「草二本だけ生えてゐる」で、先の赤黄男の二句を引いてこう書いた。  《ここから先へは、もう行き場がない。実際、晩年の赤黄男は沈黙するしかなかった。  こうして私は、俳句が詩を羨望することの必然性と俳句が詩になることの不可能性とを、同時に知ったのだった。「現代」の表現として、俳句は詩を志向しなければならない。しかし、俳句は詩を志向してはならない、ということだ。これが「現代の」俳句を拘束するダブルバインドなのだ、と私は思った。》  今もこの思いは変わらない。詩性と俳句性に挟まれて、ダブルバインドに縛られながら、活路は各自で拓いていくしかないのだ。  とあった。ともあれ、本誌本号より、以下にいくつかの句を挙げておこう。    大風車運河に映り冴え返る          中村和弘    旧作のように花菜の中にゐる         伊藤政美    八手の花貧困のごとはびこりぬ       堀之内長一    君のゐしあとに菜の花こぼれをり       五十嵐進    ちぎり絵の一片 (ひとつ) が消えて蝶生まる  山本敏倖    三界はいずこに置きし椿餅          久保純夫    御舟が来るよNTT慰霊碑は浅春     たかはししずみ    蜆汁些事に終はらせたまひけ

妹尾健「『晴天』と『地震』の四文字初日記」(「コスモス通信」第70号)・・

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   「コスモス通信」第70号(発行・妹尾健)、エッセイは「フレイルについて」、「阪神タイガースの影」。論考に「宮田戊子編『新興俳句の展望』⑥ー⑤/上田都史の連作俳句論」。「妹尾健俳句作品集 二〇二四年一月集」とあるが、ひと月に100句を作っているのだ(愚生などは10年かかっても無理のようだ)。まずは、論考の中から、部分であるが引用、紹介しよう。   先日頂戴した森澤程さんの葉書に、これからは和田悟朗先生の研究を進めながら、橋閒石の先生の研究を進めていきたいとのことであった。そういえば和田先生は橋閒石先生の門下であった。そのためか和田先生のお話では、林原先生の『俳句形式論』のはなしなども出たこともあった。和田先生は出自からいうとい旧派の系譜に連なる人であったのである。私が二号にわたって書いている上田都史もやはり旧派のしを持つ人である。上田都史の祖父は聴秋、この人は明治二三年二条家より花の本の免許を受け十一世を称したこともある。橋閒石先生は、昭和六年兵庫の俳諧師寺崎方堂の「羅月」、方堂が義仲寺無名庵一八世継承後の「正風」に加盟。主として連句と実作に傾注したとある(鈴木六林男執筆)。上田聴秋も橋先生も旧派にあって、連句の方面にも活躍された方であった。 (中略)  定型俳句陣から、新興俳句さらにその無季急進派、自由律俳句にいたるまで、その射程にいれる上田の筆力には非凡なものを感じるが、その主張の根底には世年彼のいう―ー十七音を基軸とする自由律俳句(その結果上田は戦後『海程』に参加する)の探求にあったのである。  現在ではまことにかえりみられることのない新興俳句のうちの連作俳句について解析の労をとり、俳壇の状況について目配りし、自由律俳句の動向までくわえている点など、『新興俳句の展望』から『現代俳句の展望』はまたとない同時代の資料である。惜しむらくはこの時代の推移はあわただしく、上田都史の考察とそのさししめした方途を検討する時間はあまり残されていなかったのである。  とあった。ともあれ、以下に愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。    東京に行くはずがいる冬菜畑          健    地図の端妹尾とありぬ冬ごもり   吸入器過呼吸症はだらだらと   人寄れば声荒立てて冬館   夜着重ねドストエフスキーhさ読み難し   大根を歯固めとしてまず勵む   母失くし

佐藤通雅「魚雷艇はベニヤ板ドローンは段ボール人は人であるほかになし」(「KIGAZINEI 飢餓陣営」vol.58より)・・

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  「KIGAZINEI 飢餓陣営」vol.58 2024春号(佐藤幹夫個人編集/編集工房飢餓陣営)。特集1は「戦争―—ガザ・イスラエル・イオニズム」、特集2は「福祉の『ことば』は今、どこにいるのか―ー辺見庸と石井裕也 それぞれの『月』を中心に」。総ページ330ページ余に及ぶ大冊である。当然ながら、愚生には、まだ読み切れていない。ここでは、佐藤通雅の短歌をまず、いく首か挙げておこう。もう、ずいぶん昔になるが、仙台から発行されていた佐藤通雅の個人編集誌「路上」に、俳句を寄稿したことがある。若かった愚生には名誉なことであった。そして、あとひとつは、特集1から、「沖縄への思い(8)/水島英己『ガザ・島、絶対不戦、負ける勇気』」から、「川満信一 琉球共和社会憲法C私(試)案より」を孫引きしておきたい。   外履きのサンダル叩けば光沢を伴ひて星の砂は散るなり     通雅   今の今、線状降水帯のど真ん中水の太帯が坂を滑走す   炎暑去りし夕の園に親子来てボールをゆるりゆるり投げ合ふ  無印はいいとして粗悪かも知れぬ頬杖ついて時に自省す  家事力を試されてゐててのひらの豆腐を少し斜めに切つてしまふ  遺言書に手を加へねばと錠開けるたびに思ひて早も十年  借金をするにも昂然啄木の若き額を想ふときあり  第十二条 琉球共和社会の象徴旗は、愚かしい戦争の犠牲となった「ひめゆり学徒」の歴史的教訓に学び、白一色に白ゆり一輪のデザインとする(琉球共和社会象徴旗)  第十三条 共和社会のセンター領域内に対し、武力その他の手段をもって侵略行為がなされた場合でも、武力をもって対抗し、解決をはかってはならない。象徴旗をかかげ、戦意のないことを誇示したうえ、解決の方法は臨機応変に総意を結集して決めるものとする。   最後に、【連載】〈長い戦後〉を考える〉(第六回)/添田馨「大江健三郎と“戦後憲法“―—『象徴天皇制』は革命対象たりうるか」についてだが、愚性の紹介の手に余るので、本誌本号の本文に、是非、直接あたられたい。また、神山睦美主催「書評研究会レポート/戦争詩と『戦時下の抒情』/青木由弥子『伊東静雄ー戦時下の抒情』を読む」には、旧知の俳人にして詩人の古田嘉彦の言が読めたのは、嬉しかった。       撮影・中西ひろ美「次の人呼ばれて春の日のにおい」↑

佐々木敏光「飼ひならす虚無や天空おぼろ月」(『富士山麓・秋の暮』)・・

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  佐々木敏光第3句集『富士山麓・秋の暮』(ふらんす堂)、カバー写真は著者、田貫湖。その「あとがき」に、   この第三句集『富士山麓・秋の暮』には。ネット版・佐々木敏光個人誌「富士山麓(第二期)」の二〇一八年から二〇二三年にかけて掲載した句から選んでのせている。  この九月に八十歳になってしまった。  掲載句の中には昔を思い出して作った句もあり、かならずしも季節順にはなってない。そこで、並べなおすのはやめて、個人誌で発表した順のままにしておくことにした。  これからも句をつくらないわけでもないが、諸般の事情により句集はこれで最後といった思いである。 とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。   神死せりニーチェも死せり大銀河        敏光    絶滅は桜吹雪をあびてから   虫の闇われらそれぞれ島宇宙   「健康」の諭吉も死せり秋の暮   革命のあとの幻滅春の虹   独裁者四方に雑居春の闇   なんとなく笑顔ですごす鬱の春   死に至る病の地球大銀河      一九四三年生れ   記憶なき記憶の日々や終戦日   零戦のあらはれさうな夏の雲   ばちあたりいつしかわれも老いて秋   いつだつて時代は冥し五月闇   虫の闇われにはわれの真暗闇   大枯野さまよふ後期高齢者   ふらここや未来へ漕げりまた過去へ   監視カメラ東京駅に柿を食ふ   駿河甲斐富士はよきかな雪の富士      バッハ、ミサ曲引用   あはれんでください、独裁核の冬   佐々木敏光(ささき・としみつ) 1943年、山口県宇部市生まれ。 ★閑話休題・・姜信子 ますます はびこる「百年芸能祭」(於:仙川・ツォモリリ文庫)・・  「百年芸能祭」とは、その企画のはじめは、関東大震災を迎える2023年9月をめざして、日本各地で大小さまざまに繰り広げられる「鎮魂」と「予祝」の芸能祭のこと。みなで歌い語り踊る。目指すは、自らの声も音も歌も失くしてしまった命が、歌って、踊って、生きてつながって、理不尽を突き抜けようと、自由に、同時多発的に「百年芸能祭」を立ち上げようというもの。今回、東京においては、「百年芸能祭 関西実行委員会」が仙川の「アートスペース&手仕事ギャラリー ツォモリリ文庫」を会場に開催された(能登支援も含め)。  その二日目、2月25日(日)午後1時半~に愚

高橋睦郎「笛といふ息のうつはを草の上」(『花や鳥』)・・

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  高橋睦郎句集『花や鳥』(ふらんす堂・限定600部、署名入り)、序句は、    花や鳥この世はものの美しく        睦郎  栞文には、堀田季何「睦あうもの」、小津夜景「罔両(まぼろし)を舞う人」、岩田奎「のびしろ」。そして、著者の跋には、(原文は正漢字、本ブログは変換された漢字のみ)    少 (わか」 く俳句なるものに出会ひ、七十余年付き合つてきて言へることは、俳句はこれこれの詩・しかじかの文芸である、と規定または言挙げすることの虚しさだ。十七音を基本とするたぶん世界最短の詩型といふのは、客観的な事実の範囲だからまだよい。最短の詩型を形式の上で生かすのが切れ字であり、内容の上で支へるのが季語であるといふのも、芭蕉の遺語「発句も四季にみならず」「無季の句ありたきものなり」といふ保留付きで、とりあへず許容範囲だらう。しかしその余は虚子の「花鳥諷詠」にしても波郷の「俳句は私小説」にしても、その人その時の門下か仲間内での教条か合言葉程度と合点しておけば足りよう。 (中略)  今日おこなはれてゐる俳句の原型を作つたのは、いふまでもなく芭蕉である。しかし、今日一般的な平明な只事句と芭蕉の句と、なんと相貌を異にしてゐることだらう。芭蕉の句の魅力はしばしばその意外な難解さと不可分だ。むろんそれは意図された難解さではない。創始者ゆゑの止むをえざる発明の試行錯誤から生まれた、止むをえない難解さといふべきだらう。芭蕉の俳諧および発句は極言すれば芭蕉一代限りのものだ。芭蕉一代の表現行為を継承」しようと志すなら、その為事を尊敬しつつ、各人自分一代の為事を志さなければなるまい。そこに止むなく生じるかもしれない難解さを恐れたり、況んや忌避したりは禁物だらう。  とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。    韮臭き舌吸ひあふや下下の戀      米粒少く見込む己が両眼映るを   目玉粥澄み飢ゑ新た敗戦忌   井戸を忌み流言を忌み震災忌   湯灌して死びと生れぬ春夕   橋おぼろ渡せる先の岸おぼろ   覆面 (マスク) をば雑ゥとして暮る此の年は   木に木魂草に草魂枯れてこそ      新春歌舞伎番付に吉右衛門無し   亡せし名のかくも大きな初芝居   小鳥来よ伸びしろのある晩年に      K・ヴィンセント曰く   句は咳か歌は吐息か春遅遅と  

齋木和俊「AI(エーアイ)に脳(なづき)あづけておらが春」(第170回「吾亦紅句会」)・・

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 本日、2月23日(金)は、第170回「吾亦紅句会」(於:立川高松学習館)だった。兼題は「早春」。以下に一人一句を挙げておこう。    戦争の足音なのか鬼は外         田村明通    紙風船赤き記憶の鼻緒かな        須﨑武尚    折紙の雛も一緒に桃の段         笠井節子    両の手に白菜ふたつやじろべえ     三枝美恵子   AIの予約受付け春うらら         関根幸子     晨光の静けさ破る垂雪          村上そら   風は絵に音は文字として光悦忌      齋木和俊    老木の番号札や若菜摘む        折原ミチ子    駅いでしやがて一人の春の月       佐藤幸子    手作りのゆがみもおかし雛の顔     吉村自然坊    春夕焼神はいるともいないとも      牟田英子    天辺が好きな鴉に雨水かな        奥村和子    春風や空を開いてH3 (エイチスリー) 松谷栄喜    いつもの電車いつもの出口春近し     渡邉弘子   早春や足の向くまま一人旅       佐々木賢二    街路樹の根元に嬉し犬ふぐり      井上千鶴子    梅の花今年も見れし吾八十路 (ヤソジ) 高橋 昭    東風吹くや髪逆立ちて夜叉の如      西村文子   うたた寝や歳時記片手に春炬燵      武田道代   老いらくの恋愛論やしずり雪       大井恒行  図書館俳句ポスト(現代俳句協会主催)の11月号選句結果、題は「小春」。選者は太田うさぎ・寺澤一雄・渡邉樹音。立川市高松図書館では、吾亦紅句会の仲間が5名も佳作・入選に選ばれていた。以下に紹介しておこう。       小春日やすんなり通る針の糸     佐藤幸子    鳥まねて吹くや口笛小春なり     西村文子   小春日や脳検結果歳相応       松谷栄喜    開かぬ蓋ふたりでひねる小春かな   田村明通    大の字に腹這い小春の四畳半     牟田英子 次回、吾亦紅句会は3月22日(金)兼題は、「耕」。   ★閑話休題・・山内将史「シーソーに子供のゐない春の暮」(「山猫便り/2024年2月17日」)・・  山内将史「山猫便り/2024年2月17日」は個人の葉書通信である。それには、     水で打つ薔薇には薔薇の躾あり 表健太郎『鵠歌

鈴木牛後「木と紙の国と言はれて空つ風」(「雪華」2月号)・・

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  遅ればせながら「雪華」1・2月号(雪華俳句会)、「雪華」1月号の橋本喜夫「新年巻頭言/下剋上結社でありたい」には、  (前略) 昨年は星野立子新人賞(鈴木総史)、兜太現代俳句新人賞(土井探歌)、現代俳句協会年度作品賞(高木宇大)の受賞者を3人もだした。ただ、これは三人の「個の力」であって雪華俳句会そのものの力ではないことは私だって自覚している。でも「個の力」はないよりあった方がよく、雪華にはさらに五十嵐秀彦も、鈴木牛後も、松王かをりも居る。おそらく戦国時代だって有力武将がいなければ、生き残れないし、天下は取れないのだ。だからわたしはここに宣言する。「ここ十年で下剋上結社を目指します」と。そして駄目ならひっそりとこの結社を閉めますと。なぜ私が十年と区切ったかというと、せいぜい私の残された健康寿命だと思うから。もちろんすでに「結社の時代」は終焉を迎えていることも知っている。それでも尚且つこのままでは私も雪華俳句会もあまりに残念だ。  今後、会員諸氏はどうすればいいか、己の俳句の力をつけ、とくに「読み」を鍛えて欲しい。俳句の読解力をつければ、小誌に掲載されている俳句作品の多様性を理解できるし、載っている散文のクオリティ―にも気づくはずだ。多様性の中から個々の個性に応じて、雪華作品を取捨選択して、自分の作品の肥やしにして欲しい。そうすれば会員の皆さんの俳人としての実力は雪華が閉まっても何処の結社に移ってもやってゆける。他の結社の俳人は相手にしていない。雪華会員だけは。現代詩的な一見難解句も、口語俳句も、流麗な伝統俳句も、破天荒な句も簡単に読みこなせる力を付けて欲しい。さすれば私も小誌の執筆者たちよりグレードの高い俳句作品や、俳句評論、散文を安心して会員にお届けできる。 (中略)  俳壇は令和の現在、右傾化しているとい思う。はっきりいって、文芸に右も左もないのだが、伝統(芸)に傾きすぎていると思う。形が整っていて、一見新鮮で、流麗で、爽快で口当たりのよい有季定型が多すぎる。分かりやすいが内容も謎も詩もない。切々たる感情の吐露もない。改革、進化がなければ文学・文芸とはいわない。  とあった。ともあれ、本誌2月号より、いくつかの句を挙げておこう。    元日や天の逆鱗めく夕べ          橋本喜夫    迫害のアイヌの史実雪深し         西川良子    立冬の案

岩井かりん「鷹渡る無窮の空を引き絞り」(「甲信地区現代俳句協会会報」第102号より)・・

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  「甲信地区現代俳句協会会報」第102号(甲信地区現代俳句協会)は、「第36回紙上句会結果発表」である。選者の皆さんの特選・入選。佳作などの選評も、それぞれ、読んで頂きたいところだが、ここでは各選者の特選句を紹介しておきたい。   ゆきあひの空やパスタを折りて茹づ   小伊藤美保子(秋尾 敏選)   鷹渡る無窮の空を引き絞り        岩井かりん(大井恒行選)   人が人生む朝の陽よななかまど       吉池史江(神野紗希・宮坂静生選)    虫の夜や熔岩原磁気帯びしやう       黒沢孝子(城取信平選)   曼殊沙華謎かけしまま忽よ消ゆ       窪田英治(佐藤文子選)   望の夜や傀儡ぱくりと口を裂く      大野今朝子(堤 保徳選)   炎天に愁ひの欠片見つけをり       伊藤みち子(中村和代選)  加えて、以下には、愚生の入にした選句と一句高点だった句も挙げておこう。因みに、愚生の特選に選んだ句「鷹渡る無窮の空を引き絞り」の句は、一句高点のなかでも最高点を獲得していた。   猪独活と白雲呼応してゐたる        宮坂 碧   石榴より未知のことばが漏れてくる     矢島 惠   巫女髪解けば少女に水の秋         篠遠良子   はんざきのたらふく時間食ひし腹      仲 寒蟬 ★閑話休題・・大井恒行「鳥の口腔 空(くう)の茶化しを南風(幸彦)忌」(「俳句四季」3月号)・・ 「俳句四季」3月号(東京四季出版)の特集は「続・続・令和の新創刊」。図らずもその中に、恥ずかしながら、「ことごと句始末」として、止む無く経緯を記した。ともあれ、他誌の方々の句も挙げておきたい。   今生の終の涙も露けしや           名取里美   雪割つて割つて炎 (ほむら) を探りけり   五十嵐秀彦    研ぎ澄ます聴覚森に二輪草          小沢真弓    アインシュタインの舌の罅割れ原爆忌     中村猛虎   春焚火そこらの草や枝を投げ         西村麒麟    陸封の花の夢なれ船団忌           大井恒行    小春日や亀のゐさうな石に亀         神谷章夫    春の雪きりんはきっと肩が凝る        西田真己(まみ)    土塊をちんとひねりし雛のかほ        髙田正子    花の山まるまる珍景?ご

中村猛虎「回天や海鼠を切れば水溢る」(「句会 亜流里 いざ見参!」2023年冬の号より)・・

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  「句会 亜流里 いざ見参!」2023年冬の巻(代表・発行人 中村正行)、原英俊の記事中に、「姫路文化賞受賞・中村猛虎」とある。それには、  中村正行(本名)の受賞は、地元の俳句文化高揚の貢献による。具体的には、 ⓵平成17年(2005)句会亜流里の創設 ②播磨芭蕉忌フェスティバルの長期開催 ③姫路市内の小中学校への俳句出前授業の実施 などである。  とあり、「回天や海鼠を切れば水溢る」での、第30回西東三鬼賞の受賞もあるのではという。また、「 平成23年(2021)姫路風羅堂12世襲名。令和2年(2020)、句集『紅の挽歌』発行」、 さらに、「 令和3年(2021)俳句雑誌『句会 亜流里 いざ見参!』の創刊」 、ともあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    お山焼おそばにゐるも一会なる       原 英俊    ヘッドライトに死角ありけり鎌鼬      中嶋常治    時雨るるや机で削る頭蓋骨         中村猛虎    複素数虚も実もあり帰り花         伊藤蒼城    起重機の影北風に抗し立つ         家永妙高     十二月虫食い痕の備忘録         井上はるひ    冬日向踊り場にいる納棺師         今西潤吾    山茶花や湯だての巫女の神がかる      加藤遊名    決心を御破算にする冬の波         下司小春    あをぞらに辿り着けない雪螢       佐藤日田路    愛猫に言葉教える冬うらら         七条章子    野晒しの眼窩貫く冬の月          新舎弥生    導尿の袋ぶら下げ戻り梅雨         新福辰若    アパートは残り二部屋梅ひらく       管長一路    別荘の朽ちて皇帝ダリアかな        杉原青二    観音の千の御手より蝉時雨         竹嶋雅子    元旦の漁港はためく大漁旗        多田ちあき    黒子ある口元結び牛蒡引く        谷原恵理子    波高し鮫を裂く手で襁褓巻く        平井 充    鬼さへも恋しひとりの節分夜        福永虹子    砲声を異国に聞くや春の泥        守家まり亜    冬萌えやお食べ初めの大あくび       保田紺屋        撮影・中西ひろ美「

福田淑子「黒々と初夢と書く子らの筆」(「花林花」2024)・・

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 「花林花」2024(花林花句会)、「花林花の作家・その十二」は福田淑子、その他、特集めいた記事は「追悼 齋藤愼爾」と「俳人研究 柿本多映」。エッセイに各同人の「自句を語る」、「花林花二十句」「花林花鑑賞」などがある。ともあれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう。       追悼 杉浦光子    人死んで島影はるか金魚玉       高澤晶子    午前のとんぼう午後の赤とんぼ     廣澤田を   黄昏に死者を呼び寄せ白木槿      榎並潤子    ぶらんこを下りて照準合わせたり    石田恭介     濃緑のミニカボチャ精巧なる秋思    金井銀井     (在京の)川平朝清氏の「風車祝」で   カジマヤーあやかりびとの五百余と   島袋時子   万有のしんがりとして芽吹きたり    鈴木光影   重陽や九十一の恩師の報        福田淑子    ひねくれて金魚の奴のへの字口     宮﨑 裕    焚火する種火の新聞紙匂う       杉山一陽   天使の輪隠しはにかむかんかん帽    渡邊慧七   光放つが最後の思想白芒        齋藤愼爾   国淋し団子虫など増えて増えて     柿本多映       撮影・芽夢野うのき「宇宙混沌赤い冬の実弾くとき」↑

漱石「骨の上に春滴るや粥の味」(『猫の墓』より)・・

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    夏目伸六『猫の墓』(文藝春秋新社)、序は、内田百閒こと百鬼園。それには、   伸六さんはセロを持つてゐて、内田さん聴かしてやらうかと云ふからお願ひした。  市ヶ谷合羽坂の坐る所もろくにない狭い家の中へセロを持ち込み、胴体の下のついてゐる五寸釘よりももつと太いぴかぴか光る釘をぐさつと畳に突き刺して、キコキコ弾き始めた。  セロはもとから知つてゐるが、いつも演奏会の舞台の上で見馴れてゐるので、そばで見てこれ程大きな楽器だとは思はなかつた。 (中略)   蒸し暑い夏の晩、昭和通のアラスカで伸六さんの壮行会が開かれた。もうそろそろいろんな物が不自由になりかけてゐらが、その晩は冷たい麥酒を飲む事が出来た。なぜだか当夜の思ひ出す顔振れの中で、岩波茂雄さんばかりが大きく前に出て来る。 (中略)   行きがけはどこからどう行つたか思ひ出せないが、帰りは新宿へ出た。その途中で日が暮れて暗くなつた。防空演習の「演習空襲警報」が発令されたと云ふので、新宿で電車を降りても足もとは暗いし、何となく物騒でふらふら外を歩いてはゐられない。解除になる迄ゆつくりしてゐようと思つて、煙草に火をつけ口にくはえた儘外へ一歩でたところへ、防護團の若い衆が暗闇の中から飛び出して来た。  何です、煙草を食はへた儘、その先の火は一千米の上空からはつきり見えますぞ。  そんな事はないと思ふけど恐れ入つて、煙草の火を揉み消した。  これを以つて夏目伸六著「猫の墓」の序に代へる。  とあった。 ブログタイトルにした漱石「骨の上に春滴るや粥の味」は、「父の胃病と『則天去私』」の項の中で、「 父が『残骸猶春を盛るに堪えたり』と前書して 」ある句である。そして、「思い出すことなど」の中では、「 腸に春滴るや粥の味 」ともあり、漱石「 吐血後のほとんど食うや食わずで、漸く、余命を保って来た父 」、とも記されている。  ともあれ、以下には、坪内稔典編『漱石俳句集』(岩波書店)から、いくつかの句を挙げておこう。    帰ろふと泣かずに笑へ時鳥 (ほととぎす)      漱石    長けれど何の糸瓜 (へちま) とさがりけり    安々と海鼠 (なまこ) の如き子を生めり   雀来て障子にうごく花の影   行く年や猫うづくまる膝の上   秋風の一人をふくや海の上   別るるや夢一筋の天の川   肩に来て人懐かしや赤蜻蛉 (あ

吉本和子「あとがきは海市の辺より速達で」(『隆明だもの』より)・・

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 ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)、表紙カバー裏に、  戦後思想界の巨人と呼ばれる。父・吉本隆明。 / 小説家の妹・吉本ばなな。  そして俳人であった母・吉本和子―— / いったい四人は家族だったのか。  長女・ハルノ宵子が、父とのエピソードを軸に、  家族のこと、父と関わりのあった人たちのことなどを / 思い出す限り綴る。  とある。また、著者「あとがき」には、  イャ~…ヒドイ娘ですね。吉本主義者の方々の、幻想粉砕してますね。 (中略)   これは娘の―ーあくまでも長女である私にとっての一方的な“事実“であって、父からしたら、また全然違うだろうし、母や妹から見ても、ぞれぞれ違うだろう。これ以上一方的な“事実“をあげつらっていくことは、死者を貶めているように思えてきた。  モノ言えぬ父を足蹴にし、千枚通しでブスブス刺して、尻まくって蝋燭タラ~りしているような、罪悪感に耐えられなくなり、まだ笑える内に、切り上げることにした(え?笑えないって?)  しかし、何を言おうと、父の圧倒的仕事の質と量、そして何の組織にも属さず、大学教授などの定期収入も、社会的保証もステータスもない中で、家族と猫を養い続けてくれた並はずれたパワー―ーそれは感謝と尊敬以外の何ものでもないし、誇りに思っている。    とあった。巻尾に、「 ハルノ宵子×吉本ばななの姉妹対談 」、「 ハルノ宵子さんに聞くー父のこと、猫のこと、エッセイのこと 」が収められている。愚生は、ただ一度だけ、吉本隆明とお会いし、少しだけ話をしたことがある。愚生は吉本主義者でがないが、その時,少しだけ、俳句のことについて聞いた。失礼なことを尋ねたかもしれないが、淡々と答えていただいた。だから、思想が違っていても、その人柄については、素敵で、魅かれる人が多かったにちがいないと思う。  ともあれ、ここでは、本書より、「読む掟、書く掟」の結びの部分と、俳人・吉本和子の句などを、以下に挙げておきたい。  (前略) 他の著名な親御さんたちが、我が子のデビューを手放しで喜び、期待し活躍を祈る中で、父の文章には、「はたして私は、この世界で娘と出会うことができるだろうか」―—とあった。氷水をぶっかけられたように目が覚めた。大甘だった。私はこの世界では、まだ無名の1新人にしかすぎなかったのを忘れていた。ましてや、私が(編集者代わりに)仲介となっ

白石正人「ノトノクニ/今/悴メル/手ノカタチ」(現代俳句協会・第19回「金曜教室」)・・

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  本日、2月16日(金)は、現代俳句協会・第19回「金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった。愚生の担当する「金曜教室」も残るところ、次回3月の一回となった。本日の宿題は、多行表記の句を作る、ということであった。面白く、苦心のあとのうかがえる作品が集まった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    生きるとは   結論   しずかなる寝息          石原友夫    うみななつ   なみのなないろ      つばめ魚           林ひとみ     誤字脱字        校正無用             飛花落花    川崎果連    春一番   割れば   卵に黄身ふたつ           村上直樹      煮凝りの   舌に溶けたり   妻の留守              武藤 幹    雪ー雪   分水嶺の搾りたて          杦森松一    ダリ展を    観て来て春の       時計歪む          赤崎冬生     流木に   かすかな温み   春めけり              籾山洋子    室戸岬   ニライカナイへ   月の道              石川夏山    虫の声   愛でる左脳に   広がる宇宙            植木紀子    南   へと逃れし   民に戻れ   北                岩田残雪    眼球ヲ   抉ラレ   曼荼羅   万華鏡              白石正人    吹雪たる   地に   足焼きし   裸足の子             大井恒行  愚生担当の次回「金曜教室」は最終回、3月15日(金)、雑詠2句持ち寄りです。 ★閑話休題・・「春の歌よみ展」(於:STAGE-1)・2月12日~2月17日(土)最終日16時まで・・  俳句 川柳 短歌 回文 絵手紙「春の歌よみ展」。参加展示者は、 市原正直・楳本典子・おのみん・加用章勝・小池政光・佐佐木あつし・田島光枝・田中晴久・夏石番矢・野谷真治・乾佐伎・エディ上枝・鎌倉佐弓・木村哲也・小藤康人・高津葆・田島靖浩・種村国夫・西元利子・久留素子。         撮影・中西ひろ美「浅春の種をおとして針葉樹」↑

小倉紫「来し方の円錐百号春や春」(「円錐」第100号)・・」

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 「円錐」第100号(発行所・山田耕司方)、前号は澤好摩追悼号、第100号の本号もまた、澤好摩追悼の趣である。 とはいえ、2003年生まれの吉冨快斗の新同人参加とあり、作品は一句すべて13文字で揃えられているから、先般、本ブログで紹介した斎藤信義と同じ方法、13文字俳句である(句の趣向は全く違うが・・・)。本100号記念で各同人すべてが特別作品、下段には略歴風の文も配されている。特別寄稿に福田若之「タルコフスキー『映像のポエジア』における発句」。ここでは、今泉康弘「『詩学の歳時記』予告編―—あるいは夏井いつきへの疑問」から、少しだが、引用紹介したい。  (前略) だが,奈良・平安の資料の中に、本意の成立する根拠として、朝顔の咲く「盛り」の時期が立秋を過ぎるからだとする資料は存在しない。何故なら、植物としての朝顔の実態と、秋の季語であることとは関係が無いからだ。 (中略)   重視されてきたのは植物としての実態ではなく、「朝顔」という名の秋の花の無常を象徴するという観念だった。  正岡子規の「写生」提唱により、俳諧は近代俳句となった。「写生」によって古典文学の伝統から切断されたのだ。ところが、高濱虚子は「花鳥諷詠」の理念を掲げ、さらに、新興俳句に対抗して「ホトトギス」を伝統だと偽装した。 (中略) この偽装としての「伝統」を戦後の俳句ジャーナリズムが受け継ぎ、広めてゆく。即ち、現在のいわゆる「伝統派」の俳句が実は近代文学であるにも関わらず、それを隠蔽して、古来の日本文学の伝統を受け継いだものだと偽装した。この偽れる「伝統」が二十世紀の俳壇を支配した。現俳壇の保守思想はその「伝統」観を支持する。だから、朝顔の季の誤解は俳壇の大多数の問題だと言えよう。以上のような近現代俳句の保守思想における欺瞞を暴くべく、歳時記のあり方を分析する ―— これはぼくのライフワークだ。  とあった。ともあれ、本誌より、いくつかも句を挙げておこう。    振り返さなとも冬の芒たち          赤羽根めぐみ   何もかもこはれしまふ夢の秋          荒井みづえ    乗車位置を離れて寒雲の下に           今泉康弘    螢草会ひたき人に会へて往く           小倉 紫    雁のあなたに会って別れたい           来栖啓斗    さういへば子供らの来ぬ落葉

佐怒賀正美「野遊びのいつしか至る一騎打ち」(『黙劇』)・・

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   佐怒賀正美第8句集『黙劇』(本阿弥書店)、その「あとがき」に、   本書『黙劇』は私の第八句集になる。『無二』に続く、二〇一八年秋から二〇二三年秋の入口までの約五年間の句から三百二句を選び出した。私の六十二歳から六十七歳までの句である。 (中略)  私の身辺での出来事を述べれば、学生時代からの俳句の恩師・有馬朗人、そして歌人であった義父・橋本喜典の急逝が大きかった。俳句のもう一人の恩師・石原八束は他界して既に四半世紀が経つ。それぞれ真摯に文芸に向き合って生きてこられた姿勢と作品から学んだものは限りなく大きい。 (中略)   本句集では、多岐に亙る俳句の世界になっているかもしれないが、以上のような多様な「いま」を自分なりに表現した結果だと了解していただければ幸いである。想像力を含め、実も虚もすべて自分である。自分なりの世界と文体も追求してきたが、忌憚のないご批評をいただければ幸いである。  とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    夢継ぎのやうに紅萩こぼれけり        正美    秋虹やゐさうでゐない人魚の子   春月や世界で初めて死んだ人   神倦みて虹の片脚揉みほぐす   絶滅へ至る個々の死蚯蚓鳴く   乗るによき父の背いつか天の川     祝「加里場」四十周年(井上論天主宰)    加ふるに父君降りこよ秋の賀に      *父君は俳人・井上土筆(故人)    雲雀野や次々に立つ赤ん坊     義父・橋本喜典の遺歌集『聖木立以後』完成    遺歌集を供へ青紫陽花の窓辺   をちこちの疫鬼をさとし神の旅   世の隅の思郷にも似て花八ツ手     ウクライナを憂ふ    大蛇穴出て戦車をば巻き燃やせ   地球いつも戦まじりや夜の虹   揚雲雀自由がいびついびつ   いくさ数多さりとて虹も無尽蔵   パントマイム入道雲の揉み応へ   pantomaimu niyuudougumono  momigotae        a mime     he rubs and feels     a thunderhead                                (英訳協力:青柳 飛)  佐怒賀正美(さぬか・まさみ) 1956年、茨城県猿島郡境町生まれ。        芽夢野うのき「蠟梅やいのちの果てが