吉本和子「あとがきは海市の辺より速達で」(『隆明だもの』より)・・


 ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)、表紙カバー裏に、


 戦後思想界の巨人と呼ばれる。父・吉本隆明。小説家の妹・吉本ばなな。
 そして俳人であった母・吉本和子―—いったい四人は家族だったのか。
 長女・ハルノ宵子が、父とのエピソードを軸に、
 家族のこと、父と関わりのあった人たちのことなどを思い出す限り綴る。


 とある。また、著者「あとがき」には、

 イャ~…ヒドイ娘ですね。吉本主義者の方々の、幻想粉砕してますね。(中略)
 これは娘の―ーあくまでも長女である私にとっての一方的な“事実“であって、父からしたら、また全然違うだろうし、母や妹から見ても、ぞれぞれ違うだろう。これ以上一方的な“事実“をあげつらっていくことは、死者を貶めているように思えてきた。
 モノ言えぬ父を足蹴にし、千枚通しでブスブス刺して、尻まくって蝋燭タラ~りしているような、罪悪感に耐えられなくなり、まだ笑える内に、切り上げることにした(え?笑えないって?)
 しかし、何を言おうと、父の圧倒的仕事の質と量、そして何の組織にも属さず、大学教授などの定期収入も、社会的保証もステータスもない中で、家族と猫を養い続けてくれた並はずれたパワー―ーそれは感謝と尊敬以外の何ものでもないし、誇りに思っている。

 
 とあった。巻尾に、「ハルノ宵子×吉本ばななの姉妹対談」、「ハルノ宵子さんに聞くー父のこと、猫のこと、エッセイのこと」が収められている。愚生は、ただ一度だけ、吉本隆明とお会いし、少しだけ話をしたことがある。愚生は吉本主義者でがないが、その時,少しだけ、俳句のことについて聞いた。失礼なことを尋ねたかもしれないが、淡々と答えていただいた。だから、思想が違っていても、その人柄については、素敵で、魅かれる人が多かったにちがいないと思う。
 ともあれ、ここでは、本書より、「読む掟、書く掟」の結びの部分と、俳人・吉本和子の句などを、以下に挙げておきたい。

 (前略)他の著名な親御さんたちが、我が子のデビューを手放しで喜び、期待し活躍を祈る中で、父の文章には、「はたして私は、この世界で娘と出会うことができるだろうか」―—とあった。氷水をぶっかけられたように目が覚めた。大甘だった。私はこの世界では、まだ無名の1新人にしかすぎなかったのを忘れていた。ましてや、私が(編集者代わりに)仲介となって、父に文章を依頼するなど、掟破りもはなはだしい。
 思えば、父からあの言葉をくらったからこそ、私は(かろうじて)この世界で生きていられる。今は感謝しかない。
 表現者として生きて行く以上、この世界においては、誰に頼ることもできない。1人荒野を歩いて行く、それは途方もなく孤独な旅路なのだ。


  夭折の霊か初蝶地を慕う        和子 
  沖暗し雷光にまぼろしの艦を見し
  桃買いに黄泉の比良坂下りいる 
          (実はコレ大切な猫を亡くしたときの句なんだけどね)  

 ハルノ宵子(はるの・よいこ) 1957年、東京都生まれ。


★閑話休題・・渡邉樹音「夜もすがら雪が雪追う地平線」(第56回「ことごと句会」)・・ 


 本日、2月17日(土)は、第56回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。以下に一人一句を挙げておこう。兼題は「斑」。

  被災地の仮という名の隙間風           杦森松一
  またしてもあれそれこれと二月尽         江良純雄
  消えそうに触れ合う炭火             照井三余
  存在と時間の中に日向ぼこ            武藤 幹
  斑猫(ぶちねこ)の転(まろ)び馳せ来る冬の夢  渡辺信子
  ふたつめの命は石でグーチョキパー        金田一剛
  掛時計時の壊れて冬深し             渡邉樹音
  文を書く不在の銀のふくろうよ          大井恒行



       撮影・芽夢野うのき「月は満ち欠け新月に輝く日」↑

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