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夏石番矢「見えない王冠あらゆるものを空位とす」(『見えない王冠』)・・

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  夏石番矢第15句集『見えない王冠』(砂子屋書房)、帯文には、   重さを持たない「見えない王冠」はすべての重みを担う。  パンデミックの重層的悲惨さから生まれた三一四句。  悲惨だからこそ生きてゆく意味を強化し愚かだからこそ賢明さを希求する  夏石番矢の第十五句集  とあり、著者「あとがき」には、   これは私の日本国内の第十五句集である。前句集の第十四句集『ブラックカード』(砂子屋書房)から、はやくも十四年が経過していた。  この間、次のような単行本句集を海外で出版することができた。 (中略)   コロナ・パンデミックの蔓延期に、アルベール・カミュの小説『ぺスト』(一九四七年)を救いの手立てとしてむさぼるように読んだが、感動的場面はあっても、図式的な楽観論が底辺にあり、私たちが経験したパンデミックは、カミュの描いた流行病の猖獗よりもけた違いに悲惨だった。  悲惨さの比較はできないものの、私たちの悲惨さは重層的で、まだその重層的な悲惨さに気づく人は少ないだろう。  第二次世界大戦が終わった二十世紀後半の、表面的な明るさの裏で進行していた、重層的な悲惨さは、二十一世紀の前半にかけてさらに加速し、進行してゆく。  けれども、悲惨だからこそ生きてゆく意味が強化される。愚かだからこそ賢明さが希求される。この句集がその証しとなることを願うばかりである。   とあった。集名となった「見えない王冠」の句を煩瑣をいとわず挙げ、他の句もいくつかを挙げておこう。    大都市封鎖みんなの頭上に見えない王冠       番矢    カミュの墓忘れ去られて見えない王冠   無人の大学吹き抜けてゆく見えない王冠   見えない王冠あらゆる人の未来を封印   見えない王冠すべてを二進法に変える   あらゆる細道見えない王冠充満す   キーひたすら叩く見えない王冠との闘い   大男を倒し見えない王冠増殖す   見えない王冠私の髪の毛さらってゆく   見えない王冠仮面の人々縮ませる   見えない王冠支配下大祭礼の夢を見る   一日千人見えない王冠襲いかかる   小人はみんな見えない王冠かぶって踊る   見える戦争見えない戦争炎天下   紅薔薇開くばかり戦争続くばかり   スーパーブルームーンわれら底なしの愚かさ  夏石番矢(なついし・ばんや) 1955年、兵庫県相生市生まれ。     撮影・芽夢...

龍太一「遠雷は廃炉の呻きみちのおく」(『SKY・BLUEー生きとし生けるものたちへー』)・・

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  龍太一第三句集『SKY・BLUEー生きとし生けるものたちへ』(飯塚書店)、序文は高野ムツオ、跋は若井新一、帯文は井上康明。  仏像の背は粗削り霾晦 (つちぐもり)   由緒ある寺院の大日如来、どっしりと坐った背中に、荒削りの鑿痕が刻まれ、空は中国大陸から飛来した黄砂にによって霞む。作者が捉えた如来の背の鑿痕というたしかな手応えが、海を超え大陸の遥かな時空へ、悠久へと及ぶ。  とある。投げ込みの栞は、津髙里永子「永遠に無限の『SKY・BLUE』俳句取扱説明書」。その中の「おわりに」に、   俳句への計り知れない愛情から体力気力の殆どを費やして、作者、龍太一氏は「どの季の句でも今、作ろうと思えば作れる」と胸中には常に句材を溜め込まれている。一方で、多作多捨の実践者でもある。  一緒に参加している同人誌「墨BOKU」は現在九号を刊行。一度に十句ずつ、計九十句発表した句があるはずなのだが、この句集に入っているのは数え得てみたら十五句のみであった。 (中略)    終末時計八十九秒年つまる  世界終末時計は、人類絶滅(ドゥームズディ)の時を午前0時と想定して、核戦争や気候変動などによる人類の生存を脅かす危機度を残り時間で象徴的に示す時計。アメリカの科学誌が、一九四七年から毎年公表している。ちなみにニ〇二五年はあと八十九秒しかないと公表された。  ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   赤子みな同じ泣き声猫の子も         太一   人住めばどこも一隅春灯   日月に蝕及ぶかにやませ来る   正午こそとことは正午敗戦日   海底はつねに陸押し神の留守   山あるがまま川もまた月の秋   被射体は人間 (ひと) 空爆も秋の蚊も   関東は灯の海山脈 (やま) は寒茜   霜の夜や家霊が梁を軋ませる   身に添ふはおのが影のみ冬灯   熔融の劫火はむつの鬼火なり     龍太一(りゅう・たいち) 1943年、栃木県生まれ。 ★閑話休題・・井澤勝代「最後まで被曝牛飼ふ草若葉」(「立川こぶし句会」)・・  5月8日(金)は、立川こぶし句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    滝落ちてしぶきを纏う新樹光        伊藤康次    うまい米作る意気ごみ田水引く       井澤勝代   自作皿魯山...

各務麗至「風信子ことばあやふきあをさかな」(『天地抄』)・・

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  各務麗至句集『天地抄』(詭激時代セレクション袖珍新書)、大河内昭爾芳翰からの献辞には、   ——昔からの耽美の世界なつかしく拝読しております。/亡くなられたお仲間のお仕事を丹  念にたどられるやさしさにも/感銘をおぼえます。/御健筆を念じ上げます。   とあり、巻尾の著者「覚書」には、  小説の叙述の研究を示唆され行き着いたのがそれこそ俳句だった。  私的には、平明は別にして俳句とは言わはずに言へる省略と豊穣を知つた始めての経験であつた。  作句期間は、昭和五十年代の後半に始まり、平成十八年までの二十数年間。平成十六年に二百四十句の追悼句集「風に献ず」を編んだが、その後俳句の総まとめ的全句集との定本小冊子を出して、  今回、やはり「風に献ず」は入集せず、独立した作品集をとの認識に立ち帰ることにした。 (中略)  句集名だが、/そこは、「風に献ず」前後でもあるが第二句集と称すことにして、先の全句集との命名「天地」を生かし「天地抄」とする。  その間、盟友麻生知子の勧めもあつて、俳句関係への参加が暫く小説から離れた原因といへなくもないが、俳句経験の作風の変化は年を重ねただけではなささうである。  俳句も亦、私を炙り出すに相応しい一篇の私小説であつた。   と記されている。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を以下に挙げておこう。    みづからかれゆくものをえごの花        麗至    一朝あらば一夕あらば旅立てる   高空の鳶二羽敏雄松雄と呼び   木枯らしや孤児たるらむと告げて透く   ももとせやももたび訪はな留守の梅   長逝す畳の上のちりもみぢ   坂東やしめればしまる男帯   逆光のどこ掴んでも秋の風   裏山は鬼のおとなふ桜かな   母似ゐて父似数へる秋まつり   永遠といふは壮絶ふぶきけり   太陽の及ばぬさきの力かな   春月や胎内そよぎゐたりけり   月明に呼ばれて風の裏おもて   半夏生死後こそ穢れなきと思ふ   一会いま骨はゆたかに肉美し   光さして山に谷ある齢かな   凡百の耳埒もなし蚯蚓鳴く  各務麗至(かがみ・れいじ) 1948年、香川県生まれ。      撮影・鈴木純一「永遠 ( トコシヘ ) もやまない雨もないかしら」↑              朝丘雪路   4 月 27 日  ...

鈴木衞「天つ日の瑕疵なき空へ揚雲雀」(「文春俳壇」2026年初夏より)・・

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 「文春俳壇」2026年初夏(「週刊文春」ゴールデンウイーク特大号)、ブログタイトルにした句、鈴木衞「天つ日の瑕疵なき空へ揚げ雀」は特選5句のうちの一句。以下のように鑑賞した。   思い出したのは、鎌倉時代末期に編まれた『玉葉和歌集』の中の後伏見院〈天つ日のひかりは清く照らす世に人の心のなどか曇れる〉でした。「天つ日」とは太陽こと。歌の心は、“この世界には明るい陽の光が行きわたって平和なはずなのに、どうして人々の心は悩みや煩悩で曇っているのだろうか“です。掲句は、この歌を踏まえて作られたのかもしれません。   そう思うと、「瑕疵 (かし) なき空」のフレーズからは“雲ひとつない空“以上のものが想像されます。そこへ揚雲雀 (あげひばり) ―—空高く、囀りながら舞い上がる雲雀の姿を指す春の季語が合わせて詠まれています。凛とした佇まいと同時に、生の喜びを感じさせてくれる素敵な句になりました。  今回は、注目句として、末尾に8句を加えて選びました。佳句はいずれも甲乙つけがたいもので、出来るだけ多くの句を紹介したいと思ったからです。   ともあれ、選出句から、以下に、いくつかを挙げておきます。    さしも草だから超音波で喋る             山崎なお    核家族子は一匹の鯉のぼり              野口佐稔    花幻忌や水ヲ下サイ人間です             齋木和俊    「反」であり「非」であり「不」である「戦」春日  房総とらママ    人間の愛は動力冬すみれ               岡山芳寿    ゆで卵つるりと剥けて風光る              華盛頓    あの日 畳で跳ねて 雲に乗った           池光まな    此の世とはかなしみ色の日向ぼこ           各務麗至    三・一一あの日確かに母はいた            井上芳子    初音してふはりゆるみし脳の奥            阿波の風    人には人の蝌蚪には蝌蚪の立志あり         豊崎香穂理    介護にて疲疲疲疲疲疲や桜月             野中泰風    AIに春の在処 (ありか) を訊いてみる        漢方十七錠    パソコンと確定申告梅匂う              東野月沼   一湾を劇場として蜃気楼       ...

森山光章「〔南無妙法蓮華経〕は、〔狂気〕を力動に変換する」(「不虚(ふこ)」23号)・・

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  個人誌「不虚(ふこ)」23号(発行・編集 森山光章)、ブログタイトルにしたのは、森山光章「本覚(反ユダヤ詩篇)」の中の一篇。以下は、アフォリズム風の「更なる〔終わりへ〕へ」から、いくつかを以下に(原文は正漢字)、 * オランダの歴史家 「ルトガー・ブレグマン」氏は、「トランプは、米国史上、最も腐敗した大統領」と語る。 トランプ・ネタニヤフ・プーチン・習近平は、 〔破壊と虐殺〕をする〔脳(能)〕しかない。 慶賀である。タラズは、誅殺しなければならない。 それは、〔仏意〕である。 *「山上徹也」被告は、〔倫理〕を 行じているだけである。 それは、「テロル」の本質である。「安倍晋三」の死 (・) は、〔仏罰〕である。「山上」は語る、「偶然とは思えない、運命を感じた」と。〔諸天が動いている〕。〔仏罰〕である。 *「創価学会員は、〔命を削って、唱題しなければならない〕。〔一年三千・三千羅列〕、それだけが、この〔終わり〕に抗する、 唯一の方途 である。その為に、わたし達は〔阿頼耶( あらや) の底〕から、 湧現した のではないか。〔忘却してはならない〕。 *「AI」は、〔民衆〕を 完全に支配ー管理するための 「ツール」に過ぎない。〔御遊戯〕が、行われている。 *ネタニヤフが、「ホロコースト」について言うのは、 笑わせる。 現在(いま)、「ホロコースト」を行っているのは ユダヤ 人である。「ガザ」「イラン」、ユダヤ人が〔虐殺〕を行っている。   その他、詩篇に、大森雄介「驚き」、杉浦浩次「現代祖国心中論」、前田俊範「極寒の政治決戦、終わる」などがあるが、ここでは、いくつかの句歌を以下に挙げておこう。   前世まで尾羽たらせよ大孔雀           木戸葉三   凝りすぎて嘆くショートも幸ありて       久野加代人   寒卵うぶやに満ちる呱々の声           古岡壮大   胡蝶蘭くださりし人なくなりて我が永生きを恥じるばかりか   佐藤ミヨ子   ★閑話休題・・府川浩「節分や世界の鬼に手榴弾」(月刊ひかり・第795号「西山俳壇」)・・  「月刊ひかり」第795号・城貴代美選「西山俳壇」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)、以下にいくつかの句を紹介しておこう。    啓蟄やまだ生きねばと手術台       名古屋市 花井惠子    楓の芽指開くかに初ひ孫   ...

藤原龍一郎「ドローンが春の空飛ぶのどかさや原発並ぶ若狭海岸」(「短歌研究」5+6号)・・

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 「短歌研究」2026/5+6・第83巻第3号(短歌研究社)、扉には、 短歌・ハズ・ノー・ボーダーズ/300歌人の新作作作品集/七首+エッセイ(エッセイのテーマ=わたしの壁) 一冊丸ごと新作短歌(+エッセイ)の特別編成号でお送りします。/毎号の連載や企画はお休みです。 性別や年齢などではくくらずず、掲載はほぼ五十音順です。 今年はキャッチフレーズを、「短歌・ハズ・ノー・ボーダーズ」としました。/沙菜座真菜キャリアのみなさんが作品を寄せる、自由なセッションのような号となればという思いを託しました。  とあった。ともあれ、以下には、幾人か出会った方々の幾つかの短歌を挙げることにします。どうしても、愚生と近い年齢の方になってしまいました。  黒船の来しころといふのらぼう菜のルーツは相模の赤き畑          馬場あき子   雪月花美 (は) しきはいづれ 絶望に耐へゐる時か絶望に耐へ得ぬ時か     伊藤一彦   さくら狩りなのに桜ぢやないものを狩る人々と夜の涯まで           荻原裕幸   わがものにあらねど目に得て楽しむは咲きそめの梅、葉かげの椿       久々湊盈子   泣きやんだばかりの木かもしれなくて夜の公園のミモザ凭る          栗木京子   人類の滅び早めるものふたつ核とAI あらたなる神             桑原正紀   青虫をcatefpillarとぞ訳しつつ春期休暇に流れ込む児よ            黒瀬珂瀾   冬枯れの利根川わたるわが電車とほいところへ行つてしまへと         小池 光   もし春のたてがみあらばいまここがどこかわかるか疾風 (はやかぜ) のなか  小島ゆかり  「水師営の会見」「君死にたまふことなかれ」虚空に伸ばす明治のかいな     三枝昂之  ぬめりたる豚の匂いに沈みゆく暖簾の奥の博多濃麻呂            佐佐木定綱   岡井・田井・河野不在の結社誌の山賊鍋のやうな賑はひ            佐藤通雅   人はみな地球に産まれ地球に消ゆ地産地消 (ちさんちせう) のいのち愛 (かな) しも                                      高野公彦   咎なくておおき陰りに遭うごとし 母亡きあとのわたくしと父         辰巳泰子  寒天でできたお...

加藤閑「冷たき舌花紺青に染まりたり」(『四季』)・・

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  加藤閑第一句集『四季』(書肆魚住陽子の店)、序は鳥居真里子、その中に、  (前略) 口寄せのあひだぢゆう嚙んでゐる檸檬     白鳥の王家の系譜おほかたは夜   いずれの作品にも死の影が忍び寄る。が、不思議な明るさを伴う。死と再生の物語を詩人ならではの語彙感覚で表現している故であろう。表現者としての自負と希求がうかがえる。水彩画もまた然り。繊細で緻密、なによりため息が出るほど美しい。万物の生命の雫が鮮やかに描かれている。枯れや、死さえも生命として捉える才能は十七音の表現にも顕著である。〈繊細でなければしたたかになれない〉。ふと、そんな言葉が脳裏をかすめる。(中略)  また本句集には、先に挙げた魚住陽子著『草の種族』と相通じる世界があるように思う。魚住陽子の「生きる」という営みは死の対極にあるものではなかった。それは、始めと終わりの境界が定まることのない、いわば円を描くようなものだったのではないか。そして、そんな陽子の命の鼓動が、加藤閑のこころの襞のどこかに深く刻まれているような気がしてならない。  とあった。また、著者「あとがき」には、 (前略) その魚住がある時期から俳句に惹かれ、マンションの会議室で句会をやり始めた。当然わたしも誘われて参加したが、実のところあまり気が進まなかった。花鳥諷詠を十七音定型で写生するというイメージに馴染めなかったのが正直なところだ。だが彼女の個人誌『花眼』に発表した句には衝撃を受けた。   冬の日の丸ごとありて腐りたる       陽子 わたしの俳句観を覆す句だった。こんなことも書けるのか。はじめて俳句をつくってみたいという気になった。そのときの気持はいまもわたしの俳句に向き合う精神の底に川のように流れている。  わたしを俳句に導いた魚住陽子が他界して四年半が過ぎた。夢のように過ぎたその時間のなかでつくった句をあつめてこの本を編んだ。チョコレエトの箱のような本にしたかった。魚住陽子の名を冠した版元にしたのも彼女に対する感謝の気持をこめたつもりだ。  ともあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう(*注は略した)。    白魚は泳ぎわすれて盛られけり         閑    シーレの眼シーレの色に冷えにけり   誕生のまま炎天に立つてゐる   静寂を蘭鋳にして浮かべたり   聖人の嗚咽野に満ち藍刈る日 ...