田村道子「風の実が落ちて梅雨入りとなりにけり」(『狼が啼いた夜(よ)』)・・
田村道子第一句集『狼が啼いた夜(よ)』(砂子屋書房)、序文は宮坂静生、その中に、 田村道子のデビューは衝撃的だった。大らかな土の匂いが立つ言葉で読み手の言葉の貯蔵庫を叩いたばかりではない。読み手は心が揺すられた。「岳」入会は二〇一五(平成二十七)年、四か月後には巻頭。 (中略) ことば探しは「餓鬼を見せたり、菩薩を見せたり」「修羅」の場に身を曝すことだという。作者が「岳」ケルン賞を受賞した折の言葉をここに記して置きたい。 春の蜘蛛なり全身の好奇心 壺焼食む人間力のまだ足りぬ きつねだな彼の世へつなぐ海のうへ 「全身の好奇心」とは作者自身の言やよし。その意欲を讃えたい。しかし、好奇心旺盛という一途な探求心だけでは言葉の魔界の鬼神を動かすことはできない。栄螺の壺焼を食べながら、「人間力」と呟く。辛抱である。忍耐である。長い修練の果てに偶然の僥倖を招く言葉の力が人間力ではないか。「きつねだな」(蜃気楼)をも動かし生者と使者とを繋ぐ靱帯も「人間力の賜物であろう。作者にはそれが期待できる底力がある。 とある。また、著者「あと書きに、代えて(男鹿からの帰り)」には、 ニ〇ニ四年六月、男鹿半島。菅江真澄遊覧記「男鹿五風」の一端を歩く。旅も終盤になって、この半島にも多くの歌碑が残されていることに気付き驚く。山道を、ひょいと入ったような目立たない場所が多い。おそらく真澄はここでも、人々からあたたかく迎え入れられていたのだろう。男鹿の地震(一八一一年)もあり、緊迫した描写もあるにもかかわらず、である。青森の深浦や秋田の柳田など先々で、出立を引き止められる。旅の安全を祈り手を振ちつづけてくれる人々もいて、真澄はそっと涙ぐんでいる。 (中略) 晩年は秋田ですごした。享年七十六歳。訪ねた先々に歌碑が残されているところに注目したい。 (中略) 昨秋、思いがけない病がみつかり、目下療養中の身となりましたが、俳句は生きるための大切な軸のひとつです。俳句を通して知り合えた多くの句友の皆さまには感謝を。すっかり馴染んでしまった貌の皺を伸ばすような時間が過ぎていますが、きらきらとことばが降りてきてくれるのを待つ幸福な時間でもあります。澄むことよりも大いに濁って太ぶととした句を詠みたい。 とあった。集名に因む句は、巻尾の、 狼が啼く夜星ふるべゆらゆらと...