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中島進「かぎりなく今のまぶしき雪やなぎ」(「詭激時代つうしん」23/栞版より)・・

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  「詭激時代つうしん」23*栞版(詭激時代社)、同時刊行に『中島進 論考抄』(詭激時代セレクション袖珍新書)、いずれも各務麗至の手作り冊子(限定非売版)である。目次には、「 中島進/悼『中島進 遺稿句抄』から・攝津幸彦研究⓵・俳句の思想とは何だろうか 」とある。そして、各務麗至「覚書にかえて……」には、   中島進、の、追悼の栞つうしんになる。亡くなったと聞いて、暫らく茫然とした。  一年前に妻を亡くしてその途方に暮れていた日々…‥‥。出会って二年ほどなのに、長年の知己のごと時々お電話してくれて、途轍もない救いになっていた。そんな頃、 私と同じような失意の友人がいて、元気づけるかに手作りの冊子を作っていたのだった。 そして、私のことである。小冊子小部数とはいえ急遽遺稿句抄を作成したのは言うまでもなかった。仏前に供えていただいていると聞いている。思いが届けば……。   とあった。本冊子から、いくつかの句を挙げておこう。    どの夢も生き急ぐかに冬の星         大井恒行     大井様から/追悼句をいただきました       改めて 本人句集の巻頭に       「真実を語り犀の角のように歩め」            ——スッタニパータ 中村元 訳       あの世でもただ独り歩むのでしょうか   中島百百代    たましひの絶えざる声や冬木霊        各務麗至    ひのまるをせにとぶやつたばんざあい      〃     *TAMA市民塾講座「現代俳句入門」宿題は「ひらがなで作る俳句」五輪テレビから                                ー20256・2・9     *立川シルバー大学「俳句講座」宿題は「カタカナだけで句を作る」「カタカナと漢字まじりで句をつくる」が先にあって、  ー2026・2・4 ひらがな句 何か戦中的で、それならと逆のカタカナに、    イアザンバ タツヤブトニセ ヲルマノヒ     *どちらもどちらで漢字は……、と、挑戦   己乎惨場立野豊途偽居魔廼日  ——己に惨場かな 野に立てば豊かな道は偽りで 魔の日に廼る居る    たましひは真冬をこえて還りゆく          *きすげ句会に、「卒業」との宿題を見て、三鬼が……。    人間てふ卒業のなき成就かな      嘘だけど妻来て春や嘘でない  ...

関根かな「人間に触れたき枝垂桜かな」(「小熊座」4月号より)・・

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 「小熊座」4月号(小熊座俳句会)、特集は、「豈」同人でもあった関根かなの「追悼 関根かな」。執筆陣は、成田一子「血のつながらぬ寒雀ー関根かなさんを悼む(「滝」2月号より転載)」、渡辺誠一郎「淋しげな眼差しの彼方ー思い出すままに」、佐藤成之「永遠にあなたのいない初景色」、鎌倉道彦「木犀へ」、千倉由穂「鍵束の音」、他に及川真梨子「関根かな二十句抄」。その成田一子は、 (前略) 三月のけふもあしたも空低し     いつまでが戦後桜の咲き続く     地震の日の雪降る以後の記憶なく  三・一一や戦争、彼女の大きなテーマだ。毎月の「小熊座」誌の作品でもそうだが、彼女は常に「ここにいる人」以上に「ここにはいない人」に心を通わせようとする。     夏の星死んでも会へぬ人のゐて     打水や戦中の子の走る音  表現は平易だが、奥に重く深いものが横たわっている。難解さがなく、するりと入ってくるが、読者にじわじわと内省をうながす作りとも言える。   と記している。 合掌! 他の記事で、小田島渚「俳句時評/詩歌の球体」の、結び近くに、  ここから筆者は、石牟礼の世界観から詩歌の歴史を別のかたちで想像してみたい。詩歌は、時間軸の上で敗者を生みながら批判的にはってんするものというもより、むしろ球体状に広がるものではないだろうか。石牟礼が女性の詩歌を再興したとしても、額田王も柿本人麻呂も敗者となって消失はしない。球体には様々な可能性が消えずに呑み込まれていく。石牟礼の俳句もまた、この球体の外にあるのではない。その意味でいえば、昭和三十年代に隆盛し、その後勢いを失ったかに見える前衛俳句もまた、排除されることなく未来へと繋がっていく。さらにこの球体は権威となる中心を持たず、おsの拡大の先に、目指すべきただ一つの俳句像もない。球面の至るところで、ざわざわと俳句が生まれ続ける。一切が取りこぼされず、球体そのもが詩歌であり俳句である。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    牡丹雪雪天の横隔膜動き         高野ムツオ    天上に人生きられぬ室の花        渡辺誠一郎    あの世より逃れてきたる鶴の声      津髙里永子    月光は降りしきるけど積らない      丸山千代子    いちめんのみどりごいちめんの春の星    川口真理    存へば...

豊里友行「鍬を振る/血潮の虹の/旋律よ」(『赤(あか)ん坊(ぐゎ)オーケストラ』)・・

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  豊里友行第7句集『赤(あか)ん坊(ぐゎ)のオーケストラ』(沖縄書房)、著者「あとがき」に、 (前略) 何故に私は、沖縄戦や米軍基地、自衛隊基地についてこれまで取材し続けてきたのか。私の生まれ育った沖縄で誰もがより良く生きられるような俳句と写真活動をしていきたいう。その私の“うむい“(思い)は、沖縄に突き付けられた不条理から眼を背けられなかったからだ。俳句と写真、文章を書くことで全力を振り絞って沖縄に向き合ってきた。それは私なりの“島うむい“(島思い)であり、郷土愛が根幹をなす。この敗戦八〇年目に私は、沖縄戦を追体験する試みのための沖縄戦の経路を『沖縄線六〇年沖縄新聞』(琉球新報社、ニ〇〇五年)などを基に辿る。  私の句集『母よ』のあとがきでも触れたが、沖縄戦時に母は赤ん坊だった。その赤ん坊である母は、「この戦争が終わったらどんな良い時代が来るかもしれないから赤子(だった母)の命を生かしておきなさい」という祖父(赤子の父)の運命の言葉に導かれていく。その生命の奇跡によって今の私がいる。それは沖縄戦を生き延びた誰もが感じたであろう共通意識ではなかったのか。また戦に巻き込まれた赤ん坊たちの悲劇も多くある。戦争をしていない世代なりの沖縄戦継承について私なりに思いを馳せている。私自身を含めた命について尊ぶことにも気づかせてくれた。そういえば、友人の赤ん坊の感触は、やわらかな血潮がこの世界と繋がり合って生きていけるような希望に満ちた感覚を覚えた。そんな敗戦八〇年目と私の写真人生三〇年目は、誰かの犠牲の基に成り立つ豊かな世界よりも誰もがより良く生きれる世界への対話と人類のたゆまない努力を自らの俳句や写真によって結実し続けたい。それが世界の戦争に抗う私なりの抵抗だ。私たちは、もっと命の話をしよう。   とあった。集名に因む句は、    天体が弾む赤 (あか) ん坊 (ぐゎ) オーケストラ      友行  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みの句に偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    戦争まっしぐら拒む海蛇 (いらぶー) の笛   爆音のパントマイムの家族なり   廃墟ちっくな銀天街の花きりん   煩悩まみれの螺子を巻く 凍蝶   迷彩服も潜むクリスマスツリー   戦争の全貌捲る蝶の翅   うりずんに愛されるための蕾よ      蠟涙の      嗚咽の      風...

和田信行「昼ラジオふるさと桜八分咲き」(「立川こぶし句会」)・・

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  4月10日(金)は、「立川こぶし句会」(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    給水塔脇の草地のつくし摘む         山蔭典子    ひとひらの君を待ちつつ花筏         伊藤康次    小綬鶏の森の招きに誘われし         和田信行    甲州路藤は桃花を抱きおり          大澤千里    天覆う奏でる桜駅ピアノ           髙橋桂子    逆光の金縷梅林 (まんさくはやし) 弥彦山   井澤勝代    九条や最後のとりで草若葉          川村恵子    音たてて花の重さや椿落つ          三橋米子    ためらい傷の春や過ぎゆく晩年は       大井恒行 ★閑話休題・・山内将史「お早うは鸚鵡のことば春霞」(「山猫便り/2026年4月8日」)・・  「山猫便り」は山内将史の葉書通信。その中に、  (前略)  冥婚の兵ぞ直立あんず咲き  江里昭彦「左庭」五八号  ほの白い花の反射でますます蒼白な顔の直立不動の兵士。冥界の婚礼写真のようだ。小さな羞恥心と幸福感が伝わってくる。  椎名麟三が好きだった。好きな小説はと聞かれた時「自由の彼方で」と答えた。五十年振りに読み返した。昔の自分を思い出す。  とあった。        撮影・鈴木純一「相手にはしない相手にアッ痛テテ」↑                  4 月 5 日   蒋介石   没   (1887 ~ 1975)

中尾壽美子「天元に白桃ひとつ泛びゐる」(「風琴」第5号よるい)・・

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 「風琴」第5号(風琴の会)、皆川燈「第五句集『老虎灘』の天元/中尾壽美子ノート 最終回」の中に、   生前最後の句集となったのが第五句集『老虎灘』である。〈老虎灘〉は、壽美子が終戦の日を迎えた関東州大連市の郊外にある海の名前である。あとがきには「『ろおこたん』というまろやかな音感に惹かれ、苦い思い出よりも懐かしいはるかな地名をこの集に冠しました」と記されている。刊行は昭和六一(一九八六)年、壽美子七二歳(昭和六四年、七五歳で逝去)。 (中略) 人生のコク、そのダイゴ味こそが壽美子の俳句、『老虎灘)の美味の世界である。  巻頭は   夢の世やとりあへず桃一個置く  そして掉尾は   天元に白桃ひとつ泛びゐる  「夢の世」はもちろん耕衣の「夢の世に葱を作りて寂しさよ」を踏まえているだろう。葱に対するに桃とは、なんとも大胆な壽美子の告白、いや言挙げではないか。 (中略) 「天元」とはあまり聞き慣れない言葉だが、耕衣は跋文の中で、「天元」は「存在の根源」であり、「存在即エロチシズム」と換言することもできるだろうと述べる。 (中略)     年よりになりつつありぬ煮凝りぬ    閑けさもつまめば凹む厚氷   (中略)    ふつつかな胡瓜の時間曲がりをる    まったく、媼の位とはいうものの、煮凝りつつ、凹みつつ、曲がりくねったふつつかな晩年であることよと笑いがこぼれる。そして、ようやく掉尾の「天元に白桃ひとつ泛かびゐる」にたどり着くのだ。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    傾いた私にそそぐ花あかり        関根順子     悼句    幽霊と見ている最後の花吹雪        月 犬    ワタクシを焼き尽くすまで寒夕焼     西谷裕子    オロという新種の色はうすみどり     三池 泉    地上ボタン押せばたちまちげんげ原    皆川 燈     秋の鳥舌 (べろ) が発光して居りし    矢田 鏃   ロージナハフルサトナリキ桃子ノ忌    結城 万    この日差し届くのかわが死後も      五十嵐進    トンネルに足跡響く敗戦日         M・M    わが胸の泣いて泣かれて虎落笛      柴田獨鬼      撮影・芽夢野うのき「いっぽんの道みどりなす父の道」↑

鎌田東二「天籟も裂け地籟も割れて人雷燃ゆ火も水も皆荒魂(あらたま)尽くし」(『言霊の短歌史』より)・・

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  鎌田東二×笹公人『言霊の短歌史』(KADOKAWA)、笹公人「あとがき」には、   私が鎌田東二先生と初めてお会いしたのは、十八年ほど前、敬愛する音楽家・細野晴臣さんのイベント会場でした。著者を何冊も拝読していたので、まさかその場でお会いできるとは思わず、驚きを隠せませんでした。  それから五年後のニ〇一三年、私は出口王仁三郎の短歌を厳選した編著『王仁三郎歌集』を先生にお贈りしました。先生が出口王仁三郎の熱心な研究者、通称「オニサブラー」であることを知っていたからです。 (中略)   その直後、先生の大名著『言霊の思想』に出会い、短歌の言霊に特化した話を直接お聞きしたいという思いが募りました。( 中略)   対談連載「言霊の短歌史」の最終回が掲載された『短歌』の発売から僅か五日後の五月三十日、先生は静かに旅立たれました。 (中略)   いま振り返れば、この本が先生との約束を果たすぎりぎりのタイミングで完成したことに、奇跡のような巡り合わせを感じます。この本に収められた先生の言葉は、短歌の世界の永遠の財産になると信じます。  ここでは、「俳句と言霊」のほんの少しの部分を、引用しておこう。 (前略) 笹 俳句は、もともと連歌の五七五の発句のみを取り出したものですよね。  鎌田 言葉を少なくすればするほど、その言葉のなかの宇宙は拡大するという方程式を俳諧は証明していると思います。言葉が短い分、スピード感や飛躍も出てきます。  短歌がより人間的な側面を持つとするならば、俳諧はより大自然的な物の声を拾っているのです。私は、歌が生まれてくる以前の日本人の言語観、アニミズム的な自然感覚、生命感覚を呼び込んで再生し、完成させたのが芭蕉の業績だととらえています。そういう意味で芭蕉の仕事というのは大変重要です。 笹 俳句が五七五で、短歌が五七五という長さは関係があるのでしょうか。 鎌田 大いにありまあすね。下の句によって、短歌の言葉は人の心理に向かうベクトルを持ち、俳句は自然の理に向かうベクトルを持ったと思います。   とあった。 ともあれ、本書に収録された「鎮魂列島」(鎌田東二)、「いろは四十七都道府県短歌」(笹公人)の短歌作品から、いくつかを挙げておこう。  奥能登は島の髄なりむまれてしむで生まれて死んで珠洲は鈴鳴り     東二  いのちはてて超えてゆくらむ奥山を照らせ今宵の...

依光陽子「引鳥と空へ飛ばうとする魚と」(『ふ、は鳥に』)・・

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  依光陽子第一句集『ふ、は鳥に』(左右社)、帯文は松岡正剛。  依光陽子の句や/俳句論が刻印的でいい。  とある。著者「あとがき」には、 (前略 )読んでいただきたかった方がたくさんいる。私をこの世界に送り出して下さった大峯あきら先生。角川賞選考委員会で〇一つだけだった私の作品が議論から飛ばされそうになった時、推した責任があるからと議論の俎上に載せてくださった。その後、局面局面で推して下さった三橋敏雄先生、稲畑汀子先生、川崎展宏先生、山田みづえ先生。三橋先生には翌年の賀詞交換会で「僕達が選んだだから自信をもちなさい」と励ましのお言葉まで頂戴しどれほど嬉しかったか。  そして誰よりも師であった斎藤夏風先生 。(中略) そして深見けんニ先生。水仙の花を長い間凝視されていた御姿は忘れられない。 (中略)  俳句が何か、何もわからないまま始めてから三十年以上になる。思えばいろいろな方々にお世話になった。この一冊は感謝の一冊である。 (中略)  また、佐藤文香さんにも御礼を申し上げたい。私の俳句は俳句のために書き続けてきたのだと思いだ させてくれた人だ。「依光陽子という俳人が書いた作品がこの時代にあること。それはぜったいに、俳句をゆたかにすることです。図鑑でも標本でも、一種類でも多いほうが嬉しい。しかも陽子さんの作品は、昆虫でいえばめずらしい色の虫ですから、そのすがたを、“残すべき“だと、私は思っています。」はたしてこの句集が俳句の喜ぶめずらしい色の虫のような本になっただろうか。  とあった。集名に因む句は、    ふ、は鳥になり昆布干す人が仰ぐ      陽子  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。    作り雨音のはじめの色なりし   胡桃割る斯くてことばの砕けゆく   白き夏の白き胡蝶は白き花へ   見てゐたる星が動きて天の河   木の蔭に入りて影解く春の鳥   海に降る黄砂は海の魚が呑み   独楽を打つむかしの人もやつて来て   音を送るね草の実入れて封をして   秋の暮金魚潰せば吾も赤うなるか   柿の秋どの鳥籠も開けてあり   雨冷や魚のまとへる水の膜   花粉とばし尽くせし土筆つひに鳴る   こどもではなきわれわれのこどもの日   父の死と冬すきとほる蟬の屍と   喋々を捕へし網をかるくねぢる     依光陽子(よりみつ...