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筑紫磐井「ほのぐらき夜にせずりせさせ給ふ」(「俳句」5月号)・・

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 「俳句」5月号(角川文化振興財団)、大特集は「はたらく俳句」、神野紗希の総論「『働き方改革』と俳句」/なぜ『はたらく』を詠むのか」の結びに、    ナイターの膝の通勤鞄かな         小川軽舟   花を買ふ我が賞与でも買へる花を      西川火尖   子の床によりて句作の夜寒かな     長谷川かな女   (中略)  何のために「はたらく」のか。これらも句には、生き延びるためにの労働に追われながら生を塗りつぶされず、ときに遊び、花を飾り、俳句を詠む「私」の時刻が刻まれている。俳句という営みは。「はたらく」の外から「はたらく」を内包し、私たちの「生きる」を支えている。  とあった。また、大塚凱「現代俳句時評Ⅳ/帆を張る技術」の結びには、  (前略) さて、整理してみれば、句集に対する賞は、主に所属協会を横断した六十代後半~八十代俳人同士の顕彰を基調としつつ、俳人協会系を中心に広がる「青邨的なもの」と、他ジャンルと関係しつつ動的に価値判断を下す「澤的なもの」との相克が、現在の風向きといえる。 (中略) とはいえ、選考の趨勢と自らの作品を重ね合わせるような営みは不幸極まりない。そこで交わされた褒貶の痕跡は、むしろ選者たちのありようを物語ることになると理解した上で、わたしはわたしの帆を張りたい。どのように風が吹こうとも、帆は進むことができる。俳句の技術は、そのためにある。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくかの句を挙げておきたい。    「人影の石」とや永遠に人呼ぶ石        池田澄子    致死の美貌                  筑紫磐井    戻れざる地や春星の夥し           駒木根淳子    木の芽風迦陵頻伽の舞ひ上がる        木暮陶句郎    働いてこの夕焼を賜りぬ            櫂未知子      会社かめたしやめたし飛花落花        松本てふこ    ひとりづつタイムカードを押して霧       柏柳明子    残業の背中へ蜜柑配るなり           阪西敦子    非正規は非正規父となる冬も          西川火尖    卒業の白衣にカレーの消えぬ染み        北大路翼    手を振ればうまれつづけてしやぼん玉      安部元気    ハローワーク行こうか陽炎に入ろうか   ...

藤田湘子「死ぬ朝は野にあかがねの鐘ならむ」(『ささやかながら[藤田湘子の俳句をめぐって]』より)・・

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   津髙里永子『ささやかながら』(霞草文庫)、著者「あとがき」に、  福神規子主宰の「雛」に令和五年(二〇二三年)七月号から二年間、連載させていただいた文章をこのたび、一冊の本にまとめました。この文を書くことになったきっかけになった母は連載中に亡くなりましたが、彼女を通して、私はずいぶんと湘子の教えを学んできました。  介護施設に入所した母と会話したいと思って、会いに行くたびに俳句のことを話しかけ、殊に湘子先生の話をすると、表情も和らいで笑顔も見られるようなりました。この連載のおかげで、母の中で俳句がよみがえり、思いもよらぬ母の句集づくりへと話がすすんでいkみました。句集感性は間に合いませんでしたが、句集名『霞草双手に抱けば』は母が決め、小川軽舟氏が書いて下さった序文にも目を通すことができ、試作した表紙も見せることが叶いました。   とあった。集中の「掌握」の項には、   母の遺品に、参加したすべての句会の投句と当日受けた批評を清書した「句会整理帖」なるものが七冊ほどある。 (中略) 当人に無断で叱られるかもしれないが、幾つか例を示せば、湘子先生の俳句観も見えてくるかと思う。 ・母の句〈立春大吉畦を啄む鴉あり〉    (平成八年)   湘子→「啄む」は当り前。「歩ける」とする。「歩く」で「啄む」ことも連想される。  と、ある。また、面白いエピソードが記されていたので、それは「勇気」の項で、 (前略) 平成八年~十年頃であったと思うが、湘子が、何かの話のついでに「日本は三つも俳句の協会(伝統俳句協会・俳人協会・現代俳句協会)があるのは如何なものか。俺はフリーの立場になったから、将来、これを統一できたらと思うんだが。」と漏らしたことがあった。ただし、この意向は、その後(管見の限り)湘子自身の文字としては残っていないように思われる。  とあった。ともあれ、以下に、本書中から、いくつか湘子の句を挙げておこう。     枯山に鳥突きあたる夢の後          湘子    音楽を降らしめよ夥しき蝶に    雪だるま無用の礫くらひけり   雪形を天にあそばせ花林檎   ひぐらしのうしろさみしき白地かな    蛍火 (けいか) 忌と呼ばむか晴子逝きたる日   一塊のででむし動くああさうか     口で紐解けば日暮や西行忌   真青な中より実梅落にけり   月...

夏石番矢「枝々の傷口から春を呼ぶ声」(『見えない王冠 Invisible Crown』)・・

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  夏石番矢句集『見えない王冠 Invisible Crown』(Cyberwit .net)、序文はDr.カルネッシュ・クマール・アグラワル(編集主幹 /Cyberwit .net)、以下、日本語部分のみになるがを記しておこう。   世界が沈黙の緑に傾くとき、そこに冠がある。それは黄金でも栄光でもなく、俳句のための「不在」の冠である。「見えない冠」は何も重さを持たないが、すべての重みを担っている。悲しみが記憶へと変わること、喪失と憧憬、崩れ去り静かに再び築かれる世界の残響を含んで。   夏石番矢の俳句は単に観察するのではない。それは現実に対峙する。切迫し、生々しく、ときに渾沌としているが、唯一の明晰さに根ざしている。このページを貫く「見えない冠」は、象徴であり、証人でる。それは人間の精神が不在に耐えうることを思い出させ、沈黙そのもが重みを持ち、静止の瞬間が一生分の感情を含みうることを示す。 (中略)   またこの本は、俳句が単なる紙の上の言葉ではなく、実践であり、反映であり、自然と共に生きることなのだと思い出させる。  結びに、私はこう言いたい。夏石番矢は世界全体に向けて一つの教訓を示している。それは平和、統合、そして人類を結びつける静かな力の教訓である。  とあった。集名に因む句は、        大都市封鎖みんなの頭上に見えない王冠   Big cities in lockdown   the invisible crown          on everyone's head   見えない王冠あらゆるものを空位とす   The invisible crown          makes everything          vacant    などであろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下に、いくつかの句を挙げておこう(日本語のみ、英訳略)。    氷の私が氷の鬼を追い回す          番矢    月面への一歩と月面からの一歩   汚れれた優先席から墓場までの近道   塔人間を作っているのも塔人間   見える戦争見えない戦争炎天下   間違える故に我あり芋焼酎   靴裏で泥と枯草しばし休憩...

水崎野里子「春寒く/花の蕾も/開かずに/瓦礫に雪の/白き屍衣見ゆ」(『平和の葉っぱ』)・・

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  水崎野里子日英句集『平和の葉っぱ』(コールサック社)、解説は鈴木日佐雄「地球の冷えを温める平和の葉っぱを飛ばす人ー水崎野里子日英句集『平和の葉っぱ/A Leaf of Peace』に寄せて」、その中に、   詩人・歌人・翻訳家・評論家の水崎野里子氏が、初めての句集である日英句集『平和の葉っぱ/A Leaf of Peace 』を刊行した。本書は水崎野里子氏の多様な表現の試みが至りついた、とてもシンプルで最も重要な思いを宿した日英句集と言えるだろう。コールサック社の英語翻訳において水崎氏は2007年に『原爆詩人一八一人集』英語版の翻訳、2010年にディヴィッド・クリーガー日英詩集『神の涙——広島・長崎原爆 国境を越えて』の翻訳、2021年にラングストーン・ヒューズ英日選詩集『友愛・自由・夢屑・霊歌』の翻訳などを手掛けた。そのヒューズ英日選詩集の解説文で私は次のように翻訳者としての足跡や考え方を紹介した。 (中略)   水崎野里子氏の3行俳句は詩であり「手紙」であり、その「手紙」は「平和の葉っぱ」であり、それは「憎しみの壁」を打ち砕き国境を越え、「地球の花冷え」の村や町へ平和で温かな心を届けたいと願っている。私は2か国語で表現された日英句集『平和の葉っぱ』がクリーガー氏のような世界平和を探し求める人びととのところに飛んでいくことを夢みている。   とあった。ともぁれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう(途中英訳を付さず)。    河の神       the river gods   山なる神も     as well as mountain gods   熱の神       heated demons    広島と       A-Bombs of   長崎原爆                          Hiroshima and Nagasaki   季語と化し                      seasonable word in haiku         わ...

永田浩三「なんじゃもんじゃ ペルシャに白袋積みあがる」(「俳人『九条の会』新緑のつどい」より)・・

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                  永田浩三氏↑   4月25日(土)は「俳人『九条の会』新緑のつどい」(於:林野会館)だった。2名の講演者は、栗原淑江(ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会事務局)「被爆者たちの運動と日本国憲法」と永田浩三(社会学者・ジャーナリスト)「今こそ平和を求めて・俳句は原爆と戦争をどう描いてきたか」。主要な著書には、以前に、本ブログでも紹介した『原爆と俳句』(大月書店)『ベン・シャーンを追いかけて』(同前)など。また、映画『闇に消されてなるものか・写真家 樋口健二』などがある。  ともあれ、講演のレジメに沿ってのテーマと挙げられた句のいくつかを以下に挙げておこう。 1世界各地で今も戦争と虐殺が続く   爆煙の中に 夕陽の沈みゆく       リタ・オデ(パレスチナの俳人)    地下壕に 紙飛行機や 子らの春     ウジスラバ(ウクライナの俳人) ・戦争を詠む    弟を還せ天皇を月に呪ふ         長谷川素逝(未公開作)   ・京都大学滝川事件(1933年)、京大俳句が誕生    戦火遠し いのち死なんとして静謐    橋本雅子    紀元節学生の列 我行かず       樋口恵美子   戦死せり 三十二枚の歯をそろえ     藤木清子    特高が擾 (みだ) す幸福な母子の朝    中村三山 ・1940年「京大俳句」が治安維持法違反 特高が牙をむく    戦闘機 ばらのある野に逆立ちぬ     仁智栄坊              (ロシア語で「ニチェボー」問題ない) ・敗戦 8月15日の俳句    てんと虫一兵われの死なざりし      安住あつし    玉音を理解せし者前に出よ         渡邊白泉  ・原爆投下 敗戦直後から検閲 それでも表現者はいた    日の暑さ死臭に満てる百日紅        原 民喜    とんぼう、子を焼く木をひろうてくる   松尾あつゆき     かの日 神 追い詰められし 黒の雨    野田 誠    蝉鳴くな正信ちゃんを思い出す       行徳功子(10歳の遺作)    広島や卵食ふ時口ひらく          西東三鬼    広島や死の影見よとマッチ擦る      仁科海之介    耳鳴りのふいに軍歌となる炎天      伊達みえ子 ・さまざまな原爆川柳    黒焦げの母...

西野洋司「立葵その葉を犬が食べるとは」(「つぐみ」No.228・2026年4月号より)・・

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 「つぐみ」No,228/2026年4月号(編集発行 つはこ江津)、ブログタイトルにした西野洋司「 立葵その葉を犬が食べるとは 」(2020年7月号)の句に、打田峨者んは以下のように記している。   たとえ幽明を別つとも表現者にあっては作品が世に遺されている限り、対 (むか) い合える。西野氏は「米寿」「鎌倉」「ガーデニング」という措辞から天寿を全うされた、晴れやかな老年を過ごされた人という面影が出 (いで) る。  ——誠に勝手ながら下五の末「とは」が「久遠 (とは) 」と解させて頂く。立葵は私の一押しの野辺の花で、それは原初的開花の一原型。まづ以って花屋にはおいていない。その葉を犬が餌として好むとは露知らず私は生きて来た。永遠 (とは) の犬が静かに立葵の葉を食 (は) み続けるというエンドレスな幻影が、自分勝手な眩暈 (めまい) を醸し出し、私を暫し陶然とさせるのだ。御免下さい、西野洋司さん。会いたかった。  とあった。ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておこう。    蝌蚪死して惑星の水にごりそむ         川森基次(俳句交流)    原発事故できなかった福笑い         ののいさむ    山茶花や大きな白い犬が行く          蓮沼明子    藪つばき道づれのない心地して         平田 薫    魚を待つ翡翠一羽杭にいて           宮本英司    川沿いの雪柳一筋ひかる            八田堀京    春の雨すべての音をぬらしけり         渡辺テル   あんどろめだ聖人の嘘「鳥帰る」       わたなべ柊    三月や桃色煙る明日であれ           有田莉多    春の泥つけ八歳のわたしがいる         井上広美    臍なしマネキン ビキニショーツは国防色 (カーキいろ)                        打田峨者ん    雪は降る背中のシーラカンスなく     おおさわほてる    春すずめ体のなかは風ばかり          金成彰子    鷹匠の手なる木兎花の影             楽 樹    あるかいっく・すまいる かわず啼くゆうべ    伍 宇    どこまでも下りるきざはし春の雨       つはこ江津    分葱のぬた卓袱台 (ちゃぶだい)...

前田霧人「歳時記は季題の墓場秋の暮」(「無限」第7号)・・

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 「無限」第7号(無限俳句会)、米岡隆文「黙思録(其の七)/アフォリズム風に(令和七年五月~令和八年一月)」の中に、 (前略) ◎生命の進化には非生命と言われているウイルスが 関わっている。  象の鼻が長いのもキリンの首が長のも、ウイルスがそれぞれの遺伝子へ潜り込んだ結果かもしれない。種としての象やキリンが自らの意志でそうなったとしたら大変なことである。意志決定論か環境決定論かと論争する必要はない。象の先祖の遺伝子に色々なウイルスがついた。 (中略 )この度の新型コロナウイルスは発熱等呼吸についた。一番の変異は脳へのものでろう。変異発祥の地である中華人民共和国も、大量にワクチンを作ったアメリカ合衆国も、違うワクチンのロシアも、その後、脳の前頭葉に変化が起こり国民人民が好戦的になった。ロシアのプーチンはその最たるものである。共産主義国の中国の習近平しかり、民主主義国アメリカのトランプまでもが独裁者となり果てた。コロナ禍は頭脳を犯したのである。 (中略) 他の領土を自国化するという意味で、コロナ禍以降、世界は第三次世界大戦の前哨戦に入っている。 〈結論〉生物の進化はひとえにウイルスによる気まぐれである。その気まぐれによって人類は右往左往している。  とあった。 また、前田霧人「新季題通信/季語の墓場」には、 (前略) 例外はあるが、一般に新季題の例句は新季題の歳時記初出に先行する。また、新季題を育て定着させるのは佳い例句である。拙文が右掲のような歳時記により違いのある季題や、どの歳時記にも記載のない純然たる新季題の句作に挑戦する何かのきっかけになれば幸いである。  (二)青春(春) 「青春」は中国の五行説(色)で青は春に当たることに由来する季題で、『太平御覧』に「梁元帝簒要日、春亦日発生、芳春、青春、陽春、九春」とある。 (中略)  「青春」は「青陽」、「青帝」、「東君」、「発生」、「献節」などのようなナイナーな「春」の傍題ではない。「夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を人生の春にたとえたもの」(『デジタル大辞泉』)として現代的な魅力溢れる言葉でもある。大歳時記のみならず中小の歳時記にも記載して大いに詠んでもらいたいものである。  青春の仏のかほと見まゐらす     竹下しづの女  青春や酒量ふえても背に翼        江里昭彦  青春や星を突く銛さがすごと    ...