投稿

西池万葉「全能の地球よやがて日脚伸ぶ」(『雄鶏のパヴァロッティ』)・・

イメージ
  西池万葉第一句集『雄鶏のパヴァロッティ』(ふらんす堂)、序文は、西池みどり。その中に、 (前略) 西池万葉は学生時代からもう三十年程俳句を作り続けている。この句集には外国での作品が多い。何年もあちらこちらと外国で暮らしたから、そうなるのも自然だろう。 (中略)   さて、国から国への移動も十年近くに及び、いよいよ帰国の日になった。   冬あけぼの欧州大陸蹴って発つ  いろいろな楽しみや苦労、人的つながりや馴染んだ生活とも別れ故国へ帰る日が来た。深い心情を句にした。 (中略)  その他の句も足の地に着いた句で、しっかりと自然や動植物を見ている。それも、東京支部の人たちと句座を心から楽しんでいるからだ。「俳句は所詮人と人の輪である」と言った万葉の祖父、高井北杜の言葉が生きている。 とあり、著者「あとがき」には、  俳句にまつわる最初の思い出は、鮮烈だ。小学校四年生のころだったと思う。両親に連れられて、小金井公園で行われた句会の花見に行った時のこと、虫歯がどうにも痛くなり、やむなく一人で家に帰る途中、酔客が大喧嘩して自転車を振りかざして殴り合うところに出くわしてしまったのだ。その後もかなり長い間、桜といえば、満開の花の下で頭から血だらけになった男性という恐ろしい光景と、痛くて食べられずに残したいなり寿司を思い出したmののだ。 (中略)  句集のタイトル「雄鶏の パヴァロッティ」は、イタリア・トスカーナの農家で出会った美声の雄鶏からもらった。食べられていなければ、今も大きな声で時を告げているかも。 とあった。集名に因なむ句は、    雄鶏のパヴァロッティが春歌う       万葉  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    点となる一羽帰らず雲の峰               文楽「曽根崎心中」ローマ公演   死ににゆくお初わななく銀河の夜     ヴェネツィア    北風にシーツはためく旧ゲットー   鬼灯や血の色朱き聖人図   鐘の音の天からそそぐ復活祭     ブルガリア    朝露もともに摘みたり薔薇祭   沈香の煙の黒し終戦日      硫黄島   冬日受け篩に白き兵の骨   小鳥屋にふくろうもいて冬銀河   殺すなとデモ隊叫ぶ春の闇   スカイツリー今宵は青に猫の恋       サロマ湖   夏鹿の皆逃げ皆が白き尻...

種田山頭火「投げ与へられた一銭の光だ」(『貧乏讀本』より)・・

イメージ
 鹿美社編集部編『貧乏讀本』(鹿美社[ろくびしゃ])、編集後記に、   お読みになってわかる通り、当アンソロジーでは個人の身勝手が招いた貧しさと社会的な貧困とを同列に並べて「貧乏」と一括りにし、そこは区別を付けませんでした。この点につきましては、今回は思考を促すためにより広い解釈を適用したことをご理解いただければと思います。ただ明確に戦争がきっかけの貧困については『貧乏讀本』という枠にはどうしても収まりきらないと判断し除外しました。 (中略)  もちろん安易な貧乏の礼賛はナンセンスです。社会的な貧困は可能な限り無くしていかsなければなりません。  とあった。収録された作品は、種田山頭火「俳句十五選」、林芙美子「放浪記以前」、横山源之助「日本の下層社会(抄)、太宰治「清貧譚」、ランボオ作/中原中也訳「教会にに来る貧乏人」、小林多喜二「失業列車」、三好達治「貧生涯」、芥川龍之介「十円札」、萩原朔太郎「大井町」、樋口一葉「日記より」、石川啄木「『一握の砂』より」、辻潤「瘋癲病院の一隅より」幸田露伴「貧乏の説 抄」、八木重吉「神の道」、森茉莉「贅沢貧乏」など22作品。ともあれ、以下に少し引用紹介しておこう。    こほろぎがわたしのたべるものをたべた     種田山頭火       はたらけど   はたらけど猶わが生活 (くらし) 楽にならざり   ぢつと手を見る                石川啄木    (前略) この病院は今までの中で一番気持ちがいい。もっとも場所が武蔵野のまん中で四方は田畑で、微かに電車の音がたまたまきこえてくる位で至極閑静でいい。(中略)晴れた日には秩父の連山が見える。夜は虫の声がする。これで夕方一杯にありつければはなはだ理想的だが、そこが病院のありがたいところで一杯の代りに南無妙法蓮華経を一時間、朝夕読誦することになっている。男女合わせて数百名の患者が一堂に会して法華経を読誦するところはなかなか珍観でもあり妙観でもある。僕も初めは一向気乗りがしなかったがやはり信仰の力というものは恐ろしいもので近頃では至極それが壮快で合唱のつもりでどなっているが後で頗る気持ちがいい。時々患者が奇声を発するのもなかなか愛嬌があっていい。我田引水的ではないが狂人が常識人より概して第六感?が発達しているから、宗教の奥義?ともいうべきものを直覚する力が遥かに常人...

各務麗至「ナウマンゾウ化石に被爆煉瓦かな」(「詭激時代つうしん」21 より)・・

イメージ
 「詭激時代つうしん」21(詭激時代社)、各務麗至「観音寺にて」に、  銀 箔の上に表装された墨蹟句を眺めていて、思い出してしまった。  純銀だからか、薄汚く少し黒ずんできて、別額装に仕立て直そうかと書を嗜む知人に相談したところ、それが純銀箔の味のあるところと笑われた。  扨、かの日の「敷島館」宿泊について、少し識しておきたいことがあった。  敷島館には、頼山陽の逗留を記した石碑が、玄関を上がった広い空間のその正面向こうの吹き抜けの内庭に見えて、三百年は垂んとする大時代的建物の雅趣な外観も、金毘羅の古き懐かしき時代そのままの風情があった。  三橋先生は、宿泊を――観音寺で、と、おっしゃったけれど、  「一夜庵」もそうだったように是非とも宿泊していただきたきたかったところで、先生にも敷島館にも、前もっての興昌寺と同じ身の程知らずが奔走して……、であった。(中略)  紅白の梅侍へり一夜庵  松風は海からのかぜ干鰈   平成八年三月三日   於 興昌寺   三橋敏雄 山門の両脇に紅白の梅が咲いていた。その興昌寺だが、俳諧の祖といわれる山崎宗鑑が、晩年の永逝まで長く身を寄せた寺だった。 (中略)  ——良い具合に鄙びた、いかにも山寺の風情だなぁ、と興昌寺の梅の山門に立ち、石段を登って境内を訪れた。参詣は、先生と孝子夫人に、池田澄子龍雄夫妻、遠山陽子氏に、愚息であった。 (中略)  住職夫妻が仏間に案内してくれたのだった。宗鑑像はよく見えなかったが、歓迎してくれていたのか庫裏の闇の中で目が光っていた。誰もが顔を近づけて拝んだ後、茶菓がもてなされ、 「先生:今日を記念の句を残してください」  硯と短冊と、試し書きようの半紙が用意された……かくして、  銀箔の上に表装された墨蹟句を眺めていて、思い出した。思えばその五年後に長逝して早くも十七回忌がくる。   とあった。   ともあれ、本冊子より、いくつかの句を挙げておこう。     *やさしさに泣けて泣けて    寒椿たましひ青く青く消ゆ            麗至    つひに一人かの世に落ちてふぶくかな      *戦後八十年展   被爆煉瓦寄せ書き日の丸遺書の夏      *三橋敏雄に「海山に線香そびえ夏の盛り」    綺麗な字で「では征きます」夏特攻   此の上ない死處に恵まれ感謝で征きます   「神州男兒ニ死無ク...

坪内稔典「三月の甘納豆のうふふふふ」(現代俳句協会令和8年度定時総会・表彰式・第26回現代俳句大賞)・・

イメージ
                  坪内稔典氏↑   3月21日(土)は、現代俳句協会令和8年度定時社員総会・表彰式(於:東京・東天紅上野店)だった。第26回現代俳句大賞に坪内稔典、第43回兜太現代俳句新人賞に内野義悠「雨滴の雨」、髙田祥聖「ゐしころ」の授賞表彰式が行われた。  愚生は、総会議案について、議案書の14「②俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協鵜議会への支援」について、動議「 今後も推進活動を継続していくのか、あるいは継続しないのかの賛否をを問う全会員(社員)の投票を実施していただきたい 」を出し、「 その上で、賛成が多ければ、これまで通り、運動を継続し、もし、反対が上まわれば、推進活動から、すみやかに離脱する」 を主張するも、動議の提案の議場採決は行われないまま(動議に対してのルールに反していると思うが)、予定されていた議事の時間もずれ込み、懇親会の皆さんをこれ以上待たせるのも忍びなく、議長の「それは実施しない」の一言をもって議事を終了。現在、推進運動は、遺産登録に際して「俳句は有季無季を含むという三協会の合意は成立」しているが、その先の問題をどう展望するのかという、実質的な問題を論議するべき段階に入っているのだと言っておきたい。推進運動側は、それらを提示する義務がある(基金の分配先、真に遺産への投資になりうるのか)。まさに「豈」38号で干場達矢が「価値について」で指摘したように、     俳句の危機があるとしたら、俳人が俳句を書く以外のことに気が散ってしまうことだろう。これはナイーブなことを言っているのではない。文化象徴の機序とは常にそういうものである。 のだろう。                左側、内野義悠・髙田祥聖↑  ともあれ、現代俳句大賞、兜太新人賞、おめでとうございます。  鬼百合がしんしんとゆく明日の空       坪内稔典(つぼうち・ねんてん)                         1944年、愛媛県生まれ。   ホットミルク雨滴の窓を浅眠り        内野義悠(うちの・ぎゅう)                         1988年、埼玉県生まれ。  髪洗ふみづはいつ眠るのだらう        髙田祥聖(たかだ・しょうせい)                         1987年、神奈川県生まれ。       撮...

蕪村「凧(いかのぼり)昨日(きのう)の空(そら)の在所(ありどころ)」(「図書新聞」3729号・終刊?!より)・・

イメージ
 「図書新聞」3739号・2026年3月28日(土)(武久出版)、増頁号・特集は「図書新聞と私」。執筆人は、吉増剛造、粉川哲夫、小池昌代、鵜飼哲、佐藤泉、四方田犬彦、中村隆之、巽孝之、澤田直、塚原史、西谷修、川崎賢子、中村邦生、長岡真吾、守中高明、栗原康、ブレディみかこ、石原俊、高橋順一、大澤聡、新城郁夫、足立正夫。連載の岡和田晃「〈世界内線〉下の文芸時評」第133回も最終回。   吉増剛造「 荒天の昨 (きぞ)、 …… 」には、 (前略) 凧 (いかのぼり) 昨日 (きのう) の空 (そら) の在所 (ありどころ)/(蕪村)   この“空“は、深海の火のような命のことでもあるのであって、灰色と青とが、雑 (まじ) って、濁 (にご) っているのだ、土気色 (つちけいろ) に。海底の荒天なのでも、あるのであって、“とうとうとう“これが魚 (おさかな) が怒って、吐く息でもあるのだ。このような“荒天の昨 (きぞ) 、……“は、日刊紙にはない。  もしも、とうとう、……言葉 (ことば) から“棒のようにして“母音 (ぼいん) が、曳 (ひ) かれたら、……。   もしも、とうとう、……時間 (じかん) から“棒のようにして“、昨 (きぞ) と明日 (あした) が、曳 (ひ) かれたら、……・  彗星棍棒 (すいせいこんぼう) の傷口が輝いて残る、……・わたくしたちは、この“残るものに“賭けるもの“だ。 (以下略) 「図書新聞」前号・3728号・2026年3月21日(土)「の共和国」の広告には、 今の与党やその取巻き有象無象馬鹿野郎たちを拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。(……)日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。なさけない事だ。/夏目漱石『吾輩は猫である』よりほぼ原文のママ  とあった。愚生はと言えば、社長だった頃の井出彰には随分世話になった。『本屋戦国記』の折のインタビュー記事、書店についてのコラムや、時評欄「俳句クロニクル」を2年間担当させていただいた。その間の編集担当の方々にもお世話なった。深謝!!               挨拶をする水野星闇氏↑ ★閑話休題・・大森敦夫「やはらかき里の会...

濱筆治「駱駝射る日差しミサイル涅槃西風」(第51回「きすげ句会」)・・

イメージ
   3月19日(木)は、第51回「きすげ句会」(於:ルミエール府中)だった。兼題は「松」。以下に一人一句を挙げておこう。    大地焦げ阿蘇の野焼きの空の青       濱 筆治    半熟の卵くずさず春の息          高野芳一    一面のホトケノザ千の小仏座らせて     山川桂子    合コンの無言のツアーいちご狩り      杉森松一    大國魂まつ (・・) は要らぬと笹飾り    清水正之    今年また背筋正すや古雛 (ふるひいな)  新宅秀則     松竹梅の松たのしみて春御膳       久保田和代    桃の花手話で髪留めほめのけり       寺地千穂    門松に子らの成長セピア色        大場久美子    三・一一あの日たしかに母はいた      井上芳子   瞑想の春の象 (かたち) は消えゆく愛    大井恒行 次回は、4月16日(木)、兼題は「風」。 ★閑話休題・・米田鉄也「捨舟に二日の雪のつもりけり」(月刊「ひかり」3月号・「西山俳壇」より)・・  月刊「ひかり」3月号・「西山俳壇/城貴代美選」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)。その他の特選、入選した句のいくつかを挙げておこう。    冬夕焼じやんけんぽんの兄妹      大分市  角谷紀子    落胆のため息にして息白し       東海市 大村すみ代    鳥総松一枝折り挿し清し朝       糸島市  湯川蕉子    玉椿星散りばめてネイルの娘      京都市  黒田十和    元朝の駅で洗いし旅の貌        摂津市  山上鬼猿       餅花の揺れて昭和のアーケード     芦屋市  門脇重子    グローブでぬぐう涙やすみれ草          城貴代美(選者吟)        撮影・中西ひろ美「水色の背中めがけて春の鳥」↑

今宿節也「お化け煙突二本の場所まで春の土手」(『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』)・・

イメージ
  今宿節也句集『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』(コールサック社)、解説は鈴木光影「星と芸術を愛する音楽家俳人が奏でる豊穣の天体図—-今宿節也句集『宝瓶宮』に寄せて」。それには、   本書を繙くと、今宿節也氏を取り囲む豊かな星々がひしめく夜空を眺める思いがする。それは文字通りの天体の星だけでなく、多分の野芸術やそれを生み出す芸術家たち、言葉、文化、自然が奏で織りなす豊穣の天体図である。 (中略)    宝瓶 (ほうへい) の水美酒 (みずみき) ならむ魚ぞ酔ふ  最後に、節也氏と私は祖父と孫ほどの歳の差があるにもかかわらず、このたび解説を務める機会をいただいたことに深く感謝申し上げたい。俳縁に加えて、生まれ月が同じ水瓶座という星縁のなせる業かもしれない。水瓶座の天文学上の名称・「宝瓶宮(ほうへいきゅう)」に込められた水の流れは、多彩な音色を奏でて、星と芸術を愛し平和を希求する多くの読者の元へと届いてゆくことだろう。 とあり、著者「あとがき」には、   子供の頃から絵ばかり描いていたが、小学生時代中村立行先生に師事、氏は後に写真家として名を成した方である。なんでもいいから自由に描けと言われ、自由の難しさを知った。兄から小学四年の頃メロディを記譜する方法を伝授された。興味は音楽へと変わってゆく。一九三年にプラネタリウムで覚えた星がスバルで、野尻抱影先生の名解説を聴き、以来文通を始めた。ニ吋 (インチ) 半の望遠鏡を自作し、星団や星雲などを渉猟しその美しさに驚嘆。戦時中は宮沢賢治の思想に感銘し、敗戦で作曲への道に進むことを誓った。その翌年に抱影先生は山口誓子との共著『星戀』が話題となる。誓子の星の句は新鮮で、抱影の随筆も亦さすが天文学 (てんぶんがく) と自称するだけあって絶品だった。  その後私は池内友次郎(高浜虚子の次男)門下の貴島清彦先生に作曲を師事する。氏も亦賢治を敬愛し、私の周辺に賢治、音楽、俳句に相関する人が増えていった。 (中略)    私の俳句は二〇二一年の春から始めたばかりだが、俳句の本は戦時から親しんでいたし、兄は中学時代に俳句をはじめて、後年岸田稚魚の流派に所属していた。私も川端茅舎や種田山頭火の句に作曲し、俳句には何かと縁があった。現在は俳人・俳論家の武良竜彦氏に学ぶことが多い。  とあった。集名に因む句は、    宝瓶宮 (ほうへいきう) 幽 (かそ...