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木暮陶句郎「小鳥来る桑都の風に透けながら」(『窯変』)・・

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  木暮陶句郎第四句集『窯変』(東京四季出版)、著者「あとがき」には、   句集『窯変』は私の第四句集である。元号が令和に変わって以降の令和八年四月までの約七年間の三二六句を編年体で編んだ。  窯変とは焼物が窯の中で思ってもみなかった佳き色彩や風合いに変化すること。人知の及ばない神秘的な現象に陶芸家たちは魅了され、火の神に感謝を捧げるのである。俳句もまた四時の循環の中で対象と真摯に向き合えば、窯変のごとく自分以上の作品が出来るのかもしれない。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下に、いくつかの句を挙げておきたい。   かもめ飛び交ふ白南風を繋ぎつつ       陶句郎   蹴轆轤に人日の艶ありにけり   案山子立つ赤城の幅に手を広げ   春宵の灯へ恋占の手をひらく   花屑の風の大学通りかな   むささびの飛んでみどりの夜をつなぐ   空にヘリ地に踏絵めくマンホール   空蟬の軽さを幹へ戻しけり   夏霞蒼し浅間のあるあたり   空蟬の裂け目が風の笛となる   きんいろの雪降るポインセチアかな   風低くあり吉兆の蛇の衣   鷹よりも鷹匠の眼の鋭さよ   火の神の力を恃み去年今年   花ごころつなぎて大和こころかな   陶工の常の深爪葛の花   まづ山を望みて轆轤はじめかな   木暮陶句郎(こぐれ・とうくろう) 1961年、群馬県渋川市生まれ。             撮影・鈴木純一「大津絵の鬼に新酒を持たせやり」↑         9 月 21 日   古今亭志ん生・五代目   没   ( 1890 ~ 1973 )

各務麗至「 霊山墓地かういふ風に生きて死んで」(「詭激時代つうしん」30より)・・

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 「詭激時代つうしん」30(詭激時代社)、巻末「覚書にかえて……」には、   若い頃から、難しい理屈でなく、こうありたいと思う生きざまを主人公に託して書いて来たように思う。 (中略)   私小説私俳句と言えばそれはそうかも知れないが、何かそんなものとも違うような気がするが、人間として恥ずかしくないように、目の前の現実と闘っているだけ、 と、そういう諦念もないではなかった。まだまだ至り難く道遥かにして……、である。  とあった。本誌より、句をいくつか挙げておこう。   春の日はくやし涙は自責かな        麗至   昔々老いて矍鑠五月晴れ    林間涼風わたくしの日課なんですよ   百年を一括りとせむ原爆忌   木枯らし木枯らし死んで生きてやる ★・・夏礼子「鍋の湯が沸きすぎている憂国忌」(「詭激時代つうしん」31より)・・   各務麗至「追記…」には、 令和八年「2026 かがわ文化芸術祭」参加誌、文芸「青い鳥」に寄稿した「秋桜」小説等部門で「香川県知事賞」を賜ることになった。因みに夏礼子は詩歌部門。  その内定進行電話が、佐代子の誕生日の七月二日に……、思い一入で、感謝。 と記されていた。 その「秋桜」の冒頭は、 万緑の山々に紅葉が目立つようになってきた。 今年七十三歳の妻だが、 この夏に二回目の脳梗塞や、透析など闘病生活四十数年で、初冬の現在腰椎圧迫骨折に多機能障碍で再入院していた。 そんな妻が、明るい目をして、 孫とも行ったりした不動の滝の桜のみごとさを嬉しそうに私に語るのである。 まさか……、 三途の堤の桜並木か、——ムヤミニキレイダッタので、来年も、と、サクラバカリミテイタだけが忘れられないらしい。 ――ソラバカリミテイタ。ソレデアカルクナレタ、 と同じような声を聞いた記憶があった。 とあり、末尾には、 病床の妻が、不動の滝の桜のはずが、——ハシノムコウニイッテ、ひかりにつつまれたと言った。そして、  何度もなんども、揺れる桜の花に感激したとのその話から、  コスモス、の、風に揺れるひかりの中のその人を思い出してしまった。妻もまた、ひかりの中に消えてなくなるのを知らされたのだろうか。……。死んで、死なれて残る私のことを心配させないように憂えていたのだろうか。  その人は、天のことわりに照応するように、地のふるまいを見せてくれた。  一周忌は、季...

和田久太郎「もろもろの悩みも消ゆる雪の風」(『アナキストの悪戯(いたずら)』より)・・

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  伊藤野枝『アナキストの悪戯(いたずら)』(マヌケ出版)、編集後記には、  伊藤野枝といえば「フェミニスト」であり、「アナキスト」で、肩書だけ書いてしまえば何だか難しい人のように感じるかもしれません。ですが本書を読んでいただければおわかりになるように、非常にユーモラスでチャーミングな方であったように思います。編者がとくに笑ったのは人物評で、悪口のようにも思えるその文章は切れ味が凄まじく、傍若無人の書きっぷりに笑わずにはいられませんでした。  とある。特別付録・栞「野枝さんのこと」に、佐久間裕美子 「伊藤野枝」 、高島鈴「 伊藤野枝についてのごく当たり前の話」 、氷上アクア「 ストリップ劇場から抵抗をこめて 」。その氷上アクアは、   私はストリップ劇場で踊ることを仕事にしている。ストリップは警察の恣意的な摘発で いつ営業停止処分をくだされるか分からない興行だ。そんなグレーゾーンのなかで、多くの踊子は自分自身でプロデュースした演目を見せている。  2025年10月、私は新作の『野枝』をはじめた。伊藤野枝の生涯を私なりに解釈して演じている。二兎社の『私たちはなにも知らない』を観たばかりのころ、仲が良い同僚に「あなたって世が世なら投獄されそう」と言われたことで野枝が心にとどまった。“投獄されそう“を過大評価と感じたのはうっすらとした破滅願望では、と思い赤面する。 (中略)  演目に話を戻すと、『野枝』では自分の感情を追体験するようにしている。野枝がいつどのように思っていたか、なんて分かるはずがないし分かった気にもなりたくない。だから、事実とされている出来事をなぞり、似た体験のときに私が表したり表せなかった感情を再現している。インナーモノローグ(演劇用語で声に出さず心のなかでつぶやいている言葉を設定したもの)はすべて、私自身が出会ってきた人たちの固有名詞が入っている。 (中略) 実在した人物をストリップで演じることが故人への冒涜や暴力として受け取られかねない、というおそれがあった。初演の週に一旦それらの不安が払拭されたため『野枝』として演目のタイトルを公開した。しかし、ストリップで演じる限り、この危険性 は常に意識していたい。  『野枝』のラストシーンは、うす暗い劇場のなかで真上に手を伸ばすポーズで終わる。百年前に憲兵に殺され、古井戸に捨てられた野枝のイメージであ...

出口王仁三郎「山火事は数里に続き雲の色茶に染まりつゝ天日焦げたり」(『樺太を訪れた歌人たち』より)・・

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 松村正直評論集『樺太を訪れた歌人たち』(ながらみ書房)、その「はじめに」には、  そもそも樺太に興味を持つようになった最初のきっかけは、短歌評論同人誌「ダーツ」第六号(二〇〇四年一二月)に、「出口王仁三郎『東北日記』を読む」という文章を書いたことであった。『東北日記』は東北・北海道・樺太への巡教の記録なのだが、そこには文章とともに多くの短歌が収められている。  まず印象的だったのが樺太の地名である。「多蘭泊 (たらんとまり) 」「藻白帆( もしらほ)」「 羽母舞 (はぼまい)」、「 仁多須 (にたす)」、 「久春内 (くしゅんない)」 など、ルビがなければ到底読めないような駅名が続く。アイヌなど先住民の付けた地名に漢字を当てたものだろう。それから「山火事」「養狐場」「ロシヤパン」「鰊漁」など、内地や現代とは異なる暮らしの様子にも興味を惹かれた。 (中略)  その後、少し調べてみると、戦前には多くの歌人が樺太を訪れて歌を詠んでいることが分かった。北原白秋、石槫千亦、斎藤茂吉、北見志保子、土岐善麿、下村海南。 (中略)   なぜ、戦前はこれだけ多くの歌人が訪れ、これ だけ多くの歌も残っているのに、今では樺太に触れる人が少ないのか。 (中略)   けれども、戦前の歴史をなかったことにして忘れれてしまえば済む問題ではない。事実に蓋をしてお終いにしてしまうのではなく、歴史は歴史としてきちんと見つめることが大事なのではないか。戦前の樺太に四十万人もの人々が住み、様々な暮らしを営んでいた事実をきちんと受け止めたいと思う。  とあり、また、「あとがき」には、 (前略) 「なぜ、樺太か」という問いに対する明確な答えはまだ見つからない。しかし、サハリンを訪れてみて一つだけ感じたことがある。それは「鎮魂」ということだ。鎮魂と言っても亡くなった方々への追悼という意味だけではない。戦前の樺太に暮らし、樺太という土地に様々な夢を描いた人々の思いは、敗戦によって断ち切られてしまった。それらを何らかの形で受け止めて、鎮めることが必要なのではないかと感じたのである。  とあった。愚生のブログでは、本書を紹介しきれないので、是非、直接、当たられたい。ともあれ、本書の中から、樺太在住だった歌人を含めていくつかの歌を挙げておこう。   群立ちて白鳥は陽にかがやけり遠去りゆくに声のかなしさ    ...

佐藤鬼房「やませ来るいたちのやうにしなやかに」(「澤」8月号・創刊二十六周年記念号)・・

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 「澤」8月号・創刊26周年記念号(澤俳句会)、特集は佐藤鬼房、記事に高野ムツオ・小澤實対談「雷雨を浴びまっすぐ立っている木/『佐藤鬼房全句集』を読む」(2025年12月27日、朝日カルチャー立川教室主催リモート対談の再録)、論に、小田島渚「春雷に打たれよ」、梶等太郎「飽くなき詩魂/第一句集『名もなき日夜」、周藤迪之相「辺境に立ち境涯を詠む/第二句集『夜の涯』」、井上雅惠「傷の記録/第三句集『海溝』」、オオタケシゲヲ「大地から空へ/第四句集『地楡』」、池田瑠那「地を這う鳥の矜持/第五句集『鳥食』」、佐藤涼子「土俗の人間の風景/第六句集『朝の日』」、山口刃心「鬼房五番立/第七句集『潮海』」、野崎海芋「歩き出す/第八句集『何處へ』」、木内縉太「貫ぬいてあるもの/第九句集『半跏坐』」、江藤鳥歩「行方知れたる/第十句集『瀬頭』」、村上佳乃「かんかん虫を志す/第十一句集『霧の声』」、山下希記「無心の境地/第十二句集『枯峠』」、深井十日「重さのさきにあるもの/第十三句集『愛痛きまで』」、押野裕「最後まで持ち続けた希望/第十四句集『幻夢』」。その他、一句鑑賞に各同人約50名。他の特集に小澤實『近現代俳句』刊行記念講演録、池田瑠那星野立子賞・俳人協会評論新人賞等々、第26回澤潺潺賞・澤新人賞等など。保存版の一冊。内容の紹介などは、愚生のブログでは到底無理なので、直接、本誌に当たられたい。  ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておきたい    フクイチ一時立ち入り許可証セーターの胸に垂らす      小澤 實    この店に良き井戸ありて心天                高橋睦郎    友手製のずんだおはぎや追ずんだ             小澤たえみ    技術的特異点 (シンギュラリティー) 近しと男みかん剥く  笠井たかし    年賀状書ける喜び米寿われ                上村ヒナコ    祝い膳より進むビールや父百歳              牧原奈緒美    しやきといふ石炭シャベル引き抜けば            山下希記    野遊びの茣蓙に胡坐や授乳せる              遠藤ちひろ    牡丹雪の滲み積もりや戦中                 相子智恵    海霧わたる野よ先行くは楸邨か               池田瑠那...

藤井南帆「本日はイルカとならむ水眼鏡」(『花縮砂』)・・

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  藤井南帆第一句集『花縮砂』(ふらんす堂)、序は藤田直子、それには、  (前略) 草月流の師範である南帆さんは、俳句と生け花には似たところがあると言う。生け花に「疎密強弱」という言葉があり、「生けるときには、花に密度と強弱をつけなさい。一番主張したい部分の爲に、他の部分は思い切って捨てなさい」と教えられた。俳句を作るにもこの言葉が念頭にあると話す。  とあり、跋の黒澤真麻生子には、  (前略) 蜩や悲しむことをためらはず      叶ふ夢叶はぬ夢やひなあられ  光と影、始まりとと終わり、心のやわらかいところ、生きとし生けるものたちの様々な事象や感情を繊細に感じ取り、己の感性を信じて句に仕立てることができる作者である。  とあった。また、著者「あとがき」には、      旅の夢は沖を見つめて花縮砂  句集名となったのは南の島への旅で詠んだ一句である。  小さな頃から南の海に憧れて小学生になると写真集やポストカードを集めては眺めた。暖かい季節が好きで寒いのは大の苦手。一年中夏だったらいいのにと思いながらプールの底に沈んで水面を眺めるのが好きな子供だった。  大人になって常夏の島に行けるようになり、波の音を聴きながらかいだ花縮砂の香りは甘くて、憧れが叶ったとおもった。  本好きで、言葉や文学に興味があり、図書館や本屋が大好きな私にとって自分の句集が出来上がることもまた一つ憧れが叶うことである。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    団栗のみな一点に光もつ          南帆    白鳥の夢みる力おとろへず   かなかなの悲しとまでは言ひ切らず   生くるもの皆傷負うて冬銀河   ふくろふにもおばけにもなる芒かな   春泥に羽をよごさず鳩歩む   千年を生くる言葉よ蓮の花   真円ははかなきかたち大花火      祖母永眠   永訣の手向けに桜一枝を   白鳥の生涯白を裏切らず   ぬかるみの中の光や建国日   終はりゆく昭和百年除夜の鐘  藤井南帆(ふじい・なほ) 1977年、兵庫県生まれ。     撮影・芽夢野うのき「雨しきり降る秋の木に真っ赤ないのち」↑

小池正博「風媒花不信の風に特化する」(「川柳スパイラル」第27号)・・

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 「川柳スパイラル」第27号(編集発行人 小池正博)、「編集後記」に、 (前略) 特集の「現代川柳と私」には、かつて本誌に投句していた詩人の水城鉄茶、本誌会員の野に咲くお花・下野みかも・森砂季、前号のゲスト作品に招待した桜庭紀子に執筆依頼。これまで会員作品のやりとりだけだった方もエッセイを書いていただくと作品の背景がよくわかる。  とあった。その執筆タイトルは、水城鉄茶「 若干あやふやな思い出——私の現代川柳備忘録 」、野に咲くお花「 現代川柳は楽しい! 」、下野みかも「 現代川柳と生活と私」、桜庭紀子「やわらかなソファ」 、森砂季「 現代川柳ボカロPのススメ 」。また、巻頭のエッセイは、小池正博「 現代川柳の再構築 」。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの作を以下に挙げておこう。    御旗に飛ばすケチャップソース        南雲ゆゆ    絶版の周波数に女雀の・V・O・I・C・E    水埜青磁    地球語は解読してもしょうがない      空野つみき    兵器工場に近すぎる遠足          加那屋こあ    初雪寂しい東京都のおもてうら降る      馬場叶羽    蒸しあがる 話を逸らす順番に        小沢 史    捏造のほとんどはある馬を焼く        林 やは    アガリの悔恨                湊 圭伍    羽つき甕棺そら見上げてくしゃみ     性懲りもなく野鳥通信         宮井いずみ    此の世に罰おおし紫陽花を手折る       川合大祐    あの時は仕方なかっただけを拭く     まつりぺきん    香水の事情を知らぬふりをする        小池正博    陰謀論イヌは他人の口で「はい」       猫田千恵子    立つ笑うそして誰かになっていく       畑 美樹    青梅なチャメクタラファで毒を盛る      石川 聡    俎板の鯉(あたくし)ににてる国       西脇祥貴    たましいが液状なので泳げない       清水かおり    ご注文承ってから呪文            兵頭全郎         撮影・中西ひろ美「烈日の恋しくもあり狐花」↑