林桂「夕風(ゆふかぜ)を得(え)て草笛(くさぶえ)の響(ひび)きけり」(「イリプス」Ⅲrd 16・通巻72号)・・
「イリプス」Ⅲrd 16・通巻72号(冨岡書房)、その「あとがき」に、 ■本誌は一九九年、俳人の出口善子さんの肝入りで私の個人編集でスタート。二〇〇七年18号で終刊。以後同人制に移行。松尾省三君を編集者に、以来年二回から現在は季刊体制に、同人も全国にまたがり、順調に推移して今日に至った。通巻はこの当初に拠る。何よりも互いの個性を一義として、あくまでも個の集合における表現の場としてこれからも精進していきたい。 (倉橋健一) とあった。「豈」同人でもある冨岡和秀が「 無と無限の美術館 」を寄稿している。長文なので、ほんの少しばかりになるが、以下に紹介しておきたい。 〈私〉は《箱》である。男でも女でもない。単なる青い《箱》である。基本的には正六面体を大きくしたり小さくしたり、楕円球になり、完全に丸い円球にもなれる。丸いままで大きくなれるし、小さくにもなれる。また、三角錐つまり四面体にもなれる。そのような柔軟な《箱》である。それが〈私〉である。そして、他者を求めて柔軟な《箱》は《無と無限》の美術館に展示されに行く。そこで常設展示されるのだ。展示場で美術品の〈私〉は話すことができる。独り言を言ったり、観覧者と話すことも可能である。観覧者は美術愛好家であり、美の目利きである美の専門家である。美学者も観に来る。『美とは何か』を専門家や美学者は教えてくれる。実際に絵を描く画家も観覧者である。そのうちでもとくに画家が〈私〉を凝視する。《箱》の〈私〉が話のを聴く。画家は《箱》のなかに人工知能があり、話しているのだと思っている。 (中略) 犬狼は答え始めるが、その際に耳を立ててグッと伸ばす。電波塔のように長く耳を伸ばすと、その耳の長さは三メートルにもなる。まるで宇宙からの見えない波動を受信し発信もするアンテナのようである。 「〈僕〉には身体がありますが、主人の〈アピロクティ〉は《箱》であり、、身体とは言えません。しかし《箱》は《箱》なりの審美眼があり、《箱》であるにもかかわらず、丸い球体にも成り、大きくもなり、小さくもなります。場合によってはこの美術館よりも大きな《箱》になれます。つまり美術館を呑み込んでもっと...