高橋睦郎「雪頻れ達磨俳諧興るべう」(「コールサック〈石炭袋〉」126号より)・・
「コールサック〈石炭袋〉」126号(コールサック社)、特集1が「関悦史が聞く昭和・平成俳人の証言(8)高橋睦郎——自分という出口」。その中に、 (前略 )僕は生まれてすぐ一〇五日で父親が死んでるもんですから、僕を食べさせるために母は色々外に働きに出た。で、最初は大分県の中津っていうところの旅館で働いて、その当時、女性に働き口なんてそんなにあるもんじゃないから、そのあと、下関でやっぱり旅館の女中をしていたわけですね。そこを定宿のしていてる商人がいて、でその商人っていうのが中国の天津 (テンシン) の日本租界で、ボタン類を中心した商いをしてる人。その人が日本に帰ってきた時は、自分の家は佐賀なんですけれど、下関に逗留して、母は寡婦だったけどまだまだ若いですから、その母を見初めたっていうか、で、世話をしたいって言いだして母は歳がかなり違ってるし嫌だったみたいなんだけど、旅館のおかみさんがせっかくああ言ってくれてるんだからお世話になんさいみたいなこと言われて、で、愛人になったんですね。 (中略) それからあと、母が中国から帰ってきた。そのあと敗戦になり、愛人だった人も、向こうで商売ができなくなって、全部向こうで押さえられて、着の身着のまま帰ってきたような感じで、そのうち、その人との関係もなくなり、かなり貧しい状態でした。僕が小学校の四年ぐらいから母が担ぎ屋というか、いわゆる闇米を運んで売るという仕事をしていて、それの手伝いを僕もして、なんとなくその頃から働いてたんですね。 (中略) 句歌集『稽古飲食』のうち句集の「稽古」っていうのは古きに稽 (なら) うっていうようなことになるわけですけど、その古いっていうのは、白川静に説によれば、物事の一番原型、それを「古」と言うんだと。つまり、古臭いっていうことじゃなくて、一番の元なんだと。それを「古」と言うんだちお、いつも原点を振り返るというようなことなんでしょうか 。(中略) 現代詩っていうものに対しても、最初から現代詩の現代っていう部分には何の興味もない。詩であればいいじゃないか。なんで現代って言うんだって。現代に生きていて書いているから、そこに現代が入り込むのは当り前であって、それをわざわざ目指すと、その現代っていう部分から古びていくんじゃないかって思いがずっとあって、現代詩という言い方には最初から抵抗がありました...