投稿

森和子「賽銭に反戦足して春の風」(TAMA塾「現代俳句入門講座ー俳句は過渡の詩ー」第6回・最終回)・・

イメージ
  大國魂神社欅並木参道・虚子句碑「秋風や欅のかげに五六人」↑   3月9日(月)は、TAMA塾「現代俳句入門ー俳句は過渡の詩」第6回(最終回)、大國魂神社吟行句会だった。以下に一人一句を挙げておこう。    和紙の人形 (ひとがた) 忽ち融けて水温む    吉田久美     春光や干支の大絵馬子ら走る          田中典子    風の冷たさ小さき春や石の上         早川ひろ美    大鳥居深くお辞儀のべティさん        小田嶋英子    人形を流せる川の水温む            篠木裕子    春めきて献血募る鳥居下           佐藤三千男    幾百の祈願の絵馬に春の風           渡辺一枝    啓蟄や魂 (たま) の大社に日露の碑       宮石 修    過ぎ去ればうららかな春巡り来る        太田直子    大国のけやきのすき間風光る          中田京子    花の香よあまたの絵馬に届けよ願い      二郷寿摩子    悠久の春を経てこそ寿ぎぬ           小川幸子    春色に社の庭も染まりゆく           村上佳枝    地を守り悠々の時御神木            梶木純子    枯れしままの並木の奥に総鎮守         中西雅子    店先に桜の器春うらら             花見育子    青空にのびゆくけやき待てる春         上阪則子   絵 馬並びお祈りせしはちちとはは       大泉由美子     千年の欅の太さ春うらら            森 和子    芽吹くかの欅のそばを消防車          大井恒行   ★閑話休題・・檀一雄(瓦全亭)「子捨てんと思へど青し海の底」(「ポリタリア/檀一雄追悼特集号」より)・・ 「ポリタリア/檀一雄追悼特集号」(白川書院)「瓦全亭」は檀一雄の別号。編集部註に「北斎書に曰く「大丈夫寧可玉砕何能瓦全」とある。また別に、短歌では「奇放亭」の号を使用、こちらは、ドン・キホーテにちなみ、たわむれに檀・奇峯亭。あるいは奇泡亭とも称したとあった。いくつかの句と歌を挙げておこう。    モガリ笛いく夜もがらせ花に逢はん     (絶筆)    堕落天使虚空に星の音ばかり   梟の夢にもたける鬼火哉   花散るやうづもるる...

井口時男「おぼろ夜の花にまぎれてもの狂ひ」(「鬣 TATEGAMI」第98号)・・

イメージ
「鬣 TATEGAMI」第98号(鬣の会)、特集は「アンソロジーの俳句史 その2」、「井口時男評論集『近代俳句の初志』、加えて「第24回 鬣 TATEGAMI俳句賞発表」である。今回の受賞は、秋尾敏『子規に至る 十九世紀俳句史再考』(新曜社)と高橋修宏『暗闇の眼玉 鈴木六林男を巡る』(ふらんす堂)。 ここでは、高橋修宏「召喚される〈俳句史〉--『非空非実の大文学』をめぐって」の一部分になるが、紹介しておきたい。 (前略) ところで、子規の「非空非実の大文学」をめぐっては、一九七〇年代の〈俳句史〉において、俳句論の起源のひとつとして俎上に載せた一人の俳人がいた。坪内稔典である。彼は『正岡子規』(一九七六年)、『過渡の詩』(一九七八年)などにおいて、それまでの子規像の更新と俳句の根拠をラディカルに問いなおすなかで、「非空非実の大文学」という子規の初志に、すでに出会っていたのだ。そのなかで坪内が掴み出したのが、「過渡の詩」というコンセプトであった。これについて坪内は、「人の過渡性にこだわりつづけることが、俳句の一切であり、そういうこだわりをジグザクに持続してゆくほかには、俳句を書くことの理由がない(…)俳句は、そのような在り方において、同時代の詩としての位相を持っている」(「過渡の詩」より)と記している。  一方、井口は本書の「あとがき」において、「俳句は『雑の詩』である。ゆえに、対象やテーマを狭く限定してはならない。森羅万象、人事百般、思想観念、喜怒哀楽の一切が俳句の対象。「花鳥」も「社会性」も言葉遊びも述志も、みんな雑の一つに過ぎない。これこそ『俳諧自由』の精神である。」と述べている。  井口時男の「雑の詩」と坪内稔典の「過渡の詩」―—。「非空非実」の大文学」という子規の初志を踏まえ、そして引き継ごうとする、この二つのダイナミズムを内蔵させた俳句理念が出会うとき、「無風」と呼ばれつづける俳句の世界に、想定外の大風が吹くのかもしれない。 とあった。ともあれ、以下に、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。   鉄棒は鉄の仕方で冬ざるる             吉野輪とすん   電柱も影の国とて秋の暮                九里順子   ときめきを禁じるように文庫閉づ            佐藤裕子   喪服の穴黒く塗れよと生身魂              滝澤航一 ...

赤野四羽「いと高き天使めく白菜をむく」(「春の歌よみ展」より)・・

イメージ
               3月7日(土)「春の歌よみ展/俳句・川柳・短歌・回文・絵手紙」(於:ギャラリー ステージワンー3月2日~7日)の最終日、それも終了間際、五分前に駆け込んだ。参加者は、  赤野四羽・新井ユミ・荒野晶子・市原千佳子・市原正直・乾佐伎・エディ上枝・おのみん・鎌倉佐弓・木村哲也・黒木洋子・黒澤淳一・小池政光・田島光枝・田島靖浩・高津葆・田中晴久・種村国夫・藤永大一郎・堀明子。  というけで、ゆっくりは観られなかったが、いくつかを見、何人かの方とお会いした。以下にいくつかを紹介しておきたい。    熱燗のよき人肌のある言葉          市原正直    角の先からしっぽの先まで太陽光が歌う牛   夏石番矢    希望とはジャングルジムの中の風       乾 佐伎    大空に請われるままに木の芽吹く       鎌倉佐弓    捨て切れぬ煩悩背負いて山笑ふ        黒澤淳一    酔うも野谷しんじ紳士や飲もうよ       木村哲也    饅頭のどんどん並ぶ年の暮          赤野四羽  ★閑話休題・・チェリー木下「ほらあれが首吊りの木と幼子が闇を指さす終電車両」(『チェリー木下 蔵出し作品集』より)・・   『渦とチェリー新聞別冊/チェリー木下蔵出し作品集』(渦とチェリー新聞)、愚生は先日、国分寺に出たついでに、散歩のつもるで、気まぐれに半世紀も前に何度か訪ねた西武線鷹の台の駅に降りた。線路添いにある近くの喫茶店に入った(店名は失念)。ようするに、ギャリー兼の喫茶店の様子で、展示されているなかに、誰かが俳句らしきものも短冊にして飾られていた。  そこに置かれていた小冊子が,上掲の写真だ。中に、「チェリー木下版猟奇歌」掲載されていた、その中の一首を引用、させていただいた(閑話休題に…)。愚生は紅茶とケーキセットにしたのだった。静かで良い茶店だった。また、いつか寄ってみたい。         撮影・芽夢野うのき「春寒しさざなみさむし夢の岸」↑

高山れおな「梅の闇アメーバ状に我を愛す」(第77回「読売文学賞」贈賞式と祝賀会より)・・

イメージ
右から二人目が高山れおな↑   3月6日(金)午後6時から、帝国ホテルに於て、令和7年度・第77回読売文学賞の贈賞式と祝賀会が開催された。受賞者は高山れおな句集『百題稽古』(詩歌俳句賞)、その他の受賞者は柴崎友香『帰れない探偵』(小説賞)、赤堀雅秋『震度3』(戯曲・シナリオ賞)、石川直樹『最後の山』(随筆・紀行賞)、冨原眞弓『トーヴェ・ヤンソン』(評伝・伝記賞)、兵頭裕己『物語伝承論』(研究・翻訳賞)の6部門。選考員講評は高橋睦郎。  因みに、高山れおなの「受賞の言葉」には、   ニ〇ニ三年刊行の拙著『尾崎紅葉の百句』は俳人としての尾崎紅葉に光を当てた、恐らく史上初の単行本です。読売新聞社が文学の賞を主催する前提には、明治二十年代の同紙を舞台にした紅葉らの活躍に始まる歴史があるのであり。このたびの賞を頂戴したことに、大袈裟に言えば天命を感じます。なぜか。紅葉の俳句は、近代の主流をなした子規派の俳句に対するオルタナティヴだったからです。 (中略)    明日 (あす) 城を抜く手いたはる榾火 (ほたび) かな  紅葉  とあった。  ともあれ、『百題稽古』からと合わせて、以下にいくつかの句を引用しよう。    戦艦重信蜃楼 (かひやぐら) から撃つてくる        れおな             「ほりかは」雑二十首、題「海路」より    我が狐火も霜夜は遊べ狐火と             「永久」恋十首、題「忍恋」より    短歌 (うた) は愚痴俳句は馬鹿や躑躅燃ゆ   春雨や既視感 (デジャ・ヴュ) のほかに俳句なし   昭和百年源氏千年初鏡   静聴せよ偽の時雨を憂国忌    高山れおな(たかやま・れおな) 1968年、茨城県日立市生まれ。       撮影・鈴木純一「後戻りできぬ 2 人のひとごろし」↑           アリー・ハーメネイー   2026 年 3 月 1 日没

子規「はれきつた空や雲雀(ひばり)の声青し」(「図書」3月号より)・・

イメージ
 「図書」3月号・927号(岩波書店)、神野紗希「あきらめる以上のこと」の結びに、    露草や野川の鮒 (ふな) のさゝ濁り   子規   豚汁の後口渇く蜜柑 (みかん) かな    〃   糸瓜 (へちま) 咲て痰のつまりし仏かな  〃  野川の何気ない風景も、豚汁や蜜柑を食べる他愛ない日常も、子規は大切に詠みました。亡くなる十数時間前に詠んだ糸瓜の句では、遺骸となった未来の自画像すら淡々と描いてみせました。ささやかな光を取りこぼさず、病の身すら己の手でありのままに写すことが、「あきらめるより以上の事」、運命に対する彼の抗いだったのです。   とあった。たまたま、数ページ先にあった、中村祐子「女が狂うときー21/ 狂ひと物語/狐憑き、石牟礼道子と森崎和江 」が目に止まった。その結び近くに次のようにあった。 (前略) 「おなごというものは、生まれながらにして三界に家なし」  みっちゃんの父はそう、憐憫(れんびん)とも諦めともつかぬことを言う。  道ばたを自由に歩き、そのたびに女たちに手を引かれて返されるおもかさも、天皇陛下が水俣へ行幸なさるときは「精神異常者は、ひとりもあまさず、恋路島に隔離の措置」と隠された。  中央の、大学の、やがてこの街を破壊するチッソの論理が覆いつくす前の、石牟礼が描くあたたかい体温をもった水俣では、おもかさまは自由に通りを歩いていた。「しんけいどん」と呼ばれながらも、何かの物語に依拠することなく、おもかさまはおもかさまの時間のなかで、みっちゃんと豊かな山の息吹を感得しながら生きていた。  精神をやんだ「しんけいどん」が「三界に家なし」の「おなご」として、それでもみっちゃんや娼楼の姉さんたちと、いたわり合いながら暮らした土地。  だからかもしれない。水俣病に覆われたかの地で、病に倒れた人たちの連帯が強く起こった。石牟礼はその中心にいたが、多くの人が嘘偽りのない体で東京まで出ていって座り込みをしたのだ。 「狂わる」人が狂ひの時間を女性たちと生きた土地もあれば、社会が女を狂わせ、社会が女に狂う物語を与えることもある。行き場のない狂気が娘にまで「吹き寄せ」られることもある。おなごの煩悶はそれだけ底なし沼のように深い。   と記されていた。 ともあれ、前掲の神野紗希の文中から、いくつかの子規の句を挙げておこう。   例年よ彼岸の入に寒いのは...

安斎未紀「信頼と依存の違ひ知らぬまま生きて(それは本当の生?)(「Sister On a Water」より)・・

イメージ
  「Sister on a Water (シスター・オン・ア・ウォーター )」(シスオン)、特集は「安斎未紀」。主な内容は安斎未紀「希死念慮」、安斎未紀エッセイ「猫、と言われても…」、喜多昭夫選「安斎未紀 100首」、資料『掌上動物園』『2024年2月刊)として、藤原龍一郎「解説 短歌に選ばれた人」。批評『短歌人』2024年9月号「安斎未紀歌集『掌上動物園』より、森島章人「自らの祭司」、高島裕「イリュージョンを超えて」、池田裕美子「宿命を織る――散華図絵」、そして、喜多昭夫「死への接近/生への活路」、笠木拓「色彩がふちどる水母」、小関祐子「美しきサバイバー」。エッセイに岡田悠束「安斎ちゃん」、一首鑑賞に大森静佳、平岡直子、小田鮎子、髙田暁啓。喜多昭夫と安斎未紀対談「短歌表現は『救抜』となりうるか?」。ここでは、藤原龍一郎の解説「短歌に選ばれた人」の一部を引用しておこう。  (前略) あとがきに「精神障害との闘病に明け暮れつつとうとう短歌を離れることが無かった」とあるとおり、安斎未紀は過酷な病に心身を苛まれつつも、短歌を唯一の自己表現の方法として、離れることがなかった。これは、逆に言えば短歌自身が安斎未紀という歌人を手放さなかったということだろう。 (中略)  最後に「拒眠の棘」という一連から何首かを提示する。  眠る気がしない、眼 (まなこ) もつ、恐らく幼少期にそを知りき  +  枕に血潮 耳から脳が垂れてくることもありなべてだらしないから  眠れぬを日常として暗がりに水色の蛾のひ狂ふなり  読んでいて胸が押し詰まるような一連である。音読してみるとさらに切迫感が増加して、息苦しくさえなる。  繰り返すが、自ら体験した心身の苦しい状況を短歌で表現するということは、その苦悶を追体験することにほかならない。それは生半可な精神ではできない。これを表現せずにはいられないという強靭な表現意志が必要なのだ。その表現意志に短歌型式もまた、応えている。その意味で安斎未紀は、」まぎれもなく短歌に選ばれた人である。短歌に選ばれた人の命がけの表現を受けとめてほしい。  とある。 ともあれ、本誌より、いくつかの作品を以下に挙げておきたい。  死を願ひ髪を洗ふをやめし朝雨は黄蝶を濡らしてゐたり       安斎未紀  わずかずつ平癒してゆく痣を持ちみじかい夢をかさねて眠る     小俵鱚太...

仲寒蟬「地雷原にもたんぽぽは咲くだろうか」(「俳人『九条の会』通信」第28号より)・・

イメージ
 「俳人『九条の会』通信」第28号(俳人「九条の会」事務局)、事務局長・吉平たもつは「 ニ〇二五年四月二七日、東京都北区(北とぴあ)にて、俳人『九条の会』新緑のつどいが開催されました。参加者は七三名でした。/講演者は弁護士の白神優理子さん、俳人の仲寒蟬さんです 」と記し、松田ひろむの開会挨拶には、 (前略) 今年は昭和でいえば、昭和百年、そんな企画も増えています。ただ、私は「昭和」という天皇の在位に基づく元号には否定的です。四月二十九日だった天皇誕生日という季語ももういつのことだったか分からなくなっています。三橋敏雄に〈軍装の昭和天皇忌の燕〉という句があります。つまり昭和とは戦争と平和のせめぎ合いでもありました。  とあった。そして、仲寒蟬講演録「戦争俳句と大牧広」の中に、 (前略) 戦争反対の理由は飽くまで庶民の立場として、いつも戦争でひどい目に合うのは庶民だからです。大牧広は一貫して庶民の視線を忘れない俳人でした。彼の戦争俳句は空襲によって自分の家が全焼し、酷い目に遭ったという経験に基づいています。こういうことはもうやってはいかんという立場です。 (中略)    幾千代も散るは美し明日は三越   南国に死して御恩のみなみかぜ  一句目は昭和の初め頃の広告「今日は帝劇、明日は三越」のパロディです。二句目は痛烈な皮肉ですね。南方の島、餓島と呼ばれたガダルカナル島などで命を落とした兵隊さんに天皇の御恩である南風が吹いているよと。 (中略)    開戦日が来るぞ渋谷の若い人   軍神の生家朽ちゐて草いきれ   父とつくりし防空壕よ八月よ   敗戦の年に案山子は立つてゐたか  一句目、若い世代へのメッセージですね。軍神の句の皮肉、防空壕の句の思い出、案山子の句は戦争を経てもしぶとく生きる庶民への視線が感じられます。 (中略)   俳句にできることは少ないかもしれませんが今日読んできたような先人たちの作った戦争俳句を次の世代に伝えていくことが大切です。自分たちが戦争に関する俳句を作る時には庶民の立場で詠み、庶民の視点を忘れないことです。  先の大戦はもちろん軍部が、政府が愚かだったから起こった。しかしそれを煽り立てたマスコミにも踊らされた国民にも責任があります。我々が歴史を学び、賢くなって二度と馬鹿な戦争はしないと心に誓うことが大事なのです。  とあった。  ともあ...