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各務麗至「懐手遥か火薬のにほひかな」(「文芸 青い鳥」第4号より)・・

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 「文芸 青い鳥」第4号(朗読流星群ライブ実行委員会)、掲載された小説・随筆・童話・朗読短編・評論・人物伝・短歌・俳句・ショートショートの中に、香川県知事賞・小説/各務麗至「秋桜」があった。以下、冒頭部分と結び部分を、   万緑色の山々に紅葉が目立つようになってきた。  今年七十三歳の妻だが、この夏に二回目の脳梗塞や、透析など闘病生活四十数年で、初冬の現在腰椎圧迫骨折に多機能障碍で再入院していた。  そんな妻が、明るい目をして、孫とも行ったりもした不動の滝の桜のみごとさを嬉しそうに私に語るのである。  まさか…‥。  三途の堤の桜並木か、——ムヤミニキレイダッタので、来年も、と、サクラバカリミテイタだけが忘れられないらしい。  ——ソラバカリミテイタ。ソレデアカルクナレタ。  と同じような声を聞いた記憶があった。  (中略)  病床の妻が、不動の滝の桜のはずが、——ハシノムコウニイッテ、ひかりにつつまれたと言った。そして、  何度もなんども、揺れる桜の花に感激したとその話から、  コスモス、の、風に揺れるひかりの中のその人を思い出してしまった。妻もまた、ひかりの中に消えてなくなるのを知らされたのだろうか……。死んで、死なれて残る私のことを心配させないように憂えていたのだろうか。  そにお人は、天のことわりに照応するように、地のふるまいを見せてくれた。  一周忌は、季節はずれを手しおにかけた、……誰がこころ尽くしであったろう。まだまだ早いコスモスがおんなの子たちの胸に抱かれて風に揺れていた。  妻は……。  楽しみにしていた不動の滝の桜を見ないまま逝ってしまった。  とあった。各務麗至は、他にも童話「ゆびきりげんまん」を寄稿している。ともあれ、本誌より、俳句をいくつかと、かつて大昔にお会いしたことのある短歌を挙げておこう。    秋天のまるごと地球日和かな        夏 礼子(香川県知事賞)    宙に舞うリンゴの中を狂女飛ぶ       富岡静男    雲の上に来て山寺の匂鳥          土居哲男    行く春のこどもの声を哀しめり       小野明則    背負うもの皆燃え尽きし蔦紅葉       猿渡啓子    とれたての蟹を当てなる島泊り       上原英毅    まぼろしに君は見るらし加茂川の流れさやかに白き冬鳥   長岡千尋 ★・・各...

江中真弓「常闇の宇宙月の出地球の出」(『歴日』)・・

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  江中真弓第五句集『歴日』(角川書店)、著者「あとがき」に、  『歴日』は、『六根』につづく私の第五句集である。二〇二〇年から二〇二五年までの六年間の作品三五三句を収めた。  前半の三年間は、コロナ禍による厳しい行動制限で、旅はもとより人に会うこともできない閉塞した日々であった。そんな中で、長年苦楽を共にした夫を失った。動揺、不安、悲しみ……感情を抑えきれず夢中で過ごした時期であり、心ならずも暗く始まる句集になった。  孤独と寂しさに耐える中で、支えとなったのはやはり俳句であった。とりわけ、楸邨先生の声に耳を傾けながら、俳句を通して作者一人一人の人格と繋がることができた「暖響」誌での選句には、前を向く力をいただいた。 (中略)   日記を書くように、暮らしや身近な自然から感じたあれこれを十七音に託して長い歳月を過してきた。歩みの遅々たるを思わざるを得ないが、どの一日も自分にとってはかけがえがない。句集名を「歴日」とした。  これから先、何に出会えるのか、何がみえてくるのか。遠くがるかなものを心に、自分なりの道をもう少し歩いてゆきたいと思っている。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    願かけの身をつらぬける寒清水        真弓    寒明けや足より生えて人の影     悼・加藤瑠璃子氏   みんなゐて満月の鯉見をらんや   我を呼ぶ小さき鳥ゐるそこに春   しやぼん玉空へ出でゆき帰らざる   ほうと仰ぐ楸邨のこゑ桐の花   人に生まれゴリラに生まれ露けしや   青胡桃からだの芯を風とほる   木の葉ふる誰彼とゐて独り   満天の星ふるやうに木の芽かな   下車したしこの春の野のまん中に   ひばり揚がれはるかなるもの見ゆるまで   青天へ栃は祈りの花かかぐ   青くるみ大きな風が見せてゆ   江中真弓(えなか・まゆみ) 1941年、埼玉県生まれ。        撮影・中西ひろ美「秋景やポストの口を冬へ向け」↑

山内将史「駄菓子屋にハクビシン来る月夜かな」(「山猫便り」2026年10月21日)・・

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 「山猫便り」2026年10月21日は、山内将史の個人通信。    まぼろしの遍路とならむ秋風に   吉田汀史『浄瑠璃』  「生きて添えない二人なら/旅に出ましょう幻の」(「風の盆恋唄」詞・なかにし礼)と歌うのは石川さゆり。幻に憧れるのは幸福な証か。   大旦おものちしるの恩無限    高橋睦郎『十年』  中七が呪文のように響き単純な母乳礼賛とは思えない。「恩無限」は「罪無限」と言い換えてもいいのではないか。「罪こそ、人間における時間にほかならない」とは高橋の若き日の記述。物皆あらたまる大旦なのに恩だけは無限に続く。 とあった。 ★閑話休題・・和子「瑠璃色の天衝くような杉木立」(第3回「立川市シルバー大学」)・・  11月4日(水)は第3回「立川市シルバー大学」(於:立川市曙福祉会館)だった。宿題は、「無季」の句を2句作って持ち寄りだった。以下に一人一句を挙げておこう。無季の句を作ると、有季定型こそが自由に句が作れる、と思うようになる。   深夜二時母の命を見送りぬ           嶋津弘興    早起きの産みたて卵手の温み          中西容子    我心問う六面石幢涙目に            柏木 武   HbA1c/果物誘惑/布袋腹          清水昌明   我が道を行きつもどりつケセラセラ        和 子    歳重ね時の早さに迷い道            山﨑功子     なお浮かび翔ぶ両手 (もろて) にかこむ千羽鶴  大井恒行  次回は、12月4日(水)の宿題は、当季雑詠2句持ち寄り。         撮影・鈴木純一「真っ暗でひとりぼっちで熱かった               犬死じゃないってみンなに言ってね」↑     11 月 3 日   ライカ   没   ( 1954 ~ 1957 )スプートニク2号に搭乗

澤好摩「倒木がふたたび倒れてみたき夜」(「円錐」第111号より)・・

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 「円錐」第111号(編集部/発行所 山田耕司)、「書評『澤好摩俳句集成』」の特別寄稿は茅場康雄「古人も多く」、寺澤一雄「澤さんを二度誘った」、宮﨑莉々香「わたしにとってのテクスト派」。その宮﨑莉々香は、  澤さんとはじめて会ったのは高校二年生の夏で、俳句同好会は部室がなく空き部屋を使って活動していたから実験室で横山さんも一緒に句会をした。味元昭次さんのことは昭次さんと呼んでいて、指導というか、確か本人は指導じゃないきね、と言っていた気もするから、一緒に句会をしたり俳句の話をする時間を過していたということにする。澤さんは厳しいかもしれんけんど気にしすぎなよ、とか言われて句会をしたけれど、その当時は厳しいとは思わなくて、ただ楽しかったな、とかそんな感じだった。 (中略)   澤さんの句を改めて読み返し、マジで色んな俳句を書いてたんだな、と思った。言葉の質感に沿って毎度違う句を書いていたテクスト派の作家と言いたくなる。 (中略)  同時に、句会でよく言われていた言葉を思い出す。言葉一つ一つの効果を考えて書きなさい。句会の講評で高橋龍さんと助詞レベルの議論をよくした。意味もないのに簡単に切るんじゃないと、特に切れ字の「や」には厳しかった。当時は考え方が少し古いと感じもしたが、切れ字の「や」は今回改めて読んでも多くはなかった。使い所を限定しているからこそ、「や」の効果が発揮されているのかもしれない。 (中略)  (3)頭韻の揃え    渡 り鳥 わ たしひとりの晩ごはん   寂し け れ ひ かりの中の 日 の か たち   雛 あ られ色とりどりに 味 同じ  W音の繰り返しの一句目。ひかり・日は同じ属性の言葉で、頭韻も揃えている。けれ・かたちのK音も加えて。あられと味のA音の繰り返しは味同じというなんてことないオチだけじゃないことの発見も加えられている、音も同じ。  澤さんという友達はもうこの世にはいないけど、読みつつ書くことが澤さんを通じてわたしの中に残りながら、俳句を今も読みつつ書いているよ。  と記していた。他の評論には、今泉康弘「三鬼の戯画——小林恭二『三鬼』における虚構の中の『事実』を問う」、摂氏華氏「ひっちはいく⑧/生と死と山田耕司句集『不純』を読む」等。ともあれ、本誌本号より、いくつかの作品を挙げておこう。    コスモスは猫のパンチに耐えながら ...

竹下奈々子「定座には決して置かれぬ悔しさのかぼちやおくらの花の懸命」(「合歓」第114号)・・

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 「合歓」第114号(合歓の会)、恒例のインタビューは「吉野裕之さん、髙橋みずほさんに聞く――植物系似たもの夫婦の『jaja bibi』出発」。聞き手は久々湊盈子、それには、 ――このたび、吉野裕之さん、髙橋みずほさんはご夫婦で短詩型ユニット「jaja bibi」を起ち上げられました。まずは新しい出発、おめでとうございます。「合歓」のインタビューではこれまで、松平修文さん、王紅花さん夫婦に別々にお話を伺ったことはありますが、ご夫婦揃って、というのは初めてです。お二人とは加藤克巳先生の「個性」でお知り合いになってから、もう長いお付き合いですが、「jaja bibi」は前から計画されていたのすか。 吉野 そうですね。いつかはこうした形で雑誌を出したいと考えていたのですが、実際の準備を始めたのは今年になってからです。十年くらい前から二人で雑誌を出したいとは思っていましたが、まだ会社勤めをしていましたし、ぼくの方にエネルギーが足りなかったこともあります。二年前の三月に退職して少し時間ができたことと、精神的に余裕が出たということもあって、今年になってから、よし、やろうか、と言い出したわけですが、彼女は信じてくれなくて。 高橋 私は十年くらい待たされて、いつかはとは思っていましたが、ああ、ほんとに出たんだなという感じです。短歌ユニット「BLEND」のときもそうだったように、表紙の写真も誌面のレイアウトや用紙にいたるまで、彼はこだわりがありますから、私は一切口を出さないで任せていました。 (中略) ――やわらかい感じのクリーム色で上質な紙ですね。活字の大きさとか、奥付とか細部に神経が届いていて、贅沢な造りになっています。添えられていたお手紙にヒントがありましたが、これ一音替えたら「jiji baba」で「じじばば(爺婆)になるんじゃない? 吉野 ええ(笑)。これから齢を重ねながら遊んでゆくのにいい名前でしょう。 (中略) すでに終わった恋のようなる秋の日にかがやく茄子をひとつもぎたり                                 吉野裕之『砂丘の魚』 ――『空間和音』の後、しばらく歌集を出されなくて、『ざわめく卵』が十六年ぶりの歌集だったんですね。 吉野 そうなんです。『空間和音』と『ざわめく卵』の間の作品はその後出した『博物学者』と『Yの森』に入れてい...

筑紫磐井「阿部定にしぐれはなやぐ昭和かな」(「翻車魚」vol,10 鼯鼠〔ムササビ〕号より)・・

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  「翻車魚」vol.10 鼯鼠(ムササビ)号(走鳥堂)、招待作品は有澤榠櫨「ゆふぐれの」13句、ここでは、高山れおな「筑紫磐井の百句/承前」の中から、   十句目の鑑賞を終えたところで休止した「筑紫磐井の百句」の先を続けたい。この間、「WEB俳句通信」の一五二号が筑「筑紫磐井の〈新俳句宣言〉にたいして」なるアンケート特集を組んで、はなはだ気乗りしなかったものの、当方も「一番弟子が師匠の宣言をめぐって書いた模範解答、のようなもの」というタイトルで寄稿した。宣言する人もする人だが、編集部も編集部である。もとより俳句作品は、作者の言動から切り離して吟味することが可能である。ただし、一般的に可能というだけで、常に切り離し得るわけではないし、常に切り離すべきでもないが、とにかく今回の百句鑑賞は、おおむね新俳句宣言の影響を受けることなく進行する予定だ。 (中略) 八月は日干しに兵のよくならぶ      60   〈勤労の汗が君らの宝なり〉に限らず、「帝國海軍」の章には、五七五という器を公式言語の空疎によって満たそうとするかのような句が少なくない。〈夏時間鐡増産日々確か〉〈霧霽れて我が海軍の威容なり〉〈帝國を総攬したり青嵐〉などがそうだが、そんな中で異彩を放つのが掲句だ。果たしてこの〈日干しの兵〉は生きている?戦地でも毎日戦闘していたわけではなく、水浴して甲羅干しするようなことは普通にあっただろう。それなら結構なのだけれど。しかし、〈八月は〉である。これが戦いの終った戦場に遺棄された死体でない証拠もまたないのである。あるいは、日干しの魚や蛙のように痩せやつれた兵士たちが整列をして武装解除されているとか、捕虜となって給食を待っているとか、想像はいろいろに可能。不穏にして不快な〈よくならぶ〉だ。  とあった。ともあれ、本誌より、いかにいくつかの句を挙げておこう。    一蜻蛉 (せいれい) 一閃光として過ぐる       有澤榠櫨     国会前    腐草は蛍に腐国は万のペンライトに         関 悦史    風の名が日日草に追ひつけぬ           高山れおな    中秋や炒めて弾む鶏の心 (ハツ)          佐藤文香  ★閑話休題・・有賀眞澄「いつ無の名 無限ホテルに 切る燧/月光盾に破竹の塔よ」(「異界線」)・・ 有賀眞澄↑  11月1日(日)、...

今瀬一博「一木に一草に神水澄めり」(『深呼吸』)・・

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 今瀬一博第二句集『深呼吸』(ふらんす堂)、その「あとがき」に、   平成25年に第一句集『誤差』を上梓してから、12年が経過した。今瀬剛一が昭和61年に創刊した「対岸」は今年の10月に40周年の節目を迎える。この間、平成29年4月から「対岸」幹事長を務めてきたが、令和6年4月からは、「対岸」:副主宰として、剛一主宰を補佐して句会指導を行うとともに、会員作品である「対岸集」の選も務めることとなった。家族では三人の子どもたちは全員成人し、職を得た。私自身もこの春、役職定年により教職の第一線を引いた。  このような中、対岸創刊40周年の記念すべき年に、副主宰就任前までの作品の中から320句を選び、第二句集を上梓することとした。これまでの作品をまとめ、今後へ向けての区切りとしたいと考えている。  とあった。集名に因む句は、    深呼吸して青梅を見つけたり       一博  であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。    蟬の羽化いのちはいつもぬれゐたる   きちきちを外へ外へと刈り進む   赤松は走り根も赤加賀の秋    飛花落花葉書は四隅より古ぶ   カタカタと戦のフィルム蚊遣香   八月六日千羽鶴とは飛ばぬ鶴   ほのほなく燃ゆる手紙や油照り   ウェルナーの薔薇なり深き午睡なり   螳螂の一瑕なき身の枯れゆけり   蓮青葉雨粒はみな音を生み   水底に緩き丘あり蜷の道   蛍袋紙の軽さと思ひけり   再会の両手広げて花八ツ手   見えてゐて魚は釣れず青胡桃   真つ黒なところが畦よ螢狩   折れてなほ高き煙突鰯雲   冬眠の熟睡に星瞬ける  今瀬一博(いませ・かずひろ) 1965年、茨城県生まれ。                「対岸」主宰・今瀬剛一氏↑ ★・・「対岸」創刊40周年記念祝賀会・・              右から二人目、新主宰・今瀬一博氏↑   10月31日(土)、ホテル椿山荘東京に於いて、「対岸」創刊40周年記念祝賀会が、100余名の来賓を招いて盛大に開催された。その場で、「対岸」の主宰が、今瀬剛一から今瀬一博に継承されることも発表された。  愚生のテーブルは左に、渡辺誠一郎、右に林桂。旧知の間ながら、めったに会えないので、久しぶりに懇談した。かつて、「未定」で創刊同人だった、『三鬼』の著...