桑原正紀「幾本もの管につながりしろじろと繭ごもる妻よ 羽化するか、せよ。」(『妻へ。千年待たむ』(復刻版」)・・
桑原正紀歌集『妻へ。千年待たむ』(笠間書院)、本歌集は、短歌研究社(2007年)刊行の復刻版である。その帯に、荻野アンナは、 介護の歌は、同時にみずみずしい恋歌でもある。 倒れた妻の回復を千年でも待とうとする夫。 不可能な愛を切々と詠った珠玉の歌集。 と記している。また、初版の短歌研究社版の帯文の高野公彦には、 「妻よ、汝 (な) が命この世にとどまれと汝がたましひはいづこさまよふ」 といふ切実な悲しみの歌。 「耳もとで汝が名を呼べどしんとして古 (ふる) 深井戸のごときその耳」 といふ深い怖れを詠んだ歌、激情に走らず、どれも優しさに満ちた歌ばかりである。苦しみの日々を歌ひながら、かへつて周りの人々に対する柔らかい光源となつてゐる。桑原氏の作品群を私は高く評価したい。 とあった。そして、復刻版「あとがき」には、 二〇二四年五月十三日夕刻、力尽きたように妻の心臓は止まった。五十六歳のとき倒れてから十九年余、あと二ヶ月で七十六歳の誕生日を迎えようというところであった。 (中略) こ の十九年余という時間が長かったのか短かったのか。どうにも不思議な感覚が私の中にある。本稿「はじめに」で書いた通り、その後の新しい記憶はいっさい留めないという症状は結局改善しなかった。そのせいで、彼女との会話はおのずから倒れる前の過去に限定されることになり、いま起こっていることを話題にしても、数分で話がつながらなくなる。また、自分になにが起こり、いまどういう状況におかれているのかという認知力も思考力も回復せず、文字通り〈いま〉という時間の中だけを生きているという状態のままの十九年であった。そんなわけで、仕事帰りに病院に寄って彼女と過ごす数時間は、小さなタイムスリップを日々繰り返しているような感覚だったのだ。私の中を一日流れた時間は無かったことのように、共有できる過去の時間の中に帰ってゆくのである。 (中略) 本書の「まえがき」に記した通り、妻というより同志と呼ぶにふさわしい女性であった彼女のために、もういちどその存在の証を世に印しておいてやりたいという思いもあった。人間を愛し、生徒を愛し、自己犠牲に満ちた教師であった彼女へのオマージュを、版を新たにして捧げたいと思った次第である。 なお、昨二〇二五年秋に出した歌集『麦熟るる頃』にも、折にふれて彼女を詠...