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西野洋司「立葵その葉を犬が食べるとは」(「つぐみ」No.228・2026年4月号より)・・

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 「つぐみ」No,228/2026年4月号(編集発行 つはこ江津)、ブログタイトルにした西野洋司「 立葵その葉を犬が食べるとは 」(2020年7月号)の句に、打田峨者んは以下のように記している。   たとえ幽明を別つとも表現者にあっては作品が世に遺されている限り、対 (むか) い合える。西野氏は「米寿」「鎌倉」「ガーデニング」という措辞から天寿を全うされた、晴れやかな老年を過ごされた人という面影が出 (いで) る。  ——誠に勝手ながら下五の末「とは」が「久遠 (とは) 」と解させて頂く。立葵は私の一押しの野辺の花で、それは原初的開花の一原型。まづ以って花屋にはおいていない。その葉を犬が餌として好むとは露知らず私は生きて来た。永遠 (とは) の犬が静かに立葵の葉を食 (は) み続けるというエンドレスな幻影が、自分勝手な眩暈 (めまい) を醸し出し、私を暫し陶然とさせるのだ。御免下さい、西野洋司さん。会いたかった。  とあった。ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておこう。    蝌蚪死して惑星の水にごりそむ         川森基次(俳句交流)    原発事故できなかった福笑い         ののいさむ    山茶花や大きな白い犬が行く          蓮沼明子    藪つばき道づれのない心地して         平田 薫    魚を待つ翡翠一羽杭にいて           宮本英司    川沿いの雪柳一筋ひかる            八田堀京    春の雨すべての音をぬらしけり         渡辺テル   あんどろめだ聖人の嘘「鳥帰る」       わたなべ柊    三月や桃色煙る明日であれ           有田莉多    春の泥つけ八歳のわたしがいる         井上広美    臍なしマネキン ビキニショーツは国防色 (カーキいろ)                        打田峨者ん    雪は降る背中のシーラカンスなく     おおさわほてる    春すずめ体のなかは風ばかり          金成彰子    鷹匠の手なる木兎花の影             楽 樹    あるかいっく・すまいる かわず啼くゆうべ    伍 宇    どこまでも下りるきざはし春の雨       つはこ江津    分葱のぬた卓袱台 (ちゃぶだい)...

前田霧人「歳時記は季題の墓場秋の暮」(「無限」第7号)・・

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 「無限」第7号(無限俳句会)、米岡隆文「黙思録(其の七)/アフォリズム風に(令和七年五月~令和八年一月)」の中に、 (前略) ◎生命の進化には非生命と言われているウイルスが 関わっている。  象の鼻が長いのもキリンの首が長のも、ウイルスがそれぞれの遺伝子へ潜り込んだ結果かもしれない。種としての象やキリンが自らの意志でそうなったとしたら大変なことである。意志決定論か環境決定論かと論争する必要はない。象の先祖の遺伝子に色々なウイルスがついた。 (中略 )この度の新型コロナウイルスは発熱等呼吸についた。一番の変異は脳へのものでろう。変異発祥の地である中華人民共和国も、大量にワクチンを作ったアメリカ合衆国も、違うワクチンのロシアも、その後、脳の前頭葉に変化が起こり国民人民が好戦的になった。ロシアのプーチンはその最たるものである。共産主義国の中国の習近平しかり、民主主義国アメリカのトランプまでもが独裁者となり果てた。コロナ禍は頭脳を犯したのである。 (中略) 他の領土を自国化するという意味で、コロナ禍以降、世界は第三次世界大戦の前哨戦に入っている。 〈結論〉生物の進化はひとえにウイルスによる気まぐれである。その気まぐれによって人類は右往左往している。  とあった。 また、前田霧人「新季題通信/季語の墓場」には、 (前略) 例外はあるが、一般に新季題の例句は新季題の歳時記初出に先行する。また、新季題を育て定着させるのは佳い例句である。拙文が右掲のような歳時記により違いのある季題や、どの歳時記にも記載のない純然たる新季題の句作に挑戦する何かのきっかけになれば幸いである。  (二)青春(春) 「青春」は中国の五行説(色)で青は春に当たることに由来する季題で、『太平御覧』に「梁元帝簒要日、春亦日発生、芳春、青春、陽春、九春」とある。 (中略)  「青春」は「青陽」、「青帝」、「東君」、「発生」、「献節」などのようなナイナーな「春」の傍題ではない。「夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を人生の春にたとえたもの」(『デジタル大辞泉』)として現代的な魅力溢れる言葉でもある。大歳時記のみならず中小の歳時記にも記載して大いに詠んでもらいたいものである。  青春の仏のかほと見まゐらす     竹下しづの女  青春や酒量ふえても背に翼        江里昭彦  青春や星を突く銛さがすごと    ...

折原ミチ子「風光る棚田を廻る霊柩車」(第196回「吾亦紅句会」)・・

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  4月24日(金)は、第196回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「燕」。以下1人一句を挙げておこう。    燕来るアイドルを待つコンコース      関根幸子    金髪と伊達のマスクと春コート       須崎武尚    葉桜や制服少し着くづして         渡邉弘子    修司忌や出るに出られぬかくれんぼ     齋木和俊    人の目が監視カメラや燕の子        田村明通   葱坊主今日はどこぞへ風まかせ      吉村自然坊     獄窓の木立日毎に芽吹きけり        松谷栄喜     和菓子店洋菓子増えし古茶新茶      折原ミチ子   藤棚の下で子供等昼ご飯          武田道代    未来図に消えゆく君や朧月         村上さら    じっと待つただひたすらにひなつばめ   三枝美枝子    しゃくなげの大輪咲きし蝶が舞い      高橋 昭    かりそめの平らに和 (な) ぎぬ初燕     大井恒行  次回は、5月22日(金)、兼題は「風薫る」。 ★閑話休題・・佐藤幸子「寄りかかる猫の重さや寝正月」(「図書館俳句ポスト/1月選句結果」)・・  現代俳句協会主催「図書館俳句ポスト」(選者ー太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄)の1月選句結果。題は「悴む」&自由句。愚生の関わっている句会の方々の入選句を以下に挙げておこう。    パーで勝つジャンケンポンの悴む手     西村文子    やれることやりたきことや初御空      井澤勝代    悴む手開く朝刊また戦火          渡辺弘子    撮影・鈴木純一「不知火のあばたえくぼで医者知らず」↑          4 月 8 日   ケーシー高峰   没   (1934 ~ 2019 )

桑原正紀「幾本もの管につながりしろじろと繭ごもる妻よ 羽化するか、せよ。」(『妻へ。千年待たむ』(復刻版」)・・

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  桑原正紀歌集『妻へ。千年待たむ』(笠間書院)、本歌集は、短歌研究社(2007年)刊行の復刻版である。その帯に、荻野アンナは、   介護の歌は、同時にみずみずしい恋歌でもある。  倒れた妻の回復を千年でも待とうとする夫。   不可能な愛を切々と詠った珠玉の歌集。  と記している。また、初版の短歌研究社版の帯文の高野公彦には、   「妻よ、汝 (な) が命この世にとどまれと汝がたましひはいづこさまよふ」  といふ切実な悲しみの歌。  「耳もとで汝が名を呼べどしんとして古 (ふる) 深井戸のごときその耳」  といふ深い怖れを詠んだ歌、激情に走らず、どれも優しさに満ちた歌ばかりである。苦しみの日々を歌ひながら、かへつて周りの人々に対する柔らかい光源となつてゐる。桑原氏の作品群を私は高く評価したい。  とあった。そして、復刻版「あとがき」には、  二〇二四年五月十三日夕刻、力尽きたように妻の心臓は止まった。五十六歳のとき倒れてから十九年余、あと二ヶ月で七十六歳の誕生日を迎えようというところであった。 (中略)  こ の十九年余という時間が長かったのか短かったのか。どうにも不思議な感覚が私の中にある。本稿「はじめに」で書いた通り、その後の新しい記憶はいっさい留めないという症状は結局改善しなかった。そのせいで、彼女との会話はおのずから倒れる前の過去に限定されることになり、いま起こっていることを話題にしても、数分で話がつながらなくなる。また、自分になにが起こり、いまどういう状況におかれているのかという認知力も思考力も回復せず、文字通り〈いま〉という時間の中だけを生きているという状態のままの十九年であった。そんなわけで、仕事帰りに病院に寄って彼女と過ごす数時間は、小さなタイムスリップを日々繰り返しているような感覚だったのだ。私の中を一日流れた時間は無かったことのように、共有できる過去の時間の中に帰ってゆくのである。 (中略)  本書の「まえがき」に記した通り、妻というより同志と呼ぶにふさわしい女性であった彼女のために、もういちどその存在の証を世に印しておいてやりたいという思いもあった。人間を愛し、生徒を愛し、自己犠牲に満ちた教師であった彼女へのオマージュを、版を新たにして捧げたいと思った次第である。  なお、昨二〇二五年秋に出した歌集『麦熟るる頃』にも、折にふれて彼女を詠...

谷口智行「春光や大河をくだる柩舟」(「運河」5月・終刊号)・・

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 「運河]5月・終刊号/第79巻第5号(運河俳句会)、追悼特集に「感謝 茨木和生先生」。茨木和生を語るに渾身の、保存版となる貴重な一冊である。谷口智行「『運河』終刊のこと」には、   「運河」は創刊七十年にわたり、多くの方々に愛され、良き俳縁に恵まれてまいりましたが、本号をもちまして終刊とし、運河俳句会の活動を終えます。全ての会員には、四月上旬、封書にて報告をさせていただいております。 (中略)   しかしかねてより懸念しておりました私自身の健康上の問題が深刻化し、主宰兼編集長という一人二役のままで「運河」誌を継続することは困難と判断しました。 (中略)   この五月を以て「運河俳句会」は活動を閉じます(五月予定の「句集祭」は計画通り実施します) 。   「運河」の最高責任者として、地域医療を担う医師として、疾病をかかえる家庭人として、熟慮に熟慮を重ね、私自身が下した苦渋の決断です。  とあった。ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    炎天の三重より奈良へ歩き出す       山口誓子    遠く聲掛け合ひ鳴子はづしをり       右城暮石      干魚の眼が抜けゐたり熊野灼く       茨木和生    正月三日どろりと島田牙城くる       谷口智行    獅子舞の足の男と酌み交はす        山口素基     含み声なれど確かに鳥の恋         藤勢津子    山里にずらり裃御朝拝          森井美知代    炎の字力にどんどの火よあがれ       水野露草    見映えよき験の杉を神の前         田邉富子    畦道も小笹はびこり指艾 (さしもぐさ)   松村幸代    吉兆の鯛は金貨を咥へたる         広田祝世    雪空に御歳の湯玉はじけたる        髙松早基子    蠟梅やなぞへの先に海光り          堀 瞳子    氷室社へ抜け道のあり日脚伸ぶ        大石久美    鳴る海に鯨の骨を掘り出せる        福田とも子    南草も和生も亡くて七日粥          永田英子   ものの芽や紐でつながる観音像        中村敏之    春菊の小鉢ごめんの置手紙          早川 徹    おかげ晴なり先生の山桜           黄土眠兎    気...

谷川俊水「芭蕉騒ぐ一夜はあいつの夢ばかり」(「俳壇」5月号より)・・

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  「俳壇」5月号(本阿弥書店)、特集は「師系の力」。執筆陣は、総論に今瀬剛一「師は大切」、大井恒行「師系は詩精神」、片山由美子「師弟・師系・流派」、星野高士「世代を超える」、神野紗希「師系というカテゴライズの終焉」。エッセイに千々和惠美子、仲村青彦、谷口愼也、矢作十志夫、武藤紀子、中根美保、飯田晴、鈴木章和、陽美保子。なかでは神野紗希は、   一九九九年の夏、高校一年生だった私は、当時立ち上げられたばかりの俳句甲子園がきっかけで俳句を始めた。以後、明確な師系をもたず結社に入らず書き続けてきた。(中略)  そうして俳句を続けていると、最近の若者は結社に入らない、と折々話題にされたが、逆に結社が入りたい場所たりえているのか、という問いの方が重要だろう。正岡子規だって、師系とは違うところから新たな文脈を作り出したのだし、理想的な場が必ずしも既に在るとは限らない。 (中略)   ふたつめは、急速に進んだインターネットの普及だ。ブログやSNSなどを使えば、個人でも考えを発信し人と繋がれるようになった。誰でもどこでも自由に書いて読めるというのは、まさに革命である。メディアが変わるとき、思考構造も変わる。 (中略)   本来、私たちの関係性は、師系で割り切れないほどに複雑で多様に絡み合っているはずだ。であるならば、師系の明記で俳人をカテゴライズ/ラベリングするという大雑把で不完全な認識の仕方は、そろそろ終わらせてもよいのではないだろうか。     他に、新連載で正津勉「谷川俊太郎俳句嬉遊」第2回。その中に、 (前略)  事果ててすっぽんぽんの嚏かな   一九九六・一二  これの評釈として、余白句会の世話係・井川博年(号・騒々子)の句会報告記、これが大笑いもの。  「こんなもの誰が点入れるのか、に騒々子、敢然として地を入れる。これがいいのです。 騒々子、今回の選のコンセプトはグロテスクと馬鹿笑いである。……「事果てて」が凄い。他に言いようがないのかねぇー。虚脱している男の間抜け面が目に見えるようで、これは他に言いようがない。川柳に破礼句の分野あり、男女間の性愛を詠む。ここでも近世以降は傑作なし。やはり江戸期の「風流末摘花」などでその手のものは尽きています。この句などはだから新しい。俊水、字余り句は作るは、自由律句を作るは、バレ句は作るは、自由奔放、といえば聞こえはいいが、要はムチ...

甲斐由起子「永眠の前の熟睡や水温む」(現代俳句文庫『甲斐由起子句集』より)・・

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   現代俳句文庫Ⅱー6『甲斐由起子句集』(ふらんす堂)、帯に、     かなかなやしづかに時の醸さるる  ●収録作品/句集『春の潮』抄/『雪華』抄/『耳澄ます』抄  ●エッセイ/楸邨のシルクロード  ●解説/有馬朗人/藺草慶子/仁平 勝  ●季語別索引付  とある。仁平勝の解説「取合せの『上手』」の中に、 (前略)  雪舞ふも止みしも知らず大晦日     ひぐらしの翅も掃き寄せ野分あと  それぞれ「雪」と「大晦日」、「ひぐらし」と「野分」の取合せである。どちらも季重なりだが、二つの季語をつなぐ取りはやしの妙によって、大晦日なり野分後の情景がリアルに表現されている。  とりわけ一句目の〈舞ふも止みしも知らず〉は、取りはやしとして秀逸である。大晦日の多忙さだけでなく、年が明けて雪に気づいた元日の清々しい気分が伝わってくる。  いいかえれば、俳句の場面を切り取るのが巧いということだ。 (中略)     色鳥の散らせる羽根を栞とす  「色鳥」をこう詠むか。なかばフィクションという気もするが、そういう〈栞〉を想像すると、つい納得させられてしまう。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。       悼 井本農一先生   残されしもの時雨の話など少し        由起子    大花野叱られたくて牛後る   花の色移れる骨や雪あかり   諸子焼く火のうつくしき淡海かな   秋の水河童も雲も棲まはせて   夢醒めてなほ夢の世や西行忌   末法の空よりふくら雀かな   燃えのこる葦に息ある末黒かな   冬帽子新品にして形見なる   白鳥の頸愛し合ひ憎み合ひ   日と月と同じ空なる余寒かな   亡き母へ供へし桃を父に剥き   樹々芽吹く気配に生きてゐる父よ   死者よりもわが手冷たし春暁   涸川のわが身をとほる音すなり   白雲のつづきにひらき朴の花  甲斐由起子(かい・ゆきこ) 1964年、神奈川県生まれ。     撮影・芽夢野うのき「ひとまずのほほづえ午後の春深し」↑