山田耕司「早苗植う顔なき影の顔に植う」(「円錐」第110号)・・
「円錐」第110号(編集委員 山田耕司/今泉康弘)、特集は「第十回円錐新鋭作品賞受賞者新作」。特別寄稿に大塚凱「書評『澤好摩俳句集成』/最後の墓守」、池田瑠那「円錐110号の作品を読む/触覚・視覚・聴覚・痛覚」。評論に今泉康弘「神戸、流れてどうなるの 第4回ー西東三鬼・『神戸』・『冬の桃』」、その他に、山田耕司「土佐・佐川町訪問記(二〇二六年)/西へ西へ」、今泉康弘「ガザの見える映画館/パレスチナ・イスラエルについての近年の映画と本から考える」等。「ガザの見える映画館」の中に、 (前略)イ スラエルに襲撃される惨状を、ガザの内側からの報告・映像によって見せるドキュメンタリー映画がある。『手に魂を込め、歩いてみれば』(監督セピデ・ファルシ、二〇二五、フランス・パレスチナ・イラン)だ。ファルシ監督はイランからフランスに亡命した人物。彼女はガザの実情を知りたいと希望し、ガザへ向かう。だが、ガザは封鎖されている。そこでガザに住むジャーナリストで写真家のファトマ・ハッス—ナと携帯電話(スマートフォン)を使ってお互いの顔を見ながら会話をやり取りしてゆく。その映像を中心にまとめたのが本作である。監督の年齢は不詳だが、六十代くらいだろうか。ファトマはこのとき二十四歳。母と娘のような年齢差の女性二人が会話を重ねてゆく。その背景としてのガザはイスラエルにより封鎖と攻撃に曝され、緊張と不安との真っ只中だ。監督はファトマの携帯電話からの報告を通してガザの様子を知る。ファトマは生まれてから、ガザの外に出たことがない。(中略) またファトマは爆撃の音を録音している。監督はその音を劇中で大きく流す。その時、映画の画面 (スクリーン) は真っ黒になり、劇場内は闇に包まれる。そうして、劇場の優れた音響装置で爆音を聞くと、観客であるこちらもまた、空爆の中にいるような気持がする。(中略) そして、「最後の通話」とテロップに出る。「この映画がカンヌに出品されることになった。あなたはカンヌに行きたい?」と監督が問う。ファトマは答える、『もちろん行きたい。ただし、ここに戻ってくる。隅々まで破壊されても、ここを離れることはできない」。 そのあと、「ファトマが空爆で死んだ」というテロップ出る。ファトマの一家の住む階だけがイスラエルのミサイルによって攻撃され、ファトマは家族もろとも殺された。イスラ...