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佐々木六戈「封ずるに物皆美しき初氷」(「艸」第21号)・・

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 「艸」第21号(編集・発行 佐々木六戈)、その「跋 note」に、 (前略) もう一冊、前田英樹の『保田與重郎の文学』。これがいけなかった?勢い国学の渦中に身を投じてしまった。本居宣長の『古事記伝』を読まねばならぬ。えい、面倒な、全集を揃えることはなった。加茂真淵、契沖の数冊は積読の山裾にある。鹿持雅澄の『万葉集古義』も安価に入手した。足立卷一の評伝小説『やちまた』は更に渦中に輪をかけた。富士谷御杖という怪物がいるらしい。御杖は「みつえ」と読むらしい。彼の全集が二巻から八巻まで古書肆に出た。一巻と九巻は図書館に取り寄せてもらった。彼の所謂「言霊倒語」説に夢中である。「一は比喩なり。比喩はたとへば、花の散をもて無常を思はせ、松のときはなるをいひて、人のことぶきをさとせる。これ也。二には比喩にあらずして、外へそらす。これ也。たとはば、妹をみまほしといふをば、妹が家をみまほしとよみ、人の贈りものを謝するに、其物の無類なるよしをよむ類也。」とか書いてある。御杖は難攻不落である。それに比べて平田篤胤の分かりやすさ?よ。どっこい、舐め過ぎてはいけない。平田国学は黒船襲来以来の尊王攘夷運動のイデオロギーであり、島崎藤村の父、青山半蔵(小説『夜明け前』の登場名)はこれにいかれて座敷牢で狂死している。木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いている。夜明け前以後の昭和百年であるのだ。 (六)  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう(短歌、詩作品は除いた)。    聴け雪のサンタマリアをさへづれる        佐々木六戈    田楽や衣を返すまじなひも           かとうさき子   駅で待つ北鎌倉の猫柳                佐喜春    老い易く少年のまま鳥の恋           田分人人(字が出ず失礼!)    軋ませて八十年の北開く              花房なお    母と嗅ぎし梅のひほひの淡きかな         日野万紀子    益荒男の股座暗き桜かな              藤原 明    しりとりの又もラ行よ落第生            前澤園子    こつそりと...

河本緑石(ろくせき)「村は水田の夕空となり墓に火を焚く」(「緑石と子供たち」より)・・

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 波田野頌二郎「緑石と子供たち/青田のほとりに風は吹き 合歓の花は咲きつづける」(河本緑石研究会機関誌「ふらここ」第9号より)。 その中に、 (前略) 狂人の家に狂人居らず茶碗が白し  緑石には社会から疎外された人がどうしても気がかりだった。人権を守る法も意識もない大正の時代であった。その人を社会生活から疎外することも狂人という言い方をすることすらおかしいとしない時代、緑石にはそれは普通のことではなかった。緑石は疎外された人の生活が案じられた。それが白い茶碗に象徴される。こころは近づき、その人の孤独を想い、不在になぜとその安否を問わずにはいられない他者であった。大正六年、若いときの句である。 (中略)     百姓子を失ひなげきつつ土を打つ  緑石は貧しい農家の人が気がかりであった。勿論そこには自分は大きな百姓家の子であることが重くあった。どんな哀しみがあっても農作業は時を待たない。土の中につらい気持ちを黙々打ち込む子を亡くした父親の姿にこころがとまる。それは後の緑石の姿であった。 (中略)     父と子  順子の亡くなった翌年の昭和八年七月、八幡の海で緑石が亡くなった。農学校の水泳訓練中のことであった。同僚の配属将校と町の若者が沖でお溺れているのを救助に出た緑石に突然に心臓麻痺が襲った。溺れた二人は救助されたが、救助に当たった緑石は帰らぬ人となった。緑石三十六歳であった。  昭和八年は、盛岡高等農林学校時代の友人宮澤賢治が十五年前盛岡の駅頭で、「わたしのいのちもあと十五年はあるまい」と寂しそうに緑石に告げたまさにその年であった。賢治は二か月後に亡くなった。 (中略)  緑石の子供たちのその後について簡単に触れておくと、河本家は戦後の農地解放により農地のほとんどを失った。。長男一明は、祖父定吉と力を合わせ、皆を学校へ通わせ妹たちを嫁がせるなど、大黒柱として一家を支えた。二男の輝雄は東京外語大学を卒業。在学中学徒動員で神宮外苑を行進する。戦後通産省に勤務するも肌に合わないと高校の英語教師となる。四十代で亡くなった。三男俊彦は拓殖大学を卒業長命であった。長女の葉子、四男の静夫は倉吉に住み今も健在である。五男の行雄は明治大学を卒業後横浜に住み、平成二十六年に亡くなった。  緑石は子らのことを考える間も暇もなく他界した。子らの成長を見守るこtができなかった。その緑石は今、...

河村悟「木洩れ日に傷つく蟲の悲鳴あり」(「俳句展望」第26号より)・・

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 「俳誌展望」第26号(全国俳誌協会)、巻頭の連載稿に秋尾敏「『俳誌展望』を読む」がある。それには、 (前略) 第二号には、昭和四十八年十月に「俳句文化祭」を開催したとある。会場は東松山市の勤労会館。埼玉大学教授の野間郁史、和光大学教授の佐伯昭市(「檣頭」主宰)が講演し、句会が行われている。   蝉時雨海より碧い切手貼る       岡田水明〈もず〉   裂けそうな空あり日曜画家の秋   竹ノ谷ただし〈紫〉  「俳誌往来」に編集委員の堀井鶏が十二誌を紹介しているが、そのうち今に残るのは大阪の「ひこばえ」のみ、最後に紹介されている「雑草」は昨年十二月に終刊。  とある。また漆拾晶「『書評』前衛俳句再訪/河村悟『弥勒下生』(七月堂 二〇一七年)」には、   寺山修司が青春を過ごし、句作を始めた頃の戦後間もない青森県に生まれた詩人、河村悟は今から二年前の二月二日に亡くなった。一九八四年から詩集を主に著していたが、二〇一七年になって生涯一冊にみとなる句集を残す。その活動は詩作のみに留まらず、写真、ドローイング、書、朗読、舞踏の演出など多岐にわたる。詩歌集の他に土方巽を論じた著書もあり、前衛芸術に深く関わっていた。その前衛性は本句集『弥勒下生)でも顕著に見られる。   悪しき母 なにゆえに肉を産めり   とあり、興味深かったが、作者は二年前に亡くった、とあるが、享年もなく、基本的なプロフィールが記してなかったのは残念だった。愚生には、もう少し手がかりがほしいと思った。ともあれ、以下に本誌より、いくつかの句を挙げておきたい。    描かれし猫にナスカの天高し       小沢真弓    銀河から転がつてくる寒たまご      河村正浩    くすぐりて笑はぬ人や山笑ふ       佐藤文子    右岸から左岸から花吹雪かな       髙田正子   さびしさの蛇で編まれし筏がとほる   鳥居真里子    水仙の香の越前と思ひたし        波切虹洋    地のいろとなる冬耕の暮れ残る      野木桃花    生涯の下戸を通して去年今年       増成栗人    白鳥来なぜ不機嫌な新紙幣       松田ひろむ    秋風が過ぎる帰らぬ人のやうに      武藤紀子    ゆふかぜにたたまれてゐる白芙蓉    村上喜代子    ポインセチア深海となる窓辺かな   ...

高山れおな「さわらびや何を握りて永き日を」(『百題稽古』)・・

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    高山れおな第5句集『百題稽古』(現代短歌社)、栞には,藤原龍一郎「 道場の格子窓から 」、瀬戸夏子「 恋のほかに俳句なし 」、高山れおな「我が俳句五徳解」、「霧中問答(聞き手・花野曲)」。その藤原龍一郎は、   高山れおなは、言葉に対する超絶技巧の持ち主である。彼がその技量を十全に駆使して、俳句という詩形に真向っていることは、誰でもが気づいていることだろう。そして、作品をまとめる句集のかたちについても、一冊一冊意表を衝いてくる。 (中略)  この句集『百題稽古』の動機と趣向のからくりは、この栞に俳人本人の言葉で解説されている。  もちろん、ここに展開されている稽古は、中位から上位の技法のものに疑いはない。高山れおなの稽古を見られることは短歌、俳句にたずさわる者としては、きわめて興味深く得難い体験だといえる。観客というレベルにまで届かず、道場の格子窓の外から覗いている見物人程度かも知れないが、ともかくも作品に私的感想を述べてみたい。  と記しており、瀬戸夏子は、 (前略) 春雨や既視感 (デジャ・ビュ) のほかに俳句なし  我こそが伝統の保守本流だという名乗りに胸のすく思いがする。意地の悪い、粘り強い、隙のない右派の姿はもうなかなか見つけるこができなくなった。    御代の春ぐるりの闇が歯を鳴らし    昭和百年源氏千年初鏡  自分の命が滅びるときに何をうたうか、ではなくて、この詩型が滅びるときに何をうたうか、そしてこの国が滅びるときに何を最後にうたうか、たしかにそれを恋と呼ぶことは最も美しいひとつの回答である。  と記していた。そして、高山れおなは、 (前略 )「甚・擬・麗・痴・深」とし、我が俳句五徳ということにする。その心は以下の通り。   甚  甚 (こってり) を旨とし(味付けは濃いめに)   擬  古詩に擬 (なぞら) え(本歌取りとアナクロニズム)   麗  麗しきを慕い(姿は美しく)   痴  痴 (おろ) かに遊び(中身は狂っていて)   深  心は深く(深く生きている感じがほしい)  実現しているかどうかはともかく、俳句において庶幾するところと齟齬はしていないはず。 向こう十年くらいは、この路線で行きたいと思う。  とあった。扉に以下の献辞がある。                         藤原顕輔朝臣   家の風吹か...

折原ミチ子「不揃いの切手貼り足す花便り」(第184回「吾亦紅句会」)・・

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   4月25日(金)は、第184回吾亦紅句会(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「桜貝」。以下に一人一句を挙げておこう。    隣組総中流化昭和の日            田村明通    やせ我慢顔に出ている西東忌         齋木和俊    シーラカンス鰭ゆったりと桜貝       折原ミチ子    妖精の宿りそうなる桜貝          吉村自然坊    地球今 (いま) 関税前線花の冷え       松谷栄喜    砂川闘争跡地草萌ゆる            渡邉弘子    亀鳴くや米露の欲に恥じらひて        須崎武尚    君逝くや勿忘草を束にして          西村文子    さくら貝また会いたいよ会いに来て      関根幸子    あっ来てる見上げる先にひなつばめ     三枝美枝子    人いとし桜しずかに咲きにけり       佐々木賢二    姉妹うふふうふふ土筆摘む          牟田英子    自撮りする三人少女に花吹雪         奥村和子    君の手に黙って渡す桜貝           村上さら    青春の返らぬ日々や桜貝           佐藤幸子    桜貝記憶と共にビンの中           武田道代    戦争はヒトの敗北さくら貝          大井恒行  次回は、5月23日(金)、兼題は「柏餅」。 ★閑話休題・・奥村和子「門松や南極の地に年の神」(「現代俳句協会主催・図書館俳句ポスト」1月選句より)・・  「現代俳句協会主催・図書館俳句ポスト」1月選句(選者は太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄)に吾亦紅句会の三名の方々が入選されている(他の二名の方)。もう一名は、これも愚生が呼ばれている「立川こぶし句会」の方である。立川市高松図書館。紹介しておこう。    祖父の杖夫が持ち行く初大師        佐藤幸子    雪女英語露語修得す            田村明通    煮凝りや今もメニューにコップ酒る     井澤勝代       撮影・芽夢野うのき「曇天の葉桜生きとし生ける岸」↑

高野芳一「囀りや川面をすべる水の声」(第40回「きすげ句会」)・・

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  4月24日(木)は第40回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「馬酔木」。また、今年も、「きすげ句会」代表・杦森松一が手作りの「きすげ句会」第4集を作ってくれていた。  以下に一人一句を挙げておこう。    金平糖の角 (つの) とけており春惜しむ      井上芳子    春風や娘 (こ) の声はずむ二重跳び        高野芳一    石段の鹿の濡れ目や花馬酔木           山川桂子    君待つや花ひとひらに雨の落つ          新宅秀則    筍のゆで汁かおる暗き土間            杦森松一     緊急入院    危機きみに三つきに三たびさくさくら       濱 筆治    水の辺の庇となれり花馬酔木           寺地千穂    風薫る馬酔木の壺に眠る馬           大庭久美子    清明祭亀甲墓にて死者と呑む           井谷泰彦    トランプはゲームの中で踊りおり         清水正之   山藤の紫まとふ風の大木            久保田和代    はにかみて葉桜や鳴るピアノ           大井恒行         撮影・鈴木純一「時おそし                 ひとみのなかの虹のをちこち」↑

小川桂「沈む術知らぬ椿が流される」(『アンドロメダの咀嚼音』)・・

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  小川桂句集『アンドロメダの咀嚼音』(ジャプラン)、帯の惹句に、      葉牡丹にアンドロメダの咀嚼音  なんという詩想の深さだろう/なんという詩語の豊かさだろう  ここに萌芽しているのは/私たちのまだ知らぬ  詩界の新しい構造である  とある。著者「あとがき」には、  しばらく休眠状態だった俳句を、又は始めるきっかけになったのは、コロナの流行でした。外出がままらなくなり、家でできること何かあればと思い、ふと浮かんだのが俳句でした。すぐ「現代俳句協会」に復帰させていただき、同時に以前お世話になっていた鹿児島県にある「形象」の高岡先生のお許しを得て、こちらも復帰させていただきました。  このたび高岡先生から句集のお話をいただき、考えてもみなかったことでしたので驚きました。しかし、今年の一月末で八十八歳の「米寿」を迎える私にとっては、これが最初で最後の句集であると考え、先生の御厚意を有り難くお受けすることにいたしました。  とあった。集名に因む句は、    葉牡丹にアンドロメダの咀嚼音        桂  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。    流氷の肉が抜けたる花サラダ   花地図をたたんで母胎にみぞれかな   雲の胎から桐の胎から水の一族   風の透析青虫の血がまぶしい   単色の愛です牡丹きっています   笑って消えたはじめての雪だるま   時計屋が殺されに行く大花野   赫っとひまわり百万本の失語症   秒針が埋められている雪兎   白骨が一番きれいな冬銀河   恍惚の凍蝶月の階段へ   糸車これからきれいな蛇を生む   戦争とトマト煮崩れてゆく残暑   夏盛ん只今森は肉食中   鳥けものみんな濡らして月の罠   極刑かさくら一気に登り詰め   まんじゅしゃげ火刑の先に海を見る   パイプオルガン馬青々と壁に垂れ 小川桂(おがわ・かつら) 1937年、札幌市生まれ。 ★閑話休題・・50周年記念・無の会陶芸展ー花と食器をテーマにー(於:富士見市文化会館 キラリ☆ふじみ)~4月25日・金まで)・・                野村東央留作 「想」↑                              野村東央留氏(右)と↑  4月23日(水)一日雨となったが、「門」同人の野村東央留氏の「50周年記念・無の会陶...