高柳蕗子「泳ぎまわれ星空シナプス光らせて 短歌の上半身 下半身」(『雑霊のシナプス』)・・
高柳蕗子第5歌集『雑霊のシナプス』(左右社)、栞文は、石川美南「愛の負け戦」、土井礼一郎「雑霊という霊はない?」。その石川美南は、 高柳蕗子さんの短歌について語るのは難しい。一首の解釈が難しいという意味では。歌人には、自分が短歌という型を用いて何を書いているのかはっきり自覚している人と、よくわからないまま書いている人がいるが、高柳さんは明らかに前者タイプの天才で、しかも、評論もめっぽう面白い。高柳さんについて高柳さん以上にうまく語れる人などいないんじゃないか、と思ってしまうのだ。 (中略) 前世はカタツムリいまトルネード ママ吹き荒れるまんなかに家 失踪ママ消滅パパは楽隊にされてて隣の街までは来る とんとんとんふるさとですか 違います 夢にそぼふるチンダル現象 初期から現在まで繰り返し出てくるモチーフにパパ・ママや家(と、その喪失)があり、 『雑霊のシナプス』においては「未来の福耳」の章に多く登場している。「失踪ママ消滅パパ」の欠落感と、「星空のシナプス」の章に見られる「入れ替え可能な生の肯定」という姿勢は、おそらく深いところで関係しているだろう。 と記している。また、著者自身による「解題 雑霊のシナプス」には、 あるときのこと、雑誌に送る短歌一連のタイトルとして雑詠」と入力したら、「雑霊」という文字があらわれた。 雑霊——。「ざつれい」かあ。この言葉をずっと探していた気がした。「雑」は「that’s」を思わせる軽さで、価値の定まらぬものが混じり合っている感じだ。「霊」も、本来の意味の他に「零」に通じる軽さがあるし、音階の「レ」のフレンドリーな響き(個人的な感覚)もある。 ところで、日本神話では、事象が帯びる原始的な霊性を「雑霊 (ぞうりょう) という。——ぞうりょう。おどろおどろしい語感。何かわからないものが増殖する気味悪さ。——それは、“私の雑霊“(なんたって言葉の国から私へのギフトですから)のイメージと合わない。“私の雑霊“は、なんらかの可能性を持つ明るい霊性で、仏教でいう仏性 (ぶっしょう) 、一切衆生悉有仏性 (いっさいしゅじょうしつうぶっしょう) (生きとし生けるものすべて生まれながらに仏になりうる素質をもつ)を生き物以外にまで拡大したようなものだ。 というわけで、しばし「万物には雑霊が宿っ...