池田澄子「ひとりにはひろすぎきさらぎの岸辺」(「現代俳句」2月号)・・
WEB版『現代俳句』2月号(特別公開中・ 〈現俳ウェブ2月〉を検索・ 閲覧可)↑ 「現代俳句」2月号(現代俳句協会)、第50回現代俳句講座「『昭和俳句百年 俳句はどこへ向かうのか』報告」を、杉美春「不易流行と口語表現」と題して記している。それには、 ニ〇ニ五年十一月二十四日(月・祝』 、ゆいの森あらかわ「ゆいの森ホール」にて開催され本講座は、『現代俳句』誌企画の『私が推す「現代俳句」五人五句/協会役員アンケート』の結果を踏まえ、さらに最近の評議員対象アンケート「三人三句選」(回答一〇九人)の結果を報告しつつ、俳句の現在地と未来を考えようという問題意識の下、活発な意見交換が行われた。 【第一部】 「現代俳句とは何なのか?見えてきた昭和俳句、見えなかった昭和俳句」をテーマに、柳生正名氏、筑紫磐井氏、神野紗希氏がそれぞれ見解を述べた。 (中略) 【第二部】 休憩を挟み、シンポジウムでは「俳句の将来はどなうなるのか?~口語俳句。AI俳句、この先二十年を考えてみる」をテーマに活発な論議が展開した。筑紫氏は戦前の口語俳句の例として、富安風生の〈街の雨鴬餅がもう出たか〉(「ホトトギス」昭和十二年六月号)と島田摩耶子の〈月見草開くところを見なかつた〉(「ホトトギス」昭和二十八年)の句を挙げた。どちらも虚子の句会に出され、虚子からとにかく面白い、自然にできていると誉められたという。いずれにしてれも口語俳句は新興俳句の専売特許ではなく、花鳥諷詠は独自の口語俳句を作り出していた。神野氏の上げた若い作家の口語俳句はホトトギスに近い。 (中略) 渾 煌めく犠 (磐井) 自解: 未来の予測理論として兜太の「俳句造型論」や山頭火の自由律が念頭にある。それにイタリア未来派の動向も興味深い。山口誓子や兜太もその影響を受けている。イタリア未来派は助詞と助動詞は切り捨て名詞と動詞だけで詩はできるとし、詩の型をぶちこわしている。これはAI俳句にはできない仕業だと思う。例句で言えば渾沌には沌がいらない、犠牲には牲もいらない。どんどん削ぎ落して残るものだけでイメージを作る、。これが未来の俳句だ。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を以下に挙げておこう。 良夜かな独りになりに夫が逝く 渋川京子 命 (いのち) とは睡 (ねむ) るものか...