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森和子「ひとりごときいてくれるかふゆりんご」(TAMA市民塾「現代俳句入門講座」第5回)・・

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  2月9日(月)は、TAMA市民塾「現代俳句入門講座」第5回(於:多摩交流センター)だった。宿題は「ひらかなで作る俳句」。俳人紹介は三橋敏雄。以下に一人一句を挙げておこう。    せいしゅんはえでんのひがしけせらせら    佐藤三千男    かぜにきくとらんぺっとのしらべつぐない   早川ひろ美    はるはやてれいれいしゃおしゃおさささわわ   石原美代    しんしんとおとなきしろさつららたれ      中田京子    さいじきにれいくふたつやかんあけき      宮石 修    かいよせにのりててんきんするむすこ      富山 勉    みもざさくたびにとどおりななばんち      吉田久美    ちゅうりっぷつぼみにへいわあたためて     渡辺一枝    むざんやなたみのこころはふわふわと      小川幸子    かなしみはいつしかあわいにじのいろ      中西雅子    こいよこいはるよこいよとまちにけり     小田嶋英子    ここはどこうらしまたろこそだったち      梶木純子    かぶきいろわのいろあわくほんのりと      太田直子    うしろまどはみだすふじのみねましろ      篠木裕子    さわやかなかんきつ「あまくさ」ほしみっつ   花見育子    さむきなかこうばいのいろそらにはえ      村上佳枝    ふゆうららのんびりゆったりのほほんと     田中典子    あおきそらししまいきたりてとしあくる    二郷寿摩子    おおぱんだわれかんせずとささをくう      上阪則子    きんめだいたべほうだいとたびさそう      森 和子    ふゆあおぞらあんそくのないうくらいな     大井恒行    次回、3月9日(月)は早くも最終回。句会前に、各自で、大國魂神社付近を散策して、2句持ち寄り(嘱目吟)。吟行句会です。     撮影・芽夢野うのき「遠近の木に手を振れば雪が舞う」↑

有住洋子「すこしずつ形のちがふ椅子二月」(『夜は九夜 日は十日』)・・

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 有住洋子句集『夜は九夜 日は十日』(ふらんす堂)、「あとがき」に、   この一冊の前半は新句集として、後半は以前の句集からいくつを選んで載せ、ところどころに、やはり以前書いた文の断片を挟んだ。 (中略)   この数年、クロノス(時の長さ)とカイロス(その時)について考えていた。時の流れの中のいつか、どこか、だれかと、山を見ることで、本を読むことで、音楽を聴くことで、野を歩くことで触れるかもしれないのだった。風の日もあった。雲間から日の射すときもあった。この世を旅していると思うときもあった。  とあり、またある章立ての扉の一文には、  橋を渡り、また橋を渡った。渡るとき,前方の建物と建物のあいだに、うす暗い路地が見えた。右を向くと、すこし先に橋が架かっていた。左を向くと、やはり同じように橋があった。                                『陸の東、月の西』より  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集よりいくつかの句を挙げておこう。    風を呑み追儺の門の閉ぢらるる         洋子    春雪の裾野へ来ないかち少女    山椿きしみつつ夜の過ぎゆけり   神輿来てひかりをはじく魚一尾   親族のひとりが怖し蓮の飯   影満つるまで揺曳の冬館   池かとぞ思ふ墓域の木下闇   みちのくのめはじき雲をひもすがら   しはがれしこゑ鶏頭にこゑあらば   花ひらく前のしづけさ水に皺   屋上に人影うごく鳥曇   神々の国に風吹く余り苗   ギヤマンを取り出す影を残し置き   果樹園に靄生れ梨を採りつくす   山椒魚いなづまの夜となりにけり   一面の屋台の裏が枯れてをり   魂祭まへもうしろもけむたかり   いなびかり水中を母歩きをり   有住洋子(ありずみ・ようこ) 1948年、東京生まれ。 ★閑話休題・・スエモリヒデキ(exナマステ楽団)with 吉田悠樹(二胡・マンドリン) (於:阿佐ヶ谷よるのひるね) ライブ・・  2月7日(土)14時45分~阿佐ヶ谷よるのひるね で行われたライブ「スエモリヒデキwith 吉田悠樹」に、久しぶりに出掛けた。よるのひるねの店主、門田克彦は、愚生が、弘英堂書店吉祥寺店に勤めている時に、版元の書肆山田やふらんす堂の営業代行で訪ねて来られていらいの知己だ(30年前?)。現在では、「よるのひるね」...

内村恭子「狐火が種火かどうも寒すぎる」(『多神』)・・

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 内村恭子第二句集『多神(たしん)』(東京四季出版)、跋は、福永法弘「満点の回答」。それには、  内村恭子さんの第二句集『多神』は、第一句集『女神(ヴィーナス)』からおよそ十年を経ての珠玉の作品集である。第一句集の序文で有馬朗人先生は「恭子さんの句には軽妙さ、明るさ、ウイットが溢れて」おり、「その裏側には豊かな詩情と審美眼が働いている」と称え、「対象を見る力を一層深め、第二句集への新しい一歩を踏み出」して欲しいとの大いなる期待で結んだ。 (中略)     万歩忌の冬のポケット膨らませ  「万歩忌」との名付けは、晴雨寒暑を問わず一日一万歩がノルマだった先生へのリスペクトであり、背広やズボンのポケットに何でも押し込んでおられた在りし日のお姿の活写である。 (中略)    夏木立これが森有正のパリ   野を急ぐ夜露に鳥籠を濡らし  吟味された素材とリズム。そして、それらが生み出す独自の美的世界。まさしくこれが、先生の期待に対する満点の回答である。 とあり、また、著者「あとがき」には、 (前略) この十年間は、俳句の師、有馬朗人先生が逝去、父、義父、母を亡くした、そんな時間でもありました。  随分前に、ルーヴェン・カトリック大学のヴァンデワラ先生と有馬先生の対談に立ち会ったことがあります。そこで、ビッグバンの前に何があったと思うか、という問いにヴァンデワラ先生は「神」、有馬先生は「無」「エネルギー」と答えられました。私にはどちらも正解と思えます。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。    神々は山に遊べり春の雷        恭子    まづ鳥の影を映して水温む   灼くる地の国境点線ににて真直ぐ   十三夜別の神ゐる国照らし   臨時休業シェフはけふ兎狩   つちふるや砂曼荼羅に水の色   舟は人乗せ花筏誰を乗する   絵日記に嘘のはじまる夏半ば   鰍釣つげ義春に会ひさうな       有馬朗人先生逝去   師へ手向くならば真つ赤な冬紅葉   カリアティド憂ひ顔なる秋夕焼   汗ぬぐひ寄席もクラウドファンドの世   野を愛すなり盆花は野より   まだ奥のあると言はるる花野かな       内村恭子(うちむら・きょうこ)1965年、東京生まれ。        撮影・鈴木純一「言うて見て聞いて触れ嗅ぐラケット忌」↑

大和まな「満州の話で終はる端居かな」(「円錐」第108号より)・・

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 「円錐」第108号(編集員 山田耕司/今泉康弘)、愚生は、古田秀「恍惚の旅人」とともに大井恒行「優れた俳句は無季も有季もある」を、特別寄稿扱いで、書評『澤好摩俳句集成』を寄稿した。ここでは、「円錐」同人の方の「証言/現代への道ーー大和まな『まぼろしの国に生まれて』(構成/今泉康弘)の部分になるが、紹介したい。  私は昭和十五年(一九四〇年)一月一日、いまの中国の長春 (ちょうしゅん) で生まれました。長春はそのとき、満州国の首都であり、新京 (しんきょう) という名前でした。  親が私に付けてくれた名前は和子 (かずこ) です。「平野和子」。この四文字を並べ換えると「平」「和」「子」になる。「平和の子」。それが私の名前に込めた親の思いです。しかし、私の子ども時代は「平和」どころではありませんでした。 (中略)  父は通信の傍受をしていたことから、様々な情報を入手できたので、敗戦を一ヶ月前から知っていたといいます。ところが、その前に関東軍(満州を支配していた日本の軍隊)は、日本人を置いて、真っ先に逃げてしまいました。 (中略)  父が留守の日のことです。母と私と弟が家で夕飯を食べていると、家のドアをドンドンと叩く音がして、誰かが勝手に押し入ってきました。ソ連兵です。 (中略) 外套を着ていて、背中に機関銃を背負っています。白人の顔ではなく、アジア系だったと思います。私と弟は母の左右に坐っていましたが、母にしがみつきました。母はすぐさま、私と弟に、「早く泣きなさい!泣きなさい!」と言いました。私たちはあまりに怖かったので、何が何だか分からないままに、大声を上げて泣きわめいたのです。母の膝にしがみついて、泣き叫び続けました。ソ連兵は、そにまま私たちを見つめています。しばらくそうしていて、やがて、ソ連兵は、そのまま出て行きました。子どもの頃は、あの兵隊が何をしにきたのか、母がなぜ私たちを泣かせたのか、意味がわかりませんでした。大人になってから、。あのソ連兵は母を犯しにきたのだ、と分かったのです。 (中略)  敗戦から一年後、昭和二十一年九月に、ようやく日本へ引き揚げることが決まりました。 (中略)  佐世保の港に上ると、すぐに頭の上から白い粉をたっぷりかけられました。DDTです。全身真っ白になりました。佐世保の施設で二、三日、過ごしてから、列車にのり鹿沼へ向かいま...

高橋修宏「新玉(あらたま)の/蝦夷穴(えぞあな)/揺(ゆ)らす/魂魄(こんぱく)よ」(「ふらんす堂通信」187より)・・

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 「ふらんす堂通信」187(ふらんす堂)、特集は「受賞特集」で、第27回小野十三郎賞「詩評論部門」受賞の高橋修宏著『暗闇の眼玉―-鈴木六林男を巡る』。その「受賞のことば」の中に、 (前略) 俳句や詩を含め文芸作品にとって、その作者の〈死後の生〉こそ普遍的な課題と呼べるものではないでしょうか。少しでも、そのことに寄与できたならば望外の喜びです。  とあり、受賞記念特別寄稿の「〈死後の生のために」には、   「如何に有名な俳人であったとしても、その死後に作品が読まれなくなってしまったら、もう一度死んでしまう……」。俳句初学の頃に、ふと出会った印象的な言葉である。 (中略)   六林男を戦争俳句という範疇において、その評価を定説化しようとすると、はみ出してしまうものがある。あるいは、戦後の社会性俳句という状況において捉え返そうとすると、やはり違和感の方が優ってしまう。そんな六林男評価に付きまとう〈余剰〉や〈異和〉を、彼自身の句作行為の単独性として取り出してみること、そして、〈戦後俳句〉と呼ばれるひとつの可能性の中心として考えてみることが、本書全体を通底するテーマであった。 (中略)  六林男俳句の〈死後の生〉。あの有名な戦場俳句でも、また、戦後の社会性俳句においても、たえず単独者として格闘し、文学としての句作行為を重ねてきた鈴木六林男ーー。その軌跡は、渾沌とした現代俳句にとって、いまもなお立ち返るべき示標のひとつだという確信を、漸く手にすることができた。  とあった。ともあれ、本誌中より、いくつかの句を挙げておこう。    月代 (つきしろ) の    一湾( いちわん )を      蒸 (む )す    甑 (こしき) かな             髙橋修宏    龍の玉よくまあ人の逝くことよ       池田澄子    座布団のうすきが椅子に暦売        山口昭男   緊急熊出現情報有線より          小澤 實    あまのがは脛を過ぎつつ水となる      澤 好摩    光陰のなだれ落ちたるさくらかな      藺草慶子    冬銀河よりアザラシの零れ落つ       金子 敦       撮影・中西ひろ美「火よ点くな風除山はまだ眠り」↑

服部清子「ウクレレノゲンヲヒクユビユメハワイ」(立川市シルバー大学「俳句講座」第6回)・・

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  2月4日(水)は、立川市シルバー大学「俳句講座」第6回(立川市曙福祉会館)だった。  宿題は、「カタカナだけで句を作る」「カタカナと漢字混じりで句を作る」だった。以下に1人1句を挙げておこう。    トランプのカードキルノハイツモアメリカ    樺島美知子    ワレバタバタケチケチガツガツフクジュソウ   荒井美智子    ダンロマエキンキンビールイッキノミ       加藤由美    吉方 (キッポウ) ニ大キナ口デ恵方巻       服部清子    ミミスマシスイキンクツノヒビキアリ       平田國子    ノキノシタツララキラキラアサヒアビ       永澤直子    トオキヒニハハとノゾイタカマドノヒ       由井幸男    クウキカラカラハダパサパサ           澁谷眞弓    鳥ヨ花ヨモノクロ写真二母ト姉          大井恒行  次回、3月4日(水)は、会場近くにある公園を散策しての吟行句会。 ★来る4月25日(土)午後1時~「俳人『九条の会』新緑のつどい」(於:林野会館)・・   来る4月25日(土)午後1時から、林野会館に於て、「俳人『九条の会』新緑の集い」が開催される。 ◎講演  栗原淑江「被爆者たちの運動と日本国憲法」     永田浩三「今こそ平和を求めて・俳句は原爆と戦争をどう描いてきたか」 ◎参加費  1000円(当日受付) ◎会場  林野会館(丸の内線 茗荷谷駅から徒歩7分 ◎主催 「俳人『九条の会』」 TEL&FAX 03-3909-1228   *俳人九条の会呼びかけ人   青木千秋・安西篤・飯田史朗・池田澄子・石寒太・石田三省・故遠藤若狭男・大井恒行・故大牧広・小沢真弓・柿本多映・故金子兜太・日下部正治・衣川次郎・敷地あきら・高野ムツオ・田中陽・故辻桃子・津田正之・寺井谷子・仲寒蟬・鳴戸奈菜・復本一郎・堀田季何・故松澤昭・松田ひろむ・諸角せつ子・山本つぼみ 鈴木純一「右下のQRコードに触れてから求愛行動すぐに始めた」↑

廣澤田を「少しずつ春の時間に合わせおり」(『知らない道』)・・

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 廣澤田を第一句集『知らない道』(コールサック社)、解説は、鈴木光影「思索する静かな身体」、高澤晶子「朴の花咲く道」.高澤晶子は、  (前略)  幾たびもわが道狂う朴の花  廣澤田をが歩んできた道は決して平坦な道ではなかった。難局に出会うたびに、田をは自身の存在の原点に立ち還り、しなやかな強靭さと自らを養ってきた智慧と勇気で、困難を乗り越えてきた。そしてその途上にあっても、田をの涼やかな眼が希求していたのは未来への新しい道であった。       田をは紫色がよく似合う人である。紫色の黄昏の空に毅然として静かに佇む九弁の朴の花。その天を指し芳香を放つ黄白色の花は、田をの再生の道を常に照らし続けてきた導きの花である。  と記す。また、著者「あとがき」には、  人 はみな知らない道を歩んでいます。時にはそれは不安でもありますが、未知であるということは可能性や希望があるということです。句集には、一九九五年から二〇〇五年(四五歳から七四歳)までの三十年間に道の途中で見た風景や出会った人々、自らのこころの揺らぎなどを詠んだニ八四句を収めました。 (中略)  俳句を学ぶ中でそれまで培ってきたわたしの俳句の概念を一変させる句との出合いがあり、それは鈴木六林男の〈遺品あり岩波文庫『阿部一族』〉でした。「これが俳句?まるで一編の小説だ」と衝撃を受け、以来「俳句とは何だろう」という大きな問いは今日まで続いています。 (中略)   そんなわたしを句友たちは見守ってくださり、お陰で俳句を続けることができ、今があります。尚、俳号「田を」は病後から用い、老子の「タオ」に由来します。  とあった。因みに、集名に因む句は、    ここもまた知らない道や春の地図      田を  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。      ニ〇〇四年十二月    冬銀河俳の灯を手に六林男逝く   原子炉と○瑰 (はまなす)闇を一つとす  (註:○字が出ず)    俗名の半身なれど花衣   夏痩せのこの国のででっぽう   海市 (かいし) 消え君行くという明日来たる   唇に愛のリトマス万愚節   梅雨深し赤ペン長き父の本   白守宮 (やもり) ジュラ紀の匂うこともあり       夫バイパス手術   名を呼べば応えるいのち秋深む   つくしんぼ明日はもっとつくし...