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柴田獨鬼「連れ歩く月日重たし夕もみぢ」(『ままのまま』)・・

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  柴田獨鬼第二句集『ままのまま』(東京四季出版)、序詩・序句・結句、跋に相当する「獨鬼俳句を読む」には、冨士真奈美「ドッキリ叙情派」、原満三寿「残日のままのまま」、関根順子「獨鬼俳句における『生の在りよう』」、月犬「〈死と再生〉生の悲しみと切なさ」、皆川燈「『ほたる』と『にんげん』の往還物語」。著者自身による序詩は、   うぶすなは/ほたるの郷よ/ちちははの/愛しき人の/もろびとの/こぞりて来たる  ああ ほたる/われもまた/いつかほたるの/灯とならむ   序句は、   初日記起承転転書き始む           獨鬼 結句は、    年を越す起承転転獨鬼の忌      とあった。愛情あふれる冨士真奈美の御文には、  (前略) 柴田さまの御作は語彙も豊富で、叙情に充ちていて、確実に読む人を魅了する力をお持ちだと思います。生と死、父と母、喋々と蛍など、今度の御句集ではテーマが絞られていて、表現なさる叙情の世界は、あまり広くないようにも思われました。ですから真正長嶋主義者のいわば明快好きな私なんぞは、三百余句を拝読するうち、もっと違った型で提出していただければ柴田さまのの世界がぐんと広がる、という願望を持ったりもいたしました。  例えば、私が御句集の中で思わず笑い出し、これいいじゃん!と思った御句は、   懐かしき幽霊もゐて踊りの輪   俳句らしいおかしみと考えれば、奥深さを感じられもし、愉快です。   にんげんのままで迎へる初あかね  と年を迎えて、   年逝くやなほにんげんのままのまま  ときては、あまり目出度くない。一句くらい、一茶みたいに、正月の子供になってみたきかな、と呟いてもいいんじゃないでしょうか。ままのまま、と可愛い感じの言葉。子供のままのまま、と響きもいい。 (中略)   おもかげは白き貌して秋の色   たましひのかそけき影や冬の蝶  美しい「おもかげ」や「たましひ」を脱皮してこの一句。   枯木立百樹の中の一樹われ  いいですね。私もまた、枯木立群の一樹です。枯木が生意気なことばかり申し上げて、お許し下されたく。   とあり、著者「あとがき」には、  現代詩から出発した文学遍歴のせいか、表面的現象や事象を捉えただけの俳句に関心を持てず、客観写生や花鳥諷詠から早々に離脱し、内面観想の果ての虚実皮膜の夢を自分の俳句としてきました。  わが半生のなかで多...

各務麗至「それは駄目オノコロ島の磯巾着」(「詭激時代つうしん」29」)・・

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 「詭激時代つうしん」29(詭激時代社)、その「覚書にかえて……」に、  何を思い立ってか……、で、「忘れたらダメよ」との声が聞えそうで、絶版作品集の編集発刊の足跡を、奥付と記憶から改めてここに記録することにした。麻生知子等の創刊(昭和四十八年)した同人誌「白翔」があったが、その七年前からの個人活動だった。 (中略)  扨、個人誌の始まりは昭和四十一年で、令和八年の今年「詭激時代」は創刊六十周年になるという事らしい。書き上げたと思えた「粥盗人」はその三年前だが、そんな始まりの頃の、麻生知子に、今号久しぶりに巻頭に登壇して貰った。詩集「つうのための断章」は、夭折の志都一人と同じように当時当界に激震を呼んだ。私にとっては当然で、 定本や文庫の発行月日八月十二日は、麻生知子の命日で……、私には何の記念すべき褒章名誉もないが、それこそ麻生知子だけでない、第三次詭激時代「戞戞」百六十五号は妻の追悼号、通巻二百九号のその後「詭激時代つうしん」になったが、 それこそ出会って教えられての師友あまた……、無論家内もで「そんな縁あればこそが勉強で何がしかの感謝が成果で、それで、随分十分だよ」と笑ってくれているかも知れない。  とあり、その巻頭、麻生知子「『つうのための断章』から」には、 識る/あたしは鳥だったからひとのかたち借りた/ひととして生まれていたら あたしは鳥になれたか 腕をのばし指先をそりおえて羽撃き翔べたか ゆきの曠野でたおやかに舞えたか しろさを超えいろのない世界で 爪先だってくるりとまわり 透けてくるおもぃこめて舞えたろうか 霏霏とふる音のない闇にうずくまり 与ひょうとひとこえたかく呼べたか あたしのしろさに降りつむゆきをかなしいと見たか そしてなによりもおまえだけのためにこのいのち紡ぎこのいのち織れただろうか /凍てついた指で血のにじむ羽毛を織りこみ /なおもしろい布である いちまいのいのちを とあった。以下は、各務麗至の句作品から、幾つかを挙げておこう。    しやらくせいどつこい春が通ります      *とはいへ永遠夢幻    万緑や何かきこへてくるやうな    *生き方を見せられ見せて    見上げれば妻よまう空がある   秋桜に風こそよけれ風そよけれ   AIに警鐘乱打せ核の地久   落ちてきて蟬それつきりこれつきり    *さて どう生きる    生...

大井恒行「白鷗の一巨花二十五周年」(「鷗座」8月号・第478号)・・

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 「鷗座」8月号・第478号(鷗座俳句会)、巻頭は松田ひろむ「千日千句抄ーバンクシー」、    夏草や瓦礫ながらにバンクシー       松田ひろむ  松田ひろむ「鷗座二十五周年を迎えて」には、  「鷗座」はこの八月で、創刊二十五周年、通巻四七八号となった。「鷗座」の創刊は二〇〇一年八月であるが、その前に鴎の会があった。  鴎の会は、一九八二年、板橋区で松田ひろむを中心に数人の句会として発足。一九八四年四月にはその「会報」が創刊されている。その後、古沢太穂先生のご逝去のあと、「鷗座」として創刊されたものである。 「鷗座」は、「創刊のことば」にあるように「平明清新、抒情、生活感覚」「自在な発想と自由で多彩な作品」を目指してきた。 (中略)  創刊二十五周年を経て、私もこの八月二十五日で八十八歳となる。同人、会員も八十代が増えてきたものの、ようやく実務の多くは六十代以下の仲間が担うようになってきた。人生百年時代、私の気力、体力がどこまでつづくかわからないものの、百歳現役を目指したいと思っている。  世界も日本も、けっして明るい現実ではないもの、そのなかで生き続ける俳句の力を信じたい。明日に向かって、この二十五周年を跳躍台にしたいものである。  とあった。ともあれ、「鷗座創刊二十五周年 近作三句」からと本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    大樹あり即ち次々小鳥来る          池田澄子    朝日昇る海翔びくるや太穂の鷗        大井恒行    ことだまよ鷗の羽根の白涼し         神野紗希    鮮やかな現世つぎつぎ滴りに        佐怒賀正美    どろどろと黒南風夜の雨戸うつ        中村和弘    敗戦日それからずつと敗戦日         堀田季何    妻といふ名の悪友と寝待月          木村晋介    歌麿の女の引き目つりしのぶ        白石みずき    しんがりの子よいそぐなよ楸邨忌       古川搭子    羽抜鶏生きるためならエンヤコーラ      宮 沢子    八月来戦争タグを付けたまま         石口 榮    人口減ビールの泡のほとばしる       石口りんご    催促はしたくはないが緋のカンナ       小髙沙羅    覚書交わす傍から紙魚奔る          米原拓土 ...

山田耕司「早苗植う顔なき影の顔に植う」(「円錐」第110号)・・

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 「円錐」第110号(編集委員 山田耕司/今泉康弘)、特集は「第十回円錐新鋭作品賞受賞者新作」。特別寄稿に大塚凱「書評『澤好摩俳句集成』/最後の墓守」、池田瑠那「円錐110号の作品を読む/触覚・視覚・聴覚・痛覚」。評論に今泉康弘「神戸、流れてどうなるの 第4回ー西東三鬼・『神戸』・『冬の桃』」、その他に、山田耕司「土佐・佐川町訪問記(二〇二六年)/西へ西へ」、今泉康弘「ガザの見える映画館/パレスチナ・イスラエルについての近年の映画と本から考える」等。「ガザの見える映画館」の中に、  (前略)イ スラエルに襲撃される惨状を、ガザの内側からの報告・映像によって見せるドキュメンタリー映画がある。『手に魂を込め、歩いてみれば』(監督セピデ・ファルシ、二〇二五、フランス・パレスチナ・イラン)だ。ファルシ監督はイランからフランスに亡命した人物。彼女はガザの実情を知りたいと希望し、ガザへ向かう。だが、ガザは封鎖されている。そこでガザに住むジャーナリストで写真家のファトマ・ハッス—ナと携帯電話(スマートフォン)を使ってお互いの顔を見ながら会話をやり取りしてゆく。その映像を中心にまとめたのが本作である。監督の年齢は不詳だが、六十代くらいだろうか。ファトマはこのとき二十四歳。母と娘のような年齢差の女性二人が会話を重ねてゆく。その背景としてのガザはイスラエルにより封鎖と攻撃に曝され、緊張と不安との真っ只中だ。監督はファトマの携帯電話からの報告を通してガザの様子を知る。ファトマは生まれてから、ガザの外に出たことがない。(中略)  またファトマは爆撃の音を録音している。監督はその音を劇中で大きく流す。その時、映画の画面 (スクリーン) は真っ黒になり、劇場内は闇に包まれる。そうして、劇場の優れた音響装置で爆音を聞くと、観客であるこちらもまた、空爆の中にいるような気持がする。(中略)  そして、「最後の通話」とテロップに出る。「この映画がカンヌに出品されることになった。あなたはカンヌに行きたい?」と監督が問う。ファトマは答える、『もちろん行きたい。ただし、ここに戻ってくる。隅々まで破壊されても、ここを離れることはできない」。  そのあと、「ファトマが空爆で死んだ」というテロップ出る。ファトマの一家の住む階だけがイスラエルのミサイルによって攻撃され、ファトマは家族もろとも殺された。イスラ...

林桂「夕風(ゆふかぜ)を得(え)て草笛(くさぶえ)の響(ひび)きけり」(「イリプス」Ⅲrd 16・通巻72号)・・

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 「イリプス」Ⅲrd 16・通巻72号(冨岡書房)、その「あとがき」に、 ■本誌は一九九年、俳人の出口善子さんの肝入りで私の個人編集でスタート。二〇〇七年18号で終刊。以後同人制に移行。松尾省三君を編集者に、以来年二回から現在は季刊体制に、同人も全国にまたがり、順調に推移して今日に至った。通巻はこの当初に拠る。何よりも互いの個性を一義として、あくまでも個の集合における表現の場としてこれからも精進していきたい。                                                                (倉橋健一)  とあった。「豈」同人でもある冨岡和秀が「 無と無限の美術館 」を寄稿している。長文なので、ほんの少しばかりになるが、以下に紹介しておきたい。  〈私〉は《箱》である。男でも女でもない。単なる青い《箱》である。基本的には正六面体を大きくしたり小さくしたり、楕円球になり、完全に丸い円球にもなれる。丸いままで大きくなれるし、小さくにもなれる。また、三角錐つまり四面体にもなれる。そのような柔軟な《箱》である。それが〈私〉である。そして、他者を求めて柔軟な《箱》は《無と無限》の美術館に展示されに行く。そこで常設展示されるのだ。展示場で美術品の〈私〉は話すことができる。独り言を言ったり、観覧者と話すことも可能である。観覧者は美術愛好家であり、美の目利きである美の専門家である。美学者も観に来る。『美とは何か』を専門家や美学者は教えてくれる。実際に絵を描く画家も観覧者である。そのうちでもとくに画家が〈私〉を凝視する。《箱》の〈私〉が話のを聴く。画家は《箱》のなかに人工知能があり、話しているのだと思っている。 (中略)   犬狼は答え始めるが、その際に耳を立ててグッと伸ばす。電波塔のように長く耳を伸ばすと、その耳の長さは三メートルにもなる。まるで宇宙からの見えない波動を受信し発信もするアンテナのようである。    「〈僕〉には身体がありますが、主人の〈アピロクティ〉は《箱》であり、、身体とは言えません。しかし《箱》は《箱》なりの審美眼があり、《箱》であるにもかかわらず、丸い球体にも成り、大きくもなり、小さくもなります。場合によってはこの美術館よりも大きな《箱》になれます。つまり美術館を呑み込んでもっと...

多田孝枝「心音のしづかに激し天の川」(『心音』)・・

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  多田孝枝句集『心音』(花乱社)、序文は筑紫磐井「心音は永遠に」。その中に、  「ばあこうど」、多田薫さん、さらに福岡の広い文化人ネットワークとの私との関係はすべて孝枝さんを通じてであった。その一方で、孝枝さんが持つ福岡以外の広いネットワークは私の俳句のネットワークとかなり重なっていた。私が東京周辺の友人と、全く知らないだろうと思って偶然孝枝さんのことを語ると多くの人が知っていて驚くことがしばしばあった。私の知己でこういう人はほとんど例がないと言ってよかった。 (中略)  しかし、「ばあこおど」10号(二〇〇九年四月)以降は活動が休止する。孝枝さんの体調がよくなかったこと、特に代表である谷口氏の逝去が大きな原因だろう。かくして新たな代表に薫さんが就任し、二〇一五年二月、装いを改めて、俳誌「六分儀」を創刊(ばあこおど」を解題・通巻11号)とする。こうして新たな歩みが進もうとしていた折、二〇一八年十一月十五日、薫さんは永眠されてしまった。 (中略)   これほど仲の良い夫婦も珍しかった。第一句集は、二〇〇〇年六月、薫句集『草笛』・孝枝句集『道草』の二冊函入りであるが、二〇〇〇年一月、くもい膜下出血で倒れた薫さんの生還を祝っての刊行である。これを機に、孝枝さんは勤務をやめて夫婦水入らずの生活に入った。夫婦ともどもに人生の区切りを付けたいという思いがあったのでろう。二〇〇六年十二月医にも薫句集『蜻蛉』、孝枝句集『秋桜』を出しているが、これは薫さんの退職に併せての刊行であった。終活にむけての整理のような気がする。そして二〇一九年二月、遺句集『谺せよ』刊行、二〇二六年孝枝句集『心音』の刊行。  ただ仲の良いことだけで孝枝さんを語れるものでもない。実は、俳句関係の研究をしている者として「ばあこおど」にもっとも注目する理由は、川端茅舎に関する資料の探索を営々と続けられている点である。 (中略)     心音しづかに激し天の川  「心音止むや十一月十五日」もあり、心音は夫・薫さんの動悸であろう。そこには夫の心臓と同期(シンクロ)する作者の心臓の音もある。素直であるが心象性の高い俳句だと思う。 (中略)   寒晴や夫の言霊谺せり  勲さんの「全山の木の実降らせよ谺せよ」の句による句集名『谺せよ』と唱和する句だ。薫さんの句が山全体に共鳴するような作者の思いだとすれば、そうした夫・薫さん...

沖ななも「石一つ拾いてみたり 石一つ捨ててもみたり 軽くなりたり」(『木陰の思想』)・・

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  沖ななも第11句集『木陰の思想』(角川書店)、その帯には、    何人の人と会ったのだろう何人の人と会えなかったかこの世に生(あ)れて  木陰は光と影のあわい――。  神と仰ぐ木、民と暮らす木、その揺るぎない存在の下に佇み、たどり着いた。  澄みわたる詩想の記録。  とある。著者「あとがき」には、   前の歌集『白湯』『日和』を上梓してからだいぶ時が経ってしまった。。その間に大事な人を多く失っている。〈時〉は残酷でもあるし癒しでもある。(中略)こんどの歌集名はだいぶ大仰なものになってしまった。  樹木が私に与えた影響は思ったより大きかったのかもしれないと思い始めた。  また最近読んだ アラン・コルバン著・小黒昌文訳『木陰の歴史』にも少し刺激されたかもしれない。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を以下に挙げておこう。   あとからあとからあとからあとから落ちてくる水滴を雨とよびかえている  「どこ行くの」「いいとこ床屋の縁の下」遠くなりたる縁の下闇  ある時は断る理由にあるときは割引申請に使う年齢  海に遠し山にも遠く住むゆえに海にも山にも行かず託 (かこ) てる  老いゆけば忘るることを重ねゆく忘れなければ恥ずかしからん  一万年前の穴とて覗き込むキリストも釈迦もおらぬ宇宙に                       (上黒岩岩陰遺跡)  王の字にひとつ輝く雫あり玉の賞象 (かたち) は雫をまとう  わたくしが立てばわが影も立ちあがり坐れば座る 自律せよ影  飼われいし縞馬ついに脱走し密なる自由を味わいて死にき  竜田川に沿って歩けと教えられ沿いて歩くに道離れゆく  酉年はとっちらかす (・・・・・・) と言われつつ散らかしたままの人生である  木も国も組織も地球も人も病む経年劣化は公平に来る  開けんとして開かず閉めんとして閉まらず わが玄関は頑 (かたくな) である  ゆっくりと梅のつぼみの開きゆくこの世の時間 (とき) をすべらせ  彼(か)の岸がにぎやかそうな春三月父逝き母逝き兄も昨年  帰り来て家の明かりをつけてゆくそこここに影を生み出しながら  咲ききれば散るほかはなくはなびらは風吹けば散る風もなく散る     沖ななも(おき・ななも) 1945年茨城生まれ。   ★閑話休題・・志鎌猛展「不易流行」(於:日本...