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原満三寿「落椿 佳き今生と風の客」(『なんの途中』)・・

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 原満三寿第13句集『なんの途中』(私家版Ⅱ) 。表紙の装画は日和崎尊夫(小口木版)。集名に因む句は、    花ひらくなんの途中か悲鳴あげ       満三寿    老 (ろう) たけるなんの途中か盗み食い   であろう。そして、挟み込まれた便り「お手元へ」には、   ボケ防止の散歩の途中で躯が言うことを聞かなくなると、「一寸先は闇」と不意に思ったりします。しかしわが俳諧は、即座に「一寸先は二寸」と興じるのでした。  「なんの途中」の句題もこんな感興のなかから湧きでたものです。  また、。こんな造語もできました。  書斎に隠りっきりでいますと、「書牢」という言葉が泛びあがってきました。さすれば、わたしは書牢のひとり牢名主かと。それで書牢の句が何句もできちゃったのです。    とあった。ともあれ、本集から、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    踏まれざる花野にしばし昼の月   行く鴨を追って無窮へ離れ凧   襤褸バスも土筆もぐんぐん空めざす   少女らのまぶしい修羅やジギタリス   炎天や怒髪の蟻の大あたま   蝉しぐれ何処に置いても老しぐれ   鬼百合も百鬼夜行に加わりぬ   この娑婆を逃れ逃れてアナ ー 鬼 (き) ー   春うらら葷酒書牢に入ることも   生前から老後であったと秋の風   見たような老骸を乗せ花筏   かえり花 婆は不易で爺流行   土手に雲 老いのスキップ即スリップ   野ざらしの夢に野ざらし失笑す   娑婆の手を洗えば春の水におう   マンサクや苦き有情も老いの糧      この道や行く人なしに秋の暮 芭蕉   百代の身から出た錆ついに苔      椋鳥と人に呼ばるる寒さかな 一茶   椋鳥 (むく) きらい椋鳥と呼ばれた一茶すき      鬼の児が生まれた。一から十まで気に入らぬげな産声をあげ 光晴   さびし野や鬼児とだけの隠れんぼ   原満三寿(はら・まさじ) 1940年北海道夕張生まれ。 ★閑話休題・・森澤程「悟朗忌やもの言いたげに立つ微風」(「ちょっと立ちどまって」2026年2月)・・ 「ちょっと立ちどまって」は、津髙里永子と森澤程、お二人の葉書つうしん。もう一人の句を挙げておきたい。   大泣きに泣いて涅槃の土硬し        津髙里永子          撮影・鈴木純一「敵の敵は味方の敵だ高笑い」↑    ...

田辺花「待ち伏せの鬼子母神前春の雪」(『ワイングラス』)・・

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  田辺花第一句集『ワイングラス』(鷗座俳句会)、序は松田ひろむ「序に代えて」。その中に、  (前略) 彼女の句の特徴は、基本的に向日性があることいっていいだろう。  例えば老病死のような、現実であってもマイナスの面には目が向かないで、明るい側面を掬い取る力量はなかなかのものである。  とあり、また、著者「あとがき」には、  ひろむ先生から「句集を出しなさい」「はいお願いします」の即答でした。 「立つより返事」と習った父や母も亡くなり、子どもらも巣立ち、今は犬と猫との同居。返事はしたもののどれから手を付けていいのやら、引っ越しはすでに終え、」言い訳は効かない。  すでにひろむ先生の行動は素早く、てきぱきと指示を出して下さる。  題名も名付け親は先生でした。太穂先生の息子さん(木屋太二氏)が将棋観戦記者で女流棋士観戦に当たって着物柄を表すのに私の句を偶然選ばれたのが題名の「ワイングラス」でした。ご縁は大切に、が私のモットーですからなんともうれしい句集の題名になりました。  とあった。集名に因む句は、          蝋梅やワイングラスの触れては「ソ」     花  である。ともあれ、いかに本集より、愚生好みに偏するが、くつかの句を挙げておこう。    蟬穴の深きところや日本海   朝顔の青は正しくたたまれる   身じろがず退かず木枯一号   げんまんの針千本や犬ふぐり   内灘や太穂先生辣韭食む   「東京水」口にころがす施餓鬼かな   西瓜切るスラムダンクをもう一度   母語母体恋猫は眠れない   寒北斗さくらトラムの鐘二つ   石蕗の花キリンの首はやわらかい   きらきらのネームの迷子盆踊り   青梅の青より青く雨あがる   血管のふくらみに触れ水の冷え   十月の天使の梯子登ろうか   淀みなく散りぬるをわか金木犀   湯豆腐の崩れを掬う胸騒ぎ   三界に家無きなんて灸花  田辺花(たなべ・はな) 1949年、東京生まれ。 ★閑話休題・・大震災以後十五年の今、「東日本大震災句集 わたしの一句」募集!   募集案内を、以下に抜粋しておきたい。  宮城県俳句協会では、東日本大震災の犠牲者を祈り、明日への一歩を刻む礎として、『東日本大震災句集 わたしの一句)をこれまで三度刊行することができました。  今年三月で東日本大震災より十...

早舩煙雨「失笑恐怖ウマヅラハギに消しゴムのカスが降るよ」(「We」第21号)・・

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 「 We」第21号は、第一回We俳句賞発表、大賞は早舩煙雨「点滅」(台湾 1985年生)である。因みに、関悦史選者賞に海音寺ジョー「アマテラス石」(京都府 1971年生)、竹本仰選者賞に加藤ヒロユキ「コスモス」(名古屋市 1998年)、加藤知子選者賞に田中目八「セノーテ」(大阪市 1978年)。選考の選評に関悦史は、  応募総数は13篇と多くはなかった。全体に奇矯ながらそれが作者の内面に収まってしまい新鮮味には繋がっていない作品が多いなかで、ともかく奇襲性において最も優れていると見て私は「点滅」に4点を割り振り、1位とした。  《あなたは 葡萄石 あなたを見たことがない》の二人称「あなた」や、《天井裏を覗く女そのまま花となれよ》の女への命令形などは、自意識に立てこもってそこから攻撃的な言辞を発するかのような表現の狭さとしても出て来うるものだが、句はそういう性質からは微妙に一線を画している。 (中略)  長短さまざまの自由律を含む20句は、必ずしも全てが成功しているとは限らないが、もたついたところはなく、言葉が奇矯で無味乾燥なオブジェになりはててしまう危険と、逆にセンチメンタリズムに陥る危険の間の細道を渡り切ろうとする気息が一貫していた。  と記している。ともあれ、本誌より、いくつかの句を以下に挙げておこう。   桜散る乾いた悲鳴に似ていた         中内亮玄    中国語講座五巡目冬に入る        海音寺ジョー    真鰯の群れ爆散す爆縮す         加藤ヒロユキ     汲めばはや烟る水こそアラベスク       田中目八    茶の花や耕すように一と書く        柏原喜久恵    冬の鷺墨とまなこを腐乱させ         加藤雅臣    幼の目全き冬の蝶宿す            貴田雄介    寝返りに寿衣破るるや花の主         斎藤秀雄    異界とも交わす交信日向ぼこ         島松 岳    北へ汽車父冬耕の野に訛る          竹本 仰   夜学校おわる頃なり月の雨          林よしこ    シロナガスクジラというも火の時間      阪野基道    近すぎる他人のごとく冬の河        松永みよこ    やわらかなバニラ掬って秋の昼       籾田ゆうこ    今はまだこ...

森和子「賽銭に反戦足して春の風」(TAMA塾「現代俳句入門講座ー俳句は過渡の詩ー」第6回・最終回)・・

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  大國魂神社欅並木参道・虚子句碑「秋風や欅のかげに五六人」↑   3月9日(月)は、TAMA塾「現代俳句入門ー俳句は過渡の詩」第6回(最終回)、大國魂神社吟行句会だった。以下に一人一句を挙げておこう。    和紙の人形 (ひとがた) 忽ち融けて水温む    吉田久美     春光や干支の大絵馬子ら走る          田中典子    風の冷たさ小さき春や石の上         早川ひろ美    大鳥居深くお辞儀のべティさん        小田嶋英子    人形を流せる川の水温む            篠木裕子    春めきて献血募る鳥居下           佐藤三千男    幾百の祈願の絵馬に春の風           渡辺一枝    啓蟄や魂 (たま) の大社に日露の碑       宮石 修    過ぎ去ればうららかな春巡り来る        太田直子    大国のけやきのすき間風光る          中田京子    花の香よあまたの絵馬に届けよ願い      二郷寿摩子    悠久の春を経てこそ寿ぎぬ           小川幸子    春色に社の庭も染まりゆく           村上佳枝    地を守り悠々の時御神木            梶木純子    枯れしままの並木の奥に総鎮守         中西雅子    店先に桜の器春うらら             花見育子    青空にのびゆくけやき待てる春         上阪則子   絵 馬並びお祈りせしはちちとはは       大泉由美子     千年の欅の太さ春うらら            森 和子    芽吹くかの欅のそばを消防車          大井恒行   ★閑話休題・・檀一雄(瓦全亭)「子捨てんと思へど青し海の底」(「ポリタリア/檀一雄追悼特集号」より)・・ 「ポリタリア/檀一雄追悼特集号」(白川書院)「瓦全亭」は檀一雄の別号。編集部註に「北斎書に曰く「大丈夫寧可玉砕何能瓦全」とある。また別に、短歌では「奇放亭」の号を使用、こちらは、ドン・キホーテにちなみ、たわむれに檀・奇峯亭。あるいは奇泡亭とも称したとあった。いくつかの句と歌を挙げておこう。    モガリ笛いく夜もがらせ花に逢はん     (絶筆)    堕落天使虚空に星の音ばかり   梟の夢にもたける鬼火哉   花散るやうづもるる...

井口時男「おぼろ夜の花にまぎれてもの狂ひ」(「鬣 TATEGAMI」第98号)・・

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「鬣 TATEGAMI」第98号(鬣の会)、特集は「アンソロジーの俳句史 その2」、「井口時男評論集『近代俳句の初志』、加えて「第24回 鬣 TATEGAMI俳句賞発表」である。今回の受賞は、秋尾敏『子規に至る 十九世紀俳句史再考』(新曜社)と高橋修宏『暗闇の眼玉 鈴木六林男を巡る』(ふらんす堂)。 ここでは、高橋修宏「召喚される〈俳句史〉--『非空非実の大文学』をめぐって」の一部分になるが、紹介しておきたい。 (前略) ところで、子規の「非空非実の大文学」をめぐっては、一九七〇年代の〈俳句史〉において、俳句論の起源のひとつとして俎上に載せた一人の俳人がいた。坪内稔典である。彼は『正岡子規』(一九七六年)、『過渡の詩』(一九七八年)などにおいて、それまでの子規像の更新と俳句の根拠をラディカルに問いなおすなかで、「非空非実の大文学」という子規の初志に、すでに出会っていたのだ。そのなかで坪内が掴み出したのが、「過渡の詩」というコンセプトであった。これについて坪内は、「人の過渡性にこだわりつづけることが、俳句の一切であり、そういうこだわりをジグザクに持続してゆくほかには、俳句を書くことの理由がない(…)俳句は、そのような在り方において、同時代の詩としての位相を持っている」(「過渡の詩」より)と記している。  一方、井口は本書の「あとがき」において、「俳句は『雑の詩』である。ゆえに、対象やテーマを狭く限定してはならない。森羅万象、人事百般、思想観念、喜怒哀楽の一切が俳句の対象。「花鳥」も「社会性」も言葉遊びも述志も、みんな雑の一つに過ぎない。これこそ『俳諧自由』の精神である。」と述べている。  井口時男の「雑の詩」と坪内稔典の「過渡の詩」―—。「非空非実」の大文学」という子規の初志を踏まえ、そして引き継ごうとする、この二つのダイナミズムを内蔵させた俳句理念が出会うとき、「無風」と呼ばれつづける俳句の世界に、想定外の大風が吹くのかもしれない。 とあった。ともあれ、以下に、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。   鉄棒は鉄の仕方で冬ざるる             吉野輪とすん   電柱も影の国とて秋の暮                九里順子   ときめきを禁じるように文庫閉づ            佐藤裕子   喪服の穴黒く塗れよと生身魂              滝澤航一 ...

赤野四羽「いと高き天使めく白菜をむく」(「春の歌よみ展」より)・・

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               3月7日(土)「春の歌よみ展/俳句・川柳・短歌・回文・絵手紙」(於:ギャラリー ステージワンー3月2日~7日)の最終日、それも終了間際、五分前に駆け込んだ。参加者は、  赤野四羽・新井ユミ・荒野晶子・市原千佳子・市原正直・乾佐伎・エディ上枝・おのみん・鎌倉佐弓・木村哲也・黒木洋子・黒澤淳一・小池政光・田島光枝・田島靖浩・高津葆・田中晴久・種村国夫・藤永大一郎・堀明子。  というけで、ゆっくりは観られなかったが、いくつかを見、何人かの方とお会いした。以下にいくつかを紹介しておきたい。    熱燗のよき人肌のある言葉          市原正直    角の先からしっぽの先まで太陽光が歌う牛   夏石番矢    希望とはジャングルジムの中の風       乾 佐伎    大空に請われるままに木の芽吹く       鎌倉佐弓    捨て切れぬ煩悩背負いて山笑ふ        黒澤淳一    酔うも野谷しんじ紳士や飲もうよ       木村哲也    饅頭のどんどん並ぶ年の暮          赤野四羽  ★閑話休題・・チェリー木下「ほらあれが首吊りの木と幼子が闇を指さす終電車両」(『チェリー木下 蔵出し作品集』より)・・   『渦とチェリー新聞別冊/チェリー木下蔵出し作品集』(渦とチェリー新聞)、愚生は先日、国分寺に出たついでに、散歩のつもるで、気まぐれに半世紀も前に何度か訪ねた西武線鷹の台の駅に降りた。線路添いにある近くの喫茶店に入った(店名は失念)。ようするに、ギャリー兼の喫茶店の様子で、展示されているなかに、誰かが俳句らしきものも短冊にして飾られていた。  そこに置かれていた小冊子が,上掲の写真だ。中に、「チェリー木下版猟奇歌」掲載されていた、その中の一首を引用、させていただいた(閑話休題に…)。愚生は紅茶とケーキセットにしたのだった。静かで良い茶店だった。また、いつか寄ってみたい。         撮影・芽夢野うのき「春寒しさざなみさむし夢の岸」↑

高山れおな「梅の闇アメーバ状に我を愛す」(第77回「読売文学賞」贈賞式と祝賀会より)・・

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右から二人目が高山れおな↑   3月6日(金)午後6時から、帝国ホテルに於て、令和7年度・第77回読売文学賞の贈賞式と祝賀会が開催された。受賞者は高山れおな句集『百題稽古』(詩歌俳句賞)、その他の受賞者は柴崎友香『帰れない探偵』(小説賞)、赤堀雅秋『震度3』(戯曲・シナリオ賞)、石川直樹『最後の山』(随筆・紀行賞)、冨原眞弓『トーヴェ・ヤンソン』(評伝・伝記賞)、兵頭裕己『物語伝承論』(研究・翻訳賞)の6部門。選考員講評は高橋睦郎。  因みに、高山れおなの「受賞の言葉」には、   ニ〇ニ三年刊行の拙著『尾崎紅葉の百句』は俳人としての尾崎紅葉に光を当てた、恐らく史上初の単行本です。読売新聞社が文学の賞を主催する前提には、明治二十年代の同紙を舞台にした紅葉らの活躍に始まる歴史があるのであり。このたびの賞を頂戴したことに、大袈裟に言えば天命を感じます。なぜか。紅葉の俳句は、近代の主流をなした子規派の俳句に対するオルタナティヴだったからです。 (中略)    明日 (あす) 城を抜く手いたはる榾火 (ほたび) かな  紅葉  とあった。  ともあれ、『百題稽古』からと合わせて、以下にいくつかの句を引用しよう。    戦艦重信蜃楼 (かひやぐら) から撃つてくる        れおな             「ほりかは」雑二十首、題「海路」より    我が狐火も霜夜は遊べ狐火と             「永久」恋十首、題「忍恋」より    短歌 (うた) は愚痴俳句は馬鹿や躑躅燃ゆ   春雨や既視感 (デジャ・ヴュ) のほかに俳句なし   昭和百年源氏千年初鏡   静聴せよ偽の時雨を憂国忌    高山れおな(たかやま・れおな) 1968年、茨城県日立市生まれ。       撮影・鈴木純一「後戻りできぬ 2 人のひとごろし」↑           アリー・ハーメネイー   2026 年 3 月 1 日没