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久保純夫「籠絡のあとを溶けゆく熟柿かな」(「儒艮」Vol.56)・・

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 「儒艮」Vol.56(編集・発行人:久保純夫)、特集は「久保純夫第16句集『識閾』」、句集評に田中信克「季語に託された感覚と思想の広がり」。鑑賞に古田秀「内なる外」、平木雅巳「『識閾』から」、上森敦代「『識閾』の一句」、項目選句に辻井こうめ、志村宣子、森澤程、亘航希、津髙里永子、依田仁美、土井探花、原知子。「『識閾』を祝う会 スピーチ感想文」(於:大津プリンスホテル・2026年3月7日)に30名弱。その中の土井英一は、  (前略) 久保さんとは中学三年からの付き合いで、もう65年ぐらいになりますね。岡田さんや北野秀生さんとも、付き合いが長いです。久保さんが俳句を始めたきっかけは、私の姉が習っていた数学の先生が、転校先の岬中学校で久保さんに俳句を教えたことだと思います。昨日、久保さんの俳句を調べてみたら、瑠璃薔薇館、水渉記、聖樹、熊野集までが1993年。20年かけて869句しかなかった。そのあと比翼連理、光悦、フォーシーズンズ++。これと光芒という同人雑誌。それと『美しき詩を真ん中の刹那のあるいは永遠』という句集まででだいたい3800句ぐらい作っている。それで儒艮になってから2万句作っているわけですね。この13年の2万句っていうのはすごい。一番新しい「儒艮」54号までで、なんと総計24685句をエクセルに転記しています。俳句は一つも覚えていないんですけれど、入力した言葉はよく覚えてます(笑)。明治天皇は10万首作られたそうですが、久保さんなら目指せるのではないかと。「目指せ!10万句!」ということで、私のスピーチは終ります。   とあった。   ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。    識閾に触れているなり桐の花        久保純夫    稲車後ろはだれも来ぬ夕焼         岡田耕治    鮎迸る手に水光ひらめかせ         土井英一    液晶の記憶をなぞり夕霞          曾根 毅    ゆかりなき人より便り心太         岸本由香    暗闇に次の凪待つ糸蜻蛉          亘 航希    春風の様にささやく大丈夫         志村宣子    鉄骨剥き出し黒南風がやってくる      田中信克    白薔薇に神の在処を尋ねたり        上森敦代    夏座敷ポメラニアンのよく回る ...

加藤知子「あやめるあやめ/あーやめないあやめ/あやめる二人」(『絵と現代俳句/日常と非日常 又はその被膜』より)・・」

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  加藤知子(俳句)・佐藤厚子(植物画)『絵と現代俳句 二人展作品集/日常と非日常又はその被膜』(俳句短歌We社)、巻末の「二人展を終えて」に、   ニ〇二六年三月二一日から四月十二日までの間、カフェギャラリーチムチム(菊池市隈府)にて、「日常と非日常又はその被膜・絵と現代俳句の二人展」と題するコラボ展を開催した。  佐藤厚子さんの描いた植物画二八点に、加藤知子が、それらに符合させる俳句二八点(既刊句集から選んだ二〇点と新作八点)を軸・色紙・短冊に墨書して展示したものである。 (中略) また、初めて出会う来場者と、拙句をきっかけに俳句の話が弾んだことも今までにない貴重な經驗であった。 (中略)   世界は戦火にまみれてはいるが、ご高覧いただいた方々を含め、人の輪に感謝するとともに、今後も精進していこうという決意を新たにした。   とあった。  ともあれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう。    戦いに征かないさくら征くさくら       知子    姫しゃら木肌モディリアーニの首こんな   種熟す宇宙に綺羅野在るごとし   枯蓮のおどる埴輪のようだ月   柚子の実もいだどこまでも空が明るい  加藤知子(かとう・ともこ) 1955年、熊本県菊池市生まれ。  佐藤厚子(さとう・あつこ) 1970年、熊本県菊池市生まれ。 ★閑話休題・・中島悠美子「氷瀑のひかりの分母まで息を」(全国俳誌協会第32回「全国俳句コンクール作品集」より)・・ 全国俳誌協会・第32回「全国俳句コンクール作品集」(全国俳誌協会)、「コンクールを終えて」に、  一千三百句を超えるご応募を頂き、前回にもまして充実したコンクールとなりました。ご投句くださった皆様に、心からお礼申しあげます。(会長・秋尾敏/大会委員長・今野龍二) とあった。以下に、いくつかの句を紹介しておこう。    その場所にその人の居ぬ寒さかな      野口英二(協会賞)    まだ生きて八月の重い吃音         中岡昌太(優秀賞)    ボロ市のまだ売れ残る青い鳥        今野龍二    ファスナーの上がらぬ母の日の背中   長谷川はるか        寒星へおもちやの兵はひとりであつた    上野龍子    巡業の一座に届く寒卵          加那屋こあ    何にでも落してみたき寒卵         白石正人...

いたまき芯「『蛇』といふ間に蛇は隠れけり」(『次の音~音数で引く季寄せ風~』)・・

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 いたまき芯句集『次の音~音数で引く季寄せ風~』(創風社出版)、帯文は坪内稔典、それには、      揚雲雀そこらは土器の出たところ    三月のコアラ尻からずり落ちて  空にとどまって鳴いている雲雀(揚雲雀)、その雲雀の下の大地からは大昔の土器が出た。雲雀はその土器のかけらかも。尻からずり落ちたこあの可愛くておかしいこと!いたまき芯さんの俳句は575の言葉の空間が広くて明るい。そしてなんとも楽しい。 とあり、著者「あとがき」には、  小さい頃、「いただきます」を「いたまきし」と言っていたそうだ。私の俳号「いたまき芯」の由来である。名前を書く時も平仮名を左右・上下に反転する逆さ文字を書いていた。どうも言葉を音や形で感覚的に覚える子だったようだ。  大人になってから印象的な出来事があった時だけ日記のように俳句を詠んだ。「翡翠を初めて見たよ楽寿園」「車窓から『私ここよ』と木蓮が」「輝いて花水木のなか祖母が逝く」「北風が『まる』をお空につれてった」「まる」は犬の名前である。 (中略)  題名は掲載句の中から『次の音』とした。この句集の句は、季語の音数、あいうえお、の順に並べた偏りのある季寄せ風であり、句を探す時や句を作る時に良いのでないかと思う。 (中略)  これからも小さい頃の感覚を大切にしながら『次の音』を詠んでいきたい。  とあった。集名に因む句は、    霜柱わたしが次の音になる        芯  である。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    ちくわ切る春の出口へ先回り            鳥の巣を見ていたバスがいっちゃった   風船やあをぞらみんなコピぺして   遠花火ハーブの弦の切れる音   木洩れ日の滝かと思う夏の杉   米の字にホットケーキを切る月夜   鶏頭を手向ける鳥の墓あたり   椎茸を干すおとといの新聞紙   椋鳥の群れメビウスの輪のように   置き去りの声は消えない秋の暮   朗々と海より大晦日の日の出   さびしさの果てのまぶしさ冬紅葉   ねんてんの芯へ三寒四温かな  いたまき芯(いたまき・しん) 1969年、静岡県焼津市生まれ。       撮影・芽夢野うのき「曇天の夢見ごこちの花ひとつ」↑

湯屋ゆうや「光るものは壊さずにおく蜘蛛の糸」(『平飼卵』)・・

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  湯屋ゆうや句集『平飼卵』(香天文庫)、序文は、岡田耕治「『平飼卵)の誕生」、跋文は井口直子(いーぐる)「『平飼卵』発刊に寄せて」。その岡田耕治は、 (前略) 今日はゆうやさんの新しい句集についての打ち合わせをすりことになっている。同席されたのは夫の小西敏弘さん。二人は紅茶を、私はコーヒーを注文した。 (中略)   提案が終わって、「体調はどうですか?」と聞くと、大阪から滋賀に転居してから、お医者さんが月に二回往診に来てくれ、看護師さんも週に一回看護に来てくれるという。そういえば、大津市に勤務する知人から、ここは地域包括ケアシステムが充実していると聞いたことがある。三年前、大阪の句会でお見かけした時よりも、少し痩せておられる印象だったが、声はお元気で、新しい句集を出すことをたのしんでおられるようだった。  敏広さんは、退職した今、ゆうやさんの治療と近くに住むお父様を見守ることを大切にしておられる。一方で、絵を習い始め、ゆうやさんの句集の表紙や挿絵の素描を担当された。 (中略)   この『平飼卵』に収められた作品を耳を澄まして読めば、いかにゆうやさんが持病と向き合いながら、深い物音を自らの身体の中に響かせようとしているのかを感じ取ることができる。作品一つひとつに、日常の中に潜むリアリティと、それを超えてゆこうとする響きが共存しているのだ。 (中略)   あとがきにもあるように、この句集は、家族と友人に読んでほしいとまとめられたものである。この句を集出版しよちする営みの中には、ゆうやさんが生きてきて、そして俳句と巡り合い、そのことによって自分の感性を澄ましていったこと。これは自分にとって大切な經驗で、そのことにを覚えていて欲しい、共有して欲しいという願いが在る。 (中略)  自らの病や身体と真摯に向き合う時は、誰にも訪れる。その時、こうしてなとめられた『平飼卵』という一巻が、読む者を励ましてくれる。手にした者の命を励ましてくれる。そのような句集の誕生を心から祝いたい。  とあり、跋の井口直子(いーぐる)は、   湯屋ゆうやさんとは四十年来のつきあいになる。大学が同じで勤務先も同じ、さらに七年前からは、私の母が入所していた施設にゆうやさんのご両親も入所されたこともあり、しょっちゅう顔を合わせ、頻繁に連絡をとっていた。そんな時、ゆうやさんが「俳句をやりたいねんけど、教えて...

筑紫磐井「六月や汗衫(かざみ)をぬぎし青女房」(「NHK俳句」6月号より)・・

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「NHK俳句」6月号(NHK出版)、「わたしの第一句集62/筑紫磐井『野干(やかん)』」に、  自 句自解で「筑紫磐井の100句」を書かないかと或る出版社から言われたが、前衛俳句作家にとって自句自解なんて恥ずかしくてできないと答えた。そんな折、高山れおなが昨年から「筑紫磐井の100句」を「翻車魚(まんぼう)で書き始めた。他人がやる分には私も異存はない。 (中略) 『野干』時代は未だ、「沖」で有季定型の伝統俳句を作っていた時期だ。『野干』の自句自解は主義主張に反しないでできそうだ。 (中略)    女狐 (めぎつね) に賜はる位・扇かな    (中略)  私のはじめての王朝俳句。王朝そのものというよりは芥川龍之介の王朝物語のにおいを帯びている。   みちのくに戀 (こい) ゆえ細る滝もがな 発想も表現も我ながらもっとも王朝に相応しいと思っている。切字「もがな」の例句にもしばしば引用される。        (中略)    朝顔に男もすなる眉・歯黒(はぐろ) 伝聞の「すなる」を使いたくてしようがなかった。男女の倒錯する姿がなによりいい。   若き妻を野干 (やかん) と知らでさくら狩 「野干(やかん)」とは仏典に由来し印度・中国では狡猾な野獣。射干とも。日本に伝わってからは狐の異名となる。   とあった。 ★閑話休題・・吉田久美「道訪へば声柔らかし近江梅雨」(第2回「多摩塾句会」)・・  6月8日(月)は第2回「多摩塾句会」(於:府中市市民活動センター・プラッツ)だった。兼題は「梅雨」。以下に一人一句を挙げておこう。    芳一に轟くゲリラ雷雨かな           上阪則子    振り返らず蠢いて蝶となり梅雨空 (そら) へ  早川ひろ美    生ジャズのセッション晴ればれ梅雨晴間     森 和子    土のう積む低きところに梅雨の月        富山 勉    都大路を大の男の日唐傘            吉田久美    木洩れ日を流れに巻き込む奥入瀬よ       花見育子    一服の茶の悦びや初夏の空           小川幸子    雨をつきひびく早朝カッコウの         中西雅子    すっぽんは主 (ぬし) の貌して梅雨静か     篠木裕子    言の葉のつめたい汗はひまわり色        大井恒行     撮影・中西ひろ美「花石榴冷やし...

山本敏倖「にんげんを真一文字に泳ぐかな」(「山河」創刊400号記念号)・・

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 「山河」創刊400号記念号(山河俳句会)、山本敏倖「『山河』四〇〇号を迎えてー新しい一歩をー」に、   今号で「山河誌」は創刊四〇〇号を迎える。/四〇〇号と一口に言っても、その来し方は想像を絶するものがある。  単純計算でも「山河」は隔月発行なので、一年六回。四〇〇を六で割ると約六十年と数か月になる。創刊は昭和二十四年二月。令和六年(二〇二四年)に、創刊七十五周年を記念している。計算が合わないのは一目瞭然。それこそが、苦難の歴史を物語っていると言えよう。  代表が長かった二代目代表加藤あきと、三代目代表松井国央、四代目代表山本敏倖の時は、隔月刊は滞ったことはない。注目すべきは初代代表小倉緑村の時代まで遡る。いわゆる「山河」草創期の頃、まだ充分な同人が集まらず遅刊や休刊が何度か生じたことを、すでに鬼籍に入った同人の方から漏れ聞いている。そんな時でも初代代表小倉緑村は、私財を投げ打って同人誌の形を維持したという。 (中略)   最後に創刊二〇〇号記念(平成五年二月一日号)の小倉緑村の巻頭の言葉を引いて結びとする。 「・・・・・我々はより深い精神位相確立のために新しい一歩を踏み出します。創造の愉悦を分かち合うために産みの苦難は当然のことですが、そこに文芸本来の意義を確信する次第であります。」  この精神は現在も変わることなく継続されている。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    隊列に放馬 (うま) は冷たく眼を開き      小倉緑村    うぐいすの領抜け出るまでの時間かな     加藤あきと     八月や白紙に任意の点を置く          松井国央    ちぎり絵の余白に春を入れておく        山本敏倖    良夜かな介護ロボットオフにして        秋谷菊野    柿熟れて天に無用の時間軸           穴原達治   超新星宇宙に浮かぶ仕舞旅           新井喜久    中心は過去に傾く寒卵             泉 信也    銀座線降りて秋思に乗り換へる         一井魁仙    気紛れな水おどらせて波の花          絲布みこ    憂国忌皿に分厚きミルフィーユ        植田いく子    わたくしを置きっ放しに夕花野        宇田川良子    百日紅我が人生の...

中里夏彦「原子爆弾製造所(はつでんしょ)/ラララ/僕等(ぼくら)ハ/未来(みらい)ノ子供(こども)」(『空を映す』より)・・

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 九里順子著『空を映す』(鬣の会)、「あとがき」に、  (前略) 「ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空」(『新古今和歌集』左衛門督通光)空は心を映すが、心もまた空を映す。外界と心が浸透し合って、その人の見る空が、生きる時間がつくられていくのではないだろうか。  そのような心を通して見えてきたいろいろが、この本に収めたエッセイである。「Ⅰ」「Ⅱ」は、所属している俳句同人誌「鬣」に、「Ⅲ」は地元紙『福井新聞』の「日曜エセー 時の風」に連載したものを、「Ⅳ」は、尊敬する知人で日本近世史研究者の菊池勇夫氏が刊行されている個人誌『北の歴史から」、及び勤務していた宮城女子大学日本文学科の研究紀要『日本文学ノート』に掲載したものを収録した。読んでくださる方々の心に触れるものがあったなら、とても嬉しい。  とあった。第「Ⅳ」章「戦後の時間」のなかの「『戊辰戦争一五〇年』そして『三・一一』の後」に、愚生は山口県(長州)出身だから…、そのわずかな部分だが、挙げて記しておきたい。   二〇一八年、私は仙台で暮していたが、仙台、会津若松、福島の地で「戊辰一五〇年」が銘打たれた。山口県で「維新一五〇年」が、故安倍首相(当時)も出席して祝賀ムードだったのとは対照的だった。因みに、福井県では「幕末・明治一五〇年」だったと記憶する。近代国家に蓋されていた、一括りにはできない各藩を流れていた時間が顔を出すのである。ここは東北だと実感した。戊辰戦争の勝者と敗者は乖離しており、近代国家の発展の中で無いことにされてきた敗者の時間の存在が、敢然と打ち出される。無かったことにされる扱いは、今も続いている。 (中略)   東日本大震災から十二年が過ぎ、二〇ニ三年八月に、被災者たちの手記を集めた『福島からの手紙——十二年後の原発災害』(関礼子編 新泉社)が刊行された。十七通の「手紙」は、淡々とした朴訥な語りが心に響く。 (中略)   編者の関礼子が「編者あとがき――十二年間の福島から」で、「この国は、大きな犠牲を人びとにもたらしてなお、原発に頼り続けなくてはならないのだろうか。/こうした問いを発するのは、二〇二ニ年六月十七日に最高裁判決が、国にはフクシマ原発事故の責任はないと判断したからだ。 (中略) 安全対策をしてもしなくても事故は防げなかったというのでは、あまりにも無責任である。」...