若森京子「撃つなイワンよひまわりの中母がいる」(『藍の晩年』)・・
若森京子第8句集『藍の晩年』(ふらんす堂)、序は安西篤「—その愛と祈りー」には、 若森京子さんが第八句集を上梓された。あとがきにもあるように、金子兜太先生が逝去されて八年、夫を亡くして五年、自らは卒寿を一年後に控えた八九歳の齢に達し、初めての老境の現実に対する葛藤の日々にあって、ともすればその奥深い深淵に引きずり込まれそうな不安感を味わっていたという。 (中略) 寿命という軽いのりもの百千鳥 生はぎりぎり死ははんなりと青山河 あっと米寿野菊の道よ消えないで 空を飛び交う百千鳥は、寿命という軽いのりものに乗っているかのように自在。人間の生はぎりぎりの細道をゆきつつ、死ははんなりと青山河に浮かぶ。我が身もあっと言う間に米寿に達したが、愛しさに満ちた野菊への道よ、ぞうぞ消えないでと祈る。 とあり、著者「あとがき」には、 (前略) 金子兜太先生が逝去されて八年、主人を亡くして五年、八十九歳を迎えた私は全て初めて味わう老境に耐え切れぬ喪失感に疲弊が重なる日々でしたが、若い人達に支えられ俳句に助けられて来ました。 (中略) そんな時、現代俳句協会青年部長の黒岩徳将様から、「俳句史を紐解き現代俳句を考える際、勢い盛んな前衛俳句時代を知りたく、一九八〇年代の「海程」誌や国立国会図書館にて若森京子の作品を拝見し、作品に通底する躍動を感じ……」と丁寧なお手紙を頂きました。 (中略) そのこともあり、一九八五年の「海程賞」受賞者であった私に取材をとのお話でした。 (中略) このご提案に、今迄振り返る事もなく唯書いて老人となってしまった涸れた血管に新しい血流を感じ、自分でも不思議なほどのエネルギーが湧いてきて本書を編む決断に到りました。 とあった。また、金子兜太からの葉書(2011年)に、吉本伊智朗主宰「斧」にての、 「今、金子兜太が面白いーその素顔を語るー 」には、 (前略) 吉本伊智朗との対談、おもしろかった。あのままで十分ですよ。貴女、さすがにしっかりしていて、論旨に誤りなく、〈匂い〉あり。これは才能ですな。ありがたし、ありがたし。御大切に。 七月十三日 とある。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。 鮟鱇鍋たえず昭和という分母 京子 介護生活(夫の死) ...