朝吹英和「赤き糸手繰りし魔笛春銀河」(『瞬・遠Ⅱ』より)・・
『瞬・遠 Ⅱ/愛と魂のビッグバン』(発行 朝吹英和・勝間田弘幸)、序章で朝吹英和は、 (前略) 文字という媒体を通して表現する小説、和歌や俳句に宿る魂は「言霊」であり、音符を表現媒体とする音楽には「音霊」が宿っている。絵画や彫刻の場合には「形霊」である。 そして、「言霊」・「音霊」・「形霊」がクロスオーバーし共振する中でエネルギーが高まり異次元の時空が現出し、感動を呼び起こす。 とあり、勝間田弘幸「終章」には、 (前略) 母なる宇宙「無償の愛」の化身として或る周波数帯を受け持つと思われる魂は一人一人の、無意識の中に宿っており、コンサートで演奏家の魂を通じてモーツァルトの魂を直接感じて感動することがありますが、作曲された当時から200数十年のい時空を超えて、作曲家の魂と聴衆の魂が瞬時に重なり合うこの音楽様式は、瞬間が永遠に繋がる人類が生み出した最も偉大な芸術創造のひとつであると思います。 とあった。また、朝吹英和「あとがき」の結び近くには、 (前略) コンピュータやシステムの高度化によるSNSやAIの急速な普及は日常生活を刺激的に変化せしめ、効率化や省力化に大きく貢献している反面、最近の若者世代の文字離れや読書離れが顕著であり、更にはクラシック音楽の演奏会も退潮傾向にあると聞く。魂や愛を持たないAIに過度に依存しては愛を持たぬがゆえに地獄落ちを余儀なくされたドン・ジョヴァンニの二の舞を演じる羽目に陥ってしまう怖れがあるのではないか。デジタル化等で拡大した自由な可処分時間を「魂と愛をその源泉とする芸術」の創造や鑑賞のために使いものである。 ともあった。ともぁれ、本書中より、アトランダムになるがいくつかの句を挙げておこう。 棺中の手に握らせよ冬ざくら 磯貝碧蹄館 肉体の始末は難儀花の山 糸 大八 桜散るときメビウスの環のひかり 五島高資 弔鐘の連打地に這ひ狐跳ぶ 和久井幹雄 神鳴 (かみなり) や諸刃の剣愛か死か 勝間田空幸 メビウスの帯絡みつく残暑かな 朝吹粋酔 秋はフルートそれも無伴奏 仲 寒蟬 ★閑話休題・・小出楢重「新しき油絵/新しい花に、強い根を。」(於:府中市美術館・~3月1日まで)・・ 小出楢重「新しき油絵/新し...