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今瀬一博「一木に一草に神水澄めり」(『深呼吸』)・・

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 今瀬一博第二句集『深呼吸』(ふらんす堂)、その「あとがき」に、   平成25年に第一句集『誤差』を上梓してから、12年が経過した。今瀬剛一が昭和61年に創刊した「対岸」は今年の10月に40周年の節目を迎える。この間、平成29年4月から「対岸」幹事長を務めてきたが、令和6年4月からは、「対岸」:副主宰として、剛一主宰を補佐して句会指導を行うとともに、会員作品である「対岸集」の選も務めることとなった。家族では三人の子どもたちは全員成人し、職を得た。私自身もこの春、役職定年により教職の第一線を引いた。  このような中、対岸創刊40周年の記念すべき年に、副主宰就任前までの作品の中から320句を選び、第二句集を上梓することとした。これまでの作品をまとめ、今後へ向けての区切りとしたいと考えている。  とあった。集名に因む句は、    深呼吸して青梅を見つけたり       一博  であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。    蟬の羽化いのちはいつもぬれゐたる   きちきちを外へ外へと刈り進む   赤松は走り根も赤加賀の秋    飛花落花葉書は四隅より古ぶ   カタカタと戦のフィルム蚊遣香   八月六日千羽鶴とは飛ばぬ鶴   ほのほなく燃ゆる手紙や油照り   ウェルナーの薔薇なり深き午睡なり   螳螂の一瑕なき身の枯れゆけり   蓮青葉雨粒はみな音を生み   水底に緩き丘あり蜷の道   蛍袋紙の軽さと思ひけり   再会の両手広げて花八ツ手   見えてゐて魚は釣れず青胡桃   真つ黒なところが畦よ螢狩   折れてなほ高き煙突鰯雲   冬眠の熟睡に星瞬ける  今瀬一博(いませ・かずひろ) 1965年、茨城県生まれ。                「対岸」主宰・今瀬剛一氏↑ ★・・「対岸」創刊40周年記念祝賀会・・              右から二人目、新主宰・今瀬一博氏↑   10月31日(土)、ホテル椿山荘東京に於いて、「対岸」創刊40周年記念祝賀会が、100余名の来賓を招いて盛大に開催された。その場で、「対岸」の主宰が、今瀬剛一から今瀬一博に継承されることも発表された。  愚生のテーブルは左に、渡辺誠一郎、右に林桂。旧知の間ながら、めったに会えないので、久しぶりに懇談した。かつて、「未定」で創刊同人だった、『三鬼』の著...

羽村美和子「自由と銃からみ合ってる烏瓜」(『青いジャズ』)・・

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 羽村美和子第三句集『青いジャズ』(東京四季出版)、帯文は愚生、それには、 現代俳句という迷妄の中に、羽村美和子は何を観ようとしているのであろうか?音楽や数式、あるいは植物に託された、その身ひとつの、渾身の俳句を身よ!/身ひとつをかけた表現の一切は、その直観、心情にかけられてこそ真の姿を現わして来てくれるはずだ。現在に未来を孕みながら……。        自由と銃からみ合ってる烏瓜  とあり、著者「あとがき」には、  『青いジャズ』は、第一句集『ローズティー』、第二句集『堕天使の羽』に続く、私の第三句集である。二〇一二年秋より二〇二五年秋までの作品を纏めた。  第二句集上梓後、十三年の歳月が経ってしまった。(中略)  文芸は自己表出であると同時に、他者への共感である。その人を織りなす全てのものの中から立ち上がってくる。その言葉と思いと俳句形式とのせめぎ合いの中から俳句は生まれる。そして、第二句集のあとがきにも書いたが、「俳句は詩魔を宿していると実感する」「これだと思って一句なし得ても、詩魔は二度と同じ顔を見せてはくれない。それでも永遠の恋人のように追い求めているから不思議だ」。その思いは今も変わりがない。  ますます俳句の深みに嵌りつつ、やはり俳句とは何かと日々思う。   とあった。集名に因む句は、   花菖蒲風吹くたびに青いジャズ      美和子   であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    春日遅々人蘇るゲームして   美しい数式次から次へ羽化   これよりは核の灯りと月夜茸   国というまぼろし真夜の烏瓜   雪吊りの星につながる糸電話   花水木風の数式教えます   シースルーエレベーター満月が乗ってくる   抽象の入口で待つ 海鼠   神話の扉開きそう春の山彦   どこまでが海どこまでが僕海月   観覧者ひとりふたりは月の人   戦場の死角へ春風連れてゆく   火の鳥の羽音隠してのうぜん花   ひまわり迷路絶望的に晴れている   月光の梯子を降ろせ国境   君を守る兵器はいるか冬すみれ   魂を時に選別銀竜草   シーラカンス春の化石という自由   言語野に忘れた翼つばめ来る   ふくろう鳴く森が図案化されてゆく   羽村美和子(はむら・みわこ) 1950年、山口県生まれ。    撮影・芽夢野うのき「憂...

小池光「坂本冬美よし坂本冬休みよしわれを笑はす十月尽に」(『小池光インタビュー集——言葉とことばの出会い』)・・

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  聞き手=寺井龍哉『小池光インタビュー集——言葉とことばの出会い』(本阿弥書店)、巻尾の寺井龍哉「笑わない人——インタビューを終えて」に、   小池光さんは、笑わない人である。 (中略)   いま、その不思議さについて、こう考えている。短歌を詠み、読むことは、畢竟、言葉の生理を理解し、言葉を操ることである。そして言葉を読み、書き、聞き、話すこと、言葉によって何かを感じ、考えることは、ほとんど、生きることと同義である。このような認識に至ったことが、ある時期から小池さんの歌に感傷があふれはじめ、独特の滑稽味が出現した契機なのではないか。生きることは、人と出会い、別れ、笑ったり笑わせたり、泣いたり泣かせたりすることに他ならないからである。驚いたことに、それは少しも不思議なことではない。  とあった。インタビューの第一回から12回までの項を記しておくと、第1回「幼少から『短歌人』入会まで」、第2回「『バルサの翼』『廃駅』(第一歌集・二歌集)の頃」、第3回「『日々の思い出』(第三歌集)の頃」、第4回「『草の庭』(第四歌集)」、第5回「『静物』(第五歌集)」、以下「『滴滴集』第六歌集」、「『時のめぐりに』(第七歌集)」、「『山鳩集』(第八歌集)」、「『思川の周辺』(第九歌集)」、「『梨の花』(第十歌集)」、「『サーベルと燕』(第十一歌集)」、第12回「小池光お日乗」。まさに、副題のように「小池光の戦後短歌史」。直接、本書に当たられたい。以下、本書より、アトランダムになるが、歌をいくつか挙げておこう。  海を背に立ちあがる父大きければまだ許されてある叛きは        光   青蚊帳のなかめざめたる少年に三十年の歳月あはれ  いまだおさげのゆり子先生「青い山脈」の歌教へきわれら児童に  抒情せよセブン・イレブン こんなにも機能してゐるわたくしのため  いつぽんの万能葱は家妻 (いへづま) の瞋 (いか) りのままに切りきざまれつ  秋の出水 (でみづ) みにきてゐたり むなしさや バイアグラ殉死六十九人  すぎこしをおもへば既に一万四五千時間の授業をしたり  粟つぶほどの熱心もなくなりてのち教ふる技 (わざ) はいささかすすむ  女の眉が媚 (こび) にて女の鼻が嬶 (かかあ)  女の口はわらへる如し  一字市(いちじし)の蕨の春の駅頭にふはふはとせる人びとのむれ  石川さゆ...

出口善子「右と左に手がある祈らねばならぬ」(「季刊 イリプス」Ⅲrd17/通巻73号より)・・

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  季刊「イリプス」Ⅲrd17 通巻73号(冨岡書房)、その書評の筑紫磐井「出口善子全句集の周辺で――『全句集』の向かうもの/——『出口善子全句集』(角川書店)の中に、 (前略) 「MUYOU(六曜)」は平成17年8月創刊、「花曜」は六林男がなくなり、花がなくなったので六林男の「六」を入れて「六曜」としたが、そのこころは「無用」だという。その後15年、令和2年3月の58号からコロナ禍で休会となり、新発行人を迎えて令和4年第59号で復刊、善子は退任する。御苦労さまでした。 (中略)    大勢に一人ひとりに雪降れり     『わりしまい』   女手に生きて焼かれる栄螺かな   万骨の一片として夏痩せて         『羽化』   六林男忌を犀の重量ゆっくり過ぎ   どんど火に炙る私の裏表          『沙羅』   沙羅の花墜ちて盛者の香を放つ   全句集から代表的と思われる句を選んだ。多くの人に取り上げられた著名な句や、出口善子らしさが現れていると思った句を選んだが、眺めてみると、女や男、人や肉体や私、し贈物的な肉体に係る句が多くなった。これを眺めてみると、鈴木六林男が『亂聲』に寄せた言葉が思い出される。そこで書かれた婚家と実家、男と女の業、肉体と精神、それらは私が本論で長々と述べた事柄とも重なり合うように感じるのである。そして六林男が序文の末尾でほのめかすのは、旅(それは現実の旅とも人生の旅とも理解できる)と死だ。『出口善子全句集』で残された宿題はまさしくこの二つであると思うのである。  とあった。他には、多くの詩篇と論考が掲載されているが、本ブログでは紹介しきれないので…。「豈」同人でもある冨岡和秀の散文詩「地を這うものと空を飛ぶもの」の冒頭の数行のみだが引用しておきたい。 森が揺れている。苔むした地表の下から突き上げるように震えている。激しく揺れる前兆だ。すでに森の住人であるアリが揺れを察知して、速歩を始めて逃亡している。群れとなって森の外へ逃亡し避難する。地の揺れが大きくなる。アリの大群が森の出口に向かって走って行く。アリのなかには大きなアリもいるが、その大アリは考えるアリであり知能が高い。風貌は顔がやや大きく、前頭葉が発達しているかに見え、背も高い。大アリが大集団のアリの群を引き連れているかのように見える。直下からの大地の揺れからアリの大群が森の外へ...

坪内稔典「スケボーの少年が跳ぶ星月夜」(『モーロク快々』より)・・

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 坪内稔典『モーロク快々』(創風社出版)、帯文に、   「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」/この歌は二十代のころ、つまり結婚したばかりのころから私の愛誦歌になっている。啄木のこのつつましい幸福の享受が大好きだ。(本文より)     今日もさりげなく過ぎてゆくネンテンさんの至福の時間  とあり、「あとがき」 には、    この『モーロク快々』は『モーロク日和』(ニ〇ニ五年一月)に続くモーロクシリーズの二冊目である。 (中略) ニ〇二六年夏の現在、ボクの暮らしの目標は身辺から本をなくすこと。具体的にいえば、机上にはパソコンだけ、パソコンのそばには一輪挿しを置いて折々の道端の草花を活ける。辞書とか文学全集などはインターネットを利用する。雑誌などだと国会図書館所蔵のものがネットで読める。今まで本の中で暮らしてきたが、これからは身辺の本は最小限にしてすっきりと暮らす。   とあった。 「星月夜」の一部分を以下に紹介しよう。   星を見上げる、という動作というか仕草を意識的にしたい。以前にも書いたことがあるが、私はついついうつうつむくタイプなのだ。道を歩くときなど、うつむいてとぼとぼという感じで歩いており、そばにヒヤマさんがいると、「ほら、またうつむいている! 貧相に見えるよ」と注意される。  というようなことがあるので、意識的に見上げようと思うののだ、大きな木や白い雲、遠くの山、そして星や月などを。  そういえば、そろそろ星月夜 (ほしづきよ) のころである。月のない夜空が、星の明かりでまるで月夜のように明るいのが星月夜。暦を見ると、十月九日が朔 (さく) 、その前後の夜は月が小さいので、たっぷりと星月夜を楽しめる。  とあった。ともあれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう。   魚くさい路地の日だまり母縮む        坪内稔典   椎若葉一重瞼 (ひとえまぶた) を母系とし   石田波郷    冬はまた夏がましじゃといいにけり      上島鬼貫   山の神の耳の病か蝉の声           松永貞徳   好きな子ははだしで歩くあの子です      森本真緒   バッタさんぼくでよければともだちに     池田拓篤   ありさんよどこから来たのここ五階      矢澤宙空   姉ちゃんと顔が似ている鬼やんま       湊谷恭央  ...

秋尾敏「秋晴のてにをは軽々と届く」(「軸」創刊60周年記念俳句大会・祝賀会)・・

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               「軸」主宰・秋尾敏氏↑   10月24日(土)「軸」創刊60周年記念俳句大会・祝賀会(於:第一ホテル両国)に出席した。「軸」(主宰・秋尾敏)の「軸の歩み」によると、   昭和42年6月 同人誌として創刊。毎号、順に阿部青鞋、金子兜太、野間郁史、巽巨詠子、古沢太穂、井沢子光、飴山實、柴田白葉女、長谷川天更、磯貝碧蹄館、髙橋龍らの選を受ける。模索の時期であった。  昭和47年1月 河合凱夫の主宰誌となる。師系、中島斌雄。(中略)  平成11年7月 河合凱夫主宰死去。秋尾敏新主宰になる。 (愚生注:秋尾敏は凱夫子息、本名:河合章男)  とあった。 池田澄子↑                   筑紫磐井↑  「豈」同人からは、池田澄子、筑紫磐井が祝辞を述べ、愚生と羽村美和子が出席した。愚生のテーブルは、左隣から、神野紗希・後藤章・石川一郎代理の黒岩徳将・為永憲司・樽谷俊彦・田中朋子・大石雄鬼だった。ともあれ、以下に、「俳句大会入賞作品集」より、上位の句と愚生の選句のいくつかを挙げておこう。    象出して象舎を磨く額の花        赤羽根めぐみ    死ぬ力生き抜く力ためて万緑         安田政子    草いきれ背のびをすれば私も海        倉岡けい    割り算の余りが好きよ桜桃忌        石井ひさ子    春手袋まだ男とか女とか          加那屋こあ    指先に螢ピーターパンになる         川本恭子    凍土や死者にあてがう石枕          加藤圭子    雲白々とおはようの牛蛙           松澤伸佳    測量船触れるアンテナ夏の雲         太田道子    六十年継ぐべく魂や更衣           金子未完    夏あざみ山へ海へとララ ラララ       平岡育也    還暦の色を変えない松である         樽谷俊彦    駄駄っ児に試されている夏の黙       藤平紗登美    むくろじの約束に鳴る星の数         表 ひろ    風薫る地軸を繋ぐ六十年          下村アサ子    六十年の記憶と記録青山河        木之下みゆき   主選者・相馬マサ子氏↑ ★閑話休題・・佐久間麗子「おはじきの指先に秋はじけたり」(第62回「府中市民芸術文化...

池田澄子「亡父亡師亡夫亡友秋桜」(「noi」vol.18より)・・

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 「noi」vol.18(俳句雑誌noi)、特集は「池田澄子インタビュー/今を生きる、私たちへ」。その中に、 (前略) noi 敏雄の句に〈出征ぞ子供ら犬は歓べり〉があります。三鬼が、特高の思想弾圧を懸念して「犬も」にした方がいい、と当時アドバイスしたと聞きます。 澄子 そう。戦争中は「犬も」だったの。戦後に発表するときに「犬は」の戻して。 noi この助詞一つにこもる意図が、すごく重たいですよね。 澄子 全然違うからね。「犬も」だと、出征を「みんな喜んで送りました」。「犬は」だと、大人は喜んでいない。敏雄の句に〈立ちあがる直射日光被爆者忌〉ってあるの。これは先生が吟行で作った句で、「立ちあがる直射日光」までできてから、なかなか下五がつかなかった。最初は「芹の水」とつけたのね」それからずいぶん経って推敲した結果「被爆者忌」になったの。 noi 敏雄も、吟行の感覚を取り入れながら、そこにとどまらないように昇華させる。実感から時間をかけて一句に至る、そういう作り方なんですね。「被爆者忌」になって、澄子さんはどうおもったんですか。 澄子 「あ、敏雄の句になったな」って思った。(中略)私ね、「原爆忌」っていう言葉が、なんだか……。だって、原子爆弾の忌日ではないでしょう。 noi 澄子さんが今年の角川「俳句」5月号に寄せた50句のうち〈怒る暇なかった原爆被爆死者〉も、「原爆被爆死者」と丁寧に書く迫り方が、敏雄の「被爆者忌」と共通すると思っています。(中略) noi 〈いつしか人に生れていたわ アナタも?〉も、人によっては「これは俳句なのか?」と言う人もいますよね。 澄子 当然そうね。それこそ季語もないし、これはもう五七五にもなっていない。 noi でも澄子さんが「これが俳句だ」と思う理由、これで行こうとゴーサインを出せる澄子さんの感覚について聞きたいです。 澄子 そうね、難しい質問ね。 noi でも澄子さんとしては「俳句だとおもってる」んですよね。 澄子 そう、俳句だと思ってる。たとえば、〈いつしか人に生れて花筵〉なんて言えば、ちゃんと俳句になるのよね。でもそれは考えなかった。 noi なるほど。「アナタ」がカタカナなのは。 澄子 目の前の「あなた」じゃなくて、いろんな「アナタ」、という感じかな。 noi 匿名性を与えたいがゆえのカタカナ? 澄子 そうだと思う。これ、...