投稿

服部清子「ウクレレノゲンヲヒクユビユメハワイ」(立川市シルバー大学「俳句講座」第6回)・・

イメージ
  2月4日(水)は、立川市シルバー大学「俳句講座」第6回(立川市曙福祉会館)だった。  宿題は、「カタカナだけで句を作る」「カタカナと漢字混じりで句を作る」だった。以下に1人1句を挙げておこう。    トランプのカードキルノハイツモアメリカ    樺島美知子    ワレバタバタケチケチガツガツフクジュソウ   荒井美智子    ダンロマエキンキンビールイッキノミ       加藤由美    吉方 (キッポウ) ニ大キナ口デ恵方巻       服部清子    ミミスマシスイキンクツノヒビキアリ       平田國子    ノキノシタツララキラキラアサヒアビ       永澤直子    トオキヒニハハとノゾイタカマドノヒ       由井幸男    クウキカラカラハダパサパサ           澁谷眞弓    鳥ヨ花ヨモノクロ写真二母ト姉          大井恒行  次回、3月4日(水)は、会場近くにある公園を散策しての吟行句会。 ★来る4月25日(土)午後1時~「俳人『九条の会』新緑のつどい」(於:林野会館)・・   来る4月25日(土)午後1時から、林野会館に於て、「俳人『九条の会』新緑の集い」が開催される。 ◎講演  栗原淑江「被爆者たちの運動と日本国憲法」     永田浩三「今こそ平和を求めて・俳句は原爆と戦争をどう描いてきたか」 ◎参加費  1000円(当日受付) ◎会場  林野会館(丸の内線 茗荷谷駅から徒歩7分 ◎主催 「俳人『九条の会』」 TEL&FAX 03-3909-1228   *俳人九条の会呼びかけ人   青木千秋・安西篤・飯田史朗・池田澄子・石寒太・石田三省・故遠藤若狭男・大井恒行・故大牧広・小沢真弓・柿本多映・故金子兜太・日下部正治・衣川次郎・敷地あきら・高野ムツオ・田中陽・故辻桃子・津田正之・寺井谷子・仲寒蟬・鳴戸奈菜・復本一郎・堀田季何・故松澤昭・松田ひろむ・諸角せつ子・山本つぼみ 鈴木純一「右下のQRコードに触れてから求愛行動すぐに始めた」↑

廣澤田を「少しずつ春の時間に合わせおり」(『知らない道』)・・

イメージ
 廣澤田を第一句集『知らない道』(コールサック社)、解説は、鈴木光影「思索する静かな身体」、高澤晶子「朴の花咲く道」.高澤晶子は、  (前略)  幾たびもわが道狂う朴の花  廣澤田をが歩んできた道は決して平坦な道ではなかった。難局に出会うたびに、田をは自身の存在の原点に立ち還り、しなやかな強靭さと自らを養ってきた智慧と勇気で、困難を乗り越えてきた。そしてその途上にあっても、田をの涼やかな眼が希求していたのは未来への新しい道であった。       田をは紫色がよく似合う人である。紫色の黄昏の空に毅然として静かに佇む九弁の朴の花。その天を指し芳香を放つ黄白色の花は、田をの再生の道を常に照らし続けてきた導きの花である。  と記す。また、著者「あとがき」には、  人 はみな知らない道を歩んでいます。時にはそれは不安でもありますが、未知であるということは可能性や希望があるということです。句集には、一九九五年から二〇〇五年(四五歳から七四歳)までの三十年間に道の途中で見た風景や出会った人々、自らのこころの揺らぎなどを詠んだニ八四句を収めました。 (中略)  俳句を学ぶ中でそれまで培ってきたわたしの俳句の概念を一変させる句との出合いがあり、それは鈴木六林男の〈遺品あり岩波文庫『阿部一族』〉でした。「これが俳句?まるで一編の小説だ」と衝撃を受け、以来「俳句とは何だろう」という大きな問いは今日まで続いています。 (中略)   そんなわたしを句友たちは見守ってくださり、お陰で俳句を続けることができ、今があります。尚、俳号「田を」は病後から用い、老子の「タオ」に由来します。  とあった。因みに、集名に因む句は、    ここもまた知らない道や春の地図      田を  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。      ニ〇〇四年十二月    冬銀河俳の灯を手に六林男逝く   原子炉と○瑰 (はまなす)闇を一つとす  (註:○字が出ず)    俗名の半身なれど花衣   夏痩せのこの国のででっぽう   海市 (かいし) 消え君行くという明日来たる   唇に愛のリトマス万愚節   梅雨深し赤ペン長き父の本   白守宮 (やもり) ジュラ紀の匂うこともあり       夫バイパス手術   名を呼べば応えるいのち秋深む   つくしんぼ明日はもっとつくし...

中田水光「鬼門より亀の鳴くなり捨て小舟」(『猛暑』)・・

イメージ
  中田水光第6句集『猛暑』(角川書店)、その「あとがき」に、 (前略 )私は昭和四十六年、二十六歳の時に、県立不動岡高校に転勤した。同校には、年若いのにかかわらず全国的に知られていた俳人の落合水尾先生が勤務なさっており、俳句を時々作ったり、近くの田野に吟行したりしているうちに、俳誌「浮野」作りをはじめ、今日まで休まず、毎月発行し、間もなく「浮野」は五七三号を迎える(令和七年七月)。水尾先生の情熱もすごいが、私も先生に教えを乞いながら今日まで、俳句を詠み続けてきた。故にこの句集で、六冊目となり、五十弱がすぎようとしている。  落合水尾先生に指導していただいてているので「俳風の変化」や「新しい詠み方」ということはない。素直な抒情性の強い作品群である。 (中略 )私自身も四十歳で新設高校建設の一員に命じられたので、この期に「浮野」にならって俳誌「雅楽谷」を発行した。平成十七年の時であった。無論新しい高校を建設することが主たる任務であったので、ゆっくり歩むことにして現在会員も俳誌の内容も変わらず、おかげ様で年に四回発行し現在、六十四号とつづいている。   とあった。集名に因む句は、   猛暑また投げ込んでみる登り窯       水光  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    かまどうま話しかけたる湯殿婆   排他的国境越えし冬花火    死なざれば終はらぬあそび春灯   てぐすねを引いてとばしぬしやぼん玉   みぎひだり同じ間合ひに水を打つ   笠の緒も積もりし雪も「陸の奥」   狐みてよこしまごころ湧きしかな   おのづから責め苦を与へ毬の栗   なにごとも火付けが好きで火事となす   地に落つるまでに虚子らが桐一葉   生首を投げ合ふ遊び憂国忌   わだかまりとことん消えぬ開戦日   暗きより湧き出て蝟集阿波踊り   ただ伸びて届かぬあはれ思草   よこしまな火種かかへて隙間風   ひととせの始めや一度井華水     中田水光(なかだ・すいこう) 1945年、埼玉県生まれ。 ★閑話休題・・中島進「たましいを凝視する真冬を乗りこえる」(各務麗至編『中島進遺稿句抄』より)・・  各務麗至編『中島進遺稿句抄』(詭激時代社・セㇾクション精選集72/限定非売品)、扉に、中島進奥方の百百代さんからの一信が掲げられている。それには、  ...

福田若之「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」(「現代短歌」No113 より)・・

イメージ
 「現代短歌」No113(現代短歌社)、特集は「震災15年」。特集記事の巻頭は、帷子耀「十五歳になるきみへのメモ」、鳥居「〈かわいそう〉その後」、福田若之「こころのおく」。ここでは、福田若之の部分を引用する。     ヒヤシンスしあわせがどうしても要る  書いたとときは、書くことだけで精一杯だった.どう読まれるかなんて、考えもしなかった。ニ〇一一年三月のラジオが歌うーー〽なにが 君のしあわせ なにをして よろこぶ わからないまま おわる そんなのはいやだ!ーーやなせたかしの詞は、トマス・ジェファソンが書いた独立宣言の一節をあのころの僕に思いおこさせるーー自由、生命および幸福の追求。その思想は、第二次世界大戦のあとで、GHQの草案のもと、この国の憲法にも刻まれることになった。しあわせになることではなく、しあわせを求めること。花見さえ慎みを欠くというときに、句を書くなんてどうかしている。けれど、僕には僕のしあわせがどうしても要る。昨日から今日へ、今日から明日へ、手から手へ渡る言葉によって弱い自分に授けられた、なけなしの権利のうちのひとつを、僕はむなしく書いたばかりだ。(中略)書くことはしあわせだろうか。書くことはしあわせを求めることだ。しあわせからほとんどどうしようもなく遠ざかりながら、そのつど、しあわせへ手を伸ばす。 とあった。また、歌人の鳥居は記す。 (前略) 岩手県の人は言った。   「東京のテレビの人は、苦しいとか悲しいとかsそういうのばかり欲しがる」  被災者のもっとへ取材に来る〈東京の人〉は、笑って元気な被災者を撮らない。楽しい瞬間もあるリアルな生活の姿ではなく、フラッシュバックで苦しみ泣いている様子を撮りたいという。  それは、まったく私も経験したものだった。私も世間から〈かわいそう〉を消費されていた。  私たちは一緒に〈東京の人〉の悪口を言った。岩手県の人と私は、似たような傷で、すこし通じあえた気がした。  ともあれ、本誌より以下に、いくつかの歌を挙げておきたい。     三月十一日  春うすくたれのうへにも来てをりぬたれとはいまを生きて在るひと    髙木佳子  3・11 (さんてんいちいち) よりも強い揺れだった 八戸の人の息漏るるこゑ                                    梅内美華子  「復興」の二文字の意味...

杉美春「処理水の無限ループや春の闇」(『蝶ゆらぐ』)・・

イメージ
 杉美春第二句集『蝶ゆらぐ』(ふらんす堂)、帯文は高野ムツオ。   杉美春は感覚の触手をどこまでも伸ばす。  洋の東西を越え、時間と空間を跨ぎ、貪欲に言葉を探る。  その先に展開される洗練濾過されたしなやかな抒情こそ彼女の俳句の魅力の源泉だ。  とある。また、栞は栗林浩「強い芸術指向ーーごく私的な鑑賞ーー。跋は佐怒賀正美、それには、   本句集『蝶揺らぐ』は、ニ〇一八年(平成三十年)から二〇二五年(令和七年)の約七年間の作を収めた第二句集。新型コロナ禍(二〇二九年~二〇二三年)の時期をはさむ。その間に、作者は乳がんの手術をしたり、恩師・有馬朗人の長逝に遭ったりするが、それらの個人的苦難を強調せず、日常生活の「いま」から独自の発想を探求する。けっして奇譚ではないが、発想の飛躍を含めて明晰な文体で描く。独自の発想や感覚にふさわしいことばを最短距離で引き出すのは、先師・有馬朗人に学んで身についたものであろう。作者はわかりやすい文体で、自分の主張を端的に表明するのである。   バイオリンの転調初蝶の揺らぎ   夏蝶が揺らぐ永久凍土溶け   秋の蝶地祇のまばたきかもしれず  とあった。また、著者「あとがき」には、   第一句集『櫂の音』から七年半が経ちました。この間に世界では新型コロナウイルスによるパンデミックやウクライナでの戦争、ガザ侵攻、震災など様々な出来事がありました。個人的には乳癌による入院、恩師有馬朗人の逝去、母の急逝など、悲しい出来事があった一方、ひとり娘の結婚や孫の誕生など、嬉しいこともいろいろありました。その間も俳句はつねに側にあり、心の支えとなり、喜び悲しみの表現手段となってくれました。俳句を通じて、以前には思いもよらなかった人たちと知り合い、句座を共にし、親交を深めることができたのは、大きな喜びです。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、、以下にいくつかの句を挙げておこう。    麻酔から覚めてこの世に大嚏       美春     追悼 師有馬朗人    冬の虹母国へ架けて逝かれけり   てのひらの薄き詩集や初蝶来   湖水浴ふいに足裏恐ろしき   アバターの何度も生くる冬銀河   ゆで卵のやうなロボット春の月   とんぼとんばう風の迷路を抜けにけり   聖域の水より青き蜻蛉かな   さくらひとひら返信として手のひらに   透視図の消失点へ...

羽村美和子「霜柱ここよりどっと短音階」(第172回「豈」東京句会)・・

イメージ
   1月31日(土)は、二ヶ月に一度の「豈」東京句会(於:ありすいきいきプラザ)だった。 以下に一人一句を挙げておこう。    五日目の以呂波紅葉はもう動詞          羽村美和子    春はすぐそこその先がささくれる         杉本青三郎    捨てた故郷の水に言 (こと) を点せり       川名つぎお    🎼 (ト音記号) かついでゆけり ゆきの まち    凌    硝子戸に光明ゆがむ一月尽            伊藤左知子    「森のくまさん」有情の孤独            小湊こぎく    目詰りの茶漉しふるへば未生の韻          幸田 晋    一月の畳に亡父来ておりぬ            大井恒行 次回は、3月28日(土)。   ★閑話休題・・城貴代美「つらら透明つらつら想う人のこと」(月刊「ひかり2月号『「西山俳壇』」・選者詠より)・・  「月刊ひかり2月号・第792号『西山俳壇』」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)、選者は「豈」同人でもある城貴代美。その特選句を以下に紹介しておこう。    雪蛍己が周りをくるくるり    奈良市 澤田妙子    QRコード入場晩秋の民藝展    洲本市 柴田祥江    校庭の落葉に帚やせにけり    田辺市 米澤 百 ◎投句規定・・ 締切毎月20日。ハガキにて当季雑詠5句。        〒617-0811 長岡京市栗生西条ノ内26の1                   総本山光明寺内 ひかり編集室        ハガキ投句の横に住所とお名前をお書き下さい。               撮影・中西ひろ美「一枝の先の真白や寒の梅」↑

井上芳子「将来の夢『石ころ』と寒椿」(第49回「きすげ句会」)・・

イメージ
  1月29日(木)は、第49回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「雪」。句会の後、府中駅そばの「きた樽」で、新年会兼愚生の退院祝いをしていただいた。以下に一人一句を挙げておこう。   影踏みの影ほつれゆく冬夕焼け       高野芳一    白湯を手に口寂しや寝正月         杦森松一    逢ふ雪も螺旋のいのちさざえ堂       山川桂子    窓の鳥こたつの我に飛べよとな       寺地千穂    乳飲み子の匂ひ抱きしめ寒い帰途     久保田和代     古希の吾へ鈴の音かろき破魔矢かな     新宅秀則    元旦や富士借景に屠蘇旨し         清水正之    〆飾りメイドインチャイナのラベルあり   井上芳子    股視 (またのぞ) き視界にぬーと寒紅梅   濱 筆治   晩年の刃先の雪のふわりかな        大井恒行 次回は、2月19日(木)、兼題は「卒業」。 ★閑話休題・・髙島野十郎「花は散り世はこともなくひたすらに/たゞあかあかと陽は照りてあり」(『髙島野十郎/作品と遺稿』より)・・   『髙島野十郎画集/作品と遺稿』(求龍堂)・川崎浹著『過激な隠遁/髙島野十郎評伝』(求龍堂)、評伝の「あとがき」に川崎浹は、   私が最初に髙島野十郎と知り合ったのは、昭和二十九年(一九五四)、私が二十四歳、髙島さん六十四歳のときである。  その野十郎が最晩年を千葉県柏のアトリエで過ごし、最後に野田市の介護老人施設に収容され、漂泊の人生に終止符をうったのは昭和五十年(一九七五)、享年八十五歳。 (中略)  無名の野十郎の絵に初めて注目があつまるのは、画家の死後十一年目の昭和六十一年(一九八六)、本書の冒頭で述べているように、福岡県立美術館で、「写実にかけた孤独の画境 髙島野十郎展」が開催されてからである。  その後、東京の美術館で二度展覧会が開かれ、画家への注目が東京圏にも拡がった。野十郎の展覧会は鑑賞者たちが私語も交わさないで静かにひたすら作品を凝視する、異様ともいえる情景で他の展覧会とは際だって異なる。それほど人を魅了する画家でありながら、一部のファンを除けば全国的にはまだ知られていないに等しい。 (中略)  野十郎は生前画壇と殆ど交流をもたず、時代様式の先端に走ることもなく、十五年戦争の最中、また...