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湯屋ゆうや「光るものは壊さずにおく蜘蛛の糸」(『平飼卵』)・・

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  湯屋ゆうや句集『平飼卵』(香天文庫)、序文は、岡田耕治「『平飼卵)の誕生」、跋文は井口直子(いーぐる)「『平飼卵』発刊に寄せて」。その岡田耕治は、 (前略) 今日はゆうやさんの新しい句集についての打ち合わせをすりことになっている。同席されたのは夫の小西敏弘さん。二人は紅茶を、私はコーヒーを注文した。 (中略)   提案が終わって、「体調はどうですか?」と聞くと、大阪から滋賀に転居してから、お医者さんが月に二回往診に来てくれ、看護師さんも週に一回看護に来てくれるという。そういえば、大津市に勤務する知人から、ここは地域包括ケアシステムが充実していると聞いたことがある。三年前、大阪の句会でお見かけした時よりも、少し痩せておられる印象だったが、声はお元気で、新しい句集を出すことをたのしんでおられるようだった。  敏広さんは、退職した今、ゆうやさんの治療と近くに住むお父様を見守ることを大切にしておられる。一方で、絵を習い始め、ゆうやさんの句集の表紙や挿絵の素描を担当された。 (中略)   この『平飼卵』に収められた作品を耳を澄まして読めば、いかにゆうやさんが持病と向き合いながら、深い物音を自らの身体の中に響かせようとしているのかを感じ取ることができる。作品一つひとつに、日常の中に潜むリアリティと、それを超えてゆこうとする響きが共存しているのだ。 (中略)   あとがきにもあるように、この句集は、家族と友人に読んでほしいとまとめられたものである。この句を集出版しよちする営みの中には、ゆうやさんが生きてきて、そして俳句と巡り合い、そのことによって自分の感性を澄ましていったこと。これは自分にとって大切な經驗で、そのことにを覚えていて欲しい、共有して欲しいという願いが在る。 (中略)  自らの病や身体と真摯に向き合う時は、誰にも訪れる。その時、こうしてなとめられた『平飼卵』という一巻が、読む者を励ましてくれる。手にした者の命を励ましてくれる。そのような句集の誕生を心から祝いたい。  とあり、跋の井口直子(いーぐる)は、   湯屋ゆうやさんとは四十年来のつきあいになる。大学が同じで勤務先も同じ、さらに七年前からは、私の母が入所していた施設にゆうやさんのご両親も入所されたこともあり、しょっちゅう顔を合わせ、頻繁に連絡をとっていた。そんな時、ゆうやさんが「俳句をやりたいねんけど、教えて...

筑紫磐井「六月や汗衫(かざみ)をぬぎし青女房」(「NHK俳句」6月号より)・・

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「NHK俳句」6月号(NHK出版)、「わたしの第一句集62/筑紫磐井『野干(やかん)』」に、  自 句自解で「筑紫磐井の100句」を書かないかと或る出版社から言われたが、前衛俳句作家にとって自句自解なんて恥ずかしくてできないと答えた。そんな折、高山れおなが昨年から「筑紫磐井の100句」を「翻車魚(まんぼう)で書き始めた。他人がやる分には私も異存はない。 (中略) 『野干』時代は未だ、「沖」で有季定型の伝統俳句を作っていた時期だ。『野干』の自句自解は主義主張に反しないでできそうだ。 (中略)    女狐 (めぎつね) に賜はる位・扇かな    (中略)  私のはじめての王朝俳句。王朝そのものというよりは芥川龍之介の王朝物語のにおいを帯びている。   みちのくに戀 (こい) ゆえ細る滝もがな 発想も表現も我ながらもっとも王朝に相応しいと思っている。切字「もがな」の例句にもしばしば引用される。        (中略)    朝顔に男もすなる眉・歯黒(はぐろ) 伝聞の「すなる」を使いたくてしようがなかった。男女の倒錯する姿がなによりいい。   若き妻を野干 (やかん) と知らでさくら狩 「野干(やかん)」とは仏典に由来し印度・中国では狡猾な野獣。射干とも。日本に伝わってからは狐の異名となる。   とあった。 ★閑話休題・・吉田久美「道訪へば声柔らかし近江梅雨」(第2回「多摩塾句会」)・・  6月8日(月)は第2回「多摩塾句会」(於:府中市市民活動センター・プラッツ)だった。兼題は「梅雨」。以下に一人一句を挙げておこう。    芳一に轟くゲリラ雷雨かな           上阪則子    振り返らず蠢いて蝶となり梅雨空 (そら) へ  早川ひろ美    生ジャズのセッション晴ればれ梅雨晴間     森 和子    土のう積む低きところに梅雨の月        富山 勉    都大路を大の男の日唐傘            吉田久美    木洩れ日を流れに巻き込む奥入瀬よ       花見育子    一服の茶の悦びや初夏の空           小川幸子    雨をつきひびく早朝カッコウの         中西雅子    すっぽんは主 (ぬし) の貌して梅雨静か     篠木裕子    言の葉のつめたい汗はひまわり色        大井恒行     撮影・中西ひろ美「花石榴冷やし...

山本敏倖「にんげんを真一文字に泳ぐかな」(「山河」創刊400号記念号)・・

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 「山河」創刊400号記念号(山河俳句会)、山本敏倖「『山河』四〇〇号を迎えてー新しい一歩をー」に、   今号で「山河誌」は創刊四〇〇号を迎える。/四〇〇号と一口に言っても、その来し方は想像を絶するものがある。  単純計算でも「山河」は隔月発行なので、一年六回。四〇〇を六で割ると約六十年と数か月になる。創刊は昭和二十四年二月。令和六年(二〇二四年)に、創刊七十五周年を記念している。計算が合わないのは一目瞭然。それこそが、苦難の歴史を物語っていると言えよう。  代表が長かった二代目代表加藤あきと、三代目代表松井国央、四代目代表山本敏倖の時は、隔月刊は滞ったことはない。注目すべきは初代代表小倉緑村の時代まで遡る。いわゆる「山河」草創期の頃、まだ充分な同人が集まらず遅刊や休刊が何度か生じたことを、すでに鬼籍に入った同人の方から漏れ聞いている。そんな時でも初代代表小倉緑村は、私財を投げ打って同人誌の形を維持したという。 (中略)   最後に創刊二〇〇号記念(平成五年二月一日号)の小倉緑村の巻頭の言葉を引いて結びとする。 「・・・・・我々はより深い精神位相確立のために新しい一歩を踏み出します。創造の愉悦を分かち合うために産みの苦難は当然のことですが、そこに文芸本来の意義を確信する次第であります。」  この精神は現在も変わることなく継続されている。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    隊列に放馬 (うま) は冷たく眼を開き      小倉緑村    うぐいすの領抜け出るまでの時間かな     加藤あきと     八月や白紙に任意の点を置く          松井国央    ちぎり絵の余白に春を入れておく        山本敏倖    良夜かな介護ロボットオフにして        秋谷菊野    柿熟れて天に無用の時間軸           穴原達治   超新星宇宙に浮かぶ仕舞旅           新井喜久    中心は過去に傾く寒卵             泉 信也    銀座線降りて秋思に乗り換へる         一井魁仙    気紛れな水おどらせて波の花          絲布みこ    憂国忌皿に分厚きミルフィーユ        植田いく子    わたくしを置きっ放しに夕花野        宇田川良子    百日紅我が人生の...

中里夏彦「原子爆弾製造所(はつでんしょ)/ラララ/僕等(ぼくら)ハ/未来(みらい)ノ子供(こども)」(『空を映す』より)・・

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 九里順子著『空を映す』(鬣の会)、「あとがき」に、  (前略) 「ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空」(『新古今和歌集』左衛門督通光)空は心を映すが、心もまた空を映す。外界と心が浸透し合って、その人の見る空が、生きる時間がつくられていくのではないだろうか。  そのような心を通して見えてきたいろいろが、この本に収めたエッセイである。「Ⅰ」「Ⅱ」は、所属している俳句同人誌「鬣」に、「Ⅲ」は地元紙『福井新聞』の「日曜エセー 時の風」に連載したものを、「Ⅳ」は、尊敬する知人で日本近世史研究者の菊池勇夫氏が刊行されている個人誌『北の歴史から」、及び勤務していた宮城女子大学日本文学科の研究紀要『日本文学ノート』に掲載したものを収録した。読んでくださる方々の心に触れるものがあったなら、とても嬉しい。  とあった。第「Ⅳ」章「戦後の時間」のなかの「『戊辰戦争一五〇年』そして『三・一一』の後」に、愚生は山口県(長州)出身だから…、そのわずかな部分だが、挙げて記しておきたい。   二〇一八年、私は仙台で暮していたが、仙台、会津若松、福島の地で「戊辰一五〇年」が銘打たれた。山口県で「維新一五〇年」が、故安倍首相(当時)も出席して祝賀ムードだったのとは対照的だった。因みに、福井県では「幕末・明治一五〇年」だったと記憶する。近代国家に蓋されていた、一括りにはできない各藩を流れていた時間が顔を出すのである。ここは東北だと実感した。戊辰戦争の勝者と敗者は乖離しており、近代国家の発展の中で無いことにされてきた敗者の時間の存在が、敢然と打ち出される。無かったことにされる扱いは、今も続いている。 (中略)   東日本大震災から十二年が過ぎ、二〇ニ三年八月に、被災者たちの手記を集めた『福島からの手紙——十二年後の原発災害』(関礼子編 新泉社)が刊行された。十七通の「手紙」は、淡々とした朴訥な語りが心に響く。 (中略)   編者の関礼子が「編者あとがき――十二年間の福島から」で、「この国は、大きな犠牲を人びとにもたらしてなお、原発に頼り続けなくてはならないのだろうか。/こうした問いを発するのは、二〇二ニ年六月十七日に最高裁判決が、国にはフクシマ原発事故の責任はないと判断したからだ。 (中略) 安全対策をしてもしなくても事故は防げなかったというのでは、あまりにも無責任である。」...

武藤幹「夏兆すいつか世間の側にゐて」(第9回「浜町句会」)・・

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 6月5日(金)は3ヶ月に一度の第9回「浜町句会」だった。初参加の方も入れて18名の方々。以下に一人一句を挙げておこう。    梅雨の夜は遠くへゆけぬ船のよう       田島実桐    浮人形のこる湯船にのこる波        伊藤左知子    そら豆やその鞘脱げばアールヌーボー     村上直樹    昼顔や細き足組む地雷系           白石正人    二重虹風のぼりゆく千枚田          宮川 夏    世を覆う同調圧力梅雨の空          石川夏山    黒南風や目をとぢてする目の体操       林ひとみ    薔薇を押し開いて君に逢いに行く       米原拓土    シルバーのガイド流暢若葉風         石原友夫    焼茄子や皮むく指の短距離走          みおい    金網に首突っこんでる未央柳          空 見    父偲びかくやで朝餉いただきます       植木紀子    国分尼寺の厨の跡の蝮草           赤崎冬生    父の日や子にイソップを読み聞かす      川崎果連    惜春やぶ厚き本に読了印           武藤 幹    ひとりでもパンよりゴハンあっぱっぱ     杦森松一    尿 (しと) もらしぬくもり下へままよ歩かん  植松圀夫    犠牲 (いけにえ) なり夜店の茣蓙の水蜜桃   大井恒行 次回、第10回は、9月4日(金)。      撮影・中西ひろ美「外国の色の増えゆく梅雨入り前」↑

上田玄「撃チテシ止マム/父ヲ//父ハ」(「鬣TATEGAMI」第99号より)・・

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 「鬣TATEGAMI」第99号(鬣の会)、特集は「第24回『鬣TATEGAMI・俳句賞』」、『上田玄全句集』、「句集『燃えるキリン』井口時男」。第24回「鬣TATEWGAMI 俳句賞」の授賞評は外山一機「『出口』の在処は―― 秋尾敏『子規に至る』 ——」、中里夏彦「臨界の目玉 高橋修宏 『暗闇の眼玉 鈴木六林男を巡る』 」。『 上田玄全句集 』評は大井恒行「父ハ日本カ…」、林桂「上田玄をくぐる俳句史」——上田玄論」、堀込学「上田玄試論——反近代のリアリティ」、一句鑑賞に佐藤清美、吉野わとすん、九里順子、池田楠、水野真由美他。井口時男句集『 燃えるキリン 』評は、董振華「井口時男句集『燃えるキリン 乱調泰西美術史初学篇』を読むー俳句という〈真剣な遊び〉の到達点ー」、後藤貴子「絵画の親和性」、一句鑑賞に大橋弘典、加那屋こあ、齋木ゆきこ、瀧澤航一、中川伸一郎、西躰かずよし、西平信義、深代響。その他、水野真由美「追悼 岩淵喜代子/火種のごとく」。投稿エッセイの児玉佳久「『新興俳人 高篤三資料集』補遺2ー細井啓司編著『高篤三句集』の誤記の訂正ー」には、   細井啓司氏の『高篤三句集』は、新興俳人の高篤三作品を読むうえで必要不可欠な俳句資料集であるが、偶々誤記と思われる箇所が目に付いたので、指摘し訂正する。 (中略)   クレー射つ白服のをみな面色 (いろ) も変へず(セ12・8)  も掲載されている。 (中略) 「セ」とあるのは、昭和六年に創刊された国際雑誌「セルパン」のこと。確認のため同誌の該当ページのコピーを神奈川近代文学館より送っていただいて照合したところ、   クレー射つ白服の夫人面色 (いろ) も変へず とあり、中七が「白服のをみな (・・・) 」でなく「白服の夫人 (・・) であった。「をみな」より「夫人」の方が適切であると私には思われる。 (中略) ともかく『高篤三句集』の15頁掲載の二句目は「白服の夫人」であることは間違いないので、僭越ながら訂正する次第である。   とあった。ともあれ、本誌本号より、幾つかの句を挙げておきたい。   フクシマは   くやしい   しかも   目交 (まなか) ひの虹 (にじ)         中里夏彦    落ち切れずまま錆びている白椿        堀越胡流       アストル・ピアソラ(バンドネオン・作曲/19...

各務麗至「まつすぐに穂麦の無限天を指す」(「詭激時代つうしん25」*栞版)・・

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 「詭激時代つうしん」25*栞版」(詭激時代社)、「春や嗚呼、七十歳痛々し/覚書にかえて……」に、  (前略) 今までそれこそ病院への送り迎え以外殆ど自分の事だけでよかったのが、日常生活の一から十までの時間に追われて……。昨年は、家内のやっていた日常を思い出し思い出ししながらなぞらえるようにして、そして、自分のやりたいこともガムシャラだったからか身体を壊した。  室内で、時間があれば机の前で、そんな運動不足からの筋肉が劣化してだろうか、萎縮して強張って?の痛みの酷さ……。そんななるとは思いもしなかった。分かるのが遅すぎた。体力や筋力維持のためには、と、体操やウォーキングを日課にして……。老化もあっての現在だが何とか体調も良くなってき来ている。  日向ぼこ、が、体力気力をそこまで回復増幅させるとは、知らなかった。   とあった。以下に、こもた小夜子「いま、ここ」の詩篇と各務麗至の句のいくつかを以下に挙げておこう。        いま、ここ         こもた 小夜子   たがいに  指をさして  黙る  果てしなくつづく  顔 顔  どこか  遠くで  春の嵐が  出かけよう  手ぐしで  髪をすいて  出かけよう  赤ん坊のように  ありったけの声で  泣いて  笑いながら   かの死去りこの死はじまる去年今年       麗至   如月や「ことごと句会」兼題『如』     大往生ここにもあつた日向ぼこ   戦争も平和も難儀 日向ぼこ   父母に妻は春逝くわたくしも   春きらりそこにゐるのは誰ですか   春風や核の塵かも知れないぞ  こもた小夜子(こもた・さよこ)1950年、香川県観音寺市生まれ。   各務麗至(かがみ・れいじ) 1948年、香川県観音寺市生まれ。       撮影・中西ひろ美「糊つよき浴衣始めやあやめ草」↑