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森山光章「〔南無妙法蓮華経〕は、〔狂気〕を力動に変換する」(「不虚(ふこ)」23号)・・

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  個人誌「不虚(ふこ)」23号(発行・編集 森山光章)、ブログタイトルにしたのは、森山光章「本覚(反ユダヤ詩篇)」の中の一篇。以下は、アフォリズム風の「更なる〔終わりへ〕へ」から、いくつかを以下に(原文は正漢字)、 * オランダの歴史家 「ルトガー・ブレグマン」氏は、「トランプは、米国史上、最も腐敗した大統領」と語る。 トランプ・ネタニヤフ・プーチン・習近平は、 〔破壊と虐殺〕をする〔脳(能)〕しかない。 慶賀である。タラズは、誅殺しなければならない。 それは、〔仏意〕である。 *「山上徹也」被告は、〔倫理〕を 行じているだけである。 それは、「テロル」の本質である。「安倍晋三」の死 (・) は、〔仏罰〕である。「山上」は語る、「偶然とは思えない、運命を感じた」と。〔諸天が動いている〕。〔仏罰〕である。 *「創価学会員は、〔命を削って、唱題しなければならない〕。〔一年三千・三千羅列〕、それだけが、この〔終わり〕に抗する、 唯一の方途 である。その為に、わたし達は〔阿頼耶( あらや) の底〕から、 湧現した のではないか。〔忘却してはならない〕。 *「AI」は、〔民衆〕を 完全に支配ー管理するための 「ツール」に過ぎない。〔御遊戯〕が、行われている。 *ネタニヤフが、「ホロコースト」について言うのは、 笑わせる。 現在(いま)、「ホロコースト」を行っているのは ユダヤ 人である。「ガザ」「イラン」、ユダヤ人が〔虐殺〕を行っている。   その他、詩篇に、大森雄介「驚き」、杉浦浩次「現代祖国心中論」、前田俊範「極寒の政治決戦、終わる」などがあるが、ここでは、いくつかの句歌を以下に挙げておこう。   前世まで尾羽たらせよ大孔雀           木戸葉三   凝りすぎて嘆くショートも幸ありて       久野加代人   寒卵うぶやに満ちる呱々の声           古岡壮大   胡蝶蘭くださりし人なくなりて我が永生きを恥じるばかりか   佐藤ミヨ子   ★閑話休題・・府川浩「節分や世界の鬼に手榴弾」(月刊ひかり・第795号「西山俳壇」)・・  「月刊ひかり」第795号・城貴代美選「西山俳壇」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)、以下にいくつかの句を紹介しておこう。    啓蟄やまだ生きねばと手術台       名古屋市 花井惠子    楓の芽指開くかに初ひ孫   ...

藤原龍一郎「ドローンが春の空飛ぶのどかさや原発並ぶ若狭海岸」(「短歌研究」5+6号)・・

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 「短歌研究」2026/5+6・第83巻第3号(短歌研究社)、扉には、 短歌・ハズ・ノー・ボーダーズ/300歌人の新作作作品集/七首+エッセイ(エッセイのテーマ=わたしの壁) 一冊丸ごと新作短歌(+エッセイ)の特別編成号でお送りします。/毎号の連載や企画はお休みです。 性別や年齢などではくくらずず、掲載はほぼ五十音順です。 今年はキャッチフレーズを、「短歌・ハズ・ノー・ボーダーズ」としました。/沙菜座真菜キャリアのみなさんが作品を寄せる、自由なセッションのような号となればという思いを託しました。  とあった。ともあれ、以下には、幾人か出会った方々の幾つかの短歌を挙げることにします。どうしても、愚生と近い年齢の方になってしまいました。  黒船の来しころといふのらぼう菜のルーツは相模の赤き畑          馬場あき子   雪月花美 (は) しきはいづれ 絶望に耐へゐる時か絶望に耐へ得ぬ時か     伊藤一彦   さくら狩りなのに桜ぢやないものを狩る人々と夜の涯まで           荻原裕幸   わがものにあらねど目に得て楽しむは咲きそめの梅、葉かげの椿       久々湊盈子   泣きやんだばかりの木かもしれなくて夜の公園のミモザ凭る          栗木京子   人類の滅び早めるものふたつ核とAI あらたなる神             桑原正紀   青虫をcatefpillarとぞ訳しつつ春期休暇に流れ込む児よ            黒瀬珂瀾   冬枯れの利根川わたるわが電車とほいところへ行つてしまへと         小池 光   もし春のたてがみあらばいまここがどこかわかるか疾風 (はやかぜ) のなか  小島ゆかり  「水師営の会見」「君死にたまふことなかれ」虚空に伸ばす明治のかいな     三枝昂之  ぬめりたる豚の匂いに沈みゆく暖簾の奥の博多濃麻呂            佐佐木定綱   岡井・田井・河野不在の結社誌の山賊鍋のやうな賑はひ            佐藤通雅   人はみな地球に産まれ地球に消ゆ地産地消 (ちさんちせう) のいのち愛 (かな) しも                                      高野公彦   咎なくておおき陰りに遭うごとし 母亡きあとのわたくしと父         辰巳泰子  寒天でできたお...

加藤閑「冷たき舌花紺青に染まりたり」(『四季』)・・

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  加藤閑第一句集『四季』(書肆魚住陽子の店)、序は鳥居真里子、その中に、  (前略) 口寄せのあひだぢゆう嚙んでゐる檸檬     白鳥の王家の系譜おほかたは夜   いずれの作品にも死の影が忍び寄る。が、不思議な明るさを伴う。死と再生の物語を詩人ならではの語彙感覚で表現している故であろう。表現者としての自負と希求がうかがえる。水彩画もまた然り。繊細で緻密、なによりため息が出るほど美しい。万物の生命の雫が鮮やかに描かれている。枯れや、死さえも生命として捉える才能は十七音の表現にも顕著である。〈繊細でなければしたたかになれない〉。ふと、そんな言葉が脳裏をかすめる。(中略)  また本句集には、先に挙げた魚住陽子著『草の種族』と相通じる世界があるように思う。魚住陽子の「生きる」という営みは死の対極にあるものではなかった。それは、始めと終わりの境界が定まることのない、いわば円を描くようなものだったのではないか。そして、そんな陽子の命の鼓動が、加藤閑のこころの襞のどこかに深く刻まれているような気がしてならない。  とあった。また、著者「あとがき」には、 (前略) その魚住がある時期から俳句に惹かれ、マンションの会議室で句会をやり始めた。当然わたしも誘われて参加したが、実のところあまり気が進まなかった。花鳥諷詠を十七音定型で写生するというイメージに馴染めなかったのが正直なところだ。だが彼女の個人誌『花眼』に発表した句には衝撃を受けた。   冬の日の丸ごとありて腐りたる       陽子 わたしの俳句観を覆す句だった。こんなことも書けるのか。はじめて俳句をつくってみたいという気になった。そのときの気持はいまもわたしの俳句に向き合う精神の底に川のように流れている。  わたしを俳句に導いた魚住陽子が他界して四年半が過ぎた。夢のように過ぎたその時間のなかでつくった句をあつめてこの本を編んだ。チョコレエトの箱のような本にしたかった。魚住陽子の名を冠した版元にしたのも彼女に対する感謝の気持をこめたつもりだ。  ともあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう(*注は略した)。    白魚は泳ぎわすれて盛られけり         閑    シーレの眼シーレの色に冷えにけり   誕生のまま炎天に立つてゐる   静寂を蘭鋳にして浮かべたり   聖人の嗚咽野に満ち藍刈る日 ...

筑紫磐井「ほのぐらき夜にせずりせさせ給ふ」(「俳句」5月号)・・

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 「俳句」5月号(角川文化振興財団)、大特集は「はたらく俳句」、神野紗希の総論「『働き方改革』と俳句」/なぜ『はたらく』を詠むのか」の結びに、    ナイターの膝の通勤鞄かな         小川軽舟   花を買ふ我が賞与でも買へる花を      西川火尖   子の床によりて句作の夜寒かな     長谷川かな女   (中略)  何のために「はたらく」のか。これらも句には、生き延びるためにの労働に追われながら生を塗りつぶされず、ときに遊び、花を飾り、俳句を詠む「私」の時刻が刻まれている。俳句という営みは。「はたらく」の外から「はたらく」を内包し、私たちの「生きる」を支えている。  とあった。また、大塚凱「現代俳句時評Ⅳ/帆を張る技術」の結びには、  (前略) さて、整理してみれば、句集に対する賞は、主に所属協会を横断した六十代後半~八十代俳人同士の顕彰を基調としつつ、俳人協会系を中心に広がる「青邨的なもの」と、他ジャンルと関係しつつ動的に価値判断を下す「澤的なもの」との相克が、現在の風向きといえる。 (中略) とはいえ、選考の趨勢と自らの作品を重ね合わせるような営みは不幸極まりない。そこで交わされた褒貶の痕跡は、むしろ選者たちのありようを物語ることになると理解した上で、わたしはわたしの帆を張りたい。どのように風が吹こうとも、帆は進むことができる。俳句の技術は、そのためにある。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくかの句を挙げておきたい。    「人影の石」とや永遠に人呼ぶ石        池田澄子    致死の美貌                  筑紫磐井    戻れざる地や春星の夥し           駒木根淳子    木の芽風迦陵頻伽の舞ひ上がる        木暮陶句郎    働いてこの夕焼を賜りぬ            櫂未知子      会社かめたしやめたし飛花落花        松本てふこ    ひとりづつタイムカードを押して霧       柏柳明子    残業の背中へ蜜柑配るなり           阪西敦子    非正規は非正規父となる冬も          西川火尖    卒業の白衣にカレーの消えぬ染み        北大路翼    手を振ればうまれつづけてしやぼん玉      安部元気    ハローワーク行こうか陽炎に入ろうか   ...

藤田湘子「死ぬ朝は野にあかがねの鐘ならむ」(『ささやかながら[藤田湘子の俳句をめぐって]』より)・・

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   津髙里永子『ささやかながら』(霞草文庫)、著者「あとがき」に、  福神規子主宰の「雛」に令和五年(二〇二三年)七月号から二年間、連載させていただいた文章をこのたび、一冊の本にまとめました。この文を書くことになったきっかけになった母は連載中に亡くなりましたが、彼女を通して、私はずいぶんと湘子の教えを学んできました。  介護施設に入所した母と会話したいと思って、会いに行くたびに俳句のことを話しかけ、殊に湘子先生の話をすると、表情も和らいで笑顔も見られるようなりました。この連載のおかげで、母の中で俳句がよみがえり、思いもよらぬ母の句集づくりへと話がすすんでいkみました。句集感性は間に合いませんでしたが、句集名『霞草双手に抱けば』は母が決め、小川軽舟氏が書いて下さった序文にも目を通すことができ、試作した表紙も見せることが叶いました。   とあった。集中の「掌握」の項には、   母の遺品に、参加したすべての句会の投句と当日受けた批評を清書した「句会整理帖」なるものが七冊ほどある。 (中略) 当人に無断で叱られるかもしれないが、幾つか例を示せば、湘子先生の俳句観も見えてくるかと思う。 ・母の句〈立春大吉畦を啄む鴉あり〉    (平成八年)   湘子→「啄む」は当り前。「歩ける」とする。「歩く」で「啄む」ことも連想される。  と、ある。また、面白いエピソードが記されていたので、それは「勇気」の項で、 (前略) 平成八年~十年頃であったと思うが、湘子が、何かの話のついでに「日本は三つも俳句の協会(伝統俳句協会・俳人協会・現代俳句協会)があるのは如何なものか。俺はフリーの立場になったから、将来、これを統一できたらと思うんだが。」と漏らしたことがあった。ただし、この意向は、その後(管見の限り)湘子自身の文字としては残っていないように思われる。  とあった。ともあれ、以下に、本書中から、いくつか湘子の句を挙げておこう。     枯山に鳥突きあたる夢の後          湘子    音楽を降らしめよ夥しき蝶に    雪だるま無用の礫くらひけり   雪形を天にあそばせ花林檎   ひぐらしのうしろさみしき白地かな    蛍火 (けいか) 忌と呼ばむか晴子逝きたる日   一塊のででむし動くああさうか     口で紐解けば日暮や西行忌   真青な中より実梅落にけり   月...

夏石番矢「枝々の傷口から春を呼ぶ声」(『見えない王冠 Invisible Crown』)・・

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  夏石番矢句集『見えない王冠 Invisible Crown』(Cyberwit .net)、序文はDr.カルネッシュ・クマール・アグラワル(編集主幹 /Cyberwit .net)、以下、日本語部分のみになるがを記しておこう。   世界が沈黙の緑に傾くとき、そこに冠がある。それは黄金でも栄光でもなく、俳句のための「不在」の冠である。「見えない冠」は何も重さを持たないが、すべての重みを担っている。悲しみが記憶へと変わること、喪失と憧憬、崩れ去り静かに再び築かれる世界の残響を含んで。   夏石番矢の俳句は単に観察するのではない。それは現実に対峙する。切迫し、生々しく、ときに渾沌としているが、唯一の明晰さに根ざしている。このページを貫く「見えない冠」は、象徴であり、証人でる。それは人間の精神が不在に耐えうることを思い出させ、沈黙そのもが重みを持ち、静止の瞬間が一生分の感情を含みうることを示す。 (中略)   またこの本は、俳句が単なる紙の上の言葉ではなく、実践であり、反映であり、自然と共に生きることなのだと思い出させる。  結びに、私はこう言いたい。夏石番矢は世界全体に向けて一つの教訓を示している。それは平和、統合、そして人類を結びつける静かな力の教訓である。  とあった。集名に因む句は、        大都市封鎖みんなの頭上に見えない王冠   Big cities in lockdown   the invisible crown          on everyone's head   見えない王冠あらゆるものを空位とす   The invisible crown          makes everything          vacant    などであろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下に、いくつかの句を挙げておこう(日本語のみ、英訳略)。    氷の私が氷の鬼を追い回す          番矢    月面への一歩と月面からの一歩   汚れれた優先席から墓場までの近道   塔人間を作っているのも塔人間   見える戦争見えない戦争炎天下   間違える故に我あり芋焼酎   靴裏で泥と枯草しばし休憩...

水崎野里子「春寒く/花の蕾も/開かずに/瓦礫に雪の/白き屍衣見ゆ」(『平和の葉っぱ』)・・

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  水崎野里子日英句集『平和の葉っぱ』(コールサック社)、解説は鈴木日佐雄「地球の冷えを温める平和の葉っぱを飛ばす人ー水崎野里子日英句集『平和の葉っぱ/A Leaf of Peace』に寄せて」、その中に、   詩人・歌人・翻訳家・評論家の水崎野里子氏が、初めての句集である日英句集『平和の葉っぱ/A Leaf of Peace 』を刊行した。本書は水崎野里子氏の多様な表現の試みが至りついた、とてもシンプルで最も重要な思いを宿した日英句集と言えるだろう。コールサック社の英語翻訳において水崎氏は2007年に『原爆詩人一八一人集』英語版の翻訳、2010年にディヴィッド・クリーガー日英詩集『神の涙——広島・長崎原爆 国境を越えて』の翻訳、2021年にラングストーン・ヒューズ英日選詩集『友愛・自由・夢屑・霊歌』の翻訳などを手掛けた。そのヒューズ英日選詩集の解説文で私は次のように翻訳者としての足跡や考え方を紹介した。 (中略)   水崎野里子氏の3行俳句は詩であり「手紙」であり、その「手紙」は「平和の葉っぱ」であり、それは「憎しみの壁」を打ち砕き国境を越え、「地球の花冷え」の村や町へ平和で温かな心を届けたいと願っている。私は2か国語で表現された日英句集『平和の葉っぱ』がクリーガー氏のような世界平和を探し求める人びととのところに飛んでいくことを夢みている。   とあった。ともぁれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう(途中英訳を付さず)。    河の神       the river gods   山なる神も     as well as mountain gods   熱の神       heated demons    広島と       A-Bombs of   長崎原爆                          Hiroshima and Nagasaki   季語と化し                      seasonable word in haiku         わ...