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春風亭昇吉「祭着のぴんと畳まれたるままに」(第80回「ことごと句会」)・・

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  6月20日(土)は、第80回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「予」。  以下に一人一句を挙げておこう。   白守宮ゆめのしつぽのまたはえて      林ひとみ    ナルシストのお喋りだろう 噴水      江良純雄    戦争のノーアイロンのアロハシャツ     宮澤順子    波音を身に秘め夏の夜間飛行        渡邉樹音    ぶらんこを漕いで長生きしたくなり     石原友夫    風車風の速さを待てば死ぬ         照井三余    半夏生おいでさよなら白いハンカチ     金田一剛    梅雨寒や別れの約束してしまふ      春風亭昇吉    虹消えて千鳥ヶ淵のひとばしら       杦森松一    神さびて多摩見下ろせり虹二橋       渡辺信子    夏兆す兄には兄の行く処          武藤 幹    予め夏は暑いと仮定する          村上直樹   蛇の舌あらゆるものを予め        杉本青三郎    泣き愁い生きるいにしえ山さんご      大井恒行 ★閑話休題・・森澤程「母の日の鍾乳洞より吐息洩れ」(「ちょっと立ちどまって」)・・ 「ちょっと立ちどまって」は、森澤程と津髙里永子の二人の毎月の葉書通信。いつもは記されている発行月が、今回は入っていない(順番から推測すると、2026・5だろう)。もう一人の相方の句を、     風知草昼から飲める酒房あり    津髙里永子          撮影・鈴木純一「命より情たいせつ五月波」↑          6 月 20 日   四代目 市川 小團次 没 ( 1812 ~ 1866 )  

豊田美根「ががんぼやがまんがまんの人となる」(『家族のカタチ』)・・

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 豊田美根遺句集『家族のカタチ』(私家版)、跋文は三輪初子「句集『家族のカタチ』跋文にかえて」、それには、    美根さんとのこんな再会の演出を纏められた豊田紀雄こと豊田すずめ氏は、やっぱり素晴らしい美根さんの御夫君です。その豊田氏と私は、その昔ある俳句同人会の同志として、句座に吟行に志を同じにしていた頃、彼女は気負いなく静かな佇まいに身を委ねていたと記憶している。 (中略)     やっかいなあんこう鍋と夫かな    蔦たぐり自分をさがす自分かな  晩年は病と闘い、夫を見つめつつ逝かれたと想うと切ない。  とあった。 ともあれ、以下に、本集よりいくつかの句を挙げておこう。    あはははと笑ひ尽せし寒さかな         美根    日の丸や吹かれしままのおらが春    暖かな猫の手役にたたずとも   お袋もそのお袋も星月夜   本能と言ふ能を用ひし冬の草   憲法記念日先ずは眼鏡を拭いてから   おーい土筆そこから日本海見えるのか   おぼろ夜の胸のときめき無限大   すぐ転ぶ足不揃ひの茄子の馬   敗戦日その一日は無言なり   心落ちさうで落ちさうで懐手     豊田美根 埼玉県与野市生まれ、享年82。   ★閑話休題・・Raum 旅と滞在 5月18日(月)~6月19日(金)(於:YOKOTA/TOKYO)・・  愚生は、「Raum  旅と滞在 /Christian Cornell Wvans/Hiraide Murakami Takiguchi」展(於:YOKOTA TOKYOU)の最終日に滑り込んだ。目当ては、平出隆と瀧口修造。                    撮影・中西ひろ美「あじさいの山盛り隣家住み替り」↑

月波与生「板垣死すとも(予備あり)の安心感」(「現代川柳/満天の星」第8号)・・

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  現代川柳「満天の星」第8号(満天の星社)、興味を引いたのは、第一回「ジュニークの山文学賞/受賞作発表」である。大賞は白水ま衣、準賞が真島芽。受賞作から各一句を挙げておくと、    宿罪として初日の出       白水ま衣    直感で発芽しちゃった      真島 芽    愚生には、聞き慣れない「ジュニーク」だが、どうやら、西沢葉大によって提唱された様式の川柳のこと。5・7または7・5の12音で詠む新しい定型の川柳。応募作の中から少し、引用紹介したい。   咲くまでは無料体験       郷田みや    初恋を。中抜きのまま。     牛田悠貴    色褪せた男と果てる     濱邉稲佐岳    前例のない肌ざわり      汐田大輝    りんりからふる鈴音       未 補 その他、本誌本号より、いくつかの作品を挙げておこう。    音姫に聞かれて困る音がない        白水ま衣    空洞が集まってくるレイトショー     空野つみき    何にでもなれて 何にでもなれない     蟹口和枝    わかりやすいペナルティたちが騒ぐ     牛田悠貴    月光に定員二人だが(良いか)       佐藤 紅    ポイントのたまる癖毛を育ててる     小沢 史    口ごもる言葉の尻尾引っ張りに       きりん    おつかいの途中で消えた近未来      汐田大輝    おとといの水のめぐりは椅子にある     蔭一郎    一部始終の灯台だった         宮井いずみ    いぬふぐり其れでも欲しいケセラセラ   片羽雲雀    背の高い書棚にかけた腰の精      山田真佐明    ポロポーズだつたの亀が鳴いたけど  しまねこくん    満天の鼻の奥から赤ホクロ         うつわ    ゴミ出しの日の征夷大将軍(粗大)     月波与生      撮影・芽夢野うのき「がんばりました花丸あげて夏空」↑

山内将史「任侠といふまぼろしを夏怒濤」(「山猫便り/2026年6月11日」)・・

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「山猫便り/2026年6月11日」は山内将史の個人葉書通信。それには、     不意に蝉鳴き出す夜の少年から    吉田汀史『浄瑠璃』  少年は蟬の化身か、からくり人形であるかのような不思議な驚き、夜道を歩く少年が蝉を入れた虫籠を持っていただけかもしれないが。      女正月比良も比叡も薄化粧      近江菫花「円錐」109号  「亀鳴くや墓石に古りし竜胆紋」「青葉雨鉦の音低き光秀忌」(同)。 レトロモダンという感じ。「雪化粧」でないのが奥ゆかしい。  とあった。 ★閑話休題・・高野芳一「非通知や切れてしばらく遠花火」(第54回「きすげ句会」)・・  本日、6月18日(木)は、第54回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「花菖蒲」。以下に一人一句を挙げておこう。    広重の素顔を見たる花菖蒲        新宅秀則    「網膜静脈閉塞症」梅雨深む      久保田和代       青鷺の歩み止めるや花菖蒲        濱 筆治    観音は小さき鉈彫りえごの花       山川桂子    空に星海にあやしき夜光虫        寺地千穂    折紙の山折り続く送り梅雨        杦森松一    梅雨湿り丸干一匹朝の膳         井上芳子    生き急ぐ友に捧げん花菖蒲        清水正之    花菖蒲すらりと青の立ちにけり      高野芳一    水中花ガラスの空から覗いてござる    大井恒行       撮影・中西ひろ美「てっぺんの居ごこち悪しき立葵」↑

服部清子「木洩れ日の貴船川床風薫る」(立川市シルバー大学「俳句講座」第10回)・・

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 本日、6月17日(水)は、立川市シルバー大学「俳句講座」第10回(於:立川市曙福祉会館)だった。以下に一人一句jを挙げておこう。    雨の間や鈴蘭の葉の露ひかる         永澤直子    木洩れ日を白シャツかけ抜けかき氷      服部清子    里山のお寺に文目 (あやめ) せせらぎの音   村井悌子    ぶらぶらと団扇片手にカランコロン      平田國子    今活きる心はまるし星涼し         樺島美知子     烏の巣足早に過ぐ電柱下           加藤由美    七夕の篤き願いに傾ぐ笹           由井幸男    暑さ倍増聞いてないよね花菖蒲        澁谷眞弓    ときじくぞ枯れない薔薇の紅 (あか) 浮くは  大井恒行    ☆閑話休題‥ユシヤ・チル―「恨む比謝橋や 情念人ぬ/割れん渡さして 書き手内やら」(上原栄子著『辻の華/くるわのおんなたち』より)・・ カストリ書房↑ 指切りクッキーの製造者は、境港市。 つまり、げげげの鬼太郎の水木しげる。 製造者は西山由美子・ひつじ製菓とあった。  上原栄子著『辻の華/くるわのおんなたち』(時事通信社・1976年刊)、その「はじめに」にの中に、  (前略) 沖縄の人びとは、唐世 (トウユウ) 、大和世 (ヤマトユウ) 、アメリカ世 (ユウ) 、そしてまた再起なった日本世 (ユウ) へと、幾度も世変わりを経験して、そのたびに支配者である三国の旦那様を持つ体験をさせられてきました。沖縄の遊女は自分のせいでもないのに、何度も旦那様を替えてゆかねばなりませんでした。沖縄の歴史は、薄幸な宿命に泣く遊女の、不幸な身の上をかみしめて暮らしている、そんな苦い思いにも似ているような気もいたします。 (中略)  一般世間とは違う“辻の姐 (おんな) たち“の生活や様子などについて、これまでに外側から書かれたものは数多くございますが、“辻“に売られてそのなかで育った内部の者によって書かれたものはひとつもないように思います。  “辻遊郭“は、太平洋戦争の時、根こそぎ失われ、もう昔の姿を偲ぶものは何も残ってはおりません。しかし、“辻“よりほかの生活を知らず、また逃げる場所もなかったわたくしは、二度と帰らぬ地域社会への報恩という意味も含めて、わたくし自身の様々な体験と、見たり聞いたりしたお姐...

高屋窓秋「星影を時影として生きてをり」(『高屋窓秋の百句』より)・・

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  鴇田智哉著『高屋窓秋の百句/最短詩への表現欲求』(ふらんす堂)、巻末の「高屋窓秋に関する三つのこと――『連作』『中断』『窓秋は俳句をどのように考えていたか』について」の中に、  (前略) さて、窓秋は「俳句」をどのように考えていたか。ひとことで言うなら、それは「最短詩」であると考えていた。 (中略)   窓秋の言う「最短詩」の定義には、案外とゆとりがある。講演をもとにまとめた「うつくしい言葉」(「俳句研究」一九七七年四月)という文章において窓秋は、「うしろ姿のしぐれて行くか 山頭火」を、「貧しき葬の足早に行く 蕪村」のような七七の句であると指摘したあと、「風立ちぬ いざ 生きめやも」という詩句について、「これは、さらに短く五七です。五二五です。五二五といったほうがいいかもしれません。このようにして考えてゆけば、最短詩表現の領域はかなり広いものであることがわかるし、そして、よい句が多く作られてゆけば、それがそれぞれに定型となる。私は、そうしたこから最短詩表現はすべて定型化する運命を持つと考えるわけで、それを俳句の領域と思うのであります」と述べている。  実際に窓秋は、自作の「花蔭の妊娠河ひえびえ」を「五・四・二・四」の句(「自註」)と言っているし、「蟻ぺちやんことなる風が吹くから」「石階を 昇る 帝墓の 雲や 虫の木」など、五七五に収まらない韻律の句を多くなしている。 (中略)   窓秋にとって「俳句」とは、「最短詩への表現欲求」であり、それは「俳句」という名称以前のことでもあったのだ。  とあった。鑑賞の一例を挙げておきたい。      降る雪が川の中にも不陸られぬ  『白い夏野』                     昭和八年  遠い空から落ちてきた雪が、水に触れる。また、水に触れる。そうして、いつか、雪のたどるかこは、川の中にまでいたるようになった。川の面という境目が、外れてしまったのだ。  この境目は、からだという境目でもあり、心という境目でもある。雪はからだの中に、心の中に、降るのである。すべてが下降線となって昏れてゆく。  自註には、「川を見ていたのではない。いっさいのものが沈んでゆく『思い』を見ていたのだ」「瞑想的な作り方」と書かれている。   とあった。ともあれ、本著より、句のみになるが、いくつかを挙げておこう。   頭の中で白い夏野とな...

野沢省吾「素うどんの前で安心してしまう」(「触光」90号)・・

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 「触光」90号(川柳触光舎)、主要記事は「第16回 高田寄生木賞発表」。高田寄生木賞に橋倉久美子「教科書に川柳を?」、入選賞に花島照子「なかはられいこ論/接続するわたしー背川柳の私性を巡って」、島田駱舟「入選至上主義という病」、西脇祥貴「記号句の意義について」、森砂季「『いけフリ』論・現代川柳読みのアイディア」、特別参加作品に月波与生「止揚としての川柳」。その月波余生は、   はじめに/川柳はしばしば「伝統川柳」と「現代川柳」という区分によって語られてきた。前者は定型、穿ち、おかしみ、軽み、共感性を基盤とし、後者は個の内面、言語意識、批評性へと比重を移してきた、と一般に説明される。しかし今日、両者は激しく対立しているというよりも、互いにほとんど関心を持たないまま並立しているように見える。伝統川柳の場では、現代川柳は「難解なもの」「自分たちとは別種の川柳」として距離を置かれがちであり、現代川柳の場では、伝統川柳はすでに更新の可能性を使い果たした形式であるかのように扱われる。 (中略)  無関心をを越えるとは、評価基準を混合することではない。差異を意識化し、その差異のあいだで書くことである。伝統川柳が現代川柳を読むとき、その難解さを排除するのではなく、なぜ難解に見えるのかを問う。現代川柳が伝統川柳を読むとき、その持続力の根拠を軽視せずに考える。読むことそのものが運動になる。止揚は理念ではなく態度である。相手を排除しないこと、しかし、同化もしないこと。分類の安定に身を置かず、緊張の内部で書き続けること。そのとき一句は、伝統か現代化という枠を超え。現在形の言葉として立ち上がる。 (中略)  ここで言う「読む」とは、単に作品を鑑賞することではない。異なる評価軸の内側に身を置き、自分の基準を相対化する行為である。伝統川柳の書き手が現代川柳の一句と正面から向き合うとき、「わからない」という感覚はそのまま問いになる。何が遮断しているにおか。自分の読解はどこで止まるのか。その問いを言語化しようとする運動そのものが、批評の始まりである。現代川柳の書き手が伝統川柳の安定した達成に触れるとき、その平明さを自明と見なすのではなく、なぜその形式が長く機能し続けてきたのかを問う。 (中略)   川柳は古い形式である。しかし五七五という器は、いまだに思考を圧縮し、感覚を際立たせ...