外山一機「前世などなくてただ犬それに風」(「鬣TATEGAMI」第100号)・・
「鬣TATEGAMI」第100号(鬣の会)、外山一機「創刊百号に寄せて」には、 二〇〇一年十月に創刊した鬣は今号をもって百号を迎えた。それは同時に、二十五年の歳月が流れたことを意味する。 (中略) 創刊して間もなく、三橋敏雄が亡くなっている。その後も戦後派の喪失は続いた。そのようななかで『定本三橋敏雄全句集』が、鬣の会を版元として刊行されたことは、戦後派の仕事を総括する意志も視座も瘦せ細っていくような時代にあって、鬣という場がどのように抗してきたのかを象徴している。 むろん、それは戦後派に限ったことではない。創刊五周年にあたって、林桂は俳壇の液状化現象を指摘しているが、作品の読みを通してあるべき「史」を一人ひとりが思うことなしには、現在の自らの仕事についても、友のそれについても、その意味を問うことはできない。液状化現象とは、そのように問う場が見えなくなってゆくということでもある。 鬣は、「俳句史の検証と顕彰、そして交流の場」であることを掲げ、一貫して特集主義をとってきた。今年で第二十四回目を迎えたた「鬣TATEGAMI」俳句賞が同人ではなく外部の優れた営為を顕彰するものであるのも、そうした志に基づくものである。創刊十五周年の時点で林は「『鬣TATEGAMI』」自身も、志を継いでゆく方法の模索を始める季節が訪れているようだ」と記している。 (中略) 思うに、志の継承とは、創始時の記憶の継承の謂ではあるまいか。鬣の志とは先に述べたことだけではない。水野真由美は最初の編集後記で「普通に生きている中に生まれる生き難さ、その空腹感を持つ人たちに、美味にして滋養に富む一品を本誌はお届けしたい」と記している。 特集記事は、「全部読む!『風の花冠文庫』」、「鬣TATEGAMI・100号年譜Ⅰ」、「『鬣TATEGAMI』総目次Ⅴ(第80号~99号)」、「羅針盤」として外部からのエッセイは、坪内稔典「林桂の大特集を」、復本一郎「『鬣』と私」、岸本尚毅「勉強になる俳誌」。ともあれ、以下に、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。 はつ夏のうしろをのぞく水鏡 青木澄江 広田篇 富士秋天帝国ニッポン亡ぶ日も 井口時男 「虫鳴かず悲しむ」回文すでに秋 蕁 麻 桜だいすきキッズバークに誰もなく 大橋弘典 ...