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多田孝枝「心音のしづかに激し天の川」(『心音』)・・

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  多田孝枝句集『心音』(花乱社)、序文は筑紫磐井「心音は永遠に」。その中に、  「ばあこうど」、多田薫さん、さらに福岡の広い文化人ネットワークとの私との関係はすべて孝枝さんを通じてであった。その一方で、孝枝さんが持つ福岡以外の広いネットワークは私の俳句のネットワークとかなり重なっていた。私が東京周辺の友人と、全く知らないだろうと思って偶然孝枝さんのことを語ると多くの人が知っていて驚くことがしばしばあった。私の知己でこういう人はほとんど例がないと言ってよかった。 (中略)  しかし、「ばあこおど」10号(二〇〇九年四月)以降は活動が休止する。孝枝さんの体調がよくなかったこと、特に代表である谷口氏の逝去が大きな原因だろう。かくして新たな代表に薫さんが就任し、二〇一五年二月、装いを改めて、俳誌「六分儀」を創刊(ばあこおど」を解題・通巻11号)とする。こうして新たな歩みが進もうとしていた折、二〇一八年十一月十五日、薫さんは永眠されてしまった。 (中略)   これほど仲の良い夫婦も珍しかった。第一句集は、二〇〇〇年六月、薫句集『草笛』・孝枝句集『道草』の二冊函入りであるが、二〇〇〇年一月、くもい膜下出血で倒れた薫さんの生還を祝っての刊行である。これを機に、孝枝さんは勤務をやめて夫婦水入らずの生活に入った。夫婦ともどもに人生の区切りを付けたいという思いがあったのでろう。二〇〇六年十二月医にも薫句集『蜻蛉』、孝枝句集『秋桜』を出しているが、これは薫さんの退職に併せての刊行であった。終活にむけての整理のような気がする。そして二〇一九年二月、遺句集『谺せよ』刊行、二〇二六年孝枝句集『心音』の刊行。  ただ仲の良いことだけで孝枝さんを語れるものでもない。実は、俳句関係の研究をしている者として「ばあこおど」にもっとも注目する理由は、川端茅舎に関する資料の探索を営々と続けられている点である。 (中略)     心音しづかに激し天の川  「心音止むや十一月十五日」もあり、心音は夫・薫さんの動悸であろう。そこには夫の心臓と同期(シンクロ)する作者の心臓の音もある。素直であるが心象性の高い俳句だと思う。 (中略)   寒晴や夫の言霊谺せり  勲さんの「全山の木の実降らせよ谺せよ」の句による句集名『谺せよ』と唱和する句だ。薫さんの句が山全体に共鳴するような作者の思いだとすれば、そうした夫・薫さん...

沖ななも「石一つ拾いてみたり 石一つ捨ててもみたり 軽くなりたり」(『木陰の思想』)・・

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  沖ななも第11句集『木陰の思想』(角川書店)、その帯には、    何人の人と会ったのだろう何人の人と会えなかったかこの世に生(あ)れて  木陰は光と影のあわい――。  神と仰ぐ木、民と暮らす木、その揺るぎない存在の下に佇み、たどり着いた。  澄みわたる詩想の記録。  とある。著者「あとがき」には、   前の歌集『白湯』『日和』を上梓してからだいぶ時が経ってしまった。。その間に大事な人を多く失っている。〈時〉は残酷でもあるし癒しでもある。(中略)こんどの歌集名はだいぶ大仰なものになってしまった。  樹木が私に与えた影響は思ったより大きかったのかもしれないと思い始めた。  また最近読んだ アラン・コルバン著・小黒昌文訳『木陰の歴史』にも少し刺激されたかもしれない。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を以下に挙げておこう。   あとからあとからあとからあとから落ちてくる水滴を雨とよびかえている  「どこ行くの」「いいとこ床屋の縁の下」遠くなりたる縁の下闇  ある時は断る理由にあるときは割引申請に使う年齢  海に遠し山にも遠く住むゆえに海にも山にも行かず託 (かこ) てる  老いゆけば忘るることを重ねゆく忘れなければ恥ずかしからん  一万年前の穴とて覗き込むキリストも釈迦もおらぬ宇宙に                       (上黒岩岩陰遺跡)  王の字にひとつ輝く雫あり玉の賞象 (かたち) は雫をまとう  わたくしが立てばわが影も立ちあがり坐れば座る 自律せよ影  飼われいし縞馬ついに脱走し密なる自由を味わいて死にき  竜田川に沿って歩けと教えられ沿いて歩くに道離れゆく  酉年はとっちらかす (・・・・・・) と言われつつ散らかしたままの人生である  木も国も組織も地球も人も病む経年劣化は公平に来る  開けんとして開かず閉めんとして閉まらず わが玄関は頑 (かたくな) である  ゆっくりと梅のつぼみの開きゆくこの世の時間 (とき) をすべらせ  彼(か)の岸がにぎやかそうな春三月父逝き母逝き兄も昨年  帰り来て家の明かりをつけてゆくそこここに影を生み出しながら  咲ききれば散るほかはなくはなびらは風吹けば散る風もなく散る     沖ななも(おき・ななも) 1945年茨城生まれ。   ★閑話休題・・志鎌猛展「不易流行」(於:日本...

大井恒行「トランプ・タカイチ浮かれジョーカーカードでない」(「俳句人」8月号・N0.784より)・・

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  「俳句人」8月号・No.784(新俳句人連盟)、特集は「平和特集/憲法が危ない 九条を守ろう!」、俳句とエッセイに田中陽、石寒太、大井恒行、小林貴子、望月周、丸山美沙夫、吉平保、金子まさ江、鳥羽しま子、星ゆきこ、田中勝久など。記事に梅澤優「戦後間もない百里基地反対の闘い」、特別寄稿に金子勝「『平和憲法』の純像」の、その中に、  二〇二六年四月一二に開催された自由民主党の「第93回定期大会」において、高市早苗内閣総理大臣は、、自由民主党総裁として演説し、次のような改憲の“大号令“を発した。(中略)「立党から、70年、時は来ました。『憲法改正』に向け、党員・党友の皆様の総力を挙げて、全国各地で国民の皆様への憲法に関する説明を行うとともに、国会においては、『結論のための議論』を進めてまいりましょう。そして、改正の発議について、『なんとか目途が立った』と言える状態で、皆様とともに、来年の党大会を迎えたいと考えています」。 (中略)   武力を行使しないで、「対話」で自国を防衛する権利は、「自衛権」とは呼ばない。それは、国家主権の一環としての「平和的外交抵抗権」である。  「対話」(平和的外交抵抗権)で国家が自国を防衛するのが、日本国憲法の理想である。国民も、「平和的抵抗権」で侵害に抵抗するのが、日本国憲法の理想である。  「第九条」の「戦争放棄」の純な理念は、自衛戦争の放棄にあり、「平和憲法」の純像は、自衛戦争を放棄した憲法である。(中略)  このことは、二一世紀は、自衛戦争を放棄して、対話で紛争を解決し、永久の平和を目指すことを掲げた日本国憲法「第九条」の「非戦・非武装・対話・永久平和主義」の実践の理念が、人類の「導きの星」となる時代であることを意味している。 「第九条」が創出した戦争を廃止する究極の方法である自衛戦争の放棄に基づく「対話による平和」を、「改憲クーデター」を阻止しようとする私達のスローガンにしようではありませんか。   とあった。ともぁれ、本誌より、いくつかの句を以下に挙げておこう。   永遠の戦後吉永小百合が朗読する      田中 陽   反戦の父の晩年夏帽子           石 寒太   見果てぬは叛の火・炎ホトトギス      大井恒行   滅びゆく世界をあばく蛇の衣        小林貴子   秋を待つ鳩の去りたるのちも日矢   ...

小林鮎美「死してなお村を出られず草いきれ」(『女王蟻』)・・

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 小林鮎美第一句集『女王蟻』(ふらんす堂)、序句は櫂未知子。    わたくしの城へようこそ女王蟻       櫂未知子 跋文は佐藤郁良、それには、   小林鮎美さんと初めて出会ったのは、二〇一一年の秋、第三回石田波郷新人賞の授賞式のことであった。私が選者を務めていたこの賞で、鮎美さんが奨励賞を受賞されたのである。当時鮎美さんは二十五歳、華奢な印象の中にもしっかりとした芯の強さをを感じさせる女性であった。   人も馬も痩せれば青し旱星   生まれつき手持ちぶさたで深雪晴  これらの句は、その時の受賞作品に収められていたものである。 (中略)   鮎美さんの同世代には力のある女性俳人が数多くいるけれど、小林鮎美の実力はその中でも出色だと私は信じて疑わない。すでに俳句歴二十年、ようやく上梓にいたった第一句集『女王蟻』を、私は自信を持って世に送り出したい。そして、鮎美俳句の一人のファンとして、これからも彼女の俳句を応援し続けたいと思っている。  とあり、また、著者「あとがき」には、    大学時代から現在まで、大体二〇年くらいの間に作った句をまとめました。実体験の句、妄想の句、どうやって作ったか覚えていない句など、二九八句を収めています。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。 (中略)  また、九年前、出産の際に三・六リットル出血しICUにて治療を受けました。医療関係者と献血をしてくださった方々に感謝いたします。  とあった。集名に因む句は、    水やりは女王蟻に届くまで       鮎美  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    人類は街を創りてクリスマス   ごきぶりと暮らすごきぶり殺しつつ   コンビニに電池・秋思に周波数   花ミモザ手紙は一度旅をする   万緑や死ぬまで座る椅子の数   春の雪マトリョーシカに闇の層   蚊の中で混じる夫の血わたしの血   星座には入らぬ星よ流氷期   人死んで家族集まる春の家   ぶらんこの鉄の匂いよもう泣くな   人生は実写版かも冷素麺   この星の遠心力と飛魚と   まぼろしの鳩を吐くまで止まぬ咳   水仙喋る喋るけど全部文字化け   巻貝の中はまっしろ春の夢       小林鮎美(こばやし・あゆみ)1986年、群馬県利根郡生まれ。                   ...

筑紫磐井「吾(あ)と無」(「現代俳句」8月号より)・・

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   「現代俳句」8月号・通巻733号(現代俳句協会)、巻頭エッセイ「直線曲線」に松王かをり「スポーツする俳句」、大崎紀夫「追悼/つげ義春の旅の一句」。論考に飯田冬眞「日野草城のオフィス俳句——戦火想望俳句へ至る妄想俳句の源流」、その中に、  (前略) 便 (たより) 来ぬ片山桃史生きてゐたり      桃史死ぬ勿れ俳句は出来ずともよし     (愚生注:日野草城)   昭和十三年九月、火野葦平『麦と兵隊』を題材に「戦火想望」五十六句を「俳句研究」誌に発表した。以降、妄想戦争俳句は「戦火想望俳句」と呼称され、俳壇史に名を刻んだのである。  だが、これら戦火想望俳句も作り方や焦点の当て方はオフィス俳句と何ら変わらない。電話やハサミといった「物」を通して無機質な事務室という限定された「空間」を描いたように、バケツや機関銃が「戦場」の空気を伝えているだけだ。 (中略) こうした「他者」を通して「場の空気」を描く技法をオフィス連作で実践していたからこそ、戦火想望俳句は成立したと言えるだろう。現実の制約を飛び越え、定型の中でイメージを大きく飛躍させる草城の手法は、オフィスという日常の中で鍛えられた想像力によるところが大きい。それが妄想連作を支えたのだ。  草城のオフィス俳句は、「懐にボーナスありて談笑す」を除くと俳句史では長らく顧みられなかった。だが、無機質な都会人の生活のなかに他者の気配を組み込み、季節の着物をまとわせてユーモアと温かみをもたらしたその試みは、没後七十年を経た今もなお、我々に鮮やかな生の実感を伝えている。   とあった。ろもあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    ああ暗い煮詰まっているぎゅうとねぎ    金原まさ子    戦後ながしどくだみの白闇に泛き       酒井弘司    夏怒濤目の前にふいに抱き合う        瀬間陽子    太陽系ながこがね蜘蛛の巣が揺れる      大石雄介    エンジョイの形になりきれず白薔薇       近 恵    夏の夢よく燃えていて父の貌        加那屋こあ    枯草の下幾千のいのちの香          宮原青佳    母さんはおこりんぼうです作り雨      前田未来子    人魚みな首だして見る流れ星         仲 寒蟬    勇気ときに山女に似たり泳ぎたり      ...

大木あまり「生きること死ぬこと風のねこじやらし」(「雲」第92巻)・・

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 「雲」第92巻(編集・発行人 伊藤眠)、連載に伊藤眠「味読十二ヶ月(第10回)ー今こそじっくり味わいたい名句たち」。ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。       病人を励ますごとく月上る         大木あまり    裏山は異界くちなわ誘える          大西健司    蠟梅や純粋令を発しける           坂間恒子    おひさまを絵のまんなかにつくしんぼ     望月英男    右手上ぐ合図も父似春がすみ         剱物剱二    経師屋の開け放つ戸や燕来る         仁上廣子    母とゐるこの世この時養花天         柳堀悦子    更年期更衣して幸年期            平田有那    夏近し土動くかに草の出づ          石田 眞    行商の魚捌きをり花の昼          川嶌ますみ    朧夜を吸えば手足も曖昧に         鋒山あき子    花水木愛のみを掌に生まれし子        伊藤 眠 ★閑話休題・・来る8月21日(金)19時開演・春風亭昇吉独演会「乾坤一席」ーゲストは全身落語家・立川志らくー(於:渋谷区文化総合センター伝承ホール6F)・・  愚生にとっては、かつて「遊句会」、TVプレバトの特待生であり、今は「ことごと句会」の仲間である春風亭昇吉の独演会「乾坤一席」、ゲストに立川志らく。御用とお急ぎでない方は、是非、独演会へ!!!     撮影・中西ひろ美「てのひらというやわらかを頬にあて」 ↑

江里昭彦「父の忌や遠(おち)の山脈(やまなみ)みな無帽」(SONUS)第2号より)・・

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  「SONUS」第2号(編集・発行人 古田嘉彦)、その「後書」に、 (前略) なお誌名の SONUS の読み方は、Googleの翻訳の機械読上げでは「ソノス」と聞こえるが、古典ラテン語の教科書的読み方で「ソヌス」と読むことにする。  とある。 また、古田嘉彦「工房ノート Ⅲ—2」の中に、  (前略) 66/抽象は私が想像に頼るときに生まれ、虚構を前提としてゐる具体的な出来事に縛られて自由を失うことから救いだし、次の展開を可能にしてくれる。俳句においてもし世界の具体的な事物、感覚的な要素を完全に省略すれば魅惑から遠い世界になってしまうので、そのようなやり方による抽象を試みるつもりは無いが、夢見るのはそのような自由な世界である。ミシェル・アンリはすべての絵画は抽象画だと言い、その上で情念(パトス)として「内部」が絵画作品より現実化されるのだと言うが、抽象俳句の論理もそれに似ている。 (中略)  68/「芸術家であってしかも病気でないというのは不可能であるとニーチェは言う。」(ハイデッガー「ニーチェ」)俳句は病気のように強いられて現われるときのみ存在してようのだろう。ただし詩・俳句には読むものを突き動かすという使命があるが、作者がそれを意識いているわけではない。  とあった。ともあれ、第2号より句を紹介しておこう。    寒暁の旗なり私語も咳もなく        江里昭彦     到達したところより先へ、乗り越え、どこまでも超越していこうとする。その結果たとえ醜くなることがあっても、破滅が見えてきても、それをやめられない。そうでなく無限の他者であるところの「現在」に今の時分を差し出すのか。    発芽 そして痛い所を数える        古田嘉彦  そして   、「 SONUS第」 第2号別冊の「後書」には、  この第2号別冊は俳句同人誌「LOTUS」第52号~56号及び「飢餓陣営」57号、59号、60号に掲載した作品の一部を、一部修正の上再掲載した。  とあった。ともあれ、以下いくつかの句を挙げておこう。      何十年も叫んだことが無かった    操縦は青切子を割るだけでいい          嘉彦      唯一残る問いは、「私はどこに派遣されているのか」だ。しかし、細い一筋の道以外に私がいるべき場所は無いようだ。    ともる豆電球増え続ける...