種田山頭火「投げ与へられた一銭の光だ」(『貧乏讀本』より)・・
鹿美社編集部編『貧乏讀本』(鹿美社[ろくびしゃ])、編集後記に、 お読みになってわかる通り、当アンソロジーでは個人の身勝手が招いた貧しさと社会的な貧困とを同列に並べて「貧乏」と一括りにし、そこは区別を付けませんでした。この点につきましては、今回は思考を促すためにより広い解釈を適用したことをご理解いただければと思います。ただ明確に戦争がきっかけの貧困については『貧乏讀本』という枠にはどうしても収まりきらないと判断し除外しました。 (中略) もちろん安易な貧乏の礼賛はナンセンスです。社会的な貧困は可能な限り無くしていかsなければなりません。 とあった。収録された作品は、種田山頭火「俳句十五選」、林芙美子「放浪記以前」、横山源之助「日本の下層社会(抄)、太宰治「清貧譚」、ランボオ作/中原中也訳「教会にに来る貧乏人」、小林多喜二「失業列車」、三好達治「貧生涯」、芥川龍之介「十円札」、萩原朔太郎「大井町」、樋口一葉「日記より」、石川啄木「『一握の砂』より」、辻潤「瘋癲病院の一隅より」幸田露伴「貧乏の説 抄」、八木重吉「神の道」、森茉莉「贅沢貧乏」など22作品。ともあれ、以下に少し引用紹介しておこう。 こほろぎがわたしのたべるものをたべた 種田山頭火 はたらけど はたらけど猶わが生活 (くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る 石川啄木 (前略) この病院は今までの中で一番気持ちがいい。もっとも場所が武蔵野のまん中で四方は田畑で、微かに電車の音がたまたまきこえてくる位で至極閑静でいい。(中略)晴れた日には秩父の連山が見える。夜は虫の声がする。これで夕方一杯にありつければはなはだ理想的だが、そこが病院のありがたいところで一杯の代りに南無妙法蓮華経を一時間、朝夕読誦することになっている。男女合わせて数百名の患者が一堂に会して法華経を読誦するところはなかなか珍観でもあり妙観でもある。僕も初めは一向気乗りがしなかったがやはり信仰の力というものは恐ろしいもので近頃では至極それが壮快で合唱のつもりでどなっているが後で頗る気持ちがいい。時々患者が奇声を発するのもなかなか愛嬌があっていい。我田引水的ではないが狂人が常識人より概して第六感?が発達しているから、宗教の奥義?ともいうべきものを直覚する力が遥かに常人...