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山下知津子「まつさきに火とならむ髪洗ひをり」(『一隅』)・・

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  山下知津子第三句集『一隅』(ふらんす堂)、「あとがき」には、  『一隅』は『文七』『髪膚』につぐ私の第三句集です。  二〇〇五年以降の四〇四句を収めたこの句集を出すことができたのは、ひとえに私の背中を強く押してくれた「麟」の仲間のおかげです。(中略)  「麟」の仲間、そしてふらんす堂の皆様に深く感謝申し上げます。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   鶏頭に佇ちぬ鶏頭よりかろく        知津子     八月四日 青山葬儀所 小田実氏告別式    柩見送りデモ動き出す蟬しぐれ   刑務所刊合同句集寒昴   十万年後のきれいな空気黄水仙       染谷佳之子さん『橋懸り』上梓   臘 梅にうるみふくらむ天地かな      母逝く   明日ありと眠りて覚めず白障子   福は内内なる鬼を飼殺し      駒木根淳子さん星野立子賞受賞   差し交はす好文木の紅と白   澄む水の濁りひとすぢ太りゆく   ダリア立つあなたにはまだ剪れざると   青蜥蜴イエスはいつも震へゐし   アフガンの銀河の下の蛇籠かな   冬の日やもう動かざる猫を拭く   開戦終戦男が決めて冴返る   小暗さの沖や冬虹散りしきる      悼 黒田杏子先生     〈花に紛れ闇に紛れ我に逢はむ 黒田杏子〉ありて   花に紛れ己に逢ひにゆかれけり     伊東柱 (ユドンジュ) の忌や北天に梅真白   白といふ重き椿のありにけり   裸木に裸木の影差しゐたる   戦後百年ありや白花曼珠沙華     山下知津子(やました・ちづこ) 1950年、神奈川県生まれ。   撮影・鈴木純一「上海も広東と南京から東京にヨコハマの薔薇を召しませ」↑         8 月 13 日   上原げんと   没   ( 1914 から 1965 )作曲家

三輪初子「平和と書くは易し薔薇は難し」(「わわわ」第10号記念号)・・

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 「わわわ」第10号記念号(発行人 三輪初子/編集 三輪初子・豊田すずめ・象ぞう造)。その「編集後記」に、  年一回の刊行誌『わわわ』が10号の晴れ姿を披露できたのは、大きな意義を持つ。  発足者豊田すずめ氏の引き合わせで、アーチスト同志句会が結成。「生きる語らい」の句座から生まれた自詠句と各芸術品の展示会を句誌と共に続けた十年間は「宝」である。  時代の変化伴に世の愁いに大いに怒って笑ってきた十四年間は、充実した余生を導くだろう。関係各位の御支援御厚情に深く感謝を申し上げます。世界の平和を心底願う。  とあった。以下に本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    太陽に向かひ裸になる木々よ          三輪初子    戦争は無くなりました四月馬鹿        豊田すずめ    枯尾花わたしの夢は死ぬことよ        岩石むそむ    介護者の「もう春ですね」夫の笑む      小野田信子    走り書き解読不能のまま日永         五木田心華    スキップの上手く踏めない草若葉        小林 繭   刺身さえわびさび気取り春の果         象ぞう造    梅月夜逝く後先の譲り合ふ          滝沢ひとし    フリル振るフラメンコたる鶏頭花        中嶋月草    秋澄むや追ひ越されても一歩ずつ        西田遊々    煤払ひ真似て振りたる小さき手        野村くじら    徒然なるままに新米来たりけり         浜野桂子    人はふと上を向くもの短き日       森田ふらみんご    春月やだいだらぼつちあくびせり        山﨑猿屋   冬日向陽だまりを追ふ植木鉢         須崎ひつじ ★閑話休題‥小川幸子「 宿六のああ、うん、いいや、異 (こと) も無し 」(第4回「多摩塾句会」)・・  8月10日(月)は、第4回「多摩塾句会」(於:府中市市民活動センタープラッツ)だった。兼題は「宿」。以下に一人一句を挙げておこう。    せせらぎに湯の音混じる夏の宿        富山 勉    盆提灯ゆれて今年も生きている        篠木裕子    神宿る祭りは果てぬあさぼらけ        小川幸子    フェンスに絡まる我は零余子の輪廻故    早川ひろ美    心天シュルリ午後の...

福本弘明「頬かぶりのままで私としたことが」(「新・黎明俳壇」第17号より)・・

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                「新・黎明俳壇」第17号(黎明書房)、特集は「気鋭の俳人10人が鑑賞!/橋本多佳子の名句20句を読む」。気鋭の執筆陣は、川島由紀子、横山香代子、杉山久子、植田かつじ、かわばたけんぢ、星野早苗、水木ユヤ、川崎果連、なつはづき、若林哲哉。扉には、 (前略) 今回は、多佳子俳句に造詣の深い松永みよこ氏に、「多佳子の求めるビ」の観点から20句を選んでいただきました。  そして、松永氏には、次頁で「橋本多佳子 吾の美にたどりつくまで」をお書きいただきました。/ご一読ください。/(武馬久仁裕)  とあった。執筆陣の中では、川崎果連が多佳子の2句「 乳母車夏の怒濤のよこむきに 」「 いなびかり北よりすれば北を見る 」について、 (前略) 俳句に限らず、人間が生み出す「作品」に「たくみ」がないわけはないので、それがみえるかどうかを問題視することには賛同するが、この2句にかぎって言えば、注目すべきはそういうことよりも「時間の描写テクニック」であるとわたしは思う。  時間には言うまでもなく現在を挟んで過去と未来があり、それぞれおおまかに前期・中期・後期とに分割できる。どこを詠むかはもちろん自由だが、いちばん面白いのは当然「現在」であり、特に美味なのは「もう少し続いていきそうな現在」よりも、「どうなるかわからない未来の直前としての現在」である。 (中略)  句は「北を見る」という前書きを持つ連作10句のうちの1句である。詩歌に限らず演歌や歌謡曲にいたるまで日本人は「北」を好む。(中略)それにしても、この2句を並べてみると「シンプル・イズ・ベスト」という言葉が改めて説得力をもってくる。   と記していた。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を以下に挙げておこう。   六歳のままの写真や鳥帰る        太田風子   熊眠る熊には熊の子守唄         赤石 忍   ククヲヨムコエガコガラシツレテクル   朝倉晴美    鯛焼を何度あたためなおしても      二村典子   枇杷ほどの土竜果てたる梅雨入かな    金山桜子      野遊びのいずれの声も高かりき      竹澤 聡(第56回黎明俳壇特選)    野狐まじへ宴たけなわ花見酒       新座惠子( 〃 ユーモア賞)    一村に一本の川夏燕           浦城亮佑(第57回...

柴田獨鬼「連れ歩く月日重たし夕もみぢ」(『ままのまま』)・・

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  柴田獨鬼第二句集『ままのまま』(東京四季出版)、序詩・序句・結句、跋に相当する「獨鬼俳句を読む」には、冨士真奈美「ドッキリ叙情派」、原満三寿「残日のままのまま」、関根順子「獨鬼俳句における『生の在りよう』」、月犬「〈死と再生〉生の悲しみと切なさ」、皆川燈「『ほたる』と『にんげん』の往還物語」。著者自身による序詩は、   うぶすなは/ほたるの郷よ/ちちははの/愛しき人の/もろびとの/こぞりて来たる  ああ ほたる/われもまた/いつかほたるの/灯とならむ   序句は、   初日記起承転転書き始む           獨鬼 結句は、    年を越す起承転転獨鬼の忌      とあった。愛情あふれる冨士真奈美の御文には、  (前略) 柴田さまの御作は語彙も豊富で、叙情に充ちていて、確実に読む人を魅了する力をお持ちだと思います。生と死、父と母、喋々と蛍など、今度の御句集ではテーマが絞られていて、表現なさる叙情の世界は、あまり広くないようにも思われました。ですから真正長嶋主義者のいわば明快好きな私なんぞは、三百余句を拝読するうち、もっと違った型で提出していただければ柴田さまのの世界がぐんと広がる、という願望を持ったりもいたしました。  例えば、私が御句集の中で思わず笑い出し、これいいじゃん!と思った御句は、   懐かしき幽霊もゐて踊りの輪   俳句らしいおかしみと考えれば、奥深さを感じられもし、愉快です。   にんげんのままで迎へる初あかね  と年を迎えて、   年逝くやなほにんげんのままのまま  ときては、あまり目出度くない。一句くらい、一茶みたいに、正月の子供になってみたきかな、と呟いてもいいんじゃないでしょうか。ままのまま、と可愛い感じの言葉。子供のままのまま、と響きもいい。 (中略)   おもかげは白き貌して秋の色   たましひのかそけき影や冬の蝶  美しい「おもかげ」や「たましひ」を脱皮してこの一句。   枯木立百樹の中の一樹われ  いいですね。私もまた、枯木立群の一樹です。枯木が生意気なことばかり申し上げて、お許し下されたく。   とあり、著者「あとがき」には、  現代詩から出発した文学遍歴のせいか、表面的現象や事象を捉えただけの俳句に関心を持てず、客観写生や花鳥諷詠から早々に離脱し、内面観想の果ての虚実皮膜の夢を自分の俳句としてきました。  わが半生のなかで多...

各務麗至「それは駄目オノコロ島の磯巾着」(「詭激時代つうしん」29」)・・

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 「詭激時代つうしん」29(詭激時代社)、その「覚書にかえて……」に、  何を思い立ってか……、で、「忘れたらダメよ」との声が聞えそうで、絶版作品集の編集発刊の足跡を、奥付と記憶から改めてここに記録することにした。麻生知子等の創刊(昭和四十八年)した同人誌「白翔」があったが、その七年前からの個人活動だった。 (中略)  扨、個人誌の始まりは昭和四十一年で、令和八年の今年「詭激時代」は創刊六十周年になるという事らしい。書き上げたと思えた「粥盗人」はその三年前だが、そんな始まりの頃の、麻生知子に、今号久しぶりに巻頭に登壇して貰った。詩集「つうのための断章」は、夭折の志都一人と同じように当時当界に激震を呼んだ。私にとっては当然で、 定本や文庫の発行月日八月十二日は、麻生知子の命日で……、私には何の記念すべき褒章名誉もないが、それこそ麻生知子だけでない、第三次詭激時代「戞戞」百六十五号は妻の追悼号、通巻二百九号のその後「詭激時代つうしん」になったが、 それこそ出会って教えられての師友あまた……、無論家内もで「そんな縁あればこそが勉強で何がしかの感謝が成果で、それで、随分十分だよ」と笑ってくれているかも知れない。  とあり、その巻頭、麻生知子「『つうのための断章』から」には、 識る/あたしは鳥だったからひとのかたち借りた/ひととして生まれていたら あたしは鳥になれたか 腕をのばし指先をそりおえて羽撃き翔べたか ゆきの曠野でたおやかに舞えたか しろさを超えいろのない世界で 爪先だってくるりとまわり 透けてくるおもぃこめて舞えたろうか 霏霏とふる音のない闇にうずくまり 与ひょうとひとこえたかく呼べたか あたしのしろさに降りつむゆきをかなしいと見たか そしてなによりもおまえだけのためにこのいのち紡ぎこのいのち織れただろうか /凍てついた指で血のにじむ羽毛を織りこみ /なおもしろい布である いちまいのいのちを とあった。以下は、各務麗至の句作品から、幾つかを挙げておこう。    しやらくせいどつこい春が通ります      *とはいへ永遠夢幻    万緑や何かきこへてくるやうな    *生き方を見せられ見せて    見上げれば妻よまう空がある   秋桜に風こそよけれ風そよけれ   AIに警鐘乱打せ核の地久   落ちてきて蟬それつきりこれつきり    *さて どう生きる    生...

大井恒行「白鷗の一巨花二十五周年」(「鷗座」8月号・第478号)・・

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 「鷗座」8月号・第478号(鷗座俳句会)、巻頭は松田ひろむ「千日千句抄ーバンクシー」、    夏草や瓦礫ながらにバンクシー       松田ひろむ  松田ひろむ「鷗座二十五周年を迎えて」には、  「鷗座」はこの八月で、創刊二十五周年、通巻四七八号となった。「鷗座」の創刊は二〇〇一年八月であるが、その前に鴎の会があった。  鴎の会は、一九八二年、板橋区で松田ひろむを中心に数人の句会として発足。一九八四年四月にはその「会報」が創刊されている。その後、古沢太穂先生のご逝去のあと、「鷗座」として創刊されたものである。 「鷗座」は、「創刊のことば」にあるように「平明清新、抒情、生活感覚」「自在な発想と自由で多彩な作品」を目指してきた。 (中略)  創刊二十五周年を経て、私もこの八月二十五日で八十八歳となる。同人、会員も八十代が増えてきたものの、ようやく実務の多くは六十代以下の仲間が担うようになってきた。人生百年時代、私の気力、体力がどこまでつづくかわからないものの、百歳現役を目指したいと思っている。  世界も日本も、けっして明るい現実ではないもの、そのなかで生き続ける俳句の力を信じたい。明日に向かって、この二十五周年を跳躍台にしたいものである。  とあった。ともあれ、「鷗座創刊二十五周年 近作三句」からと本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    大樹あり即ち次々小鳥来る          池田澄子    朝日昇る海翔びくるや太穂の鷗        大井恒行    ことだまよ鷗の羽根の白涼し         神野紗希    鮮やかな現世つぎつぎ滴りに        佐怒賀正美    どろどろと黒南風夜の雨戸うつ        中村和弘    敗戦日それからずつと敗戦日         堀田季何    妻といふ名の悪友と寝待月          木村晋介    歌麿の女の引き目つりしのぶ        白石みずき    しんがりの子よいそぐなよ楸邨忌       古川搭子    羽抜鶏生きるためならエンヤコーラ      宮 沢子    八月来戦争タグを付けたまま         石口 榮    人口減ビールの泡のほとばしる       石口りんご    催促はしたくはないが緋のカンナ       小髙沙羅    覚書交わす傍から紙魚奔る          米原拓土 ...

山田耕司「早苗植う顔なき影の顔に植う」(「円錐」第110号)・・

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 「円錐」第110号(編集委員 山田耕司/今泉康弘)、特集は「第十回円錐新鋭作品賞受賞者新作」。特別寄稿に大塚凱「書評『澤好摩俳句集成』/最後の墓守」、池田瑠那「円錐110号の作品を読む/触覚・視覚・聴覚・痛覚」。評論に今泉康弘「神戸、流れてどうなるの 第4回ー西東三鬼・『神戸』・『冬の桃』」、その他に、山田耕司「土佐・佐川町訪問記(二〇二六年)/西へ西へ」、今泉康弘「ガザの見える映画館/パレスチナ・イスラエルについての近年の映画と本から考える」等。「ガザの見える映画館」の中に、  (前略)イ スラエルに襲撃される惨状を、ガザの内側からの報告・映像によって見せるドキュメンタリー映画がある。『手に魂を込め、歩いてみれば』(監督セピデ・ファルシ、二〇二五、フランス・パレスチナ・イラン)だ。ファルシ監督はイランからフランスに亡命した人物。彼女はガザの実情を知りたいと希望し、ガザへ向かう。だが、ガザは封鎖されている。そこでガザに住むジャーナリストで写真家のファトマ・ハッス—ナと携帯電話(スマートフォン)を使ってお互いの顔を見ながら会話をやり取りしてゆく。その映像を中心にまとめたのが本作である。監督の年齢は不詳だが、六十代くらいだろうか。ファトマはこのとき二十四歳。母と娘のような年齢差の女性二人が会話を重ねてゆく。その背景としてのガザはイスラエルにより封鎖と攻撃に曝され、緊張と不安との真っ只中だ。監督はファトマの携帯電話からの報告を通してガザの様子を知る。ファトマは生まれてから、ガザの外に出たことがない。(中略)  またファトマは爆撃の音を録音している。監督はその音を劇中で大きく流す。その時、映画の画面 (スクリーン) は真っ黒になり、劇場内は闇に包まれる。そうして、劇場の優れた音響装置で爆音を聞くと、観客であるこちらもまた、空爆の中にいるような気持がする。(中略)  そして、「最後の通話」とテロップに出る。「この映画がカンヌに出品されることになった。あなたはカンヌに行きたい?」と監督が問う。ファトマは答える、『もちろん行きたい。ただし、ここに戻ってくる。隅々まで破壊されても、ここを離れることはできない」。  そのあと、「ファトマが空爆で死んだ」というテロップ出る。ファトマの一家の住む階だけがイスラエルのミサイルによって攻撃され、ファトマは家族もろとも殺された。イスラ...