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子規「はれきつた空や雲雀(ひばり)の声青し」(「図書」3月号より)・・

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 「図書」3月号・927号(岩波書店)、神野紗希「あきらめる以上のこと」の結びに、    露草や野川の鮒 (ふな) のさゝ濁り   子規   豚汁の後口渇く蜜柑 (みかん) かな    〃   糸瓜 (へちま) 咲て痰のつまりし仏かな  〃  野川の何気ない風景も、豚汁や蜜柑を食べる他愛ない日常も、子規は大切に詠みました。亡くなる十数時間前に詠んだ糸瓜の句では、遺骸となった未来の自画像すら淡々と描いてみせました。ささやかな光を取りこぼさず、病の身すら己の手でありのままに写すことが、「あきらめるより以上の事」、運命に対する彼の抗いだったのです。   とあった。たまたま、数ページ先にあった、中村祐子「女が狂うときー21/ 狂ひと物語/狐憑き、石牟礼道子と森崎和江 」が目に止まった。その結び近くに次のようにあった。 (前略) 「おなごというものは、生まれながらにして三界に家なし」  みっちゃんの父はそう、憐憫(れんびん)とも諦めともつかぬことを言う。  道ばたを自由に歩き、そのたびに女たちに手を引かれて返されるおもかさも、天皇陛下が水俣へ行幸なさるときは「精神異常者は、ひとりもあまさず、恋路島に隔離の措置」と隠された。  中央の、大学の、やがてこの街を破壊するチッソの論理が覆いつくす前の、石牟礼が描くあたたかい体温をもった水俣では、おもかさまは自由に通りを歩いていた。「しんけいどん」と呼ばれながらも、何かの物語に依拠することなく、おもかさまはおもかさまの時間のなかで、みっちゃんと豊かな山の息吹を感得しながら生きていた。  精神をやんだ「しんけいどん」が「三界に家なし」の「おなご」として、それでもみっちゃんや娼楼の姉さんたちと、いたわり合いながら暮らした土地。  だからかもしれない。水俣病に覆われたかの地で、病に倒れた人たちの連帯が強く起こった。石牟礼はその中心にいたが、多くの人が嘘偽りのない体で東京まで出ていって座り込みをしたのだ。 「狂わる」人が狂ひの時間を女性たちと生きた土地もあれば、社会が女を狂わせ、社会が女に狂う物語を与えることもある。行き場のない狂気が娘にまで「吹き寄せ」られることもある。おなごの煩悶はそれだけ底なし沼のように深い。   と記されていた。 ともあれ、前掲の神野紗希の文中から、いくつかの子規の句を挙げておこう。   例年よ彼岸の入に寒いのは...

安斎未紀「信頼と依存の違ひ知らぬまま生きて(それは本当の生?)(「Sister On a Water」より)・・

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  「Sister on a Water (シスター・オン・ア・ウォーター )」(シスオン)、特集は「安斎未紀」。主な内容は安斎未紀「希死念慮」、安斎未紀エッセイ「猫、と言われても…」、喜多昭夫選「安斎未紀 100首」、資料『掌上動物園』『2024年2月刊)として、藤原龍一郎「解説 短歌に選ばれた人」。批評『短歌人』2024年9月号「安斎未紀歌集『掌上動物園』より、森島章人「自らの祭司」、高島裕「イリュージョンを超えて」、池田裕美子「宿命を織る――散華図絵」、そして、喜多昭夫「死への接近/生への活路」、笠木拓「色彩がふちどる水母」、小関祐子「美しきサバイバー」。エッセイに岡田悠束「安斎ちゃん」、一首鑑賞に大森静佳、平岡直子、小田鮎子、髙田暁啓。喜多昭夫と安斎未紀対談「短歌表現は『救抜』となりうるか?」。ここでは、藤原龍一郎の解説「短歌に選ばれた人」の一部を引用しておこう。  (前略) あとがきに「精神障害との闘病に明け暮れつつとうとう短歌を離れることが無かった」とあるとおり、安斎未紀は過酷な病に心身を苛まれつつも、短歌を唯一の自己表現の方法として、離れることがなかった。これは、逆に言えば短歌自身が安斎未紀という歌人を手放さなかったということだろう。 (中略)  最後に「拒眠の棘」という一連から何首かを提示する。  眠る気がしない、眼 (まなこ) もつ、恐らく幼少期にそを知りき  +  枕に血潮 耳から脳が垂れてくることもありなべてだらしないから  眠れぬを日常として暗がりに水色の蛾のひ狂ふなり  読んでいて胸が押し詰まるような一連である。音読してみるとさらに切迫感が増加して、息苦しくさえなる。  繰り返すが、自ら体験した心身の苦しい状況を短歌で表現するということは、その苦悶を追体験することにほかならない。それは生半可な精神ではできない。これを表現せずにはいられないという強靭な表現意志が必要なのだ。その表現意志に短歌型式もまた、応えている。その意味で安斎未紀は、」まぎれもなく短歌に選ばれた人である。短歌に選ばれた人の命がけの表現を受けとめてほしい。  とある。 ともあれ、本誌より、いくつかの作品を以下に挙げておきたい。  死を願ひ髪を洗ふをやめし朝雨は黄蝶を濡らしてゐたり       安斎未紀  わずかずつ平癒してゆく痣を持ちみじかい夢をかさねて眠る     小俵鱚太...

仲寒蟬「地雷原にもたんぽぽは咲くだろうか」(「俳人『九条の会』通信」第28号より)・・

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 「俳人『九条の会』通信」第28号(俳人「九条の会」事務局)、事務局長・吉平たもつは「 ニ〇二五年四月二七日、東京都北区(北とぴあ)にて、俳人『九条の会』新緑のつどいが開催されました。参加者は七三名でした。/講演者は弁護士の白神優理子さん、俳人の仲寒蟬さんです 」と記し、松田ひろむの開会挨拶には、 (前略) 今年は昭和でいえば、昭和百年、そんな企画も増えています。ただ、私は「昭和」という天皇の在位に基づく元号には否定的です。四月二十九日だった天皇誕生日という季語ももういつのことだったか分からなくなっています。三橋敏雄に〈軍装の昭和天皇忌の燕〉という句があります。つまり昭和とは戦争と平和のせめぎ合いでもありました。  とあった。そして、仲寒蟬講演録「戦争俳句と大牧広」の中に、 (前略) 戦争反対の理由は飽くまで庶民の立場として、いつも戦争でひどい目に合うのは庶民だからです。大牧広は一貫して庶民の視線を忘れない俳人でした。彼の戦争俳句は空襲によって自分の家が全焼し、酷い目に遭ったという経験に基づいています。こういうことはもうやってはいかんという立場です。 (中略)    幾千代も散るは美し明日は三越   南国に死して御恩のみなみかぜ  一句目は昭和の初め頃の広告「今日は帝劇、明日は三越」のパロディです。二句目は痛烈な皮肉ですね。南方の島、餓島と呼ばれたガダルカナル島などで命を落とした兵隊さんに天皇の御恩である南風が吹いているよと。 (中略)    開戦日が来るぞ渋谷の若い人   軍神の生家朽ちゐて草いきれ   父とつくりし防空壕よ八月よ   敗戦の年に案山子は立つてゐたか  一句目、若い世代へのメッセージですね。軍神の句の皮肉、防空壕の句の思い出、案山子の句は戦争を経てもしぶとく生きる庶民への視線が感じられます。 (中略)   俳句にできることは少ないかもしれませんが今日読んできたような先人たちの作った戦争俳句を次の世代に伝えていくことが大切です。自分たちが戦争に関する俳句を作る時には庶民の立場で詠み、庶民の視点を忘れないことです。  先の大戦はもちろん軍部が、政府が愚かだったから起こった。しかしそれを煽り立てたマスコミにも踊らされた国民にも責任があります。我々が歴史を学び、賢くなって二度と馬鹿な戦争はしないと心に誓うことが大事なのです。  とあった。  ともあ...

田島実桐「愛の日の風の渦巻くロータリー」(『空かぬ席』)・・

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 田島実桐第一句集『空かぬ席』(現代俳句協会)、序は中原道夫「序に代えて」には、  (前略) 句集を拝見すると、大体その作家の興味の中心、傾向からそ為人(ひととなり)というのが浮き上って来る。この人は一寸世の中を僻目に見る。女性にしては(こういう表現はセクハラ発言ととられそうだが)少々醒めたものの見方(それはポーズであったとしても)読者が同調するツボを心得ていて、上手い。   客引の当たつて困るものばかり     (中略)   この作者は木目込み人形を作る仕事を生業としている。デパートなどでも展示会をやっているらしいのだが、生憎拝見したことが無い。俳句で見る様な彼女の気質がどんな人形を生みだすか、一度は見ておいた方が良いだろうと思いつつ実現していない。人形を作り出す、色々な創作の中でそれに傾倒したということは本筋の処では優しい人なのではと思っている。 (中略)   人形に関する細やかな、神経とはまた違った発露が俳句という表現に落とし込む作業が、決して別の様に見えていてそうでないことを、感じ始めているのではち思う。今後楽しみな作家が、ひっそりと「銀化」の森の隅に燻っていたかの様。  とある。また、今井聖の「跋」には、   『空かぬ席』の中には見立て、機知、感覚、情趣的諷詠など従来の俳句作品に見られる典型的な傾向に混じってどこか不思議な世界が立ち上がる。不思議というより不穏な空気と言っても良い。それはむしろ「詩」にとっては大切なこと。個人的な息吹を感じさせる尋常ならざる風景こそ「詩」の要諦なのだから。 (中略)   文学作品は全てフィクションであり、演出である。虚子は俳句の情趣は明るく前向きで希望があるものに限ると言った。つまり向日性こそが俳句の本領だと。僕はそうは思わない。自己の中の暗いものや重いものを抉り出すのもまた文学の要諦だ。田島実桐の個性はそこに際立っている。実桐さん、実桐は「見切り」の意でしょうか。まさかね。 とあった。集名に因む句は、    日短か誰か死なねば空かぬ席       実桐 であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。    バットエコーシンセイワカバ晩夏光   靴紐の✖✖✖と春を待つ   夜行図に百鬼をらざる涼しさよ   裸木と裸になるであらう木と   焼鳥の煙は鳥に帰りたく   襖開き隣の部屋の灯が...

橋本輝久「坂あれば白き花咲く長崎忌」(「なごや出版情報」第16号より)・・ 

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 「なごや出版情報」第16号(フリーペーパー/問い合わせは風媒社)、表紙に「 東海でがんばる出版社あつまれ! 」とある。東海地区11社の版元が参加している。  愚生が若き日、書店員だったせいか、ガンバル書店員のエッセイなどには、知らないうちに目が行く。巻頭の見開きには、ブタコヤブックス・船張真太郎「学校と本屋のあいだで考える」、幸田駅前書店・藤城博基「僕の本屋人生」のエッセイが並ぶ。が、ここでは、愚生が何かと世話になっている黎明書房社主・武馬久仁裕の「私の出会った東海の秀句③」のページに触れたい。ブログタイトルにした橋本輝久「坂あれば白き花咲く長崎忌」には、次のように書かれている。   句意は、「坂があればそこには必ず白い花が咲いている。長崎の原爆の鎮魂の日には」ですが、では、坂があればなぜ白い花が咲くのでしょう?単に、長崎が坂の町だから、これは嘱目の句であろうと片づけるのは、総計です。  この句では「坂」は一番上に置かれています。ですから、「坂」は見上げる坂であり、上に昇る「坂」です。天上へ延びている坂です。亡くなった人の魂が今も天上へ上り続けている光景を、長崎の坂に咲く白い花のイメージに重ね合わせて読むjべきでしょう。  とあり、他に、二句が紹介されている(「黎明俳壇」への投句のお誘い)。    冬の夜の国家試験の問題集       高木恵理    冴ゆる夜のゆつくり開く花舗のドア   高橋直子  ◆「黎明俳壇」―—投句はお一人二句まで。投句料無料。特選、秀逸、ユーモア賞、佳作を弊社ホームページと、『新・黎明俳壇』で発表します。ハガキかメールで黎明書房内黎明俳壇係あてに投句してください。*詳細は弊社ホームページをご覧ください。   とあった。 ★閑話休題・・来る4月25日(土)午後1時~「俳人『九条の会』新緑の集い」(於:林野会館)/講演会・永田浩三・栗原淑江・・  来る4月25日(土)午後1時~、茗荷谷駅近くの林野会館で、恒例の「俳人『九条の会』新緑のつどい」(主催・俳人「九条の会」)が開催される。記念講演は『原爆と俳句』(青木書店)の著者でもある永田浩三氏「今こそ平和を求めて・俳句は原爆と戦争をどう描いてきたか」と「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の栗原淑江氏「被爆者たちの運動と日本国憲法」。       撮影・中西ひろ美「ガーベラの真ん中...

上野貴子「悲しみは晴れた空よりも青い」(『晴れ空』)・・

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 上野貴子句集『晴れ空』(角川書店)、帯文には、   いいじゃないかこれだって俳句だよ!リズムが日本語なら俳句だよ!  リズムが日本語なr俳句だよ!  思ったままに書いてみたいんだ!  自由に自分の想いを詠む俳句のスタイルを追求する/「おしゃべりHAIKUの会」主宰/ 待望の句集。  とあり、「あとがき」には、 (前略) 俳句は十七文字の短い世界の中に伝統的な約束事があり、何が良いか悪いか分かりにくいものです。  それならルールを取り払って自由に書いてみようと考えて「なんちゃって俳句」が生まれました。  ふざけた話だと思われるかもしれませんが、自分の想いを俳句に表すことで何かの殻を破った気持ちになります。  日々のストレスやプッシャーに負けず、自分らしい言葉で俳句を詠みたいという一心で書きためました。読まれた方がどう思われるか不安もありますが、俳句は上手い下手ではなく心に感じたことをそのまま表現することが大切だと思っています。  とあった。集名に因む「晴空」の句がいくつかある。例えば、   爽やかな晴空に涙がこぼれ       貴子   晴空を見上げて心はからっぽ   悲しみは晴れた空よりも青い      等々。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句をい挙げておこう。   そら耳につい返事して人混み   扇風機の音に暗闇が動く   一年を一日一生の朝顔   流れ星どこかで思い出がしゃべる   にらめっこ熟柿として根競べ   サンタから遅れるねってメール来る   花三分五分八分いつも満開   いつだって心は晴れて五月晴   夕立に悲しくたって笑っちゃえ   終戦記念日繰り返さない記念日   団栗のベレーに落ちる夕陽色   鶴来る千年分の折り紙に   朝空は晴れて数え日今日惜しむ  上野貴子(うえの・たかこ) 1960年、千葉県生まれ。 ★閑話休題・・朗読グループ八重の会「第39回春の朗読会」(於:府中市中央文化センター ひばりホール)・・  先日、2月28日(日)午後14時~16時は、朗読グループ八重の会の「第39回・春の朗読会」(構成・演出 楯岡眞弓)だった。きすげ句会の仲間である井上芳子がお世話されている朗読のグループ。朗読の演目は朱川湊人作「蒼い岸辺にて」、海ふみこ作「わたし あかずきんよ」、森鴎外作「高瀬舟」。この日は気温20度と春の暖か...

髙島愼助「春寒し境内隅に力石(いし)三つ」(『力石を詠む(十四)』)・・

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 髙島愼助「力石を読む(十四))』(岩田書院)、帯には、   「力石を詠む」第14集!/かつて男達が力を競った力石。   その力石に想いを込めて詠まれたものである。/俳句、短歌、川柳など396作をまとめた。 序文は、伊藤正博(南木曽町文化財保護審議会前会長)、それには、  神社の杉木立は近くの道路の車の音を遮り静まり返っていて、境内の隅にある力石を巡ってその昔、神前で力自慢を競った男たちの険しい顔も賑わいもなく、忘れ去られ寂しく放置されている。動かすのがやっとの重い石を持ち上げて運ぶとは、昔の人達は丈夫な体だったんだなあ。     とある。また、「はじめに」には、   失われゆく郷土および文化遺産である日本の力石を地域ごとにまとめて報国している(1~31)。これらを出版する過程において多くの人々から力石に関する俳句、短歌、川柳、狂歌などが提供されてきた。 それらの作品うぃお紹介した「力石を詠む(一~十三)(32~44)」で力石に関する俳句や短歌など三九三六作品を紹介してきた。今回は「力石を詠む(十四)〈三九六作品〉」をまとめた。  なお、拙著で報告してきた力石は、体育史学でいう一般の人々が鍛錬や娯楽としての力くらべに使用してきた石である。  とあった。冒頭の「力石とは」には、   もともと力石は、農村では米俵を、山村では材木を、漁村や港湾地域においては醤油樽、油樽、酒樽などの運搬に従事する労働者の間から発生したものである。これらの労働者は一定の重量を担げないと一人前と見なされず肩身の狭い思いをした者もあった。農村では男は、最低米一俵(十六貫・六〇キログラム)を担ぐことができなければ一人前と認められず、職種によっては、重さの違う石を用意し、どの石の重さを担げるかによって給金が決められることもあった。そのため若者たちは、力をつけるために様々な物を利用して体を鍛えていた。(中略)そのような鍛錬や力くらべに利用された一つに力石があった。過去には、全国のほとんどの集落にあったと推測される力石であるが、労働の機械化や娯楽の多様性によって急速に歴史の片隅に追いやられてしまった。 ともあった。ともあれ、本書に収載された作品の中から、いくつかを以下に挙げておこう(作品には、作品が詠まれた現場の写真なども添えてある)。   春の日の頂点にあり力石        山田真...