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中尾壽美子「天元に白桃ひとつ泛びゐる」(「風琴」第5号よるい)・・

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 「風琴」第5号(風琴の会)、皆川燈「第五句集『老虎灘』の天元/中尾壽美子ノート 最終回」の中に、   生前最後の句集となったのが第五句集『老虎灘』である。〈老虎灘〉は、壽美子が終戦の日を迎えた関東州大連市の郊外にある海の名前である。あとがきには「『ろおこたん』というまろやかな音感に惹かれ、苦い思い出よりも懐かしいはるかな地名をこの集に冠しました」と記されている。刊行は昭和六一(一九八六)年、壽美子七二歳(昭和六四年、七五歳で逝去)。 (中略) 人生のコク、そのダイゴ味こそが壽美子の俳句、『老虎灘)の美味の世界である。  巻頭は   夢の世やとりあへず桃一個置く  そして掉尾は   天元に白桃ひとつ泛びゐる  「夢の世」はもちろん耕衣の「夢の世に葱を作りて寂しさよ」を踏まえているだろう。葱に対するに桃とは、なんとも大胆な壽美子の告白、いや言挙げではないか。 (中略) 「天元」とはあまり聞き慣れない言葉だが、耕衣は跋文の中で、「天元」は「存在の根源」であり、「存在即エロチシズム」と換言することもできるだろうと述べる。 (中略)     年よりになりつつありぬ煮凝りぬ    閑けさもつまめば凹む厚氷   (中略)    ふつつかな胡瓜の時間曲がりをる    まったく、媼の位とはいうものの、煮凝りつつ、凹みつつ、曲がりくねったふつつかな晩年であることよと笑いがこぼれる。そして、ようやく掉尾の「天元に白桃ひとつ泛かびゐる」にたどり着くのだ。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    傾いた私にそそぐ花あかり        関根順子     悼句    幽霊と見ている最後の花吹雪        月 犬    ワタクシを焼き尽くすまで寒夕焼     西谷裕子    オロという新種の色はうすみどり     三池 泉    地上ボタン押せばたちまちげんげ原    皆川 燈     秋の鳥舌 (べろ) が発光して居りし    矢田 鏃   ロージナハフルサトナリキ桃子ノ忌    結城 万    この日差し届くのかわが死後も      五十嵐進    トンネルに足跡響く敗戦日         M・M    わが胸の泣いて泣かれて虎落笛      柴田獨鬼      撮影・芽夢野うのき「いっぽんの道みどりなす父の道」↑

鎌田東二「天籟も裂け地籟も割れて人雷燃ゆ火も水も皆荒魂(あらたま)尽くし」(『言霊の短歌史』より)・・

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  鎌田東二×笹公人『言霊の短歌史』(KADOKAWA)、笹公人「あとがき」には、   私が鎌田東二先生と初めてお会いしたのは、十八年ほど前、敬愛する音楽家・細野晴臣さんのイベント会場でした。著者を何冊も拝読していたので、まさかその場でお会いできるとは思わず、驚きを隠せませんでした。  それから五年後のニ〇一三年、私は出口王仁三郎の短歌を厳選した編著『王仁三郎歌集』を先生にお贈りしました。先生が出口王仁三郎の熱心な研究者、通称「オニサブラー」であることを知っていたからです。 (中略)   その直後、先生の大名著『言霊の思想』に出会い、短歌の言霊に特化した話を直接お聞きしたいという思いが募りました。( 中略)   対談連載「言霊の短歌史」の最終回が掲載された『短歌』の発売から僅か五日後の五月三十日、先生は静かに旅立たれました。 (中略)   いま振り返れば、この本が先生との約束を果たすぎりぎりのタイミングで完成したことに、奇跡のような巡り合わせを感じます。この本に収められた先生の言葉は、短歌の世界の永遠の財産になると信じます。  ここでは、「俳句と言霊」のほんの少しの部分を、引用しておこう。 (前略) 笹 俳句は、もともと連歌の五七五の発句のみを取り出したものですよね。  鎌田 言葉を少なくすればするほど、その言葉のなかの宇宙は拡大するという方程式を俳諧は証明していると思います。言葉が短い分、スピード感や飛躍も出てきます。  短歌がより人間的な側面を持つとするならば、俳諧はより大自然的な物の声を拾っているのです。私は、歌が生まれてくる以前の日本人の言語観、アニミズム的な自然感覚、生命感覚を呼び込んで再生し、完成させたのが芭蕉の業績だととらえています。そういう意味で芭蕉の仕事というのは大変重要です。 笹 俳句が五七五で、短歌が五七五という長さは関係があるのでしょうか。 鎌田 大いにありまあすね。下の句によって、短歌の言葉は人の心理に向かうベクトルを持ち、俳句は自然の理に向かうベクトルを持ったと思います。   とあった。 ともあれ、本書に収録された「鎮魂列島」(鎌田東二)、「いろは四十七都道府県短歌」(笹公人)の短歌作品から、いくつかを挙げておこう。  奥能登は島の髄なりむまれてしむで生まれて死んで珠洲は鈴鳴り     東二  いのちはてて超えてゆくらむ奥山を照らせ今宵の...

依光陽子「引鳥と空へ飛ばうとする魚と」(『ふ、は鳥に』)・・

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  依光陽子第一句集『ふ、は鳥に』(左右社)、帯文は松岡正剛。  依光陽子の句や/俳句論が刻印的でいい。  とある。著者「あとがき」には、 (前略 )読んでいただきたかった方がたくさんいる。私をこの世界に送り出して下さった大峯あきら先生。角川賞選考委員会で〇一つだけだった私の作品が議論から飛ばされそうになった時、推した責任があるからと議論の俎上に載せてくださった。その後、局面局面で推して下さった三橋敏雄先生、稲畑汀子先生、川崎展宏先生、山田みづえ先生。三橋先生には翌年の賀詞交換会で「僕達が選んだだから自信をもちなさい」と励ましのお言葉まで頂戴しどれほど嬉しかったか。  そして誰よりも師であった斎藤夏風先生 。(中略) そして深見けんニ先生。水仙の花を長い間凝視されていた御姿は忘れられない。 (中略)  俳句が何か、何もわからないまま始めてから三十年以上になる。思えばいろいろな方々にお世話になった。この一冊は感謝の一冊である。 (中略)  また、佐藤文香さんにも御礼を申し上げたい。私の俳句は俳句のために書き続けてきたのだと思いだ させてくれた人だ。「依光陽子という俳人が書いた作品がこの時代にあること。それはぜったいに、俳句をゆたかにすることです。図鑑でも標本でも、一種類でも多いほうが嬉しい。しかも陽子さんの作品は、昆虫でいえばめずらしい色の虫ですから、そのすがたを、“残すべき“だと、私は思っています。」はたしてこの句集が俳句の喜ぶめずらしい色の虫のような本になっただろうか。  とあった。集名に因む句は、    ふ、は鳥になり昆布干す人が仰ぐ      陽子  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。    作り雨音のはじめの色なりし   胡桃割る斯くてことばの砕けゆく   白き夏の白き胡蝶は白き花へ   見てゐたる星が動きて天の河   木の蔭に入りて影解く春の鳥   海に降る黄砂は海の魚が呑み   独楽を打つむかしの人もやつて来て   音を送るね草の実入れて封をして   秋の暮金魚潰せば吾も赤うなるか   柿の秋どの鳥籠も開けてあり   雨冷や魚のまとへる水の膜   花粉とばし尽くせし土筆つひに鳴る   こどもではなきわれわれのこどもの日   父の死と冬すきとほる蟬の屍と   喋々を捕へし網をかるくねぢる     依光陽子(よりみつ...

瀬口真司「洗った顔を見ている僕の眼が見えた みんなのリーダーは僕だから撃て」(『BEAM』)・・

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  瀬口真司歌集『BEAM』(書肆侃侃房)、栞文は、瀬戸夏子「次があれば、君の身体は」、大森静佳「叫びとアイロニーの両側で」、木下龍也「いっけえええええええええええ」。その中で、瀬戸夏子は、    洗った顔を見ている僕の眼が見えた みんなのリーダーは僕だから撃て  ひとは文学的出発を選択するとき、究極的には自身に焦点をあてるか、時代に焦点をあてるかを選ぶことになる。瀬口は明白に後者である。しかし文学史を見ればあきらかであるように後者は死屍累々である。むろん文学史とは前者後者を問わず無数の文学的野心の死体の上に築かれていくものだが、おそらく前者はもし文学における自分の願いが成就せずともその生には歓びがあるだろう。しかし後者は違う。そして同時代ほど掴みがたいものはなく、ほとんどが泡と消えてゆく。  とあり、 また、大森静佳は、  (前略) 選考委員として「パーチ」に◎を投じたMoment  Joonさんは、この作者が見ている現代日本は、「戦後の天皇制の上に建てられた日本と、その戦前の日本と地続きの高度経済成長期の日本」という色褪せた「二つの栄光、光の上に立っている影」である、と鋭く読みといた。議論の詳細は「ねむらない樹」Vol.10を読んでいただくとして、票を入れていない選考委員をも熱量高い議論へと巻きこんでいった作品の強度は、歌集一冊の形で読むといっそうクリア、かつ多彩だ。 と記している。そして、木村龍也には、 (前略) 歯を磨いていても髪型を整えていても鏡に映る自分の“顔“に目はある。が、水を浴び、瞼を閉じ、もう一度開いたとき、そこにあるのは“眼“だった。意識が切り替わったのだ。“眼“は目よりも限定的な使われ方をする。瞼やまつ毛を抜きにした眼球。そして、心眼や千里眼など何かを見極めたり見抜いたりするときの“眼“だ。焦点が定まり、“僕“が“僕の“本質を捉え、“みんなの“先頭であり、代表であることを自覚したのだ。(中略)そのとき、“撃て“が照らすのは手元にある、そうできるもの、だ。最初から握っていたわけではない。心のどこかにあって、言葉を合図に、手元へ現われたのだ。状況や立場によって浮かび上がる潜在的な攻撃性を可視化されたようで恐ろしい。  とあった。ろもあれ、本種よりいくつかの歌を挙げておこう。   イメージが大切だからイメージのいグレープフルーツは濡れている...

宗田安正「鳥曇誰から先に鳥になる」(「藍」4月号・618号より)・・

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 「藍」4月号・618号(藍俳句会)、「現代俳句逍遥(141)」は、黒岩徳将「アンソロジー、何をどう読みたいのか」。その中に、  (前略)(中略) 刊行済みアンソロジーを、「この本にあの句があったことがよかった」という軸で位置づけを試みたい。アンソロジー選について思い出す発言は、角川「俳句」二〇一八年五月号「平成百人一句」の座談会の宇多喜代子の「こう言う時にいちばん話題になるのは、誰が入った、誰が落ちたということでしょう。選んだほうとしてはもの凄く塩梅が悪いんです。(笑)」というものである。前掲の『天の河発電所』に掲載された作品で筆者がエポックだと思った句を挙げる。 (中略)    焚き火からせせらぎがする微かにだ    福田若之   あたたかなたぶららさなり雨の降る    小津夜景   寒夜叫 (おら) ぶよ自作CD地に並べ   髙柳克弘   ジーパンの異臭柳田国男の忌       中山奈々   ゆく秋やちりとり退けば塵の線      榮 猿丸   凩や匙の付け根のラテの泡       小野あらた   つぎつぎに蜜柑を貰ふ旅の空       矢野玲奈   背きあふうつつの百合と玻璃の百合    大塚 凱     とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    灘まっ平らなり白昼の春霞         大谷 清    蘇る心音いとし寒北斗           峯 悦子    神が塩まぶせば星の凍てにけり       工藤篁子    冴え渡る競りのサイレン湾の底       今西政枝    初夢はマッコウ鯨の寝姿で        早藤ほづみ   厨子王の行きし道とや山始         光末紀子    滲む字のにじみのほどの暖かさ       山路幸和    余生とは今のことです冬の晴        森 武子    初春へ踏み出すカレンダーは墨絵     北村眞貴子    みささぎの時間をまたぎ冬の鹿       森澤 程    綿虫や異界に案内されそうな        中澤矩子    「雪になるかも」母がポツリと山の音     藤巻 晴         撮影・芽夢野うのき「木瓜桜杏よもやま話好き」↑

石田よし宏「噴水を仰ぐ自分が止まらない」(「地祷圏」第106号より)・・

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 「地祷圏」第106号(発行 石倉夏生/編集 中井洋子)、表紙裏の早乙女知宏「一句光芒」に、    噴水を仰ぐ自分が止まらない  石田よし宏  我が師、本誌創刊者故・石田よし宏の句。私のメモに「平成十八年七月十六日つくる会」とある。私が師事して間もなき頃だ。今も連綿と続く本誌主催の「俳句をつくる会」。一人一つずつ出す席題を織り込んでの即吟。かすかに響くペンの擦過音。私の原点、即興俳句だ。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。   轍踏まぬための黙なり追儺の夜        本間睦美   トンネルの中の彎曲冬深む          水口圭子   絵の中に遊ぶ吾あり雪の街          矢野洋一   越冬つばめも吾も鬼の裔          山野井朝香       昏い眼をして梟を飼ふ男           石倉夏生   水琴窟に声を残して雪蛍          小川たか子   ひつくりかへすとりおとすちやんちやんこ   落合惑水   御来迎無音劇場那須ヶ岳           柿沼幸宏   空爆の記事の燃え出す初暖炉         苅部眞一   海市にて父は魚を釣っており         北島洋子   冬うらら麒麟の首は空より来         白井正枝   餅配る氏神様の住まひから          白土昌夫   星々の面影もゐてクリスマス         関口ミツ   にんげんのかたまりとして蜃気楼      早乙女知宏   哲学の潜む朽葉や冬の池          早乙女説子   冬の鷺黄の片足が水の上          竹田しのぶ   立冬へマトリョーショカは並びたい      綱川羽音   冬ざれの遊び足りない三輪車        戸田富美子   日や風のこなれし雨の烏瓜          中井洋子            時差のある母との会話冬ぬくし        中村克子 ★閑話休題・・田中裕希・鎌倉佐弓・ジェームス・シェイ・四元康祐「短歌と俳句と詩のつどい」(於:コ本や)・・  4月4日(土)午後3時~5時に開催された「短歌と俳句と詩のつどい」(於:コ本や)に出掛けた。愚生には不案内なところで、江戸川橋駅2番出口4分と記してあったが、たどりつくまでに20分くらいうろついた。住所の番地はすぐ近くにまで来ていたにもかかわらず、...

千代女「ほとゝぎすほとゝぎすとてあけにけり」(『俳句文化の諸相』より)・・

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  綿抜豊昭・河合章男著『俳句文化の諸相』(俳句図書館鳴弦文庫)、謹呈用紙に「 恩師綿抜豊昭先生のご退官に際し記念論文集を刊行いたしました。私も学生に戻りまして本名で執筆いたしました。(中略)/俳句図書館鳴弦文庫館長 川合章男(秋尾敏) 」とある。綿抜豊昭「はじめに」には、  (前略) さて、河合氏に「定年退職の記念に、連歌・俳句に関する、何か著書を」と勧められた。何度かお断りしたのだが、河合氏と共編にして下さるとのことなので、ご厚情を無にするものではないと、お引き受けした。 (中略)  そこで、学生・院生らとの調査をもとにした稿(五『明治新撰俳諧姿見集』・八『筑波根俳諧百人一首』)、改めた旧稿(一「天保俳諧」・ニ須賀川の俳人の事・六紋蒼の俳書について)に新稿を交え、天保期から明治中期までの俳諧・俳句文化の断片を“三文“の駄文にしたためた。  とある。従って、共著のそのⅠに、綿抜豊昭「俳諧・俳句の文化」、そのⅡに河合章男「『明治俳諧金玉集』の考察ー分断をつなぐ句集ー」、そのⅢに「翻刻『俳諧田ごとの日』(監修 綿抜豊昭/校注 河合章男」が収載されている。また、河合章男「おわりに」には、  綿抜豊昭先生は、一九五八年に東京都にお生まれになり、中央大学院博士後期課程単位取得退学され、「近世前期猪苗代家の研究」により博士(文学)の学位を取得された。富山女子短期大学助教授、図書館情報大学教授、筑波大学教授を歴任され、現在、筑波大学名誉教授である。私は、ニ〇〇一年から図書館情報大学大学院前期博士課程、筑波大学大学院後期博士課程で先生のご薫陶を受け、終了後も俳句図書館鳴弦文庫の運営や短詩文化学会の機関誌「近代俳句研究」の刊行などでご指導を頂き続けてきた。  第三章に収めた「俳諧田ごとの日」の翻刻は、俳句図書館鳴弦文庫の事業として綿抜先生をお呼びして行った成果である。  綿抜先生は、連歌のご研究を起点に、さまざまなジャンルの書籍文化を考察され、文学と文化が交錯する空間を捉え続けて来られた。先生のご関心は文学に留まらず現代のサブカルチャーにまで及び、今生みだされているこの国のコミックやアニメ、あるいはテレビドラマや映画、さらには料理や人のふるまいまでもが、古代からの文化の歴史を背後に置くものであることをお示しくださった。                 綿抜豊昭著作の一部↑ ...