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長岡裕一郎「ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち」(『百人一首バトル』より)・・

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 栗木京子・穂村弘・佐藤弓生・千葉聡・石川美南編著『百人一首バトル』(書肆侃侃房)、その「はじめに」には、 (前略) 短歌のバトルは、不穏な争いではなく、不毛な戦いではなく、よい歌をめざして、作者たちが互いを高め合う場でした。  この『百人一首バトル』は、私たち五人が、それぞれ設けたテーマのもと、原則として一九〇〇年以降に生まれた作者の歌集から秀歌を選び、百人一首としてまとめたものです。最初にそれぞれのテーマを披露し合い、それから歌を選びました。   それぞれの歌人のテーマは、 栗木京子選「意味としらべのマリアージュ」、穂村弘選「アヴァンギャルドの夢」、佐藤弓生選「遠い年、遠い地図」、千葉聡選「失われた名歌を求めて」、石川美南選「加速する時間/膨らむ時間」。  ともあれ、ここでは、本書より、愚生に少しでも係わりのあった方の歌をアトランダムになるが、いくつかを挙げておきたい。  連山を持つ幸福を思わせて蛇笏あり龍太あり甲斐の国あり         三枝昂之  母を知らぬわれに母なき五十年湖 (うみ) に降る雪ふりながら消ゆ     永田和宏   ついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮のメガロポリスに     藤原龍一郎   そして秋、空もひとつの武蔵野に早馬 (はゆま) のごとき風の音する   小島ゆかり   鵙の声が日暮を統べてことのほか名古屋の人は小さく群れる        荻原裕幸  好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ     東 直子   日の暮れは子供も不安になるものかタソガレーナちゃんと呼びて抱き上ぐ  永田 紅   熱の児が眠りゆきつつしがみつくわれはいかなる渡海の筏         黒瀬珂瀾   思うひとなければ雪はこんなにも空のとおくを見せて降るんだ       小島なお   夕光る鏡の上のチョコレートのうすき歯のあと夏はきたりぬ        吉岡 実  帆船は若く眩しく流れゆき我は水夫の顔を忘れき             中井英夫   掌 (て) のなかへ降 (ふ) る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に   岡井 隆   その日からきみみあたらぬ仏文の 二月の花といえヒヤシンス       福島泰樹   警官はされど若き警官は猛き海豚 (イルカ) かジャムプせよ死へ      石井辰彦  闇を脱ぐ闇姫を身...

山﨑十生「除染まだ済まぬが螢舞っていた」(「紫」10月号/紫創立85周年記念号)・・

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 「紫」10月号/ 紫創立85周年記念号(紫の会)、巻頭作品、山﨑十生「丙午10」の下段エッセイに、   本年、十月をもちまして「紫」は創立八十五周年を迎えました。創刊者関口比良男師の後継を受け二十七年経ちました。 (中略)  思い起こせば「紫」には、優秀な先輩方が多く所属されていました。長い年月が流れ、先師を始めとし、その作家魂に報いるべく精進してまいりました。  来年十月には創刊一〇〇〇号に達します。 (中略) 先師の「婆娑羅ぶり」の精神を守りつつ新しい伝統の構築のために今後も紫内外の同志と共に活動を続けて参る所存ですので宜しくお願いします。  とあった。ともあれ、本誌本号より、以下にいくつかの句を上げておこう。    見えるより見えぬ青葉が恐ろしい      山﨑十生    すっぴんになればなるほど冷奴      渡辺まさる    青ぶだう袋はづして欲しいとさ       浅野 都    沈黙はあらがふ祈り夾竹桃        福島ときみ    明滅の滅こそ要なる螢           渡辺智恵    山からの風はおおらか夏座敷        金子和美    万緑もまた水音に抱かるる       かみのみずほ    賞味期限のながい牛乳水中花        日下晴美    旅立ちという停留所夏の雲         後藤宣代    今という時を生きやう蝉しぐれ       斎藤久子   多情多恨表に出さず星月夜        早乙女文子    バイト急募髪色自由夏近し         島田良江    ほうたるの息の伝はるたなごころ      鈴木千鶴    微かなる波音混じる江戸風鈴        西本明未    きりがない程の傷あり夏木立        藤澤晴美   遠い海鳴り空鳴りを休まず         細井美人    煩悩の数を力と蛍とぶ           依田壽子    星空の沈黙闇の音のする          新井史子    夜の地震相次ぐ線状降水帯         岩切雅人    数多なる解を導く泉あり          上田洋子    夜干梅星のしずくを舐めてみる      折原野歩留    噴水はありとあらゆる機首である      宮澤順子 ★閑話休題・・川村恵子「かけはぎ屋傾く引き戸萩の風」(「立川こぶし句会」)・・  10月9日(金)は、...

摂津幸彦「三島忌の帽子の中のうどんかな」(『俳句に学ぶ「生きる力」』より)・・

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  髙柳克弘著『俳句に学ぶ「生きる力」』(慶応義塾大学出版会)、その帯文に、 「俳句は生きる証」である 「ひとり」とはもっとも小さく、油断ならぬ力を持った「座」である。 とあり、「あとがき」 には、  「座」という言葉は、もっと広い意味で使っても良いのではないか。「座の文学」についての話題からはじまった、本書の結論である。目の前にいる人ばかりが「座」の面子であるわけではない。師や句友はもちろん、同時代で句を作っている人々も「座」に含まれる。そして歳時記をひらけば、そこには江戸時代から現代までの俳人の例句が櫛比して並んでいる。それを参考ににしながら句を作っているということは、古今の作者もまた、自分の「座」に入っているわけだ。   また、見逃されがちであるが、俳人といっても俳句ばかり読んでいるわけでもないので、俳人にとどまらず、哲学者や思想家、芸術家の影響は、大なり小なりと受けているはずだ。だとすれば、これらの作り手もまた「座」に入れるべきだ。 (中略)     ことごとく未踏なりけり冬の星    克弘『未踏』  二十歳の頃に作ったこの句は、スタンリー・キュ―ブリック監督のSF映画『2001年宇宙の旅』を踏跡している。私たち人類は、どこから来て、どこへゆくのか。何よりそのことに関心を持って、文学や芸術にのめりこみ、現代日本の企業文化に背を向けるに至った私の、まだ若年ではあるが確かな「生きる証」であった。いや、この句によって私は自分の目指す方向を教えられ、結果として「生きる証」になったと言うほうが正確だ。自分の発した言葉に自分が導かれるという、不思議な経験だった。    とある。「第九章 いつか死にゆく者として」の、摂津幸彦の部分を以下に引用したい。  (前略)  三島忌の帽子の中のうどんかな    摂津幸彦『鳥屋』(昭和六十一年)  飛躍ある忌日俳句としては、この句の右に出るものはあるまい。仮に「帽子の中の頭」であればごく素直な句となるが、あろうことか「うどん」だ出てくるから難物なのである。皇国思想に殉じて自衛隊の決起を促し市谷駐屯地で自決したのが十一月二十五日、その行為を頭でっかちな人間のすることと揶揄しているようだ。帽子の中に詰まっていたのは脳味噌ならぬうどんではないのか、という強烈な皮肉である。あるいは、そのような皮肉を読み取るよりも、つやつやと茹で上がったうどん...

中田尚子「蕎麦の花騒めいてゐる闇夜かな」(『そらのみつ』)・・

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  中田尚子第三句集『そらにみつ』(本阿弥書店)、著者「あとがき」に、 「そらにみつ」は、やまとに掛かる枕詞である。  奈良は好きな地だ。昨年は、山辺の道を歩き、修二会の闇に立った。吉野の桜を仰ぎ、初瀬の蛍を追った。奈良はいつも、訪れる者を静かに迎えてくれる。奈良へ憧れをこめて第三句集の名を『そらみつ』とした。第二句集『一声』以降二〇一八年末から二〇二六年三月までの三一三句を収めた。   四人で始めた「絵空」は、この秋で十五年となる。共通の場を大事にしながら、それぞれが自由に活動してきた。さらさらした風の通る空間は、適度な緊張と解放を生んでくれる。月一度の句会と季節ごとの一泊吟行を軸に、今後もこの歩みを続けたいと思う。  とあった。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    肩の手の離れてゆきぬ蜃気楼        尚子    新涼や矢を抜いてゆく的から的   枯蓮の力尽くしてゐるところ   本流に差しかかりたる雛の舟   人形の振袖の鶴花の冷   白菜の乗つて庭石畏まる   看板のしの字おそろし山鯨   秋深し模型の鮫の歯のほんたう      富岡町夜の森   避難指示解除七日目緑立つ   青芒罰のごとくに指切つて   冷やかや針穴嫌ふ木綿糸   客去つてよりの賑はひ冬座敷   中田尚子(なかた・なおこ) 1956年、東京生まれ。 ★閑話休題・・宮下正夫「盆踊り指の先から輪に入る」(月刊「ひかり」10月号・創刊八百号「西山俳壇」)・・  月刊「ひかり」10月号・創刊八百号/選者・城貴代美「西山俳壇」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)、その「編集室」に、  本紙が八百号を迎えた。「西山だより」から始まり、「ひかり」に改称して六十六年間続いてきた。八百号の発刊を迎えられたのは、全国の護持会会員さま、多くの読者の皆さまのおかげである。  とあった。ともあれ、「西山俳壇」から、いくつかを紹介しておこう。    西日さす更地の端の蔵一つ    和歌山県有田川町 岩倉由紀子    夏休み大きな雲が飛んで行く     福岡県苅田町  荒田周二    蝉すぐれ口角上げて紅を引く     京都府精華町  北尾直美    辻の灯や児童のおらぬ地蔵盆        摂津市  山上鬼猿    たたみ香の盆提灯や明かり舞ふ       奈良市  澤田妙子    ...

高山れおな「麿、変?」(「現代俳句」10・11月号合併号より)・・

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                                                                                                    「現代俳句」10・11月号合併号(現代俳句協会)、のメイン記事は、第46回現代俳句評論賞受賞作/ 山根もなか「俳句は第一芸術である——知覚・形式・運動の条件」 である。一部分のみになるが、紹介しよう。 (前略) いま、改めてたち止まるべきなのは、俳句が第二芸術なのか否かという二択ではない。俳句がどのような条件のもとで第一芸術として立ち上がるのか、その条件のほうである。桑原の議論は、西洋近代芸術の物差しを外側から俳句に当てがった評価だった。本稿はそれとは逆向きに、句のなかにすでに動いている構造から出発したい。理論を上から降ろすのではなく、句の内側で起きている知覚の運動を辿ることで、俳句の成立条件を見直したいのである。  この問題は、現代においてはかえって鋭くなっている。結社俳句では、季語・切字・五七五といった規範が先に与えられ、それに合うように言語が組み立てられるため、知覚の生成よりも形式への適応が優先されやすい。SNS環境ではさらに屈折が加わる。俳句は即座に共有され、評価は拡散と反応の速度に大きく依存する。言語はもはや知覚の媒介ではなく、流通の単位として動き出す。自由律もこの圧力から自由ではない。形式を退けたあとに知覚の生成が伴わなければ、言語は私的な断片のなかへ閉じてしまう。これら三つの傾向に共通するのは、知覚が形式や流通に先回りされているという一点である。賞や選考の制度は表現を評価可能性のほうへ引き寄せ、SNSは反応を見越した言語生成を促す。問題は個々の作家や個々の作品にあるの...

野口る理「みのりみのらせ秋はとつても聞き上手」(『ぐるん』)・・

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 野口る理第二句集『ぐるん』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、 (前略) 『しやりり』を上梓後、二児の母となり生活が大きく変化、また、俳句人生としても、月刊俳句雑誌「noi」を創刊することを決意。第一句集出版以上の転機を迎えた頃の作品と言えるかもしれません。  読み返してみると、時代や環境の変化を受けてそよぐ言葉も、培ってきた今までを引き受けて根ざす言葉も、どちらも揺るぎない私の俳句であり、ともに生きる私たちの俳句であり得るはずだと信じています。  変わることも変わらないことも受け止め、これからも「俳句」を作っていきたいと思います。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好み偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    むささびのよぞらへいくつまどひらく       る理    兎に羽なくて私と一緒にゐる   もうすでに未来の虻となつてゐる   天に地に彼等の春の水巡れ   風船と別れ地上の我らかな   手拍子もはや拍手として霞む   花火じんわりどこに居たつて旅である   火の上にりんごが煮える真実味   風に色なし食ひしばる歯に光   海月なり光あれどもなけれども   踊りつつ踊らぬ人を見てをりぬ   呼ぶ声も水鉄砲も届かざる   天使より神の疲れてゐて霙   水に笊に我が手に傷むさくらんぼ   雪のひらめきひそませて野のはじめとす  野口る理(のぐち・るり) 1986年、徳島県生まれ。 ★閑話休題・・勝川克志原画展(於:国分寺・SLOW GALLERY)~10月7日・11時~18時最終日は15時まで)・・  愚生は、10月4日(土)、15時半過ぎに伺ったが、FBで告知された月犬氏とは、すれ違い、先ほど帰られたと教えて下さった。愚生は、昭和どえんけいシリーズ『山岡メモリーズ第・1巻』を求め、サインをしていただいた。 撮影・芽夢野うのき「生き抜けとわたしに秋の蝶止まる」↑

栗林一石路「シャツ雑草にぶっかけておく」(「俳句人」10月号・No.786)・・

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  「俳句人」10月号・No.786(新俳句人連盟)、特集は「新俳句人連盟の作家たち(グラビア)、「連盟創立80周年に寄せて」の寄稿者は、石寒太、高野ムツオ、田中陽、角谷昌子、衣川次郎、秋尾敏、大井恒行、小林貴子、能島龍三、津田道明、小石雅夫、清野裕子、大津留公彦、安田和也、永田浩三。その高野ムツオ「人間を詠む俳句の力」には、  新俳句人連盟の創立八十周年を迎えられましたことを、現代俳句協会を代表して心よりお祝い申し上げます。一九四六年の戦後の混乱の中、弾圧の風を耐え抜き「表現の自由」と「平和と民主主義」の確立を掲げて産声を上げた貴連盟の歩みは、そのまま戦後俳句史の試練と誇りの歴史であります。 (中略)   今日、世界を俯瞰すれば軍事的な緊張が混迷を極め、国内においても言論や文化をとりまく情勢は決して楽観できるものではありません。 (中略)   両団体が歴史の中で培ってきた絆をさらに深め、俳句という詩型をもって自由と平和の砦を築き上げていくことが、この時代に生きる我々の責務でありましょう。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    屋根屋根の夕焼けくるあすも仕事がない        栗林一石路    秋風やかかと大きく戦後の主婦            赤城さかえ    大戦起るこの日のために獄をたまわる          橋本夢道    準備運動して炎天の斬られ役              石塚真樹    白蓮白 (しろはすしろ) シャツ彼我ひるがえり内灘へ   古沢太穂    炎天シーサー睨む杭打つ沖青し             飯田史朗    庭の花摘み来て涼しデイ仲間              石川貞夫    列島赫々祭囃子がダム底から             田中千恵子    戦後飢餓ひまわりの種藷の蔓             望月たけし   幾万の黙の影連れ八月来               金子まさ江   風に舞う囮のカラス茄子トマト            吉平たもつ   ヘリ視察水へ長蛇の汗の民              渡辺をさむ   短夜のチビチリガマの集団死              田中葉月   財源は有るところから金亀子              関根道豊   「わっ」と立つ遂に終わりし草むしり     ...