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田中陽「東京裁判聞くスイッチョの声も聞こえる」(「主流」No.656より)・・

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 「主流」No.656(主流社)、誌上講演に秋尾敏「俳句史の大道」、また「『主流』創刊80周年記念(誌上)俳句大会」には、投句者全員の各二句が掲載されている。講演のなかで、秋尾敏は、 (前略) まず強調しておきたいのは「俳句史の大道」は批評にあるのではなく、作品という実践にあるということです。 (中略)  口語俳句というテーマがなぜ重要かというと、私たちの書き言葉とは何なのかという現代日本語の根源的な問題に触れる問題だからです。  そもそも口語、つまり話し言葉を取り込んだ俳句は江戸時代からあって、鬼貫、惟然、一茶などの句が知られています。鳳朗などは、方言と思われる言葉も使っており、いわゆる文語文法の活用と違うものもあったわけです。 (中略)   改めて与えられたテーマ「」俳句史の大道」を考えてみると、形式化されて表現のエネルギーを失った書き言葉に、新たな時代の息吹を注ぎ込もうとする俳人たちの歩みと捉えることができるように思います。今の時代の自分の言葉、それが口語であるならば、口語俳句こそが俳句史の大道を歩んできたに違いありません。 (中略)   次への展開は次の世代に託すしかありません。私自身は、古くからの俳句の骨格に前衛、自由律、口語なそあらゆる手法を取り入れ、俳句の「俳」を「ポップ」と理解して、三十年作句してきました。今もそのスタンスは変わりません。古典を踏めている分、パロールとしての力は弱いと思っています。しかし、私は私の道を歩むしかありません。  とあった。ともあれ、誌上俳句大会の各選者の特選句のみなるが、以下に挙げておきたい。   変れない男が今日も日没を迎える      部屋慈音(金澤ひろあき特選)   一分を切った終末時計木の芽どき      山岸文明(安西篤特選)   共に歩んだんだ戦争しないと決めた八十年  金澤ひろあき(田中陽特選)    伏字から向日葵の種こぼれ落ちる      瀬戸優理子(飯田士朗・大井恒行特選)   ローマ字入力と決めて新年となる       岡村行雄(秋尾敏特選)  AIが背広姿で立っている          とくぐいち(羽村美和子特選)   この星の眠りを覚ます蕗の薹         長井 寛(前田弘特選)  軍靴知らぬ子等ザクザクと霜柱       田中由美子(萩山栄一特選) ★閑話休題・・永澤直子「酷暑の足音...

澤好摩「列車より新緑の山眺め棄て」(「円錐」第109号より)・・ 

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 「円錐」第109号(発行人 山田耕司)、本号は「発表 第十回 円錐新鋭作品賞」、選考・評は、赤羽根めぐみ「書き続けるという約束」、山田耕司「俳句でなければ辿り着けないところ」、今泉康弘「魂の救いとしての俳句を求めて」。新鋭作品賞は、 灰雪賞(赤羽根めぐみ推薦)   公共の場と言へるのだらうかじぶんひとりの公園は  植田遥大 白桃賞(山田耕司推薦)   流星に何かの許可や電話来る            田村転々 白泉賞(今泉康弘推薦)   ひとさじにほぐるる肉や春の泥          沼野大統領  その他、原雅子「書評『澤好摩俳句集成』/載らざる一句」、今泉康弘「神戸、流れてどうなるのー西東三鬼・『神戸』・『冬の桃』 第三回」、特集に「原田もと子『書きかけの葉書』」への論考が表健太郎「素晴らしき〈途中感覚〉」、紺乃ひつじ「誠実な抒情」など。  ともあれ、本誌より、他のいくつかの句を挙げておこう。    ジュラルミンケースに虹を持ちあるく        原田もと子    そのバスに乗れ戦場へ連れてゆく           味元昭次       朧 (おぼろ) より    木霊 (こだま)    言霊 (ことだま)    生魑魅 (いきすだま)               横山康夫    股肱ゆゑ暴力を愛することを誓ひます        摂氏華氏    駒鳥のこゑころくる上総山             丸喜久枝    戦前や恋や自裁や囀れる              風野 綾    ほらここならデイジーだらけ殴れよ今        山田耕司    春の昼取り壊される町工場            大川原弘樹    降りだしぬなほ雪でなく雨でなく          小林幹彦    馬車来来 (マーチョ ライライ) 呼ぶ声は母満州里  大和まな    砂浜のうすき足跡啄木忌              後藤秀治    神の火を盗みにいって帰らない           森下 菊    母の膝に猫を預けて雛納              土屋幸代    いいえ・これはマカロニの形をした悲劇です     立木 司      萩の葉はこがねに散りてもう何もかなしむことのなき秋の果て 大久保春乃    何の鳥だろう 私の手に眠る            今泉康弘    人に人差し指E.T....

樋口由紀子「父の日がジャングルジムを通り抜け」(「川柳スパイラル」第26号より)・・

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 「川柳スパイラル」第26号(編集発行人 小池正博)、特集は「現代川柳の時代 2000~2020」。執筆陣は小池正博「現代川柳の時代」、畑美樹「背泳ぎはつづくー『バックストローク』についてー」、清水かおり「木馬の蹄」、くんじろう「川柳結社ふらすこてん」、山崎夫美子「こころに川柳工房を持った作家たちー現代川柳『新思潮』ー」。その小池正博は、「【ゼロ年代】」の項で、   現代川柳においてゼロ年代のスタートを告げたのは、2000年7月に出版された『現代川柳の精鋭たち28人集』(北宋社)である。「21世紀へ」という副題がついているから新世紀への意識がうかがえる。当時としては珍しく書店の店頭で手に入る川柳本であり、本書の与えた影響は大きい。  この流れを受けて、2001年4月15日、ホテル・アウィ―ナ大阪で「川柳ジャンクション2001」が開催された。 (中略)  【20年代】/『現代戦精鋭たち』から『はじめまして現代川柳』まで二十年かかっている。暮田真名の『ゆきどけ産声翻訳機』までは約五年。現代川柳の発信が加速してきている。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を以下に挙げておこう。    ジェネリック大和魂ぶらさげて        まつりぺきん    瓦斯室ときもちトートロジーを書く        川合大祐    出生の秘密かさかさ茶封筒           猫田千恵子    波という波唐突に人は問う            畑 美樹         プリマヴェーラ、ラ・プリマヴェーラ、裸足で草むらを                          湊 圭伍    透きとおる比喩の入浴 溢れる          林 やは    約束にびっしりと藻がついている         石川 聡    いと をかしデフォルメしてもしなくても      浪越靖政   三遊間に虹を植えてる              小沢 史    地面だけは味方だと思っていた          小池正博    御死売りが肩を落として座る門          兵頭全郎    そうそれを担いだ人の春の檻          清水かおり    オフレコオフレコすみっこぐらしらし      宮井いずみ    いいですよ後ろは縫ってあげましょう       西脇祥貴 ...

高柳蕗子「泳ぎまわれ星空シナプス光らせて 短歌の上半身 下半身」(『雑霊のシナプス』)・・

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    高柳蕗子第5歌集『雑霊のシナプス』(左右社)、栞文は、石川美南「愛の負け戦」、土井礼一郎「雑霊という霊はない?」。その石川美南は、  高柳蕗子さんの短歌について語るのは難しい。一首の解釈が難しいという意味では。歌人には、自分が短歌という型を用いて何を書いているのかはっきり自覚している人と、よくわからないまま書いている人がいるが、高柳さんは明らかに前者タイプの天才で、しかも、評論もめっぽう面白い。高柳さんについて高柳さん以上にうまく語れる人などいないんじゃないか、と思ってしまうのだ。 (中略)   前世はカタツムリいまトルネード ママ吹き荒れるまんなかに家   失踪ママ消滅パパは楽隊にされてて隣の街までは来る   とんとんとんふるさとですか 違います 夢にそぼふるチンダル現象  初期から現在まで繰り返し出てくるモチーフにパパ・ママや家(と、その喪失)があり、 『雑霊のシナプス』においては「未来の福耳」の章に多く登場している。「失踪ママ消滅パパ」の欠落感と、「星空のシナプス」の章に見られる「入れ替え可能な生の肯定」という姿勢は、おそらく深いところで関係しているだろう。   と記している。また、著者自身による「解題 雑霊のシナプス」には、  あるときのこと、雑誌に送る短歌一連のタイトルとして雑詠」と入力したら、「雑霊」という文字があらわれた。  雑霊——。「ざつれい」かあ。この言葉をずっと探していた気がした。「雑」は「that’s」を思わせる軽さで、価値の定まらぬものが混じり合っている感じだ。「霊」も、本来の意味の他に「零」に通じる軽さがあるし、音階の「レ」のフレンドリーな響き(個人的な感覚)もある。  ところで、日本神話では、事象が帯びる原始的な霊性を「雑霊 (ぞうりょう) という。——ぞうりょう。おどろおどろしい語感。何かわからないものが増殖する気味悪さ。——それは、“私の雑霊“(なんたって言葉の国から私へのギフトですから)のイメージと合わない。“私の雑霊“は、なんらかの可能性を持つ明るい霊性で、仏教でいう仏性 (ぶっしょう) 、一切衆生悉有仏性 (いっさいしゅじょうしつうぶっしょう) (生きとし生けるものすべて生まれながらに仏になりうる素質をもつ)を生き物以外にまで拡大したようなものだ。  というわけで、しばし「万物には雑霊が宿っ...

夏石番矢「見えない王冠あらゆるものを空位とす」(『見えない王冠』)・・

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  夏石番矢第15句集『見えない王冠』(砂子屋書房)、帯文には、   重さを持たない「見えない王冠」はすべての重みを担う。  パンデミックの重層的悲惨さから生まれた三一四句。  悲惨だからこそ生きてゆく意味を強化し愚かだからこそ賢明さを希求する  夏石番矢の第十五句集  とあり、著者「あとがき」には、   これは私の日本国内の第十五句集である。前句集の第十四句集『ブラックカード』(砂子屋書房)から、はやくも十四年が経過していた。  この間、次のような単行本句集を海外で出版することができた。 (中略)   コロナ・パンデミックの蔓延期に、アルベール・カミュの小説『ぺスト』(一九四七年)を救いの手立てとしてむさぼるように読んだが、感動的場面はあっても、図式的な楽観論が底辺にあり、私たちが経験したパンデミックは、カミュの描いた流行病の猖獗よりもけた違いに悲惨だった。  悲惨さの比較はできないものの、私たちの悲惨さは重層的で、まだその重層的な悲惨さに気づく人は少ないだろう。  第二次世界大戦が終わった二十世紀後半の、表面的な明るさの裏で進行していた、重層的な悲惨さは、二十一世紀の前半にかけてさらに加速し、進行してゆく。  けれども、悲惨だからこそ生きてゆく意味が強化される。愚かだからこそ賢明さが希求される。この句集がその証しとなることを願うばかりである。   とあった。集名となった「見えない王冠」の句を煩瑣をいとわず挙げ、他の句もいくつかを挙げておこう。    大都市封鎖みんなの頭上に見えない王冠       番矢    カミュの墓忘れ去られて見えない王冠   無人の大学吹き抜けてゆく見えない王冠   見えない王冠あらゆる人の未来を封印   見えない王冠すべてを二進法に変える   あらゆる細道見えない王冠充満す   キーひたすら叩く見えない王冠との闘い   大男を倒し見えない王冠増殖す   見えない王冠私の髪の毛さらってゆく   見えない王冠仮面の人々縮ませる   見えない王冠支配下大祭礼の夢を見る   一日千人見えない王冠襲いかかる   小人はみんな見えない王冠かぶって踊る   見える戦争見えない戦争炎天下   紅薔薇開くばかり戦争続くばかり   スーパーブルームーンわれら底なしの愚かさ  夏石番矢(なついし・ばんや) 1955年、兵庫県相生市生まれ。     撮影・芽夢...

龍太一「遠雷は廃炉の呻きみちのおく」(『SKY・BLUEー生きとし生けるものたちへー』)・・

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  龍太一第三句集『SKY・BLUEー生きとし生けるものたちへ』(飯塚書店)、序文は高野ムツオ、跋は若井新一、帯文は井上康明。  仏像の背は粗削り霾晦 (つちぐもり)   由緒ある寺院の大日如来、どっしりと坐った背中に、荒削りの鑿痕が刻まれ、空は中国大陸から飛来した黄砂にによって霞む。作者が捉えた如来の背の鑿痕というたしかな手応えが、海を超え大陸の遥かな時空へ、悠久へと及ぶ。  とある。投げ込みの栞は、津髙里永子「永遠に無限の『SKY・BLUE』俳句取扱説明書」。その中の「おわりに」に、   俳句への計り知れない愛情から体力気力の殆どを費やして、作者、龍太一氏は「どの季の句でも今、作ろうと思えば作れる」と胸中には常に句材を溜め込まれている。一方で、多作多捨の実践者でもある。  一緒に参加している同人誌「墨BOKU」は現在九号を刊行。一度に十句ずつ、計九十句発表した句があるはずなのだが、この句集に入っているのは数え得てみたら十五句のみであった。 (中略)    終末時計八十九秒年つまる  世界終末時計は、人類絶滅(ドゥームズディ)の時を午前0時と想定して、核戦争や気候変動などによる人類の生存を脅かす危機度を残り時間で象徴的に示す時計。アメリカの科学誌が、一九四七年から毎年公表している。ちなみにニ〇二五年はあと八十九秒しかないと公表された。  ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   赤子みな同じ泣き声猫の子も         太一   人住めばどこも一隅春灯   日月に蝕及ぶかにやませ来る   正午こそとことは正午敗戦日   海底はつねに陸押し神の留守   山あるがまま川もまた月の秋   被射体は人間 (ひと) 空爆も秋の蚊も   関東は灯の海山脈 (やま) は寒茜   霜の夜や家霊が梁を軋ませる   身に添ふはおのが影のみ冬灯   熔融の劫火はむつの鬼火なり     龍太一(りゅう・たいち) 1943年、栃木県生まれ。 ★閑話休題・・井澤勝代「最後まで被曝牛飼ふ草若葉」(「立川こぶし句会」)・・  5月8日(金)は、立川こぶし句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    滝落ちてしぶきを纏う新樹光        伊藤康次    うまい米作る意気ごみ田水引く       井澤勝代   自作皿魯山...

各務麗至「風信子ことばあやふきあをさかな」(『天地抄』)・・

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  各務麗至句集『天地抄』(詭激時代セレクション袖珍新書)、大河内昭爾芳翰からの献辞には、   ——昔からの耽美の世界なつかしく拝読しております。/亡くなられたお仲間のお仕事を丹  念にたどられるやさしさにも/感銘をおぼえます。/御健筆を念じ上げます。   とあり、巻尾の著者「覚書」には、  小説の叙述の研究を示唆され行き着いたのがそれこそ俳句だった。  私的には、平明は別にして俳句とは言わはずに言へる省略と豊穣を知つた始めての経験であつた。  作句期間は、昭和五十年代の後半に始まり、平成十八年までの二十数年間。平成十六年に二百四十句の追悼句集「風に献ず」を編んだが、その後俳句の総まとめ的全句集との定本小冊子を出して、  今回、やはり「風に献ず」は入集せず、独立した作品集をとの認識に立ち帰ることにした。 (中略)  句集名だが、/そこは、「風に献ず」前後でもあるが第二句集と称すことにして、先の全句集との命名「天地」を生かし「天地抄」とする。  その間、盟友麻生知子の勧めもあつて、俳句関係への参加が暫く小説から離れた原因といへなくもないが、俳句経験の作風の変化は年を重ねただけではなささうである。  俳句も亦、私を炙り出すに相応しい一篇の私小説であつた。   と記されている。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を以下に挙げておこう。    みづからかれゆくものをえごの花        麗至    一朝あらば一夕あらば旅立てる   高空の鳶二羽敏雄松雄と呼び   木枯らしや孤児たるらむと告げて透く   ももとせやももたび訪はな留守の梅   長逝す畳の上のちりもみぢ   坂東やしめればしまる男帯   逆光のどこ掴んでも秋の風   裏山は鬼のおとなふ桜かな   母似ゐて父似数へる秋まつり   永遠といふは壮絶ふぶきけり   太陽の及ばぬさきの力かな   春月や胎内そよぎゐたりけり   月明に呼ばれて風の裏おもて   半夏生死後こそ穢れなきと思ふ   一会いま骨はゆたかに肉美し   光さして山に谷ある齢かな   凡百の耳埒もなし蚯蚓鳴く  各務麗至(かがみ・れいじ) 1948年、香川県生まれ。      撮影・鈴木純一「永遠 ( トコシヘ ) もやまない雨もないかしら」↑              朝丘雪路   4 月 27 日  ...