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出口善子「右と左に手がある祈らねばならぬ」(「季刊 イリプス」Ⅲrd17/通巻73号より)・・

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  季刊「イリプス」Ⅲrd17 通巻73号(冨岡書房)、その書評の筑紫磐井「出口善子全句集の周辺で――『全句集』の向かうもの/——『出口善子全句集』(角川書店)の中に、 (前略) 「MUYOU(六曜)」は平成17年8月創刊、「花曜」は六林男がなくなり、花がなくなったので六林男の「六」を入れて「六曜」としたが、そのこころは「無用」だという。その後15年、令和2年3月の58号からコロナ禍で休会となり、新発行人を迎えて令和4年第59号で復刊、善子は退任する。御苦労さまでした。 (中略)    大勢に一人ひとりに雪降れり     『わりしまい』   女手に生きて焼かれる栄螺かな   万骨の一片として夏痩せて         『羽化』   六林男忌を犀の重量ゆっくり過ぎ   どんど火に炙る私の裏表          『沙羅』   沙羅の花墜ちて盛者の香を放つ   全句集から代表的と思われる句を選んだ。多くの人に取り上げられた著名な句や、出口善子らしさが現れていると思った句を選んだが、眺めてみると、女や男、人や肉体や私、し贈物的な肉体に係る句が多くなった。これを眺めてみると、鈴木六林男が『亂聲』に寄せた言葉が思い出される。そこで書かれた婚家と実家、男と女の業、肉体と精神、それらは私が本論で長々と述べた事柄とも重なり合うように感じるのである。そして六林男が序文の末尾でほのめかすのは、旅(それは現実の旅とも人生の旅とも理解できる)と死だ。『出口善子全句集』で残された宿題はまさしくこの二つであると思うのである。  とあった。他には、多くの詩篇と論考が掲載されているが、本ブログでは紹介しきれないので…。「豈」同人でもある冨岡和秀の散文詩「地を這うものと空を飛ぶもの」の冒頭の数行のみだが引用しておきたい。 森が揺れている。苔むした地表の下から突き上げるように震えている。激しく揺れる前兆だ。すでに森の住人であるアリが揺れを察知して、速歩を始めて逃亡している。群れとなって森の外へ逃亡し避難する。地の揺れが大きくなる。アリの大群が森の出口に向かって走って行く。アリのなかには大きなアリもいるが、その大アリは考えるアリであり知能が高い。風貌は顔がやや大きく、前頭葉が発達しているかに見え、背も高い。大アリが大集団のアリの群を引き連れているかのように見える。直下からの大地の揺れからアリの大群が森の外へ...

坪内稔典「スケボーの少年が跳ぶ星月夜」(『モーロク快々』より)・・

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 坪内稔典『モーロク快々』(創風社出版)、帯文に、   「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」/この歌は二十代のころ、つまり結婚したばかりのころから私の愛誦歌になっている。啄木のこのつつましい幸福の享受が大好きだ。(本文より)     今日もさりげなく過ぎてゆくネンテンさんの至福の時間  とあり、「あとがき」 には、    この『モーロク快々』は『モーロク日和』(ニ〇ニ五年一月)に続くモーロクシリーズの二冊目である。 (中略) ニ〇二六年夏の現在、ボクの暮らしの目標は身辺から本をなくすこと。具体的にいえば、机上にはパソコンだけ、パソコンのそばには一輪挿しを置いて折々の道端の草花を活ける。辞書とか文学全集などはインターネットを利用する。雑誌などだと国会図書館所蔵のものがネットで読める。今まで本の中で暮らしてきたが、これからは身辺の本は最小限にしてすっきりと暮らす。   とあった。 「星月夜」の一部分を以下に紹介しよう。   星を見上げる、という動作というか仕草を意識的にしたい。以前にも書いたことがあるが、私はついついうつうつむくタイプなのだ。道を歩くときなど、うつむいてとぼとぼという感じで歩いており、そばにヒヤマさんがいると、「ほら、またうつむいている! 貧相に見えるよ」と注意される。  というようなことがあるので、意識的に見上げようと思うののだ、大きな木や白い雲、遠くの山、そして星や月などを。  そういえば、そろそろ星月夜 (ほしづきよ) のころである。月のない夜空が、星の明かりでまるで月夜のように明るいのが星月夜。暦を見ると、十月九日が朔 (さく) 、その前後の夜は月が小さいので、たっぷりと星月夜を楽しめる。  とあった。ともあれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう。   魚くさい路地の日だまり母縮む        坪内稔典   椎若葉一重瞼 (ひとえまぶた) を母系とし   石田波郷    冬はまた夏がましじゃといいにけり      上島鬼貫   山の神の耳の病か蝉の声           松永貞徳   好きな子ははだしで歩くあの子です      森本真緒   バッタさんぼくでよければともだちに     池田拓篤   ありさんよどこから来たのここ五階      矢澤宙空   姉ちゃんと顔が似ている鬼やんま       湊谷恭央  ...

秋尾敏「秋晴のてにをは軽々と届く」(「軸」創刊60周年記念俳句大会・祝賀会)・・

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               「軸」主宰・秋尾敏氏↑   10月24日(土)「軸」創刊60周年記念俳句大会・祝賀会(於:第一ホテル両国)に出席した。「軸」(主宰・秋尾敏)の「軸の歩み」によると、   昭和42年6月 同人誌として創刊。毎号、順に阿部青鞋、金子兜太、野間郁史、巽巨詠子、古沢太穂、井沢子光、飴山實、柴田白葉女、長谷川天更、磯貝碧蹄館、髙橋龍らの選を受ける。模索の時期であった。  昭和47年1月 河合凱夫の主宰誌となる。師系、中島斌雄。(中略)  平成11年7月 河合凱夫主宰死去。秋尾敏新主宰になる。 (愚生注:秋尾敏は凱夫子息、本名:河合章男)  とあった。 池田澄子↑                   筑紫磐井↑  「豈」同人からは、池田澄子、筑紫磐井が祝辞を述べ、愚生と羽村美和子が出席した。愚生のテーブルは、左隣から、神野紗希・後藤章・石川一郎代理の黒岩徳将・為永憲司・樽谷俊彦・田中朋子・大石雄鬼だった。ともあれ、以下に、「俳句大会入賞作品集」より、上位の句と愚生の選句のいくつかを挙げておこう。    象出して象舎を磨く額の花        赤羽根めぐみ    死ぬ力生き抜く力ためて万緑         安田政子    草いきれ背のびをすれば私も海        倉岡けい    割り算の余りが好きよ桜桃忌        石井ひさ子    春手袋まだ男とか女とか          加那屋こあ    指先に螢ピーターパンになる         川本恭子    凍土や死者にあてがう石枕          加藤圭子    雲白々とおはようの牛蛙           松澤伸佳    測量船触れるアンテナ夏の雲         太田道子    六十年継ぐべく魂や更衣           金子未完    夏あざみ山へ海へとララ ラララ       平岡育也    還暦の色を変えない松である         樽谷俊彦    駄駄っ児に試されている夏の黙       藤平紗登美    むくろじの約束に鳴る星の数         表 ひろ    風薫る地軸を繋ぐ六十年          下村アサ子    六十年の記憶と記録青山河        木之下みゆき   主選者・相馬マサ子氏↑ ★閑話休題・・佐久間麗子「おはじきの指先に秋はじけたり」(第62回「府中市民芸術文化...

池田澄子「亡父亡師亡夫亡友秋桜」(「noi」vol.18より)・・

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 「noi」vol.18(俳句雑誌noi)、特集は「池田澄子インタビュー/今を生きる、私たちへ」。その中に、 (前略) noi 敏雄の句に〈出征ぞ子供ら犬は歓べり〉があります。三鬼が、特高の思想弾圧を懸念して「犬も」にした方がいい、と当時アドバイスしたと聞きます。 澄子 そう。戦争中は「犬も」だったの。戦後に発表するときに「犬は」の戻して。 noi この助詞一つにこもる意図が、すごく重たいですよね。 澄子 全然違うからね。「犬も」だと、出征を「みんな喜んで送りました」。「犬は」だと、大人は喜んでいない。敏雄の句に〈立ちあがる直射日光被爆者忌〉ってあるの。これは先生が吟行で作った句で、「立ちあがる直射日光」までできてから、なかなか下五がつかなかった。最初は「芹の水」とつけたのね」それからずいぶん経って推敲した結果「被爆者忌」になったの。 noi 敏雄も、吟行の感覚を取り入れながら、そこにとどまらないように昇華させる。実感から時間をかけて一句に至る、そういう作り方なんですね。「被爆者忌」になって、澄子さんはどうおもったんですか。 澄子 「あ、敏雄の句になったな」って思った。(中略)私ね、「原爆忌」っていう言葉が、なんだか……。だって、原子爆弾の忌日ではないでしょう。 noi 澄子さんが今年の角川「俳句」5月号に寄せた50句のうち〈怒る暇なかった原爆被爆死者〉も、「原爆被爆死者」と丁寧に書く迫り方が、敏雄の「被爆者忌」と共通すると思っています。(中略) noi 〈いつしか人に生れていたわ アナタも?〉も、人によっては「これは俳句なのか?」と言う人もいますよね。 澄子 当然そうね。それこそ季語もないし、これはもう五七五にもなっていない。 noi でも澄子さんが「これが俳句だ」と思う理由、これで行こうとゴーサインを出せる澄子さんの感覚について聞きたいです。 澄子 そうね、難しい質問ね。 noi でも澄子さんとしては「俳句だとおもってる」んですよね。 澄子 そう、俳句だと思ってる。たとえば、〈いつしか人に生れて花筵〉なんて言えば、ちゃんと俳句になるのよね。でもそれは考えなかった。 noi なるほど。「アナタ」がカタカナなのは。 澄子 目の前の「あなた」じゃなくて、いろんな「アナタ」、という感じかな。 noi 匿名性を与えたいがゆえのカタカナ? 澄子 そうだと思う。これ、...

牧冬流「蜂の子はつぶれやすかつたよなお袋」(「垂人(たると)」50・終刊号)・・

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 「垂人(たると)」50・終刊号(編集・発行 中西ひろ美/広瀬ちえみ)、「編集後記」の中西ひろ美は、       息は切れ足はもつれて日暮れつつ七十歳はラストスパート   ひろ美  ラストスパート完了しました。最終号の「扉」は牧冬流さんの一句にしました。冬流さんを知らない人も増えましたが、二〇〇一年四月に冬流さんや仲間と共に発行した「風谷・飛沓舎」一号が今に続いているので、彼を抜きに「垂人」は終われないと思いました。 (中略) 同人制も会員制も設けない、自由がとりえの小誌にご尽力くださった皆様、お力添えいくださった皆様に感謝いたします。  とあり、また、広瀬ちえみは、 (前略) 今年は一月から六人もの友人(うち一人は義兄)とお別れし、歳を取るということの残酷をひしひしと感じた。「垂人」を愛してくださった渡辺信明さんは二月に、ますだかもさんは五月に旅立った。「垂人」の終刊号を目前にしながら、なんということを神はするのだろう。「垂人」49号のふたりの作品。 〈柚子の実の意思のやうなる大きさや  信明〉 〈日曜はポッケリーニのメヌエット   信明〉 〈ブランデーケーキの香り冬の月    かも〉 〈青々と今も夢あり蜜柑山       かも〉 かわいらしい「ボッケリーニのメヌエット」を弾けるようになりたいと思う。  とあった。 愚生もまた、お二人と楽しい時間を過ごさせてもらった一人だ。ご冥福を祈る。その春の頃、鈴木純一(なそり)・中西ひろ美邸で捌いていただいた「表合十句」(令和八年三月三十日首尾「夕皃亭」にて)を、そして本誌・本号の作品のいくつかを以下に挙げておきたい。 表合十句   荒涼とふぶける桜草莽忌           大井恒行     みやこ忘れに切った鯉口          鈴木なそり    地震あれば遠き潮騒聞こえ来て        中西ひろ美    さればさればと海の暮れきる        恒行    月出づと翁の脇をつく媼           なそり     いてふの金にこぼすぎんなん        ひろ美    からみつく黄の花片や夕皃家         恒行    酔ふて舞はうぞ屋島ひとさし        なそり    綿虫に雨たいしたことあらへん        ひろ美     泣きの涙のさて輸送船           恒行    ひばりからもら...

松尾清隆「あめつちをつかのまむすぶしぐれかな」(『雲間の月』)・・

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  松尾清隆第一句集『雲間の月』(ティ・エム・ケイ出版部)、著者自装。「あとがき」には、  本書は私の第一句集です。平成十二(二〇〇〇)年から令和七年(二〇二五)年にかけて「松の花」誌や俳句総合誌などに発表した中から五八四句を自選しました。  とあった。集名に因む句は、    四歳と話す雲間の月のこと       清隆  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、幾つかの句を挙げておきたい。    天頂の月より雪の降りそむる   火の粉ちるやうに螢の下りてくる   夏帽の人に無帽の人に風   心臓のかたちの落葉踏んでしまふ   そのやうな口では蝶よ喋れまい      矢野玲奈と結婚   どてら着て眼鏡の似合ふ私たち   働かず学ばず過ごす熊楠忌      長男・和希誕生   十月の風強き日が誕生日   地球義の海は鮮やか霾ぐもり   ハロウィンのつづきのやうに文化の日   空は天才ことに啄木忌の空は   ヒメムカシヨモギが吾子の背丈越し      長女・千秋誕生   参院を出ていわし雲いわし雲   千回の秋を生きよと名付けけり      十二月六日 有馬朗人氏逝去   レノン忌の前に加わる忌のひとつ   雀隠れにすゞめとはちがふ鳥   鳶の笛降らす名残の空である   明治百五十五年の菜の花忌   米独立記念日夾竹桃満開   灯台の中は階段ばかり冬  松尾清隆(まつお・きよたか) 1977年、神奈川県生まれ。 ★閑話休題・・関根幸子「『柿の日』に子規にもひとつ柿を剥く」(第202 回「吾亦紅句会)・・  10月23日(金)は、第202回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「秋の海」。以下に一人一句を挙げておこう。    寄する波引く波あかず秋の海       吉村自然坊   ゲルニカの色なき風や白き花       堀江ひで子    晩秋の大学通りモンブラン         関根幸子   AIも露けきものにあらまほし        田村明通    秋の蝶スマホの震へ止まらない       須崎武尚    螳螂の狩り行く前に見栄を切り      吉村自然坊    若き日を呼び覚したる秋の岳        松谷栄喜    洗濯の干す手が止まる鰯雲         村上さら    開閉の金属音や秋の暮          折原ミチ子    秋の海フェリー...

大野善雄「無造作に成る句欲るなり吾亦紅」(『砂礫堆』)・・

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 大野善雄第一句集『砂礫堆』(ふらんす堂)、序は小澤實、それには、   本句集の作者、大野善雄さんは、第八回澤特別賞の受賞者である。高橋睦郎さんとともにぼくが選考委員を務めるこの賞は、ほぼ隔年ごとに、十五句を募り、澤の仲間が競い合うものである。 (中略)    本合海橋の耐力調べ十二月  本句が最初の一句である。本合海橋は、山形県新庄市にある最上川にかかる橋である。十二月という最後の月に、橋の耐荷力調査にあたったのである。耐荷力の調査は橋がどれだけの荷量に耐えられるかを評価するもの、間違えると、橋が崩れる事故で人命が失われる可能性までもある。   寒天に通行止の許可取りぬ  橋を通行止めにしないと、耐荷力調査はできない。 (中略)   凍てし桁熱してひづみ計を貼る  凍てついた橋桁を熱してひずみ計を貼りつけている。「桁熱して」というところに、耐荷力調査に従事しないと描き得ないところを書ききっている。そして、橋桁とひずみ計の関係を即物的に捉えたところに魅力がある。   とあり、また、著者「あとがき」には、  この『砂礫堆』は、私の最初にして最後の句集です。既に卒寿を超えた私は、土木技術者一筋に生きてきた人間です。人生は人と人との出会いで、生涯にどういう人に出会うかによってその人生は決まると言われています。現役時代によき師、よき先輩、よき同僚に出会い、仕事にも恵まれたことが、わが人生第一の幸運でした。 (中略)  晩学で詩才もない上に、難聴という身体障碍を持つ、万年俳句見習いの私が、俳句を長く続けて来られたのは、偏に小澤實先生のお人柄に心酔し、先生の主宰する澤俳句会にも入れて頂き、分け隔てないご指導が享けられるなど、澤俳句会の雰囲気の良さに魅了されたからで、わが人生の第二の幸運でした。   とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   高欄を掴むやミシと軍手凍つ          善雄   要塞のありたる島の蟬しぐれ     カッパとは田鼈のことよわが在所   五十回忌兄のみ若しいわし雲   干海苔の穴海苔でふさぐ子手を赤め   ひらりくるりさくら散るなりまたひらり   天の字は二人と書きぬ老の春   寒禽の声絶えて空あるばかり   雲片の奔りゆくなり駒草撫し   老母言ふ「土間が湿れば梅雨明ける」   百歳の恩師の賀状忝な...