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渡辺信明「手をふる子に手をふり返し桃の花」(「垂人(たると)」49より)・・   

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 「垂人(たると)」49(編集・発行 中西ひろ美/広瀬ちえみ)、特集は「渡辺信明句集『雪晴』を読む」。 各執筆陣のなかの広瀬ちえみ「気持ちの人」には、 (前略) ノブさんの絵は、素人の私が言うのは生意気であるが、技術的に優れているわけではないと思う。だけど、この温かさは何だろうと引きつけられる。極寒のなかで無心に絵筆をとるノブさんの姿が思い浮かび、その絵にはノブさんの幼子のような邪心のない気持があると感じられてならない。それを見たとき、私はノブさんにもノブさんの俳句にも邪念を払い忖度することなく句集を編もうと決心した。決めてから、ノブさんの作品に魂を持っていかれたような半年という時間を過ごした。ノブさんがお元気だったら(句集を出したか出さなかったかわからないが)、またほかの方が編集したら、全く別の句集になっていただろうと思うと恐ろしくもなる。  句集は四六版が多いが、ノブさんの絵を最大限いかすためB六版で作ることにした。カバーは織り込まれるためそのことによって絵が隠れることを避けたかったからである。 (中略) ノブさんは気持ちの人である。あふれんばかりの気持ちを家族にも、石や木々に、草に花に、そそぎ込む。その気持ちが言葉をちょっと遊ばせたり、愛がユーモアになることをノブさんの句を読むと気づかされる。  とあった。ともあれ、以下に、本誌より、いくつかの作品を挙げておこう。   故人はとても、プロペラでした        暮田真名   誰の枕辺かとヒメムカシヨモギ        野口 裕   桃もらうあいまいももこ剥いている     髙橋かづき      儲け第一工期第二     三、四はなくて       「安全第一」は第五          中内火星   星座なす寒の戻りの手術痕         中西ひろ美    湯島天神神田明神冬の靄           川村研治   こんこんと誰のものでもなく湧いて     広瀬ちえみ   石ころにきらりと冬の声をきく       ますだかも   硝子片掃いて三寒四温かな          岡村知昭   紅花の紅を残して棚の上ドライフラワーなれど紅花    渡辺信明       表合十句   枯蓮みんな名前をつけてやる         かも    マナーモードにふるえてる雪        ひろ美   15度で受付嬢が傾い...

長岡裕一郎「ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち」(『百人一首バトル』より)・・

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  栗木京子・穂村弘・佐藤弓生・千葉聡・石川美南 編『百人一首バトル』(書肆侃侃房)、それぞれの編者の「おわりに」があるが、ここでは、千葉聡「短歌なら届く」の中から、  八十になった母を介護している。寝る前のひととき、僕は母に、小説を読み聞かせたり、昔のドラマを見せたりしてきた。最初のうちは喜んでくれた。だが、母はここ一年ほど、ぼんやりすることが増え、長いストーリーが理解できなくなった。反応も鈍くなり、やがてほとんどしゃべられなくなった。  それでも、僕が「お母さん」と呼びかけると、分かったような顔をしてくれる。往診に来てくださるドクターによると「まだ耳はしっかりしている」らしい。(中略)  息子が歌人になって以来、母は気に入った短歌を大判のノートに書き写していた。僕は、そのノートを探し出し、母の枕もとで、そこに書いてあった歌を朗読してみた。   母は久しぶりに「ああ」と言ってくれた。笑ってくれた。ああ、短歌なら届く。この『百人一首バトル』が出来上がったら、名歌中の名歌を、たくさん母に朗読してあげよう。  とあった。ともあれ、本書より、愚生が出会ってきた方々のいくつかの短歌を以下に挙げておきたい。   連山を持つ幸福を思わせて蛇笏あり龍太あり甲斐の国あり          三枝昂之   啄木をころしし東京いまもなほヘリオトロープの花よりくらき        伊藤一彦   病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ      河野裕子  母を知らぬわれに母なき五十年湖 (うみ) に降る雪ふりながら消ゆ      永田和宏    遺伝子配列三十億年対を読み終へてうつくしき水晶の夜がくる        小池 光  産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか       阿木津英  ついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮のメガロポリスに      藤原龍一郎  もろともに秋の滑車に汲みあぐるよきことばよき昔の月夜 (つくよ)    今野寿美  そして秋 空もひとつの武蔵野に早馬 (はゆま) のごとき風の音する    小島ゆかり   ものおもふひとひらに湖 (うみ) たたへたる蔵王は千年なにもせぬなり    川野里子  鵙の声が日暮を統べてことのほか名古屋の人は小さく群れる         荻原裕幸  ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロ...

朝吹英和「赤き糸手繰りし魔笛春銀河」(『瞬・遠Ⅱ』より)・・

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 『瞬・遠 Ⅱ/愛と魂のビッグバン』(発行 朝吹英和・勝間田弘幸)、序章で朝吹英和は、 (前略) 文字という媒体を通して表現する小説、和歌や俳句に宿る魂は「言霊」であり、音符を表現媒体とする音楽には「音霊」が宿っている。絵画や彫刻の場合には「形霊」である。  そして、「言霊」・「音霊」・「形霊」がクロスオーバーし共振する中でエネルギーが高まり異次元の時空が現出し、感動を呼び起こす。  とあり、勝間田弘幸「終章」には、 (前略) 母なる宇宙「無償の愛」の化身として或る周波数帯を受け持つと思われる魂は一人一人の、無意識の中に宿っており、コンサートで演奏家の魂を通じてモーツァルトの魂を直接感じて感動することがありますが、作曲された当時から200数十年のい時空を超えて、作曲家の魂と聴衆の魂が瞬時に重なり合うこの音楽様式は、瞬間が永遠に繋がる人類が生み出した最も偉大な芸術創造のひとつであると思います。  とあった。また、朝吹英和「あとがき」の結び近くには、 (前略) コンピュータやシステムの高度化によるSNSやAIの急速な普及は日常生活を刺激的に変化せしめ、効率化や省力化に大きく貢献している反面、最近の若者世代の文字離れや読書離れが顕著であり、更にはクラシック音楽の演奏会も退潮傾向にあると聞く。魂や愛を持たないAIに過度に依存しては愛を持たぬがゆえに地獄落ちを余儀なくされたドン・ジョヴァンニの二の舞を演じる羽目に陥ってしまう怖れがあるのではないか。デジタル化等で拡大した自由な可処分時間を「魂と愛をその源泉とする芸術」の創造や鑑賞のために使いものである。  ともあった。ともぁれ、本書中より、アトランダムになるがいくつかの句を挙げておこう。    棺中の手に握らせよ冬ざくら       磯貝碧蹄館    肉体の始末は難儀花の山          糸 大八    桜散るときメビウスの環のひかり      五島高資    弔鐘の連打地に這ひ狐跳ぶ        和久井幹雄    神鳴 (かみなり) や諸刃の剣愛か死か   勝間田空幸    メビウスの帯絡みつく残暑かな       朝吹粋酔    秋はフルートそれも無伴奏         仲 寒蟬 ★閑話休題・・小出楢重「新しき油絵/新しい花に、強い根を。」(於:府中市美術館・~3月1日まで)・・  小出楢重「新しき油絵/新し...

杉本青三郎「飛んでいないと初蝶と見做さない」(「俳句四季」3月号より)・・

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「俳句四季」三月号(東京四季出版)、浅川芳直「俳句ランドスケープ」の中に、  井口時男評論集『近代俳句の初志』(コールサック社)は力強い評論集だ。碧梧桐も虚子も子規の文学観をリアリズムに矮小化したが、子規の志は「非空非実の大文学にあり、それを継承したのは、メタファーを使いこなした昭和初期の新興俳句だ、という骨子である。  細かい異論はある。井口は、虚子の「大自然と一様になった時に写生句が出来る」(「写生俳句雑帖」)という言葉を、西田幾多郎の「主客合一」の借り物で、些末主義的な写生の物足りなさを自然随順の形而上学と神秘主義によって粉飾したものと批判する(本書Ⅱー七)。ただし西田自身は、「主客合一」を客観的対象の本質は、実験・操作といった主体の能動的な関与を通してのみ知りうるのだ、という実証主義的学問論の文脈で論じ、その神秘化を戒めてもいる(行為的直観」)。虚子の自然への没入も、俳句は授かり物だが、受け身だけではできない、、という制作論として、師系では受容されてきたように思う。 (中略)   悼尾に置かれた「『限界芸術』と名句たち――俳句とポピュリズム」では、俳句の価値がどこで成立するか、するどい分析が加えられる。井口によると、俳句はアマが作りアマが享受する「限界芸術」である。それゆえ、作品の価値の最終半者は、指導的観点を気にする「小心のプロ」ではなく、大衆の目に他ならない。(中略)さらに、そうした俳句の大衆性を逆手にとって、句の意味を初めから一切、読者に委ねたのが坪内稔典だと論を進める。  しかし、俳句の価値を決める「大衆」はほとんど俳句を作る人に限定され、外部の大衆が不在なのも実態である。   とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの作品を挙げておこう。    大寒の欅巨樹日のなかにあり         小澤 實    岸に寄る雛突かれて流れけり        津川絵理子    客人の座に金縷梅の壺を置く         生駒大祐     ブリキとプリキュアが遭ふ春休み       北大路翼    労働の路傍の薔薇をどうしやう        中矢 温    鏡の外へ鬼火のきみたちはいつてしまつた   青木瑞季    書け勝て死ね甦れ書け死ね書け生きろ勝て   垂水文弥    水仙にとって咲くとは裂けることわたしはわたしの本意が怖い                ...

抜井諒一「問診のあと春愁を診てもらふ」(『残影』)・・

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  抜井諒一第三句集『残影』(角川書店)、帯には、   過ぎ去った/日々の翳りと残影……/寂寞の深淵から掬い上げた三三一句  句集『金色』から/五年ぶり/待望の第三句集    こんなにも桜と人とゐて独り  とある。著者「あとがき」には、  (前略) 過ぎ去った日々が、ふと風景の中に立ち上がってくる。秋桜の揺れる畦道で、あるいは満開の花の散る下で。そんなときの言い知れぬ心細さを、十七音で掬い上げてきた。その翳りを、その残影を。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    姫女苑みな花びらのどこか欠け        諒一    ほうたるの飛ぶには闇がまだたりぬ   夕蟬の鳴きつつ鳥に喰はれけり   天瓜粉たたけばすでに寝てをりぬ   山の影もろとも墓を洗ひけり   きつつきや天を仰いでまたつつく   歩かねば虫の音に沈んでしまふ   枯芝や子に追ひつかぬやうに追ふ   硝煙の匂ひのとれぬ冬帽子   弁当を広ぐ桜に背を向くる   残花より又もひとひら尚ひとひら   抜井諒一(ぬくい りょういち) 1982年、群馬県高崎市生まれ。 ★閑話休題・・宮尾節子「『おまえは、恋を分かち合えるとーー?』/愛国でも、憂国でもなく、国を思う心を恋国としてここに詩を捧げる。」(詩集『恋国(こいこく)』より)・・  宮尾節子『恋国』(言視舎)、の詩の一部を引用紹介する。       麦の青、声の黄色  男が  殺すなら  女が  産んでやる  男が  殺し続けるなら  女が  産み続けてやる    (中略)      男が  とめられないのなら  女も  とめられやしないのだ     殺される傍らで  産み続けることを  子の  希望を。  砲弾だらけの畑の土は  覚えている  踏まれても踏まれても  立ち上がった麦の青を  声の  黄色を。   宮尾節子(みやお せつこ) 1951年、高知県生まれ。             撮影・鈴木純一「千鳥よぶ娘と男いれかわり」↑                  淡島千景 2012年2月16日 没

渡邉樹音「重ね着のほつれは海を繋いでいる」(第76回「ことごと句会」)・・

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  2月21日(土)は第76回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿三丁目ビックスビル店)だった。兼題は「如」。以下に、一人一句を挙げておこう。    「あたわり」の能登半島や春は来る        村上直樹    宿木よ風の罠かもしれぬ             渡邉樹音    突如陽炎のその時差に加わる           宮澤順子    姉二人父似と母に雪兎              石原友夫   如水になれない白魚やがて白          杉本青三郎     月冴ゆる瓦礫を探る黒い猫            杦森松一    一陽来復まだ三角の如し春            金田一剛    来し方へ含み笑いも春の闇            江良純雄    よく生きてだんだん小さくなる蜜柑        林ひとみ    子等はすでに消える足音聞いている        渡辺信子    きさらぎや座禅の邪魔をする記憶        春風亭昇吉    春木みな鳥のためらう枝の色           照井三余     ー高市閣下に捧げるー    如何様 (いかさま)野郎!オッと女郎であった春 武藤 幹    凸凹 (でこぼこ) のかなしきかたち日向ぼこ    大井恒行 ★閑話休題・・現代抽象作家展ーsurprise 19ー(2月22日まで。於:ギャラリー絵夢)・・                    河口 聖 ↑  案内には、「抽象作家24名による抽象表現・具象表現を視る」とある。出品作家は、   阿津美知子・遠藤茂子・大久保宏美・大庭英治・置鮎早智枝・金井路子・河口聖・紀井學・楠本惠子・小林哲郎・小堀令子・佐藤洋子・芝田しげる・硯川秀人・霊山邦夫・知多秀夫・鶴巻美智子・寺床まり子・中野渡みね子・沼尾満・村秋木綿・結城康太朗・吉見公子・山中宜明        撮影・芽夢野うのき「いささかの脳よろこばす桜餅」↑

垂水文弥「晩景に真白き菊のゆきわたる」(KENOBI」Vol.3より)・・

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  「KENOBI」Vol.3(発行 小川楓子・黒岩徳将・寺沢かの)、論考は黒岩徳将「叙情俳句序説」、その「おわりに」の部分に、 (前略) 私は俳句史における叙情人気の浮沈とその変容には強い関心があるものの、「叙情俳句」をどうにも好むことができない。生きているうちに自句他句ともになんとか叙情の対抗馬を出して抵抗したいと思う。ポエジーの核にしたいのは「パワー!肉体!身体性!リズム!非意味!」である。たとえば次のような句を読んでほしい。   泳ぎより歩行に移るその境        山口誓子   ふくろふに真紅の手毬つかれをり     加藤楸邨   プラチナ晴天テレビにくらげの力士たち  大石和子   鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽      金子兜太   風を見るきれいな合図ぶらさげて     阿部完市  同じ誓子でも、「こころの帆」と異なり目玉が飛び出るほどの名句である。プールサイドや海をあがるときに両足を地面に付着する感覚から哺乳類に進化する過程を夢想できる。(教科書で見たあの絵だ!)。 (中略) 声に出して全身に音を反響させることにより、(きれいなと言っているにも関わらず!)意味がわからないが見えない「合図」により体が無意識に反応してしまうゾクゾク感。これらはすべて頭でなく体に訴えかけてくる句である。「叙情俳句」と薄味虚子から目を背けて、こういう句を作りたい。   とあった。他の記事に「お悩み解決座談会『叙情、どこへ行く」などがある。ともあれ、以下に本誌より、いくつかの句を挙げておこう。    待合室キャリーへひとすぢに西日     寺沢かの    年中さんのバレエレッスン木の実降る   小川楓子    交尾せるとんぼを過ぎてゆく蜻蛉     黒岩徳将 ★閑話休題・・樋口由紀子さん追悼句会のお知らせ【投句〆切:令和8年3月3日(火)23時】・・   令和8年2月11日に、川柳作家の樋口由紀子さんが永眠されました。/由紀子さんへの感謝を込めて、追悼句会を行いたいと思います。/ジャンルの垣根を越えて、多くの方のご参加をお待ちしております。 【投句】 未発表句、お一人様3句 投句締め切り:令和8年3月3日(火)23:00 以下のフォームからご投句下さい。 https://ws.formzu.net/dist/ S522456260/ *お名前を変えての二重投句はご...