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研生英午「からぢゆうひとみづと」(「鹿首」第20号)・・

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 「鹿首」 第20号(鹿首発行所)、特集は「森の気」。特集の執筆陣は、絵に井草智代「牧草地・他」、論に藤ヶ谷直美「水の巡りと生態系を編む森と木々」、天草季紅「静かな森の入口で 語り継ぐフチとエカシの物語」、小林弘明「赤塚裕二の絵画——森への通路」、早坂健伸「山水的陽水論3」、室井公美子「狼のいる境界・武蔵御岳・神社と三峰神社をめぐって」。その他の論やエッセイに中村茜「言葉を話すこと、読むこと、書くこと」、翁譲「あの街、この街を歩く/一週間シャッターをあける」、山本のりこ「私の二〇二五年のパフォーマンス」、研生英午「イマージュ・浮遊する現前の行方21/河東碧梧桐の俳句」、奥原進「観舞絵巻」、鈴木淳史「私説 井上井月 第3回」など。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句歌を挙げておこう。    干からびてニッポンが光りだす         水本石華    真暗闇若菊白を仄めかす            内田正美    蜘蛛の糸失せしゑろすのあみだくじ       奥原蘇丹    箪笥階段うへは開かずの荒野なり         風山人    書き初めや命一文字冨士の嶺           翁 譲    二人ゐる一人は道化師 (ピエロ) たまご粥    研生英午    燭光は夜の明けまでおやみなく稚児かくれたる海をめぐりぬ     川田 茂    隣国は仮想敵国政治灘軽々越えるJ・POPのこども         内藤隆子                撮影・鈴木純一「おつかいの牛乳パック汗をかき」↑     7 月 1 日   林明子   没   ( 1945 ~ 2026 )『はじめてのおつかい』絵

井澤勝代「死者に問ふ礎に刻む沖縄忌」(「立川こぶし句会」)・・

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  7月10日(金)は「立川こぶし句会」(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に、一人一句を挙げておこう。    語り継ぐ母の引き上げ沙羅の花      川村恵子    白シャツやサイクルロード風孕み     三橋米子    春浅き朝をせかせる電子音        大澤千里    鰹鯵ナフサ頼らぬ経木かな        井澤勝代    奉献の酒樽の華夏木立          山蔭典子    笹飾り孫の名ばかりくるくるり      和田信行    炎天下サイレンの音西東         伊藤康次    夏帽子様子変わってあれ!どなた     高橋桂子    雨上がり平和な月夜響くサイレン    樺島美知子    朝日昇る海を翔びくる鷗かな       大井恒行   次回は、8月14日(金)。      撮影・芽夢野うのき「勿忘草忘れぬうちに花咲かそう」↑

塩見恵介「振レバ鳴ル缶ノドロップ終戦日」(『俳句の眼をひらく/乙女のひととせ」の世界』)・・

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  同志社女子大学日本語日本文学科編『俳句の眼をひらく/「乙女のひととせ」の世界』(ブイツーソリューション)、その生井知子「はじめに」に、   同志社女子大学日本語日本文学科では、ニ〇一二年度から、俳人・塩見恵介先生を講師として俳句の授業を開講し、毎年の成果を「乙女のひととせ」という冊子にまとめて参りました。  この授業の中で俳句の面白さに目覚めたOGたちが、卒業後も塩見先生を囲み、「乙女のひととせ」の番外編として毎月ネット上で句会を開催しております。この句会も十年以上の時を経て、いまや授業のOGのみならず、年配の卒業生や教職員、他学科の卒業生も参加する大所帯となりました。  メンバーは初心者ばかりですが、毎月、俳句を楽しみ、俳句について語り合う楽しみを味わっております。  とある。本書の一例を挙げてみよう。      靴紐を二重に結び入試の日      奥田祐子 【春】(入学時試験)入試  ◎気持ちの引き締まる感じと願掛けのバランスがとても良いと思いました。(森山由紀子)  ◎佳い眼付の句で、これぞ入試の俳句、という感じ。緊張感、気合い、いろんな感情が足下の靴ひとつで見える。(塩見恵介)   とあった。ともあれ、以下に本書より、句のみになるが幾つかを挙げておこう。    子離れの春やバイエル弾いてみる      生井知子    初出社ミーアキャットのごとく立つ     辻田真波    リラ冷えや禁帯出のラベル貼る       田邉恭子   ぺディキュアがぬるい薄暑の排卵日     佐野瑞季    月鉾を見上げるそちらの喉仏        阪中梨沙    夏の月珊瑚は卵放ちゆく          福田知子    銀河系の片隅キャンプサイトあり      松尾唯花    星涼し目尻に銀のグリッター        泉 優梨    神様がスピログラフで描くダリア      窪田理恵    ビワイチの銀輪急かす秋の雷       滝澤伊都子       (「ビワイチ」は琵琶湖一周)    博打せぬ父の提げたる副袋         粂田完菜    廊下には無数の「明日」初硯        村川歩里    雪はらむブルーグレーの空に鳶       山下祥子   心配は明日にしようか雪うさぎ      余田由香利        撮影・中西ひろ美「緑濃し雫おく場所いとわずに...

光末紀子「昼寝覚みんなどこかへ行ったきり」(『誰の眠りでもなく』)・・

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   光末紀子第一句集『誰の眠りでもなく』(朔出版)、序句は花谷清、     小鳥来る書架にフロイト三論文        花谷 清  帯文も。それには、     蛇穴を出づるを見たりアンナ・O  アンナ・Oは、精神分析の成立のきっかけとなった人物の仮名とされる。掲出句中の「見たり」は、単なる描写にとどまらず、幻影めいた気配を漂わせている。  本句集には、虚と実を往還し、その境界を問い続ける世界がある。 とあり、著者「あとがき」には、 (前略) 句集のタイトルを『誰の眠りでもなく』としたが、これはわたしが若い頃から影響を受けてきたオーストリアの詩人ライナー・マリア・リルケ(一八七五~一九二六)が、亡くなる前の年に、自分の墓碑銘のために作った短い詩から取った。リルケは晩年、日本の俳諧に惹かれ、「ハイカイ」と題する三行詩を書き、同じような形式でフランス語による詩も二つ書いている。次にあげる墓碑銘となった件の詩も、これらの三行詩と同じ圏域にあるものと言われている。   薔薇よ、おお、純粋なる矛盾、   そんなにも沢山の目蓋の奥で、   誰の眠りでもないという喜び。    解釈の難しい詩である。「沢山の目蓋」は、開き切らずに重なっていて、閉ざされた目蓋のように見える。薔薇の花弁を表していると思われる。「目蓋」のドイツ語でLider(リーダー)で、綴りは少し違うが、同じ発音のLiederが直ぐに連想される。こちらの方の意味は歌あるいは詩である。リルケ自身そのような連想を充分に意識していた。  (中略)   リルケはまた、詩とは「真に言うこと」であると言っており、そして、存在するものは真に言われることによって、存在するもの自身が思っていたよりなお一層本格的に、それ自身として存在させられるようになるとも言っている。わたしの作る俳句が、「真に言うこと」に一歩でも近づければと思う。  ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   行く秋や何に響いて石の橋          紀子   梅の香の満ち来る過去の中に母   揺れを揺れ揺れに揺すられ小判草   醜草を引き醜草とねんごろに   梅雨空のどこかに光の蔵のあり   降ろされし亡骸になお遠雪崩   病む鳥の畳めぬ翼さみだるる   ひと駅で降りる電車や草の花   男郎花よりもほがらか女郎花   昼よりも...

平敷武蕉「アジビラ踏まれて街はアコークロー」(「南溟」第20号)・・

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 「南溟」第20号(「南溟」同人会)、その安美沙子「あとがき」に、   (前略) 今日は沖縄の施政権返還から54年。現職のころ、平和行進への参加は欠かすことはなかった。退職後の十数年、つい最近まで、普天間コースの列を短い距離だけだが若者の後に続いた。だが、寄る年波には抗えず4年前から歩くのを諦めた。ただ、行進後の県民集会には出ることにしている。 (中略)   国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の憲法が破壊寸前だ。一市民の参加で何か変わるものではない。しかし、集まれば決して無力ではない。  平和行進は明日だ。  とあった。思えば、愚生も50歳頃、一度だけだが、沖縄平和行進に参加し、3日間の内の一日を歩き、一日は地元の方に戦跡を案内され、短時間だが辺野古に座り込んだ。県民集会にも参加した。あきらかに、本土とは違う雰囲気が、戦後の革新勢力の元気だったころが満ち満ちていた。今や、愚生も、国会前の反高市へのペンライト集会にも行けない体力となってしまった。 また、本号には、林桂「沖縄の視界——平敷武蕉の『花鳥諷詠』批評」(『俳句此岸 2004~2008』2009年4月刊・風の冠文庫)の転載がある。その中に、 (前略) 平敷は「特別な分身」の正体を「天皇の住む王権の地の季節感と伝統的な美意識」であるとして、「季語崇拝が今日では虚構であり、ないのをあるかのように思う感覚は、実は、万世一系の神話を前提として象徴天皇を支える秩序感覚と根っこのところでつながっている」「つまり、幻想的な共同性を求める意識においてつながっている」「従って、季語幻想の呪縛を断ち切るには、国家論を視野に入れなけばかなわないことであり、季語信仰はそれだけ国家意思に根深くからみ取られている」と述べる。  とあった。ともあれ、本誌より、いくつかの作品を挙げておこう。    叫ばねば叫ばぬ民いて六十年      平敷武蕉    鍬先のかえる草間に紛れ入りぬめった肌の目に焼き付きぬ   真壁朝廣       逃げた言葉           与那覇けい子    掴みそこねてしまった言葉が   戻ってこない   キラリと 光ったはずが   隠れてしまった   どこに いってしまったのか   溜まってしまった言葉の山を崩しても   見つからない      確かに そこにあった   はずなのに   目の前を 横切った ...

曾根毅「花器という奈落に花の重さあり」(『十翼』)・・・

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 曾根毅第二句集『十翼』(東京四季出版)、著者「後記」には、  『十翼』は、『花修』(深夜叢書社、2015年)に次ぐ私の第二句集です。ニ〇一五年から二〇二五年までの十一年間の作品を収めました。編集は制作順になっていません。 (中略)   句集名は、孔子が著したとされる易経の解説書名を拝借しました。「五十にして以って易を学べば大過無かるべし」とは論語の言葉。偶然に四書五経に触れるなかで易経に出会いました。さらに易の延長線上で暦に触れ、歳時記に通じていることに興味を持ちました。芭蕉の「不易流行」も易にちなんだ言葉です。また、心理学者のユングがシンクロニティ(共時性)を提唱するきっかけになったのが易経であることを知り、客観的な表現が己を離れ得ないということに興味を持ちました。本当の自分は、自己を離れてもどうしようもなく残るもの。意識的に自己を抜きにして、例えば偶然目にした言葉や文献、写真なそを詠んでも、そこに通底している無意識のオリジナリティを大切にしています。 (中略)  俳句は本来、五七五の定型、そのリズムであると思います。季語や切れ、取り合わせ、言葉や意味、内容の面白さといった読ませどころをどれだけ付加してみても、それらは表現上の技術、何でもないただの五七五で表された言葉が、技術を超えて、または抜きにして主張するとき、俳句そのものが機能しているといえるのではないでしょうか。その俳句の骨格を 踏まえて、既存の俳句に収斂しないことを意識しています。   とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    英霊の犇めき合っている稲穂         毅     花であることを忘れし液体よ    木形の脩長 (しゅうちょう) にして色青し    数千の鉛の活字春灯   藤万句はるかに生駒山霞み   七節の竹の自在や夏の月   紅梅を箙に差して鏖   一切を現在とする木下闇      ヒマラヤ想望   太陽の沈まず夜の傾斜かな   瀧迅し我の時間と異なれり   囁きはふいに始まり牡丹の芽   しみじみと蛍を抜けて来たるかな   一瞬の蝶の曳きたる無重力   裸木が想像力を突き抜けて     曾根毅(そね・つよし) 1974年、香川県生まれ。      撮影・中西ひろ美「蜘蛛の囲は梅雨の晴間を祝いけり」↑

夏礼子「身の丈に合った長さが計れない」(「詭激時代つうしん」27*栞版より)・・

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「詭激時代つうしん」27*栞版(詭激時代社)、夏礼子「柳句抄」16句、各務麗至「消えるとは」15句、「——附 海程香川へ」10句。掌小説「黒猫」。巻末の「覚書にかえて……」には、 巻 頭は、夏礼子、の各誌紙への投稿入選川柳を中心に編集した。 そして私事だが俳句再開と言いながら、それこそ自治会会長を引き受けたり……、歴史的仮名遣いの古い小説を現代仮名遣いに直してみたり、 それこそそれこそ立て続けの忙しさに何だか逃げようとしているのだろうか。 いつまでも家内の「死」に振り回されて、一種「吾 (あ) と無」とはこれ、体調を崩したりこっそり泣いてみたり、遣ること為すこと相変わらず私はどうしようもないようである。  とあった。 ともあれ、同誌より、幾つかの句を挙げておこう。    秘密めくマトリョーシカに騙される        礼子    トランプにジョーカー道に落とし穴        〃    一抜けてやがてだあれもいなくなる        〃    新しい戦前などと煽られる            〃      *しあわせ忘れてなるものか    核の塵やも知れず愛でる春風          麗至    日向ぼこ今は永遠でないかも          〃     *生きる不思議にそれこそ感謝    朧月死なれて死んでやろふと思ふ        〃     *どこへ行くのだろ どこへ行けばいいのだろ    青葉若葉そのいきほひや瀧こだま        〃      *個々それぞれ    久遠でも生きる気になり若葉かな        〃    ――附 海程香川へ    放哉や百一回忌葱坊主             〃        以下は、「詭激時代つうしん」28の中の記事「拡がるネット・いま、同人誌(個人誌)」(「俳句空」第20号 1992年・平成四年6月刊)のの冒頭部分である。  個人誌「詭激時代」——その創刊は、昭和四十一年。十八歳の時であった。  個人誌を出すまでに、私は、「中央文學」といふ既成の同人誌に入会してゐた。作品掲載は小説など見向きもされず後にも先にも詩一編きりであつた。  自分の雑誌を……と、私が思ったのは、本棚に際限なく積まれた私の物語が悲しかつたからである。近隣ではとても受け入れて貰へず読んで貰へないまでも、私はどこか複数の場に作品を残してをきたつた。「詭激...