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江里昭彦「父の忌や遠(おち)の山脈(やまなみ)みな無帽」(SONUS)第2号より)・・

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  「SONUS」第2号(編集・発行人 古田嘉彦)、その「後書」に、 (前略) なお誌名の SONUS の読み方は、Googleの翻訳の機械読上げでは「ソノス」と聞こえるが、古典ラテン語の教科書的読み方で「ソヌス」と読むことにする。  とある。 また、古田嘉彦「工房ノート Ⅲ—2」の中に、  (前略) 66/抽象は私が想像に頼るときに生まれ、虚構を前提としてゐる具体的な出来事に縛られて自由を失うことから救いだし、次の展開を可能にしてくれる。俳句においてもし世界の具体的な事物、感覚的な要素を完全に省略すれば魅惑から遠い世界になってしまうので、そのようなやり方による抽象を試みるつもりは無いが、夢見るのはそのような自由な世界である。ミシェル・アンリはすべての絵画は抽象画だと言い、その上で情念(パトス)として「内部」が絵画作品より現実化されるのだと言うが、抽象俳句の論理もそれに似ている。 (中略)  68/「芸術家であってしかも病気でないというのは不可能であるとニーチェは言う。」(ハイデッガー「ニーチェ」)俳句は病気のように強いられて現われるときのみ存在してようのだろう。ただし詩・俳句には読むものを突き動かすという使命があるが、作者がそれを意識いているわけではない。  とあった。ともあれ、第2号より句を紹介しておこう。    寒暁の旗なり私語も咳もなく        江里昭彦     到達したところより先へ、乗り越え、どこまでも超越していこうとする。その結果たとえ醜くなることがあっても、破滅が見えてきても、それをやめられない。そうでなく無限の他者であるところの「現在」に今の時分を差し出すのか。    発芽 そして痛い所を数える        古田嘉彦  そして   、「 SONUS第」 第2号別冊の「後書」には、  この第2号別冊は俳句同人誌「LOTUS」第52号~56号及び「飢餓陣営」57号、59号、60号に掲載した作品の一部を、一部修正の上再掲載した。  とあった。ともあれ、以下いくつかの句を挙げておこう。      何十年も叫んだことが無かった    操縦は青切子を割るだけでいい          嘉彦      唯一残る問いは、「私はどこに派遣されているのか」だ。しかし、細い一筋の道以外に私がいるべき場所は無いようだ。    ともる豆電球増え続ける...

西東三鬼「湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ」(『三鬼』より)・・

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 小林恭二著『三鬼』(講談社)、帯の惹句、帯文に、   大戦前夜の日本と南洋を疾駆する、天才俳人の流転のい運命。  史実とフィクションを融合させた、ノンストップ・歴史エンターテイメント!  異能の俳人・西東三鬼が、戦争のさなか、国家と言葉のせめぎ合いの中で、とんでもない経験をしたことは有名だ。でも、それをこんなふうにスゴい小説にしちまうなんて、読んでて震えたぜ。っていうか、おれが書きたかったんだけど・・・・・・。   高橋源一郎  戦争に雪崩込んでゆく最悪の時代にも、きらきらと夢を見続けてしまう。不屈のトリックスター魂に痺れました。                        穂村 弘  『ゼウスガーデン衰亡史』を読んで以来、この小説を待っていました。  円城 搭 また、表紙裏側の帯には、   国家はなぜ、俳句を危険視したのか?  昭和15年、「京大俳句弾圧事件」発生。  治安維持法違反で同人が一斉検挙されるなか、新興俳句のカリスマ・西東三鬼は、思わぬ運命に巻き込まれていく。「特高警察」×「日本陸軍」、「インド独立運動」×「シンガポール華僑」×「イギリス軍事情報部」、「東南アジア盛衰史」×「俳句王国の興亡」…… 戦争の影が迫る日本と国際都市シンガポールを舞台に、弾圧を強める特高警察と南方進出をもくろむ陸軍の間で、前代未聞の逃亡劇が幕を開ける――! 〈時代の転換点〉を描く、著者17年ぶりの新作小説  とあった。ともあれ「第十七章 ムーンライト・セレナード」の最後のごく一部と本書の中で引用された俳句をいくつか挙げておこう。  (前略) 「みなさん、なんでもかんでも禁止のこのご時世、十一月にはついにダンスも禁止だそうです。戦地の兵隊を思って、銃後の者は誰一人楽しむべからずというのが当局の言い分なのでしょう。随分勝手な言い草ですが、ならばせめてそれまでは当局の嫌いな敵性音楽を流して、敵性ダンスを楽しもうではありませんか。我と思わん方はどうぞ前に出て、素敵な敵性ダンスをご披露ください。皮切りは不肖中年ドンファンこと西東三鬼があいつとめましょう」 (中略)   「刑事さん、敬直に煙草をすわせてあげてもいい」/「だめだ」/「そう、だったら」  市子は三鬼に駆け寄って唇にキスをした。/「貴様」/若い刑事が市子をひきはがした。  「敬直、生きて帰らないと...

加藤国子「宇宙への旅始まりぬ雲の峰」(『ビーズの指輪』)・・

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  加藤国子第二句集『ビーズの指輪』(ふらんす堂)、跋文は加藤哲也「加藤国子句集『ビーズの指輪』を読む」、その中に、  (前略)  葉桜の影は無数の子を包む  「葉桜」は花が散って若葉が出始めた頃の桜を指す。艶のある葉が美しい。 (中略) 「葉桜}の句としては、星野立子にこんな句がある。「葉桜の影ひろがり来深まり来」、「葉桜の影」までは同じだが、それ以下はまったく異なると言っていい。また有名な篠原梵の句だが、「葉桜の中の無数の空さわぐ」というのがある。この句では「葉桜」と「無数」が同じで、雰囲気的に似ているところもあるのだが、「空さわぐ」という把握と「子を包む」では着眼が違うから類想というには当らないだろう。ちょうど、立子と梵の句を合わせたような形になっているが、新しい情趣を醸し出すことに成功していると言っていいだろう。  とあり、著者「あとがき」には、   本書は私の第二句集です。二〇一四年から二〇二三年までの十年間の作品より三百二十五句を選びました。約四十年間の俳句歴、県立高等学校の教員としての四十二年間のしめくくりとして句集を上梓することにしました。私のちちであり、俳句の師でもあった故寺島初巳、夫の加藤哲也に深く感謝します。  とあった。集名に因む句は、    向日葵のごときビーズの指輪かな       国子  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    盲導犬侘助の道避けにけり    秋暑し大仏の手に祈り紐   照紅葉曇りなき世をのぞみけり   折紙につつみ社へ針供養   目で語る役者に見入る秋の夜   人力車蜻蛉の止まる京の果て   菜の花や静かに語る元兵士   陶狸猫お気に入り冬ぬくし   親知らずめつぽう晴れて初便り   さくら湯の花びら浮き世流れたる   菫すみれ生まれかはりてなほ菫   春の灯の中より響くピアノの音   囀の山また山を越えて来る   削氷 (けづりひ) の納屋の奥にて横たはり    月まつる壺にあまたの花をさし    加藤国子(かとう・くにこ) 1960年、愛知県生まれ。 ★閑話休題‥高野ムツオ「夏の雨うるさくひびく夜の寺」(「週刊文春」7・30号「新家の履歴書987より」)・・  「週刊文春」7.30/3372(文藝春秋)、「新家の履歴書987」は高野ムツオ(俳人・現代俳句協会会長)である。...

  山本敏倖「くらげくらげくろろふぉるむのくーでたー」(第175回「豈」東京句会)・・

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   7月25日(土)は第175回「豈」東京句会(於;白金台いきいきプラザ)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    とおくより虻の貌して来し 友よ        凌    白猫が二匹三匹白雨来る          羽村美和子    ひくひくと皮膚呼吸する走馬燈        山本敏倖    八月の水をハサミで切る遊戯         川崎果連    針箱の身元を探す銀河かな         小湊こぎく    すてちまをか暑熱季語            早瀬恵子    シャンパンの首切り落す巴里祭       伊藤左知子    二重虹指してやさしさ組織せよ        大井恒行 次回は、9月26日(土)。白金台いきいきプラザで午後1時から。   ★閑話休題・・植松圀夫「ブナ・ダケカンバ・オオシラビソ・ナナカマド道険し」(『昼も夜も空見て暮らす』)・・  植松圀夫『昼も夜も空見て暮らす』・『黒姫断章』(私家版)、前著の「あとがき」に、  最初の〈句集〉『黒姫断章』(平成十年八月末)を出して早、三年と三ヶ月が過ぎ、今度は〈句歌集〉『昼も夜も空見て暮らす』を出すことになった。  前回は黒姫という場を得て、十日で六十七句が成り、今回は三年余りかかって、俳句百一句、短歌十三首、詩一篇を得た。句と短歌の大部分は今年詠んだものである。 (中略)  私は、俳句という伝統的な短詩形式を試みることを通して、遅まきながら、改めて、日本語が日本の自然と密接に結びついて発達し、磨かれて来た言語であるということを噛みしめている。そして、何と詩語の多いことかも。  とあった。ともあれ、本著ニ集より、いくつか句を以下に挙げておこう。    春の陽の下 (もと) 焚火守 (ひもり) して暮れぬ    國夫    山上の至福や夏の星の海    六月の山明るくて舞台ごと    湖上のわれら浮きつ虚空を   二十年幾百ひとの萌 (もえぎ) 山荘     (以下『黒姫断章』より)    大雨やそは太古より地を削り   酒飲んで食らって死ぬもっと笑いを       撮影・芽夢野うのき「きっと君のホームにのうぜん燃え迫る」↑

村上さら「宛名なき縁切寺の落とし文」(第199回「吾亦紅句会」)・・

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  7月24日(金)は、第199回「吾亦紅句会」(於:立川市女性総合センター アイム)だった。兼題は「虹」。以下に一人一句を挙げておこう。    かき氷ブルー・ハワイやプレスリー       関根幸子    チェーホフ忌六号室から見るロシア       齋木和俊   よいとまけ語り部逝きて青蜥蜴        吉村自然坊    三代の無口が虹を見上げをり          田村明通    来て見てと虹の架け橋指さされ         武田道代    介護師の民族衣装やまつり髪         折原ミチ子    炎帝やファン付きベストの誘導員        渡邉弘子    先生も生徒もこどもの海開き          奥村和子        虹が立つ五風十雨と祈り込め          村上さら    万緑や命あふるる初曾孫            須崎武尚    梅雨明けや今が一番若いとき          松谷栄喜      半夏生木々の間に控えめに           高橋 昭    二重虹指し国旗損壊の罪いかに         大井恒行  次回は、8月28日(金)、兼題は「朝顔」。 ★閑話休題・・岡田千晶 絵本「ぼく、いいたいことがあるの」原画展(国立・ギャラリー・ビブリオ/8月4日・火まで11時~19時・29日・水は休館)・・   絵本「ぼく、いいたいことがあるの」(ジャン=フランソワ・セネシャル文/小川仁央 やく、/岡田千晶 絵」評論社)原画とオリジナル作品の展示(於:国立ギャラリー・ビブリオ)に、吾亦紅句会(立川)が早めに終わったので、帰路立ち寄ったのだ。愚生の孫の土産に一冊求めたら、在廊されていた岡田千晶さんが、名入れでサインをして下さった(深謝!)。  撮影・中西ひろ美「梅の実落つほどの静かな町に」↑

上田玄「銃後の街に/尾鰭は泳ぐ//水枕」(「門」7月号・第466号より)・・

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 「門」7月号・第466号(門発行所)、桐野晃「玲玲抄」の三冊の内の一冊に『上田玄全句集』(鬣の会)の句を取り上げ、鑑賞が付されている。それには、   銃後の街に  尾鰭は泳ぐ    水枕        上田 玄   多行形式句。昭和二十年を境とした日本における戦後も、地球上のどこかで今日に至るまで「銃前」であるという意味では、昭和十年代後半から「街」を泳ぎ始めた「尾鰭」は、今なお泳ぎ続けており、自身もまた「発熱」し続けているのだろう。〈星流れ/父の/背負ひし/薄き痣〉。戦争を実際に経験した父の「痣」の重さ。〈バンザイノ/海ヲ/今生/水母カナ〉。文節で改行された一行一行の意味が深く、またそれぞれの言葉の奥から、隠された無数の怒りや悲しみの叫びが溢れ来るようで、立ち止まりながらでなければ読み進めることが、できない。  とあった。ともあれ、本誌より、アトランダムになるが、いくつかの句を挙げておこう。    戦前や朝の裸の汗あつぱれ           鳥居真里子    過去帳を開くや軍靴麦の秋           野村東央留   月に置く椿は屍置くごとし            成田清子    恋猫となりて抜け出しそれつきり        石山ヨシエ    木々磔刑永遠のこゑあり霏霏と雪         村木節子    見えぬ道の一つを進むしやぼん玉         島 雅子    オルガンを漕ぐやつぎつぎ湧く朧        中島悠美子   恐竜の骨を見てゐる花の雨            泡 水織    さへづりのひかり憑きたるままねむる       上野龍子    ひとでひとで海星は指をどう使ふ         田中洋子    水馬水輪水玉彌生の赤              大熊峰子    春浅し三日みづかき甕のぞき           加藤 閑    目を閉ぢるとき逃水にたどりつく         佐々木歩    麗日のわたしの小鳥わたしの巣          中澤美佳    蛇穴を出て性別を消す人間           三上隆太郎    海馬より生まるる戦 (いくさ) 藍微塵       岡本紗矢    雲消しの術よく効いて山笑ふ           上田三味    桃は太宰の花あなたとともにゑがく花だ      垂水文弥      三月のありやうとして蹈...

出口善子「現世(うつしよ)の囚獄(ひとや)に戻る昼寝覚」(『出口善子全句集』より)・・

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 『出口善子全句集』(角川書店)、その「あとが き」に、   人の命には限りがありますが、文字の生命力は永遠です。  私たちが、千年前の書物を読めるように、この全集も、ひょっとすると、百年、千年後の誰かが読んでくれるかもかもしれないなどと夢想すると、心が豊かになります。  俳句という表現形式に親しんだ優に半世紀を超える歳月は、常に満たされていました。 (中略)    残された時間があと僅かになった今、自分の後始末は自分でつけねばと、全集に纏める決心を致しました。   とある。本書は、既刊句集『瞬』『亂聲』『貝の華』『刺茨牡丹』『わしりまい』『羽化』『沙羅』そして、2019年以降の「拾遺」で成り立っているが、集成のうち第一句集『瞬』と第二句集『亂聲』のみは、愚生未見であった。しかも『瞬』(1981年・七星俳句会)の著者の俳号は由利白萩。序文は、「七星」主宰・武田白楊「『瞬』上梓を喜ぶ」と鷲谷七菜子 「期待の人」。第二句集『亂聲』(1985年・牧羊社)からが、文字通り出口善子の旅立ち集で、序は鈴木六林男「身体と精神」。飛んで第四句集『刺茨牡丹』(1999年・角川書店)の栞文は倉橋健一「十七年前のこと」、宇多喜代子「イギの思想」、坪内稔典「青空に捧ぐ」である。ともあれ、本集より、いくつか句を挙げておくが、「拾遺」の句を多く挙げておきたい。    神父痩身アカシアの白踏みて来し     由利白萩『瞬』   花びらが眩しき宙をもてあそぶ        〃    夕ぐれの受話器をおいて発情す      出口善子『亂聲』    春の昼嬰児と乳房湯に泛べ          〃    冬の国女のマグマ持ち歩き         〃 『貝の華』    人の日の半旗と反旗雨のなか         〃    右と左に手がある祈らねばならぬ      〃『刺茨牡丹』    青空に繋ぎとめたり父の凧          〃    終わる日のありて美しカレンダー      〃『わしりまい』     十二月十二日 鈴木六林男師没    六林男亡し忍び返しに冬夕焼け          〃    空港に女の羽化のはじまれり         〃 『羽化』    棘ごとに梅雨ためてこのさびしい木        〃     大道寺将司を悼む    文学の冥さを分かち獺祭忌          〃 『沙羅』...