村上一郎「つばさ蒼くひとり火を食ふ鳥ありてさくばくと世は荒れてゆかまし」(『撃壌』)・・


 村上一郎歌集『撃壌』(思潮社・1971年6月刊)、その著者跋文の結び近くに、


 (前略)僕、イマ五十年。前半生ヲ省ミル二、往事茫々、良友、多ク兵馬ノ事二斃ル。生クルモ亦毎日ノ戦ヒ繁クシテ馬齢を加フル多シ。戦前ヲ恥ヂ、戦中ヲ恥ヂ、マタ戦後ヲ恥ヅ。然モ、渡世ノ証トイヘドモ、今日カカル集ヲ編ム。有情、有羞、交々到ル。心事転々(ウタタ)荒涼。母タリシヒト二対ヒテハ、再拝シテ一本ヲ献ズルノユトリダニナシ。(中略)

 嗚呼、嗚呼。人生ハ戦ヒナリ。天地ノ間コレヨリ猛烈ナルハナシ。然ㇾドモ、幸ヒ二シテ人生二詩アリ。恋アリ。天地ノ声アリ。楽シキ哉、生ヤ。


 とあった。もう一冊は、山口弘子著『無名鬼の妻』(作品社・2017年3月刊)、その「無名鬼」について、


 一九六四年(昭和三十九年)六月、「試行」の同人会は解散し、以後は吉本隆明単独編集

となった。(中略)

 十月、一郎は単独編集の文芸誌「無名鬼」を創刊した。「無名鬼」は一郎が愛し、たびたび揮毫した、寒山の詩句から取られた。

  生キテハ有限ノ身トナリ

  死二テハ無名ノ鬼トナル  (中略)

「無名鬼」創刊号は寄稿が山中智恵子の短歌十首、桶谷秀昭の詩三篇のほかは、「短歌」「演劇」「学生」の時評、小説「朝子(ともこ)」、評論「文学情念論序説Ⅰ」とすべて村上一郎である。


とある。著者「あとがき」の中に、


(前略)ひるがえって、私にとっての村上一郎は、わたしがりとむ短歌会で出会った長谷えみ子さんを、崇め、熱愛した男性であり、妻に頼り切る病身の夫で、歌人だった。数々の病に苦しんだ村上一郎にとっては、えみ子さんと結婚できたことが―ーもしかしたらそれだけが―ー幸せだったのではないかとさえ思われる。(中略)

 だが、苦難の多かった人生を振り返って、出来る限りのことをしてきたから後悔はないと、えみ子さんは言う。その潔さこそ、九十三歳になるえみ子さんの魅力だと、改めて感じる。書きあげたいま、これを書くという目標が、夫の急逝後の私を支えてくれたとしみじみ思う。

 「わたしのためでなく、あなた自身のために書いてね」

 そう言って下さったえみ子さんに、感謝は尽きない。


 とあった。ともあれ、『撃壌』から、いくつかの歌を挙げておきたい。


    昭和十六年極月、対米開戦の前夜に。

 憂ふるは何のこころぞ秋の涯(はて)はからまつも焚け白樺(しらかば)も焚け

    命海軍主計見習(みならひ)尉官。首めて御盾橋を渡る。

 歓送を拒み愛をも拒み来て長船(をさふね)を手に名乗る我が名や

 窒息死の母子(ははこ)のむくろ抱き上げ頬美(は)しきと誰に告ぐべき (三月十日空襲)

    あ号作戦以降、上司に抗命。『フォイエルバッハ・テエゼ』靴底に在り。

 くされたる幕僚を忌み國を忌み席蹴りて帰るすでに家なく 

    昭和二十年七月十四日より八月二十一迄A・B・C三工作に努む。

 南溟に今宵の星の涵(み)つるがにかばねを積みて敗れにき國は

 腐れたる党風何ぞいましらは男か野坂・徳田・伊藤ら (二十二年、中野重治の詩に感動。入党したるも)

 われら御盾(みたて)友を殺して身は死なずああ二十年恥に生ききし (御盾会はクラス会名。)

 ひとりゆけば夕月の道のしづかにして幾万の虫のみな泣けりける

 豪雨去り赤く陽の照る朝なりき雀は一羽死にゐたりけり (ビラまき九年ガリ一年、日本共産党を脱す。)

    「六〇安保」殿戦の歌。

 少女ひとりあはれ泥土に絶えしめて柩(ひつぎ)をめぐり争ふは誰ぞ

 霜月の蒼穹(そら)晴れゐたり悲しくて三島・森田と我ら呼ぶなり

 極月初八、かの日の甦り来るなるを窓開けて待つ好敵は亡(な)

 恋ひ撫づる胸乳ゆたけくあれと祈る思ひのはてに死なむわが身か


村上一郎(むらかみ・いちろう)1920年9月24日~1975年3月29日。

山口弘子(やまぐち・ひろこ) 1946年、千葉県市川市生まれ。 



                 西井洋子社長↑


★閑話休題・・中村和弘「人間の影こそ荊棘(おどろ)夜の秋」(七夕祭り・第24回「俳句四季大賞」より)・・


 昨夕、7月7日(月)は、恒例の東京四季出版「七夕祭り」(於:ホテルグランドヒル市ヶ谷)だった。

第24回「俳句四季大賞」に中村和弘句集『荊棘(おどろ)』(ふらんす堂)、第12回俳句四季特別賞に森田純一郎『街道』(東京四季出版)。

 第13回俳句四季新人賞に山海和紀「火は蛇」、第8回四季新人奨励賞に有瀬こうこ「母系」、田中木江「穴子」が選ばれた。

 テーブル席で、愚生の隣に、栗林浩、川森基次、そして藤田三保子、向かいに間村俊一が居た。「豈」同人では、筑紫磐井、なつはづきとも会った。

 帰路途中で、短い時間だったが、「門」の鳥居真里子、中島悠美子、中澤美佳、村木節子女史らとお茶を飲んだ。


  悴む手翳すときどき火は蛇に       山海和紀

  水草生ふ前方後円墳に雨意       有瀬こうこ

  雪柳血の通つてきたるかに        田中木江

  堂々と的を外して弓始         森田純一郎

  わが影にスコップを刺し雪を割る     柳村光寛

  手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚       阿部優子

  花いかだあと一押しの風を待つ     早川みちこ

    


    撮影・芽夢野うのき「知らぬ名の夏草うれし触れてみる」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

池田澄子「同じ世に生れて春と思い合う」(「くらら」創刊号)・・