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土井探花「薄つぺらい虹だ子供をさらふには」(「現代俳句」5月号より)・・・

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 「現代俳句」5月号(現代俳句協会)、巻頭に、専務理事・後藤章「『協会に入るメリット』という難問について」が置かれている。現代俳句協会が本年4月より、任意団体から社団法人に衣替えしたことによる、いわば会員増強に関するお願い文のようなものだが、終りあたりで、 (前略) 例えば、世の中の俳句が有季定型だけだとか縛られたら、これから俳句を作る人々の将来の表現世界は、閉じられているといってもいいでしょう。  我々は自信をもって言っていいのではないでしょうか。協会が存在するのは「あなたの作り出すどんな形の俳句でもその存在を保証するためだ」と。これ以上のメリットがあるでしょうか。   と鼓舞しておられる。他の論考では、久保純夫「新興俳句逍遥(2)/連作俳句のことなど」が興味深い。ただ本誌本号の記事では、なんと言っても、第40回兜太現代俳句新人賞の作品掲載であろう。受賞者は土井探花(どい・たんか/1976年、千葉県生まれ)「こころの孤島」50句である。「受賞の言葉」の中に、 (前略) 混迷の世を生きる一瞬ごとを大切に、病者というマイノリティの心と目線を以て、賞の名に恥じぬよう人生をかけて俳句に精進する覚悟です。兜太先生の仰るようにあらゆる本能と遊びながら。  とあった。作品をいくつか挙げておきたい。    背泳ぎの空は壊れてゐる未来       探花    いつからか無害なはだか草の花   職歴にやまひは書けず水の澄む   野分あと脳は不純をぐらつかせ   寝たら死にさうなあをぞら鶴の鳴く   読初の性感帯といふ活字   水温む飲まねばたぶん死ぬ薬   以下には、新人賞佳作からと本号の中から一人一句を挙げておきたい。    うぐひすや遊具は仮死のままに森       楠本奇蹄    散る銀杏を駆け上がつて空にでも行かうか   蒋 草馬   足裏より虚像となれる敗戦日        加藤絵里子    ささやかれゐたるうさぎのほどけさう     内野義悠    山また山病気の蛇も居るならん        池田澄子    夜の新樹もつとも近き星を容れ        浦川聡子    万緑の一木として戦ぎけり         名久井清流    むかし此処に鍛冶屋があった木槿咲く     松原君代    ★閑話休題・・『相撲絵シリーズ』(財・全日本郵便切手協会)・・ 『相撲絵シリーズ』(財団

土井礼一郎「ひからびた義弟たちを折りたたむしごとさ 驚くよ、軽すぎて」(『義弟全史』)・・

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                土井礼一郎第一歌集『義弟全史』(短歌研究社)、栞文は平井弘「別の話をしよう」、大森静佳「『はちがついつか』はいつなのか」。まず、著者「あとがき」に、  (前略) 三十代なかばにさしかかったとき、なんだかようやく自分は「ものごころ」ついてきたらしいと思えた瞬間があり、これならいくらか落ちついた歌集を纏められると思ったのだったった。じゃあ、それ以前のお前はものごころついてなかったのかということになり、いい加減な話だが、どうもそうらしいのである。  とある。また、平井弘の栞文には、  (前略) そのなかにひとつの奇妙な歌がある。謎解きとしか思えない。 〈弟と義弟がともにいる部屋でわたしは義弟の名前を忘却した。義弟とは何者である〉 これがロゼッタの石とい気がついたのは、わざわざそこに弟と義弟をならべてあったからだ。そのうちの義弟の名前だよ、忘却するのは‥‥。スフィンクスの声が聞こえたようだった。そうか忘却か。弟とともにいる部屋でも名を忘れられる。あえて覚えようとしなければそこに存在しないもの。そうなるかもしれぬ、あるいはなっていたであろう危うい仮定、弟という実在の裏に貼りついたそれを「義弟」とよんだのではないか。  これらの歌の周辺には、にわかに空気が冷えたように「軍歌」や「軍服」などの用語があらわれる。 (中略)   にもかかわらず、それは弟が母に溺愛されているときも、蟬捕りをする背中にも偏在する。現前するものなのだ。あえて「全史」としたのは、見失うものかという自負であるのだろう。  また、大森静佳は、  (前略) 平井弘は血縁関係や「村」の共同体をとおして戦中戦後の時代を得g最多が、土井礼一郎は「村」をジオラマめいた東京に、平井における「兄」と「妹」を虫のようにちっぽけなミニチュア家族へとスライドさせる。家族と戦争というふたつの主題をつなぐものは家父長制だとも言えるが、その家父長制そのもを相対化しようとしている点に、『義弟全史』の新しさや現代性はあるのだろう。  と述べている。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。   なんとはかない体だろうか蜘蛛の手に抱かれればみな水とつぶやく    礼一郎   鎮魂といって花火を打ちあげるそしたらそれは落ちてくるのか  こんなぺらぺらばかりの時代「傷ついた」って言えばそれでよかっ

西村麒麟「春焚火そこらの草や枝を投げ」(「麒麟」創刊号)・・

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  「麒麟」創刊号(麒麟俳句会)、題字は高橋睦郎「雪野行き 麒麟 を獲んか草萌えよ」から。序句は長谷川櫂「やはらかに草原に立つ子鹿かな」。創刊の辞ともいうべき西村麒麟「美しき夢」には、   一、俳句は文学である。   俳句が詩歌であり、文学であることを忘れない。 (中略)   二、俳句は平等である。   俳句や句会に性別や年齢、社会的な地位などは持ち込まない。 (中略)   三、俳句は自在である。   僕の俳句は有季定型であるし、どの句もよくわかるように作ってある。しかし、「麒麟」の仲間はどんな句を投句してきても良い。詩の方向を僕が定めることは出来ない。無季だろうが破調だろうが、渾身の句を見せて欲しい。ただし、どの句を選ぶかは僕に任せてほしい。 (中略)   僕の俳句を学んで作風を似せてもかまわない、また似ていなくてもかまわない。どうかひたすら良い句を作って僕を追い詰めて欲しい。僕もまた全力で応えてみせる。俳句の上では大人しくなくてかまわない、僕もそうするつもりは毛頭ない。  とある。そして、「『麒麟たちへ(一)』選句」の結びには、   俳句に才能やセンスというものがあるなら、実は投句よりもその選句に強く現れます。これは今までの経験上断言してもいいですが、選句の良い方は必ず伸びます。  僕は誰がどの句を選んだかを全て聞いています。出来るだけ顔色を変えないように努めていますが、選句を聞きながら、なかなかやるな、まだこのタイプの句に飛びついてしまうのか、等と楽しんでいます。  最後に主宰をやって一番愉快な瞬間をお伝えしたいと思います。誰も選ばなかった句をズバッと特選に出来た時、その句を拾えて良かったと安心すると同時に実に気持ちが良い。  選句は重要であると同時に楽しい行為なのです。  とあった。その他、論考には、久留島元「関西俳人の系譜(一)」、中西亮太「『麒麟』の本棚」、木村定生「俳句のほとり(一)」、斉藤志歩「石田波郷を読む(一)」、飯田冬眞「中村草田男を読む(一)」、関津祐花「橋本多佳子を辿る(一)」、瀬見悠「波多野爽波『舗道の花』を読む(一)」、秋月祐一「俳人のための塚本邦雄入門(一」」、榊原遠馬「葛原妙子を読む(一)」等。ともあれ、以下に本誌の主宰選の天地人の一句を挙げておこう。   ひとしきり鰤の旨さを言ひにけり        斎藤志歩    凍滝の横顔シモ

久々湊盈子「どれほどの命奪えば気がすむかこの人を生みし母親もある」(「合歓」第100号)・・

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  「合歓」第100号(合歓の会)、銘打ってはいないが記念号というべきページの厚さである。巻頭の久々湊盈子の「ご挨拶」に、   一九九二(平成四)年、元「個性」の仲間を中心に発足した「合歓」がこのたび百号を迎えることとなりました。当初は年二回の発行でしたが、二〇〇四年(平成一六)年、加藤克巳先生がご高齢になられて「個性」が終刊してから年四回の季刊としたしましたから、約三十年の歩みということになります。 (中略)   一人一人が誰のためでもない、自分自身のために短歌を作り、研鑽を積んできた三十年であったと、思います。第三号から始めた歌人インタビューも途切れることなく続き、今日まで九十七名の歌人に登場していただきました。黒岩康さんの「山中千恵子論」は欠かすことのできない「合歓」の目玉になっています。 とあった。主要な目次を拾っていくと、加藤克巳論に、松村正直「静かな力」、熊谷淑子「幾何学的(抽象的」抒情」、久々湊盈子「加藤克巳に学んだこと」、阪本ゆかり「月曜日の『再見』」、石原洋子「温故知新」、小田亜起子「さわやかに」、柏木節子「加藤先生のこと」。招待作品に高野公彦「蝋燭の揺れ」。インタビュー「時田則雄さんに聞くー十万粒芽生えれば」。ともあれ、本号よりいくつかの作品を抽いておきたい。   あかときの雪の中にて 石 割 れ た            加藤克巳     上田五千石句集『田園』   戦争を厭ひゐるときよみがへる「死は一弾を以 (もつ) て足る」の句  高野公彦    トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野をもどりきぬ    時田則雄  この国に死ぬほかはなし一日中ふざけた電波が飛び交う国に     久々湊盈子  雪蹴りて忍び寄るものありやなしや万延の雪昭和きさらぎの雪     岩川栄子   ハイウエイを戦車で逆走すりゅ如き一人の狂気を世界は止め得ず    石川 功   あしびきの山裾までも真白なり睦月の蒼穹 (そら) に富士は聳ゆる   飯塚 忍   追い抜きゆくヒールの音も気にならぬ齢となりしが少し哀しい   川崎まさゆき   外交官試験は逃げて商社に行き経済外交やると嘯く          楠井孝一   玉砕のサイパンより生還の父は吉相の福耳持ちいき         久保田和子   「わたしのこと好きなんでしょう」と問う君の若さが眩し春の宴の   

依田しず子「たちまちに過去となる今冬苺」(「樹(TA CHI KI」373号)・・

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   俳句通信「樹」5月号・通巻373号(樹の会)、「特集・東日本大震災を詠む」も145回目。誌面は、依田しず子の訃報による哀悼の意に満ちている。愚生がお会いしたのもたしか「俳壇・歌壇の会」での二度ほどだったと思うが、瀧春樹とご一緒だったと思う。ブログタイトルに挙げた依田しず子「 たちまちに過去となる今冬苺 」のに句に、東井紫穂「樹界逍遥」は次のように記している。  チャーミングな方だな…それがしず子さんの第一印象である。リュックを背負い、首から一眼レフカメラを提げたしず子さんは、にこやかに待ち合わせの横浜駅構内に現れた。昨年の一月、常雄さん、晶子さんもともに横浜でお会いした時のことだ。しず子さんの一眼レフで、お店の人に記念写真も撮ってもらった。俳句談義はもちろん、ご家族のこと、ご自身の病気のこと…口角をきゅっと上げて、軽やかにお話されていたしず子さんと、掲句の季語である「冬苺」が重なる。冬苺はとても可愛らしい形状だが、食べると甘酸っぱい。どんなの幸せな時間も永遠ではないからこそ、それが切ない。過ぎてゆく時間の儚さを冬苺という季語に委ねたしず子さん。「みんなでまたお会いしましょう」と別れたのに、たちまち届かない未来となってしまった。  他にも《瀧注》として 「依田しず子氏の原稿の件」 には、   同氏の4月号の原稿は遅着の為、今5月号に掲載しました。  筆跡から推察するに、誰かに頼んでの代筆ではないかと考えております。絶句となります。   犬が来て終る一幕猫の恋       日野市 依田しず子   爆撃に瑕深くなる春隣   少子化を杓子定規に春時雨   息足りぬ二月よ憎悪ばかり積む   晩年の子規の食欲冴返る  とある。ともあれ、本誌本号にある依田しず子(2月22日、死去。享年67、句集に『天使のブラ』)の句と他の方の句のいくつかを挙げておきたい。あわせて、ご冥福を祈る。    知らん顔するほど美し竜の玉        依田しず子    諦めに勝る未練で年明ける   草の花風に従う他はなし   天才に早世多し秋桜   散ってなお浅き夢見る萩の枝   旧友のように並んでいる冬木   逢いに行く蜜柑の花のたそがれを   野路菊や泣けよ泣けよと言って泣く   呼気ひとつ躑躅の山の下に居て   白芙蓉咲くは終はりの少しまへ   冬薔薇明日咲くものと散るものと   たんぽぽの

千葉皓史「櫻貝夜深き風は聞くばかり」(『家族』)・・・

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 千葉皓史第二句集『家族』(ふらんす堂)、著者「あとがき」には、  (前略) 平成三年に上梓した第一句集『郊外』の序で、石田勝彦師は以下のやうに書いて下さつてゐる。  「句集の終りの方に、次の句がある。    冬川につきあたる家族かな  どうやら千葉君の演技は、「家族」にまで達したらいし。どういふ演技の出来映を見せてくれるか、彼の句の読者のたのしみが一つ増えたことになる」  亡師の期待にお応へ出来たはずもないが、かうして第二句集『家族』を出すまでに三十年といふ途方もない歳月が過ぎてしまつた。勝彦師の墓前と、その亡き後も親身にご指導下さった綾部仁喜師の墓前とに、深くお詫びを申し上げなければならない。  本句集には、『郊外』以後、ほぼ平成末年までの作品を収めた。  とある。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。    枯菊の沈んでゆける炎かな          皓史    あたたかき夜の畑となりにけり   預かりし日傘の中で待ちにけり   青き踏むひとり離れて踏む汝と   押入れが中から閉まる青嵐   牛小屋の高くらがりを夏燕      鎌倉   外套の中なる者は佇ちにけり   桐の花母の齢は笑むばかり   もつれたる秋蝶ともに小さけれ   摘みきれぬ土筆の中を帰りけり   置かれあるものの中なる風知草   雪解風そのとき母を失ひぬ   菜の花を挿す亡き者に近々と   亡きあとも母大切や龍の玉   父の亡き母の亡き草青むなり     千葉皓史(ちば・こうし) 1947年、東京生まれ。           撮影・中西ひろ美「学校に怪談ありき新学期」↑

羽村美和子「戦場の死角へ春風連れて行く」(「俳壇」5月号)・・

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 「俳壇」5月号(本阿弥書店)、特別鼎談に、筑紫磐井・仁平勝・堀田季何「『俳壇無風論』をめぐって」、その中で、筑紫磐井は、「昨年の『俳壇』十二月号に『俳壇無風論』を書いたのです」とあり、   (筑紫) (前略) 特に私が考えてたことは、「俳壇無風」ということを可視化してみようということです。近代俳句が生まれてから現在までを、二十五年という単位で分けていって、その時々の風力を示そうとしたわけです。①一八九六(明治二十九)年以降。正岡子規、高濱虚子、河東碧梧桐らの登場、「ホトトギス」の隆盛。俳句史としてここを風力5としました。 ②一九二一(大正十)年以降。4Sから始まり終戦までにお昭和俳句。水原秋櫻子を旗頭とする「足日」の独立、改造社「俳句研究」が支援した自由律俳句、人間探求派の登場。本当は風力5でもいいんですが、最後の戦中の五年間は俳壇が機能していませんでしたから、風力4くらいの時代じゃないかと(笑)。  さらに、最近の25年では、⑥の 「二〇二一年(令和三)年以降、現在ですね。どのような時代になるのか。この数年は新型コロナウイルスの影響もあって、無風状態なのではないか 」風力0と続いているが、全体的に読むと、三人のなかでは一番若い堀田季何が、俳句の未来という意味では、見通しが鮮明という印象だ。もちろん、同時代を歩いてきた愚生としては、これまでのいわゆる戦後俳句史のおよそ半分近くは渦中にいたので、むしろ具体的に、負の部分も体験しているし、年齢も重ねたぶんだけ、自らに期待するというわけにもいかなくなってきているのは現実だろう。座談では、仁平勝「 『内なる近代』ということを書いたけれども、近代史が自由詩になって七五調を捨てていったにもかかわらず、短歌や俳句がなぜ残ったのか、批評はそこを掘り下げていかなければならない 」について、堀田季何はあとで表裏一体と述べてはいるが、 (堀田)私はそれに関しては歴史観が全く違いますね。私は短歌や連句も詠みますが、そうすると、変遷というものを考えます。和歌、連歌、俳諧の連歌というふうに、派生していって明治からは西洋詩との折衷型になっているのではないかと思っています。もう一つは、海外の俳句の話ですが、海外で俳句は進化したということもあるのではないか。むしろ日本国内では昔からの俳句を作り続けていて、海外に越されてしまっているという感覚があるの

中村文昭「虎吠えて/ほほえみほむら/とぶ日の出」(「えこし通信」27号)・・

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  「えこし通信」27号(えこし会)、特集は「追悼 詩人新藤涼子」。記事は藤井一乃「新藤さんとの思い出」、チョルモン「詩人新藤涼子先生から受け取ったもの」、中村文昭「薔薇の女(ひと) 詩人新藤涼子讃へ――恋愛する書物・追悼歌十四首—」、新藤涼子インタビュー・聞き手、クリハラ冉「言葉とは何か――私にとって言葉とは」。また、本号は、「哀悼・境節さん」「哀悼・山田兼士さん」「那須邦子さんを悼んで…」など追悼文が多い印象である。その他、「金子みすゞ生誕120周年に寄せて」の本間昌平「ぼくのみすゞ体験」「こどもの国」、クリハラ冉「“みすゞ“生誕一〇〇年に」など。ともあれ、短めの作品のみになるが以下に紹介しておこう。      愛する「歴程」の詩人草野心平讃と共に   夢に立つおんなの薔薇の香りきて死んでも生きて生きて咲くのよ    中村文昭   石炭を      Filling its  desk  口にちめこむ        wth  lumps  鶴の居て             A  crane  bird           アミール・オル   いもうとを蟹座にの星の下に撲つ (寺山修司)  いもうとを殴った順に下校せよ                二三川練      自画像                        本田瑞希   ねむりに落ちる直前の沈黙  空に散りばめる砕いたダイヤモンドを  拾い集めては手放して  私はあのこが捨てたぶどうガムです        (名前のない女の子のように)                 豊原清明  (名前のない女の子のように)  私は腰を躍らせて  風吹く夕暮れを見つめるばかりだ  今から 過疎の村まで歩く  (くたびれた若者のように)  電動剃刀は髭を剃れない  流れる星の玉座の椅子に座る  エンぺラーの鼻を私は恐れる  時々、子どもは大人のように  砂漠の砂場に倒れ伏し  心の中で救急車を呼ぶ  耳を澄ますと冷房の音が  ゆっくりと眼を開けると私の父母が  峠の境界に立ち尽くしている        撮影・中西ひろ美「さみしいと言えない躑躅屋敷だな」↑

杦森松一「やまびこのオーイの声で消える虹」(現代俳句講座「金曜教室」2023年度第1回)・・

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  昨日、4月21日(金)(於:現代俳句協会会議室)は、現代俳句講座・2023年度第1回「金曜教室」(現代俳句協会会員外の方も参加可)だった。13名のスタートとなった。愚生も二年目になったので、次回からは、句会だけでは、せっかく講座と名付けられているのだから、句会+俳句よもやま話(15~30分程度)をすることを提案した。次回は、まず高屋窓秋の声をテープにとったものがあるので(病臥の折笠美秋をはげますもの)、それを聴いていただくつもりである。そして、協会の方からDVDが見られる装置が借りられるようであれば、攝津幸彦の生涯(一周忌に作られたもの)や眞鍋呉夫の「不戦だから不敗」なども見ていただきたいと思っている。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    ぶらんこの向うを歩くくじらかな        石川夏山   あゝわたし生きてる春の大動脈         林ひとみ    憲法記念日ちょっとぐらつく永久歯       川崎果連    ハンカチは白と決めてた頃もあり        植木紀子    ゆく春が乗換へ駅を変へてゐる         山﨑百花    流氷消えサーカスの来る名画座跡        赤崎冬生    父の日やポロシャツなんか欲しくない      武藤 幹   初蝶や頼みもしない喜寿の来る         村上直樹    山葵 (さび) 抜きの寿司みてえなり今日この頃  石原友夫    立ち漕ぎでわたる大橋春の虹          白石正人   ウニ割の傍でシタダミ取る子かな        杦森松一    何億年眠ればよいの詩語の春          大井恒行  次回、5月19日(金)は、テーマは「方言で俳句を作る」2句持ち寄りです。わかりづらい方言には(  )カッコで注を別に入れて下さい。 ★閑話休題・・折井紀衣「日本のがらんと暗き野焼きかな」(「禾」第17号)・・ 「禾(のぎ)」第17号(編集室・折井紀衣)同人4名、「禾のふみ」は藤田真一「流離八詠」。その藤田真一は「あとがき」に、   年末BS1で、立花隆の足跡と思想を報じる、「見えた何が永遠が」という番組を見た。 (中略)   すべて、人間とは何者か、おのれ行先はどこか、という根源的な問いに向けられる。そいて出された結論は、一語でいえば「無」だった。死後は何もするな、骨もごみとおいっしょに捨てれ

井上治男「空濁る海境(うなさか)越えし黄砂降る」(第16回「きすげ句会」)・・

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  昨日、4月20日(木)は、第16回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「鶯」+雑詠2句。一人一句を挙げておこう。     つくし伸ぶ土手の向ふの草野球          髙野芳一    雨あがるみ霊 (たま) の園の初音かな       清水正之   全山の桜響鳴 (どよ) めき杏子逝く        山川桂子    水溜りに底なしの空春の雲           久保田和代    鶯の潜 (ひそ) み音 (ね) 包む深みどり      井上治男    糸電話かけてみようか春うらら          井上芳子    廃母校かこむ山々やまざくら           濱 筆治   陽だまりにうぐいす色のラテ二つ        大庭久美子    玉川の星くず落ちた初夏の昼           寺地千穂   欠伸して子猫もトラに春暑し           杦森松一    ミツバツツジに不意の明るさありにけり      大井恒行  愚生のみが頂いた句を、以下に挙げておきたい。    ピッチャー婆ぁ三振するや青楓          寺地千穂   山藤や蔓八方に咲きのぼる           久保田和代    「トンガリウグイス」ちふ渾名の旧友 (とも) と再会す  山川桂子 ★次回第17回は、5月11日(木)13時半~,於:府中市中央文化センター。兼題は「父の日」(父でも可)。   ★閑話休題・・原民喜(杞憂)「暗き春見知らぬ街に帰り来ぬ」(「ペガサス」第16号より)・・  東國人の連載「雑考つれづれ」の「原民喜の俳句」④は今号で最終回。その中に、    夏の野に幻の破片きらめけり    杞憂  夏の花では「便所」の中で、 「突然、私の頭上に一撃が加えられ、目の前に暗闇がすべり堕ちた」  これが、原民喜の被爆の瞬間である。その後、彼は何が起こったのか分からぬまま、縁側へ出て周りが見えてくるとともに、自分の家の周りが壊滅していることに気づくのである。そして、それは時間が経つにつれて、周りではなく、「広島」という街そのものの壊滅ということに気づくことになるのである。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。        芹・薺・御形・繁縷ここは廃村      きなこ     小春風魔女の手の内干してある     篠田京子     

渡邉樹音「散る桜あまたの光の化身かな」(第48回「ことごと句会」)・・・

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 先日の4月15日(土)は愚生は都合で参加出来なかったけれど、 3年以上の間を経てようやく開催された対面・リァル句会。第48回「ことごと句会」(於:新宿区役所横歌舞伎町ルノアール)だった(欠席投句は二名)。金田一剛から、早速、その句会報が届いた。兼題hさ」「文」+雑詠3句。以下に一人一句を挙げておこう。    菜の花の波の緩びに風惑う         渡邊樹音    いさかいは我に非あり焼野かな       照井三余    断捨離の茶箱の隅の懸想文         渡辺信子    逃げ水へ乗り込む原発の棺         江良純雄    黄砂来る遺品の中の文化欄        らふ亜沙弥    強面の香具師 (やし) 風船を子に渡す    武藤 幹    静寂の古文繙く春の縄           杦森松一   跨線橋何時 (いつ) に渡りし桜桃忌     金田一剛    さてもさても傀儡 (くぐつ) 廻しの夏芝居  大井恒行     次回は5月20日(土)、同所で・・兼題は、別途、知らせてくれるらしい。 ★閑話休題・・詩誌「Magellan  Future」(マゼラン・フューチャー)02・・  詩誌「マゼラン・フューチャー」02(編集発行人 本田信次)、「編集後記」の中に、 (前略) 時代が困難さをまとえばまとうほど、詩作や思索という営為が「賢明な鍛錬を積んだ肉体が見せる光景を演じられるようにと、その文体でもって摂理する(ベンヤミン)」のであろうか。ともあれ、「心の倦むことなき懸念は現在の瞬間に向かっている」ことをひしひしと感じている。  とあった。多くが詩編である。本号の執筆陣は、中本道代「金木犀」、季村敏夫「夢の綴め」、添田馨「平和」、奥間埜乃「わたしは形容されない安らいだフィールド」、本田信次「直筆というい所与2-詩的精神とは」「境界」「好きなだけここに」「最高の死と最低の生のはざまで」「ゆめみ」、高橋修宏「日女(ひめ)」。ここでは、以下の一編を紹介しておこう。 ゆめみ                 本田信次  きょうのぼくはよどまない  したがって  かこをかえりみないという  けついをむねに  ふうせんでアメリカのそらをとんだ  モノクロのできごとが  ものすごいすぴーどであらわれてはきえ  しんぞうがはやがねをうつ  にゅうみんのきょうふを  やわらげ

北大路翼「ガジュマルの穴よりストの生まれ来る」(「里」4月号・第211号)・・

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 「里」(里俳句会)、特集は「緊急暴露プロジェクト/真実の北大路翼『流砂譚』全推敲過程」。論考は川嶋ぱんだ「北大路翼推敲論」、過程を読むに、谷口純子「ジャカランダ」、雨宮慶子「俳の翼」、大文字良「素の翼」、松下揚柳「リボーン・再生」、叶裕「五味の味わい」、藤井美琴「荒魂」、也屁「ダークチェリーな君が好き」。特別寄稿15句は北大路翼「またやーさい」。新刊の北大路翼句集『流砂譚』の収録句559句の内、著者校正で朱が入ったのが166句、実に29.7%に及んだという。そして、川嶋ぱんだは言う。  (前略) 北大路翼さんの作品を読んで、まず感じたのは、執拗なまでの視線への執着である。徹底的に執着した対象への視線。それは、一句における感触の追求でもある。北大路翼作品の推敲過程を眺めていると、光景が現実であれ、虚構であれ、一度詠まれた作品の構図に執着していることは誰でもすぐに気がついたことだろう。原句と推敲後で表現方法が大きく変わったとしても、描かれている世界の眼差しhさ、疑いようがなく同じ視線の先の光景である。 (中略)  原句 どこからも邪魔な都庁や初日待つ  初校 初日の出都庁がなかつたら見える  原句も初校も見ているのは元旦の都庁。原句から初校にかけて大胆な言い換えを施しているが、視線は真っ直ぐに都庁の一点を見つめている。両句とも都庁がなければ見事に拝むこちができるはずの初の日の出のことを言っている。しかし、推敲を施した初校の方が、「邪魔な」と形容した原句よりも、より邪魔な様子が際立って伝わってくる。  原句 探梅の背に水筒のごりごりと 初校 探梅や背に水筒のごりごりと 再校 蕨狩背に水筒のごりごりと 原句 紫陽花が紫陽花らしい場所にある 初校 十薬が紫陽花らしい場所にある 原句 初蟬やベンチに煙草の焦げ一つ 初校 初蟬やベンチに煙草の焦げ数多 その他、文中より、推敲例の句をいくつか挙げておこう。 原句 鬼の面つけてもつけなくても百合子 初校 鬼の面つけてもつけなくても都知事 原句 駅伝や袋の菓子の滓 初校 駅伝やポテチの滓を集め食ふ 再校 箱根駅伝ポテチの滓ばかり 念校 往路うすしほ復路コンソメ味 原句 失敗のまんま出しちやふ文化祭 初校 失敗のまんま出しちやへ文化祭 原句 筍を茹でこぼしたる昼間かな 初校 筍を茹でこぼしたる幸福感 原句 ごきぶりの髭振るやうな余生かな

大野林火「黒揚羽ぎんどろの葉に狂ひ飛び」(『大野林火ー俳句鑑賞ノートー』)・・

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   太田土男『大野林火ー俳句鑑賞ノートー』(私家版)、著者「あとがき」に、   大野林火先生が亡くなって、はや四十年が過ぎた。教えを頂いたのは二十数年に過ぎないが、林火先生に思い切り体当たりしたぬくもりは消えることがない。そこで先生の百十句を鑑賞した。私の「俳句鑑賞ノート」である。  とあった。また、巻末には、「大野林火のみちのく」と「俳句の場」(講演録)が収載されている。その「大野林火とみちのく」の中に、 (前略) 林火は昭和二十八年から三十一年まで角川書店「俳句」の編集長を務めている。この折、社会性の吟味を一つのテーマに取り組んだことはよく知られている。そんな中で能村登四郎の「合掌部落」、沢木欣一の「塩田」などを世に送り出し、これが風土への視座を喚起する契機になったのである。    暁紅に露の藁屋根合掌す     能村登四郎    塩田に百日筋目つけ通し      沢木欣一       と記している。ブログタイトルにした句「 黒揚羽ぎんどろの葉に狂ひ飛び」 (『方円集』昭和51年)には、次の鑑賞が付されている。   俳人協会盛岡支部の花巻での吟行会に参じた折の作品である。宮沢賢治の羅須地人協会跡に「雨ニモ負ケズ」の詩碑があり、この近くにギンドロの木はある。ギンドロは賢治の好んだ木といわれている。ウラジロハコヤナギがその名である。ドロノキに似ていて葉の裏が白く、従って銀色に光って見える。賢治は「白楊」を当てている。「春と修羅」の小岩井農場の件には「そこには四本の巨きな白楊がかがやかに日を分割し…」とある。折しも、一羽の黒揚羽が飛び来たって激しい舞いを見せる。黒と銀がもつれて印象が鮮やかである。  とある。ともあれ、本書中より、林火の句をいくつか挙げておこう。    鳴き鳴きて囮 (おとり) は霧につつまれし  「海門」(大正14)    あをあをと空を残して蝶別れ        「早桃」(昭和16)     ねむりても旅の花火の胸にひらく      「冬雁」(昭和22)    雁や市電待つにも人跼み            〃    寒林の一樹といへど重ならず       「青水輪」(昭和25)    昏くおどろや雪は何尺積めば足る    「白幡南町」(昭和31)   花ほつほつ夢見のさくらしだれけり     「雪華」(昭和40)    蟇歩くさみしきときはさみし

芭蕉「ひごろ憎き烏も雪の朝哉」(第47回現代俳句講座「イオン・コッドレスク特別講演」)・・

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 昨日、4月16日(日)は、第47回現代俳句講座・特別講演「イオン・コッドレスク『芭蕉とブリューゲル~自然への2つのアプリローチ』 (現代俳句協会・共催 国際俳句協会/荒川区)、於:ゆいの森あらかわ「ゆいの森ホール」で開催された。俳画家であり俳人、かつルーマニア・コンスタンツァ俳句協会初代会長、イオン・コッドレスク(ION CODRESCU)の来日を記念しての特別講演で、芭蕉の俳句とブリューゲルの絵画における共通点などをそれぞれの作品を取り合わせての鑑賞。英語での講演を、その都度、佐怒賀正美が解説した。愚生の印象では、基本はアーチストであり、当然ながら創造精神あふれた方である。展示されていた書物、俳画など多彩な活動をしておられる。  レジメによると、1951年、ルーマニアのコバディン生まれ。美術作家、詩人、編集者、大学教授で、詩やエッセイなどは19か国13の言語に翻訳され、125冊以上の書籍、雑誌、新聞などに挿画。2004年国際俳誌「Hermitaige」を創刊とあった。ともあれ、ここでは引用された約30句の芭蕉の句からいくつか挙げておこう。    月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿   永き日も囀り足らぬひばり哉   この道に行く人なしに秋の暮   此の秋は何で年よる雲に鳥   木を切りて本口見るや今日の月   旅に病んで夢は枯野をかけ廻る  講演が終わって会場を出ようとしらけっこうな雨が降っていたので、ついでといっては悪いが、このゆいの森には図書館があり、そこに、現代俳句協会からの寄贈図書を収めた現代俳句センターがあり、結社誌も毎号約80誌が閲覧できる。先般亡くなられた有馬朗人文庫があった。芭蕉や一茶、宗因、そして金子兜太の句碑など、俳句ゆかりの地で・荒川区は「俳句のまちあらかわ」として、さまざまな企画をしている。               ★閑話休題・・青木裕幸・こしのゆみこ・三宅桃子「水彩陶芸三人展 はじめましての春」・・   イオン特別講演に来られており、現俳新人賞選考委員以来、久しぶりにお会いした、こしのゆみこから三人展の案内をいただいたので、ここで紹介しておきたい。期日はあまり残っていないが、今週中なら大丈夫!   水彩陶芸三人展「はじめましての春」(於:DART)ー副都心線・雑司ヶ谷駅徒歩3分・都電荒川線鬼子母神駅徒歩2分。~4月23日(日)11時~18