土井礼一郎「ひからびた義弟たちを折りたたむしごとさ 驚くよ、軽すぎて」(『義弟全史』)・・
土井礼一郎第一歌集『義弟全史』(短歌研究社)、栞文は平井弘「別の話をしよう」、大森静佳「『はちがついつか』はいつなのか」。まず、著者「あとがき」に、
(前略)三十代なかばにさしかかったとき、なんだかようやく自分は「ものごころ」ついてきたらしいと思えた瞬間があり、これならいくらか落ちついた歌集を纏められると思ったのだったった。じゃあ、それ以前のお前はものごころついてなかったのかということになり、いい加減な話だが、どうもそうらしいのである。
とある。また、平井弘の栞文には、
(前略)そのなかにひとつの奇妙な歌がある。謎解きとしか思えない。
〈弟と義弟がともにいる部屋でわたしは義弟の名前を忘却した。義弟とは何者である〉
これがロゼッタの石とい気がついたのは、わざわざそこに弟と義弟をならべてあったからだ。そのうちの義弟の名前だよ、忘却するのは‥‥。スフィンクスの声が聞こえたようだった。そうか忘却か。弟とともにいる部屋でも名を忘れられる。あえて覚えようとしなければそこに存在しないもの。そうなるかもしれぬ、あるいはなっていたであろう危うい仮定、弟という実在の裏に貼りついたそれを「義弟」とよんだのではないか。
これらの歌の周辺には、にわかに空気が冷えたように「軍歌」や「軍服」などの用語があらわれる。(中略)
にもかかわらず、それは弟が母に溺愛されているときも、蟬捕りをする背中にも偏在する。現前するものなのだ。あえて「全史」としたのは、見失うものかという自負であるのだろう。
また、大森静佳は、
(前略)平井弘は血縁関係や「村」の共同体をとおして戦中戦後の時代を得g最多が、土井礼一郎は「村」をジオラマめいた東京に、平井における「兄」と「妹」を虫のようにちっぽけなミニチュア家族へとスライドさせる。家族と戦争というふたつの主題をつなぐものは家父長制だとも言えるが、その家父長制そのもを相対化しようとしている点に、『義弟全史』の新しさや現代性はあるのだろう。
と述べている。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。
なんとはかない体だろうか蜘蛛の手に抱かれればみな水とつぶやく 礼一郎
鎮魂といって花火を打ちあげるそしたらそれは落ちてくるのか
こんなぺらぺらばかりの時代「傷ついた」って言えばそれでよかったんだよ
雨の日に義弟全史を書き始めわからぬ箇所を@で埋める
姉の足裏が地面につくたびに姉すいこしずつ死んでしまえり
泣いたっていいんだよって泣いていた義弟(おとうと)があの橋渡り来る
ステッキで地べたを突いて知らないよそれで誰かが死ぬんだなんて
鳥籠をまず買えというこの土地に飼われぬ鳥はないから
いきもののことを学ぶというときのいきものにわが家族を入れず
建て替えるたびに小さくなる家のいちばん奥に眠る父親
羽蟻来れば羽蟻は僕の言葉にも蟻の言葉を混ぜようとする
弟と義弟のともにいる部屋でわたしは義弟の名を忘却す
東京に無数のけしごむ立てられてすきまを走っていくおとなたち
てのひらにおとうとの住む丘はあり手を叩こうとすれば手をふる
ねむるということばばかりを振りかざし童話のなかの人は死にゆく
朝焼けと夕焼けの間にいくつかのきたないたまごが産みつけられる
土井礼一郎(どい・れいいちろう) 1987年、茨城県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「いづこにも覚めるよジョンエバンスは」↑
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