投稿

7月, 2023の投稿を表示しています

井谷泰理「杖と傘梅雨にはやめる二本足」(「里」7月号より)・・

イメージ
 「里」7月号(里俳句会)、特集は「俳句って、何?/前号「里程集」を読みつくせ)。その「あとがき」に島田牙城は(本文は正字)、  (前略) 日常にこそ俳句の種は転がっている。その意味では「吟行」では本当は俳句の本道から逸れた道であるとすら、僕は思ってゐる。俳句の本道は、虚子爺さんが主婦に勧めた「台所俳句」にこそあるんだ。台所には季節が溢れてゐる。日常そのものではないか。そこで詠むめない俳人にならないでいただきたいなと思ふ。周囲一メートルにこそ、俳句はある。肝に銘じてほしい。  と述べている。最近の牙城は、この道を、しつこいくらいに語っている。それでいいと愚生も思っている。ただ愚生の句も、それら日常から出発している。現実的な契機、そこにすべてを負っていると言ってもいいくらいだ(とはいえ、ここからは、ぼくの妄想かもしれないが、愚生の句は、それらから遠くあるように思われているフシがあるようだ、そういうレッテルが貼られているようにも思える)。大手拓次は、記憶でいうが、「象徴主義はその根を必ず現実に負っている」と言っていたように思う。  実は、「里」の毎号の楽しみは叶裕「無頼の旅」で、今号は「 無頼歌手友川カヅキ 」である。愚生の知っているのは「カズキ」ではなく、「かずき」だったが。改名されたのだろう。最初に会ったのは、福島泰樹の短歌絶叫コンサート(当初は朗読だった)。ギター一本で、福島泰樹の中原中也と同じく中原中也を歌っていた。少なくとも数年間はその二人の舞台だった。  ホントに遠い昔で、覚えの悪い愚生だが、友川かずきは、確か、西武多摩川線沿いのある駅近くに暮らしておられたのではなかろうか。そして、また、三鷹駅前の今は無き第九茶房に寄られたことがあるかもしれない。当時、友川かずきの奥様は愚生の勤めていたK書店で働いておられたように思う。その縁で、たぶん一度だけ、自宅に伺ったのだと思う。彼の弟が及位覚(のぞき・さとる)、遺稿集が出ていたはずだ。絶叫コンサートでは必ず出た名前だった。吉祥寺曼荼羅での毎月のコンサート(現在でも続いている)には、吉祥寺駅ビル中の書店に勤務していた愚生は、よく顔を出していた。福島泰樹には、愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説を清水哲男とともに書いていただいた。実は愚生は、福島泰樹の第一回目の短歌朗読が下北沢で行われたときに行っている。結構広い会場

河村正浩「夕焼の空まだ燻(いぶ)す重信忌」(『爺爺の俳句ごっこ入門』)・・・

イメージ
  河村正浩句集『爺爺の俳句ごっこ入門ー楽しい俳句 非真面目な俳句』(やまびこ出版)、その「あとがき」には、   初めて句集を出した時、俳句関係者以外に友人や職場の仲間にも贈呈した。その方々の感想が、 ・読めない漢字が多い。 ・意味の分からない季語や言葉がある。 ・旧仮名や文語に違和感がある。 ・分からない俳句が多い(切れ字や切れのある句らしい)。 ・面白くない。  そして、「申し訳ないが、途中で詠むのを止めた」であった。 (中略)    その結果、句集は娯楽性に乏しいからではないかという結論に至った。そこで、娯楽性を前面に、これまで書き溜めていたものの中から句を選び、読みがたいと思われる季語や漢字にはふり仮名を付け、必要に応じ簡単な説明又は解説を付させていただいた。   俳句愛好者の中には俳句を侮辱していると思われる方、不真面目な句集と思われる方もあるだろう。だが、私は不真面目というより非真面目な句集と思って頂きたい。同じフレーズを繰り返し、あたかも俳句詩?と言わんばかりの作品や連作などもあるが、先ずは俳句に縁のない方々に読んで頂けたらという思いからである。   なお、私は本来旧仮名遣いであるが、本書については現代仮名遣いに改めた。  とあった。巻末には、「 実況中継/俳句の生まれる現場ーとりあえず五七五ー 」が収載されている。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。    野火匂う風の中から中性子 (ニュートロン)       正浩    少し前生きていた蠅蠅叩き    くちなわぐにゃぐにゃ狗奴国 (くなこく) の闇を負い   この星の闇の深さよ寒怒涛   稲穂祭狐の嫁がやって来る   み熊野野の沖の浄土へ花筏   寒禽 (かんきん) のこえ身ほとりに仏たち   ほうほたる黄泉平坂 (よもつひらさか) から招く   亡き妻の夢はいつしか雪女郎      パロディー(松澤昭先生)   山笑うやうに笑へぬものかしら     昭   山眠るように眠れぬものかしら    正浩    竹皮を脱いでやさしき風の中    花万朶 (ばんだ) 爺爺 (じいじい) の朝からのらかわく             のらかわく・・仕事をなまける。遊蕩する。    魚は氷 (ひ) に水のいろはをなしくずす             いろは・・物ごとの初歩。

鳥居真里子「あ、あれは天の鳥舟ゆきむしが舞ふ」(「俳句と音楽の夕べ『天女の手毬』より)・・

イメージ
  朗読作品↑  昨夕、7月28日(金)午後5時より、日暮里・本行寺(別名 月見寺)で、鳥居真里子(俳人)・ 蜂谷真紀(シンガーソングライター、ボイスパフォーマー)・竹内直(テナーサックス、バスクラリネット)による「俳句と音楽の夕べ『天女の手毬』」のライブが行われた。会場は約80名ほどでほぼ満席状態だった。  愚生は、三度目の本行寺だったが、最初に来たのが、村上護の偲ぶ会だった。それゆえ、ここ本行寺にある村上護の墓にまず手を合わせた。本行寺は江戸時代、通称・月見寺とも呼ばれ、小林一茶も滞在したことがあり、一茶「 陽炎や道潅どのの物見塚 」や山頭火「 ほつと月がある東京に来てゐる 」の句碑がある。                   村上護墓碑↑                   一茶句碑↑                 山頭火句碑↑  開会にあたって、本日のプロデューサーである本行寺住職・加茂一行から「一座建立」のお話があり、ライブに入り、まず、鳥居真里子の既作品の朗読21句から開始され、その中から演奏者の気に入った句への即興演奏。そして、その演奏を聴いている間に、創作された句が読み上げられる。休憩を挟んでのサプライズは、本日の客人のなかに居た白石正人の句「 蠅生まる寂しきものに洗面器 」が書かれ読まれ、その句に、即興で蜂谷真紀が応じ演じた。次に愚生の句「 針は今夜かがやくことがあるだろうか 」が記され、竹内直が、これまた即興で演奏をされた。先の白石正人がその感想を聞かれていたので、愚生にもあるかな?と心づもりはした。その際、彼の名前「竹内直」を詠みこんで、「 針は今夜直ぐなる竹の内にあり 」と、即吟で応えた。そして、会場から、他に、俳誌「門」同人の方々が即吟で応えられていた。               本行寺住職・加茂一行↑                               白石正人の句↑      因みに、鳥居真里子が即興で詠んだ句は以下である。すべてではないが記しておこう。    幽霊がこはがつてゐる鶴の羽根         真里子    火蛾白蛾陽は生きながら沈む   アマリリスひのもと丸洗ひしてアマテラス   鉄塔に男が一人夕焼る   金魚は花槐ヤーイキセル持つてこい   流星をかすつた花鶏の眼は鈴   生者死者あはだてゐたる夜の金魚   

佐藤鬼房「陰に生(な)る麦尊けれ青山河」(「鷹」8月号より)・・

イメージ
 「鷹」8月号(鷹俳句会)、奥坂まや「われら過ぎゆく――野生の思考としての季語㉚最終回」。ー野生の思考としてーの副題は、当然ながらレヴィ=ストロースによるだろう。初回に見た時から何年がたったのだろう。すっかり忘れてしまったが、毎月ではない連載も、熱心に読んだとはいえないが、少なからず、発表されるたびに楽しみにしていた。その最終回、やがて一本に纏められるだろう、その結びと思われる「器という虚ろ」には、   民俗学を国文学に導入し、私たちの精神世界を深く掘り下げた折口信夫は、からっぽの空間である「うつろ」にこそ、神や魂や命などの尊い存在が宿ると唱えた。 (中略) 土器は、私たちの祖先が初めて自らの手で作りあげた器に他ならない。「うつわ」という虚ろの空間に、四季おりおりの自然の恵みである山の幸・海の幸を宿して喰らい、「からだ」という虚ろに注いで、一万年以上の歳月にわたって、命を魂養い続けたのだ。  縄文時代の山々に対する思いが現代まで通ずる事からも明らかなように、大いなる存在として自然への畏怖の念も敬愛の心も、遥かな末裔である私たちの裡に脈々と波打っている。その典型的な顕れのひとつとして、日本の文芸に「季語」という、これまた世界に類を見ない範疇を展開せしめたのだと思えてならない。  とあった。ならば「器」こそが暗示している「虚ろ」は、俳句形式そのものがまた「虚ろなる器」として暗示されている、と思える。それこそが「造花に従ひて四時を友とす」との内実だったのだと思わせてくれている。季語もまた「虚ろ」、だからこそ俳句形式は、その虚ろなる器のなかで自在に形を変えることが可能なのだ、ということ。まさに、奥坂まやが「われら過ぎゆく」の題を冠した理由なのではないだろうか、と愚生は勝手に納得したのだった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。    川見えで川音高き青葉かな         小川軽舟    地球儀の太平洋が灼けてゐる        加藤静夫    神話郷蛙の呂律そろひけり        布施伊夜子    八人の馬力乗せたる艇涼し        細谷ふみを    雨気の空さらに奥あり青蛙         岩永佐保    光年の夜空に叶ふ朴の花          奥坂まや    マウンド三百六十度の炎天        黒澤あき緒    夏の霧風止みて森深くなる

野名紅里「片かげり目を褒められて目を逸らす」(『トルコブルー』)・・

イメージ
     野名紅里『トルコブルー』(邑書林)、帯の惹句に、   鳥にもなれる 魚にもなれる/いや/獣にだって/滝にだってなってみせよう  流れるように/折れることなく/ことばをつむぐ/時代の荒波の中  俳句に一輪の花が咲く  とある。帯の背には「 ひたむきに!!初句集 」。「あとがき」は今時、珍しくシンプルである。以下に全引用する。   好きな色の句集ができてうれしいです。  支えてくださったみなさまのおかげです。本当にありがとうございました。  これからも俳句を書いていきます。  とあった。集名にちなむ句は、    百貨店にトルコブルーの日記買ふ     紅里  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    空蟬のこはれやすきをこはさずに   廃校の記事を案山子に着せてゐる   人のかたちを知るために毛糸編む   一葉が蛍数匹隠しけり   滝の奥より滝落ちる音のして   永遠や波を忘れて泉ある   山茶花と意訳に近いあなたの絵   雪が降るのかわたくしが昇るのか   眼裏の赤に似てゐる薔薇を探せ   鰰はとつくにずつと踊つてゐる   木の家に傷が多くて夕朧     野名紅里(のな・あかり) 1998年生まれ。    撮影・芽夢野うのき「むかしむかしいったことあり蓮浄土」↑

牟田英子「草刈の匂い満ちたり河川敷」(「立川市保健講座「俳句を楽しむ」最終回)・・

イメージ
   立川市保健講座「俳句を楽しむ」(於:立川市柴崎福祉会館)は、6月、7月で計4回開催された。その最終回だったので、プチ吟行句会を行った。福祉会館の傍は、多摩川なので、炎天下、各自で暑さをしのいでもらいながら、少し早めに来て、5~6分散歩していただいて、基本は嘱目吟(ただ、前回お休みの方もいらしたので、その辺りは緩く)の吟行句会を行った(吟行にも弱い愚生は見事無点だった)。  また、俳句をまだまだ続けたいという人もおられたので、本受講者のなかで、長年、「吾亦紅句会」という、もともと立川市の講座をもとに立ちあがった句会(13年ほど前から)があり、指導者が亡くなられ、愚生が8月から、その句会の選者を引き受けることになったので、数名の方が、その吾亦紅句会で続けられるようである。  ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    多摩川の気配を奪ふ猛暑かな         田村明通    灼熱の空に悠々浮かぶ雲           西村文子    草むらをはかない生命 (いのち) 蟬歩む   笹渕美恵子    日のひかり楽しむごとき百日紅        古池りえ    母に会うひまわりかかえ墓参り         サ ラ    母逝きし六十年の走馬燈           市川栄子    炎天に苦悶熱死の蚯蚓 (みみず) かな     和田信行    若竹や老いの学びの楽しけれ         甲斐千里    粋な女 (ひと) 年に一度の名古屋場所    三枝美枝子    門柱を紅白で飾るさるすべり         奥村和子    梅雨明けて青空高く麦茶かな         笠井節子    炎昼のマウンド今は無人なり         牟田英子    炎暑とて野球場あり多摩河原         大井恒行  最終回なので、愚生のみ、天・地・人の句に、お土産を付けたのだが(「俳句入門」と同人誌)、愚生が天に採った句は、愚生しか点が入らなかった。その句を以下に挙げておこう。    あらここにのういぜんかづら見えかくれ    三枝美枝子         撮影・中西ひろ美「覗かれて蕗の国らしき繁盛」↑

村越化石「籠枕眼の見えてゐる夢ばかり」(『生きねばや/評伝 村越化石』より)・・

イメージ
  荒波力『生きねばや/評伝 村越化石』(工作舎)、本書の扉には、   この作品を化石の甥の故・村越鉦吾氏に捧げます。   と献辞がある。当然といえば当然なのだが、本書一冊あれば、村越化石の全貌がわかる。巻末には、詳細な「村越化石(英彦)年譜」、「参考文献」などが付されている。著者「プロローグ」の冒頭に、   もしあなたが少年の日、ある日突然、今までの平穏な生活を打ち切られて、家族と離れてたった一人名前を隠して他郷で暮らさなければならなくなったとしたら、あなたはどう生きますか?そんな生活に耐えられますか?  この作品は、そんな過酷な宿命に翻弄されても、絶望のあまり自棄自暴に陥ることなく、ひた向きに一筋の道を歩き続けて大輪の花を咲かせ、命の限り精進を続けた一人の男の生涯を追跡したものである。  その男の名前は村越化石。元ハンセン病の俳人である。  とある。また「あとがき」には、 (前略) 最後に化石の妻のなみさんについて触れさせていただく、彼女は、令和元年六月二十九日に亡くなられた。享年九十九。最後は、とても静かで眠るようであったという。  私は、化石存命中の『高原』の巻末に掲載された「自治会」に関するすべての記事に目を通したが、なみさん関係の方がコンスタントに訪れていることが確認できた。その度に、関係者が寄付をしていたのである。  当時、ハンセン病になると、親戚や友人から縁を切られてしまう人が多かった。化石も幸せな人であったが、なみさんもとても幸せな人だなあ、と心から思ったものだった。 (中略)  この作品で、私のハンセン病文学者の評伝三部作は終了する。人間は、どんな逆境に陥っても、必ずどこかに光が射す場所があるはずだ。必ず協力者が現れる。彼らの生涯から、そのことを学んでいただけたら、作者としてこんなに嬉しいことはありません。  とあった。ハンセン病文学者評伝三部作の著者の他の二冊は『幾世の底より  評伝・明石海人』、『知の巨人 評伝生田長江』であろう。そして、本書中に、   ●『濱』の終焉 化石が長く俳句を愛した「濱」が八百十二号で終刊を迎えたのは、この (愚生注:平成二十五年) の八月のことだ。 (中略) この時、松崎主宰は、次のように挨拶した。 「このところ、村越化石君が句を出していない。私はこれまで、『濱』誌を化石の俳句の発表の場であると思って続けてきた。化

兒玉生城「血みどろの夏服を裂き脱がせけり」(「俳句界」8月号より)・・

イメージ
 「俳句界」8月号(文學の森・7月25日発売予定)の特集は、「句集『広島』を読む」。執筆陣は、飯野幸雄「句集『広島』について」、句集『広島』からの抄出選句は石川まゆみ+俳句界編集部、また句集『広島』の「『序』の抜粋、体験記抄出、『おわりに』抜粋」、他に、池田澄子、今瀬剛一、石川まゆみ、角谷昌子、小林貴子、照井翠、高山れおな、マブソン青眼、堀田季何、生駒大祐。もう一つの特集は「追悼 黒田杏子」。論考と句の抄出50句は髙田正子、その他、「黒田杏子を語る」に、三島広志、中岡毅雄、今井豊、岩田由美、坂本宮尾、五十嵐秀彦、筑紫磐井、董振華。  句集『広島』は、原爆投下から10年後の昭和30(1955)年に、「句集広島刊行委員会」によって刊行された。飯野幸雄は、   昨年(令和四年)春頃、広島俳句協会の会長や俳人協会広島県支部の事務局長も務めた故結城一雄宅に保管されていた「句集『広島』」を長女の広藤曉子が見つけた。 (中略)  主題を原爆に絞った俳句を中央の俳句雑誌などを通じて公募し、発起人が編集委員となって手分けして選句をし一冊の句集にした、応募総数一万一千余句、応募者六七四名、内約二五〇名が被爆者であった。  と述べている。その五〇〇冊がまとめて発見されたのだ。また、高山れおなは、  (前略) そんなわけで。『広島』についてもあまり期待せずに読んだ。が、案に相違して、これは充実した内容を持つ本であった。とりわけ、震災俳句にはごく乏しかった、当事者による現場性に立脚した痛烈なリアリズムの実践例に少なからず出会えたことに感銘した。  という。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。    炎天下溝越ゆるごと死者またぐ        金行文子     原爆屍運ぶ兵士らみな少年          川上季石    蜩やあはれ糞まる力なし           小西信子    剥かれたる髪のうぜんにひつかゝり     新庄美奈子   蠅群るるすでに死臭をもつ吾か        橘 冬青    ごうごう寒風焦土にはローラーがかけられる  田端小蛙    蛆捨てし掌もて被爆児むすび食ふ      南波みづ平    みどり児は乳房を垂るる血を吸へり      西本昭人    蝉時雨盲ひの我に夫死すと          和田敏子    啞蟬の胸へ きりきり 火箭とほる      野田 誠

杉山赤冨士「炎天へすべ無けれども愛を愛を」(『杉山赤冨士の俳句』)・・

イメージ
  八染藍子・太田かほり『杉山赤冨士の俳句』(ふらんす堂)、装幀は赤冨士の孫・杉山龍太。帯の惹句に、  伝説の俳人・杉山赤冨士を繙く――  総数七千句に及ぶ赤冨士全句集『権兵衛と黒い眷族』所収の句と  娘であり、元「狩」同人・八染藍子の記憶を織り交ぜ、赤冨士の生涯に迫る。 とある。また、太田かほり「はじめに」には、   昭和二十一年四月、杉山赤冨士(本名榮)は原爆投下の被爆広島において、焦土広島の精神的復興を期して俳誌「廻廊」を創刊した。 (中略) 当時は十一歳の娘園繪こと後の俳人八染藍子は、建物や橋などの残骸からまだ煙が立ち上る広島市内を父に付き従い、「廻廊」創刊を告げるビラを貼って回ったという。筆者が杉山赤冨士の名を知り、強い関心を抱いたのは藍子の第一句集『園絵』所収の俳人赤松惠子による解説文においてであった。藍子の両親杉山夫妻についての記述は熱を帯び、その筆致は赤冨士への興味を募らせた。 (中略) その後、句集を入手し、驚いた。このような書物が存在するものか。日本文化の重厚さはこれほどかと、おし戴いた。  とあり、また、「おわりに」には、    毛蟲焼くアイヒマンより火をもらひ   凍土に帰す老妻の竹槍も   炎天へすべ無けれども愛を愛を   鴉の目ぬれて虚空の雪を往く  これは杉山赤冨士が自らの句集『権兵衛と黒い眷族』七千句から四句を抜き出し、学生時代から愛誦していたペルシャの詩形ルバイヤットの構成を俳句で試みた四行詩である。 (中略) 句集名は句集の顔であり「黒い眷族」を暗喩とすれば顔は「被爆広島」となる。また、直前までの案が「鶴恋」であったことが物語る通り、もうひとつの顔は鶴に代表される「美」となる。ただ、無垢の鶴ではない。両者を重ねると「傷ついた命」となるのではないだろうか。 (中略)  「機到り要がすめば廃刊も亦可なり」と言い遺した赤冨士の言葉に従ったか、令和三年、「廻廊」は八九四号を以って赤冨士の娘四代目八染藍子主宰によって七十五年の歴史を閉じた。園繪は十二歳で父の句会に参加し、その場で父から地元の山の名を取って「小富士」という俳号を付けられたという逸話がある。その園繪こと八染藍子は八十六歳まで「廻廊」主宰を務めた。 (中略)  筆者は「廻廊」終刊時に「杉山赤冨士『権兵衛と黒い眷族』を読む」を連載していた縁により、その続編として本書をまとめた。執筆

植木紀子「少子化や優先席に子供たち」(現代俳句協会「金曜教室」)・・

イメージ
    本日、7月21日(金)は、昨年度から通算14回目の現俳「金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった。課題は、無季の句2句持参だったが、それを忘れて有季の句もまじった。それも愛嬌というべきか(出題者の愚生自身も昨年は失念したことがある)。句会の方は甲乙つけがたい句が並んだので、各句にまんべんなく点が入った。その他、簡単な参考資料としてコピーを配布した。一茶・虚子にはじまる「無季俳句セレクション30」(「俳句界」2011年10月号)、『加藤楸邨全句集』からの無季の作品50数句、季語別『飯田龍太全句集』の「雑」の19句など、その他、伝統派俳人といわれた人たちも結構、雑・無季の句を残しているのだ。  ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    麻酔覚めニュースの声の甘美なる         石川夏山    目をとじて息をするんだ人になる         武藤 幹    添い寝して瞼に残すかぐや姫           杦森松一    線香ばあげて遺影の出来ば言ふ          川崎果連   落っこちてくるなよ梅雨の神と核         林ひとみ   やがて廃海トリチウムは泳がない         白石正人    フェイクニュース巷に溢れ野良の声        宮川 夏    大吉の御籤に惑ひ今日も暮る           石原友夫    子守歌の背後にいつも鬼が居る          赤崎冬生   喫茶去 (きっさこ) へ紐育下町 (マンハッタン) の旅箪笥                          岩田残雪    知らんけど多発性肉芽種症 (たはつせいにくげしゅしょう) です                           村上直樹    深山に波打つ雨のカーテン            植木紀子    汝が名鳥子夕日の木々に降りてくる        大井恒行  8月は夏休みで、次回は、9月15日(金)、当季雑詠2句持参。攝津幸彦偲ぶ会で上映されたVHSのテープをDVDにダビングしたものを観てもらう予定である。 ★閑話休題・・DVD 眞鍋呉夫『不戦、だから不敗』・・・  「金曜教室」の今年度は、句会だけでなく、後半に、これまで、愚生が持っていた先輩俳人の音声データ(高柳重信、高屋窓秋、鈴木六林男、宗田安正、桂信子、三橋敏雄等)を聞いていただいてい

羽田野令「太虚へと沈める蛇結茨かな」(「鏡」第47号)・・

イメージ
 「鏡」第47号(鏡発行所)、羽田野令エッセイ「蛇結茨」の部分に、    最近植物園によく行っている。京都府植物園には、山野に自生する植物を植えて自然に近い山を再現しようとしている生態園というところがある。 (中略) そして、その花の元を辿っていくと太い棘を無数に生やした恐ろしい蔓がある。蔓といっても木刀くらいの太さで一見木の枝のようなのであるが、それが蛇結茨だった。  蛇結茨という言葉を知ったのは安井浩司の句でだった。最初その語を見た時は、なんか造語のような気がしていた。「茨」という植物を表す言葉がついているが、おどろおどろしい「蛇結」と連なっていることで実在するもののようには思えなかったのだと思う。  長く雑誌に句を発表していなかった安井浩司の「蛇結茨抄」五十句が掲載されたのは、二〇〇八年『豈』四十七号であった。もう随分昔のことになってしまったが、大阪で「蛇結茨抄」を読む小さな会が開かれた。堀本吟氏の呼びかけで十人ぐらいが集まっただろいうか。蛇結茨の句はごく少なかったが、蛇結茨という植物に焦点は当たらなかった様に思う。他の人も実在すると思っていなかったかもしれない。  とあった。ともあれ、本誌より、一人一句を挙げておきたい。    雛の客とはたましひを身のそとに       岡田一実    人形のなかも肌色夏の雨          三島ゆかり    棕櫚の花の一木高き車寄せ          森宮保子    サングラス越しに三角形の空         村井康司    窓いつぱい滴つてをり東山          大上朝美    また同じ辻に出にけり蝶の昼         小田淳子    駅員のゐる祭の日無人駅           倉田有希    それぞれの体感温度春ショール        井松悦子    始まりも終わりも不意に雪合戦        佐川盟子     摩天樓の一室に置く螢籠          笹木くろえ    紫陽花や背伸びをすれば背の高さ       佐藤文香    巻きついて蛇結茨の黄色 (きい) の天     羽田野令    口よりも目が嘘をつく花曇          八田夕刈    ぶらんこのまだ揺れてゐる芝居かな      東 直子    おーいおーい春の川からあの世から      手嶋崖元    黄砂降る書けなくなりしボールペン     

鳥居真里子「水中に唄ふ天女の手毬かな」(7月28日/金・17時~:於:本行寺ライブ)・・

イメージ
 「天女の手毬/魂の十七音」(プロヂュース/加茂一行)、チラシには、 2023.7.28(金)、開演17:00(開場16:30) 会場 長久山本行寺(月見寺) JR日暮里駅北改札口を出て左、西口から1分    TEL:033821-4458 西日暮里3-1-3 出演‥‥ 🔷鳥居真里子(俳人・「門」主宰) 🔷蜂谷真紀(シンガーソングライター、ボーカリスト、ボイスパフォーマー、ピアニスト) 🔷竹内直(テナーサックス、フルート、バスクラリネット) ■申し込み チケット3500円(当日。予約共同じ)、       予約申し込みTEL&FAX03-3882-4210(鳥居)        ・飲み物はペットボトルをご持参下さい。  また、惹句には、  日暮里の本行寺別名は月見寺。七月の日暮れ、月から天女たちが舞い降ります。  鳥居真里子と蜂谷真紀。奔放に、自在に彼女たちを舞わせるのは武田直の楽の音。  歌声から俳句が生まれ、言葉から音楽が鳴り渡ります。    水中に唄ふ天女の手毬かな  これは前回の顔合わせから生まれた一句。  さて迦陵頻伽(かりょうびんが)とは極楽に住む人面の鳥。美しい鳴き声で知られます。その鳥を思わせる言葉と音が青い月夜に満ちて行くのです。  とあった。本行寺は、日蓮宗の寺で江戸時代は月見の寺として有名。一茶も訪れた。小林一茶「 陽炎や道潅どのの物見塚 」、種田山頭火「 ほつと月がある東京に来てゐる 」などの句碑があり、山頭火俳句大会などが開催され、俳人には馴染の寺でもある。その本堂でのライブ。プロデュ―サーは本行寺住職の加茂一行。100名弱は、入れるそうだから、まだまだ客席には余裕あり、とのこと。ライブにしては、早めの、夕刻からの開催、涼みがてら楽しみに出かけてみるのも一興かと‥‥。 ★閑話休題・・佐々木通武小説第2弾『恩讐航路ー不在の輪郭ー』(北冬書房)・・  佐々木通武『恩讐航路ー不在の輪郭ー』(北冬書房)、「 少年某、時を織りなす心の組曲 」、帯の惹句には、   1950年代の中学校を舞台とした長編小説  「ねえ死ぬってどういうことなの…?」/ 幼い時、洗い物をしている母に聞いた。  母は、息をつめたように僕を見つめ、何も答えなかった。そのあとで黙って  水道の蛇口から流れ出る水を見ていた。あの時の母は、/急に知らない人になったようだった。/あ

夏礼子「コスモスや風にゆられておじぎする」(「戛戛」第154号より)・・

イメージ
 「戛戛」第154号(詭檄時代社)、その「あとがき」に、  (前略) 巻頭は、夏礼子の俳句の始まりの頃を書いたエッセー (愚生注:題は「福寿草」) である。「香天」から転載した。共鳴するように私も書かせてもらおう。  私の作文挑戦の始まりは、中学からの親友田井義信から、夏とおなじように五年生の時にかいた学芸祭金賞という「彼岸花枯れるのもあり土手の道」を聞かされ、中学校誌掲載を目指して誌や短歌や俳句を書き始めたのが最初だろう。それというのも、  小学校の頃から本を読むのが好きで、そこからコピーやコラージュでしかないような、それも誰に見せるでない物語をちょこちょこ作って書いたノートが残っている。 (中略)  扨―今回の「もう一度……」だが、後悔の日々をやり直そうと“もう一度“と思っても“もう一度“はない。後悔しないように生きるのが最善で、  しかし、“もう一度“と思い、願い、祈る心があれば救われるように思った。  とあった。ともあれ、短編の「もう一度……」の最初と、結びの部分のみだが、紹介させていただく。小品ながら、なかなか泣かせる。  佳奈はぽっかりと目覚めてしまった。風が騒いでいる。裏山が騒いでいる。  木々が揺れ山が軋み……、耳を欹てると闇の中の風が研ぎ澄まされてゆく。やがて、音そのものが混沌となり母の静寂が襲ってくる。 「こんなに早く逝ってしまうなんて。もう少し、やさしく、してあげていればよかった」  今までもそうだった……、混乱していた。違うのは不安になるより後悔が出てきた。思わず隣をさぐる。隣には夫の裕二がいびきもなく眠りこけていた。すやすや眠っている子供のベッドの中の美優に視線を移した。何でもない安堵と安心を言い聞かせている不思議を思い……、そして、身動きでもして夫を起こしてはと。佳奈は暫く天井を見つめた。 (中略)   台所の硝子越しの、その空の爽やかな風のような裕二の声である。 ―― それに、……と、裕二は言った。佳奈が一生懸命大切に生きているからこそ悩んだり苦しんだりできるんだ。そんな真剣な佳奈がぼくは好きだよ。  夫裕二のそんなやさしさが身に沁みて佳奈はこの人と結婚できてよかったと思った。  「ぼくにもわかるんだけどなぁ、佳奈は佳奈でいいんだと思う。一人でそんなに頑張らなくてもさ、半分は、ぼくもいるんだからさぁ」  佳奈は目頭を覆った。膝の美優が佳

池田澄子「焼き尽くさば消ゆる戦火や霾晦(よなぐもり)」(「東京新聞」7月15日(土)夕刊より)・・

イメージ
 俳句時評・「 相子智恵の/俳句の窓から 」(「東京新聞」7月15日付夕刊)は、「明日は平時か」と題されて、池田澄子第8句集『月を書く』(朔出版)と『三橋敏雄の百句』(ふらんす堂)についての 評である。その結びに、   (前略) 池田の師、三橋敏雄もまた問い続ける俳人であった。〈戦争と畳の上の団扇かな〉〈あやまちはくりかへします秋の暮〉などの句がある。池田は『三橋敏雄の百句』の解説で〈軍国主義の国家によって成功に至らないままに前途を閉ざされた無季新興俳句と、その作者たち、そしてまた戦争という理不尽なものに殺された人間の無念を、敏雄は謙虚に一生そのことに拘り続けた〉と書く。この姿勢は池田も同じだ。〈信ずれば平時の空や去年今年〉の句の解説に〈呑気に信じていれば明日起こる戦争も、起こるまで分からない〉と書いた池田は、自らの最新句集に次の一句を収めた。〈夕顔の蕾うごきぬ明日は平時か〉   とあった。 ★閑話休題・・・池田澄子「鏡は今日も私を映し寒い夏」(「トイ」Vol.10)・・  池田澄子つながりで「トイ」Vol.10。その干場達也の「あとがき」に、   対話型AIのChatGPTで遊んでいる。本誌同人に池のつく俳人がいるが、この人が何者か知っているかと訊いてみた。すると自信満々に「日本の有力な宗教団体のリーダーです」と答えたのでのけぞった。  俳句も書かせてみた。1分あれば100句くらいは出力する。西鶴の顔色なからしむるスピードだ。もちろんでたらめだが、手を入れれば句会にだせそうなものもけっこうある。 (中略) そのうち俳句投稿欄などで話題になるだろう。  とあった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    この石を親しと思ふ天の川         干場達也    ロッカーのゴミ箱消える変な夏      樋口由紀子    日の丸を掲げて都バス五月来る       青木空知    例のごとくとは花の夜の手の冷た      池田澄子    好きなもの訊けば五月の空といふ      仁平 勝         芽夢野うのき「晩年や向日葵抱いたら似合いそう」↑

齋藤愼爾「日の道を月そのあとを過客吾れ」(「ことごと句」創刊2号より)・・

イメージ
   「ことごと句」創刊2号(ことごと句会・東京事務局)、齋藤愼爾の追悼特集とでもいい内容である。巻頭エッセイは筑紫磐井「齋藤愼爾を語る」、巻末の追悼エッセイは金田一剛「青森の寺山、岩手の山寺」。筑紫磐井は、  (前略) 私個人について言えば、「俳句四季」という雑誌で齋藤氏と続けていた「名句を読む」という企画がある。1年6回、座談会で直近で出版された句集を論評するものであり、齋藤氏と私が固定メンバー、2人のゲストを迎えて進めるもので、確か2019年に銀畑二氏(現在の金田一剛氏)を招いたこともある。この連載は、2010年9月から始まり2021年2月までつづいたが、最後のころには齋藤氏は聴覚がだいぶ落ちて補聴器でもうまく聞きとれないとこぼしていた。いずれにしても、10年間にわたり定期的に俳句を語り、酒食を一緒にした人は齋藤氏以外誰も居ない。 (中略)  だから、美空ひばりも島倉千代子も脚光を浴びているときの、ちょっとずれたところに犯罪という真っ暗闇があるので、そういうのを齋藤さんは評伝の恰好を使って、いろいろ追い掛けられたのではないかと思っています。安保のような政治的な事件については誰でも書きますが、普通の犯罪史の中にも時代があるのではないかと思っています。だから齋藤さんの評伝が、普通の評伝とは違い魂に突き刺さってくるのは、そういうところがあるんじゃないかなと思っています。 (中略)  ふざけたように受け取られるかもしれないが案外真面目である。「孤島のランボー」と自称した齋藤さんだが、齋藤さんが、そして深夜叢書社が生まれる時代相は、今は遠い記憶の霧の中に閉ざされてしまった草加次郎事件に現されているように思うのです。  とあった。また、金田一剛のエッセイの結び近くには、  初めてお会いする時、西葛西駅に向かいました。  待ち合わせ場所に関しての齋藤さんから忠告です。  「金田一君、駅から南口に出ると大きな木があって、その周りをベンチが囲ってあるんだけど、そこには絶対に座らないで。少し離れたところで待ってて…」  大きな緑陰と木のベンチ、待ち合わせには理想的じゃないですか?と思いましたが、その理由はすぐに分かりました。  椋鳥です。数千羽の椋鳥たちが大木に巣くっていました。あの耐えられない鳴き声と、空か降ってくる糞害です。 「金田一くん、俳句もあまり群れないほうがいいんだよ

武藤幹「泣く力泣かない力半夏生」(第51回「ことごと句会」)・・

イメージ
 本日、7月15日(日)は第51回「ことごと句会」(於:歌舞伎町ルノアール新宿区役所横店)だった。席題1句は「涼」。以下に一人一句を紹介しておこう。    南吹く用心棒の猫の背            渡邉樹音    瑠璃玉アザミさわればさわるで叱られる   らふ亜沙弥    一円 (ことごとく) 背高泡立草の生ふ     金田一剛    月涼し七夜も姿見ずに寝て          渡辺信子    採れたての酸素を抱きし心太         江良純雄    何食べる問う子どもにも敗戦日        杦森松一    永遠の嘘のひとつや赤い薔薇         武藤 幹    蟻んこに追い抜かれる人の路         照井三余    炎涼というべきに雨歌舞伎者         大井恒行  次回、第52回目の8月は夏休みで、9月16日(土)。  ★閑話休題・・佐々木歩「行き場ならある螢まで行つて来る」(「俳壇」2021年8月号より)・・  愚生の近くの新町文化センターに併設されている地区の図書館に、月刊「俳壇」が置いてある。そして、古くなった雑誌などは、リサイクルの意もあるのだろうか。時期がくると無料で払い下げている。たまたま「俳壇」が2年間分くらい揃っていたので、持ち帰ろうと思ったが、所詮は資源ゴミの日に出す羽目になるから止めた。ただ、雑誌の背を見ていたら、 特集「伸び盛り!結社イチ推し俳人50人競泳」 というのが目に入ったので、その号だけは貰って帰った。  話は少し飛ぶが、愚生の古い友人で、山口一夫という人がいる。3年ほど前に俳句をやってみたいというから、彼が足立区の住人だったから、足立区に発行所のある結社が良いだろうと、「門」(鳥居真里子主宰)を紹介した。その後、「門」会員になって、ほそぼそながら続けているらしい。偶然と言えば偶然、その「門」の若いイチ推し俳人の5句とミニエッセイが掲載されていた。これも何かの縁だ思い、「閑話休題」に紹介した次第である。佐々木歩、若い人らしい。ミニエッセイには、以下のように、書かれていた。 🔷例えばの話。片恋の相手はいつも冷たい。なのに稀に、不意に優しい。そんなことをされると、気持ちが振り回される。止せばいいのに、あの幻のような優しさを求めてしまう。俳句とは、そんな関係を続けている。   思えば、「門」誌は、先々代の鈴木鷹夫、先代