杉山赤冨士「炎天へすべ無けれども愛を愛を」(『杉山赤冨士の俳句』)・・


  八染藍子・太田かほり『杉山赤冨士の俳句』(ふらんす堂)、装幀は赤冨士の孫・杉山龍太。帯の惹句に、


 伝説の俳人・杉山赤冨士を繙く――

 総数七千句に及ぶ赤冨士全句集『権兵衛と黒い眷族』所収の句と

 娘であり、元「狩」同人・八染藍子の記憶を織り交ぜ、赤冨士の生涯に迫る。


とある。また、太田かほり「はじめに」には、


 昭和二十一年四月、杉山赤冨士(本名榮)は原爆投下の被爆広島において、焦土広島の精神的復興を期して俳誌「廻廊」を創刊した。(中略)当時は十一歳の娘園繪こと後の俳人八染藍子は、建物や橋などの残骸からまだ煙が立ち上る広島市内を父に付き従い、「廻廊」創刊を告げるビラを貼って回ったという。筆者が杉山赤冨士の名を知り、強い関心を抱いたのは藍子の第一句集『園絵』所収の俳人赤松惠子による解説文においてであった。藍子の両親杉山夫妻についての記述は熱を帯び、その筆致は赤冨士への興味を募らせた。(中略)その後、句集を入手し、驚いた。このような書物が存在するものか。日本文化の重厚さはこれほどかと、おし戴いた。


 とあり、また、「おわりに」には、


  毛蟲焼くアイヒマンより火をもらひ

  凍土に帰す老妻の竹槍も

  炎天へすべ無けれども愛を愛を

  鴉の目ぬれて虚空の雪を往く

 これは杉山赤冨士が自らの句集『権兵衛と黒い眷族』七千句から四句を抜き出し、学生時代から愛誦していたペルシャの詩形ルバイヤットの構成を俳句で試みた四行詩である。(中略)句集名は句集の顔であり「黒い眷族」を暗喩とすれば顔は「被爆広島」となる。また、直前までの案が「鶴恋」であったことが物語る通り、もうひとつの顔は鶴に代表される「美」となる。ただ、無垢の鶴ではない。両者を重ねると「傷ついた命」となるのではないだろうか。(中略)

 「機到り要がすめば廃刊も亦可なり」と言い遺した赤冨士の言葉に従ったか、令和三年、「廻廊」は八九四号を以って赤冨士の娘四代目八染藍子主宰によって七十五年の歴史を閉じた。園繪は十二歳で父の句会に参加し、その場で父から地元の山の名を取って「小富士」という俳号を付けられたという逸話がある。その園繪こと八染藍子は八十六歳まで「廻廊」主宰を務めた。(中略)

 筆者は「廻廊」終刊時に「杉山赤冨士『権兵衛と黒い眷族』を読む」を連載していた縁により、その続編として本書をまとめた。執筆に当っては、八染藍子の書籍、書簡、電話でのインタビュー等に負うところが極めて大きく、共著とした。また、孫杉山龍太の随想「夜来山荘」や多くの資料からエピソードを拝借した。(中略)

  未完稿子孫にゆだね山眠る    杉山園繪

 この句は赤冨士追悼号「廻廊」所収の園繪による「病床記」の最後に添えられている。戦時中の慰問袋に入れていた辞世の一句「眠る山に吾を焼くけぶり立つなどよし」に呼応する句である。

 次は皆吉爽雨の追悼句である。

     赤冨士大人を悼む

  しぐれ傘昔もいまも催合ひしに    皆吉爽雨  (中略)

 「催合」(もやひ)は「多くの人が集まって事を行う」ことをいうが、常に集団の輪の中にいた行動派赤冨士の人柄や日常をよく掴んでいる。


 とあった。ともあれ、本書よりいくつかの句を挙げておこう。


  亀鳴くや宮殿(くでん)のうちに五百歳     赤冨士

  紀元節まつくらやみに暮れにけり

  鯉幟一大制空権われに

  冨士いしく晴れてあるべし北齋忌

  虹の虚子おもへば子規は僧の如

  さそり座の大火こよひは濃きほむら

  いくたびの筆禍ぞしをんむらさきに

  かげろふはつまのまぼろし民喜の忌

  野仏と枯(かれ)をきそひてたづの墓

  少年よ陽炎(かげろふ)のゆたかなる

  ざくろ熟れそめて満身創痍無し

  盆の月亡(ほろ)びも生(い)きも美しく

  春を待つこゝろ辞世(じせい)も成(な)さずして  


 八染藍子(やそめ・あいこ) 1934年、広島県生まれ。

 太田かほり(おおた・かほり) 1948年、香川県生まれ。




★閑話休題・・YOーEN 唄会「黄昏に恋して」⑰(於:ギャラリービブリオ)・・



 昨夕は、YO-EN 唄会「黄昏に恋して」⑰、於:ギャラリービブリオに国立まで出掛けた。炎天だったので、めったに被らない帽子を被って行ったら、忘れてきてしまった。親切に、店主の戸松弘樹がわざわざ知らせてくれたので、今日のライブがある午後3時前にとりにいくと伝えた。店主は、元トーハンの広報にお勤めで、大昔、戸松弘樹の塾の先生が仁平勝だったという。彼がいうには無頼派の先生だったらしい。そしてまた、会場で、20数年ぶりに生野毅に会った。色々不思議な縁もあるものだ。彼は今、国立在住とのことだった。先日、YO-ENとコラボのライブで詩の朗読も行っている。

 来る10月26日(木)12時30分~町田市の八木重吉記念館に於て、「茶の花忌」(八木重吉没後九十六年)に合わせて、ライブ「YO-EN 八木重吉を唄う」があるらしい(YOーENの登場は13時40分頃から)。参加費無料・予約無用とあるので、ご近所の方や興味をお持ちの方など、是非、行かれたらいかがだろうか。彼女の唄う八木重吉「わたしは悪い人間だもの」、いいですよ。



      撮影・芽夢野うのき「真ん中の底てふ紅に寄り添いぬ」↑

コメント

このブログの人気の投稿

救仁郷由美子「遠逝を生きて今此処大花野」(「豈」66号より)・・

小川双々子「風や えりえり らま さばくたに 菫」(『小川双々子100句』より)・・

福田淑子「本当はみんな戦(いくさ)が好きだから握り締めてる平和の二文字」(『パルティータの宙(そら)』)・・