投稿

2月, 2023の投稿を表示しています

内田百閒「龍(りゅう)天に昇りしあとの田螺(たにし)かな」(「NHK俳句」3月号より)・・

イメージ
 「NHK俳句」3月号(NHK出版)、特集は岸本尚毅「先生の俳句」で、泉鏡花・永井荷風・内田百閒・太宰治である。特集「先生の俳句『響き合う小説と俳句の世界』」の扉に、岸本尚毅、  幻想的な怪異譚 (かいいたん) で読者を魅了した鏡花 (きょうか)。 随筆や日記にも名品のある荷風 (かふう)。 日常に潜む異変を独自の筆致で描き出した百閒。『人間失格』で自意識の深淵を垣間見せた太宰治 (だざいおさむ) 。――個性的な作風の文豪と俳句とはどう関わっているのか。 と記されている。各人の句をアトランダムに以下に紹介しておこう。  ・ まりやの面 (おもて) を見る時は基督 (きりすと) を忘却する――とか、西洋でも言うそうです。 (鏡花『菊あわせ』)    雪じやとて遣手 (やりて) が古き頭巾哉 (ずきん) かな     鏡花    うすものや月夜を紺の雨絣 (あまがすり)    春浅し梅様まゐる雪をんな  ・休憩の時間にもわたくしは一人運動場の片隅で丁度その頃覚え初めた漢詩や俳句を考えてばかりいるようになった。 (荷風『十六、七のころ』)    筆たてをよきかくれがや冬の蠅 (はえ)      荷風    落る葉は残らず落ちて昼の月   秋風のことしはは母を奪ひけり  ・俳句の上手下手は、句法なり措辞 (そじ) なりだけで定まる事のないのは勿論 (もちろん) で、昔によく云った境涯と云うものに達していなければ作れるものではない。 (百閒「百鬼園俳談義」)    稲妻の消えたる海の鈍りかな          百閒    軒風や雛 (ひいな) の顔は真白なる  ・俳句は、楽焼や墨流しに似ているところがあって、人意のままにならぬところがあるものだ。 (太宰治『天狗』)   幇間 (ほうかん) の道化窶れやみづつぱな   治    旅人よゆくて野ざらし知るやいさ ★閑話休題・・魚眠洞「草枯や時無草のささみどり」(岸本尚毅編『室生犀星俳句集』より)・・  岸本尚毅つながりで『室生犀星俳句集』(岩波文庫・640円+税)。本書の解説は、当然、岸本尚毅。俳句は1904(明治37)年から1961(昭和36)年まで、『魚眠洞句集』『犀星発句集』『遠野集』などの序文、またエッセイ、娘の室生朝子「杏の句」を収めている。その「杏の句」は、母・とみ子について書かれたものだが、とみ子の夫(つまり、父・

金田一剛「天地人冬の大三角を生ける」(第46回・メール×切手・「ことごと句会」)・・

イメージ
  第46回(メール×郵便切手)「ことごと句会」(2023年2月18日付け)、持ち寄り雑詠3句+兼題「指」一句。以下に一人一句と寸評を紹介しておこう。   春浅しゆっくり動く足の指          渡邉樹音    前山は片頬かすか緩みしか          渡辺信子    モノローグを詰めてしまったシャボン玉    江良純雄    春萌や土手に姉妹の三輪車          武藤 幹   葱鮪 (ねぎま) 葱鍋葱だけ残り間抜けなり   金田一剛   指笛の上手い漢と朧月           らふ亜沙弥    冬の熊薄目で発す屁 (ガス) ひとつ      照井三余    残雪の泥を巻き込む轍かな          杦森松一   冬木立ペン画のように陽は細き        大井恒行 ★【寸評】・・・  ・「 天地人冬の大三角形を生ける 」ーな、なんとスケールの大きな句でしょうか。まさか天地人を生けてしまうのですから(亜沙弥)。星座を生ける、とは楽しい。観察眼だけでなく、感性が表現させた世界(純雄)。 ・「 春浅し・・ 」ー実は私、足の指でじゃんけんができます。春浅いのでゆっくり動くんじゃない?(亜沙弥)。 ・「 前山は・・ 」ーもう少しすれば「山笑う」時期が来る。大胆に季語「山笑う」を省略してみせたのかも知れない、それを隠しているフレーズが中七・下五(恒行)。 ・「 モノローグを・・ 」ー自問自答で詰めこまれすぎた何かは、シャボン玉でなくても割れるか、破裂するだろう(恒行) ・「 春萌や・・ 」ー暖かいイメージの言葉てんこ盛り。気温、体温が伝わってくる(純雄)。幹氏の同工の他の句に「 指差して探す微かな春もよい 」があるが、その句について、「小さなものによって大きな世界を後ろに描き出すのは、俳句の基本技巧のひとつである(大岡信)という言葉を最近本で読みました。まさにその典型のような一句ですね」(信子)。 ・「 葱鮪 (ねぎま) 鍋・・ 」ー葱好きな人も多いが、鮪も多いと思う。思わずお互いの驚きが目に浮かぶ(松一)。 ・「 指笛の・・ 」ーどんな音色か、興味深い。上手い漢になりたいものである(恒行)。 ・「 冬の熊・・ 」ー冬眠前の熊のオナラか!?「薄目で発す」がなんともユーモラス!実に巧い、脱帽!!(幹)。 ・「 残雪の・・ 」ー雪国の雪の深さを思わせる句であるが、

安井浩司「牛はこべ夢に老児を抱き起す」(「相子智恵の俳句の窓から」より)・・

イメージ
   東京新聞(2月25日)夕刊の俳句時評「相子智恵の俳句の窓から」の見出しは「時代の証言」、その冒頭には、   〈「兜太は俳人だ」と言うか、「兜太は人間だ」と言うか、迷っていました。特に晩年は、俳人であること以上に、人間であることを積極的に選んだという印象です〉と二〇一八年に没した俳人、金子兜太を語るのは若手俳人の神野 (こうの) 紗希。 とあり、そして、   「最後の前衛俳人」と呼ばれた孤高の俳人、安井浩司もまた、昨年鬼籍に入った。 (中略) 『読本Ⅰ』は安井本人による評論やインタビュー、往復書簡を網羅。『読本Ⅱ』は過去の有名な安井論から、本書のために多くの若手俳人が書き下ろした一句鑑賞までを収録。作家研究の基礎となる緻密な読本で、俳句史から安井を消してなるものかという編集委員の凄絶 (すさ) まじい熱量を感じる。 (中略)  安井の句は難解だと言われるが、〈今という時代は(中略)芸術に対する概念というものが、俳句が一歩先行する形で壊れ始めて来ているんじゃないか〉と、安井は二〇一四年のインタビューで、遊戯的な今の俳句を憂えた。まさに俳句の哲人だった。  俳句だけが遺 (のこ) ればよい、という考え方もある一方で、ある俳人を直接知る人々には、肉声を書き残す使命があるのではないか、とも思う。それは一人の俳人を超えた、時代の貴重な証言なのだ。肉声をきっかけに、後世の者が俳句に出会う、そんな入口があってもいい。  と記されていた。  ★閑話休題・・神野紗希「母乳ってたんぽぽの色雲は春」(『もう泣かない電気毛布は裏切らない』より)・・  神野紗希つながりで神野紗希著『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(文春文庫)、2019年、日本経済新聞出版社から単行本で刊行されたものの文庫版である。表4カバーの惹句には、   「恋の代わりにに一句を得たあのとき、私は俳句という蔦に絡めとられた」。正岡子規を輩出した愛媛松山で生まれた少女は16歳で運命的に俳句に出会う。恋愛、結婚、出産、子育てーー。ささやかな日々から人生の節目までを詠んできた俳句甲子園世代の旗手が、俳句と生きる光を見つめ、17音の豊穣な世界を案内するエッセイ集。 とある。ともあれ、本書より、紗希俳句のいくつかを挙げておこう。    ここもまた誰かの故郷氷水        紗希    消えてゆく二歳の記憶風光る   頑張って

金子兜太「白梅や老子無心の旅に住む」(『兜太を語るー海程15人と共に』より)・・

イメージ
 聞き手・編著者 董振華『 兜太を語るー海程15人と共に』(コールサック社)、筑紫磐井の帯文には、   金子兜太は戦後俳句のブルドーザーである。  兜太により日本の風景は一新した。  ーそんな修羅の現場を、同行した15人が懐かしく語る。  とある。董振華・前別著『語りたい兜太 伝えたい兜太ー13人の証言』(コールサック社)は、多くの語り手が、兜太主宰誌「海程」以外の人たちであったが、本書は、ほぼ「海程」(後継誌「海原」)の方々で占められている。いわば、兜太と共に歩んだ内側の人々の証言である。董振華によるインタビューと、それぞれの方の兜太20句選と鑑賞文が付されている。名を挙げると、山中葛子・武田伸一・塩野谷仁・若森京子・伊藤淳子・堀之内長一・水野真由美・石川青狼・松本勇二・野﨑憲子・柳生正名・宮崎斗士・田中亜美・中内亮玄・岡崎万寿である。跋文は安西篤。その中に、   董さんは金子兜太先生ご夫妻には、ことのほか愛され、中国の孫とまで呼ばれた人である。そういう人の仕事に協力するのは、先生ご夫妻の遺志にもかなうことと思い、お引き受けすることにした。 (中略)   さて、そのような兜太は、没後五年、歴史にどのような存在として、記憶されるであろうか。 (中略)   第一に、戦後から現代俳句への俳句の時代の流れを作り出し、新しい時代の方向性をおのれの精神のダイナミックな成長の中で具体化してきた存在者であること。 (中略)   第二に、森羅万象を「生きもの感覚」で受けとめ、自由に、主体的に表現することで、花鳥諷詠を超える方向性を示し、その方法を造型と即興によって定立してきた。  第三に、生きものすべてのいのちは、輪廻して他界に生き、不滅であるという死生観に立って、その生のある限り時代における生き方を、おのれの生きざまによって示し、時代の展望を照らし出す語り部の役割を担い続けた。  とあった。また、書中、とくに印象深かったのは、水野真由美が語った部分で、  (前略) ある時、経営者たちのモーニングセミナーみたいなところに呼ばれて、山頭火とか、金子兜太とか、いろんな俳人の作品について話しました。終ってから参加者の一人に「あんたは、ああゆうのが俳句だと思っているのか」って言われたんです。山頭火の自由律とか、金子兜太の無季作品とかが気に入らなかったんでしょう。「ええ、思っていますよ」と返

中西ひろ美「ささがにのいとやさしきを水夫(かこ)といふ」(「枕詞の句会」)・・

イメージ
  昨日、2月23日(木)は、「枕詞の句会」(於:都立・殿ヶ谷戸庭園)だった。中西ひろ美(「垂人」)の俳諧・招請状には、   枕詞は、主に和歌に見られる修辞で、それ自体は直接の意味を持たず、ある特定の言葉を修飾し、情緒を添え、短歌の調子を整えることばのことです。万葉集の頃より用いられた技法と言われています。文意全体とは無関係に一語のみを一般的に修飾する用法をいいます。枕詞の音数は五音が普通ですが、三音や四音、六音などのものも少数あります。数は約1200語あり、時代とともに形式化されました。  とあり、枕詞を詠みこんでの持ち寄り5句以内の提出である(主要な枕詞 30種類一覧も付されていた)。愚生にとっては、かつての蕪村になりきり、贋作句会に次ぐ試みの会への参加である。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。   群玉のくるくるひゅるり風ぐるま       松本光雄    石走る垂人どどどと殿ヶ谷戸        ますだかも    みをつくし深き夢より浮上せよ        皆川 燈    草枕デジャヴの岸に探す骨          瀬間文乃    おしてるや難波だいすけはなこんじやう    鈴木純一    あをによし八重のかくし子九つに      中西ひろ美    久方の雨曜日ひもとく遅日          中内火星    高照らす日の風笛や山に入る         大井恒行 諏訪敦+大竹昭子『絵にしかできない』(カタリココ文庫・対談シリーズ)↑ ★閑話休題・・諏訪敦「眼窩裏の火事」展(於:府中市美術館)・・  先日、愚生の地元ということもあって、のびのびにしていた諏訪敦「眼窩裏の火事」展(府中市美術館)、残り少ない開催日は~2月26日(日)まで、に行ってきた。北村虻曵がFBに記事を載せていたので、解説は、以下の引用にする。    諏訪敦(すわ・あつし)1967年北海道室蘭市生れ。    撮影・鈴木純一「海苔弁の蓋にひっつく韓(カラ)の海苔」↑

鈴木光影「シナリオの外へ蓮に実飛びにけり」(「花林花」2023より)・・

イメージ
 「花林花」2023・Vol.17(花林花句会)、主要記事は、「花林花の作家 その十一 鈴木光影」、高澤晶子「鈴木光影句集『青水草』を読む」、「俳人研究 齋藤愼爾」である。誌は、一年に一度の刊行だが、日ごろの活動の充実ぶりが伺われる。ともあれ、本誌中より、一人一句を挙げておきたい。    空生まるる秋のひかりを水に溶き        高澤晶子    入口も出口も自由花野風            廣澤田を    地下壕の底で母と子凍りつく          榎並潤子    あと一枚のカレンダーにも夜が来る       石田恭介    テレビほどは笑わぬラジオ夏の雨        金井銀井    カチューシー踊る知事をり秋澄めり       島袋時子    夏怒濤デジタル文字はすぐに消え        鈴木光影    春泥に火薬の臭ひ入り混じる          福田淑子    青信号サーフボードが歩きだす         宮﨑 裕    水栓を締めて年越すホームレス         杉山一陽    半身ない蝉も無駄なくいただきます       内藤都望   夏真昼母に抱かれし暗さかな          渡邊慧七  ★閑話休題・・「人の世に熱あれ、人間に光あれ」(全国水平社創立宣言・1922年3月3日)・・  部落解放同盟中央本部編『写真記録 部落解放運動史 全国水平社創立100周年』(解放出版社)、その全国水平社創立100周年記念事業推進委員会委員長・組坂繁之「発刊にあたって」に、   1922年3月3日、全国水平社創立大会が挙行された。その日、長い間、差別と迫害に苦しんできた被差別部落民が京都市岡崎の京都市公会堂に結集し、それまでの融和的な方法ではなく、自らの団結と闘争により自主的解放運動の開始を宣言したのであった。 (中略) 「 全国に散在するわが特殊部落民よ団結せよ」との呼びかけで始まり、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で結ばれる創立宣言が読み上げられたとき、「会衆みな声をのみ面 (おもて) を俯 (ふ) せ歔欷 (きょき) の声を四方に起る」という状況であったという。被差別部落大衆が、それまでいかに虐げられ、屈辱的な日々に呻吟してきたかを如実にあらわす光景である。  この水平社宣言を起草したのが、奈良・柏原の被差別部落出身の西光万吉(清原一隆)先輩であった。

山田耕司「鷹の羽落ちてゐる庭見つからず」(『円錐』第96号)・・

イメージ
 「円錐」第96号(円錐の会)、ブログタイトルにした句は、随筆「わが分水嶺」のなかの今泉康弘のもので「鷹の羽落ちてゐる庭見つからず 山田耕司」が掲げてある。その中に、    一九八四年、ぼくは十七歳だった。 (中略) それは現代文の授業中だった。教壇には林桂が立っていた。彼は授業とは関係の無い、藁半紙 (わらばんし) の印刷物 (プリント) を配った。「五十句競作入選 納屋の宇宙論 山田耕司」と書いてあり、俳句が並んでいる。「俳句研究」からのコピーだという。そういう雑誌があることを初めて知った。 (中略) 冒頭に次の三句が並んでいる。   鷹の羽落ちてゐる庭見つからず   蝶二匹越えにし杉を知らざるや   多佳子忌と知らず遠雷録音す  この内容は彼の日常生活と直接の関係は無い、とぼくは直感的に思った。ここには日常生活を通して精神の底に溜まり、澱んでゆく憂鬱な何かと、その中から飛び立とうとする透明な何かとがあって、その二つの葛藤が俳句という器に掬いとられている。 (中略)   一九八四年、耕司は高校三年生の時、「俳句研究」の五十句競作に応募した。その結果、高校生ながら「佳作第二席」(十五句掲載)に入賞する。耕司十七歳の時だ。 (中略) 老人趣味ではなくて、同時代の息吹を感じさせるものとして俳句があり、それが十代の手によること、かつ、それが書店に並ぶ雑誌において評価されていることーこれはぼくに一つの道を示した。 とあった。ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。    寂しさの終てざる国の雑煮かな        後藤秀治   秋の暮枕凹ます夢の跡            江川一枝    幽明の明の側にて隙間風           味元昭次    目算が立ちての尿意冬ぬくし         立木 司    水を見ているのではなく水の秋        来栖啓斗   絶滅の狼を連れ雪女             小林幹彦    春風やここにも国防婦人会          摂氏華氏    裏山の名前「裏山」粧へる          栗林 浩    逃亡や秋水に酔ふ町はづれ         荒井みづえ    日短かレンタルビデオ店のあと        山本雅子   着順は紅葉のリボン競歩会         三輪たけし    もう冬と言ふ唇にくもる窓         原田もと子   秩

柴田獨鬼「亀鳴きて声なき声の賑やかさ」(『あかときの夢』)・・

イメージ
   柴田獨鬼第一句集『あかときの夢』(深夜叢書社)、帯文は齋藤愼爾,このところ不調を伝え聞いていたので、ご健在の様子、愚生には何よりの便りとなった。集中の2句の鑑賞文が記されているが、ここでは、一句のみになるが紹介しておこう。    子宮ごと逝きし母へと蟬の声  生命力の象徴である女性器を大胆直截に表現したのは、それほどにも作者の母への哀傷は苛烈なのだろう。むろん蟬は抜け殻となった空蟬・虚蟬。「うつせみ」の原義は「現し身・現世・人の世」、読者は声なき悲調を聞かなければならない。 とある。著者「あとがき」の中には、      あかときの夢偸 (ぬす) まるる牡丹かな  句集名は「俳句四季」誌で齋藤氏の特選に選ばれた右の句に因み、二〇一四年の初学の頃から二〇二二年までの三〇二句を自選した第一句集です。  貞松瑩子さんの『最後詩集』や同人誌「らん」の中心的存在である鳴戸奈菜さんの句集『天然』と、敬愛する詩人・俳人の著書を出版している深夜叢書社から句集を出してたいという密かな願望がありました。深夜叢書社主である齋藤愼爾氏と、制作実務と装幀をお願いした高林昭太氏おふたりのご厚情により、このたびの希望が叶うことになりました。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。    散る花のあのこの世に倦み疲れ       獨鬼     偲 貞松瑩子(二〇一六年七月一四没、享年八十六)    負の海に風紋ひそと夏ゆふべ        注・貞松瑩子第一詩集『風紋』、第三詩集『負の海』。    平仄を揃へて李白冷し酒   蓮の実のとんで此の世の息通ふ   汝 (なれ) であり我であること万年青の実   陽炎を見てから後 (のち) を考へる   魍魎も丸くなりたる淑気かな   花便り聞きたきことは他のこと   ちちははを孕みてのちの蛍かな   献体の素肌羞ぢゐる窓に花   元旦や生まれしものは逝けるもの      渡邊白泉「戦争が廊下の奥に立つてゐつた」あれば   覗きみる廊下の奥や白泉忌      大塚優一氏のご母堂一〇二歳の天寿を全うす。   母の日や九九では足りぬ母の齢  柴田獨鬼(しばた・どっき) 1953年、秋田県生まれ、埼玉県育ち。           芽夢野うのき「千両のいまだこの世に実を赤く」↑

白石正人「白魚の透明を食ふ風を食ふ」(第9回・現代俳句協会「金曜教室」)・・

イメージ
  本日、2月17日(金)は第9回「金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった。兼題は「風」「果」の漢字しばりで各一句だったのだが、それをすっかり失念してしまっていた愚生。大失態というわけで、認知症?を疑われるという始末。ただ、愚生の雑詠2句は、選句の対象から外していただいたが、それをもろともせず選ばれた方もいた。脱線気味の話し合いもあって、愚生としては、楽しく充実した句会となった。  愚生は一年限りの「金曜教室」の講師と思っていたのだが、任期は来年一年あるそうである。次年度開催は本年4月開講、年に10回(会費1万円、四月に前納)の第三金曜日である。継続、または新たにご希望の方は現代俳句協会事務所まで、申し出ていただければ幸甚です。ともあれ、本日の一人一句を挙げておこう。     引鶴や父は戦果を語らざる        川崎果連      風にまだ重さの残る梅雨の明け      武藤 幹    地の果ての枯野の先を鳥の列       赤崎冬生   人外の風を呼び込む春の塵        石川夏山    「果連」といふ俳人が詠む猫の恋     村上直樹    うりずんの気配漂う果ての浜       岩田残雪    老い果ての照らすベッドの夏近し     杦森松一    風光る仏顔して老巡査          宮川 夏    果音かつてキラキラネームバッハの忌   山﨑百花    人の世の果てに人あり初桜        林ひとみ    果敢にも受けて立つのか仔猫の背     植木紀子    ユーラシアの果てより来る余寒かな    白石正人    入る墓は陽なし草なし帰る鳥       大井恒行  次回、3月17日(金)句会は雑詠,何でもあり、です。         撮影・中西ひろ美「白梅の香りを以て結ぶ文」↑

井上治男「競り残りし牛連れ帰る余寒かな」(第14回「きすげ句会」)・・

イメージ
    本日,2月16日(木)は、第14回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は雪。「きすげ句会第二集/一周年記念号」(上掲写真)を代表の杦森松一が作ってくれた。以下に本日の一人一句を紹介しておきたい。    塹壕に雪霏々として降りやまず       井上治男    風花や子等は手伸べる通学路       壬生みつ子    金婚式甘酸辛苦庭の雪           清水正之    あるじなき家にも咲きぬ梅の花       高野芳一   ゆきもよひみほとけの唇 (くち) ほの赤き  山川桂子    雪二尺地蔵の赤懸け埋もれけり       濱 筆治    友の死の土に溶け込む牡丹雪        杦森松一   ハンドボール取って取られて雪解風     寺地千穂   笑点にわくわくメンバー一之輔      久保田和代    スキー場緊急通報鳴り響く        大庭久美子    道ばたに笑いかけてる犬ふぐり       井上芳子    「言論の覚悟」かにかく春の雪       大井恒行  次回、3月16日(木)の兼題は、「石鹸玉・シャボン玉」です。 ★閑話休題・・壬生みつ子「賀詞交わし公園清掃14年」(「府中シニア連だより」第154号)・・ 「府中シニア連だより」第154号(府中市シニアクラブ連合会)の機関誌で、クラブ数82クラブ・会員数4914名(男性:1818名、女性3096名)2023年4月1日現在とある。その文芸欄に短歌・俳句があるが、その中に、きすげ句会の壬生みつ子の名があった。掲載句の「じっくり解説」には、   私が70才になって老人会の加入を勧められたのですが、その時孫を遊ばせていた紅葉丘北公園等を老人会の方々が清掃していたことを初めて知りました。面目次第もないこととそれ以来週2回朝8時から掃除をして14年5ヵ月になりました。  また多磨町会の方から多磨町公園の清掃も依頼され、2カ所も公園を週2回することになり日曜日毎に月4回公園清掃に励んでまいりました。運動にもなり知人も増え町の美化にも多少は役に立っているようで90歳まで続けたいと思いまして今回の俳句を投稿いたしました。  とあった。愚生には到底マネができない行動力である。        芽夢野うのき「口うるさの男がひとり木瓜の花」↑

清水哲男「降る雪や妻の左右に娘あり」(清水哲男を偲ぶ会「Tetsuo Shimizu 1938-2022」より)・・

イメージ
                                                                                                                                                               左・井川博年、右・鳥越俊太郎↑  今日は、夕刻より、「清水哲男を偲ぶ会」、於:吉祥寺東急REIホテルに出かけた。昨年、3月7日に亡くなられたが、存命であれば、今日、15日で85歳の誕生日を迎えられるはずであった。  ブログタイトルにした「 降る雪や妻の左右に娘あり 」の句には、「長女 みぎわ」のエッセイが付されている。その中に、  (前略) 私はいつも父の醸し出す何とも不思議な雰囲気に考えさせられていた気がします。そこに居るようで居ない、居ないようで居る、という存在感。でも決して薄過ぎて忘れてしまういというわけではなく、空気のようにあるいは水のように「そこに有る」というのが自然で、でもこちらの事はあまり構わないような、そんな人物だったと思います。  娘としてはもっと父親らしい父が良かった、と腹立たしかった事もありましたが、変わっている父を誇らしく思う気持ちも同時にあるのでした。 (中略)  奇しくも父が亡くなる前日に父の古くからの友人が亡くなっていた事を後から知りました。きっと  「てっちゃん、ビール飲みに行こうよ」 と誘いに来て二人で飲みに行ってしまったのではないかと思っています。そうだったら寂しくなくていいな、と心の底から思います。  とあった。清水哲男は、愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説文を、今夜出席していた福島泰樹と一緒に書いていただている。その後、清水哲男がパーソナリティを務めていたFMモーニング東京の朝の番組に招かれことや、愚生が、弘栄堂書店吉祥寺店を定年退職後、文學の森「月刊俳句界」に勤め始める前日に、愚生を心配した清水哲男が、わざわざ吉祥寺ライオンに愚生を呼び出し、ビールを飲みながら、入社するにあたってのレクチャーをしていただいたこともある(書肆山田の鈴木一民も一緒だった)。  以下の詩は、パソコンに残された原稿・ファイル名「2021春」より。  誰が風を 見たでしょう  僕もあなたも 見やしない  けれど木の葉を 顫わせて  風

林亮「風花の清めし空とこころづく」(『致遠』)・・

イメージ
林亮句集『致遠』(私家版)、そのシンプルな「あとがき」に、  前句集「歳華」(令和二年十二月刊)以降の約二年間の作品の中から、季節ごとに五つの主題を定め、一主題十五句として三百句を選んでみました。  この二年は従前にもまして、俳句に向き合うことができたような気がします。  「致遠」の意味は「遠い所に達する」ですが、実際に達したかどうかは別にして、そうありたいとの思いから句集の名としました。 とあった。 ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。   亡き人の座を上にして花筵          亮    生者には抱えへきれざる花吹雪   野川なすまでを流るる芹の水   流木を焚くにはじまる春の浜   五月からはじまるといふ風暦   くたすなく卯の花腐し卯の花と   会ふことを重ねて風と百合の花   なほ先のありて揚羽のとどまらず   活け直すまでは解かれず盆の花   はなびらの散るに後るる冬桜   林亮(はやし・まこと) 昭和28年、高知県生まれ。 ★閑話休題・・樋口由紀子「水仙の前で何度も転んだわ」(「トイ」Vol.9)・・  「トイ」Vol.9(トイ編集室)、その「あとがき」に、  以前このあとがきに「ポッドキャスト(ラジオ)をやりたい」と書いたが、昨秋から本当に始めてしまった。海外の短編小説について語る「翻訳文学試食会」という番組だ。 (中略)  毎週水曜日20時に新しいエピソードを配信中。ネットで「翻訳文学試食会」と検索すれば出てくるので、よろしけば覗いてもらえるとうれしい。 (干場達矢)  とあった。ともあれ、一人一句を挙げておこう。    東京のきつねうどんや寒の入      樋口由紀子    初湯出て待つ筈が待たせてをりぬ     青木空知    新海苔が出てデパ地下のすこし混む    仁平 勝    陽炎の立ちたる角の煙草店        干場逹矢   志と書き恥ずかしや去年今年       池田澄子       芽夢野うのき「花八つ手ははのことあねのことまた」↑

鶴山裕司「子規庵訪はば手枕で見よ糸瓜棚」(『正岡子規論ー日本文学の原像』)・・

イメージ
    鶴山裕司著『日本近代文学の言語像Ⅰ 正岡子規論ー日本文学の原像』(金魚屋プレス日本版・税込2000円)、帯の惹句に、    文学をジャンル別にでなく綜合的に捉え、なぜ575なのか、季語が必要なのかを完全解明して閉塞した現代文学に風穴を開ける画期的日本文学原理論!/俳句・短歌・小説の原理を完全解明  とある。本書の 第一部は「正岡子規論」で、その各章は、序論に「子規文学の 射程 パースペクティブ 」「Ⅱ子規小伝」「Ⅲ俳句革新―俳句の原理」「Ⅳ短歌革新―短歌の原理」「Ⅴ散文革新―写生文と私小説」とあります。 第二部 は「子規派作家論」とあって、「Ⅰ高濱虚子論―有季定型は正しい」「Ⅱ河東碧梧桐論―新傾向俳句から自由律俳句へ」「Ⅲ伊藤佐千夫論―写生短歌から自我意識短歌へ」「Ⅳ長塚節論―生粋の写生作家」「Ⅴ夏目漱石論―世界を遠くから眺めるということ」となっている。その批評軸についてはシンプルに、  子規写生俳句は世界から可能な限り自我意識を縮退させて世界内存在(人間・動植物・無機物)をランダムに取り合わせ、それにより日本文化が内包する循環=調和的世界観を表現する方法である。 と述べ、また、河東碧梧桐については、    自由律俳句に即せばそれは定型や季語はあってもなくてもよいという曖昧な形式ではない。五七五に季語は必要ない、それらは使わないという明確な型である。俳句はどこまで行っても形式文学であり、“型“がなければ始まらない。俳人にとってはどんな型を使うのかが決定的思想表現になる。しかしこの型が碧梧桐にはない。碧梧桐俳句は何度か大きく変化するが一定の形式に収斂しなかった。  という。そして、最終章ともいえる附録「俳句文学の原理ー正岡子規から安井浩司まで」になるのだが、鶴山裕司にとっては、この附録こそが、彼の結論として重要であったのではないかと思わせるものだ。  安井の方法が画期的だったのは重信が明確に原理的 に対立させた“俳句“と“俳人の自我意識“を統合できることにある。それは「(従来の)俳句に対して完璧な虚構化(虚構の完了)が図られた俳句」であり従来的な俳句とは似て非なるものになる。秋櫻子以降の、俳句に俳人の自我意識表現を 穏当 モデレート にスリップさせあくまで俳句らしい俳句を書こうとし続けた俳人たちから見ればもはや俳句ではないかもしれない。しかしそれは俳句史上初め

寺田伸一「春の暮ひとりになるから数えない」(『ぽつんと宇宙』)・・

イメージ
    寺田伸一句集『ぽつんと宇宙』(朔出版)、序は坪内稔典「スナフキンの帽子」、栞文の一句鑑賞は川島由紀子、小枝恵美子、谷さやん、千坂希妙、芳賀博子、長谷川博、星野早苗、三宅やよい。扉に、献辞「 母へー山粧う紅一点が母なのだ 」がある。この献辞の句について、著者「あとがき」に、      山粧う紅一点が母なのだ  八十代半ばにありながらいろんな人に慕われて、どんな集まりでもその人間群の中核に位置してしまう母はつくづく「女傑」だと思う。女友達も星の数ほどいるけれど、「紅一点」が誰よりも似合うのが母なのだ。この句は、バカボンの口ぶりを借りた、精一杯の「母親讃句」なのだ。   とあり、また、他にも、    冬薔薇無常ということあたたかく  百歳を超えて、亡くなる寸前までブティックの店頭に立ち続けた大叔母が僕は大好きだった。だから、彼女の死を知った時、どうしても俳句を詠まなければと思った。彼女の死を惜しむ時、あたたかい気持ちしか溢れてこない。この「冬薔薇」は僕から大叔母への「百万本のバラ」である。   「リハビリ」が春の季語めく昭和町  高校を卒業する頃、事故で脳を損傷し、障害者となった。杖をつき、友の背中を負いながら、かつては「反差別」なるものに人生を捧げようとしたこともあったが、それはもう懐かしい過去である。人間関係に恵まれたこともあって、今は週に一度、大阪・昭和町の病院に通うリハビリが楽しい。リハビリが〈春の季語めく〉訳だ。  とある。集名ともなった句に、坪内稔典は、   「春の蚊のぽつんと宇宙物語」はこの句集の題目になった作品だが、早く出てきてまだ仲間がおらず、ぽつんと孤独な蚊がおかしい。しかも、その蚊が宇宙の物語を語る風情なのだ。小さな蚊と巨大な宇宙との齟齬というか対照もまたおかしい。春の蚊が宇宙物語そのもの、という読みも可能だが、蚊が宇宙を背負っていると思うと、また切なくおかしい。もちろん、この句でも、蚊と宇宙は混交していて互いに判然としない。蚊が宇宙、宇宙が蚊なのだ。 (中略)  伸一は高校を卒業する直前にサッカーの試合で脳を損傷、重い障害を負った。大学に進学したものの勉強についてゆいけずに退学したらしい。彼の話では母親に強く支えられてきたようだが、なんだか妙に明るい。ゆっくりとしか歩けないが、そのゆっくりが明るいのだ。彼と出会った当初、私はその明るさに戸惑

宮崎大地「寒林に太陽おぼれやすきかな」(『宮崎大地全句集』)・・

イメージ
 外山一機編 『宮崎大地全句集』(鬣の会・風の花冠文庫/税込1500円)、巻末の外山一機「たった一人の大地でー宮崎大地論ー」は先に「鬣TATEGAMI」第84号(2022年8月刊)に発表されたものの再掲載。その中に、  (前略) 宮崎大地(本名博幸、別号星輝)は昭和四〇年代初めに登場し、四〇年代の終わりとともに俳句を去った。その作品を最後に確認できるのは昭和五〇年二月号の「俳句研究」誌上である。活動期間は長く見積もっても一〇年に満たないほどだろう。わずか二三歳での終焉だった。 (中略)  俳誌「歯車」に初めてその名が現れたのは昭和四三年一〇月のことだ。昭和二六年に生まれた宮崎は当時「宮崎星輝」を名乗り、大阪府南河内郡に住む浪速高校の二年生だった。 (中略)  そして昭和四七年二月、宮崎はいよいよ自らの名を星輝から大地へと変更する。アンソロジー『歯車-創刊から一五〇号まで』において、昭和四七年二月から四九年一一月までの選を担当した前田弘は、自らの担当範囲について「宮崎大地が歯車集に登場して、歯車を去るまでの期間に相当している」と述べる。これは「編集委員会の謀議」だったというが、その編集員は鈴木石夫、林桂、渡辺和弘、佐藤弘明、前田弘、田口武の六名である。このうち、林、佐藤、田口はいずれも自らを「大地惑星」と称していた。 (中略)  ここで指摘しておかなければならないのは、多作を特徴とする宮崎にとっては自選が重要な表現行為であったということである。たとえば前田弘に贈呈した手書き句集『木の子』の発行日は昭和四八年三月となっているが、『木の子』収録句のなかにはその後「歯車」や「俳句研究」に新作として発表された句が多い。収録された三三一句のうち、実に二八六句までもがその後に「歯車」などで発表されているのである。ちなみに最も発表時期の遅いものは〈人の眼を抜けて旅ゆく蝶ひとつ〉などの一七句で、これは昭和四八年一一月の「歯車」にようやく発表されている。 とあった。また、本書「あとがき」には、  本書は全句集とは銘打っていますが、学習雑誌に投句していた頃の最初期の作品は収集が困難であること、またその時期の作品をあえて収録することの是非については検討の余地があると考え、未収録としております。今後の収集の進捗によっては何らかの形で陽の目を見ることがあるかもしれません。  いずれにせよ、この

秦夕美「『おうい雲よ』とびたつきはの菱喰よ」(『雲』)・・

イメージ
   秦夕美第19句集『雲』(ふらんす堂)、挟み込まれたはがき様のふらんす堂・山岡喜美子「ご挨拶」に、   去る一月二二日(日)に秦夕美氏はご逝去なされました。  この句集の出来上がりを楽しみにされていたのですが、手にとっていただくことがかないませんでした。装丁と造本についてのご希望をうかがい、あとはすべて任せるとおっしゃっていただきました。見本の校正刷りをご覧いただけたのが最後となりました。  本句集は俳人・秦夕美の最後の句集となります。  とあった。愚生が知ったのは、先日、2月4日(土),文學の森「俳句界」社長・寺田敬子から聞かされた。実は、昨年の現代俳句協会「第59回現代俳句全国俳句大会」(11月2日・北九州小倉で開催)の直前、愚生のシュートメールに「九州に来られますか」と送られてきたが、いつものことと思い、(それにしても、舌たらずのメッセージだったので)そのままにしてしまったが、寺田さんのお話によると、その日が秦夕美に会った最後で、随分と痩せられていたとのことだった。享年84.今はご冥福をい祈るばかり・・・。  また、本句集の「あとがき」には、    雲はいつ、どこで、その最初の姿を見せたのだろう。「雲」と名付けたのは誰だろう。そんなことを考えながら、今日も雲を見ている。 (中略)  題名が漢字一字の句集は持っていない。メインディッシュのあとはデザートが欲しい。今回はトリコロールといこう。蒼(青)、白、赫(赤)、の章立てにしてみた。さてお味は?と書いて、次の句集名が浮かんだ「?」だ。「?」はいろんな呼び方があるけど記号の一つなので「記号」と読ませる。 (中略)  昔から、なりゆきまかせで生きてきた。何か決断しなければならない時には、動物的なカンに従った。それが自分にとって一番いいように思えたから、八十四歳、箸にも棒にも掛からぬ齢になって、句集を出せる幸せ。私の思いを形にしてくれるふらんす堂さん、読んでくれる人たち、まわりで支えて下さる皆さん、心から感謝します。   はつなつの風とながるゝ薄雲と  とあり、文字通りの遺句集となった。さすがは秦夕美、次の句集は、ついに『?』。見事というほかはない。次の句集名も決めて逝ってしまうんだから・・・。ともあれ、集中より、いくついかの句を挙げておきたい。    われに若い日のある不思議雪卍        夕美    白鳥は

山西雅子「じゆいじゆいと日差しに声や芽吹山」(『雨滴』)・・

イメージ
 山西雅子第3句集『雨滴』(角川書店)、帯の惹句に、   寄貝の渚に年を惜しみけり  ことばとは何か。  こころとは何か。  青空に、海に、春風に注ぐ優しい心情を、丁寧な言葉で、俳句に紡いでゆく。  ことばにならない作者の思いが、ことばを通して、伝わってくる。  季語が、新しい季節の顔を見せる。  とあり、著者「あとがき」に、    句集名は、「舞」主宰欄の名「雨滴抄」によるものです。この語の響きが好きです。  二十五年前、第一句集『夏越』の「あとがき」に「言葉が言葉であるということの意味を確かに知りたい」と書きました。その思いは今も変わりません。その思いは今も変わりません。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    みどりさす菓子に五音のをみなの名       雅子    玲瓏の珠となりけり冬の蠅   冬空へ胸の中より鳩を出さむ   どんぐりの裸の尻の氷りたる   風鈴に鳴りづめといふ時来る   かなしみに終りありけり氷水   喜びの米 (よね) といふありこぼしけり   北吹くと種になりたるもの光る   枯れ果てて性の抜けたる草ばかり   ちちははときみわれほたるぶくろ白    山西雅子(やまにし・まさこ) 昭和35年、大阪府生まれ。         撮影・鈴木純一「立春だ傷口をやつらにむけろ」↑