山田耕司「鷹の羽落ちてゐる庭見つからず」(『円錐』第96号)・・


 「円錐」第96号(円錐の会)、ブログタイトルにした句は、随筆「わが分水嶺」のなかの今泉康弘のもので「鷹の羽落ちてゐる庭見つからず 山田耕司」が掲げてある。その中に、


  一九八四年、ぼくは十七歳だった。(中略)それは現代文の授業中だった。教壇には林桂が立っていた。彼は授業とは関係の無い、藁半紙(わらばんし)の印刷物(プリント)を配った。「五十句競作入選 納屋の宇宙論 山田耕司」と書いてあり、俳句が並んでいる。「俳句研究」からのコピーだという。そういう雑誌があることを初めて知った。(中略)冒頭に次の三句が並んでいる。

  鷹の羽落ちてゐる庭見つからず

  蝶二匹越えにし杉を知らざるや

  多佳子忌と知らず遠雷録音す

 この内容は彼の日常生活と直接の関係は無い、とぼくは直感的に思った。ここには日常生活を通して精神の底に溜まり、澱んでゆく憂鬱な何かと、その中から飛び立とうとする透明な何かとがあって、その二つの葛藤が俳句という器に掬いとられている。(中略)

  一九八四年、耕司は高校三年生の時、「俳句研究」の五十句競作に応募した。その結果、高校生ながら「佳作第二席」(十五句掲載)に入賞する。耕司十七歳の時だ。(中略)老人趣味ではなくて、同時代の息吹を感じさせるものとして俳句があり、それが十代の手によること、かつ、それが書店に並ぶ雑誌において評価されていることーこれはぼくに一つの道を示した。


とあった。ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。


  寂しさの終てざる国の雑煮かな       後藤秀治

  秋の暮枕凹ます夢の跡           江川一枝

  幽明の明の側にて隙間風          味元昭次

  目算が立ちての尿意冬ぬくし        立木 司

  水を見ているのではなく水の秋       来栖啓斗

  絶滅の狼を連れ雪女            小林幹彦

  春風やここにも国防婦人会         摂氏華氏

  裏山の名前「裏山」粧へる         栗林 浩

  逃亡や秋水に酔ふ町はづれ        荒井みづえ

  日短かレンタルビデオ店のあと       山本雅子

  着順は紅葉のリボン競歩会        三輪たけし

  もう冬と言ふ唇にくもる窓        原田もと子

  秩父下仁田鹿沼こんにやく空つ風      大和まな

  本力も余力も使い銀杏割る        橋本七尾子

  傷秋や逢うて別るること難き        横山康夫

  何やしら人恋しゅうてとろろ汁       矢上新八

  しばらくはほつとけほつとけ黄落す     小倉 紫

  マフラーを外し去りゆく人に巻く     田中位和子

  紙の街のけむりは白し寒の水       和久井幹雄

  日が落ちて運河に冬の潮差しぬ       澤 好摩

  習はしの出来る仕合せ年用意        丸喜久枝

  ひとりゐてひとつの独楽をまた立たす    山田耕司 



    撮影・中西ひろ美「蕾ではわからないことがあるんだよ」↑

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