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しなだしん「わたつみへ銀漢は瀧なせりけり」(『魚の栖む森』)・・

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  しなだしん第三句集『魚の栖む森』(角川書店)、帯の惹句に、   「青山」新主宰による結実の第三句集。    魚の栖む森を歩いて明易し  思い出す風があり/忘れ得ぬ風景がある。/忽然と過ぎてゆく時のなかで  感情を抑え、気配を詠む。/自然のなかで生きる自分と/日々の現象や究極を、  丹念な写生と渾身の措辞で/俳句に紡いでいゆく。  行 (ゆ) くに径 (こみち) に 由(よ) らずと、/信じながら。   また、著者「あとがき」には、  (前略) 二〇二一年八月、新型コロナパンデミックの只中、「青山」を継承した。 「青山」は昭和五十七(一九八二)年、山崎ひさを(現名誉主宰)が創刊。師系・岸風三樓。 月刊。二〇二一年に創刊四十周年を迎えた。 (中略)  一方、コロナ禍と時を同じくし、心臓の病を得て、二度の手術をした。現在は回復している。  二〇二二年には還暦を迎えた。自然の恵みを享受し、またその力を畏れ敬いつつ、自然の中で日々を生きているのだと改めて思う。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。   魚眠るときあざやかなさくらかな        しん   紗のやうな雨降るのちのころもがへ   海へ降る緑雨を吾も浴びてゐる   人去つて星のプールとなりにけり   股座に簗簀の風をそだてけり   森林限界霧去つて霧が来る   年輪はひかりを知らず水の秋   蓴舟水くぼませてゐたりけり   星おぼろ鎖の先に象の脚   望潮はかなきまなこのばしたり   縄跳を抜けて転校してゆきぬ   ほどきゆくやうにも見えて藁仕事   蛇行するとき春水のにぎはへる   しなだしん(しなだ・しん) 昭和37年、新潟県柏崎市生まれ。 ★閑話休題・・正岡子規「行く秋にしがみついたる木の葉哉」(『笑う子規』より)・・  天野祐吉編・南伸坊絵・正岡子規著『笑う子規』(筑摩書房)、天野祐吉「はじめに」の中に、  俳句はおかしみの文芸です。 (中略)    柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺  子規さんのこの句を成り立たせているのも、おかしみの感情です。「柿をたべる」ことと「鐘が鳴る」ことの間には、なんの必然的な関係もないし、気分の上の関係もない。つまり、二つのことの間には、はっきりした裂け目が、ズレがあります。 (中略)   これは“うふふ“の坪内稔典さんに教えてもらった

川森基次「行く秋の戻りためらふ沈下橋」(『隠喩さみしい』)・・

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 川森基次第一句集『隠喩さみしい』(ふらんす堂)、 懇切な序は鳥居真里子、帯文は塩野谷仁。その帯には、     豆炒つて食べる自由も鬼の春  川森基次さんはまさしく「意志の人」と思われてならない。いま、私たちの俳誌「遊牧」の主要句会の幹事役を担っているが、その仕事ぶりの緻密さはともかく、作品に於いても首尾一貫して映像を重ねてゆく。掲句は掉尾の一句だが、「豆炒つて食べる自由」はそのことを如実に表していると思われる。これからの展開を鶴首したい作家のひとりではある。  とあり、序の結び近くには、  (前略) あとがきで作者はこう記している。〈俳諧自由〉とは緊張感のある厳しいテーゼだと思う。「わたしの表現」に問われているのは「わたしと世界との関係」だと自分に言い聞かせればなおのいこと‐―。すでに川森さんは俳句と肩を組み、がっちりと固い握手を交わしているのだと思う。 (中略) 期待は限りなく大きく膨らむ。  最後にこの一句を挙げて筆をおきたい。   君はいつか草入り水晶あをあらし  とあった。また、著者「あとがき」には、  (前略) しかし、その間に、トリビアルなものへのひりひりした感性の鋭さみたいなものをどこかに置き忘れてきたようで、世界との緊張感の中で生まれてくる言葉をいちど想世界の物語におきかえて「俳句」という器におさめています。そういう意味では叙景も叙事も自分にとって俳句は十七文字の小さな、しかし完結した物語。諧謔もよし。季語を通じれば日常性も非日常性も自在に表現できる。  とあった。そして、集名に因む句は、    無花果は隠喩さみしいマルコ伝        基次  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    落蟬の則天去私の鳴きをさめ   きさらぎの背中からくる煽り風   蝶飛んで蝶に空似の蝶とまる   意味という柱状節理四月馬鹿   ヤポネシア密約の梅雨前線   火蛾の群れ遅れて炎騒ぎ出す   八月が了る水抜く身体から   棄教未だし一塊の柘榴割く    北塞ぎ猪鹿蝶にあけくれる    山の雨撃たれし熊の血を洗ふ   むらきもの浄めがたきを寒の水   父にして竹馬の行きつ戻りつ  川森基次(かわもり・もとつぐ) 1954年、大阪生まれ。  ★閑話休題・・山崎方代「戦争が終ったときに馬よりも劣っておると思い知りたり」(『こんなも

蓮見徳郎「吾輩は何だったのか漱石忌」(第41回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会)・・

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                                      撮影・水野星闇↑   昨日、10月29日午後2時~は、第41回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会(於:武蔵野スイングホール)だった。記念講演は大井恒行「高屋窓秋について」であった。愚生の句を特選に採っていただいたのは、特別選者の高橋宗史(千葉県現代俳句協会副会長)で、短冊と最近出された詩集『芭蕉の背中』(コールサック社)を頂いた。ブログタイトルにした蓮見徳郎「 吾輩は何だったのか漱石忌 」は、本大会賞の作品である。その愚生の句と、特選賞の短冊句は、高橋宗史「蝉しぐれ名残りの熱が棲んでいる」。他の特選句と選者名を挙げておこう。   逢いたいという無花果に陽のぬくみ    大井恒行(高橋宗史選)          高橋宗史「蟬しぐれ名残りの熱が棲んでいる」↑    陽炎が輪郭になる国家かな        山本敏倖(大井恒行選)    天国に多くの友人星月夜         松本峯子(田畑ヒロ子選)    人生の不付箋ばかりがいわし雲      今野龍二(長谷川はるか選)    震災忌未来はいつもつくられる      川崎果連(安西 篤選)    話そうよトマトは青いままだけど     玉井 豊(前田 弘選)    踏青やされど戦車の轍かな        桑田制三(遠山陽子選)    帰省子に父母あり土の匂ひあり      増田信雄(冬木 喬選)    吾輩は何だったのか漱石忌        蓮見徳郎(三池 泉選)    天瓜粉打たれ無邪気な母となる      永井 潮(三浦土火・津久井紀代選)    農を捨て東京で茄子を育てをり      谷川 治(江中真弓選)    食卓の西瓜の値上げにある戦争      野口佐稔(吉村春風子選)    自転車で茶菓子の届く西瓜小屋      大森敦夫(根岸敏三選)    まだ紙を知らぬ鋏や渡り鳥        西野奏子(永井 潮選)    水を打つ風の違いを感じつつ      川島由美子(山崎せつ子選)    全席が自由席です仏の座         桑田制三(戸川 晟選)    風の盆手のひら宇宙と交信す      田畑ヒロ子(小山健介選)    少し休む勇気のあれば楤の花      石橋いろり(根岸 操選)    蚕豆やとほき日暮れのにほひ立つ     淵田

救仁郷由美子「唐門前(せん)修羅の脇行くごんぎつね」(LOTUS第52号より)・・

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    LOTUS(ロータス)第52号(LOTUSの会)の特集は「救仁郷由美子 追悼」である。救仁郷が「LOTUS」に発表した句、と安井浩司論2篇、追悼文は、大井恒行「救仁郷由美子のこと」、山田千里「救仁郷由美子は生きている」、表健太郎「温かい石」、鈴木純一「三度別れる」、酒巻英一郎「影向の縄梯子」。他に各同人による追悼句と俳句作品の一句鑑賞。そして、救仁郷由美子遺稿句集(未発表)。本号扉には、   LOTUS会友救仁郷由美子(本名 大井由美子)は闘病中のところ薬石功なく令和四年八月十日逝去いたしました。/享年七二歳/生前 俳句有縁の方々から賜りましたご厚情に厚くお礼申し上げます。/深くご冥福を祈りたいと思います。                               合掌/LOTUS発行人   とあった。LOTUSの皆さまの深い友情に感謝したい。ありがとうございます。ここでは、同誌同号より、同人諸兄姉の俳句作品を挙げておきたい。                    遺品・安井浩司の形見分け、文鎮代わりの愛用の石↑                表健太郎より手交さる。   天女ふと胞衣はみだしぬ朴の花        丑丸敬史       詩語思索符三点を、なほ先へ、    無      残……                 奥山人    又の日の天与と云わむ玉霰          小野初江    寒月下打ち抜くための釘選び         表健太郎    おみなごをはしらと数えしか鳥よ       九堂夜想    風の景色それら風のように在ると       熊谷陽一    狐の火ときどき水の舌見せる         三枝桂子       眞愛しむ   童女御覧の   裳裾かな                 酒巻英一郎    いくつもの南がありて木の実落つ       志賀 康    点取りに昼夜を尽くし秋の風         曾根 毅    桜騒闇より黒い錠をして          高橋比呂子   キリストのみ衣に触れさえすれば、私は    癒される。浄められる。そして私から、   この世から外に出ることができる    雨運河底まで指が届かない          古田嘉彦    遠望の果無に咲くおみなえし         松本光雄    湯めぐりは赤きカ

奥村和子「廃線のレールの錆(さび)やすがれ虫」(第166回「吾亦紅句会」)・・

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  本日、10月27日(金)は166回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「紅葉」。以下に一人一句を挙げておこう(おおむね高点順)。    決断は晴れた午前の秋日 (あきび) かな      笠井節子   嵯峨野ゆく吾が後先の散り紅葉          武田道代    熊除けの鈴の音包む紅葉みち           松谷栄喜    思うよにいかぬが条理神無月           西村文子    啄木鳥 (きつつき) の確かなる音森の中     井上千鶴子    秋深し何かが足りぬ爪を切る           牟田英子    松茸に十三桁のインボイス            田村明通    枝付きの紅葉かざすや母の部屋          佐藤幸子    白さぎや水質検査秋の晴            折原ミチ子   爽籟 (そうらい) や八冠王にある気魄       須崎武尚    木守りや今や消えなむ子守歌          吉村眞善美    人間も自然の一部さいわし雲           関根幸子    星月夜序列社会の疎ましさ            齋木和俊    ありんこもわたしも急げ渡る道         三枝美恵子    だっこする君の手の先赤もみじ          村上ソラ    雀たち落穂をくわえ舞上る           佐々木賢二    機上より瀬戸の小島の夕紅葉           渡邉弘子    郷里帰り棚田見事に頭 (こうべ) たれ       高橋 昭    旅の宿紅葉ひとひら露天風呂           奥村和子    角を曲がれば紅葉の街となりにけり        大井恒行  その他、愚生が「天」に頂いた句は、    金木犀匂うデスクの手が止まり         笠井節子    舟めぐり色なき風を通り抜け          関根幸子     である。次回は、11月24日(金)。兼題は「小春」。            鈴木純一「いわしぐも高層ビルに越境し」↑

高野芳一「浮き雲に富士隠れたり秋の空」(第22回「きすげ句会」)・・

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  撮影・大場久美子↑   本日、10月26日(木)は、第22回「きすげ句会」(句会場は、府中市生涯学習センター)、きすげ句会としては、初めての吟行句会で、12時半に集合して、浅間山散策吟行を行った。好天にめぐまれ、コナラ、樫などの団栗や秋の花、ヤマシロギク、コウヤホウキ、サルトリイバラ、ハギの実、ガマズミ、ヤマユリの実、ノコンギク、イイギリの実、ゴンズイなど、花と木の実を堪能した。2句出し、で、夕刻からの懇親会を同場所にて行った。  ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。        山道の足裏やわき秋惜しむ          高野芳一    山学校私達秋どまん中            寺地千穂    網を張り獲物まつ蜘蛛しづかなり      久保田和代    子牛 (こって) 追ひ山に入りけり花野風    濱 筆治    ススキ原ゆく老女の赤きハンチング      山川桂子    秋の空の猿の腰掛け自由席          杦森松一    裏は白タデの赤い実 秋はエコ       大庭久美子    浅間山富士の初雪木の葉越し         清水正之    野紺菊浅間山によく似合う          井上芳子    がまずみの赤をめしませ晴れの日は      大井恒行  次回は、11月9日(木)、兼題は「冬紅葉」。          芽夢野うのき「ヤマゴボウ角を曲がると人恋し」↑

久々湊盈子「『人生は束の間の祭り』いまはもう聴かなくなった谷村新司」(『非在の星』)・・

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  久々湊盈子第11歌集『非在の星』(典々堂)、著者「あとがき」に、  (前略) この歌集の背景となっているのはわたくしが八十年近く生きてきた中で、もっとも心休まることのない月日であったと思います。いちばんに思うことは、大きな犠牲を払った太平洋戦争の苦い経験から、平和と民主主義を守るために生み出され、心の拠り処としてきた日本国憲法が、長い一強政権によってなし崩しに骨抜きにされ、専守首防衛という国是が変えられようとしていることです。さらに科学技術の革新により電子機器などの普及が進んで、一見、豊かで便利な社会生活が得られているように思われながら、その実、貧富の差はますます日広がり、不全感や焦燥感からさまざまな社会現象が引き起こされています。行き詰まった事態から新たな局面を求めて雪崩を打つように戦争に入っていったかの日々の轍を踏むことのないように願うばかりです。 (中略)  書名とした「非在の星」は、   冬の夜にまたたく星よ光年の昔に死にて非在の星よ という一首からとりました。いま自分が目にしている輝きはとっくの昔に死んで消えてしまった星たち。広大な宇宙から見ればほんのちっぽけな星である地球に右往左往している自分の卑小さ、愚かさを思いつつ、それでも生きていることのかすかな証明としてこれから歌を作っていきたいと思っているのです。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの歌を挙げておこう。花粉症気味の愚生の眼の付近のかぶれはブタクサ由来かもと、眼科医に言われたので、まずは‥‥、   代物弁済の地に伸び放題のブタクサの花粉公害弁済されず  教育勅語の埃はらいて唱えさす学校あれば通わす親あり  こんな土食えるかともいわず線量の高き畑にまだいるミミズ  いまどこにいますかわたしを見てますか一日ちがいの母と姉の忌  書棚には死者の書きたる本ばかり県立図書館の窓は秋いろ  「雨の降る品川駅」を発ちゆきし辛よ李よいかなる生を遂げしや  天使突抜 (てんしつきぬけ) という字 (あざ) あれば悪王子、元悪王子あり京都を歩く  面相をあげつらう気はなけれども人の品位は口元にでる  老若貴賤を選ばずというウイルスの平等精神悪くはないが  「聲」のなかに「耳」ありわたくしの声は届くか遠いあなたに  あのひともかの友も等しく耐えている酷暑、土砂降り、悪疫、悪政  スペイン風邪

笹木弘「風の径幾つもありし大花野」(第59回 府中市民芸術文化祭 俳句大会)・・

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                                      主選者・本杉康寿↑   昨日、10月22日(日)午後は、第59回府中市民芸術祭「俳句大会」(主催・府中市芸術文化協会/共催・府中文化振興財団/主管・府中市俳句連盟)だった。会場は、府中市民活動センタープラッツ6第5会議室。ジャズイン府中と重なって、町中いたるところで、ジャズの演奏に人だかりができていた。好天に恵まれ、何よりの気候だった。  俳句大会の主選者は本杉康寿、他の選者は秋尾敏・大井恒行・岡本久一・倉本俱子・佐々木いつき・清水和代・野木桃花・星野高士・前田弘・松川洋酔・松澤雅世・山崎せつ子・吉田功・笹木弘・米山多賀子。ここでは、ぜんぶの句を紹介しきれないので、市内の部と市外の部の上位3句のみを挙げておきたい。  兼題・市内の部 1位  風の径幾つもありし大花野          笹木 弘 2位  三人の案山子に任す田圃かな        松本富美子 3位  夏休みまだ水色の予定表          佐久間麗子    ・市外の部 1位  青空の底なき深さ木の実降る         藤岡尚子 2位  お揃ひを着て付揃ひの踊りの輪       美野輪 光  3位  秋の灯やひとつは吾を待つ灯し       横山由紀子  ボクの選んだもう一つの特選句は、    ざらついたまま八月の一行詩          田中朋子  また、当日の句会も行われ、席題に「新米」「栗」が出された。以下にいくつかを高点順に挙げておこう。    新米を天こ盛りして仏壇へ          井垣かつ江    大釜の底のこげ目や栗の飯           島崎栄子    北斎と栗の匂いの小布施かな          笹木 弘    新米や少年の脚伸びやかに           藤岡尚子    父がゐて母のゐた日の栗御飯          本杉康寿    ふるさとの新米届く兄逝きて          美野輪光   変わりなく届く筑波の今年米          浦野三枝    山栗を踵でふみて剥き名人          佐久間麗子    毬栗の割れて顔出す二つ半           北尾千草    新米を両手ではかるお母さん         栗田希代子       空晴れて毬 (いが) より栗のはみ出せり    山崎せつ子  

照井三余「びしょ濡れの老人荒涼の地下」(第53回「ことごと句会」)・・

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 本日、10月21日(土)は、第53回「ことごと句会」(於:新宿区役所横店ルノアール)だった。いつものメンバーに加えて、飛び入りで遠路九州の方の参加者があった(20年ぶりの句会参加らしい)。兼題は「実」、雑詠3句、合計4句。以下に一人一句を挙げておこう。   水溜り大きくなりて秋の月           照井三余    後れ毛の一筋もなし祭り髪           渡辺信子    燃えさしのごとく船ゆく冬夕焼        野木まりお     貫禄の有る無し案山子すずめ評         武藤 幹    行き合いの空術 (すべ) 無くでんと陸 (みち) の奥 (おく) 金田一剛    虫の音のために灯を消す父の部屋        渡邊樹音    秋の灯の零れる石の無言劇           江良純雄    見るたびに思いめぐらす月の裏         杦森松一    実 (じつ) のところ彼岸花は何も申しません   大井恒行  次回は、11月18日(土)、於;新宿区役所横店談話室・ルノアール。 ★閑話休題・・和田久太郎(酔峰)「もろもろの悩みも消ゆる 雪の風」(『黒旗水滸伝』より)・・  竹中労著・かわぐちかいじ画『黒旗水滸伝(大正地獄篇 上・下巻)』(皓星社)、解説は上巻が栗原幸夫、下巻が井家上隆幸。実務者「あとがき」に夢幻工房とある。その解説に、   当初、第一部「大正地獄篇」、第二部「昭和煉獄篇」、第三部「戦後浄罪篇」という三部構成で構想されたこの作品は、結局、第一部を完成させただけで終わったが、しかしこの「大正地獄篇」だけでもこ国の「過渡期」の世情とそこに生きる人びとの雰囲気をなまなましく今日に伝えることに成功したと言えるだろう。  と記しており、竹中労は、巻末の「第五十三回/大団円/わが闘病の記」に、   京太郎・激痛をこらえて、最終回のペンを走らせている。 (中略) …‥連載中「事実と違うのではないか」というご指摘を、度々ちょうだいした。それはおおむねいわゆる“文献“に依拠したクレーム、あの書物にはこうある、この記録ではこなっているというものであった。 (中略))   文献や記録は死んだ文字だから (・・・・・・・・) 、「劇画」で描いているのダ。つまりデータをふまえた、創作なのである。さよう作者の勝手でしょ。  とあった。ここでは、本書中のほんの少しの

赤崎冬生「波跡は風の自画像鰯雲」(第17回・現俳「金曜教室」)・・

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  本日、10月20日(金)は、現俳・第17回「金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった。雑詠2句持ち寄り。以下に1人一句を挙げておこう。    不条理や烈火のごとき青空監獄          岩田残雪    秋麗のバスしか曲がれない空へ          山﨑百花    コスモスのふつと消したる巨船かな        籾山洋子    鳥渡る昔ロシアが好きでした           村上直樹    秋の川詩人は杭にしがみつく           川崎果連    ラッシュかな鳶の地下足袋雲を踏む        石原友夫    朝顔の蔓に身任せ一世かな            杦森松一    殺戮の予感に怯む夜の長さ            白石正人    秋刀魚食う腸 (わた) の苦さが分かる齢 (とし) 赤崎冬生    現し世の岸辺に過去へ行く時間          石川夏山    鵙猛る戦地の子等の血と涙            宮川 夏     残照に巨人の影となる案山子           武藤 幹    いい匂いキンモクセイかな君のいる        柚木紀子    ひと房の葡萄ゆくらかアララト山         林ひとみ    みずうみの光は平ら空 (から) 泣く天       大井恒行  次回、11月17日(金)は、前書付の俳句、2句持参。    撮影・中西ひろ美「しゅんしゅんと湯の沸いている夜寒人」↑

小池義人「エッシャーの水の自在や小鳥来る」(『星空保護区』)・・

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  小池義人第二句集『星空保護区』(山河俳句会)、その「あとがき」に、  (前略) 私も八十歳を過ぎて人生の残り時間を考えるとあといどのくらい俳句を作っている時間があるだろうかと考え始めていた。  多分最後になるであろうこの第二句集を編んで定年後の豊かな時間を与えてくれた俳句という文芸と、俳句を通じて知り合えた師や友人たちに感謝しすでに生活の一部ともなっている自身の俳句を記録しておこうと考えたのである。  とあった。集名に因む句は、    ふるさとは星空保護区霜むぐら      義人  であろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。    一切を拒否して毛虫焼かれけり          シャボン玉水に軽重ありにけり   永日やキリンの首のよく伸びる   白地図の折目どおりに紙魚走る      松井国央師の死   風鈴の鳴らずタクトの止まりけり      髙野公一氏の死   夏雲雀残るは風の音ばかり   野分すぐピクトグラムの非常口   母と手が離れ八月十五日   少年の埴輪の眼窩秋深む   露の世の時間の中に閉じこもる   マネキンがしているように襟立てる   コウキチはもう走れませぬとろろ汁   死後のこと加筆しておく新日記  小池義人(こいけ・よしと) 1942年、山梨県生まれ。 ★閑話休題・・「秋の歌よみ展」(於:ギャラリー STAGE-1/~10月21日・土まで)・・                   市原正直氏↑  本日午後,夕刻までには帰宅するつもりで、思い立って「秋の歌よみ展」(於:ギャラリー ステージワン)に出掛けた。会期は残り、10月21日(土)12時~18時30分(最終日16時)まで。俳句・川柳・短歌・回文・絵手紙など、参加者は21名。ちょうど市原正直氏が在廊されていた。出品の中から以下に愚生の知己の人のみになるが挙げておこう。    思い出にあおられて返事する月          市原正直    スタントの背中から落ち冬の川     藤田三保子(山頭女)    星充満の部屋私はワイングラス          夏石番矢     コスモスを五歳はからころと過ぎる        鎌倉佐弓    砂のないシーラカンスの砂時計          乾 佐伎    にんげんけっかんどらむかん           野谷真治           

松崎鉄之介「一人づつ死し二体づつ橇にて運ぶ」(『松崎鉄之介ー俳句鑑賞ノート』より)・・

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  太田土男『松崎鉄之介ー俳句鑑賞ノート』(私家版・百鳥叢書137)、内容は、太田土男による「松崎鉄之介の百十句」の鑑賞と「松崎鉄之介の世界ー実の人」で構成されている。その「あとがき」に、   手もとに葉書が残されている。「林火先生のように〈年いよよ水の如くに迎ふかな〉といった境地にはとてもなれません。小生は先ばかり見ています」と書いて、    歳の餅のあと十回にて百歳に  の染筆が認めてあった。  しかし、享年九十五歳、百歳には届かなかった。平成二十五年(二〇一三)に「濱」を終刊して、翌年の八月二十二日に亡くなっている。林火忌の翌日というのも先生らしく律儀だ。   とあった。句の鑑賞の部分を二、三紹介しておこう。     一人づつ死し二体づつ橇にて運ぶ                   歩行者 昭和20年  奉天で玉音を聞き、九月にはソビエトの捕虜になり、イルクーツク北方の収容所に入る。昭和二十二年「濱」七月号に掲載されている。復員して携えてきた二五〇句を林火が選んで、「帰還」三十三句として発表した。命を懸けた句である。林火はどんな思いで選んだのだろう。  捕虜生活は辛酸を極めた。掲句、「一人」はまだ人間だが、「二体」は屍である。一切の感情を殺して事実だけを提示する。   死ぬものは死に亞浪忌も古りにけり               玄奘の道 昭和58年  「石楠」入会は昭和十四年だが、十五年には出征している。しかし、十六年度の「石楠」賞を受けている。縁は深い。  句は一見武骨で非情に見える。これが飾らない鉄之介らいしところだ。もっと亞浪には「死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり」があり、これを踏まえている。  これに先立つ十年ほど前に亞浪二十二回忌を修している。この時は、大野林火も原田種茅もいた。此度は三十三回忌、先輩は八木絵馬、川島彷徨子だけだった。この事実が句の根底にある。    二百十日過ぎぬ五千石やーい                長江 平成9年  上田五千石の忌日は九月二日である。享年六十三歳、急死は誰もが啞然とした。いうまでもなく「もがり笛風の又三郎やーい」を踏まえている。季節は異なるが、本歌から風を受けて二百十日に重ね、巧みな弔句になっている。五千石を呼び戻しているのである。  俳人協会の会長という職のこともあるが、弔句は仲間だけでなく、俳壇のあれ

子伯「同じ命散らすものなら憎むべき敵と教える上官を撃て」(『きみの時空』)・・

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 子伯歌集『きみの時空』(吟遊社)、序は夏石番矢。その中に、   ここに一七五首の短歌集がある。俳句をメインとしながらも、俳句では詠みきれないものを、車椅子生活の子伯さんがひっそりお短歌として書き溜めていて、是非とも一冊として世に残したいとの願いを、正面から受け止めて、ようやく歌集として出現した。 (中略)   この歌集のタイトルは、私が考えた。きみ、君、キ・ミとして、頻繁に詠み込まれる二人称が、子伯さんの短歌にとっては最も重要なキーワードだと受け取っての命名である。  しかし、巻頭の一首からして、この二人称は謎めいている。   母とは違う   それでもぼくを受け入れて   きみ繰り返す波とは何かと    (中略)   言い換えれば、自分の詩の言葉だけが、子伯さんの現実である。その子伯さんの現実を支えながら寄り添うのは、やはり「母」である。   探してるこころの痛みくれないの      はたらくそばの母を見ている  源氏物語にせよ、泉鏡花にせよ、日本文学における母の力は大きい。  とあり、また、著者「あとがき」には、   (前略) 私は俳句を日常的に作るが、俳句では書き切れないものが、短歌となって生まれてくる。何かのきっかけで流星が胸に飛び込みそれが歌となるのだ。私は短歌では師をもたない。今となって後悔することも多い。でも自由に詠えて満足しているわたしがいる。  とあった。ともあれ、いくつかの歌を以下に挙げておこう。    集めては天衣無縫の蜜蜂の        意図消しがたし冬の一刺し   夕暮れに影絵となりぬ若楓        緋も秘めしかな果たせざるきみ    構わんよどうせ永劫なかりせば        ひかりの彼岸信じ行く舟   淡き日はうすくれないに燃え尽きて        どこにもおらぬ死を探してる      朝焼けの   雲ある空に吹くラッパ   どこまで天使行進曲   それぞれが時の記憶に手を当てて        また散って行く異夢と知るゆえ   人形に生まれて生きた人生の        わずかばかりかこころ生まれて   こころ無き我に生きよと言う母の        窓辺に飾るいちりんの花  空蝉を拾いて飾る部屋のなか       生き切ることが孝と思いて   子伯(しはく) 1970年、兵庫県生まれ。本名:横山健太郎。    撮影・中西ひろ美「コー

藤田るりこ「銀杏の実臭し我生かされてをり」(『青葡萄』)・・

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  藤田るりこ第一句集『青葡萄』(ふらんす堂)、序は藤田直子、跋は黒澤麻生子。序には、  (前略) ショールしてカフェからカフェへ旅めくよ      人類史に残らぬひと日ピクニック      近況報告虹の写真を送り合ひ  自粛期間中に詠まれた句である。コロナ禍の日々もるりこさんは明るく前向きに暮らし、同僚や友人や家族うぃ勇気づけていた。コロナ禍以前も弱い立場の人へ常にあたたかい眼差しを向けていたるりこさんらしい態度で、私も大いに励まされた。  とあり、跋には、  (前略) ティンパ二に頬寄す冬を告ぐる前      終はりとは始まりであり絵双六  るりこさんにとって俳句とは、現時点では多くの趣味のひとつかもしれない。それでもこれだけ伸びやかに「まぎれもない己のある句」を詠むるりこさんの底知れぬ可能性を私は信じて疑わない。  とあった。また、著者「あとがき」には、 (前略) 修道女に還る墓あり青葡萄     トランクを食卓にして青葡萄  句集名の「青葡萄」はこの二句から取りました。一句目は「秋麗」の句友とともに中村草田男先生のお墓にお参りした際、カトリックの墓地の一角に修道女のためのお墓があることを知って詠みました。私自身は特定の信仰を持ってはいませんが、キリスト教主義の学校で育ちました。葡萄といえば、ヨハネによる福音書の一節「わたしはぶどうの木。あなたがたはその枝である」を思い起します。人は誰しも大きな一本の葡萄の木のなかの一枝であり、すべての人は(信仰という幹を通じて)互いに繋がっているのだ、という意味だと捉えています。  ともあった。ともあれ、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。    黒揚羽被曝の蜜を吸うてをり         るりこ    赤き酒舐め蝙蝠を友とせむ   畝ごとに葉を違へたり村の秋   春ゆふべ縷縷縷と動く掃除ロボ   一年の臍の八月十五日   あきつ群る被爆の民の入りし川   海硝子 (シーグラス) 拾ふひるがほ閉づるまで   時の日の空に巨星を探しをり   剥がさるる大看板や梅雨の蝶   初声の長きを七つ数へけり      藤田るりこ(ふじた・るりこ) 1974年、東京都生まれ。            鈴木純一「鬼灯を鳴らすや嘘は美しく」↑