子伯「同じ命散らすものなら憎むべき敵と教える上官を撃て」(『きみの時空』)・・
子伯歌集『きみの時空』(吟遊社)、序は夏石番矢。その中に、
ここに一七五首の短歌集がある。俳句をメインとしながらも、俳句では詠みきれないものを、車椅子生活の子伯さんがひっそりお短歌として書き溜めていて、是非とも一冊として世に残したいとの願いを、正面から受け止めて、ようやく歌集として出現した。(中略)
この歌集のタイトルは、私が考えた。きみ、君、キ・ミとして、頻繁に詠み込まれる二人称が、子伯さんの短歌にとっては最も重要なキーワードだと受け取っての命名である。
しかし、巻頭の一首からして、この二人称は謎めいている。
母とは違う
それでもぼくを受け入れて
きみ繰り返す波とは何かと (中略)
言い換えれば、自分の詩の言葉だけが、子伯さんの現実である。その子伯さんの現実を支えながら寄り添うのは、やはり「母」である。
探してるこころの痛みくれないの
はたらくそばの母を見ている
源氏物語にせよ、泉鏡花にせよ、日本文学における母の力は大きい。
とあり、また、著者「あとがき」には、
(前略)私は俳句を日常的に作るが、俳句では書き切れないものが、短歌となって生まれてくる。何かのきっかけで流星が胸に飛び込みそれが歌となるのだ。私は短歌では師をもたない。今となって後悔することも多い。でも自由に詠えて満足しているわたしがいる。
とあった。ともあれ、いくつかの歌を以下に挙げておこう。
集めては天衣無縫の蜜蜂の
意図消しがたし冬の一刺し
夕暮れに影絵となりぬ若楓
緋も秘めしかな果たせざるきみ
構わんよどうせ永劫なかりせば
ひかりの彼岸信じ行く舟
淡き日はうすくれないに燃え尽きて
どこにもおらぬ死を探してる
朝焼けの
雲ある空に吹くラッパ
どこまで天使行進曲
それぞれが時の記憶に手を当てて
また散って行く異夢と知るゆえ
人形に生まれて生きた人生の
わずかばかりかこころ生まれて
こころ無き我に生きよと言う母の
窓辺に飾るいちりんの花
空蝉を拾いて飾る部屋のなか
生き切ることが孝と思いて
子伯(しはく) 1970年、兵庫県生まれ。本名:横山健太郎。
撮影・中西ひろ美「コーヒー豆買おうか赤い羽根だろうか」↑
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