しなだしん「わたつみへ銀漢は瀧なせりけり」(『魚の栖む森』)・・


  しなだしん第三句集『魚の栖む森』(角川書店)、帯の惹句に、


 「青山」新主宰による結実の第三句集。

   魚の栖む森を歩いて明易し

 思い出す風があり/忘れ得ぬ風景がある。/忽然と過ぎてゆく時のなかで

 感情を抑え、気配を詠む。/自然のなかで生きる自分と/日々の現象や究極を、

 丹念な写生と渾身の措辞で/俳句に紡いでいゆく。

 行(ゆ)くに径(こみち)由(よ)らずと、/信じながら。


 また、著者「あとがき」には、


 (前略)二〇二一年八月、新型コロナパンデミックの只中、「青山」を継承した。

「青山」は昭和五十七(一九八二)年、山崎ひさを(現名誉主宰)が創刊。師系・岸風三樓。月刊。二〇二一年に創刊四十周年を迎えた。(中略)

 一方、コロナ禍と時を同じくし、心臓の病を得て、二度の手術をした。現在は回復している。

 二〇二二年には還暦を迎えた。自然の恵みを享受し、またその力を畏れ敬いつつ、自然の中で日々を生きているのだと改めて思う。


 とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  魚眠るときあざやかなさくらかな       しん

  紗のやうな雨降るのちのころもがへ

  海へ降る緑雨を吾も浴びてゐる

  人去つて星のプールとなりにけり

  股座に簗簀の風をそだてけり

  森林限界霧去つて霧が来る

  年輪はひかりを知らず水の秋

  蓴舟水くぼませてゐたりけり

  星おぼろ鎖の先に象の脚

  望潮はかなきまなこのばしたり

  縄跳を抜けて転校してゆきぬ

  ほどきゆくやうにも見えて藁仕事

  蛇行するとき春水のにぎはへる


 しなだしん(しなだ・しん) 昭和37年、新潟県柏崎市生まれ。



★閑話休題・・正岡子規「行く秋にしがみついたる木の葉哉」(『笑う子規』より)・・



 天野祐吉編・南伸坊絵・正岡子規著『笑う子規』(筑摩書房)、天野祐吉「はじめに」の中に、


 俳句はおかしみの文芸です。(中略)

  柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺

 子規さんのこの句を成り立たせているのも、おかしみの感情です。「柿をたべる」ことと「鐘が鳴る」ことの間には、なんの必然的な関係もないし、気分の上の関係もない。つまり、二つのことの間には、はっきりした裂け目が、ズレがあります。(中略)

 これは“うふふ“の坪内稔典さんに教えてもらったことですが、漱石さんの句に「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」というのがあって、これは子規さんの法隆寺より数ヶ月前につくられた句だそうですが、この二つに関する限りは子規さんのほうがいいですね、とおっしゃっていました。ズレとか、意外性から生まれる面白さの違いですね。(中略)

 というわけで、それぞれの句につけた短文も、いわゆる句解ではまったくありません。それぞれの句から思い浮かんだあれこれを、勝手に書き付けたものです。


 とあった。例えば、一例を挙げると、


  桃太郎は桃金太郎は何からぞ

         金太郎は飴からに決まっとるじゃろ。

  渋柿や古寺多き奈良の町

         渋柿がなければ、干し柿も柿渋もつくれない。

         この世に無駄な物はひとつもないのだ。

         南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……。


 正岡子規(まさおか・しき)1867~1902 伊予・松山生まれ。

 天野祐吉(あまの・ゆうきち)1933年、東京生まれ。

 南伸坊(みなみ・しんぼう)1947年、東京生まれ。



         撮影・中西ひろ美「冲天の蝶も写りて暮の秋」↑

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