久々湊盈子「『人生は束の間の祭り』いまはもう聴かなくなった谷村新司」(『非在の星』)・・


  久々湊盈子第11歌集『非在の星』(典々堂)、著者「あとがき」に、


 (前略)この歌集の背景となっているのはわたくしが八十年近く生きてきた中で、もっとも心休まることのない月日であったと思います。いちばんに思うことは、大きな犠牲を払った太平洋戦争の苦い経験から、平和と民主主義を守るために生み出され、心の拠り処としてきた日本国憲法が、長い一強政権によってなし崩しに骨抜きにされ、専守首防衛という国是が変えられようとしていることです。さらに科学技術の革新により電子機器などの普及が進んで、一見、豊かで便利な社会生活が得られているように思われながら、その実、貧富の差はますます日広がり、不全感や焦燥感からさまざまな社会現象が引き起こされています。行き詰まった事態から新たな局面を求めて雪崩を打つように戦争に入っていったかの日々の轍を踏むことのないように願うばかりです。(中略)

 書名とした「非在の星」は、

  冬の夜にまたたく星よ光年の昔に死にて非在の星よ

という一首からとりました。いま自分が目にしている輝きはとっくの昔に死んで消えてしまった星たち。広大な宇宙から見ればほんのちっぽけな星である地球に右往左往している自分の卑小さ、愚かさを思いつつ、それでも生きていることのかすかな証明としてこれから歌を作っていきたいと思っているのです。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの歌を挙げておこう。花粉症気味の愚生の眼の付近のかぶれはブタクサ由来かもと、眼科医に言われたので、まずは‥‥、


 代物弁済の地に伸び放題のブタクサの花粉公害弁済されず

 教育勅語の埃はらいて唱えさす学校あれば通わす親あり

 こんな土食えるかともいわず線量の高き畑にまだいるミミズ

 いまどこにいますかわたしを見てますか一日ちがいの母と姉の忌

 書棚には死者の書きたる本ばかり県立図書館の窓は秋いろ

 「雨の降る品川駅」を発ちゆきし辛よ李よいかなる生を遂げしや

 天使突抜(てんしつきぬけ)という字(あざ)あれば悪王子、元悪王子あり京都を歩く

 面相をあげつらう気はなけれども人の品位は口元にでる

 老若貴賤を選ばずというウイルスの平等精神悪くはないが

 「聲」のなかに「耳」ありわたくしの声は届くか遠いあなたに

 あのひともかの友も等しく耐えている酷暑、土砂降り、悪疫、悪政

 スペイン風邪にて死にたる知性感受性シーレも槐多もアポリネールも

 コップ一杯の水にて何日生きられる薄いいのちをひらく朝顔

 またたく間にひと生(よ)は終りに近くなり百骸九竅すこしずつ病む

 妻を抱き子に頬寄せながら侵略の計を練りしや露国の魁(かい)


 久々湊盈子(くくみなと・えいこ) 1945年、上海租界生まれ。



★閑話休題・・久々湊盈子「どんな戦も過去になりゆくすこしずつ美化され均されぼかされながら」(「合歓」第102号より)・・


 「合歓」第102号(合歓の会)の定番である久々湊盈子によるインタビューは、「渡辺幸一さんに聞く—長年イギリスに住んで思うこと」である。その終わり近くに、


渡辺 英語で短歌を書き発表もしましたが、ある時からネイティブ・スピーカーでない私たちが英語で短歌を書くというのはたいへん難しいことだと気が付きました。つまり、短歌的な語彙が英語にないことと音節の問題です。外国語と日本語では音節の長さがちがう。これは言語感覚ですからしょうがないんですが、日本人が短歌を作ると短くなるんです。(中略)

渡辺 「世界樹」の短歌は日本語です。それとは別にフランス語や英語で短歌を作っている人はいます。短歌という形式で詩をかくということは哲学的な深遠な何かが表現できるというので、魅力を感じ興味を持たれるのです。HAIKUという言葉はもう一般に使われていますが、短歌はまだそこまで行っていません。


 とあった。ここでは、インタビューのなかで引用されている短歌を三首挙げておこう。


 やみ難き思ひのあれば欧州を発ちてはるけき沖縄に来つ    渡辺幸一

 望郷の心年々薄らぎぬ秘密保護法以後の日本に       

 野に立ちて風に抗いはためける襤褸のごとく生きたし



     撮影・中西ひろ美「沼太郎ニセの柿とは知らざりき」↑

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