藤田るりこ「銀杏の実臭し我生かされてをり」(『青葡萄』)・・


  藤田るりこ第一句集『青葡萄』(ふらんす堂)、序は藤田直子、跋は黒澤麻生子。序には、


 (前略)ショールしてカフェからカフェへ旅めくよ

     人類史に残らぬひと日ピクニック

     近況報告虹の写真を送り合ひ

 自粛期間中に詠まれた句である。コロナ禍の日々もるりこさんは明るく前向きに暮らし、同僚や友人や家族うぃ勇気づけていた。コロナ禍以前も弱い立場の人へ常にあたたかい眼差しを向けていたるりこさんらしい態度で、私も大いに励まされた。


 とあり、跋には、


 (前略)ティンパ二に頬寄す冬を告ぐる前

     終はりとは始まりであり絵双六

 るりこさんにとって俳句とは、現時点では多くの趣味のひとつかもしれない。それでもこれだけ伸びやかに「まぎれもない己のある句」を詠むるりこさんの底知れぬ可能性を私は信じて疑わない。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


(前略)修道女に還る墓あり青葡萄

    トランクを食卓にして青葡萄

 句集名の「青葡萄」はこの二句から取りました。一句目は「秋麗」の句友とともに中村草田男先生のお墓にお参りした際、カトリックの墓地の一角に修道女のためのお墓があることを知って詠みました。私自身は特定の信仰を持ってはいませんが、キリスト教主義の学校で育ちました。葡萄といえば、ヨハネによる福音書の一節「わたしはぶどうの木。あなたがたはその枝である」を思い起します。人は誰しも大きな一本の葡萄の木のなかの一枝であり、すべての人は(信仰という幹を通じて)互いに繋がっているのだ、という意味だと捉えています。


 ともあった。ともあれ、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。


  黒揚羽被曝の蜜を吸うてをり        るりこ

  赤き酒舐め蝙蝠を友とせむ

  畝ごとに葉を違へたり村の秋

  春ゆふべ縷縷縷と動く掃除ロボ

  一年の臍の八月十五日

  あきつ群る被爆の民の入りし川

  海硝子(シーグラス)拾ふひるがほ閉づるまで

  時の日の空に巨星を探しをり

  剥がさるる大看板や梅雨の蝶

  初声の長きを七つ数へけり

  

 藤田るりこ(ふじた・るりこ) 1974年、東京都生まれ。



           鈴木純一「鬼灯を鳴らすや嘘は美しく」↑

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