寺田伸一「春の暮ひとりになるから数えない」(『ぽつんと宇宙』)・・

  


 寺田伸一句集『ぽつんと宇宙』(朔出版)、序は坪内稔典「スナフキンの帽子」、栞文の一句鑑賞は川島由紀子、小枝恵美子、谷さやん、千坂希妙、芳賀博子、長谷川博、星野早苗、三宅やよい。扉に、献辞「母へー山粧う紅一点が母なのだ」がある。この献辞の句について、著者「あとがき」に、


    山粧う紅一点が母なのだ

 八十代半ばにありながらいろんな人に慕われて、どんな集まりでもその人間群の中核に位置してしまう母はつくづく「女傑」だと思う。女友達も星の数ほどいるけれど、「紅一点」が誰よりも似合うのが母なのだ。この句は、バカボンの口ぶりを借りた、精一杯の「母親讃句」なのだ。


 とあり、また、他にも、


   冬薔薇無常ということあたたかく

 百歳を超えて、亡くなる寸前までブティックの店頭に立ち続けた大叔母が僕は大好きだった。だから、彼女の死を知った時、どうしても俳句を詠まなければと思った。彼女の死を惜しむ時、あたたかい気持ちしか溢れてこない。この「冬薔薇」は僕から大叔母への「百万本のバラ」である。

  「リハビリ」が春の季語めく昭和町

 高校を卒業する頃、事故で脳を損傷し、障害者となった。杖をつき、友の背中を負いながら、かつては「反差別」なるものに人生を捧げようとしたこともあったが、それはもう懐かしい過去である。人間関係に恵まれたこともあって、今は週に一度、大阪・昭和町の病院に通うリハビリが楽しい。リハビリが〈春の季語めく〉訳だ。


 とある。集名ともなった句に、坪内稔典は、


 「春の蚊のぽつんと宇宙物語」はこの句集の題目になった作品だが、早く出てきてまだ仲間がおらず、ぽつんと孤独な蚊がおかしい。しかも、その蚊が宇宙の物語を語る風情なのだ。小さな蚊と巨大な宇宙との齟齬というか対照もまたおかしい。春の蚊が宇宙物語そのもの、という読みも可能だが、蚊が宇宙を背負っていると思うと、また切なくおかしい。もちろん、この句でも、蚊と宇宙は混交していて互いに判然としない。蚊が宇宙、宇宙が蚊なのだ。(中略)

 伸一は高校を卒業する直前にサッカーの試合で脳を損傷、重い障害を負った。大学に進学したものの勉強についてゆいけずに退学したらしい。彼の話では母親に強く支えられてきたようだが、なんだか妙に明るい。ゆっくりとしか歩けないが、そのゆっくりが明るいのだ。彼と出会った当初、私はその明るさに戸惑った。だが、すぐに分かった。僕は僕、君は君を貫いて、そのお互いの歩幅でこの世(宇宙)に触れればよい、と。私たちは宇宙的存在、その広い世界で僕と君である。


 と記している。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  春一番又三郎よマタサボロウ       伸一

  たぶん皆ボクが好きやろ雪柳

  大宇宙お寿司は廻る四月馬鹿

  七つ八つ絵になる心こどもの日

  世の暦忌日に溢れ虎が雨

  「走れ」って俺には言うな桜桃忌

  吾の顔に探す父母祭笛

  読むほどに童話はかなし夕端居

  海の日の未遂に終る我が謀反

  秋の虹あなたにこの世のありったけ

  名句駄句絶句よろめく子規忌ぞな

  人道という迷路あり秋の宵

  侘助や恋と俳句は下手がいい


 寺田伸一(てらだ・しんいち) 1962年、大阪生まれ。



       撮影・鈴木純一「淡雪や死者は故郷を思いだし」↑

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