安井浩司「牛はこべ夢に老児を抱き起す」(「相子智恵の俳句の窓から」より)・・

 

 東京新聞(2月25日)夕刊の俳句時評「相子智恵の俳句の窓から」の見出しは「時代の証言」、その冒頭には、


 〈「兜太は俳人だ」と言うか、「兜太は人間だ」と言うか、迷っていました。特に晩年は、俳人であること以上に、人間であることを積極的に選んだという印象です〉と二〇一八年に没した俳人、金子兜太を語るのは若手俳人の神野(こうの)紗希。


とあり、そして、


 「最後の前衛俳人」と呼ばれた孤高の俳人、安井浩司もまた、昨年鬼籍に入った。(中略)『読本Ⅰ』は安井本人による評論やインタビュー、往復書簡を網羅。『読本Ⅱ』は過去の有名な安井論から、本書のために多くの若手俳人が書き下ろした一句鑑賞までを収録。作家研究の基礎となる緻密な読本で、俳句史から安井を消してなるものかという編集委員の凄絶(すさ)まじい熱量を感じる。(中略)

 安井の句は難解だと言われるが、〈今という時代は(中略)芸術に対する概念というものが、俳句が一歩先行する形で壊れ始めて来ているんじゃないか〉と、安井は二〇一四年のインタビューで、遊戯的な今の俳句を憂えた。まさに俳句の哲人だった。

 俳句だけが遺(のこ)ればよい、という考え方もある一方で、ある俳人を直接知る人々には、肉声を書き残す使命があるのではないか、とも思う。それは一人の俳人を超えた、時代の貴重な証言なのだ。肉声をきっかけに、後世の者が俳句に出会う、そんな入口があってもいい。


 と記されていた。



 ★閑話休題・・神野紗希「母乳ってたんぽぽの色雲は春」(『もう泣かない電気毛布は裏切らない』より)・・


 神野紗希つながりで神野紗希著『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(文春文庫)、2019年、日本経済新聞出版社から単行本で刊行されたものの文庫版である。表4カバーの惹句には、


 「恋の代わりにに一句を得たあのとき、私は俳句という蔦に絡めとられた」。正岡子規を輩出した愛媛松山で生まれた少女は16歳で運命的に俳句に出会う。恋愛、結婚、出産、子育てーー。ささやかな日々から人生の節目までを詠んできた俳句甲子園世代の旗手が、俳句と生きる光を見つめ、17音の豊穣な世界を案内するエッセイ集。


とある。ともあれ、本書より、紗希俳句のいくつかを挙げておこう。


  ここもまた誰かの故郷氷水       紗希

  消えてゆく二歳の記憶風光る

  頑張ってみるけど今日は猫じゃらし

  檸檬切る記憶の輪郭はひかり

  負けてもいいよ私が蜜柑むいてあげる

  食べて寝ていつか死ぬ象冬青空

  短めが好きマフラーも言の葉も

  光る水か濡れた光か燕(つばくろ)

  産み終えて涼しい切り株の気持ち

  日記買いワイン買い子のおむつ買う

  太陽がぎんいろに光る冬のはじめに


 神野紗希(こうの・さき) 1983年、愛媛県松山市生れ。



         芽夢野うのき「白梅の枝は十字を切りうつつ」↑

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