金子兜太「白梅や老子無心の旅に住む」(『兜太を語るー海程15人と共に』より)・・


 聞き手・編著者 董振華『 兜太を語るー海程15人と共に』(コールサック社)、筑紫磐井の帯文には、


 金子兜太は戦後俳句のブルドーザーである。

 兜太により日本の風景は一新した。

 ーそんな修羅の現場を、同行した15人が懐かしく語る。


 とある。董振華・前別著『語りたい兜太 伝えたい兜太ー13人の証言』(コールサック社)は、多くの語り手が、兜太主宰誌「海程」以外の人たちであったが、本書は、ほぼ「海程」(後継誌「海原」)の方々で占められている。いわば、兜太と共に歩んだ内側の人々の証言である。董振華によるインタビューと、それぞれの方の兜太20句選と鑑賞文が付されている。名を挙げると、山中葛子・武田伸一・塩野谷仁・若森京子・伊藤淳子・堀之内長一・水野真由美・石川青狼・松本勇二・野﨑憲子・柳生正名・宮崎斗士・田中亜美・中内亮玄・岡崎万寿である。跋文は安西篤。その中に、


 董さんは金子兜太先生ご夫妻には、ことのほか愛され、中国の孫とまで呼ばれた人である。そういう人の仕事に協力するのは、先生ご夫妻の遺志にもかなうことと思い、お引き受けすることにした。(中略)

 さて、そのような兜太は、没後五年、歴史にどのような存在として、記憶されるであろうか。(中略)

 第一に、戦後から現代俳句への俳句の時代の流れを作り出し、新しい時代の方向性をおのれの精神のダイナミックな成長の中で具体化してきた存在者であること。(中略)

 第二に、森羅万象を「生きもの感覚」で受けとめ、自由に、主体的に表現することで、花鳥諷詠を超える方向性を示し、その方法を造型と即興によって定立してきた。

 第三に、生きものすべてのいのちは、輪廻して他界に生き、不滅であるという死生観に立って、その生のある限り時代における生き方を、おのれの生きざまによって示し、時代の展望を照らし出す語り部の役割を担い続けた。


 とあった。また、書中、とくに印象深かったのは、水野真由美が語った部分で、


 (前略)ある時、経営者たちのモーニングセミナーみたいなところに呼ばれて、山頭火とか、金子兜太とか、いろんな俳人の作品について話しました。終ってから参加者の一人に「あんたは、ああゆうのが俳句だと思っているのか」って言われたんです。山頭火の自由律とか、金子兜太の無季作品とかが気に入らなかったんでしょう。「ええ、思っていますよ」と返事して、同時に「そうか、金子兜太はずっとこういう状況と向き合ってきたんだ」と感じました。(中略)だから「水脈句会」をやろうと決めたのも、どんなにちっちゃくても自由な句会を残したいからです。俳句は季語が絶対ではなく、また何をどう書いてもいい。俳句の本質は三句体の定型感と切れなんだという表現の場です。(中略)

 いま、柄でもないのにカルチャーの講師をやったり、いくつかの句会をやっているのも、「俳句はこうあるべし」という妙な通念を押し返していくためです。もちろん押し返すって、一回で済むことじゃなくて、ずっと続けなきゃならないと思います。


 とあって、愚生も同じような体験を何回かしている。世に流布されている誤謬に対して、何事も最初が肝心、初心の方々にどのような例句を示すかにかかっていると思う。つまり、世間では、言葉のゲームとして楽しくという俳句観、教科書的な刷り込み現象が支配しているからだ。とりわけ高齢者向けの生涯学習としての俳句講座が全国に設けられてきている。もっとも、これはTVプレバトの夏井いつき効果ともいうべきで、俳句の種が撒かれ、芽がいたるところに出てきている、というわけである。そのお陰でレッスンプロの俳人が各地に誕生してきてもいるだろう(慶賀)。そういう中で、水野真由美をカルチャーの先生として迎え、出会った生徒たちは幸せである。ともあれ、以下に、兜太のいくつかの句を挙げておこう。


  梅咲いて庭中に青鮫が来ている          兜太

  水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る

  人体冷えて東北白い花盛り

  涙なし蝶かんかんと触れ合いて

  暗黒や関東平野に火事一つ

  原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む

  湾曲し火傷し爆心地のマラソン

  海とどまりわれら流れてゆきしかな

  おおかみに蛍が一つ付いていた 

  津波あと老女生きてあり死なぬ

  河より掛け声さすらいの終るその日 


 董振華(とう・しんか)1972年、中国北京生まれ。



    撮影・中西ひろ美「キミとボク春のあらしを待つばかり」↑

コメント

  1. 私はフランス人であり、日本人ではありません。私はフランス人ですが、DeepLへのコメントをフランス語で書いているのは、金子兜太への賞賛の気持ちを日本語訳に反映させたいからです。

    少し前に、金子兜太の俳句について、彼に捧げるブログで私の気持ちを伝えました。残念ながら、そのブログは消えてしまい、今日になって気づいたのですが、残念です。

    私は金子兜太の作品をとても尊敬しています。フランスのサイトで彼の肖像画と彼の俳句がフランス語に翻訳されているのを見たとき、すぐに「この人は巨匠だ」と思いました。日本でこんなに評価されているとは、まだ知りませんでした。

    金子兜太の姿は、私のような若い詩人にとって、今は亡きフランスの偉大な詩人イヴ・ボンヌフォワの姿と同じくらい大切な存在です。

    私は、金子兜太にノーベル文学賞を受賞してほしかったと思う。俳句にとっても、詩にとっても、素晴らしい瞬間であったろう。

    俳句にとっても、詩全体にとっても、素晴らしい瞬間だっただろう!

    最後に、このような美しい詩を書き、私のささやかな俳句を3句紹介してくれた金子兜太に感謝したい。先にも述べたように、私は日本人ではありません。だから、私は私の文章を自動翻訳者に託し、その結果があなたを失望させないことを祈ります。もし、日本語に書き直した詩が何か不満が残るようであれば、英語でも書くつもりです。

    どうか、私の最も暖かく、最も詩的な挨拶を受け取ってください、

    シモン=ガブリエル・ボノ

    俳句を紹介します:


    長い空気の軌跡
    ウィンドウに焼き付けます
    眠っている家々の

    The long tail of the air
    Has caught fire in the windows
    Of the houses that were sleeping



    ポエム-は
    この小さな声の庭は
    すべてが静寂の中で歌う場所

    The poems -
    These small gardens of the voice
    Where everything sings in silence


    老人の杖-。
    アローン・バーティカル
    青く広がる広大な大地で

    The old man's cane -
    Alone vertical
    In the blue immensity



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  2. 丁寧なコメント有難うござしました。そして、貴方の俳句。シモン=ガブリエル・ボノ  様」

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