清水哲男「降る雪や妻の左右に娘あり」(清水哲男を偲ぶ会「Tetsuo Shimizu 1938-2022」より)・・
今日は、夕刻より、「清水哲男を偲ぶ会」、於:吉祥寺東急REIホテルに出かけた。昨年、3月7日に亡くなられたが、存命であれば、今日、15日で85歳の誕生日を迎えられるはずであった。
ブログタイトルにした「降る雪や妻の左右に娘あり」の句には、「長女 みぎわ」のエッセイが付されている。その中に、
(前略)私はいつも父の醸し出す何とも不思議な雰囲気に考えさせられていた気がします。そこに居るようで居ない、居ないようで居る、という存在感。でも決して薄過ぎて忘れてしまういというわけではなく、空気のようにあるいは水のように「そこに有る」というのが自然で、でもこちらの事はあまり構わないような、そんな人物だったと思います。
娘としてはもっと父親らしい父が良かった、と腹立たしかった事もありましたが、変わっている父を誇らしく思う気持ちも同時にあるのでした。(中略)
奇しくも父が亡くなる前日に父の古くからの友人が亡くなっていた事を後から知りました。きっと
「てっちゃん、ビール飲みに行こうよ」
と誘いに来て二人で飲みに行ってしまったのではないかと思っています。そうだったら寂しくなくていいな、と心の底から思います。
とあった。清水哲男は、愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説文を、今夜出席していた福島泰樹と一緒に書いていただている。その後、清水哲男がパーソナリティを務めていたFMモーニング東京の朝の番組に招かれことや、愚生が、弘栄堂書店吉祥寺店を定年退職後、文學の森「月刊俳句界」に勤め始める前日に、愚生を心配した清水哲男が、わざわざ吉祥寺ライオンに愚生を呼び出し、ビールを飲みながら、入社するにあたってのレクチャーをしていただいたこともある(書肆山田の鈴木一民も一緒だった)。
以下の詩は、パソコンに残された原稿・ファイル名「2021春」より。
誰が風を 見たでしょう
僕もあなたも 見やしない
けれど木の葉を 顫わせて
風は通りぬけてゆく
誰が風を 見たでしょう
あなたも僕も 見やしない
けれど樹立が 頭をさげて
風は通りすぎてゆく
(クリスティーナ・ロセッティ 訳西條八十)
それではこの風とともに、私も退場することにいたします。
皆様。お元気でますますのご健筆を。
さようなら。
また、くじ引きでは、めずらしく当たり、個人誌「BD」20(上掲写真)をいただいた。当たられた方々には、それぞれ別の号が当たっていたので、唯一無二の手作り雑誌をいただいたことになる。会場には100人以上来場されていたように思う。愚生は妻の介護やコロナ禍もあり、これまで長い間お会いしていなかった方々にも多く会うことができました。色々有難うございました。合掌。
ともあれ、句集『匙洗う人』(思潮社・1991年)、『打つや太鼓』(書肆山田・2003年)から、いくつかの句を挙げておきたい。
山笑う生活保護を受けている 『匙洗う人』
逆上がりまっさかさまの山口県
われら十二歳の夏にしあれば川鋭し
府警の若者我殴るとき亀鳴くとき
ラーメンに星降る夜の高円寺
詩人の忌春の嵐は木の根から
三鷹より風花を過ぎ阿佐谷へ
大晦日犬が犬の尾垂れている
金子兜太
丸腰の兜太が行くぞ福寿草
竹中宏 京大俳句会
草田男に正対したり金ボタン
長女みぎわドレスデンに留学
日が暮れて暮れ残りたる赤い靴
初蝶の抜けてタワーの真昼なり 『打つや太鼓』
捨て駒か飛車突き出され熱帯夜
青空やすっぴんの蛇穴を出る
武蔵野に自由民権キウイ咲く
ビールも俺も電球の影生きている
鬼の子の蓑も濡れますあんたの忌
天高し人は石垣人は餓鬼
年男たちくらみつつ笑いおる
追想・辻征夫
征夫忌や詩の如き雪なきにしもあらず
清水哲男(しみず・てつお)1938年~2022年。享年84.
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