齋藤愼爾「日の道を月そのあとを過客吾れ」(「ことごと句」創刊2号より)・・
「ことごと句」創刊2号(ことごと句会・東京事務局)、齋藤愼爾の追悼特集とでもいい内容である。巻頭エッセイは筑紫磐井「齋藤愼爾を語る」、巻末の追悼エッセイは金田一剛「青森の寺山、岩手の山寺」。筑紫磐井は、
(前略)私個人について言えば、「俳句四季」という雑誌で齋藤氏と続けていた「名句を読む」という企画がある。1年6回、座談会で直近で出版された句集を論評するものであり、齋藤氏と私が固定メンバー、2人のゲストを迎えて進めるもので、確か2019年に銀畑二氏(現在の金田一剛氏)を招いたこともある。この連載は、2010年9月から始まり2021年2月までつづいたが、最後のころには齋藤氏は聴覚がだいぶ落ちて補聴器でもうまく聞きとれないとこぼしていた。いずれにしても、10年間にわたり定期的に俳句を語り、酒食を一緒にした人は齋藤氏以外誰も居ない。(中略)
だから、美空ひばりも島倉千代子も脚光を浴びているときの、ちょっとずれたところに犯罪という真っ暗闇があるので、そういうのを齋藤さんは評伝の恰好を使って、いろいろ追い掛けられたのではないかと思っています。安保のような政治的な事件については誰でも書きますが、普通の犯罪史の中にも時代があるのではないかと思っています。だから齋藤さんの評伝が、普通の評伝とは違い魂に突き刺さってくるのは、そういうところがあるんじゃないかなと思っています。(中略)
ふざけたように受け取られるかもしれないが案外真面目である。「孤島のランボー」と自称した齋藤さんだが、齋藤さんが、そして深夜叢書社が生まれる時代相は、今は遠い記憶の霧の中に閉ざされてしまった草加次郎事件に現されているように思うのです。
とあった。また、金田一剛のエッセイの結び近くには、
初めてお会いする時、西葛西駅に向かいました。
待ち合わせ場所に関しての齋藤さんから忠告です。
「金田一君、駅から南口に出ると大きな木があって、その周りをベンチが囲ってあるんだけど、そこには絶対に座らないで。少し離れたところで待ってて…」
大きな緑陰と木のベンチ、待ち合わせには理想的じゃないですか?と思いましたが、その理由はすぐに分かりました。
椋鳥です。数千羽の椋鳥たちが大木に巣くっていました。あの耐えられない鳴き声と、空か降ってくる糞害です。
「金田一くん、俳句もあまり群れないほうがいいんだよね。だからって孤高の俳人というのも、何とも難しい位置に立っていりんだけどさ……」
愼爾さん、「齋藤愼爾の絶望名言」ですね。俳句の大切なことを学びました。
と記されていた。愚生は、本屋勤めの折、創業間もない深夜叢書社の齋藤愼爾として知り合い(その頃、月末になると借金取りから逃げまくっていたというのは、業界では有名な話だった)、その後はお会いすることもなく、昔、深夜叢書から刊行された句集は必ず買っていた。火渡周平、小宅容義、齋藤愼爾、堀井春一郎、八田木枯などである。彼の生活が安定するのは朝日グラフの俳句特集や朝日文庫などの、俳句にとって、じつに貴重な仕事をするようになってからだと思う。もちろん、再び俳人となられてからは、数えきれないほどお会いしているが、金田一剛のエッセイのように、西葛西の駅近くでご馳走になったこともある。それにしても、彼が亡くなる直前になったが、今年、現代俳句協会が現代俳句大賞を授賞したのは、じつに価値あるものだったと思う。
他に、本誌本号には、愚生のエッセイ「時のかけら」と10句。ともあれ、本誌より、以下に一人一句を挙げておこう。
囀りや地球の傾ぐ音もまた 渡邉樹音
天の川宇宙の銀座4丁目 江良純雄
やまびこのオーイの声で消える虹 杦森松一
ひとの情けの雪片をあたためる 照井三余
まんじゅしゃげ一つの旗は燃えやすい 武藤 幹
春ショール曲者らしく女らしく らふ亜沙弥
引き金に重なる影の指数多(あまた) 渡辺信子
天台寺 寂聴庵
在りしひと片側減りし草箒 金田一剛
白雲のなか白雷の去来せり 大井恒行
不知火のひかり凪たる三千大世界(みちおほち) 齋藤愼爾
撮影・中西ひろ美「蕗の葉に日々彼是と穴増えて」↑
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