夏礼子「コスモスや風にゆられておじぎする」(「戛戛」第154号より)・・
「戛戛」第154号(詭檄時代社)、その「あとがき」に、
(前略)巻頭は、夏礼子の俳句の始まりの頃を書いたエッセー(愚生注:題は「福寿草」)である。「香天」から転載した。共鳴するように私も書かせてもらおう。
私の作文挑戦の始まりは、中学からの親友田井義信から、夏とおなじように五年生の時にかいた学芸祭金賞という「彼岸花枯れるのもあり土手の道」を聞かされ、中学校誌掲載を目指して誌や短歌や俳句を書き始めたのが最初だろう。それというのも、
小学校の頃から本を読むのが好きで、そこからコピーやコラージュでしかないような、それも誰に見せるでない物語をちょこちょこ作って書いたノートが残っている。(中略)
扨―今回の「もう一度……」だが、後悔の日々をやり直そうと“もう一度“と思っても“もう一度“はない。後悔しないように生きるのが最善で、
しかし、“もう一度“と思い、願い、祈る心があれば救われるように思った。
とあった。ともあれ、短編の「もう一度……」の最初と、結びの部分のみだが、紹介させていただく。小品ながら、なかなか泣かせる。
佳奈はぽっかりと目覚めてしまった。風が騒いでいる。裏山が騒いでいる。
木々が揺れ山が軋み……、耳を欹てると闇の中の風が研ぎ澄まされてゆく。やがて、音そのものが混沌となり母の静寂が襲ってくる。
「こんなに早く逝ってしまうなんて。もう少し、やさしく、してあげていればよかった」
今までもそうだった……、混乱していた。違うのは不安になるより後悔が出てきた。思わず隣をさぐる。隣には夫の裕二がいびきもなく眠りこけていた。すやすや眠っている子供のベッドの中の美優に視線を移した。何でもない安堵と安心を言い聞かせている不思議を思い……、そして、身動きでもして夫を起こしてはと。佳奈は暫く天井を見つめた。(中略)
台所の硝子越しの、その空の爽やかな風のような裕二の声である。
――それに、……と、裕二は言った。佳奈が一生懸命大切に生きているからこそ悩んだり苦しんだりできるんだ。そんな真剣な佳奈がぼくは好きだよ。
夫裕二のそんなやさしさが身に沁みて佳奈はこの人と結婚できてよかったと思った。
「ぼくにもわかるんだけどなぁ、佳奈は佳奈でいいんだと思う。一人でそんなに頑張らなくてもさ、半分は、ぼくもいるんだからさぁ」
佳奈は目頭を覆った。膝の美優が佳奈の小指を握って手のひらを払うとのぞきこんでくる。小指を握られたまま、美優のにっこりに佳奈は……。
父直久の後ろで、仏間の遺影の母が少し緊張した嬉しそうな顔を見せている。
撮影・鈴木純一「指を刺す茄子のヘタも喜ばし」↑
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