小川双々子「風や えりえり らま さばくたに 菫」(『小川双々子100句』より)・・


  武馬久仁裕編著『小川双々子100句』(黎明書房)、帯の惹句に、


 現代俳句の高峰、小川双々子の世界の深奥に迫る名句100句を、気鋭の俳人たちが鑑賞!


 とある。その執筆陣は、赤石忍、赤野四羽、川島由紀子、かわばたけんぢ、田中信克、千葉みずほ、なつはづき、二村典子、武馬久仁裕、星野早苗、松永みよこ、村山恭子、山科誠、山本真也、横山香代子、芳野ヒロユキ。100句鑑賞のほかに、巻尾に、武馬久仁裕による解説「小川双々子と二人の師」、「小川双々子の俳句と言葉―『風や えりえり らま さばくたに 菫』」、「小川双々子略年譜」が収載されている。その【補注】「『えりえり らま さばくたに』の聖書の表記について」に、


 (前略)『舊訳聖書』のように「マルコ伝」では、エロイ、エロイ、ラマ サバクタニ」と「ラマ」になっている聖書もありますから、坂戸はその可能性を感じ取ったのかもしれません。(中略)

 「マタイ伝」は〈エリ、エリ、ㇾ(・)マ、サバクタニ〉であり、双々子は〈えり えり 

(・)ま さばくたに〉とする。言うならばテキストの改変である。ここに私は、双々子の音韻上の深い配慮を見ないわけにはゆかない。(中略)

 魅力的な説です。(中略)

 昨年(二〇二二年)の八月、山﨑百花さんからお手紙をいただき、「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」となっている日本語訳聖書の存在を教えていただきました。同封されていたコピーは文語訳の岩波文庫の『マタイ伝』の箇所でした。(中略)次の聖書です。

 公教宣教師ラゲ訳『我主イエズキリストの新約聖書』東京大司教出版認可。公教会発行、明治四十三年七月二日発行」公教とは、カトリックのことです。

 問題の箇所はこう訳されていました。

   三時頃、イエズゝ、声高く呼はりて曰ひけるは、エリ、エリ、ラマ、サバクタニ、と。是即、我神よ、我神よ、何ぞ我を棄て給ひしや、の義なり。(マテオ聖福音書第二十七章四六)(中略)

 ラゲ訳は戦後も中央出版社から出版されていましたので、カトリックの信者である双々子は、ラゲ訳に拠っていた可能性が大です。


 とあった。それぞれの一句鑑賞に触れることはできなかったが、それは読者の方々に直接当たられるようお願いしよう。ここでは、双々子の句のみなるがいくつか挙げておきたい。


  わが生ひたちのくらきところに寒卵      双々子

  月明の甘藍畑に詩は棄つべし

  沈丁の香の構造のなか通る

  かぜはかきつばたはとはせづかひはぐれ

  この良夜つくゑに死後のつばさを置く

  くちなはのゆきかへりはしだてを曇りて

  鮒を一枚呉れと父は立つてゐたか

  雪の電線今カラデモ遅クハナイ

  枯草をくるりくるりとわらひける

  たかやまのひくやまのひだわれもかう

  冬の雨突然チェルノブイリかな

  蠅叩き金輪際を打ちにけり

  雪を来る美しきことはじめんと

  はるかいま幻爆ドーム風花して

  ナジェジャン(希望) ナジェジャン(希望) 曼殊沙華連ね

     (ロシア語・ジョルジュ・ムスタキうたう)

 

 小川双々子(おがわ・そうそうし) 1922年9月13日~2006年1月17日、享年83。岐阜県池田町生まれ。生後まもなく、愛知県一宮市に移る。



       撮影・中西ひろ美「葛山の向こうも山や竜田姫」↑

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