大野林火「黒揚羽ぎんどろの葉に狂ひ飛び」(『大野林火ー俳句鑑賞ノートー』)・・
太田土男『大野林火ー俳句鑑賞ノートー』(私家版)、著者「あとがき」に、
大野林火先生が亡くなって、はや四十年が過ぎた。教えを頂いたのは二十数年に過ぎないが、林火先生に思い切り体当たりしたぬくもりは消えることがない。そこで先生の百十句を鑑賞した。私の「俳句鑑賞ノート」である。
とあった。また、巻末には、「大野林火のみちのく」と「俳句の場」(講演録)が収載されている。その「大野林火とみちのく」の中に、
(前略)林火は昭和二十八年から三十一年まで角川書店「俳句」の編集長を務めている。この折、社会性の吟味を一つのテーマに取り組んだことはよく知られている。そんな中で能村登四郎の「合掌部落」、沢木欣一の「塩田」などを世に送り出し、これが風土への視座を喚起する契機になったのである。
暁紅に露の藁屋根合掌す 能村登四郎
塩田に百日筋目つけ通し 沢木欣一
と記している。ブログタイトルにした句「黒揚羽ぎんどろの葉に狂ひ飛び」(『方円集』昭和51年)には、次の鑑賞が付されている。
俳人協会盛岡支部の花巻での吟行会に参じた折の作品である。宮沢賢治の羅須地人協会跡に「雨ニモ負ケズ」の詩碑があり、この近くにギンドロの木はある。ギンドロは賢治の好んだ木といわれている。ウラジロハコヤナギがその名である。ドロノキに似ていて葉の裏が白く、従って銀色に光って見える。賢治は「白楊」を当てている。「春と修羅」の小岩井農場の件には「そこには四本の巨きな白楊がかがやかに日を分割し…」とある。折しも、一羽の黒揚羽が飛び来たって激しい舞いを見せる。黒と銀がもつれて印象が鮮やかである。
とある。ともあれ、本書中より、林火の句をいくつか挙げておこう。
鳴き鳴きて囮(おとり)は霧につつまれし 「海門」(大正14)
あをあをと空を残して蝶別れ 「早桃」(昭和16)
ねむりても旅の花火の胸にひらく 「冬雁」(昭和22)
雁や市電待つにも人跼み 〃
寒林の一樹といへど重ならず 「青水輪」(昭和25)
昏くおどろや雪は何尺積めば足る 「白幡南町」(昭和31)
花ほつほつ夢見のさくらしだれけり 「雪華」(昭和40)
蟇歩くさみしきときはさみしと言へ 「潺潺集」(昭和43)
麨(はつたい)や妻をこよなき友として 「飛花集」(昭和48)
夕焼川あはれ尽くして流れけり 「方円集」(昭和52)
萩明り師のふところにゐるごとし 「月魄集」(昭和57)
太田土男(おおた・つちお) 1937年、川崎生まれ。
芽夢野うのき「鬣の直立なれば痛し青葉」↑
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