西村麒麟「春焚火そこらの草や枝を投げ」(「麒麟」創刊号)・・

 

「麒麟」創刊号(麒麟俳句会)、題字は高橋睦郎「雪野行き麒麟を獲んか草萌えよ」から。序句は長谷川櫂「やはらかに草原に立つ子鹿かな」。創刊の辞ともいうべき西村麒麟「美しき夢」には、


 一、俳句は文学である。

  俳句が詩歌であり、文学であることを忘れない。(中略)

 二、俳句は平等である。

  俳句や句会に性別や年齢、社会的な地位などは持ち込まない。(中略)

 三、俳句は自在である。

  僕の俳句は有季定型であるし、どの句もよくわかるように作ってある。しかし、「麒麟」の仲間はどんな句を投句してきても良い。詩の方向を僕が定めることは出来ない。無季だろうが破調だろうが、渾身の句を見せて欲しい。ただし、どの句を選ぶかは僕に任せてほしい。(中略)

 僕の俳句を学んで作風を似せてもかまわない、また似ていなくてもかまわない。どうかひたすら良い句を作って僕を追い詰めて欲しい。僕もまた全力で応えてみせる。俳句の上では大人しくなくてかまわない、僕もそうするつもりは毛頭ない。


 とある。そして、「『麒麟たちへ(一)』選句」の結びには、


 俳句に才能やセンスというものがあるなら、実は投句よりもその選句に強く現れます。これは今までの経験上断言してもいいですが、選句の良い方は必ず伸びます。

 僕は誰がどの句を選んだかを全て聞いています。出来るだけ顔色を変えないように努めていますが、選句を聞きながら、なかなかやるな、まだこのタイプの句に飛びついてしまうのか、等と楽しんでいます。

 最後に主宰をやって一番愉快な瞬間をお伝えしたいと思います。誰も選ばなかった句をズバッと特選に出来た時、その句を拾えて良かったと安心すると同時に実に気持ちが良い。

 選句は重要であると同時に楽しい行為なのです。


 とあった。その他、論考には、久留島元「関西俳人の系譜(一)」、中西亮太「『麒麟』の本棚」、木村定生「俳句のほとり(一)」、斉藤志歩「石田波郷を読む(一)」、飯田冬眞「中村草田男を読む(一)」、関津祐花「橋本多佳子を辿る(一)」、瀬見悠「波多野爽波『舗道の花』を読む(一)」、秋月祐一「俳人のための塚本邦雄入門(一」」、榊原遠馬「葛原妙子を読む(一)」等。ともあれ、以下に本誌の主宰選の天地人の一句を挙げておこう。


  ひとしきり鰤の旨さを言ひにけり       斎藤志歩

  凍滝の横顔シモネッタのやう         関口杏月

  好きな虫集めてゐれば大朝寝         平野晧大



★閑話休題・・諏訪敦「逃げ水のように対象は遠ざかり、絵画は動き続ける/私は視るという知覚の拡張を試みる」(『眼窩裏の火事』より)・・







 諏訪敦『眼窩裏(がんかうら)の火事』(美術出版社)、鎌田亨「みること・みえること・あらわすこと――諏訪敦論」の結びに、


「絵画は死んだ」という言説は、これまで幾度となく繰り返されてきた・写真をはじめとする新たな視覚メディアが発明されたとき、レディメイドやコンセプチュアル・アートといった美術概念が登場したとき、そして諏訪の大学時代にもそれはあった。逆風のなかで彼は、油彩という伝統的な技法を修得し、写実を根幹に据えた西洋絵画の歴史や造型哲学を学び直し、現代にあってはなお絵画を続ける意味を模索してきた。その軌跡のなかから諏訪が導き出したものが、視覚の拡張という制作コンセプトであり、重層性や物質性といった油彩画の特質を駆使した作画スタイルということになる。

「見ること」から「視えたもの」へ、さらにそれを「現し・表す」ことへ。諏訪敦の制作はこの3つの事象を循環しながら、その先へと向かっていく。視覚の問い直し、絵画の可能性を探り続けるのである。

 

 とあった。他の論考は、山本聡美「《HARBIN 1945 WINTER》―戦争の美術と文学」、渡辺晋輔+諏訪敦「静物画を巡る対話」、鈴木理策「写真的な眼差し」、小池寿子「視ることの奇跡」など。諏訪敦「所感『眼窩裏(がんかうら)の火事』について」の冒頭と結びに、


 ある条件が整うと、私には他者との断絶を実感する時間が訪れる。目を酷使したときや、トリガーになるような飲食をしたとき。あるいは急に眩しいものを見たときなど、視界の一部が溶けるような盲点が現れるのだ。それは閃輝暗点(せんきあんてん)という脳に関係する症状だ。(中略)

 美という感想を私たちにもたらしているのは、眉間の奥に位置する内側眼窩前頭皮質という部位であるらしい。それは被験者がある表象を見て「美しい」と感じると、この部位の活動強度が高まることで確かめられたのだという。つまり「美」は対象にあるのではなく、私たちの内部に機能として実装されているものだったというわけだ。「美」は芸術の価値を担保するものではないが、私にとっては重要なことだ。閃輝暗点は私の視界に火事となったような歪みをもたらすが、眼窩の裏側……眉間の奥にあるという部位を刺激したのではなかったか。


 とあった。 諏訪敦(すわ・あつし) 1967年、北海道生まれ。



       撮影・中西ひろ美「美しき○と□の無季でした」↑

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