黒田杏子「原発の國のさみしき夏の果」(『八月』)・・



  黒田杏子第7句集『八月』(角川書店)、夫君・黒田勝雄の便り中に、


 (前略)妻は、本書を誕生日の八月十日に出版しようと準備を始めていましたが、三月十三日に旅先で急逝いたしました。

 そこで編集を髙田正子様にお願いしました。

 至難の日程と思われましたが、藍生俳句会有志の皆様のご尽力で、希望がかなえられました。


 とあった。愚生が、勝雄・杏子のお二人お揃いで、直接お会いしたのは、忘れもしない現代俳句協会70周年記念祝賀会が行われた帝國ホテル地下での喫茶店であった。短い時間だったが歓談し、お茶をご馳走になった。愚生はといえば、昼間に行われた記念のシンポジウムには参加したものの、夕刻からの祝賀会は遠慮した。従って、金子兜太のおおやけの場での最後の姿はみていない。

 また、「編者あとがき/先生の最終句集ができるまで」には、


(前略)生前の師から、句集について直接耳にしていた事柄もあります。

   収める句数は四百句未満

   タイトルは『八月』

 新型コロナ禍に突入する前に、「これまで五百句、六百句とかなり分厚いものを作ってきたけれど、次は三百数十句に絞って、普通の厚さの句集にしようと思う」と伺いました。そして今年になってから「次の句集のタイトルは『八月』に決めたわ」と。いずれも電話でのお話でしたが、あのときには声も弾み、熟慮の末であることが感じられました。(中略)

 句集は二章仕立てとし、第Ⅰ章には、主に「藍生」誌の主宰詠の作品を、第Ⅱ章には「俳句」誌特別作品を抜粋して収めました。第Ⅰ章は「俳壇」誌掲載の「俳句日記」と「俳句」新年号の数句を含みます。また第Ⅱ章は「俳句」誌掲載時のタイトルを生かしました。


 と記されていた。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておこう。


  邯鄲は母鉦叩それは父           杏子

    六月二十一日 信州岩波講座まつもと 兜太・杏子公開対談

  一行の詩の無盡蔵梅雨の月

    収穫 杉山久子句集

  とほき世の杳き泉をひとり聴き

    八月十日

  染めしことなきこの喜寿の髪あらふ

    日野原先生より百四歳の記念句集を賜る

  一〇月四日一〇四歳の一〇四句

  はるかよりきし花びらをかの世へと

    句集『陸沈』のひとに

  冬麗のかなし齋藤愼爾また

    七月三十一日

  山百合忌美智子忌皇后ご着席

  一遍忌即ち兜太百年祭

  どの花の木と申さねど花を待つ

  その日まで生きよと螢なだれけり

  あさがほや六十年をふたり棲み

  夢の中でも麦踏んで疎開の子

  終戦日往還に出て疎開の子

  山百合の風銀色の柩かな

  一ツ火のおほむらさきのいろの闇

    『証言・昭和の俳句』増補新装版を終戦日に刊行

  モダンガール桂信子の終戦日

  証言者十三名の終戦日

  雛の間のありしやさしき兄ありし

    首都東京は

  三月十日炎ゆる人炎ゆる雛


 黒田杏子(くろだ・ももこ) 1938年8月10日~2023年3月13日、東京生まれ。


 

★閑話休題・・雨宮拓・平松カオル・アカノシバヒト・鈴木和哉「tilts」(於:Art×Jazz M’s)・・




 昨夜は、となり町の国分寺で(近かったので)、先日、26日の「小暮沙優 原爆句集『広島』を歌う」で会った俳人・赤野四羽ことアカノシバヒト(サックス・尺八)のジャズライブがあるというので出かけた。近所だと、出かけても気が楽である。楽しい時間はあっと言う間に過ぎたが、夜10時前には帰宅していた。



     撮影・鈴木純一「アキアカネここらの空はオレの空」↑

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