打田峨者ん「夏蝶に翳る中庭 聖戦館」(「つぐみ」No,212)・・

 

「つぐみ」No.212(俳句集団つぐみ)、俳句交流は、叶裕(里俳句会・塵風・屍派)、添えられている小文には、


「いつも自分のこころの在り方に深く内省の眼を向ける人でなければ、第三の眼は生まれてこない、涙で両眼を泣きつぶすような人に、第三の眼は開ける。」(山口草堂『春日丘雑記』)なんとエモく真摯な言葉だろう。不定形な「こころ」を見つめ続ける事の困難さ、そしてその先に示現する一種異様な「第三の眼」。多分にオカルティックではあるが、俳人草堂の俳句に対する姿勢が窺える一節である。


 とあった。書き下ろし評論には、外山一機「渡辺美鳥女ー台湾の女性俳人ー」。その結びに、


  (前略)一日歩行叶ひし夢を見る而して醒むれば起つ術もなき不治の身なり

  これやこの我即身に夜着かくる

 この句は「これやこの」ーすなわちありのままの自らの肉体にいまさらながら驚いているような書き出しから始まる。夢のなかでは二〇歳の頃のように自由に歩くことができた身体だったのに、目覚めるといつもこのように身動きのとれない身体である。しかし、そのことに絶望するのではなく、少し離れたところから「これやこの」と言ってみせるところに美鳥女の強さがある。そして、夜着をかけるというふるまいには、病気を負ったありのままの自身の身体への切ないいたわりがある。

 この句を詠んだ翌年、一九三八年(昭和一三)に美鳥女は亡くなっている。五三歳であった。


 とある。ともあれ、以下に、一人一句を挙げておきたい。


  短夜のジャケット肩掛けにしてホスト       叶 裕

  変電所バス停に変電所なし鳥曇り       つはこ江津

  黒南風や隣に届く宅急便           夏目るんり

  友迎ふ日なり全開ハイビスカス         西野洋司

  アガパンサス花開くまで通う川        ののいさむ

  ふたりして自撮りして花デイゴ         蓮沼明子

  花樗雲の上にも昼がきて            平田 薫

  夏うぐいす思わず返す口笛           八田堀京

  そろそろ寝ます笹百合たっぷり並べましょ   らふ亜沙弥

  記憶よりみなちいさくて南風(みなみ)吹く   渡辺テル

  白タンポポ風の行方を聞いてみる       わたなべ柊

  いつしかに 食虫植物に なる 雨後      渡 七八

  粉薬錠剤カプセル鉄砲百合           有田莉多

  河原灼く陽を辿りきて畜生塚          井上広美

  虹月(プライドマンス)過ぎて訃報は波のごと  入江 優

  戻り梅雨 岸信介が『伝』未完        打田峨者ん

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  サマーセール日本を切り売りします       津野丘陽

  


      芽夢野うのき「珊瑚樹の実がなる鳥はどこへまでも鳥」↑

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