久保田万太郎「ボヘミヤンネクタイ若葉さわやかに」(『荷風追想』より)・・
多田蔵人編『荷風追想』(岩波書店)、書名の通り、簡単に言うと,永井荷風(明治12~昭和34年)に関する60編近くの思い出、エピソードなどを集めている。愚生は、一応俳人だから、どうしても久保田万太郎に目がいく。巻末近くの三島由紀夫「十八歳と三十四歳の肖像画」は意外に面白く読んだ(愚生は、実は三島が何故か生に合わないので、フツウは読まない)。その久保田万太郎「ふたりの会葬者」(『中央公論』荷風追悼特集、1959年7月号)の中に、
(前略)ところで
――先生について、とくに何か、おぼえていることはないか?
というぼくの質問に対して、先生は。若い方とご一緒に、いつも十二時すぎにおみえになり、明けがたになってお帰りになったといい、お酒をあがらないでしょう。だから水羊羹だの葛ざくらなどのをめし上がりながらおはなしばかりなすってたといい、ときには角町(すみちょう)の露地のなかの“すみれ“へ行き、ソーダ水をにんでおわかれしたりといい、毎晩、お立ちになるとき、かならず“勘定“をおいいつけになるので、浪花屋のおかみさんが、“どうせ、また、あした、おいでになるんでしょう“というと、大てい来ると思うけど、今夜は今夜だ“とおっしゃって、毎晩、キチン、キチンと、その晩の分をお払いになりましたわ、といった。
――浪花屋のおかみさん、驚いたこッたろうナ。(中略)
――香登利(かとり)(その店の名まえ)には荷風さんの色紙がありますよ。
とかれの隣人がおしえてくれたのである。
――
へえ。
とばかり、かれは、微笑とともに、すぐに奥からもって来て、みせてくれた。
その色紙には、
鮎塩(あゆしお)の焦げる匂ひや秋の風
という句が書いてあり、荷風という署名の“風“という字の、キッパリ、不思議なくらい冴えているのに、ぼくは、途端に心を惹かれた。(中略)
それにしても――
やッぱり、ぼくには、“狐“の“牡丹の客““深川の唄““歓楽“そして、“すみだ川“の作者の先生がなつかしい。……これを書きながらも、ぼくは、しきりにそれを思ったのである。
ボヘミアンネクタイ若葉さわやかに
芽夢野うのき「青空や虎の尾の花にして眼力」↑
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