蝦名石蔵「詩兄の死知らずにゐたり露の日々」(『雲漢』)・・

 


 蝦名石蔵第6句集『雲漢』(私家版)、著者「あとがき」には、


 この「雲漢」は、第四句集「風姿」以降の作品を収容した。「風姿」の後に旅行句ばかりの「旅信」を出版したので、本句集は第六句集となる。俳句を始めてから五十年が経ち、初学時代の同人誌「暖鳥」の頃を思い出す。実質的な師であった成田千空さんをはじめ、溌剌とした時代が懐かしい。そして、これからは流れに身をまかせるのみと思っている。


 とある。また、集名に因む句は、


  雲漢の雲水たらん大ねぶた      石蔵


 であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  かげろふを来てかげろふへ救急車

  遠吠えは遠吠え呼びぬ鰯雲

  こがらしのひとたびふかばとめどなし

  わたすげやいたるところに風ゑくぼ

  ぬけみちとなるぬかるみを春の猫

  冬の田にたんぽぽ成田千空忌

  寒しじみ小粒といへど鉄のいろ

  雁帰るこの世の白き嶺づたひ

  目鼻なきままの幾夜や白ねぶた

  火男(ひょっとこ)に付いてゆくならねぶたの夜

  太宰の地どの野辺からも告天子

  剪定の愚直や廣瀬直人の忌

  撞きあげて形まだ無し鏡餅


 蝦名石蔵(えびな・いしぞう) 1949年、青森県生まれ。



★閑話休題・・正岡子規「お酉様熊手飾るや招き猫」・・・



 藤田一咲・村上瑪論著『幸せの招き猫』(河出書房新社、上掲写真)によると、


(前略)猫が庶民の間で飼われるようになり、暮らしのなかの点景になっていったのは江戸時代になってからだ。そしてその存在感はやがて人々の間で大きくなる。猫自体が本来持つ問される神秘的な霊力と、中国の故事からきた「猫が前足を上げて顔をこすると客が来る」と結びついて、あるひとつのスタイルを創りあげていった。

 それが、商売繁盛、招客万来、厄除開運をもたらしてくれるありがたくもお高くとまることいない神様(中略)である招き猫の姿になっていったというわけである。

 招き猫自体、その姿を眺めているだけで貧乏長屋の八つぁん、熊さん的な庶民のなかから生まれ育っていったであろうことは、容易に想像ができる。つまり、知識階級たちの文化遺産とは考えにくい分だけ参考文献もきわめて少ない。だからこそ謎が多くて奥がかなりふかい、となる。


 とあった。招き猫といえば、元「豈」同人・宮﨑二健の新宿東南口すぐの、ジャズバー「サムライ」を思い出す。なにしろ、店中、招き猫だらけだったから・・・。

               京町の猫通いけり揚屋街      榎本其角

     招き猫水中の藻に冬がきて    波多野爽波



撮影・中西ひろ美「ニセコアンヌプリを見たい夏の旅」↑

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