高橋睦郎「雪頻れ達磨俳諧興るべう」(「詩歌の森」第98号より)・・


 「詩歌の森」第98号(日本現代詩歌文学館 館報)、その巻頭エッセイ、高橋睦郎「別号を加えるの弁または筆名という自由」に、


 小説で鷗漱二家といえば森鷗外と夏目漱石、紅露二士となれば尾崎紅葉と幸田露伴。いずれも雅号、本名はそれぞれ林太郎と金之助、徳太郎と成行(しげゆき)である。(中略)

  俳人・歌人に目を転じれば、俳人子規は正岡升常規(のぼるつねのり)の、虚子は高浜清の、碧梧桐は河東秉五郎(へいごろう)の号、(中略)歌人の号は比較的寡くて、子規門流アララギ派の伊藤佐千夫(さちお)、長塚節(たかし)斎藤茂吉、土屋文明、みな本名。明星派の総帥与謝野鉄幹はのち本名寛(ひろし)に戻ったし、その弟子にして妻の晶子は本名の晶(しょう)に子を付けて生涯の名告りとした。晶子の親友で好敵手の山川登美子も本名のままだ。

 俳人・歌人間の雅号との関わりの相違は何によるか。この国古来の和歌による歌人は人麻呂、貫之以来、本名のほうが自然だったが、後発の俳諧から来た俳人は芭蕉、蕪村このかた、雅号のほうが似合ったのだろう。室町期の詩僧、江戸期の漢詩人が号を以て呼ばれた影響もあろう。俳諧者が旨とした俗言は漢語も含んでいたからだ。(中略)

 ところで、ふだんは本名で書きつつ別に雅号を持つ人もいる。小説家石川淳、別号夷斎先生。詩人安東次男、別号流火草堂。自由を持ったゆえんを考えるに、雅号というアナクロニックを所有することで、時空ともさらに自由になるためではあるまいか。 

 恥かしながらかく申す私、高橋睦郎も別号を持っていて、荒童、これは荒んだわらべ又は化物の意、星谷は茅屋の在る谷戸から豊かに星の望まれることによる。幻厦はまぼろし(・・・・)のや(・)と訓む。八十五歳を迎えてこれに新たに雪齋を加えることにした。(中略)

  小雪まふ朝湯帰りに生れしと

  雪の香の立つまで生きん志

  雪頻れ達磨俳諧興るべう

 雪齋が恰好佳すぎるなら、拙齋、褻齋にも通じると強弁しておこう。


 とあった。その他、本号の記事には、柳本々々「ふとんをはこぶ」、照井良平「『書く』喜びを教えた詩」、柳原千秋「小さな歌人たちー歌会のうるわしさー」、角谷昌子「享受と懐疑ーAIの活用」などがあった。



★閑話休題・・津髙里永子「かなかなや和泉式部の恋偲び」(「ちょっと立ちどまって」2023.7)・・

森澤程・津髙里永子の葉書通信「ちょっと立ちどまって」2023.7よりもう一人一句。


    青鷺の薄目して風たちにけり      森澤 程



        撮影・中西ひろ美「大野分北北西へ変わりけり」

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