ジュリアン・ヴォカンス(本井英訳)「ピエロ蒼白月下の死体さながらに」(「夏潮」別冊・虚子研究号VOl.XⅢ)・・


 「夏潮」別冊/虚子研究号Vol.ⅩⅢ(夏潮会)、ブログタイトルにした句は、本誌の本井英「ジュリアン・ヴォカンスと虚子」の末尾に記されたジュリアン・ヴォカンス「戦争百態」、本井英による意訳である。それには、


   付録 『戦争百態』十七字訳

 昨年、二〇二二年。筆者は「俳人協会紀要 二十二号」に「世界初の厭戦句集」と題して。ジュリアン・ヴォカンスの「戦争百態」を訳出した。その際、「俳句」として日本人が味わうためには、出来るかぎり定型(十七音節)であることが望ましいと考えて敢えて「意訳」に挑んだ。しかし、念のため「原文」と「逐語訳」をも添えた。(中略)若干の「註」は付したが、世にある普通の「句集」(季題はないが)として味わって頂ければありがたい。それでも「逐語訳」をご覧になりたい方は「俳人協会紀要」によられたい。


とあった。また、表紙裏の、本井英「夏潮 虚子研究号 第十三輯」発刊に際して」には、


(前略)実は、今号は果たして発刊できるかどうか危ぶんだ時期がありました。私事ではありますが、本年一月に「喉頭癌」(五年前に発症したのは「咽頭癌」)が見つかり、三月に全摘手術、そのい結果「声」を失いました。編集作業の時期と重なったこともあって、今号ばかりは発刊を見送ろうかとも思いましたが、熱心に論文を寄せて下さる方々のご協力のお陰で、なんとかいつも通りの「研究号」を仕上げることができました。ただし「三館だより」までは手が回らず、本号では見送らせて頂きました。来年、再来年と「虚子」をテーマに据えた研究が陸続と登場することを願って止みません。


 とあった。本井英の志に敬意を表したい。本号の目次を列挙しておくと、井上泰至「『栞して山家集あり西行忌』考」、小田直寿「虚子連句との対比としての旧派俳諧――『芭蕉翁遺語』における『格』の説を中心に――」、岸本尚毅「山口青邨と『山会』」、小林祐代「青畝と虚子」、田部知季「明治三十年代前半の虚子句碑――選評と句合に見る俳句評価の一面――」、筑紫磐井「虚子と秋櫻子――秋櫻子の離脱まで」、中本真人「昭和十三年の虚子の佐渡訪島について」、本井英「ジュリアン。ヴォカンスと虚子」。その「戦争百態」から、いくつかの句を挙げておきたい。


  英霊を照らせり無礼なる花火

  砲撃に地平の町の明るめり

  敵機糞(ま)るロケット弾か爆弾か

  そこここの日々立ち上がる墓標たち

  弾丸肌へ届くまじこの服抜いて

      *希望とも信念とも。

  懐で爪が啄む蚤虱

      *膠着した塹壕戦の日常。

  耳掠り帽を抜け明日は頭(ず)に当たる

      *敵の弾丸が次第に近くなる。

  血まみれの死体と大地永遠(とわ)の婚(こん)

      *死体と大地が永遠に離れがたいものとなる。

  やはらかな手や繃帯を巻きくるる

      *看護婦への淡い恋情。 

  生きる前に死と出会ひたる我が青春

      *作者が出征したのは三十六歳の時だった。



       撮影・鈴木純一「このオレを受け入れている初嵐」↑

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