鈴木六林男「憲法を変えるたくらみ歌留多でない」(『鈴木六林男の視線』より)・・
岡田耕治著『鈴木六林男の視線』(香天文庫1)、「後記」には、
私が勤めている大阪教育大学の公開講座では、鈴木六林男の俳句をとおして俳句づくりを講義した。(二〇一七年~二〇二二年)また、大阪俳句史研究会では、「鈴木六林男 人と作品」というタイトルで発表することができた。(二〇一六年)これらを「香天文庫」の第1冊目としてまとめることとした。(中略)
私の講義・発表内容に続いて、鈴木六林男俳句の鈔抄集を収録した。(中略)構成は、圧倒的な力量を孕みながら六林男師本人が編んだ句集として刊行されなかった未刊句集から多くを収録した。絶筆となった「俳句あるふぁ」二〇〇四年一二月号の十句をそのまま掲載するとともに、この絶筆に向かって六林男師がどのように言葉を紡いでいったのかということをたどれるよう並べて行った。(中略)
巻末に「花曜」終刊号の年譜(塚原哲編)に加筆修正して、六林男師の略年譜を付した。
とあった。また、「鈴木六林男の視線」の一部には、
(前略)ここに「鈴木六林男の技術」をまとめました。たくさんあるのですが、六林男にちなんで、六つに集約しました。
①多く読んで、やさしい言葉で、
②自分を新しくしながら、
③感じたことを書く。
④視座を低くして、
⑤回り道をしながら、
⑥その年のテーマに向かって書く。 (中略)
駅が表だとすれば、操車場は裏です。視座を低くして、裏側に光を当てていきます。
旗を灯に変える刻くる虎落笛
車輛を誘導していた旗が、ランプに変わる、普通ですとほっとするひとときですが、「吹操」はそうではありません。「虎落笛」の中を、労働は深夜に及ぶのです。
さらに、②「自分を新しくしながら」という技術についても、対象をしっかり見ることによって、自分を新しくする、そのような書き方がここにあります。六林男はよく「あっち向いて蝶々かな、こっち向いて桜かなという書き方をしていてはだめだ」と言われました。
とある。ともあれ、「鈔抄集」から、六林男の句をいくつか挙げておきたい。
ねて見るは逃亡ありし天の川
水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり
凶作の夜ふたりになればひとり匂う
天上も淋しからんに燕子花
満開のふれて冷たき桜の木
われわれとわかれしわれにいなびかり
ウクライナの女声とうとし初電話
戦争の空のつづきを鳥帰る
終戦の人ら泳げり敗戦日
神無月国をあやまる者つどい
蜿蜒(えんえん)とカラオケ俳壇去年今年
人の日を振り向けばなし影形(かげかたち)
そういえば、何かの六林男のお祝いの会に(蛇笏賞だったかもしれない)、出席したお礼にと、思いがけず、珍しい品を贈っていただいた。毛布である。その毛布は、「六林男の毛布」と名付けて、毎年、毛布カバーをして家族で使った。昨年、妻が亡くなるまで使っていて、今年もそれを使った。また、高柳重信の「俳句研究」の彼の編集後記をあつめた『俳句の海で』(ワイズ出版)を作った時に、その帯を、発案者である六林男に頼んだ。もちろん、二つ返事だった。ビールをお猪口で飲まれていたことを思い出す。「こうして呑むと早う酔うでぇ~」とおっしゃっていたなぁ~。
鈴木六林男(すずき・むりお) 1919年~2004年、享年85.大阪府生まれ。
岡田耕治(おかだ。こうじ) 1954年、大阪生まれ。
撮影・芽夢野うのき「肉屋さんだったはずアメリカンヤマゴボウ」↑
本書を取り上げていただき、ありがとうございます。
返信削除わざわざ、お便り、有難うございます。猛暑のみぎり、お身体大切にご自愛下さい。
返信削除