芭蕉「夏草や兵どもが夢の跡」(『隠された芭蕉』より)・・
髙柳克弘『隠された芭蕉』(慶應義塾大学出版会)、帯の惹句には、
時代の新しい表現を切りひらく芭蕉論
寂びることなく、未踏の旅へ
とあり、著者「あとがき」には、
(前略)俳句は短いために、その言葉の意図するところがわかりにくく、どうしても作者や成立状況に関心が向く。「古池や蛙飛びこむ水の音……ふーん、で、その心は?」というわけである。私はできるかぎり芭蕉の個人的な情報を入れることなく、作品そのものの面白さを抽出するよう心掛けた。(中略)
「詩情とは何か」とは、難しい問いかけであるが、社会の功利主義や合理主義に染まり切れない思いに寄り添うものだとすれば、それは今を生きる人間の胸中にも必ず存在するはずだ。芭蕉俳諧のキーワードである「不易流行」になぞらえていえば、詩がどういうかたちで流通するかは「流行」によるが、人々が詩に求める心は「不易」なのだ。芭蕉の句は、この「不易」に届いているからこそ、現代でも愛誦されている。人々の詩を求める心に俳句が応えていくために芭蕉俳諧は大きな啓示を与えてくれるだろう。(中略)
近現代の俳句からは失われてしまった表現方法も確認できる。一句の主体をあえて明確にしない。あるいは、虚構的な主体を創出することで、自在な表現を展開しているというのがその一つだ。自分というものにこだわる現代人にとっては、これは異質なものと映るかもしれないが、新たな表現を模索する上で、参照されるべき方法ではないだろうか。また、その句が向き合っているものは、人間の理解の及ぶところのないナマの自然にも及んでいる。(中略)
ほかにも、誇張された苦痛の表現、俳句を通しての俳句観の表現といった、芭蕉ならでは表現も、俳句の可能性を示唆している。本書を「隠された芭蕉」というタイトルにしたのは、実作者や研究者に従来あまり注目されてこなかった表現方法から、次代の新しい表現を切りひらくアイデアを探ろうとしたからだ。いまさら芭蕉の句のマネをする必要はないが、その多彩な表現方法を、埋もれたままにしておくのはいかにも惜しい。
私が実作者として芭蕉の句にいちばん刺激を受けるのは、言葉で一つの世界を創り出そうとすることへの強靭な意思だ。(中略)詩人とは、他者の言葉にたよることなく、自分の言葉を創り出そうとする者の別名であるが、その意味で芭蕉は詩人であった。
とあった。あとは、本書に直接あたっていただきたいが、文中の至言をすこし引用しておきたい。
(前略)技巧を拝して、日常的な意識を出ない範囲の言葉を並べたところで、それはやはり技巧を駆使した句と同じくらい、読者を倦(う)ませてしまうのだ。
見立てを駆使した、技巧的な表現。
ありのままを写し取った、無垢な表現・
このどちらに傾むいても、俳句は腐る。これは、マクロ的視野(俳句史)、ミクロ的視野(一俳人の個人史)の双方に起こる、俳句のアポリアである。
(前略)芭蕉のアイデンティティはどこにあったか。現実らしさを「虚」によって作り出すということだ。それは、現実そのままを写し取ることや、虚構のイメージを作り出すことよりも、難しいことといえる。
(前略)誠実さは芸術が克服すべき大きな障害のひとつである。
(前略)五七五の器は、無色透明ではない。「明るさ」につながる暖色系の色がもともとつけられていて、盛られた言葉を、染めてしまう。
(前略)「なんで描いているの?」は、時代を問わず、創作をする者にとって突きつけられる。普遍的な問いかけだ。当然、その問いかけは、芭蕉にも向けられたはずだ。「なんで詠んでいるの?」―—その答えが、「旅寝して我が句を知れや秋の風」「藤の実は俳諧にせん花の跡」「子に飽くと申す人には花もなし」といった句であったのだろう。俳句を通してしか、俳句の意義を語ることはできない。そんな思いが、芭蕉の中にもあったのではないだろうか。
とあった。
顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭蕉
三千の俳句を閲し柿二つ 正岡子規
句を玉と暖めてをる炬燵かな 高浜虚子
俳句思へば泪わき出づ朝の李花 赤尾兜子
待ち遠しき俳句は我や四季の国 三橋敏雄
目醒め
がちなる
わが尽忠は
俳句かな 高柳重信
髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ) 1980年、静岡県浜松市生まれ。
鈴木純一「涅槃会でヒトとりあえず目を擦り」↑
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