蜂谷一人「七星の柄杓をこぼれ寒の水」(『四神』)・・


  蜂谷一人第二句集『四神』(朔出版)、巻末には、「あとがき」代わりに、「動画的俳句論―—後書きに代えて」がある。その中に、


(前略) [フォーカス送り(ピン送り)]

 撮影上の技法についても解説してみましょう。望遠レンズを使うと焦点(ピント)の合う奥行きがごく浅くなるのは、「花の上に人」の句(愚生:注「人の上に花あり花の上に人 坂西敦子」)で説明した通り。その特性を使って、意外性のある効果を上げることができます。

  くもの糸ひとすぢよぎる百合の前   高野素十

 ぼんやりした白い背景に、一本の光る糸が映し出されます。一瞬何かわかりませんが、風に吹かれる様から蜘蛛の糸だと気づきます。このとき焦点は蜘蛛の糸に合っています。次に蜘蛛の糸がぼやけて溶けるように姿を消し、背景が見えてきます。ぼんやりした白いものが、くっきりと姿を現し百合の花であったことがわかります。これがフォーカス送りです。手前の蜘蛛の糸から後ろの百合へ。わずか数センチ、もしかしたら1センチに満たない焦点距離の違いが劇的な効果を生み出します。(中略)

 さて、かねてより俳人たちは様々な技法に挑戦してきましたが、一句を動画として読み解くことで作品に対する理解が深まります。俳句を動画としてとらえることを不思議に思う方もいるかもしれませんが。映画評論のように様々な作品に応用し、従来の作品を再評価することも可能になるかもしれません。俳句の「秘密」をテクニカルな言葉で記述できるようになれば、より多くの人に俳句の魅力をわかってもらえるようになると信じています。


 とある。集名に因む句は、


  石室の四神眠らぬ星月夜       一人


 であろう。その句について、帯文には、


  キトラ古墳の石室には四神や天文図の壁画がありました。四神とは青龍、朱雀、白虎、玄武のこと。東西南北を守護する神獣たちです。古墳の主を守るため目を閉じることを許されない彼ら。千年以上もの闇の中で、天文図の星の光だけが孤独な門番たちを照らしていたのでしょうか。


 とあった。ともあれ、集中より愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  明日は煮る繭の白さでありにけり

  八月や閼伽桶に浮く金の塵

  長靴を正装として鰹糶る

  箱庭の家に父なき日暮かな

  はつあきのあをきポケットチーフかな

  沈めたるものを眠らせ春の海

  目をつむる母が真ん中初写真

  灯油屋が神酒所に変はる春祭

  象の子に象の母なき五月かな

  俗名に日の当たりたる冬紅葉

  去るものはひかりとなりぬ冬かもめ

  羽化を待つ少女の肩のレースかな

  よく弾むものの中でも寒雀


 蜂谷一人(はちや・はつと) 1978年、NHK入局。夏井いつきに会い、俳句を始める。



★閑話休題・・小池正博「島二つどちらを姉と呼ぼうかな」(1月21日付け「朝日新聞・短歌時評」より)・・


 1月21日(日)付け「朝日新聞」の小島なお「短歌時評/令和時代の川柳」に、


『宇宙人のためのせんりゅう入門』(左右社)は、道で偶然拾った宇宙人「せんりゅう」と、著者であり川柳人である暮田真名(くれだまな)との奇妙な七日間の共同生活の物語だ。そして現代川柳について話す二人の会話形式で展開される川柳入門書でもある。(中略)

 五時過ぎた カモンベイビー USA(うさ)ばらし   盆踊り

 残業がなければ川を見て帰る            楢崎進弘

右がサラリーマン川柳で左が現代川柳。「ノリが違い過ぎる」と宇宙人からでさえもっともな指摘が入るように、同じ「退勤後の過ごし方」でもこれだけ目指すものが異なる。「現代川柳の特徴は『普通』からこぼれ落ちていこうとするものに目を向けていること」だと著者は言う。

 島二つどちらを姉と呼ぼうかな        小池正博

 むしゃくしゃしていた花ならなんでもよかった 平岡直子

 未来はきっと火がついたプリクラ       暮田真名 (中略)

 著者いわく「わからなくておもしろい」感覚を肯定することが詩を好きになるヒントだと。現代川柳がいま熱い。


 とあった。 



         撮影・鈴木純一「北窓に光を分ける西の窓」↑

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