中西亮太「雪吊や一本道をゆづりあふ」(『木賊抄』)・・
中西亮太第1句集『木賊抄』(ふらんす堂)、序は、山口昭男。跋Ⅰは、武藤紀子、跋Ⅱは西村麒麟。その序に、山口昭男は、
風鈴に舌あり人に音のあり
「人肌」の章に捧げられている一句。この句から亮太さんは「秋草」の仲間となりました。「円座」の武藤紀子主宰に「若い男の子が俳句を勉強したいと言っているので、山口さんお願いね」と聞かされていたので、東京のあさがほ句会でった時は、この人なんだと思いました。
とあり、跋Ⅰの武藤紀子は、
(前略)伸びてゐる木賊と折れてゐる木賊
句集の題名が「木賊抄」だと知った時、不思議な気持ちになった。「木賊」といえば宇佐美魚目先生の「すぐ氷る木賊の前のうすき水」の句を思うからだ。もしかして亮太君もこの句を知っていて、好きなのかなあと思った。亮太君はどこで木賊を見たのだろう。魚目先生の木賊は、先生がよく吟行される灰沢鉱泉の宿の玄関先にある手水場の木賊だ。私も吟行先で木賊を見つけると、俳句に詠まずにはいられない。
と記す。そして、跋Ⅱの西村麒麟は、その結びに、
(前略)露草の遠くのこゑに揺れてをり
彼の句からは時々寂しさを感じます。その寂しさが清潔で澄んだ世界を句集に醸し出しています。寂しさの全く無い詩はどこか浅い印象を受け、長くは愛せません。しかし、彼はちゃんと孤独です。
最後に僕が一番好きなのは次の句。
焼藷を持ちて国立大学へ
なんだか、よくわからないが面白い。
と述べている。また、著者「あとがき」には、
二〇一二年十一月末から二〇二二年までの十年間で作った句の中から二一九句をまとめました。(中略)すでに始まっている「『木賊抄』以後」が少しでも実りある時期になるよう、これからも努めていきたく思います。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。
水鳥の胸に花屑たまりけり 亮太
一斉に拍手鳴り出す雲の峰
足首のつめたく花野ゆきにけり
糊甘くにほへる障子洗ひかな
神の旅耳にあかるき風過ぎて
茶の花や粘りて落つる雨しづく
よーじやの墨描きをんなさくら散る
背中まであをき赤子や花あやめ
風吹いて肩の繪日傘まはりけり
見えてゐる山女と見えぬ山女かな
家を出る一念餅をのばしけり
中西亮太(なかにし・りょうた) 1992年、生まれ。
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