高橋比呂子「ざくろからほどけてゆきしあんだるしあ」(『風果』)・・
高橋比呂子第5句集『風果』(現代俳句協会)、装画も著者、その「あとがき」に、
俳句とかかわるようになってからは、言葉との格闘の連続である。
俳句が芸術であるならば(芸術であると私は思っている)同じものは要らないと思う。だから常に、これまでとは違うものを、新しいものをと願い、俳句を作り続けてきた(実際には、思うようにはいかず困難なことである)。しかし、珍しければ良いわけではなく、心をとらえ、俳句としてよくなくてはいけない。(中略)
「風果」とは造語である。〈果〉には、事柄が進んでしまった後に生じる成果(果実)。はてる・死ぬ・どうにもならないところまで行ってしまう、はて(終わった後)などの意がある。これまで旅をして、感じた風土など、吹かれたその刻々の風との合成語といって拙句集の名とした。表紙絵はドイツのハイデルベルグのスケッチをもとに描いた。(中略)
なお、「くにうみ」の章のみ、旧仮名遣いを用いた。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。
ロカ岬自殺願望証明書 比呂子
青銅の鳩となりたし冬の空
実南天みちかけみるみるゆうらしあ
いそいですぎないと錯覚となり夏館
あめおとこ蛹木霊していたり
かぜよりじゆうに小面のしろさかな
春雷や甲骨文字にある戦火
精霊を娶ってみればみな微熱
冬の木に獏しょうとつして困る
松島や松をうき身の絶句かな
秋扇ひらけば灯る銀河系
水切りの少年はるか曼殊沙華
ゆらゆらとしらさぎとんで未遂かな
あめのぬこぼこをろこをろとおのごろじま
いづもむさしうなかみつしまとほたふみ
高橋比呂子(たかはし・ひろこ) 1947年、青森市生まれ。
コロナ禍前まで、毎月行われていた、飲み食いしながらの遊句会の仲間だった春風亭昇吉が、初優勝した(遊句会では最若手だったので、焼酎のお湯割りなど、気働きよく、気配りよく働いていた)。愚生は、録画しそこなって(3時間スペスシャルだったので、わずかしか録画されていなかった)、友人からのメールで結果を知った。従って画像は、見逃し配信より・・・。
撮影・鈴木純一「水仙はおどかさないで声をかけ」↑
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