佐藤りえ「追憶のついぞ変わらぬ水の上補陀落渡海の舟を寄せ合う」(「九重」5号)・・
「九重」5号(発行人 佐藤りえ)、個人誌である。本号のゲスト作品は高山れおな「百題稽古 其三のうち恋」の「恋五十首」とインタビュー記事「霧中問答」である。インタビューの聞き手は、花野曲(はなの・まがる)。その中に、
高山 (前略)恋の句は堀河・永久の時も作ったわけですが、六百番歌合で判詞と一緒に和歌を読みながら俳句を作ると、またいろいろ考えさせられることが出てきた。特に、恋の句の場合、題が前書化する感じがして。これはなかなか重大です。
花野 どういう意味でしょう?
高山 題が句の読みの筋道を規定すると予想されることです。たとえば、〈日か月か静物(ナチュル・モルト)にさす光〉という句がありますが。これはじつは忍恋(しのぶこひ)の題で作っています。
花野 特に恋を思わせる言葉はないようですが?
高山 でしょう。この句だけを提示されても、読者が恋の句だと受け散ることはありえない。しかし、作者が忍恋の題で詠んでいる以上、題詠という枠組みを尊重する限りでは、読み手はこの句に忍恋の意味合いを読み取ることを要請される。
花野 忍恋の心象を表したヴィジョン、みたいな感じで?
高山 この場合はそうなるでしょうね。しかし、そう読んでもらうためには、読者がこの組題百首という全体の試みを面白がって一緒に踊ってくれる必要がある。
花野 そこは賭けですね。
高山 賭けですね。作者としてはそのように期待しますが、実際どうなるかはわかりません。このあたりは、大方の四季の題や雑の題とは条件がいささか異なるところです。(以下略)
とあった。この他に、佐藤りえ「むさしの逍遥 その4 所沢航空記念公園」のエッセイなどがある(愚生は一度行きたくなった)。ともあれ、本号より、作品をそれぞれ紹介しておきたい。ブログタイトルにした短歌は「恋すてふ 贋作十二題」の中の一首で、前書に「漂恋 月の夜の蹴られて水に沈む石 鈴木しづ子」と付されてある。
寄橋恋 踊り疲れて白夜帰る橋がない 永井陽子
舟形のお菓子を買って帰る宵 橋の嘆きを確かに聞いた 佐藤りえ
寄坂恋 きさらぎの蛇崩(じやくづれ)坂を恋ふゆかな 秦夕美
逢坂の関に見返る此の人をこれやこの風攫いたもうな
初恋 はじまりの火の手に乗るよ青酸獎(かゞち) 高山れおな
契恋 もろ恋に雛かがやける引千切(ひきちぎり)
引千切…京菓子の名。三月の節句に供する。
寄商人恋 我が思ふ似顔は売らず羽子板市
題は六百番歌合に拠る。
撮影・芽夢野うのき「冬日濃く不埒に愉快鴉の巣」↑
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